京田辺市・大住へ大住隼人舞を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2015年10月14日(水)


京田辺市・大住へ大住隼人舞を観に行きました。もちろん、ひとりで。

高校へ進学して驚いたのは、 「郊外の人」 なる人達が実在した、ということです。
大住中学校なる学校から進学して来たその連中は、近年に開発された京田辺市・大住に住み、
「世界にいるのは中流だけで、それ以外の奴は嘘ついてゴネてる」 とでも思ってるような人達でした。
私が住む隣の八幡もまた宅地開発は活発であり、人口の大半は郊外の移住者だったりしますが、
同時に巨大な同和地区が存在し、駅周辺には私が育った流入貧民が多く住むエリアも存在する為、
何というか、 「世界には中流しかいない」 といった考え方を持つのは、難しかったりするのです。
で、流入貧民の子である私には、そんな郊外的な大住中生が何とも不思議な連中に見えたのでした。
で、そんな大住中生が、毎年10月に隼人舞を踊るというのもまた、私には不思議に思えたりします。
隼人舞。大住隼人舞。古代の南九州に居住した隼人の舞を、京田辺市・大住で復興した舞です。
神代より帝との縁を持ち、勇猛さと呪力を買われ霊的警護や歌舞奉納などで王朝に近習した、隼人。
大和王権が中央集権化を進めた奈良時代には 「隼人の反乱」 を起こすも、やがて順化&同化。
反乱以前より都周辺への移配も行われ、定住した隼人は 「畿内隼人」 として朝廷との関係を深め、
海幸彦&山幸彦神話に基づくという 「隼人舞」 などを、服属儀礼として奉納し続けたのでした。
で、大住は、大隅から来た畿内隼人が住んだ地らしいのであります。で、隼人舞なわけであります。
で、その隼人舞を踊らされる、ではなく、踊ることになってるのが、地元の大住中生なわけであります。
ひょっとしたら、千年以上の歴史を持つ畿内隼人の子孫も多少は混じってるかも知れませんが、
大半は郊外の、新たに開発された宅地で育った、私を驚かせた連中の後輩が踊るわけであります。
故に、舞の感じは、そんな感じです。 「そんな感じ」 とはどんな感じかといえば、そんな感じです。
衣装や舞台のビジュアルは極めて映えますが、でも全体的には、そんな感じです。まあ、当然です。
しかし、全然何の縁もゆかりも無い人間が 「隼人」 に扮して、 「踊らされる」 舞を踊るというのは、
同じ民族を異族と看做してオリエンタリズムを楽しんでいたかも知れない 「隼人舞」 の復活としては、
ある意味近いものがあるかも、と本気で思ったのは無論嘘ですが、でも、あるかも知れません。
そんな大住隼人舞、観に行きました。彼等はまた、私を驚かせてくれるでしょうか。


大住の最寄駅は、JR学研都市線・大住駅。で、毎年奉納がある10月14日の17:45、到着。
大住駅、南側は計画道路・山手幹線が走り、その道を軸に開発されたベタな住宅地が広がります。
山手幹線は、近年人気の松井山手方面へとそのまま続き、ベタな住宅地もまた延々と続くわけです。
「大隅隼人の移住地」 というロマンを徹底的に打ち砕く、郊外としか言い様が無い郊外なわけです。


隼人舞の奉納が行われる天津神社月読神社があるのは、駅および線路の北側。
北側は、田んぼ&旧村落の上を高速が走るという、別の意味でやはり郊外的な景色が広がります。
まるっきり農道みたいながら、帰宅タイムの為に人通りも車通りも結構多い道を北上すること、しばし。
先に行くのは、先に奉納がある天津神社です。農道から普通の道へ出た辺で、祭を示す提灯あり。


で、提灯の先で交通整理をやってるおっちゃんを見かけ、その先にあった、天津神社
読みは、 「あまつじんじゃ」 。江戸期に、大住郷の集落東側が発達した為、新たに創建されたとか。
あ、因みにこの日 = 10月14日は、月読神社の例祭日。なので、奉納のメイン会場は、月読神社の方。
こちらの奉納は、いわばゲネプロ、という感じでしょうか。そんなことを言うと、神罰が下るでしょうか。


