高台寺の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年12月1日(木)


高台寺の秋の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

高台寺が、好きです。特に、夜の高台寺が、好きです。
はっきり言って、客層は独男にとって最低です。特に、ライトアップ時の客層は最低です。
実際、この夜の客層も最低でした。今まで行った秋の夜間拝観も、ほぼ外れなしで最低でした。
しかし、それでも、好きです。レトリックで言ってるのではありません。本当に、好きです。
何故そんなに好きかといえば、多分、この寺が率直だからでしょう。
夜間拝観を断行した同寺塔頭・圓徳院の住職・後藤典生氏は、著書『高台寺物語』にこう書いてます。
「私がライトアップを発想したもっとも大きな理由は、参拝客を増やしたいと思ったからです」。
わかりやすい。わかりやす過ぎて禅問答な気にさえなりますが、言い分はこうです。
全盛期の1/10にまで縮小した伽藍を再建したい、と。百年かかるが再建したい、と。で、金が要る、と。
そんなシンプルかつストレートな理由で、高台寺は1994年にライトアップを開始します。
寺によっては、渋さとしょぼさを意図的に混同したような照明が設定される夜間拝観ですが、
「金が欲しい」という根本動機にブレのない高台寺は、常に衒うことなく絢爛さを発揮。
「商業主義」「それでも禅寺か」「まるで和風テーマパーク」などと言われながらも、
拝観客は増えまくり、廃墟同然の状態から一転、京都随一の観光寺院の座を獲得するに至りました。
その稼ぎまくる姿に私は、率直さや大らかさ、清々しさといったものを感じます。
そしてその率直さ・大らかさ・清清しさといったものは、高台寺を建立した北政所ねねの、
夫・秀吉の配下たちを惹きつけた人柄と共通したものなのかも知れない、と思ったりもします。
私はそんな高台寺が、好きです。2011年秋の夜間拝観も、もちろん行きました。


ぼちぼちな人出の「ねねの道」を通りやってきた、19:15の高台寺駐車場。
案外空いてるのかなと思って来てみたら、大型バス、ドドーンと並んでます。壮観であります。
やはりここは、戦場。頭を戦闘モードに切り替えて、光り輝く受付へ単身特攻です。


拝観客を出迎える、ウェルカム電飾&ウェルカム庫裡。
庫裡の奥にある受付には行列ができていて、ご覧のように外まで続いてます。
ただ、圓徳院などとの三ヵ所券は別の確かカウンターがあって、そっちは人が並んでなかったかなと。
私はその圓徳院で共通券を購入済なので、並ばずに速攻でゲートを通過。


境内に入れば、さらに手厚く出迎えてくれる、電飾樹木。
電飾が過ぎて紅葉の色づき加減がわかりませんが、でもこれでこそ、高台寺です。
お高価い茶会をやったりする湖月庵や、吉野窓が可愛い遺芳庵を眺めながら、書院へ向かいます。
順路はおおむね、レミングの行進。体が密着するほどではないが、のんびりはできません。


鬼瓦席を過ぎたところから見る、書院。
紅葉の赤か照明の赤かは知りませんが、とにかく何らかの赤色の下で来客を迎えてます。
書院の中では、よくわからん版画を展示中。七夕の時は、確か休憩所になってたと思うんですが。
人が溜まらないよう、移動の足を早くさせるものを並べたんでしょうか。


書院の横で静かに存在感を放つ、小堀遠州による、鶴亀の庭。
堰月池、楼船廊、その向こうの開山堂、そして彼方で赤く光る紅葉ライトアップ。
伏見城の遺構という観月台も含め、静寂そのものをビジュアル化したような美しさを誇りますが、
もちろん現場は観光ハイな人間の大声や、カメラの連射音でいっぱいです。


何となく覗いてみた、楼船廊。あ、立ち入りは出来ませんよ。
絵だけで見ると、本当に静寂の音が聞こえてきそうに思えるから、不思議です。
死ぬほど俗っぽい観光混雑状況にありながらも、ふとした瞬間に不思議な聖性を垣間見せる。
それが高台寺の面白さであり、京都全体の面白さでもあるように思えます。


で、こちらは特に不思議な聖性は感じさせない、方丈東側。
静寂とも特に関係がなく、スタッフの注意というかアナウンスというか、とにかく絶叫が響きまくり。
絶叫ループ、別段ここに限ったことではなく、おおむね境内のどこにいても聞こえます。
危ないことは手を尽くして教える。過剰な、過保護。これが、ねねの愛。


方丈前庭・波心庭。毎年趣向を変えてライトアップされてます。
今年は、龍らしきものを枯山水の庭へ設置して、そいつを赤・青・緑のライトで照射。
イタリアのデザイナーが手がけた去年2010年のに比べると、かなり、いや圧倒的にしょぼい・・・。
あ、方丈のベランダは写真が撮れないくらい、それこそ身の危険を感じるくらいの混み加減です。


