三十三間堂の楊枝のお加持と通し矢へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年1月15日(日)


三十三間堂の楊枝のお加持と通し矢へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

等身大の観音像を、千一体、並べる。
それは一体、どんな精神状態から生まれる発想なのでしょう。
「でっかい寺 or 仏像を作る」なら、わかります。大きいことはいいことだ、と。
数的膨張も、伏見稲荷の鳥居のような闇雲さがあれば、まだ人の体温が感じられるというものです。
しかし、三十三堂の千一体観音は、そのどちらとも違う印象を見る者に与えます。
熱狂を感じさせない、冷たく醒めた過剰さ。そしてそこに響く、救済を求める無言の絶叫。
普通の人間が考えつくものではない。少なくとも私は、そんなことを感じたりします。
後白河法皇。普通の人間ではないといえば、確かに普通の人間ではありません。天皇だし。
「今様狂い」「比類少きの暗主」と揶揄されるほど過剰な遊蕩に呆けながら、
源平を手玉に取って権力に固執し、なおかつその全てを放り出して熊野を何度も何度も詣でまくり。
勝負には絶対負けたくないが、勝ったところで全ては遊びだとも知っている、大天狗。
まこと「もののけ」と呼ぶにふさわしい、院政期を体現したような強烈なるパーソナリティです。
そして、その院から発願された三十三堂もまた、強烈なインフレーション感に溢れた建造物です。
そもそもは院の頭痛平癒を祈願して建てられながら、いわゆる癒しテイストは皆無、
だだっ広いにも関わらず開放感がなく、閉塞感+強迫観念=偏頭痛誘引効果が爆裂状態。
むしろ偏頭痛者のパースペクティブをそのまま具現化したようにさえ感じられ、
疾病退散の加持より、矢でこの頭を吹っ飛ばしてくれと頼みたくなること、しきりです。
そんな三十三堂の成人の日名物である、楊枝のお加持通し矢
「どんなだ」という話ですが、無料開放で頭痛がしそうな堂内へ、とにかく突入してきました。


観光客でいっぱいの七条通を、甘春堂の茶接待などチラ見しながら歩き、
日本のゆとり世代によく似た馬鹿っぽい白人客が妙に多い、13時頃の三十三堂へ到着。
通し矢は、成人女子の部の真っ最中。入り口前には、競技を終えた着物姿の学生でいっぱいです。


「楊枝のお加持」は、楊枝浄水供の結願日法要にあたります。
三十三間堂のオーナー・妙法院の門主が、柳の枝で浄水を参拝者にかけ、結願灌頂するという。
後白河院の時代に始まったものです。通し矢が生まれたのは、もうちょっと、後。


あちこちで着物娘撮影会が繰り広げられてる横を通り、境内へ。
普段は拝観料が600円かかる三十三堂ですが、この日は無料開放。
拝観料が浮いた分でお守りでも買うのもよいでしょう。柳入りの頭痛封じのお守りとか、良さげ。


境内は、歩きにくいほどではないですが、普通に混んでます。
無料開放ゆえ人が集中してると思われるかも知れませんが、競技者のボリュームもかなり大。
弓を持ってると凛々しい新成人たちも、京都観光ビッグ3の中だと普通に子供っぽかったり。


で、まずは堂内へ。千一体観音&お加持へ望みます。
撮影禁止ゆえ、表のポスターのレタッチしたイメージ画像で御容赦下さいませ。
あ、お加持にもお金は全然かかりません。ゆえに混み方、凄まじいです。行列が全然、動かない。


延々と続く観音の列、そして延々と続く牛歩の混雑。
全然前に進まないので、じっくり、しつこく、観音様を拝観します。やっぱり、何か、異様。
混雑にうんざりしたのか、観音様を見ずくっちゃべったり、携帯で駅伝中継を見る奴が結構いました。


楊枝のお加持。やはりレタッチ御免。
「背脂チャッチャ」ならぬ「法水チャッチャ」なお加持が済むと、混雑は一気に消えます。
三十三間堂の由緒などを見せる展示を全速力でスルー、通し矢の会場へ直行です。


