夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2017年6月30日(金)


夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。

宇治を舞台として、尻切れトンボとも思える結末を迎える、 『源氏物語』 宇治十帖
愛したくとも愛せず、死にたくとも死ねず、悟りたくとも悟れずに、煩悩の煉獄を揺蕩うその世界。
まるで地名の由来 「憂じ」 を空間化したかのように、陳腐で緩慢な憂鬱が惰性と共に続くその世界。
ブルージーとも言い得るその文学空間は、1000年の時を越えてポストモダンなる現在にも直結し、
安い愛&性への拘泥が市民権となったネバーランドの如き現代日本の煉獄にも通底するものです。
何も始まらず、何処にも行けず、終わる時は突然終わる、そんな世界。実に、今っぽいですね。
が、貴族の別業地として栄えた此地は、そんな超時空な知性ばかり溢れてたわけではありません。
ごく真っ当に浄土を希求した煩悩丸出しな輩も多数存在し、そうした連中が必死で建てた寺社も多し。
栄華を極めた藤原道長頼通により建立された世界遺産・平等院を筆頭に、多くの寺が立ち並び、
これまた世界遺産たる宇治上神社を始め、大小合わせてかなりな数の神社も林立しています。
で、2017年の茅の輪くぐりまくりは、この宇治の地に立つ社をめぐる形で、やってみました。
暑さ&疫病の脅威が本格化する直前のタイミングに、神社に設置された茅の輪をくぐることで、
正月からの半年で溜まった魂の穢れを祓い浄め、夏を乗り切らんとする古来よりの慣わし・夏越祓
当サイトでは、様々な腐った欲求を持て余す己が魂の大掃除 or スピリチュアル・デトックスに加えて、
普段の記事のネタ採取では訪れる機会がない、小さい or 地味な神社への訪問という目的も兼ね、
毎年あちこちの社に設置された茅の輪を探し求めてはくぐりまくり、穢れを祓い倒してきました
しかし乙訓エリアを徘徊した2016年の前回は、思いつきで雨上がりの天王山を登って酷い目に遭い、
おまけに飯抜きで徘徊した割に輪はひとつしかくぐれなかったので、今回は、気分&方針を一新。
宇治のベタベタな観光ゾーンをそぞろ歩きし、甘味に気を取られながら名社で簡単に茅の輪をくぐり、
また風情溢れる店で飯も食って、彷徨自体をしっかり楽しもうと考え、彼地へ向かったのでした。
が、ブルージーなる 「憂じ」 はやはり、そんなポップな考えを、許さなかったのです。


12:50、ガラガラの京阪京阪宇治駅へ到着。輪状の天井に茅の輪運を感じながら、外へ。
外へ出ると、今にも雨が降りそうな曇天。駅のすぐ前を流れる宇治川も、不穏な水位を見せてます。
菟道稚郎子がこの川にて悲運の死を遂げて以来、その名にブルージーな響きを内包してきた、宇治。
これくらいの 「憂じ」 な天気の方が、うろつくには相応しいかも知れませんね。では、行きましょうか。


で、駅東南側のいわゆる宇治エリアへ行くんですが、その前に、郎子の墓がある駅北側へ。
墓へ寄るのではありません。石仏・東屋観音と共に宇治橋傍から移転した彼方神社へ寄るのです。
彼方。 「かなた」 でなく 「おちかた」 。延喜式に名がある社で、石仏と共に 『源氏』 古蹟でもあります。
が、今は小ぢんまりした社であり、茅の輪もなし。ここはまあ、宇治への挨拶というところでしょうか。


「 『源氏』 古蹟と茅の輪、重ねてめぐってみるか」 とか思いながら、いわゆる宇治エリアへ入り、
「いや、 『源氏』 古蹟は選定が適当らしいから、止めとこ」 とも思いながら、いわゆる観光ゾーンへ。
観光ゾーンへ入ると、観光客は流石に増加。客の8割は、中国人。中国人率、京都市内より高いかも。
不思議ですが、でも妙に納得できる何かも感じながら、あちこちの店先の蓮などを見ること、しばし。


川横を上流側へ歩いてると、 「天ヶ瀬ダムが放流します」 みたいなアナウンスが聞こえました。
天ヶ瀬ダム、宇治川のダムです。時々、放流します。危険です。ので、川から一筋離れた側の道へ。
「さわらびの道」 という名の単なる宅地道を歩いてると、未多武利神社へ到着。読みは 「またふり」 。
平将門の乱に出遅れた藤原忠文を、祀る社です。股を振る社では、ありません。茅の輪は、なし。