境内へ入れないくらいに混雑してる天津神社、その境内前には 「隼人舞」 の看板あり。
いかにもネイティブというか、アーシーなテイストを感じる光景です。が、隼人舞の復活は割と、最近。
1971年、鹿児島県出身の隼人舞継承者・牧山望氏が大住にて隼人舞を演じ、復活の気運が活性化、
隼人舞保存会が結成され、演じ手たる舞人については大住中の生徒が継承することになった、と。


入ったはいいものの、人が集まり過ぎて中がどうなってるのかよくわからん、天津神社境内。
そもそも、境内自体が数十人くらいで一杯になる狭さではありますが、でも凄い人気です、隼人舞。
多分、ライトが点いてるのが、拝殿。ここに、やはり中学生らしき楽隊が入ってます。その奥は、本殿。
で、その拝殿&本殿の横の筵を敷いたスペースが、隼人舞の舞台。右奥に、何か吊られてますね。


吊られてるように見えたこれは、大宝柱の先に付けられ、日輪などをぶら下げた、天蓋。
舞台は 「舞庭」 として、演舞のみならず神事も意識された神聖なるセッティングが行われています。
四方に忌竹が立てられ、切り絵のような四季の飾りが付いた注連縄でその間を包囲し、結界を形成。
大宝柱は、天蓋に加えて、 「神の道」 と呼ばれる宝綱も装備。無論、この場に神を招く為の綱です。


しばらく待って18時半前になった頃、 「30年続いてありがたい」 という保存会の挨拶があり、
「3年に1度変わる舞人が今年初披露」 の件なども述べられた後、まず 「隼人踊り」 が始まりました。
「隼人踊り」 は隼人舞ではなくて、隼人舞の復活に際して創作された、大住隼人舞だけのオリジナル。
『隼人舞の歌』 なる既成の音源に合わせ、登場した小さい女の子達が踊りを披露します。可愛い。


「遠き神代の昔より」 「神の魂結う俳優の 隼人の子孫らが移り来て」 「誉も高き隼人舞」
「神の御前に剣振り 鈴振り鳴らし舞い遊ぶ」 といった感じの歌詞が歌い込まれる、 『隼人舞の歌』 。
「京田辺」 とも歌ってたので、市制移行した1997年以後の音源の筈ですが、妙に時代を感じさせます。
この音と、神楽感&隼人感が混ざったビジュアルが相まり、不思議かつ面白いものでした。可愛い。


で、 「隼人踊り」 が終われば、続いてはいよいよ大住隼人舞、本編の奉納がスタート。
最初の演目は、 「お祓いの舞」 。舞人が自身と 「舞庭」 、その周辺などの穢れを祓う為の舞です。
舞うのは、青地の狩衣を着て指貫袴を履き、頭に烏帽子、手にはお祓い用の御弊を持つ、舞人2人。
ここからは音楽も、ライブ。太鼓と笛を活かした 「ハタ」 や 「山形」 が、緩急を付けて演奏されます。


念入りなお祓いが済めば、神をこの場へ招く為の舞である 「神招 (かみおぎ) の舞」 へ。
今度は、オレンジ地の狩衣に指貫袴を履き、そして右手には旭扇を持つ舞人2人が、ゆっくり登場。
大宝柱に結ばれた宝綱を左手に持って舞うことで、舞人に、そして神籬に、八百万の神々を招きます。
暗くてよく見えませんが、奥には神籬があり、その前には御酒などを供える八つ足机がある筈です。


次の演目は、 「振剣 (ふりつるぎ) の舞」 。 文字通り、剣を振るアクションを活かした舞。
穢れや悪魔を剣によって追い祓うと共に、隼人の勇ましさや逞しさを誇示する意味も持つ舞だとか。
この舞から舞人の衣装は、狩衣姿より古代衣へチェンジ。 「振剣」 では、白の衣に臙脂の袴を着用。
膝の辺を足結の紐で結んだ足を上げながら、右手の剣、そして左手の鈴で、勇壮に魔を祓います。


