夏越祓の茅の輪を求めて乙訓をうろつきました。もちろん、ひとりで。

2016年6月30日(木)


夏越祓の茅の輪を求めて乙訓をうろつきました。もちろん、ひとりで。

茅の輪、よくよく考えてみると、いや考えてみるまでもなく、用意って大変なんですよね。
第一に、お金がかかるし。自分達で作っても、手間はかかるし、それにやっぱりお金もかかるし。
用意されてる神社は、費用と労力の調達に際して、しんどい思いをされてるかも知れないわけです。
そして、用意されない神社もまた、それはそれでしんどい思いをされてるかも知れないわけです。
なので、その辺の事情を考慮も配慮もしない奴が、夏越の恒例企画とか言ってあちこちの社を徘徊し、
茅の輪があったとかなかったとか書き散らすのは、あまり感心できる行いとは言えないでしょう。
のみならず、何なら 「あまり紹介できない小社をめぐる、良い機会」 などと思い上がった考えを抱き、
ある種の使命感さえ持ちながら徘徊を継続するに至っては、欺瞞極まる行為と断じるを得ません。
それでは、人の苦労を掠め取って娯楽化することに励む、消費者ボケの愚民と同じではないか。
娯楽化した挙句、 「楽しませてくれてありがとう」 などと捨て台詞を吐く、享楽乞食と同じではないか。
もっと、身を削らねばならない。この愚行を続けるのなら、せめてもっと、身を削らねばならない。
「参加型」 といった捏造された当事者性ではなく、身を削って 「他者」 としての真の当事者性を獲得し、
真の 「めぐりびと」 たる身体を以て、別の 「他者」 の祭祀に於ける祓いに望まねばならない。
その当事者性は、例えばそう、修行の如きプチ登山も交えたハードな方法で獲得すべきではないか。
それが、不埒なる 「めぐりびと」 が祓いに際して払うべき、最低限の礼儀というものではないか。
私は、そう考えました。そして、2016年の茅の輪くぐりまくりを、乙訓エリアにて行うことに、決めました。
乙訓。京都府の南西部にあって、 「おとくに」 という、中々な難読度を誇る名前の地であります。
その高難読度な地名が示す通り、このエリアは京都・山背のすぐ隣に立地する 「弟国」 として栄え、
プレ平安京たる長岡京を始めとして、やはりプレ平安まで遡るルーツを持つ寺社や旧跡も多数存在。
中世以後も、山崎の合戦に於ける 「天下分け目の天王山」 など、多くの名所を生んでる地です。
で、今回の茅の輪めぐりは、その乙訓にてまずは天王山の山越えを決行し、その先へ進む形で敢行。
めぐりの原罪を殺ぐべく、己の足・背筋・山師根性を削りながら、全行程を徒歩でやり抜きました。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な、挑戦なのです。
決して、行先のネタが尽き、地元・八幡の川向・山崎から適当に歩き始めたのでは、ありません。
断じて、適当に山も登ったら地獄を食らい、その地獄を正当化してるのでも、ありません。


で、夏越当日の12時半、適当にやって来たJR山崎駅。乙訓エリアの南西端にあたる駅です。
ここから北東へ歩くのであります。それにしても山崎駅、サントリー蒸留所の客&関係者で、賑やか。
また駅前には、利休が唯一残したという茶室・待庵がある妙喜庵が立ち、こっちには和服客の姿あり。
しかし、今日の私の目当てはあくまでも、神社。なので、まずは駅口の右手にある、離宮八幡宮へ。


で、離宮八幡宮対岸の男山へ鎮座する前の八幡神が降り立ち、 「油座」 でも知られる社です。
確実にあるだろうと思って境内へ入ったら、茅の輪はなし。初端に決めときたかったんですが、残念。
すぐ次へ向かいますが、ここから京都側で最も近い社は、天王山山上の酒解神社。山、か。登る、か。
という適当極まる気分で、離宮八幡宮を狭くしたJRの踏切を渡り、天王山登山口へ向かって東へ。


