御霊神社の御霊祭へ5年連続で行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2016年5月18日(水)


御霊祭の5年連続追尾シャッフル記事、前篇の続きでございます。

御霊祭を見てて毎年感じていたのは、アーシーな祭だな、ということです。
怨霊化こそしてるものの皇族を祭神とし、京都御所からは氏神として崇敬された、御霊神社
その御霊神社の大祭であり、祇園祭など御霊会形式の祭祀のプロトタイプとも目される、御霊祭。
神幸エリアも正に都の中心たる上京がその大半であり、果ては御所でも神輿を差し上げまくり。
そんなロイヤルかつ都会的な祭に、アーシーさを感じるというのは、何だかお門違いとも思えます。
が、アーシーなんですよ。氏神祭的に、アーシーなんですよ。で、その感じが、独特なんですよ。
確かに御霊神社は、殺した弟の怨霊に苦しむ桓武帝により創建されたというロイヤルな伝承も持ち、
怨霊を防衛する都市 = 怨霊を恐怖する都市である平安京に、極めてマッチした社ではあります。
が、同時にこの社は、平安遷都以前より存在した出雲寺の鎮守という見方もあるらしいんですよね。
出雲寺は、出雲郷という所にあった寺。出雲郷は、現在の出雲路の辺 = 御霊神社の氏子圏内。
出雲郷では、その名が示す通り出雲国より移住してきた出雲氏が 「出雲臣」 としてエリアを形成し、
氏寺として出雲寺を、氏神としてその鎮守たる御霊神社の前身の社を、それぞれ祀ってたんだとか。
御霊神社の境内では、平安期の時点でもう荒廃した出雲寺の瓦が、出土したりするようですよ。
いや無論、だからといって 「この祭のOSは千年の時を越えた出雲郷だ」 と言うのは無理過ぎますし、
また御霊神社は現在でも実際に氏神である為、氏神祭の雰囲気が出るのは全く当然の話です。
が、あちこちの祭を追尾した私の目には、御霊祭のアーシーさは、確実に独特なものに見えます。
街の祭の感じとしてアーシーな、あの感じ。やっぱり、出雲郷と何か、関係があるんでしょうか。
本多健一 『中近世京都の祭礼と空間構造』 では、御霊会を起源に持つ主要祭礼の中で御霊祭が、
「唯一官祭的性格を持たなかった祭礼」 としていますが、その辺も何か、関係あるんでしょうか。
というわけで、そんな独特のアーシーさの伝達を主軸にシャッフル構成とした今回の御霊祭記事、
後篇は、ロイヤルにしてアーシーな差し上げ@御所から宮入までを、御覧いただきましょう。
「だからちゃんとルート教えろ」 という方は、やっぱり自力で調べて下さい。


で、先に御所へ入り、朔平門前で神輿を待つ、2016年の神幸列。何とも、ロイヤルな光景です。
御所への渡御が昔から変わらず続いてるように思えて来ますが、これが、そうでもないんですよね。
天皇が御所に住んでた江戸期までは、確かにこの渡御が行われてましたが、東京遷都以後は途絶。
復活したのは、最近。2012年には御覧の神幸列、まだ御所入りしてなかったんじゃないでしょうか。