そして、 「盾伏の舞」 。ある意味で、隼人舞の特質を最も表すとも言えるであろう舞です。
白の衣+水色の袴という古代布姿の舞人4人が、渦巻き状の不思議な文様入りの盾を持ち、登場。
原色で描かれた二つの渦巻きが逆S字形に繋がるこの文様は、敵を幻惑する呪力を持つというもの。
踊りながらこの盾を何度も伏せることで、大和へ降伏し従順であることを示す、という舞であります。


続いては 「弓の舞」 で、弓を振り回したり、バチバチとぶつけたりするアクションを展開。
舞うのは、白の衣+グリーンの袴を着た舞人2人。右手には矢を、左手には弓を、各々持ってます。
火山灰質の土地が多く、農耕に不向きな為、縄文文化のエッセンスを長く保持したとされる、南九州。
弓は大事な生活道具であり、この舞ではその巧みさを誇示すると共に、豊猟を祈願するわけです。


天津神社、筵が敷かれた 「舞庭」 スペースの広さは、10m四方くらいな感じでしょうか。
かぶりつきだと、近過ぎて舞の詳細がわかりません。でも、後へ回るともう、他の客の頭越しです。
そんな環境で奉納される隼人舞、ラストは、舞人が両手に本物の松明を持って踊る、 「松明の舞」 。
照明が消され、衣装の色もわからん闇の中で、炎と足が乱舞します。無論、後へ下がって観ます。


下がりながらも、ズームで観てみる松明。ブルンブルンと思いっきり、振り回されてます。
京都で観られる一般的な舞とは違う、独特のインパクトを持つ舞であること、感じられるでしょうか。
この 「松明の舞」 が無事に終わって、天津神社での奉納は、終了。トータルタイムは、40分程でした。
子供達は、次の 「舞庭」 が待つ月読神社へ向かって、移動を開始。無論こちらも、移動を開始。


月読神社、場所は天津神社から真西へ1キロ程度でしょうか。徒歩だと、多分15分くらい。
地元の人達は最短らしき農道で西へ向かいますが、孤独が好きな私は少し迂回して車道で西進。
途中、古墳あり。ここは違いますが、大住は隼人の墓制とされる横穴墓が多く残ることでも有名です。
で、しばし歩くと、田んぼの先に縁日の光が微かに見え、トトロ的とでも言うしか無い世界が現出。


で、トトロ的世界の中の月読神社へ、到着。門前&参道、夜店に埋もれてるかのようです。
大住の氏神である月読神社、創建の詳細は不明。移住した大隅隼人による創建とも言われてます。
出てる夜店は10数軒程度で規模は小さいんですが、周りが暗闇&密度が高い為か、異常に賑やか。
「隼人舞発祥地」 と掘られた石碑がどっかにある筈なんですが、暗さと混雑で、全然わかりません。


前方不注意の子供に水飴を付けられないよう注意しながら、夜店が並ぶ参道を抜けると、
二の鳥居には巨大提灯が付けられ、その先には拝殿みたいな感じで設営されてる特設舞台あり。
既に客でぎっしりと囲まれた舞台の横では、500円の解説書や盾模様グッズなどを売るブースもあり。
その奥は本殿ですが、何を持ってるか知れぬ子供が走り回ってる為、迂闊にウロウロ出来ません。


こちらの特設舞台でも、神聖なる 「舞庭」 としてのセッティングは、しっかり行われてます。
忌竹に注連縄、宝綱が結わえられた大宝柱&天蓋など、広い分、クリアに見ることが出来ますね。
この 「舞庭」 と本殿との間に、市長などの来賓席が設定されてますが、この連中の挨拶が実に長い。
市長やら府議やら区長やらの挨拶・紹介が、延々と続きます。こっちは立ち見なので、実にダルい。


本編そっちのけの勢いで延々と続けられる、挨拶やら紹介やら。興醒めも、いいとこです。
しかしよくよく考えてみれば、権力者の前にて服属を誓う歌舞を披露することこそが、隼人舞の本質。
この異常な待ち時間も、ある意味、隼人舞の本質に近い何かを感じる為の演出なのかも知れません。
と、余りに暇なので、余りに下らんことを考えつつ、 「舞庭」 の夏を表す飾りなど眺めること、しばし。


