石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【3】 奉幣の儀

2011年9月15日(木)


石清水八幡宮の石清水祭、ひとりで行ってます。続きです。

宇佐の地から京都の裏鬼門・男山へ八幡神が勧請された4年後の863年、
石清水八幡宮の例祭・石清水祭は、「石清水放生会」として始められました。
始めは単なる私祭でしたが、承平天慶の乱の調伏などで八幡宮が朝廷の崇敬を得るようになると、
勅使の御差遣が開始され、勅祭化。やがて、雅楽寮の楽人舞人による楽舞も、開始。
賀茂・松尾・春日・平野などに比べると新参もいいところの石清水は、凄まじい成り上がりを見せ、
遂には伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟としての地位を確立、
放生会には、太政官の最上位である上卿が、参議以下の諸官を率いて参向するようになりました。
と、上り調子だった石清水八幡宮ですが、応仁の乱により祭りは200年ほど、中絶。
江戸時代に再興されますが、明治維新の神仏分離で祭りどころか神社そのものがズタボロに。
のちに明治天皇が旧儀復興を仰せ出されたおかげで、何とか官祭としてまた再興しますが、
敗戦後の昭和20年にまたしても旧儀、中絶。24年には三度、再興。で、現在に至ります。
【2】でも触れましたが、「勅祭・石清水祭」、現行の制度上では全てが、私祭です。官祭ではなく。
現代の勅使を担当する掌典職は、皇室の宮中祭祀を担当する部門。
政教分離のため、給与は天皇家の内廷費、ポケットマネーから支払われています。
いわば、天皇家の私的使用人に相当するわけです。宮内庁職員 or 国家公務員ではないわけです。
が、石清水祭のパンフレットなどでは堂々と「私祭」「官祭」という言葉を、大々的に使用。
「まだ戦争は終わってないっていうか (by 電気グルーヴ)」な勢いを感じることしきりですが、
これから始まる奉幣の儀は、戦争どころか平安時代さえまだ終わってないような、
荘厳と雅を極め倒す祭儀が繰り広げられるのであります。
勅祭の勅祭たるパート、官祭のコアブロック、とくと御堪能ください。


午前4時半、御鳳輦は頓宮へ著御。頓宮神幸の儀へ入ります。
参列者もまた頓宮入りしますが、通るのは、裏口。総門は、御鳳輦と行列専用です。
回廊に設営された参列席へ案内されますが、頓宮殿正面の席はパナなどの特別参拝者用。
残りは、早いもん勝ち。のんびり集団のおしりについてた私は、妙なところに座ってしまってました。
現在、御鳳輦から頓宮殿へ神霊を遷霊中。が、ここからでは何が何だかさっぱりわかりません。


よくわからぬ間に、神宝御剣は殿内へ移され、御神霊も無事に入御されたようです。
ちなみに御鳳輦が著御する際、上卿以下の勅使たちは舞台西側に列立。
その姿が渡り鳥に似てることから、雁列とも呼ばれてるそうですが、そのあたりも全然見えません。
ただ、夜が明けてきたことだけは、よくわかります。すごく、眠い・・・。


朝日が昇るのと同時に、頓宮神幸の儀は完了。
遂に神は、下院へ舞い降りました。その神をもてなす奉幣の儀までの間、しばし休憩となります。
が、「勅祭なめんなよ」とばかりに、この空き時間を利用して石清水祭レクチャー、開始。
水も食い物も便所も我慢して、有り難い講釈をねじ込まれる午前5時。朝日がまぶしいです。


午前5時30分、奉幣の儀が始まります。
上卿以下が写真左側の礼堂に著座する中、まずは献饌です。神さん、朝ごはんであります。
神職が御神前の御簾を巻き上げ神饌を献じますが、ここからだと頓宮、ギリアウトで見えません。
なので、この石清水祭の神饌について取材された 南里空海『神饌』 を参考にさせてもらいましょう。
現場に行った意味がないという話ですが、見えないもんはしょうがありません。


通い盆の手渡しで運ばれる八幡神への神饌は、熟饌・生饌・供花の三種に大別されます。
熟饌というのは、調理された神饌のこと。またの名を特殊神饌、あるいは古式神饌。
古来より伝承されるもので、明治に神饌が画一化される以前はこちらが主流だったとか。
対して、生饌は生もの。別名、丸物神饌。文字通り、生の丸のままの形で神前に供えるもの。


熟饌と生饌は、合計31種が供えられます。羅列すると、
【1】御飯、御箸、清酒 【2】松魚、魳 【3】鮭、金海鼠 【4】鯣、昆布、若布
【5】鶏冠菜、青梅苔、三島海苔、紫海苔 【6】海松、牛蒡、蓮根、白瓜 【7】頭芋附小芋、鴨爪
【8】山葵、河骨 大根 【9】兎餅、焼鳥 【10】葡萄、榧、搗栗 【11】榊小枝、散米、塩湯

のちほど、殺生を戒める放生会にて魚を川へ放ちますが、八幡神、魚もバンバン食されます。
同じく放生会にて鳩も空へ放ちますが、八幡神、鳥も焼鳥にしてバンバン食されます。


供花とは、造花。四季を表わす和紙の造花を四季×三基分 = 12台、用意されます。
仏教の影響が強い、というか元は山全体が寺だらけだった、石清水八幡宮独特の神饌です。
古来は宮中から、戦前までは京都御所からの、特別なお供えものでした。
戦後は造花店が作ってましたが、それを見た染色家・吉岡幸雄が「こんなんあきません」と一蹴。
「それやったら先生が作ってください」と宮司が返し、現在はその吉岡氏が制作を担当されてます。


