石清水八幡宮のエジソン生誕祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年2月11日(水)


石清水八幡宮のエジソン生誕祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

エジソンと、絵馬。食い合わせの悪さは、確かに否定出来ません。
しかし、 「1%のひらめきと99%の努力」 を 「1%のひらめきと99%の訴訟」 ともじられるほど、
訴訟に明け暮れた俗物として名高く、数多くの黒歴史エピソードも残したこの 「発明王」 が、
その一方で宗教、更には 「あっち」 方面にも強い関心と探究心を抱いていたことは、割と有名です。
あらゆる宗教書を読破すると共に、ブラヴァツキー夫人達が神智学協会を設立すると即入会、
晩年は 「魂というエネルギーは死後も存在する」 と言って、霊界通信機の開発に挑んだ、エジソン。
天才ゆえの奇人的側面と嗤うのも、老化でボケたと一蹴するのも、共に簡単な話ではあります。
が、この 「メンロパークの魔術師」 にとって電気は、単に 「科学」 の領域で完結するものではなく、
背後に神の領域、未知なるハイヤーパワーの領域が広がるものだったのではないでしょうか。
ロマンに湿る科学者の眼ではなく、新たな商圏を追い求めるゲス商人の眼を持っていたからこそ、
彼には神の領域、ハイヤーパワーの領域が、極めて具体的に 「見えていた」 のではないでしょうか。
「見えていた」 からこそ、 「自分は宇宙エネルギーの触媒」 的なことさえも語った、エジソン。
そんなハイヤーパワーの僕たるエジソンが、人類を 「光」 のネクストフェーズへ導こうとした瞬間、
神仏習合の神・石清水八幡宮の神威が、和洋も習合し働いたのは、ある意味、必然かも知れません。
電球のフィラメント開発にあたり、より長時間使用が可能な植物をエジソンが世界中で探した末、
ここ八幡の真竹が選ばれたという、凄いと言えば凄いけど、どうでもいいと言えばどうでもいい逸話。
しかし、我々が見据えるべきなのは、この逸話の背後に隠された神々のシンクロニシティであり、
シンクロニシティの根源たるハイヤーパワーだけが生み出し得る、人類の真なる 「未来」 なのです。
石清水八幡宮に於いて、エジソン誕生日に行われるエジソン生誕祭は、無論、その為の企て。
「和洋もひったくれもなく乗っかれるもんなら何でも乗っかってしまえ」 的イベントなどでは断じてなく、
また 「偉人との縁でちょっと高価めの絵馬を作り一儲け」 的な企画などでも、断じてありません。
我々は、 「未来」 を見るのです。エジソンの視界に同期し、エジソンが見た 「未来」 を見るのです。
私の地元である石清水の力を借りて、見るのです。ちょっと高価めの絵馬越しに、見るのです。
という感じで、エジソン生誕祭、地元の者として厳粛に紹介させて頂きます。


エジソン生誕祭会場は、エジソン記念碑の前。そんなのが、石清水八幡宮にはあるんですよ。
記念碑は山上の本殿近くに建ってるので、これから右奥に写ってる男山ケーブル駅へ向かいます。
その前に、ゲス商人の眼で下車客を睨みつける京阪・八幡市駅前のエジソン像を、拝むこと、しばし。
駅前は、ケーブルを降りた家族連れなどで賑やか。きっと皆さん、エジソン碑も参拝したんでしょう。


何らかの串を焼いてる朝日屋の前を通り過ぎ、もちろん電気で動く男山ケーブルへ乗車。
どうでもいい話ですが、このケーブルの初代運営会社の代表は、大寅創業者である小谷寅吉氏。
で、こちらはどうでもよくない話ですが、その寅吉氏は、初代のエジソン記念碑に土地を提供した人。
発明王と蒲鉾を何気にリンクするケーブルは、満員。きっと乗客は全員、生誕祭へ行くんでしょう。


ケーブルを降りたら、石清水とエジソンをリンクした竹を見るべく、裏参道側の道へ。
竹、本当は山の西側の方が見栄えは良いんですが、行くのが面倒ゆえ、この辺で拝見しときます。
電球実用化に際し、フィラメントの原料で悩んだエジソンは、竹に着目。で、調査員を世界中へ派遣。
で、この竹を採用。6000種の中から選ばれたのだから、中々のシンクロニシティかも知れません。


