北野天満宮・ずいき祭の神幸祭へ行きました。もちろん、ひとりで。

2011年10月1日(土)


北野天満宮・ずいき祭の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

ずいき祭。
美しい少女を見て随喜の涙を浮かべる祭ではありません。あしからず。
ずいきとは、里芋の茎のこと。漢字で書くと、瑞饋祭。京都の代表的な秋祭です。
のちに北野天満宮の祭神となる菅原道真が、配流先の大宰府にて怨み骨髄で彫り上げた木像を、
随行した西ノ京の神人が持ち帰り、秋の収穫時に野菜や穀物をお供えしたことに始まる、ずいき祭。
ずいき・赤茄子・栗・柿・稲穂などの野菜で作られた『ずいき神輿』が祭りの何よりの名物であり、
元農村ならではの収穫を感謝するさまと、祭ごとに作ってはぶっ壊す神輿本来の聖性が、
ちょっと不思議な形で現在まで継承されてる祭りであります。
毎年10月4日の還幸祭では、ずいき神輿はもちろん、「天神さん」のシンボルである牛も町内を巡行。
現在は完全に住宅地の氏子区域を野菜神輿や牛が闊歩する姿は、独特の風味を醸し出してますが、
この日の神幸祭もそんな不思議さに満ち溢れているかといえば、これがそうでもありません。
ずいき祭の神幸祭は、応仁の乱で途絶して以降ずっと中断したままだったそうで、
再開されたのは実に明治8年のこと。何事も千年単位の京都にあっては、最近の話です。
配流された主祭神・道真の「おかえり」すなわち都への帰還をイメージさせるためか、
還幸祭が極めて盛大に行なわれるのに対し、神幸祭はやや、地味。ずいき神輿の巡幸も、なし。
私も還幸祭の方へ行きたかったんですが、ずいき祭は日程固定で平日開催が多く、今年はアウト。
神幸祭だけじっくりと見物させてもらうことにしました。
とはいえ神幸祭も、行列の巡行、そして何より八乙女舞の奉納など、見所はいっぱいです。


13時の出御直前の北野天満宮・楼門。
午前中のうちに御霊を移す出御祭を済ませ、出発を静かに待つ第一鳳輦、そして見物客。
こちらの第一鳳輦には主祭神である菅原道真が、第三鳳輦には奥方が、
そして天辺に葱を乗っけた小さめの葱華輦には道真の嫡男が乗り込みます。


三基の鳳輦には、約150人の行列がお供。
獅子に始まり、鉾や馬が練り歩く華やかなラインアップですが、花形は氏子地域の女児・八乙女。
当然ながら、おっさんカメラマンたちはこの娘らばっかり撮ってます。


13時きっかりに一の鳥居を出た行列は、今出川通ではなく、狭い今小路を西進。
道の両端にあふれるギャラリーに見守られながら、西大路通まで真っ直ぐ進みます。


鳥居付近こそ鈴なりだったギャラリーは、住宅街へ入るとすぐ近所の人ばっかりになります。
淡々と行進する、水干男稚児、そして御羽車童子供奉。「京都やなあ」という感じ、すごくします。


行列の先頭を努める獅子には、頭を噛んでくれとせがむ子、至るところ続出。
もちろん獅子も、至るところで噛みまくってました。大人がせがめば、当然大人も、がぶり。
私も噛んでもらおうかと思いましたが、中の人と目が合って気まずかったので、遠慮しました。


西大路へ出たところで左折、車道を堂々と南進する八乙女と傘持、そいて保護者の方々。
正面奥、イズミヤに圧迫されるように嵐電・北野白梅町駅が見えてます。
全くどうでもいいことですが、昔は嵐電、さっきの南門のあたりまで線路が延びてたそうです。


仁和寺街道を東進する、先駆神職。
南進でも西進でもなく、東進です。行列、実に細かくクネクネと、念入りに路地を巡幸していきます。
エアコンの室外機以外は、おそらく100年前とさほど変わらないであろう風景です。


クネクネし過ぎてて、どこをどう進んだのかは不明ですが、
とにかく下ノ立売通を今度は西進し、小さな橋を渡る導山、そして梅鉾。
鉾の先が電線にひっかからないよう、時折つっかえ棒みたいので電線を回避しながら進みます。


やはりクネクネし過ぎてて、どこをどう進んだのかは不明ですが、
さっき南進してたはずの西大路通をとにかく横断する、菅蓋と錦蓋。
いつもながら、丸っこいのが横断する様は「よっこいせ」とでも言い出しそうで、実にユーモラスです。


後尾には、宮司が乗った宮廷馬車。悠々と西大路を横断されております。
えびす屋の人力車とは一味違うというところでしょうか。洋式なのは、謎ですが。


行列は途中で南進、丸太町の京都信用金庫円町支店まで行き、そこで一旦休憩。
「車が混むばっかりで、かなわん」「いや、続けんと」みたいなことを話してる見物人や、
「何これ」「ミニ祇園祭」とか言ってる中学生の声を聞きながら、導山・梅鉾・松鉾を見るの図。


