御霊神社の御霊祭へ5年連続で行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2016年5月18日(水)


上御霊神社の御霊祭へ5年連続で行ってきました。もちろん、ひとりで。

当サイトは、取材した全てのネタを、記事化してるわけではありません。
写真もメモもあるけど、記事にしてない。そんなケースが、全取材数の2割はあるでしょうか。
写真が今イチだとか、作る時間がないだとか、様々な理由でまあ、ペンディングしてるわけですね。
中には、 「毎年のように追尾していながら、今もって未記事化」 なんて祭も、なくはありません。
そのひとつが、御霊祭だったりします。それも、未記事化のまま、実に5年連続で追尾してたりします。
御霊祭。その名の通り、御霊神社の祭です。上と下がある御霊神社の内、上御霊神社の祭です。
最初にこの祭を追いかけたのは、2012年でした。で、上京を進む神幸列に、強い感銘を受けました。
また今出川口・小山郷・末廣会の神輿3基にも、強い感銘を受けました。が、写真が今イチでした。
なので、翌2013年も追尾しました。すると、神幸列も神輿も、前年とは全く違うルートを巡幸しました。
街中を進むあの感じを再び見たいと思い、2014年も追尾すると、巡幸ルートはまた全く別でした。
「なるほど、神輿が3基あるから氏子域も3つ存在し、ゆえに巡幸ルートもまた3通りあるのだ」 と考え、
ゆえに2015年は2012年と同ルートと踏み、四度追尾に挑むと、ルートはまたまた全く違いました。
で、2016年にはもう逆に、新ルートを楽しみに追尾へ出かけたら、今度は2012年と同じルートでした。
で、ああ4年周期かと納得し、ある程度の概観を得たとも考えて、今回の記事化に至ったわけです。
これだけ御霊祭の追尾を続けたのは、祭が持つ独特の雰囲気が一番の理由ではありますが、
5月18日に固定された開催日程と、巡幸範囲の手頃なサイジングもまた、理由の一部ではあります。
日程が固定だと、平日開催の年が当然多く、時間の都合がつかずに見落としが出るんですよね。
あと巡幸範囲は、かなり広いものの基本は街中であり、無理をすれば完全追尾も可能なんですよね。
そんなこんなで、追尾を5年もやってしまいました。で、記録も山のように溜まってしまいました。
というわけで当記事は、山のように溜まったその記録をフル活用すべく、時空を超えてシャッフルし、
ルートに拘らず、祭の大体の流れ+独特の空気感を伝えることを主軸に、まとめてみました。
「空気感とかいいから、ルート教えろ」 という方は、自力で調べて下さい。


で、初手からタイムスリップし、2013年の御霊祭当日を迎えた、御霊神社 aka 上御霊神社。
平安期、都に蔓延する疫病阻止の為、崇道天皇などの御霊を祀るべく創建されたとされる社です。
牛車や鉾などを皇室から寄進されたことでも有名ですが、門前はそんなことと無関係に露店が林立。
因みに2013年の5月18日は、土曜日。とはいえ、平日開催の年でも、大体こんな感じでアーシー。


で、境内はもっと、アーシー。露店&人間&神輿で完全に埋まってる、2013年の境内。


後陽成天皇御寄附の牛車など、出発前の神幸列がスタンバる、2014年の楼門前。


出発前、武者稚児&御霊太鼓による太鼓の奉納も行われたりしてる、2012年の楼門。


で、12:40頃から、出発前の神輿の差しが開始。2014年の今出川口が、差し上げ。


拝殿回りが出来ないほど狭い境内で、2014年の小山郷の神輿が、ひたすら差し上げ。


唯一 「えっらいやっちゃ」 の掛声で、2013年の末廣会の神輿が、激しく差し上げ。


楼門を出た後もしばらく差し上げを決めた後、2012年の神輿が神幸列を追って、出御。


で、神幸列は、毎年あちこちを巡幸。氏子域の南東 = 今出川小川の辺を進む2016年の図。


テクノな曲をエンドレスで演奏し続ける御霊太鼓が、烏丸通を南進する2012年の図。


ロイヤルなる牛車が、ロイヤルなるスピードで今出川通を横断しようとしてる2016年の図。


触れ太鼓&サービス旺盛な獅子舞が、氏子域の北 = 小山の辺を進む2013年の図。


2012年ルートを逆進してる様に思える2014年の八乙女を、対向車線から車越しに眺める。


その2012年ルートで街中らしい街中を進む稚児武者を、通過待ちの車越しに眺める。


北側ルートで、生活感のある紫野新町へ進入する2013年の鉾と神宝列を、後から眺める。


そして、休憩場所の護王神社にて交代する2016年の牛を、神輿の舁き手が眺める。


で、神輿も、あちこちを巡幸。御旅所があった中御霊町付近を進む2014年の神輿を眺める。


氏子域の南側を回る年には、下長者町通まで来たりする、2012年の神輿を眺める。


北側を回る年には、鴨川ではなくて加茂川の近くまで来たりもする2013年の神輿を眺める。


加茂川の近くに来るだけでなく、加茂川の堤防を歩いたりもする2013年の神輿の図。


中御霊以前に御旅所があったという御霊町の近くで、休憩したりもする2014年の神輿の図。


何となく北回りルートな2015年には、北大路を駆け抜けたりもする神輿と舁き手の図。


で、神輿は無論、巡幸中も差しを展開。2016年の今出川口が、俵屋吉富前で差し上げ。


北回りと思ったら、割と南側な寺之内でも2015年の小山郷の神輿が、差し上げ。


御霊神社の真ん前とも言える烏丸鞍馬口では、2015年の末廣会の神輿が、差し上げ。


その間にも、神幸列は順調に巡幸を続行。府庁近くを悠々と進む、2014年の鉾。


待たせてすんませんという感じで、大混雑の烏丸今出川交差点を渡る、2016年の牛車。


そのまま御所方面へ進み、今出川御門から御所へ入ってしまう、2016年の牛車。


で、その牛車と共に、皆さん揃って御所・朔平門前に結集してしまった、2016年の神幸列。
もちろんこの後、3基の神輿もやって来ます。のみならず、3基同時の差し上げもやってしまいます。
あ、再度言っときますが、記事の流れはシャッフル仕様です。大体の流れを、表現してみただけです。
御所入りは概ね16時半頃ですが、早い年もあり、何かよくわかりません。わからんまま、以下後篇。

御霊神社の御霊祭へ5年連続で行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】


 
 
 
御霊祭
毎年 5月18日開催

御霊神社 (上御霊神社)
京都市上京区御霊竪町495
通常拝観自由

市営地下鉄 鞍馬口駅下車 徒歩約5分
京都市バス 出雲路俵町下車 徒歩約7分
 

御霊神社 (上御霊神社) – 京都府神社庁

上御霊神社 – wikipedia