京都・東山花灯路2017へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2017年3月9日(木)


京都・東山花灯路2017へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

人はどうして、美しい景色をひとり占めしたい、と考えてしまうのでしょう。
自分で作ったわけでもない景色。人に見せない理由は、ないはずです。なのに、見せたくない。
恥ずべき願望や性癖を具現化した景色であれば話は別ですが、そうでもないのに、見せたくない。
無論、そんなケチくさいことを考えず、美を多くの人と分かち合いたいと考える人もいるでしょう。
しかし、私も含め大抵の人々は、美しい景色に遭遇した時、その場に他人がいないことを望みます。
そして多くの場合、その願望の余りの理不尽さを自覚し、己の理不尽さに腹を立てたりもします。
この気持ちは一体、何なんでしょうか。何に因って生まれ、そして、何に因ってこじれるのでしょうか。
答えは、色々と想定し得るかも知れません。何なら、人の数だけ答えがあるのかも知れません。
もし私が答えを求められたとしたら、私はきっと 「恥ずかしさ」 こそがその理由だと答えるでしょう。
こんな時に、こんな所で、こんなことをしてて、いいのか。こんなことしてるのを、人に見られたくない。
私は、景色を 「ひとり占めしたい」 と思う時、常にこんな 「恥ずかしさ」 を同時に感じています。
この 「恥ずかしさ」 ゆえ、他人に対し何らかの攻撃的な感情を抱くことも、珍しくありません。
「邪魔、消えやがれ」 みたいなことも、思ってしまうのであります。実に、悲しいことであります。
こんな時に、こんな所で、こんなことをしてて、いいのか、的な気分が溢れる京都のイベントといえば、
何といっても3月初旬の閑散期対策として行われる、電飾使いまくりの集客イベント・東山花灯路
当サイトではこの東山花灯路、これまで一貫して 「恥ずかしさ」 を全身で感じる荒行日と定義し、
「こんなことしてる」 のを見られるべく、常に人が多いタイミングで単独特攻を敢行し続けてきました
が、もういい加減、疲れました。 「恥ずかしさ」 を感じ過ぎて、心の芯の方が何だか、疲れました。
あと、一度くらい 「邪魔、消えやがれ」 とか思わずに花灯路を観てみたい気持ちも、涌いてきました。
電飾が本当の意味で美しいかどうかはともかく、人の心を蛾に変えるこの灯りの魔力の正体を、
落ち着いた形で見据えるのも、それはそれで意義があるのではないか、と思うようになったのです。
というわけで、2017年の東山花灯路特攻は、人が少ないであろう平日の雨の日を選んで敢行。
「恥ずかしさ」 を大幅削減した目で、改めて花灯路を観てみたのでした。


というわけで、例年通りやって来た、花灯路の北端入口・三条神宮道。時間は、19時ジャスト。
実は、18時半にも来て進撃を始めかけたんですが、雨が本降りになったので、図書館へ一時避難。
19時前に雨が弱まったので、またやって来ました。本降りの中を歩くと、それはそれで荒行ですしね。
客は、普通に少なめ。 「恥ずかしさ」 、予想通り感じずに済みそうです。では、特攻、開始します。


で、いきなり記念写真を撮る阿呆が涌いてたラブ灯籠を、冷やかす。


例年通り割高なライトアップをやってる青蓮院および楠木も、冷やかす。


よくわからん絵とアニメの展示のみで寂し気な知恩院を、冷やかす。


で、円山公園に入って眺めた、例年通り謎過ぎる生け花。


生け花の奥で眺めた、例年通り大混雑な川の灯りの何ちゃら。


平日ゆえ、舞妓の舞踊奉納はやってなかった、八坂神社


舞踊奉納はなくとも、隣では顔だけでも賑やかな、粟田大燈呂


その横では、更に賑やかかつ更に謎な、芸大の何ちゃら。


更にその横では、単に電気が点いてるだけで地味な、長楽館。


で、そのまま進んで、石畳が雨で濡れたねねの道へ進入するの図。


何の興味もなく生け花に群がってる民と共に、祇園閣も観上げるの図。


で、やはり人はかなり少ないねねの道を、そのまま歩くこと、しばし。


濡れた石畳目当てで人が溜まりまくる石塀小路も、眺めること、しばし。


で、高台寺の駐車場へ上がり、今年の行灯文字 「花」 を観るの図。


その高台寺の駐車場から、通りかかった狐の嫁入りを望遠で観るの図。


で、ねねの道の先では、石畳が灯りを反射してる、一年坂。


人がいないとこうも違うのか、と思いながら、もう一発、一年坂。


人がいるとこうも違うのか、と思いながら、二年坂の合流点。


人がいるとこうも違うのか、とまた思いながら、二年坂の石段。


人がいるとこうも違うのか、とまたまた思いながら、産寧坂。


人が減るとこれまた少し違うな、と思いながら、産寧坂の石段。


で、産寧坂から清水坂へ入り、ライトアップ中の清水寺を、冷やかす。


人がいないとこうも違うのか、と思いながら、帰りの清水坂も、冷やかす。


人がいるとこうも違うのか、と思いながら、光る八坂塔も、冷やかす。


で、あとは、混雑時よりも何となく人力車が通りやすそうな八坂通を歩いて下って、撤収。
という感じの、客少なめ花灯路でした。人の心を蛾に変える魔力の正体、見据えられたでしょうか。
気を抜いて歩いた分、私は何か例年より強烈に 「恥ずかしさ」 を感じさせられたような気もしますが。
客の量や天気に関係なく、花灯路はやっぱり花灯路なんだな、みたいなことを思ったりしました。

この日の花灯路の客層は、数こそ少ないながら、かなりの地獄。
大半が若年層であり、例年通りの地獄な連中が、より濃縮した形で集まってます。
「雨が降って、寒い」 という悪条件の日でしたが、それゆえ半端にまともな奴が少なく、
天候などお構いなしの選りすぐりでタフな地獄風味の方々が、集結してました。
カップルは、案外少なめ。学生風と観光風がそれなりにいますが、例年ほどの数はなし。
むしろ、女性グループおよび男性グループの増加の方が、より目に付いたというか。
女性グループは、観光7近隣3くらいな感じ。男性グループは、観光3近隣7くらいな感じ。
中高年は、例年以上に少なめ。単独は、濡れた石畳を狙う老若男女のカメばかり。
ここ数年やたらと多かった中国人は、気味が悪いくらい減ってました。

そんな、京都・東山花灯路2017。
好きな人と歩いたら、より集客策なんでしょう。
でも、ひとりで歩いても、集客策です。

京都・東山花灯路2011へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2012へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
東山花灯路2013と清水寺特別夜間拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2014へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2015へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都・東山花灯路2016へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

【客層】 (客層表記について)
カップル:3
女性グループ:2
男性グループ:1
混成グループ:1
子供:0
中高年夫婦:若干
中高年女性グループ:微
中高年団体 or グループ:2
単身女性:微
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】

ぶっちぎりで、地獄。文句なし。間違いない。
面白いくらいに、地獄な風味の連中が集結している。
中国人がいなくても、地獄の沙汰に変わりなし。
心のガードを外すと、地獄加減がむしろより楽しめる。

【条件】
平日水曜+少雨 19:00~21:00


 
 
 
 
 
 
 
京都・花灯路
「東山花灯路」 を毎年3月中旬に、
「嵐山花灯路」 を毎年12月上旬に、開催
 

京都・花灯路 – 公式

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