調査員に八幡の竹を紹介したのは、当時の京都府知事・槇村正直という話もあったります。
えらく細かいことを知ってる知事ですが、しかし八幡の竹、幕末まで武士人気が高かったそうです。
刀身が柄から抜けないよう固定する 「目釘竹」 として、年間売上20万個以上のヒット商品だったとか。
ひょっとしたら、その頃獲得した評判や知名度が、明治初頭にはまだ生きてたのかも知れません。


無論、八幡神は源氏ゆかりの武神。神威面でも、 「目釘竹」 は魅力的だったんでしょう。
その武神たる石清水八幡宮本殿、今日は建国記念日ということで、その筋の方ばかりで溢れてる、
というのはもちろん大嘘で、祭日の実に平和な雰囲気の中、普通な方々が普通にお参りされてます。
時間は11:55、祭典は12時から。彼らもきっと、きっとこれからエジソン生誕祭へ向かうんでしょう。


武神・石清水、大阪からだと鬼門封じになる為、大寅創業者など大阪商人の崇敬も、篤し。
大阪商人にして、エジソン同様にテクノロジーを人口へ膾炙した松下幸之助の崇敬は、殊更に篤し。
幸之助の魂を引き継ぐパナソニックが、御覧のように石清水を崇敬し続けてるのもまた、自然の道理。
勅祭・石清水祭には社長代理が来てましたから、エジソン生誕祭にもきっと誰かが来るんでしょう。


では、ぼちぼちエジソン碑へ向かいます。記念碑があるのは、本殿から少し下の、神苑。
あ、左側のモノリスは、 「涌峯塔」 なる名の給水塔。断じて、アストラル通信塔ではありませんよ。
神苑、走井餅の販売所が呼び込みをやり、石翠亭では 「おにぎり」 の幟が揺れ、共に客は割と多し。
皆、食い物にしか興味が無いようですが、祭典が始まればひとり残らず碑へ駆けつけるはずです。


で、この帽子かぶった毛唐野郎は、通信塔で宇宙と交信してる、硬化型クラリオン星人。
ではなく、ボーイスカウトの像であります。私が誘われもしなかったボーイスカウトの像であります。
異国の神の敷地内で孤立しかねないエジソン碑を、同じ 「異人」 として見守るその様は、まるで衛士。
目の前の碑がこれから民に祝福される様を見たら、この堅物もまた敬礼の手で涙を拭うはずです。


で、目の前のエジソン碑であります。充電コンセント付きの、エジソン記念碑であります。
もっと近くへ寄って撮れという話ですが、見物人が前にいる+碑の背が低いので、撮り難いのよね。
石清水にエジソン碑が建立されたのは、1934年。先刻少し触れましたが、別の場所での建立でした。
神苑には、戦後に移転。建立50周年である1984年、現在地で現在の碑が再建されたのであります。


再建された記念碑は、本碑&碑名石に南アフリカ産黒花崗岩を使った、純モノリス調。
横幅は6.3mながら高さは1.7mと低めになってる為、周辺環境と調和し、親しみが持てる構成です。
「あんまり目立つと、ちょっと何か、アレだし」 という理由から低く作られたのでは、絶対にありません。
初見の人の約9割5分が 「何これ」 とだけ言って通り過ぎるのも、調和が実現された証であります。


調和を通り越して隠蔽にも見える周囲の植え込みには、更に隠れるように由緒書き、あり。
そう、ここから 「灯火の革命」 は始まったのです。そして 「未来の革命」 も、ここから始まるのです。
しかし、それにしても人、少ないな。15~20人くらいしかいないな。おかしいな。時間、間違えたのかな。
とか思ってたら、神職さん数名が小さなラジカセみたいなのを持って、エジソン碑へやって来ました。


で、神職さん達、小さなラジカセでアメリカ国歌を流し、星条旗を掲揚。


ちゃ~らちゃ~ちゃちゃちゃ~、ちゃ~らら~、ちゃ~らら~。


続いて、小さなラジカセで君が代を流しながら、今度は日章旗を掲揚。


ちゃ~~ら~~ちゃ~~ら~~ちゃ~~ら~~ら~~。


で、旗が登ると、神職さん達が碑の前へ集合。


で、神職さん達、何らかの簡素な神事を斎行。


で、神事が終わり神職さん達が去ると、参列してる人が参拝。


で、参列してる人が参拝が終わると、御覧のように碑の前の門は閉じられました。
エジソン生誕祭、終了であります。以上で、終了であります。所要時間5分ながら、終了であります。
「未来」 など見えようも無い余りな簡素さですが、無論こんな感慨は、霊的ステージが低い者の愚見。
エジソンと同期出来た者は、この5分間でハイヤーパワーの真実が垣間見えたに、違いありません。