軽い気持ちでJR沿いの道を東へ歩き、そして到着した、天王山登山口 aka 山崎聖天入口。
天王山は、標高270m。私がよく登る対岸の男山は、180m。ちょうど、1.5倍。ならまあ、余裕だろう。
と考え、 「犬に大小便をさせないで」 という看板の足本から尿香が漂いまくってる参道を、登坂開始。
昨日まで大雨降ってたしな、とか思ってると、聖天の鎮守っぽい稲荷大明神、あり。茅の輪はなし。


軽い気持ちで登り始めた参道は、やがてダート丸出しのラフな山道に化け、坂も急に激化。
すぐ 「舐めてた」 と後悔しましたが、引き返しても下り坂でスリップ必至なので、腹を決めて登ります。
途中、地元らしき人と行き違い、山の掟で挨拶。年配の人でしたが、元気&平気そう。慣れでしょうか。
全然慣れてない私は何度も立ちすくんで、濡れた地面を見つめること、しきり。来るんじゃなかった。


岩肌が露出してると、むしろ 「足が滑らずに済む」 と安心するような状態で登坂を続けてると、
彼方に 「酒解神社」 という鳥居が見え、到着したと思って喜んだら、そこは神社ではなく、展望台。
旗立松展望台。秀吉軍が旗印を掲げた地にして、山崎の合戦の戦場を一望できる台でございます。
「天下分け目の天王山」 を体感できる良い機会ですが、私は上がった息をひたすら整えるばかり。


しばらく休憩した後、登坂を再開。もはや単なる泥道でしかない山道を、進んでいきます。
すると、木立に囲まれた道の先に、小さな祠が見えました。そしてその周囲には、大量のあじさい。
人の気配はないけど、明らかに人の手が入ってることはわかる光景。酒解神社、到着したようです。
かつて 「天王社」 と呼ばれ、そこからこの山も 「天王山」 と呼ばれるようになった、酒解神社です。


祠 aka 三社宮の奥へ進み、正式名称・自玉手祭来酒解神社の渋過ぎる本殿へ入って、参拝。
茅の輪はなし。しかし、そんなどうでもいい本来の用を忘れ、溢れんばかりの清々しさに浸りました。
トランス状態寸前まで疲れてたとも言えますが、乙訓最古とされる社が放つオーラは、実に神々しい。
めぐりなんかもう止めたくなりましたが、そもそも山を下りないと帰れもしないので、泥歩き、再開。


多少はマシな道を期待して小倉神社方面への道を選び、泥歩きを続けてると、また人と遭遇。
山の掟で挨拶すると、こちらのスニーカーを指差して 「そっち、工事やってるからドロドロになるよ」 。
あ、私、スニーカーで来てるんですよ。スニーカーでの天王山登り、もちろん、絶対おすすめしません。
腹を決めて進んだら、道脇の木に両手で捕まらないと歩けないほど、道が泥化。写真、全く撮れず。


全く写真が撮れないまま、四肢を駆使して泥への沈没&滑落の恐怖と闘い続けてると、
泥道をトラクターが耕して進んだような感じとでもいうか、もはや道でも何でもない状態の道が登場。
どこに足を置いても沈み込み、何度も一旦停止を余儀なくされる為、却って写真が少し撮れましたよ。
ただ一旦停止してる間はずっと、猛烈な量の蚊が襲来。来るんじゃなかった。来るんじゃなかった。


「小倉神社まで1.5km」 と書かれた休憩ポイントまで何とか到達し、蚊の大群と共に休憩した後、
やっと下りへ入ったものの傾斜がとんでもない+塹壕のような道を、ベトコンになった気持ちで下山。
何度も滑りながら、そして 「イノシシ注意」 の看板にも震えながら、転げ落ちるように歩みを進めます。
やがて水音が聞こえ始め、遂に滝下りでもやるのかと思ったら、小川の先に神社が見えてきました。


