真如堂の大涅槃図特別公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月27日(日)


真如堂の大涅槃図公開へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

真如堂。正式名称、真正極楽寺
本堂の呼び名が本名より有名になり定着してしまった、天台宗の寺院です。
天台系では京都市内最大の本堂、渋い美を誇る三重塔、秋には紅葉が燃え上がる境内と、
見所が多いにも関わらず拝観は基本的に無料、ゆえに秋の混雑は年々増す一方の寺であります。
えらく気前がいいですが、何故かといえば、ここには三井家という大檀家がついてるから。
江戸前期に家の本拠地を京都へ移し、のちの三井財閥に繋がる豪商への道を開いた三井高利は、
この真如堂が気に入り、自分の墓をここへ建てることを希望、実際に埋葬されました。
で、それ以来、実に現在に至るまで、三井家は真如堂の大檀家であり続けてるわけです。
もちろん、寺の維持のためにしかるべき金額の御布施が納められてるのでしょうし、
そのおかげで平民の我々は無料で散歩したり、暇をつぶしたり、猫と遊んだりできるのでしょうが、
三井家は重要な文化アイテムもまた真如堂へもたらしてます。その代表が、大涅槃図。
釈迦入滅の様を描いた大涅槃図といえば、京都では東福寺や泉涌寺のものが有名ですが、
三井家の女性たちの寄進により江戸中期に制作された真如堂の大涅槃図も、なかなかに立派。
厭求や海北友賢らに実作が委ねられた縦6メートル、幅4メートルの図は、
釈迦の命日である旧暦2月15日前後に公開もされています。で、それを見に行ったと。
この時期限定で授与される 「花供曽」なるあられ、そして真如堂名物の猫と共に、
仏の慈愛と三井家の偉大さをじっくりと感じ取っていって下さいませ。
あ、ちなみに大涅槃図の拝観は無料ではなく、有料です。

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北野天満宮の梅花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月25日(金)


北野天満宮の梅花祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

学問の神様と呼ばれる、平安時代のエリート・菅原道真。
実際に頭が良く有能であり、それゆえ家格を超え右大臣にまで昇進した、菅原道真。
しかしそれが面白くない藤原時平により謀略を企てられ、大宰府へ流され、死んだ、菅原道真。
生きてるうちは配流も困窮も我慢した道真でしたが、死後は雷神と化し、京の街を呪いまくり。
首謀者・時平のみならず、陰謀関係者各位へ片っ端からヴードゥースプラッターをお見舞いし、
ビビりまくって名誉回復を決めた朝廷にもブチ切れ、遂には雷で御所をストライクアタック。
焼死体続出の惨状を見せつけられた醍醐天皇は、のちにショック死。
頼むからもう勘弁してくれと、朝廷は道真を主祭神とする北野天満宮を造営。
で、道真の命日である2月25日には、道真が愛した梅を大々的にフィーチャアした祭りを開催。
それが、この梅花祭なのであります。恐るべき因縁を持つ祭なのであります。
なので、本来は呑気に梅の観賞などをしてる場合ではありません。
縁日に並ぶ露店で、呑気に鯛焼きや回転焼きなど食ってる場合でもありません。
何故か毎回やってきて、楼門前に陣取る富山ブラックラーメンを食ってる場合でもありません。
ちゃんとお参りしないと、呪われるのです。雷を落とされるのです。大変なのです。
で、私は祈ってきました。祈るためだけに、天神さんへ出かけてきました。
偉いのです。真面目なのです。そしてひょっとすると、暇なのです。

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涌出宮の居籠祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月19日(土)


涌出宮の居籠祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

涌出宮の居籠祭。
読みは、「わきでのみや」 の 「いごもりまつり」 。
京都府南部も南部、もう奈良の方が近い木津川市山城町にある神社・涌出宮の、
平安時代や奈良時代はおろか、縄文レベルの伝統を継承してると考えられている神事です。
奈良時代に伊勢から天乃夫岐賣命が飛んできて創建されたという涌出宮ですが、
近年の発掘調査では、境内から縄文 & 弥生時代の生活 & 祭祀を示す遺物が多数、出土。
いにしえより何らかの生活と、祝祭が行われていたことが明らかとなり、
居籠祭は、古代日本の神祭りが天然記念物的に残ったものと見なされるようになりました。
その内容は、神様を迎え豊作を予祝するという、実に日本の魂を感じさせるテイスト。
「いごもり」 という不思議な名前は、深夜に行われる 「神迎えの森まわし」 などの際に、
氏子たちが家に籠もり、神を見ることを厳重に禁じられていることに由来します。
音を立てることもまた厳重に禁じられるため 「音無しの祭」 という別名までついてますが、
とにかくハードな潔斎と物忌みを現代へ伝える、とんでもない祭りなわけです。
で、そんな祭りへ興味本位でノコノコ出かけ、見てはならぬものを見ちゃったのかといえば、
もちろん、そんなことはありません。そもそも、見たら 「目がつぶれる」 らしいし。
居籠祭は3日間に斎行され、私が見物させてもらったのは2日夜の 「門の儀」 と 「松明の儀」 。
前者は迎えた神を宮座が饗応する儀式、後者は神火で旧年の穢れを祓う儀式であり、
もちろん 「いごもる」 わけではなく、松明が大炎上のなかなかなお祭り状態です。
それに、出かけてきました。ほとんど火を見に行っただけの感じですが。