で、そんな御所へと進入するべく今出川御門をくぐる、2014年の今出川口の神輿。


今出川口・小山郷の神輿が到着してる朔平門の前へ向かう、2016年の末廣会の神輿。


で、右から小山郷・末廣会・今出川口と並んだ2014年の神輿が、同時に差し上げ。


奥から今出川口・小山郷・末廣会と並んだ2013年の神輿が、3基同時に差し上げ。


奥から小山郷・今出川口・末廣会と並んだ2015年の神輿が、3基同時に差し上げ。


3基同時の差し上げが終わったら、ソロもあり。2012年の小川郷の神輿が、差し上げ。


2016年の今出川口の神輿が、参道で後光のような逆光を浴びまくりながら、差し上げ。


2016年の末廣会の神輿は、御所でも 「えっらいやっちゃ」 と凄まじい勢いで、差し上げ。


で、御所を出た神輿は、巡幸と差しを続行。烏丸今出川で差す、2014年の小川郷。


今出川御門の近くにある冷泉家の前で差し上げを決める、2016年の今出川口の神輿。


更に巡幸を続け、俵屋吉富の前でも狂乱の差しを決める、2014年の末廣会の神輿。


で、御所と並ぶハイライトたる、桝形商店街突入。2014年の小川郷突入を、後から拝む。


舁く人・騒ぐ人・拝む人でごった返す2015年の今出川口突入を、超至近距離で拝む。


舁く人・騒ぐ人・拝む人・神職・馬でごった返す2016年の末廣会突入を、超望遠で拝む。


そうこうする内に神幸列は、神社へ帰着。御役御免になった、2016年の牛車と牛。


神幸列が帰着する夕方以降、一気にネイティブな子供が増える、2013年の神社境内。


そんな御霊神社近くまで来ながら、まだまだ道で差す、2016年の今出川口の神輿。


夜に差す年もある烏丸鞍馬口で、狂乱の差しを繰り広げる、2014年の末廣会の神輿。


周囲が暗くなってもなお、沿道での差しを決行し続ける、2015年の小川郷の神輿。


で、ラストは無論、宮入り。見物客が周囲を包囲する楼門で始まった、2012年の宮入り。


昼間よりも更に人間で埋め尽くされた境内で、2013年の今出川口の神輿が、差し上げ。


人間で出来た海の上で荒波を楽しむかのように、2014年の小川郷の神輿が、差し上げ。


「えっらいやっちゃ」 と連呼しながら、2013年の末廣会の神輿が長時間に渡り、差し上げ。


差し倒した後に拝殿へ入るも、2014年の末廣会の神輿がその拝殿内でまで、差し上げ。


で、ようやく宮入りを終えた神輿を見守る、2013年の客とフライドポテトとリラックマ。


宮入りを終え、 「最高や!!」 と叫びながら三本締め&万歳で〆る、2013年の舁き手の方々。
御霊祭、こんな感じで終了であります。冒頭で書いたアーシーさ、少しは感じてもらえたでしょうか。
熱いだけでなく、何か少しひんやりした所もあるアーシーさが、多少なりとも伝わればいいんですが。
京都の他の祭にはないテイストであり、同時に凄く京都的とも思える、そんな御霊祭でありました。

客層は、沿道についてはほぼ近所系というか、道前の家の人ばかり。
老人、多し。特に室町通・新町通では、高齢化をしみじみと感じるくらい大量に見かけました。
御所は、神輿目当ての近所の人に加えて、観光客やカメ、報道やらが集まる、烏合状態。
体感的には、年を追う毎に遠来系の観光客・見物客が増えてきた印象があります。
御霊神社境内は、昼は地元 or 近隣の親子連れ・家族連れ、舁き手の身内、そして子供集団。
夜になると、ここへ中高生 or 大学生が大量に流れ込み、全体の4割程度まで占める感じでしょうか。
ネイティブ度は極めて高いですが、移住系の日本人&外人も多く、両者の融和感が印象的です。
なので、アウェー感を感じるコッテコテさは希薄ですが、ただ、舁き手および身内は概ねコッテコテ。
「てったいさん」 なのかも知れませんが、神輿に付き物のカラフルなボディの方も見かけます。
それにしても、この辺に漂う微妙なDQN感、サウスとは微妙に違うDQN感は、一体何なんでしょう。
色気のプレッシャーは、地元民が多い為か、全くなし。ただ境内の人圧は、毎年必ず壮絶です。
単独については、男はカメと、そしてブロガー臭い奴が毎年必ず数人はいる、という感じ。
薄気味悪いですが、毎年行った私はもっと薄気味悪いので、人のことは言えません。
女性は、老若問わず概ね近所風の人というところでしょうか。

そんな御霊神社の、御霊祭。
好きな人と行けば、より御霊なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、御霊です。

御霊神社の御霊祭へ5年連続で行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

【客層】 (客層表記について)
カップル:
女性グループ:若干
男性グループ:1
混成グループ:若干
子供:2
中高年夫婦:1
中高年女性グループ:1
中高年団体 or グループ:4
単身女性:微
単身男性:若干
【ひとりに向いてる度】
★★★★
他の京都の祭とは微妙に異なる熱狂があるのが、面白い。
御所の神輿振りは絵になるが、神社&沿道を見ないと、
祭の風味というかテイストは、把握&堪能できないとも思う。
色気のプレッシャーは概ねゼロだが、神社境内の人圧は凄い。

【条件】
毎年5月18日 12:00~21:00


 
 
 
御霊祭
毎年 5月18日開催

御霊神社 (上御霊神社)
京都市上京区御霊竪町495
通常拝観自由

市営地下鉄 鞍馬口駅下車 徒歩約5分
京都市バス 出雲路俵町下車 徒歩約7分
 

御霊神社 (上御霊神社) – 京都府神社庁

上御霊神社 – wikipedia