安井金毘羅宮の櫛まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年9月24日(月)


安井金毘羅宮の櫛まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

髪と、愛欲。共に独男には縁のないものです。
中には、サラサラのロン毛を誇る同志の方もいらっしゃるのかも知れませんが、
その髪を撫でられることがない点では、ロン毛でも坊主でも、事情はさほど変わらないでしょう。
魂は、常に禁欲。禁じられてるわけでもなく、自ら禁じてるわけでもないけど、何か、禁欲。
軍国少年の硬直性だけを理由も無く継承したような我々にとって、髪も、愛欲も、共に邪魔です。
人によっては、抜け毛のために排水口が世界最恐の恐怖スポットに化けてしまったり、
慣れない愛欲のために貯蓄のみならず命まで盗られたりと、基本、ロクなことがありません。
近づかないのに越したことはないのであります。君子危うきに近寄らずなのであります。
が、このサイトの趣旨は何度も何度も書いてるように、ベタスポット&イベントの単独正面突破。
「花街ならではの技術で各時代の髪型を再現し、その髪型で祇園の街を練り歩く、女だけの時代祭」
みたいなことを言われたら、危うきであろうが何だろうが、逃げるわけにはいきません。
甲部&宮川町など花街に近い立地ゆえ、ややこしい愛欲に苦しむ舞妓はん&芸妓はんから、
また最近では歪んだ愛欲に悩む一般婦女子からも信仰を集める、縁切りスポット・安井金毘羅宮
「切る」 のは愛欲に限らず、酒 or タバコ or ヤクなんかもズバっといってくれるそうで、
その繋がりか、あるいはやはり土地柄なのか、切るのが仕事の美容師からも信仰されてます。
昭和中頃には、商売道具である櫛を祀る櫛塚ならぬ 「久志塚」 を、境内に建立。
櫛供養と時代風俗行列も開始されました。それが、9月第4月曜に開催される、櫛まつり。
古墳時代から現代に至る各時代の女性の髪型を、考証に基づき再現したモデルさん達が、
祇園の街を練り歩く様は、京都の初秋を彩る風物詩としてすっかり定着してます。
そんな櫛まつり、髪の恐怖も愛欲の恐怖も何のそのと、行ってきました。
で、そこで目にしたのは、それらとは全く別の恐怖でした。


12時半頃に着いた、東大路沿いの安井金毘羅宮、鳥居前。
「悪縁を切り、良縁を結ぶ」 横断幕の下に、和装のご婦人とチャラき連中が、屯ってます。
チャラき連中は、美容師か、美容師の卵でしょうか。チャラきスーツ着て、ウロウロすることしきり。
私の後に着いて来たゆとり観光客が、その連中を見て足を止めるのが、面白うございました。


境内は、雅な姿を見よう&撮ろうとする雅ならざる人達で、ごらんの有様だよ・・・
縁切り石さえ見えませんが、そんな混雑の中、チャラき美容師は仕切りをやってたりもします。
中には、堂に入ったカラフルな髪を誇る、ベテラン風の姿も。さすが美容院の定休日 = 月曜開催。
これ以上奥へ進めないので、おはぎの店の前を回り道してラブホ側から入り、しばし待機。


で、12:45頃、時代行列の入場がスタート。写真は、鎌倉時代の 「虫の垂れ衣」 。
各時代の髪型を決めたモデルさんたちは、社務所から出て、呪念溢れる絵馬殿の前を通り、
カメコがそのまま老化したような爺さん達に囲まれながら、久志塚の前の祈祷会場へ向かいます。
爺さん達、モデルさんに向かって 「こっち向いて~♪」 と、猫撫で声を連発。怖い。怖過ぎる。


ジャスト13時、埋まるところ全てに人間が埋まった状態で、神事開始。
外側からは、ほぼ何も見えません。写真は、カメラを思いっきり高く掲げて適当に撮った一枚。
木にしがみついて、枝の隙間から覗き込む業深き人たちも発生する中、神事は淡々と進行します。
京都美容文化クラブの会長により、古い櫛の奉納などが行われたはずです。知らんけど。


引き続き、カメラを思いっきり高く掲げて適当に撮った一枚。
祈祷やら御祓やらののち、京都市長、そして何故か来てた前原誠二議員も、櫛塚にお参り。
モデルさん代表がお参りしたあとには、市長&前原議員が大人の事情感溢れる挨拶をしてました。
前原議員、何年か前には確か陶器神社の神輿も担いでたような。マメな人なんでしょうか。


神事が終わると先生方は帰り、モデルさん達は人間の海の中を舞殿へ移動します。
パレード出発前に、ファッションショーさながらの時代別髪型ショーを展開するというわけです。
ショー前には、髪に因み井上流の 「黒髪」 の舞が披露されましたが、やはり大混雑で何も見れず。
古墳時代 「美豆良」「古墳島田」 と、奈良時代 「高髻髷」 & 「双髻髷」 を、見送るのみ。