見えた途端に到着した神社は、小倉神社。鬼門除けで、皇室より崇敬を受けた社であります。
茅の輪はなし。しかし、酒解神社と同様に本来の用を忘れ、溢れんばかりの清々しさに浸りました。
トランス状態寸前まで疲れてたとも言えますが、ダイナミックな配置の殿舎と樹々は、実に神々しい。
玉垣には、長岡京市の地名 「調子」 の表記あり。この社の境内を出れば、いよいよ長岡京市です。


小倉神社を出て、山間部を何とか抜け、山麓の住宅地も不審者全開で脱出したら、時間は16時。
ここから走田神社方面へ向かうのもいいんですが、正直、神々しさとか自然さとかは、もう充分です。
人界へ、近付きたい。文明の息づく場所へ、近付きたい。何よりもまず、坂も泥もない道を、歩きたい。
というわけで、平坦な市街地をめぐるべく、京都縦貫道の高架をくぐり、長岡天神方面を目指します。


市街地の社の方が、茅の輪がある可能性も高いし。くぐり数は現状、ゼロ。押さえに行きますよ。
と思いながら到着した長岡天満宮は、立派な社ながら、茅の輪はなし。旧暦タイムで出すんだとか。
続いて、竹の子寿司の看板に心惹かれたりしながら昭和後期的な住宅街を北上し、赤根天神社へ。
小じんまりとして実に氏神的な社ですが、アプローチはかなり渋くて、立派。しかし、茅の輪はなし。


さらに北上すると、角宮神社あり。別名が乙訓神社であり、賀茂絡みの由緒も持つ古社です。
境内はよく手が入ってますが、茅の輪はなし。拝殿前の神石に、めぐりの成功を祈願しておきます。
市街地でも茅の輪は少ない可能性を感じ始め、角宮神社前の善峯道を西進し、今度は竹林方面へ。
広海道を越えた辺には、神社 of 神社な名前の小社・社乃神神社がありましたが、茅の輪はなし。


幻想的なシルエットを魅せる善峯道の竹林を、蚊に刺された痒みに耐えながら、どっぷり西進。
そして、道を見切った帰宅車&中学生の自転車で大混雑の丹波街道へ入り、大原野方面へ到達。
農村兼住宅地の長閑なる光景と某なっしーの標識が、鋭いコントラストを放つのを眺めたりしながら、
また地元の人に 「今何時ですか」 と確認されたりしながら、不審者全開で神社を探すこと、しばし。


その内、夕焼空が視界全面に拡がる田園に出て、蚊に刺された痒みも忘れて圧倒されてると、
田んぼの先に鬱蒼とした木々の塊があるのを見つけ、 「もり」 を感じて向かえば、そこが入野神社
『延喜式神名帳』 にその名が記され、また大原野神社が最初に鎮座した地という説も持つ古社です。
が、茅の輪はなし。これは、やばい。このまま一本もくぐれなければ、企画が成立しない。どうしよう。


と、本気で焦り始め、そして確実に茅の輪がある大原野神社へ向かおうと、この辺で決めました。
西北へ歩き始めますが、その途中に寄ったのが、こちらも 『延喜式神名帳』 に名がある、大歳神社
祈雨に霊験がある社で、立派な駐車場と新築の神輿蔵に現役の信仰を感じましたが、茅の輪はなし。
周囲はどんどん暗くなります。謎のキャラ看板に励まされながら、再び見る縦貫道へ向かい、西へ。


重い足を引きずって、縦貫道をまたくぐります。大原野神社、縦貫道の東側にあるんですけどね。
西側に、気になってた社があるんですよ。それが、長峰八幡宮。別名、八幡宮。プレーンな八幡宮。
石段の先に拝殿があり、そこからさらに狭い石段で本殿へ登るという、山寺チックかつ渋い造りです。
茅の輪はなし。ですが、漂う霊気の生々しさと、本殿の狛犬&鳩の彫刻は、中々な味わいでしたよ。


