北野天満宮・ずいき祭の還幸祭へ行きました。もちろん、ひとりで。

2012年10月4日(木)


北野天満宮・ずいき祭の還幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

ずいき御輿。
完成した際に氏子が随喜の涙を流したからその名が付いた、というのは、嘘です。
ずいき = 里芋の茎で葺かれた屋根を始め、ボディ全域を野菜でデコられた、アーシーな御輿。
それがずいき御輿であり、その巡幸を行うのが北野天満宮秋の大祭・ずいき祭であります。
普通、北野天満宮といえば、平安朝の文人・菅原道真。そして、菅原道真といえば、怨霊。
陰謀により大宰府へ左遷され、結局その地で死に果てた道真は、怨霊化して都へストライクバック。
御所に雷を落として憎い相手を焼き殺すなど、無茶苦茶をやらかし都人を恐怖のどん底へ。
何とか道真の魂を鎮めるべく、朝廷は北野に社を建立。北野天満宮の、有名な創建の由緒です。
どちらかといえば 「魔界」 などのワードが似合う、首都ならではの物騒な由緒を持つ社であり、
芋の茎で屋根が出来た御輿の牧歌性は、あまり関係なさそうに見えたりもします。
しかし、この辺は元々、農村だったとか。天満宮創建前から、天神地祇を祀る聖地だったとか。
都市化された現在の姿からは想像もできませんが、農村のテイストは昭和初期まで残ってたそうで、
野菜に穀物、蔬菜や湯葉に麩などの乾物類で覆われたずいき御輿は、ある意味、
太古の昔から続くこの地の農耕文化の伝統を、最も深く引き継ぐものなのかも知れません。
時代の変遷の中で、時には途絶したり、時には逆に増殖したりもした、ずいき御輿。
現代に至ると農村の方がほとんど消滅しましたが、それでも祭と御輿はしっかり、存続。
祭のクライマックスである還幸祭では、道真+嫁+息子が乗る鳳輦や、牛車などの行列と共に、
ネイティブテイストが溢れる激渋な街中を、野菜全開の姿で巡幸してくれます。
ちょっと不思議で味のあるそんな風景、たっぷりと見てきました。


西ノ京円町から少し北上してやってきた、12:15頃の西ノ京御旅所。
分厚い雲から降る小雨と、晴れ間が交錯する変な天気ですが、還幸祭は決行されるようです。
写ってませんが、鳥居の前にはずいき御輿狙いのカメラマン達が陣取り、人間の壁を築いてます。
同じく写ってませんが、脇には学生受付があり、出発30分前でもバンバン人が入ってました。


新築の本殿前は、御輿と行列の準備をする人達で、ぎっしりと埋め尽くされてます。
左から第三鳳輦、葱華輦、第一鳳輦、手前にミニずいき御輿があるのが、わかるでしょうか。
ずいき祭は、道真が大宰府で彫った木像を西ノ京神人が持ち帰り、野菜をお供えしたのが、始まり。
御旅所ですが、ずいき御輿にはこここそがホームみたいな感じでしょうか。熱気も、高し。


近所の人達が、「今年は人少ないな」 とか世間話や挨拶などをしてる中、
12時半、行列に先行する形でずいき御輿が野菜を揺らしながら出発、巡幸がスタートしました。
これまた写ってませんが、「瑞饋神輿巡幸につき御協力お願いします」 と書かれた看板先導つき。
後続の鳳輦には看板、ありません。軽くぶつかるだけで、野菜が外れたりするんでしょうか。


妙心寺道の商店街をちょっとだけ西進したのち、
時計回りでUターンして東進、御旅所前をスルーして西大路を目指す、ずいき御輿。
これも写真ではわかりませんが、曳く方も見る方も、笑顔率、高し。何せ、デコが野菜ですからね。
御輿は、曳いての巡幸。ただし台車を前後に揺らし、鳴カンは至る所でシャンシャン鳴ります。


行列の方は12:45頃、御旅所を出発。
あとは淡々と、巡幸光景羅列で恐縮。まずは西大路へ進入する、紫翳+御幣持+鳳輦。


丸太町御前で子供たちの視線を集める、獅子舞。


同じく丸太町御前に進入する、導山と梅鉾。


バイクのカップルから視線を浴びる牛車@丸太町通。


同じく@丸太町通の、ずいき御輿。


やはり丸太町通の小松建材店前を進む、ずいき御輿。


で、ずいき御輿は千本通へ入り、さらに太子道へ進入。
山陰線の高架をくぐり、超ネイティブで渋過ぎる道を、カッツカツの幅で巡幸していきます。
平日の昼間ということもあるんでしょうが、見物客は、家から御輿を見に出てきたお年寄りが主体。
御輿に向かって拝む率、非常に高し。このあたりの感じも、実に超ネイティブな味わいです。