そしてやってきました、恐怖の開山堂。
北政所ねねに強く請われ、寺を改宗までした上で迎えられた、高台寺第一世・三江紹益。
その三江紹益禅師を祀る塔所・開山堂は、高台寺創建時から残る数少ない伽藍。
なのでこんなにも人民が集結する、わけではなく、ほとんどの人は紅葉&両脇の池見物が目的。


美しい紅葉のライトアップが、臥龍池に反射しています。
こんなにロクでもなく混み方なのにも関わらず、しかし圧倒的に、美しい。
「いい加減、アホらしい」と、もっともな理由で夜間拝観を止める寺が出てきた昨今ですが、
こういうのを見ると、高台寺はライトアップをきっと続けるだろうし、続けるべきだとも思えます。
前へ進めない&後から押される&池転落の恐怖だけは、何とかして欲しいんですけど。


開山堂と、やはり創建時から残る伽藍・霊屋とをつなぐ、臥龍廊。
派手です。通俗的です。いくらでも文句がつけられるビジュアルです。
しかしここは、現存する観月台以外のみならず、元々大部分が伏見城を移築して作られた寺。
むしろこのギンギラギンな姿こそが、本来の伽藍を幻視させてくれてるのかも知れません。


霊屋でズタボロの秀吉夫妻像に謁見してから、傘亭&時雨亭へ。
ここの階段も、なかなか怖い。観光ハイで疲れた人が足を踏み外すと、連られて地獄行きです。
茶室では、自動音声のような案内をエンドレスで繰り返す女の子が、今夜も頑張ってました。
写真が上手く取れなかったので、代わりに傘亭に写った筆者近影をどうぞ。


出ました、開山堂を凌ぐ高台寺一番のデスポイント、竹林下り坂。
「前の方と間を空けてお歩き下さい!!!」と、スタッフが悲鳴のような声で無限連呼するものの、
動物の本能に逆らえず、レミング化して行進する客。逃げ場、なし。誰かがつまづくと、助かりません。
現場にいる時は脱出しか考えてないんですが、写真で見ると、竹、キレイですね。


開山堂前まで生きて戻り、抹茶営業してる雲居庵を冷やかし、お帰り口へ。
ああ、面白かった。狭い境内をくねくね歩くだけなのに、この美と醜悪と恐怖の一大スペクタクルぶり。
やっぱり高台寺は、面白い。そんなことを思いながら駐車場から眺める、京都のしょぼい夜景。


スペクタクルで腹が空いたので、湖月茶屋で「ねねわらび」500円也を食いました。
通常の日本語に訳すと「あんこ入りわらびもち」に相当します。味はもちろん、ねねの味です。
観光客気分を味わいたくなり、「あげまんじゅう・ねね」「太閤きんつば・千成」なるものも購入、
「高台寺って、いいよね~」とか言いながら、台所坂を下ります。もちろん、ひとりで。

客層は、カップルをメインとした、烏合の衆。
仕事帰りらしき中年夫婦、女性グループ、大型バスやってきたらしき中高年団体、あたりが大勢。
とことん観光地というか、文字通りの和風テーマパークの世界が展開されてます。
カップル、観光ハイ+恋愛ハイの色気撒き散らし状態かと思いきや、
混み方が凄過ぎて下手すると転倒死 or 転落死するためか、欲望の垂れ流しは案外、控えめ。
中高年そして若者グループの観光客も、目に入ったものをいちいち大声で実況する方は多いですが、
これまた命の危機を感じてか、無茶なハイや馬鹿盛り上がりは、やはり控えめ。
しかしもちろん、落ち着いたムードが溢れてるなどということは全くありません。完全に、その逆です。
単独は、いることはいますが、数的にも存在感的にも完全に埋没状態。
独男にとっては、絶望的なまでに不向きなスポットといえるでしょう。
しかし、そのあたりを逆に楽しむことができたら、こんなに面白い寺は他にないことも確かでしょう。

そんな高台寺の秋の夜間特別拝観。
好きな人と行けば、より紅葉なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、紅葉です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:3
女性グループ:2
男性グループ:若干
混成グループ:若干
修学旅行生:0
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:2
単身女性:若干
単身男性:若干
【ひとりに向いてる度】

獄門。
人の多さが、鬱陶しさをかえって中和してくれる感はあるが、
その人圧がやっぱり単純に、獄門。

【条件】
木曜 19:20~21:00

 

高台寺
京都府京都市東山区高台寺下河原町526
通常拝観 9:00~17:00

京都市バス 東山安井下車 徒歩約5分
京阪電車 清水四条駅下車 徒歩約16分
阪急電車 河原町駅下車 徒歩約18分

鷲峰山 高台寺 – 公式

高台寺 – Wikipedia