広隆寺へ紅葉と聖徳太子御火焚祭と宝冠弥勒を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年11月22日(火)


広隆寺へ紅葉と聖徳太子御火焚祭と宝冠弥勒を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「作りましょう。1日も早く、この仏像たちの町を (怪奇大作戦 『京都買います』 )」 と、
『京都買います』 のヒロイン・美弥子のように秦河勝が切々と語ったかどうかはわかりませんが、
とにかくその河勝が、聖徳太子より美しき仏像を得たことで、太秦・広隆寺の歴史は始まりました。
土木や養蚕などの技術を日本へ持ち込み、平安遷都以前の京都も開発した、渡来氏族・秦氏
その族長的存在であり、現在の太秦の辺を本拠地としながら、聖徳太子にも仕えて活躍した、河勝
側近としての活躍が評価されたのか、太子からは仏像も授かり、それを祀るべく河勝は寺を建立。
それが、広隆寺であります。創建の経緯については諸説ありますが、とにかく広隆寺であります。
太子より授かったとされる弥勒菩薩半跏思惟像 aka 宝冠弥勒は、国宝第1号として無論有名であり、
また本尊・聖徳太子立像は、天皇より贈られた黄櫨染御袍を着せる習わしが、現在に至るも継続。
実に、ロイヤルな寺なのです。由緒もロイヤル、寺宝もロイヤル、古習もロイヤルな寺なのです。
が、実際に行って受ける印象は、そうでもないんですよね。何か、アーシーな感じもあるんですよね。
広隆寺は、先述の 『京都買います』 のOPに登場します。で、割とアイロニカルに描かれてます。
「交通ラッシュ&観光客に晒され、仏像が安心して暮らせない街」 となった京都の象徴、みたいに。
現在も、広隆寺の前はまあ、あんな感じです。実に、 「誰も京都なんか愛してない証拠」 な感じです。
ではそのアーシーさ加減が、ひたすらに興醒めかといえば、これがまたそうでもないんですよね。
ロイヤルさと入り混じることで、他の寺にはあまりない、独特な魅力を生んでたりもするんですよね。
聖徳太子御火焚祭に合わせて、紅葉&仏像&護摩火を一度に見るべく出かけたこの日の広隆寺も、
狂気すら誘う超越的な美を誇る宝冠弥勒と、聖徳太子への信仰を守るアーシーな信者の人達、
そして太子への祈りの火と燃え上がるような紅葉が入り混じる、実に独特な魅力が溢れてました。
「京都」 への 「愛」 とは、何なのか。それ以前にそもそも 「京都」 とは、何処の、誰の、何なのか。
よろしければ、その辺のことも考えたりしながら、秋の日の広隆寺、お楽しみください。


で、御火焚祭当日の13時前、広隆寺門前へ到着。思わず 『買います』 OPに似せてみました。
車やバスが放つ喧騒の中でのちゃ~ら~ちゃ~~であります。びよよよよよ~~~~んであります。
「誰も京都なんか愛してない」 と言われても、これでは文句が言えません。太子もきっと、言えません。
あ、オリジナルに映ってる食堂 「太子亭」 の姿は、なし。太子ゆかりであろう飯、食いたかったです。


で、正気に戻り、正気のアングルから広角で楼門を拝む。こうして拝むと、実に立派であります。
梅津街道を下り、望遠で混雑感・電柱感・太子亭感を強調するとは、 『買います』 も意地悪ですね。
広隆寺、最寄駅は目前の嵐電太秦広隆寺駅。 「映画村の宣伝が流れる駅」 と言った方が早いかも。
周辺は、電車&参拝客に加えて、アーシーな下校学生&車&自転車&バスが行き交いまくりです。


門を潜ると、左手の薬師堂前に結界が張られ、御火焚祭の護摩がセッティングされてました。
その周囲には、檀家さんか信者さんのパイプ椅子が用意され、結構な数の人が点火を待ってます。
御火焚は13時開始というので、 『買います』 遊びもそこそこに入寺したんですが、まだみたいですね。
なので、開始まで紅葉を見ようと、講堂前へ。ここの紅葉、タダで観れるのに、なかなかなんですよ。