神饌の献饌が終わると、いよいよ御幣物の奉献に入ります。
伊勢とここ、そして上下賀茂と春日大社でしか著けないう4.6mの裾を引き、上卿は舞台へ移動。
ちなみに上卿が移動される時、我々参列者は全員、起立。前を通られる際は、低頭でございます。
写真は確か、上卿のあとに続いた人だったような。


宮司による祝詞奏上に続き、御幣物が御神前に奉献されます。
上卿が舞台で見守る中、内蔵寮史生より宮司に手渡される三座分の御幣物。白い箱が、そうです。
上卿が左手で裾を引き寄せる動作は、平安朝の殿上作法を今日に伝えるものだそうですが、
またしてもここからでは、よく見えません。


粛々とバケツリレー方式で運ばれる、御幣物。観てるだけの平民にとっては、正直、暇です。
思わず、頓宮の周囲を護衛する連中で「落ちてる」奴がいないか、探してみたりして。
参列者の方は、既にかなりの数が「落ちて」ます。朝6時に、白い箱のバケツリレー。過酷であります。
「ご起立下さい」「低頭」「お直り下さい」のヘビーローテーションも、睡魔の猛威には勝てず。


かく言う私も、「落ち」ました。記憶がないので「落ち」てたんだと思います。
デジカメの撮影タイムを見ると、6:35から6:53の間が、ズボっと欠落。「落ち」ましたな。
この間、上卿は、国家の繁栄・国民の安泰・世界平和を願う御祭文を、微音にて奏上。
最も重要なパートを、見逃したことになります。勅祭、内部に入ってもなお、ハードル高し。


奏上の前後においては、神や天皇に対して行う最も鄭重なる拝礼・起拝が行なわれ、
また「伊勢=標、上下賀茂社=紅、春日大社とここ=黄」と定められた祭文の料紙も見所なんですが、
写真も記憶もございません。なので、先述の『神饌』から、料紙の色を起こしてみました。
同書の写真では、黄色というより、オレンジ色。なので、オレンジのGをちょい上げた数値にしてます。
もちろん、実物の色がこうだという保証は、一切ありません。


御祭文は宮司によって御神前に奉納、この際に上卿と宮司は「返し祝詞」なるものを行ないます。
二拍手の最初を宮司が打ち、二拍目を勅使と宮司が重ねて打ち、そして勅使が最後の一拍を打つ。
聞こえる拍手は、計三回。まるで輪唱であり、極めて稀な作法だそうです。
が、完全に寝入り、完全に見た記憶がないので、何がどう稀なのかは全然わかりません。


目が覚めたであろう6時53分、写真に写ってたのは、馬。
かつて宮中の左右馬寮から各一頭ずつ馬が奉納された姿を再現する、御馬牽廻であります。
二頭の神馬が、舞台をまわること、三周。見てると、また「落ち」そうなスピード感です。
「はちまんさん」の神馬といったら、山上・三の鳥居前の白馬が有名ですが、あの馬ではないとか。


馬に続いて、午前7時過ぎ、勅楽の奉奏が開始されます。
第112代霊元天皇が、石清水八幡宮へ雅楽器などを奉納された故事に因み、
そのロイヤルヴィンテージな楽器のうち三管を楽人に授与、「颯踏」などが奏でられるわけです。


ロイヤルヴィンテージな楽器で奏でられる、ロイヤルヴィンテージなサウンド。
正に、雅の極地。あまりにも雅過ぎて、参列席では頭を揺らしてロイヤルグルーヴに乗る者、多発。
私もまたロイヤルグルーヴのゆったりとしたヴァイヴに誘われ、7:27から7:50の間、トリップ。
気がつくと、儀式は終盤に差し掛かってました。


最後に地元の産土社である摂社・高良社に、朝御饌をお供え。
神職が総門から出て、そのすぐそばにある小さな社へ神饌を持って行きます。
タダで見れるゆえか、妙によく見かけるシーンです。が、参列席からは何も見えません。


左右次将などが退場、儀式はやっとこさ終了しました。時刻はジャスト、8時。
疲れた・・・。全く何もしてない、ただただ座ってただけなのにも関わらず、凄まじく疲れた・・・。
しかし、時刻は既に次のプログラムである放生会の開始時刻。
またしても、トイレ休憩や一服する間など一切なしで、会場の放生川へ移動します。しんどい・・・。


移動中、意識朦朧の状態で撮った、頓宮。
壮麗を極めたというかつての頓宮は、幕末に新撰組とかがやって来たおかげで、炎上。
この建物は、大正期にこじんまりと再建されたものです。あ、最近何気に、リニューアルされました。
どうでもいいことですが、この頓宮、私の幼少期の遊び場でもあります。
とても残念な人間になって帰ってきました・・・。


頓宮の裏の興宿、ソフトなければただの箱という感じでほっとかれてる、御鳳輦。
そばで見ると、本当に小さめです。還幸する夕方まで一休みというところでしょうか。
我々は休むことなく、放生会が行なわれる放生川まで歩きます。

石清水八幡宮・石清水祭 【4】 放生会-法華三昧 へ続く

石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【1】 イントロダクション
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【2】 神幸の儀-絹屋殿の儀
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【3】 奉幣の儀
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【4】 放生会-法華三昧
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【5】 還幸の儀

石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。【2012年度版・前篇】
石清水八幡宮の石清水祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。【2012年度版・後篇】