殿上人の都合で出番を待つ隼人に時空を超えチャネリングしかけた頃、奉納が始まりました。
月読神社の奉納は、天津神社と同様に進行。なので最初は、大住オリジナルの 「隼人踊り」 です。
右手には五色の垂が付いた花笠を持ち、左手には五色の幡が付いた鈴を持って、女の子達が登場。
で、花笠を掲げて鈴を鳴らしたり。あ、そういえばこの踊りの担当は、小学生だそうですよ。可愛い。


花笠を頭に乗せたり、舞扇を使ったり、水を掬う動作もしたりする、 「隼人踊り」 。可愛い。
また、鈴を鳴らしながら皆でかがんだり、かがんだまま密集して花笠をユサユサ揺らしたり。可愛い。
改めて見ると、新たに創作されたものとはいえ、様々な動作に隼人舞のエッセンスを確かに感じます。
創作に当たっては、隼人舞にある 「花笠」 を現代風&女の子向けにアレンジしたんだとか。可愛い。


で、いよいよ隼人舞の本編も、開始。ここでも無論、場を浄める 「お祓いの舞」 からスタート。
観るのが2度目+場所が広い+混雑で距離が開いた為、却って何をどう踊ってるかがよく見えます。
「お祓いの舞」 は、お祓いと言いながらもハードな動きが多く、走り込みや回転、そして足挙げも連発。
神楽テイストが入った 「隼人踊り」 とは異なり、いかにも男性的&狩猟的なアクションが多い舞です。


荒々しく浄められた 「舞庭」 に、 「神の道」 たる宝綱を通じて神を招くのは、 「神招の舞」 。
大宝柱へ寄って宝縄を掴み、足を上げ前進し、しゃがみ込んで水を掬うような動作が展開されます。
この水を掬うように見える動作は、海水が足まで浸ってきたことを示す 「シャクリ」 なるものでしょうか。
これら動作は記紀神話が元ネタで、海幸彦が 「俳優の民」 として演じた動きを再構築したものとか。


次は、 「振剣の舞」 。 「シャクリ」 を数回決めてから、剣を振りかざすアクションへ入ります。
隼人舞に於ける基本動作は 「足占」 「足挙げ」 「走り廻り」 「腰捫」 「手を胸に置く」 「瓢掌」 の6つ。
無論これらも全て、記紀神話が元ネタ。なんだそうです。購入した解説書には、そう書いてありました。
隼人の祖・海幸彦と皇祖・山幸彦を兄弟とし、海幸彦が山幸彦に近侍を誓う、あの神話であります。


そして 「盾伏の舞」 では、服属を示す盾伏に加え、渦巻模様で敵を幻惑する動作も連発。
律令時代の王権は、隼人のこうした呪力を、後世からすると異様に思えるほど評価してたようです。
で、異端視&強権支配と、厚遇な朝廷への近習を、両立。おまけに、神話さえも都合良き形で、編纂。
大隅隼人は親大和的だったそうですが、それでも朝貢や移配を強いられるのは大変だったでしょう。


続いては、農作に向かない土地・南九州に於ける大事な生活道具が活躍する、 「弓の舞」 。
稲作前提な大和の統治が進むと、隼人は反旗を翻し、大和寄りな筈の大隅国でも国守殺害が発生。
720年の 「隼人の反乱」 勃発に至りました。が、鎮圧され、稲作強制&統治浸透で 「良民」 化が進行。
それに伴い、九州からの朝貢は終了。畿内隼人はやがて、故郷と縁の無い人達となっていきます。


神話を編集してまで王権が固執した、都合良き形の隼人支配。それは、成功したわけです。
その固執の故なのか何なのか、畿内隼人を管轄する隼人司は、実に中世に至るまで存続しました。
故郷との縁を失いながらも 「隼人」 を演じるその頃の畿内隼人は、一体どんな人達だったんでしょう。
というかもう、彼等は 「誰」 だったんでしょう。そんなことを思いながら観る、ラストの 「松明の舞」 。