で、タイミングが良かったのか、タダで観れるのに本当になかなかと感心しながら観る、紅葉。


このクオリティだったら、金取っても全然おかしくないんじゃないかと思いながら観る、紅葉。


でも、宝冠弥勒がドル箱で稼いでくれるので、金取る必要ないのかなと思いながら観る、紅葉。


でも、この紅葉で金取って、途絶してる牛祭を復活したらいいのにと思いながら観る、紅葉。


牛祭は牛が調達できず途絶してるらしいから、その金をこの紅葉でと思いながら観る、紅葉。


いや、牛祭には人が乗る牛が要る為、金の問題ではないのかなと思いながら観る、紅葉。


そういえば昔の広隆寺の寺領には、桂など農耕地のあったらしいなと思いながら観る、紅葉。


寺領に農耕地があった頃は、牛の調達に困らなかったのかなとか思いながら観る、紅葉。


と、何故か金と牛のことばかりを考えながら、本堂である上宮王院を借景として観る、紅葉。


金のことは考えながらも金は使わぬまま、更に書院の門の屋根を借景として観る、紅葉。


そして、依然として金は使わぬまま紅葉を見続けてると、書院から行列で出てきた、坊さん。


坊さんの行列は上宮王院へと進み、堂内へ入った後、太鼓がドーン。法要が始まりました。
外からだと暇なので、山伏声を聴きながら、凄い音を立てて落ちるどんぐりなど眺めること、しばし。
広隆寺、かつては聖霊会をやってたとか。やはり聖徳太子ゆかりの四天王寺で有名な、あれですね。
しかし、維新による寺領喪失&経営基盤崩壊で、途絶。代わりとして、御火焚祭を始めたんだとか。


しばらくすると山伏が現われ、読経&法螺貝をブォー。法要、順調に進んでるみたいですね。
御火焚祭を支えてるのは、聖徳太子を祖神と仰ぐ建築・建具など土木業関連の信者さんだそうです。
そういえば広隆寺、正月には釿始めなる行事もやってますね。番匠が、1年の安全を祈願するという。
秦氏が土木技術を持ち込んでプレ京都の開発を手がけたことと、関係があったりするんでしょうか。


で、法要が終わると上宮王院を出て、御火焚の護摩への移動を始めた、山伏と坊さん達。


ずっと待ってた信者さんと大勢の見物人が取り囲む護摩の中へ入っていく、山伏と坊さん達。


護摩に入ると、四方というより微妙な場所で矢を射つ矢射など、儀式各種を始める、山伏。


更に剣などの儀式が行われた後、教主が祝詞みたいに真言を唱えてから点火される、護摩。


火が付いた途端、物凄い煙で薬師堂のみならず楼門や紅葉の辺まで真白にする、護摩。


物凄い煙の次は物凄い炎を上げて、紅葉との異様な紅コラボレーションを生み出す、護摩。


という感じで、紅葉と御火焚を堪能させて頂きました。続いては、仏像です。宝冠弥勒です。
ここまでは御賽銭以外に1円たりとも使ってませんが、宝冠弥勒が観れる霊宝殿は、しっかり有料。
書院横にある御覧の受付にて700円也をしっかり払い、チケット代わりのパンフをもらい、入殿します。
何故、紅葉も観れる境内一帯でなく、霊宝殿だけ有料なんでしょうね。不思議に思いながら、先へ。


「観光客はほぼ100%宝冠弥勒目当てで、必ず霊宝殿に入る」 と踏んでここだけ有料とし、
境内は出入自由にすることで、アーシーな信者さんが日頃から参拝できるようにしてるんでしょうか。
と、金と信仰のバランスについて考えながら、受付より先の有料ゾーンの紅葉なども拝むこと、しばし。
で、しばし拝んだ後、館玄関でパンフに済判を押してもらい、いよいよ霊宝殿の中へ。そして、奥へ。


仏像が多く並ぶ館内ですが、足はやはり宝冠弥勒へ向かい、対面すると目と頭も止まります。
「これほど人間実存の真の平和な姿を具現した芸術品を見たことは、未だかつてない」 であるとか、
「最も清浄な、最も円満な、最も永遠な姿の象徴」 などとカール・ヤスパースが称賛した、宝冠弥勒
しかし、私にとってこの弥勒は、エロい。あまりにも、エロい。ひたすら、エロい。ただただ、エロい。