お堂の出口と競技会場は直結してます。というか、本堂の裏が会場。
本堂の縁の一部を観覧席としている、と。椅子はなく、全部立ち見。無料ですが、もちろん満員。
「全然満員に見えない」と思われるかも知れませんtが、これは入場規制をしてるためです。


入場待ちゾーンは、こんな感じの人肉密集地獄。
人が退出したぶんだけ新たに入場させる方式になってて、係員はエンドレスで
「ここで立ち止まらないで下さい」「こちらに並んでください、時間は保証できません」と絶叫しまくり。


10数分待って、入場。通し矢でございます。現在の名称、大的大会。
長大なお堂の端から端までを矢で射通し、その数を競うという、風習・通し矢。
発生したのは室町時代末だそうですが、本格的に盛り上がってきたのは江戸時代からだそうです。


1606年に尾張の浅岡平兵衛が51本を通し、数を記した額を奉納。
以来、数の競争が始まりました。堂自体が数的膨張気味ゆえか、記録の数字もどんどん膨張。
51本の記録はすぐ破られ、百から五百、千から五千と、見境なくインフレが進行していきます。


遂には1662年、尾張の星野勘左衛門が6666本という記録を達成します。
しかし、紀州の葛西園右衛門が7077本で記録更新。怒った星野は、8000本で天下一を奪還。
結局、1668年に13053本という数字が出て、このパイ投げの如きインフレは打ち止めとなりました。


もちろん現代の通し矢は、1万本も矢を射ったりはしません。
弓道連盟か何かの主催による、ごくごく穏やかな競技大会になってます。
周囲をとりまくカメラマンの殺気や邪気は、あんまり穏やかなものではないかも知れませんが。


何か疲れたのでお堂の裏に行くと、ちょっとした縁日状態。
タコ焼き、りんごあめなど、ごくごくベーシックなラインナップの露店が並んでます。
ただ、着物姿の学生が並んでたり、座り込んでもの食ってたりするのが、妙な景観を生んでるかなと。


幅100mを超える木造建築を、横からぼ~っと見るの図。
三十三堂と今の京都駅って、何か似てますね。横へだだっ広いところが。どうでもいいけど。
15:30ごろには入場無料の看板が外され、ガードマンが「もう閉まりますよ」と来客を断ってました。
私も、帰ります。

客層は、出場してる学生を客としてカウントするべきか迷いましたが、
競技時間以外は境内を普通にうろついてるし、場の空気を表す意味で混成グループに含めました。
学生、基本的に競技で来てるため、観光ハイ or 恋愛ハイ or グループハイの騒ぎは、さほどなし。
学生以外の客は、中高年メイン。地元感は薄く、ベタな観光客が多し。
身内の選手を観にきた家族連れ、タダなので入ってきた観光客、そんなのでいっぱいです。
カップルは少なめ。というか、出場する学生以外にはあまり若者自体が見あたりません。
あと目についたのは、冒頭で触れたゆとり感溢れる白人の混成グループの多さくらいでしょうか。
単独はもちろん、カメラマン。全員が、カメラマン。

そんな三十三堂の、楊枝のお加持と通し矢。
好きな人と行けば、より院政期なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、院政期です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:若干
男性グループ:微量
混成グループ:4(競技に出てる学生)
修学旅行生:0
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:2
単身女性:若干
単身男性:1(全員カメラマン。中高年メイン)

【ひとりに向いてる度】
★★★
色気のプレッシャーはさほどではないが、
人圧はかなり凄まじい。
あと、学生自体が苦手な方は、
ちょっとしんどいかも。

【条件】
日曜 13:00~15:40

三十三間堂
京都市東山区三十三間堂廻町657
8:00~17:00 冬季8:00~16:00

楊枝のお加持と通し矢(大的大会)
毎年1月15日に近い日曜日に開催
9:00~15:30

京都市バス 博物館三十三間堂前下車すぐ
京阪電車 七条駅下車 徒歩約7分
JR奈良線 東福寺駅下車 徒歩約15分
JR京都駅下車 徒歩約25分

蓮華王院 三十三間堂 – 公式

三十三間堂 – Wikipedia