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阿含の星まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月11日(金)


阿含の星まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

阿含の星まつり。
名前の通り、かの阿含宗が開催する宗教行事であります。
何故、阿含宗の行事を京都でやるのかといえば、総本山が京都にあるからであります。
清水寺の向こう、心霊スポット・旧東山トンネルの奥にゲートがある、総本殿・釈迦山大菩提寺。
単なる山奥みたいなその聖地に於いて、毎年建国記念日に行われるのが、星まつり、と。
正式名称である 「炎の祭典・阿含の星まつり 神仏両界大柴燈護摩供」 の通り、
総本山境内地にて超巨大護摩が、大炎上。それも、神仏両界分2つの超巨大護摩が、大炎上。
その浄火は、民の業苦を焼き尽くすかのように天空へ向け高く高く舞い上がり、
その煙は、遠く離れた市街地からでも確認できるほど迷惑、もとい、物凄かったりします。
しかし、星まつりが真に凄いのは、その圧倒的な動員力。参拝者は、何と50万人にも及ぶとか。
ちなみに、かの祇園祭・宵山の動員数でもだいたい、40万人。余裕で越えてるのです。
観光都市・京都にあって、数字が本当なら最大級のイベントである、星まつり。
その割には、観光案内各種では黙殺され味なのは、何故なんでしょう。不思議だなあ。
煙のみならず花火もバンバカ上がるわ、京都駅では山伏がウロウロしてるわ、
黙殺しようのない有様ながら、でも黙殺気味なのは、何故なんでしょう。不思議だなあ。
そのあたりの不思議さを探るため、というのは嘘で本当は純粋な興味本位で、
京都駅発着のシャトルバス乗り場へ早朝から出向きました。

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2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【2】

2011年2月3日(木)


2011年の節分めぐり、続きです。

【1】 聖護院の追儺式平安神宮の古式な大儺之儀廬山寺の鬼踊り
【2】 須賀神社で懸想文売り冷やかし藤森神社で鬼大暴れ吉田神社で沈没

の 【2】 、興奮と徒労が燃え上がる様、ご覧下さい。

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2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。【1】

2011年2月3日(木)


2011年の節分をめぐってきました。もちろん、ひとりで。

【1】 聖護院の追儺式平安神宮の古式な大儺之儀廬山寺の鬼踊り
【2】 須賀神社で懸想文売り冷やかし藤森神社で鬼大暴れ吉田神社で沈没

の 【1】 、鬼と豆と中高年が大興奮の節分スペクタクル、とくとご覧下さい。

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吉田神社の節分祭・追儺式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年2月2日(水)


吉田神社の節分祭・追儺式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京の町の節分に初めて触れたのは、京都へ来て間もなくの、寒い日のことだった。講師として通っていた女子高校からの帰り道、そのころはまだ東大路を走っていた市電の中で、何か異様な熱気を感じた。ふと外へ目をやると、いつもは人影もまばらなはずの吉田神社の参道が、彼方まで人の波に埋め尽くされていたのだった。道路はいつになく渋滞しており、当日だけ運行されるという吉田と壬生間を結ぶ臨時バスに、年配の人たちが我先にと乗り込んでゆく ━━━そういえば数日前の新聞に、各寺社の節分の参詣の案内が一斉にでてたっけと、ようやくことの次第を理解したのだった。
(真矢都 『京のオバケ』 より)

吉田の節分は、異常です。
ネイティブの人には自然かも知れませんが、部外者には凄く異常に見えます。
都の表鬼門の守護神として創建され、 厄除けの神様として現在も篤い信仰を集める、吉田神社。
旧暦が密かに生き続ける京都に於いて「本来の大晦日」たる節分に行われるその節分大祭は、
極めて気合の入ったものであり、裏鬼門・壬生寺の節分会と共に高い集客力を誇ってます。
が、壬生寺がネイティブさでは圧倒的ディープネスを放ってるのにも関わらず、
吉田の節分はそれを遥かに凌ぎ、異常です。何が異常かといえば、熱狂の温度感かなと。
この日の追儺式など、殺人的混雑が出来してます。しかし、どこかみんな、醒めている。
それも現代人として醒めてるのではなく、何か別の所で醒めてる感じが、凄くする。
その感じが、他にはない、吉田の節分独特の不気味さと魅力を生んでるような気がします。
そんな違和感も楽しみながら、古式に則った追儺式を存分に堪能したかといえば、
ひたすら殺人的混雑に振り回されただけで終わったわけですが。

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