一方、行列の方は、ずいき御輿と別のルートを巡幸。
追いついた時には、既に三条御前あたりの駐輦所で神事+休憩に入ってました。


牛車を曳く牛さんたちも、実に、和みムード。
和み過ぎたのか、神事の最中とんでもない量の尿を出してました。


で、また見に行った、ずいき御輿@御池通。
大通りであっても、沿道の家々では出迎える人達の姿、多数あり。御神酒を渡す姿も。
「1万円もろたから、よお振っとかんとな」 とか言いながら、鳴カンをシャンシャンと鳴らしてました。
この後、御輿は天神さんへ。のち、御旅所へ帰還。やっぱり西ノ京がホームなんでしょうか。


ではまた、写真の羅列に戻ります。
ずいき御輿が通ったあとの七本松通を北上する、錦蓋と菅蓋。


ひたすら七本松通を北上し、極楽寺の前を通る、八乙女。


沿道の人達に拝まれながら、同じくひたすら北上する、第一鳳輦。


北野商店街の真ん中を横断する、葱鳳輦。


今出川通から上七軒へ突入、カッツカツの道を進む、牛車。


茶屋の前で鳳輦芸を出迎える舞妓はん、
そしてその向かいで行列の通行を妨げる勢いの密集ぶりを見せる、カメラマン達。


そんな狂気の渦を抜け、天神さんの南門へ向かう獅子舞と八乙女。


そんな八乙女狙いのカメ爺が奥で待ち構えている、北野天満宮の鳥居。


楼門まで帰ってきた、第一鳳輦と葱華輦。


どやされまくりのバイト学生に担がれ楼門をくぐる、第三鳳輦。


で、本殿へ入れば、直ちに遷霊の儀に入るため、一般客を締め出し。
還幸祭、終了でございます。祭関係者の皆様、ややこしい天気の中、実にお疲れ様でした。
そして、御輿と行列をしつこく追っかけまわした、私を含む暇人の皆々様も、実にお疲れ様でした。
遷霊を隙間から撮ろうとするカメ爺さん達は、もうちょっと人生に疲れてくれると、幸いです。

客層は、平日ゆえか基本、地元の人ばかりです。
出発点の御旅所近辺は、カメラマンと地元の老人ばかり。数は多いですが。
巡幸中は、ほとんど地元の老人と母子、家から見物に出てきた人達だけ。数は少なめ。
上七軒は、観光客とカメラマンと地元の人が3:3:3という感じ。狭い分、混みます。
カップルは、どのゾーンでもほとんど見当たりません。というか、若者自体、ほぼ見かけません。
プレッシャー各種を感じるようなポイントは、基本、なし。あるとすれば、人圧くらいです。
あと、幼女を追い掛け回すカメ爺さん達が、ほとんど近親憎悪ですが、不気味なくらいでしょうか。
単独はもちろん、カメラマン爺ばかり。ただし、巡幸の道中は、少なめ。
単独女は、いい感じで濃くて殺伐とした好き者系。

そんな北野天満宮・ずいき祭の、還幸祭。
好きな人と行けば、よりずいきなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、ずいきです。

北野天満宮・ずいき祭の神幸祭へ行きました。もちろん、ひとりで。(2011)

【客層】 (客層表記について)
カップル:微
女性グループ:若干
男性グループ:微
混成グループ:微
子供:1
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:3
中高年団体 or グループ:4
単身女性:若干
単身男性:1

【ひとりに向いてる度】
★★★★
色気・人圧・再生産系、
いずれのプレッシャーもさほど感じない。
ただ、八乙女狙いのおっさんたちの執着ぶりは、不気味。
その手の輩が苦手な人は、巡幸途中の路上で見ることを勧める。

【条件】
平日木曜 12:30~17:00


北野天満宮
京都市上京区馬喰町
4月~9月 5:00~18:00
10月~3月 5:30~17:30
京都市バス 北野天満宮前下車すぐ
京福電車白梅町駅より徒歩5分

北野天満宮 西ノ京御旅所
京都市中京区西ノ京御輿岡町6
拝観自由
京都市バス 北野中学前下車 徒歩約3分
西ノ京円町下車 徒歩約5分
JR嵯峨野線 円町駅下車 徒歩約6分

北野天満宮 – 公式

ずいき祭(瑞饋祭) – 北野天満宮