何とか舞殿の前まで移動し、かろうじて拝めるようになった、髪型ショー。
ショーの最中は、会長か髪結いの偉いさんか何かが、髪型を解説+モデルを紹介します。
「この髪、しっかり見てってほしい。観光舞妓とか見んでええさかい」 とか、いらんことも言いながら。
時代が下るにつれ、資料が増えるためか何なのか、人数と髪型が増え、紹介も饒舌に。


室町時代 「巻き髪」 を、望遠で撮ったの図。望遠なのは無論、近づけないから。
周辺は、人圧+無礼圧に加え、加齢臭、そして何故か外人腋臭が、炸裂状態。近づけません。
チャラいながらもしっかり場を仕切る美容師たちが、何か凄く清潔で立派な好青年に見えてきました。
あ、髪型は全て、モデルさんの地髪で結ってるとか。忘れがちですが、衣装も気合入ってます。


14時過ぎにショーは終了。続いてモデルさんたちは、時代パレードへ。
以下、特にこれといって書くことも無いので、写真の羅列と手抜き丸出しの文で失礼します。
こちらの写真は、人間の海の彼方へ歩いていく、大正時代 「耳かくし」 &何ちゃら。


車が末尾に付く形で、行列は一の鳥居から、出発。
東大路の片側一車線を真っ直ぐ北上していきます。人間と車で全く見えませんが。


さらに書くことがないので、以下、さらに手抜きさせていただきます。
「昼定食」 の幟がはためく 「かに家」 の前を歩く、平安時代 「白拍子」 、そして鎌倉時代。


亀屋清永の前で立ち止まる、室町時代、そして桃山時代 「唐輪」


八坂神社前を横断する、江戸前期時代の何ちゃら。


祇園花月の前あたりを歩く、江戸中期時代の何ちゃら。


新門前通で左折、新橋通へ入ってきた、江戸後期時代の何ちゃら。


新橋通を西進する、観光客、じゃなくて明治時代の何ちゃら。


大和大路でUターンし、白川南通へ入ってきた、桃山時代 。


白川南通で休憩に入った行列と、休み無く写真を撮り続ける大量の人間。


休み無く写真を撮られ続ける、大正時代と現代舞妓。


休み無く写真を撮られ続ける、平安時代。


全然休めない休憩ののち、行列は15時に再出発。
花見小路の妙な店の妙な看板の前を歩く、古墳時代と奈良時代。


四条通を渡り、花見小路をひたすら南進する、江戸前期と江戸中期。


愛欲溢れる名前のラブホの向こうに立つ鳥居を目指す、明治時代。


で、境内へ戻ると、そのまま社務所へ着替えに戻り、行列はおしまい。
時間は、15時半ちょい前。トータル1時間強ほどの、女だけのミニ時代祭でありました。
縁切り石はかろうじて白いのが見えるようになりましたが、今だ混雑は収まらず、近づくのも無理。
社務所の前は、雅ならざる見物客とカメラマンで、雅ならざる肉の壁が出来てます。怖い。


2時間まえの混雑が嘘のように人がいない久志塚も、一応、拝観。
何のご利益があるのかは知りませんが、とりあえず何らかの形で髪に縁があるよう、お祈り。
帰り際、現代舞妓さん達がタクシーを待ってました。「現役」 ゆえ、着替えず直帰するんでしょうか。
その背中を、扱えない一眼を持った婆さんが、異常なしつこさで撮りまくってました。怖い。

混雑度は、写真の通り。全くもって、このまんまです。
客層は、地元のカメラ老人&暇人が4割に、美容系&身内系が3割、
何も知らずに立ち寄った観光客が2割に、知ってて来た観光客1割、そんな感じでしょうか。
カップルは、平日月曜のためか、あまりいません。というか、観光客自体がそれほどいません。
とにかく、バンダナ姿や帽子前後姿のカメラ老人のアグレッシブさばかりが、強烈な印象を残します。
エグいといえば、エグいです。どうエグいかを説明すると気分が悪くなるくらい、エグいです。
パレードの道中は、さほど混むこともなく、観光客もしつこく追っかけることはなし。
のんびり見物するなら、どっかの道で見るくらいがいいかも知れません。

そんな安井金毘羅宮の、櫛まつり。
好きな人と行けば、より髪結いなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、髪結いです。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:若干
男性グループ:微
混成グループ:2 (美容師)
子供:0
中高年夫婦:若干
中高年女性グループ:3 (和装8割)
中高年団体 or グループ:2
単身女性:若干 (カメ。濃い人)
単身男性:3 (カメ爺)

【ひとりに向いてる度】
★★
色気のプレッシャーはないが、境内の人圧は、異常域。
平日でこの有様だから、祭日が当たった場合は、要注意。
あと、年寄りの苦手な人や、カメラマンの挙動が嫌いな人、
さらに同族嫌悪の気がある人も、要注意。

【条件】
平日月曜 12:30~15:30


安井金比羅宮
京都市東山区東大路松原上ル下弁天町70
拝観自由

京都市バス 東山安井下車 徒歩約1分
京阪本線 四条駅下車 or
阪急京都線 河原町駅下車 徒歩約25分

安井金比羅宮のホームページ – 公式サイト

安井金比羅宮 – Wikipedia