15時ジャスト、京信を出発した行列。午後の太陽をまともに浴びながら、西進します。
暑い。実に、暑い。鰯雲が広がる秋空ではありますが、導山の上の天狗さんも心なしか暑そうです。


こちらも実に暑そうな八乙女列。傘持がついてるとはいえ、大変です。
御旅所へ着いたら舞を奉納しなくてはいけないし、実は出御の前にも神事に出ています。
本当に大変です。大売出しの看板なんか気にならないくらい、大変です。


丸太町通を西進したのち、クロネコヤマトを待たせて木辻通を北進する、葱華輦。
頭のてっぺんに丸い葱帽子がついてるのが、見えるでしょうか。
このあたり、道が狭いこともありますが、見物人はとにかく近所の人ばかり。実に、ディープです。


さらに近所の人の見物が増えまくる妙心寺道の木辻商店街をひたすら東進、
露店に群がる人でいっぱいの道を抜け、さらに人でいっぱいの西ノ京御旅所へ突入する、第三鳳輦。
てっぺんの鳳をはずして、殿内へ着御し、神幸は完了。三基揃ったあと、着御祭へ移ります。


見物人や神職が入り乱れ、烏合の衆のつるぼと化している、西ノ京御旅所の境内。
さほど広くも狭くもない場所ですが、人間と露店、神宝やら天狗やらなどの展示が立て込んでて、
どこを歩いてるのかよくわからなくなる、実にお祭りらしい雰囲気です。


巡幸はなかったずいき神輿ですが、御旅所では展示が行なわれます。
祭の期間中はここで奉安、還幸祭の4日には北野天満宮まで巡行するわけです。
これ全部、野菜製。もちろん柱とかは違うでしょうけど、表面の飾りつけは完全に、野菜。
江戸時代の最盛期には計8基が存在したそうですが、現在はこちら西ノ京の神輿が残るのみです。


祝詞奏上、御神饌献上などを行う着御祭がつつがなく終了すると、
いよいよ八乙女による舞の奉納が開始。もちろんおっさんカメラマン、大集合&大殺到。
いや、正確には始まるずっと前から大集合。何であんなに無駄に元気なんでしょう、あの人たち。


ニヤケ顔+仏頂面+過剰な笑顔のおっさんカメラマンたちに周囲を囲まれながら、
それに気圧されることもなく、八乙女たちは衣装替えもしつつ、舞をしっかりこなしてました。
お疲れ様です。耳の真横で連射のシャッター音を聞かされ続けた私も、どっと疲れましたよ。


舞が終わった頃には、すっかり夕方になってました。
御旅所の周囲の屋台は、ずいき祭りの期間中ずっと並ぶんだそうです。

客層は、おおむねどこのポイントでも、地元メイン。子供よりも大人、中高年が多いです。
縁日が立つ御旅所だけは子供や家族連れが圧倒的に多いですが、
ほとんどの巡幸ポイントでは行列や神輿を見に外へ出てきた近所の人達がメイン。
カップル、観光客、共に目立ちません。逆に多いのが、カメラマン。もう、うじゃうじゃいます。
単独は、ちょこちょこいる感じでしょうか。おひとりさま、腐女子、変人、よくわからん人など。
北野天満宮と御旅所の周辺をのぞけば、特に無茶苦茶な混雑が発生するわけでもなく、
ビジュアルが映える行列を穏やかに楽しめるいい祭りではないでしょうか。

そんな北野天満宮・ずいき祭の神幸祭。
好きな人と行けば、よりずいきなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、ずいきです。

北野天満宮・ずいき祭の還幸祭へ行きました。もちろん、ひとりで。(2012)

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:若干
男性グループ:0
混成グループ:0
子供:2
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:2
中高年団体 or グループ:2
単身女性:若干
単身男性:2
【ひとりに向いてる度】
★★★★
色気的にも人圧的にもプレッシャーは、希薄。
だが、あんまり早乙女の写真ばっかり撮り過ぎて
怪しい性向を持つ人と怪しまれないよう、注意。

【条件】
土曜 12:45~17:50


北野天満宮
京都市上京区馬喰町
4月~9月 5:00~18:00
10月~3月 5:30~17:30
京都市バス 北野天満宮前下車すぐ
京福電車白梅町駅より徒歩5分

北野天満宮 西ノ京御旅所
京都市中京区西ノ京御輿岡町6
拝観自由
京都市バス 北野中学前下車 徒歩約3分
西ノ京円町下車 徒歩約5分
JR嵯峨野線 円町駅下車 徒歩約6分

北野天満宮 – 公式

ずいき祭(瑞饋祭) – 北野天満宮