重い足を引きずって縦貫道をまたまたくぐり、今度こそは真っ直ぐ大原野神社へ向かいます。
側溝の水の綺麗さに感心しながら、ややこしくて細い道を歩いてると、樫本神社の前を通りました。
大原野神社の境外摂社である樫本神社、茅の輪はなし。というか、再建工事中の為、本殿さえなし。
残念ですが、しかし、大原野神社はすぐそこ。日が沈んだ山の方へ向かって、もうひと歩きですよ。


で、近所の人が話す横をまたも不審者丸出しで通り過ぎ、やっとこさ到着した、大原野神社
ほぼ真っ暗ながら、鳥居脇には 「夏越大祓」 & 「茅の輪」 の文字が明記された看板が立ってます。
長岡遷都に際し、桓武天皇が皇后・藤原乙牟漏の為に氏神・春日神を勧請し創建したのが、この社。
その由緒を思えば、茅の輪もあるのも、当然でしょう。ただ、夜だからって早仕舞してないだろうな。


で、境内へ。ここに茅の輪があるとわかってたのは、公式サイトがあり、そこの表記を見たから。
なので,めぐり最後の望みとしてやって来たんですが、この真っ暗さ加減を見ると、何か少し、不安。
「夏越大祓」 ポスターも、何か暗くてよく見えないし。茅の輪守を授与する授与所も、もう閉まってるし。
春日茶屋も、門前の看板では 「営業中」 などと書かれてましたが、当然閉まってるし。大丈夫かな。


で、不安を感じながらも参道を進むと、ほぼ完全に真っ暗な本殿の前に、茅の輪、ありました。
遂に、ありました。丸1日探し求めた末に、ありました。山越えまでして探し求めた末に、ありました。
感動で体の震えが止まりませんが、とにかく今年最初の茅の輪、メビウスでくぐらせてもらいましょう。
ちとせのいのちのぶというなり。祓われた。ああ、祓われた。蚊に刺された痒みも多分、祓われた。


で、くぐったら、帰ります。一本しかくぐってませんが、体の震えが止まらんほど疲れたので。
この痙攣級の疲労こそ、真なる 「めぐりびと」 が獲得すべき身体性、そして当事者性って奴ですよ。
そして、こんな戯言を垂れ流す脳の疲労こそ、真の 「めぐりびと」 が獲得すべき精神性って奴ですよ。
とか思いながら、這々の体で南春日町バス停へ向かい、桂駅西口行きの市バスへ飛び乗りました。

というわけで、くぐった茅の輪は一本だけという、2016年の夏越@乙訓でありました。
残念な結果ではありますが、しかし正直、その残念さを上回る面白さを感じたのも、事実です。
特に、酒解神社と小倉神社の辺。しんどい思いをして赴いたからこそ、神々しさを感じたというか。
あと、入野神社周辺も。京都の一般的な市街地や、ベタな 「侘」 ゾーンとも違う醍醐味がありました。
客層については、例年のめぐり同様、ほとんどの社はそもそも客の姿がなかったので、省略。
天王山では人間以外の客層な方と遭遇するリスクがありますが、基本、最大の驚異は蚊でしょう。
あ、当然の話ですが、雨の翌日に山道は歩かない方がいいと思います。200m級の山でも。
ひとりに向いてる度は、ハードさと醍醐味のバランスから、★★★★くらいでしょうか。

そんな乙訓での、夏越祓の茅の輪めぐり。
好きな人とくぐれば、よりちとせのいのちのぶというなりなんでしょう。
でも、ひとりでくぐっても、ちとせのいのちのぶというなりです。

夏越祓の茅の輪をくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2011 前編)
夏越祓の茅の輪をくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2011 後編)
夏越祓の茅の輪をまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2012)
夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2013)
夏越祓の茅の輪をまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2014)
夏越祓の茅の輪をまたまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2015)


 
 
 
 
【茅の輪のあった神社のみ】

大原野神社
京都市西京区大原野南春日町1152
拝観無料

阪急バス or 京都市バス
南春日町下車 徒歩約10分
 

京都・洛西の名社 大原野神社 – 公式

大原野神社 – Wikipedia