九州と縁を失った畿内隼人の 「隼人舞」 を、隼人と縁が無さげな子達が舞う、大住隼人舞。
しかし、松明の炎は紛れも無く、本物です。そして、この場に充満する観客の熱気もまた、本物です。
隼人司が中世まで存続したのは、ひょっとすると、娯楽 or 権威高揚 or 単なる惰性などの為ではなく、
朝廷もまた 「隼人舞」 にこの熱気を、あるいは何らかの神々しさを、感じてたからかも知れません。


とか思ってる内に、大住隼人舞、終わりました。こちらも、トータルタイムは40分程でしょうか。
あ、適当な妄想ばかり書いて触れるのを忘れてましたが、音楽の良さは力説しておきたい所です。
月読神社では舞台脇で演奏された音楽、極めてプリミティブながら、それがむしろ現代的で、ナイス。
楽曲自体のプリミティブさもいいですが、その楽曲をしっかり成立させてた演奏もまた、実にナイス。


走り回る子供が開演前よりは減った気がしたので、帰る前に本殿へのお参りもしておきます。
この社は、幕末に石清水八幡宮の御神体が一時避難した社。八幡人として、挨拶は欠かせません。
月読神社・本殿、何か建物が新しく見えますがこれは拝殿っぽく、この奥に渋い殿舎が入ってました。
八幡人的には極めてトトロ的な世界に見え、なのに冒頭に見た宅地の近所であることが、不思議。


参道&門前の夜店は、舞終了後も営業中。というか、子供の勢いは来た時よりも増してる感じ。
おまけに、子供を連れてる母親も増加。そこら中で挨拶が多発する為、歩くのに時間がかかります。
またしてもトトロ的 or 村祭的な光景に見えますが、この人達も大半は、あの宅地から来たんでしょう。
こんなに近いのに、こんなに違うのか。と、八幡人には最後まで不思議な大住隼人舞でありました。

客層は、基本的に地元民しかいない感じです。
天津神社の方は、完全に地元の人しかいないネイティブ仕様であり、
キャパが劇的に増える月読神社でも、そのテイストにさほど変化は感じません。
そこら中を走り回る小さい子、そこら中で知り合い同志で挨拶する母親&中高年が、メイン。
保存会系 or 考証系 (?) のおっさんや、カメ or 研究系っぽい人もいることはいますが、
いずれも遠来や外来というより地元っぽい感じであり、たまにいる単独は概ねこの手の連中です。
カップルは、全然いません。というか、色気づく年齢の人間が、そもそも全然いません。
15歳までの小さい子と、35歳以上の大きい子ばかりがいる、ベーシックなお祭り空間というか。
とはいえ、特にアウェー感は希薄。開発が入ってるからか何なのか、サウスなDQN感も全然なし。
ただ、月読神社の横をバイクがやたら爆音で走ってはいましたが。八幡の奴かな。

そんな京田辺市・大住の、大住隼人舞。
好きな人と観たら、より畿内隼人なんでしょう。
でも、ひとりで観ても、畿内隼人です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:微
男性グループ:微
混成グループ:微
子供:3
中高年夫婦:若干
中高年女性グループ:2
中高年団体 or グループ:5
単身女性:超微
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】
★★★★
色気のプレッシャーは、限りなくゼロ。
ビジュアルとは異なり、実際は典型的な郊外の宅地だが、
再生産系プレッシャーもさほど感じることは無いと思う。
コッテコテのネイティブさ&それによるアウェー感も、多分なし。
不審者扱いも、もっと不審なカメなどがいるので、大丈夫。

【条件】
平日水曜 17:45~20:40


大住隼人舞
毎年10月14日 月読神社と天津神社で開催

大住隼人舞 – 京田辺市観光協会
 

月読神社
京都府京田辺市大住池平31

京阪宇治交通バス 八小路下車 徒歩5分
JR学研都市線 大住駅下車 徒歩約20分

月読神社 – 京田辺市観光協会

天津神社
京都府京田辺市大住岡村62

京阪宇治交通バス 岡村下車 徒歩5分
JR学研都市線 大住駅下車 徒歩約10分

天津神社 – 京田辺市観光協会