が、もちろん私は霊的ステージが低いので、全てが一瞬で通り過ぎてしまいました。
何か記念になる絵が欲しくなったので、エジソン絵馬を奉納してみます。あるんですよ、そんなのが。
値段は、1000円。割高なのは、ガメついエジソンが霊界より価格指示を送ったからに違いありません。
「今ここで書きますか」 という巫女さんから絵馬をもらい、ついでに筆を借り、祈願を書くこと、しばし。


で、祈願を書く段になって、エジソン絵馬が合格祈願用であることを、初めて知りました。
八幡の地に生まれ育ち、日常的に石清水八幡宮を参拝し、この絵馬も常々目にし続けてきたのに、
心の何処かでずっと見ないことにし続けてたのか何なのか、今日の今日まで気が付きませんでした。
合格したいもんが特に無いので、やむを得ず 「人間として合格といえる人間に」 と願うこと、しばし。


で、帰ります。が、展望台 = エジソン碑が最初に建った場所へ寄り、正気で〆ときましょうか。
ここは元来、門口坊があった場所。神仏習合丸出しだった頃の石清水にあった宿坊のひとつです。
明治初頭の神仏分離令に脅えた石清水は、仏教関係施設をぶっ潰しまくり、売れるもんは売りまくり。
小谷寅吉氏がここを所有してたのも、あるいは売り出された土地を購入してのことかも知れません。


現在は、谷崎文学碑が立つ展望台。初代エジソン碑も、この辺に立ってたんでしょうか。
昭和初期に建てられた初代碑は、その直後の日米開戦以後、当然というか何というか、黒歴史化。
で、敗戦まで放置された後、武神・石清水を戦争イデオローグとして調査に来たGHQが、発見します。
禰宜の方が書かれたところによると、GHQの連中は碑に強い関心を示し、善処を指示したそうです。


展望台から裏参道を歩いて山を下り、駅前のエジソン像に改めて挨拶するの図。
禰宜の方は、GHQによる官国幣社潰しの危機回避に、碑が一役買った可能性も示唆されてます。
八幡神そして日本の神にとってエジソンは、正に 「未来」 を作ってくれた人と言えるかも知れません。
そう考えると、今日の生誕祭も単に 「乗っかった」 もんではないと思える、かどうかは、貴方次第。

客層は、ごく普通に休日の 「八幡さん」 。
家族連れを中心として、ネイティブ+近隣の中高年がメインです。
若者もそれなりの数は来てますが、全体として観光感は限りなく希薄。
カップルも影が薄く、いても地元 or 近隣風。好き者系も、あまり見かけません。
単独もまた、せいぜい近所風がいるくらいで、本気で独な者の姿は微少。
地元の私にはもうよくわかりませんが、アウェー感もこれといってないと思います。

そんな石清水八幡宮の、エジソン生誕祭。
好きな人と行けば、よりエジソンなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、エジソンです。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:微
男性グループ:若干
混成グループ:0
子供:0
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:6
単身女性:0
単身男性:若干
【ひとりに向いてる度】
★★★
色気的にも、人圧的にも、アウェー的にも、
プレッシャーの類を感じるようなことは、まずないと思う。
家族連れが、微妙に再生産プレッシャーをかけてくるくらいか。
そもそも、これらの客はエジソン生誕祭に興味を示さない。
更にそもそも、生誕祭自体もさほど面白いもんでもない。

【条件】
祭日 11:30~12:30


エジソン生誕祭
毎年 2月11日 石清水八幡宮にて開催

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊30
通常拝観 だいたい6:00~18:00

京阪電車八幡市駅下車 男山ケーブル乗り換え
男山山上駅下車 徒歩約5分
ひたすら階段の場合は、徒歩約20分

石清水八幡宮 – 公式

石清水八幡宮 – wikipedia