特に、向かって右側から観ると、エロい。胸の薄さと少し浮いた肋骨の感じが、最高にエロい。
また、照明によって生じたシルエットも、京アニのキャラに近い肉感を湛えてるように見えて、エロい。
かつて抱きつく奴も現われた宝冠弥勒ですが、抱きつく程度では済まないエロさが、溢れ返ってます。
この像を守る為なら、私だって京都を買いたい。 「仏像たちの町」 も、作りたい。それくらい、エロい。


像そのものが放つエロさに加え、大勢に晒されるように展示されてるこの状況もまた、エロい。
衆人環視の中で愛する人が半裸を晒してる様を、何もできず見つめるようなこのプレイ、いや状況。
少し離れて、柱の陰から見物客越しに像を見つめると、この状況の興奮が倍加されて、たまりません。
まるで研究室での 『買います』 美弥子のように、完全に法悦に達した表情で見つめること、しばし。


もちろん、人が仏像に対して感じるものは大抵、投影された自分自身の何かに過ぎません。
私が宝冠弥勒に感じるエロさが、満たされないセクシャリティに基づく何かに過ぎないのと同じように、
『買います』 の美弥子達が求めた 「京都」 や 「愛」 も、満たされない何かを反映したものなんでしょう。
霊宝殿を出た帰り、紅葉が反映してる庭の池を眺めながら、そんな思念で興奮を鎮めること、しばし。


あ、私は別に 「満たされない何か」 を揶揄し、アーシー万歳とか言いたいわけではないですよ。
それに、秦氏は本当に 「仏像たちの町」 を目指して、遷都以前の京都を開発したのかも知れないし。
美弥子達が求めた 「京都」 として、 「美し」 き 「まほろば」 として、開発したのかも知れないわけです。
で、京都に住む者の多くは、この理想郷へ闖入した者達の末裔に過ぎないかも知れないわけです。


「満たされない何か」 を嘲笑う剥き出しのアーシーさも、実は望遠圧縮一発で演出できるもの。
そんな儚い根拠で私達は 「これが現実だ、京都のリアルだ」 とか言ってるのかも知れないわけです。
人の世の事象は、全て、誰かの 「何か」 によって構築された仮構、映画村のような書き割りなのかも。
とか思いつつ、でもやはりアングル不問でアーシー&リアル全開に見える門前を、後にしましたとさ。

この日の広隆寺、客層は基本的に地元系と感じましたが、
服装的には近所感はあまりなく、関西近隣系が多いというところでしょうか。
カップルは、少なめ。いることはいますが、プレッシャーになるボリュームではありません。
逆に多いのは中高年で、老人というよりは意外に中年が多し。幼い子連れも、結構います。
遠来系に見える観光客は、少なめ。特に護摩の周囲では、比率がかなり少なめです。
霊宝館ではもちろん増えますが、それでも全体の半分も行きません。話声の多くは、関西弁。
観光団体には遭遇しませんでしたが、喧しい関西のおばちゃんグループには何度も遭遇しました。
単独は、男は年齢問わず好き者系と観光系。女は、業の深そうな妙齢の好き者系が多し。

そんな広隆寺の、紅葉と聖徳太子御火焚祭と宝冠弥勒。
好きな人と観れば、より秦氏なんでしょう。
でも、ひとりで観ても、秦氏です。

【客層】 (客層表記について)
カップル:若干
女性グループ:微
男性グループ:0
混成グループ:0
子供:2 (近所の見学小学生)
中高年夫婦:2
中高年女性グループ:3
中高年団体 or グループ:3
単身女性:若干
単身男性:1

【ひとりに向いてる度】
★★★★★
『買います』 好きの独者には、そもそも問答無用で、聖地。
その辺を抜きにしても、超メジャーな割にアーシーで、良い寺。
境内が広いので、団体に遭遇しても、かわすのは多分、楽。
紅葉のクオリティも、無料としては異常なくらい良好だが、
だからといって金を払わず仏像を観ないのは、損。

【条件】
平日火曜+紅葉ピーク 13:00~15:20


 
 
 
聖徳太子御火焚祭
毎年11月22日 広隆寺にて開催
 

広隆寺
京都市右京区太秦蜂岡町32
9:00~17:00

嵐電 太秦広隆寺駅下車すぐ
京都市バス or 京都バス 太秦広隆寺前下車すぐ
JR嵯峨野線 太秦駅下車 徒歩約13分
 

広隆寺 – Wikipedia

広隆寺 – 京都観光Navi