宅地道を更に進み、到着したのは、世界遺産ではない方の宇治神社。ここも茅の輪は、なし。
意表を突かれました。この社、確か七五三か何かで茅の輪が出てる写真を見た記憶があったので。
あ、ゆえに、夏越の茅の輪はないんでしょうか。とにかく、残念です。が、落ち込んではいられません。
境内で座り込む中国人グループの間をすり抜け、沿道の紫陽花なども愛でながら、先へ進みます。


が、先へ進むとグループが後を尾けてきたので、紫陽花を愛で続けてかわすこと、しばし。
騒ぐだけ騒いでからグループが去った後、のんびり訪れたのは無論、世界遺産の方の宇治上神社
しかし、茅の輪は、なし。ここも、あるに違いないと思い込んでたので、意表を突かれました。厳しいな。
研ぎ澄まされた霊気漂う中で、全くどうでもいいことに焦る、独男一匹。とにかく、次へ向かいます。


宇治神社&宇治上神社が立つ宇治川東側に、茅の輪がありそうな社は、もうなさげな感じ。
なので、合体寸前のチャラい男・匂宮ユルい女・浮舟を横目に朝霧橋&橘橋を渡り、川の西側へ。
宇治川の水量は、確かに多いものの、恐怖を感じるほどでもなし。川の風情も、仄かながら感じます。
その仄かな風情を、中国人男子団体にかき消されたりしながら、渡橋。次はいよいよ、平等院です。


いや、平等院そのものは寺なので用がなく、あくまでその周辺の神社に用があるんですが。
あと、表参道中村藤吉・平等院店も、空いてたら用があるんですが、行列が出来てたのでスルー。
今回は食関連の要素も充実させるべく、めぐりの途中で寄ろうと目論んでたんですけどね。厳しいな。
表参道、客はほぼ中国人。中国人、そんなに茶が好きか。中村藤吉の客も、無論ほぼ中国人です。


とはいえ表参道、混み方は割と穏やか。中村藤吉以外は、行列が出来てる店もありません。
客引きをしてる店もあり。何故か何処も、日本語で声を掛けてましたが。私も、どっかに入ろうかな。
でもな、やっぱり中村藤吉がいいな。本店、行ってみようかな。いや、あっちは多分もっと混んでるな。
などと思案しながら、スタバもスルー。少し晴れてきたので、入るなら、川や空が見える店がいいな。


などと思案しながら、結局は茶さえ飲まないまま表参道を出て、宇治橋の袂から縣通りへ進入。
橋姫伝説で知られるも、現在は引くほど民家全開な橋姫神社へ寄りましたが、茅の輪はまあ、なし。
現状、くぐり数はゼロです。これはもう押さえに行くしかないと考えて、次は手堅く、縣祭り縣神社へ。
しかし、ここも茅の輪は、なし。観光エリアの社は、これでほぼ網羅しましたが、ゼロ。どうしようかな。


これはちょっと、計画を考え直す必要がありそうです。それに何より、まずは何か食わないと。
今後どう動くにせよ、この辺で何か食わないと、去年の二の舞になりかねません。先に飯にします。
というわけで、縣神社を出て宇治川へ戻り、船などが並ぶ鵜飼ゾーンへ。この辺、渋い飲食店も多し。
鵜飼自体は明日7月1日から始まる為、表参道と違い、実に静か。飯を食うには、良い雰囲気です。


対岸には、鵜の家&おこぼれ狙いの鷺の姿あり。風流ですね。こんな所で、飯、食いたい。
とか思いながら鵜飼ゾーンを徘徊してると、川床みたいなのの中の席が空いてるのが、見えました。
宇治川へ出っ張るように建つこの川床みたいなのは、この向かいにある料理旅館・鮎宗の、浜座敷。
店の人に、ひとりがOKか訊ねると、OKと。で、入店。当サイト夏越史上、初の座敷入りであります。


浜座敷、2000円台の鍋セットや1000円台の蕎麦があったりと、無茶な価格設定ではありません。
私は、2500円の鴨鍋セットを頼みました。暑い日でしたが、川床と違って空調はしっかりしてたので。
鴨鍋セットは、この店オリジナルという茶蕎麦や前菜などと共に、無論がっつり鴨鍋が来るというもの。
殺生禁断の十三重石塔&鵜飼の鵜を借景として、鳥肉をがっつり食おうと思います。で、以下後篇

夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】 へ続く

夏越祓の茅の輪をくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2011 前編)
夏越祓の茅の輪をくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2011 後編)
夏越祓の茅の輪をまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2012)
夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2013)
夏越祓の茅の輪をまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2014)
夏越祓の茅の輪をまたまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。 (2015)
夏越祓の茅の輪を求めて乙訓をうろつきました。もちろん、ひとりで。 (2016)


 

 
 
 
 
料理旅館 鮎宗
京都府宇治市宇治塔の川3
不定休

JR奈良線 宇治駅下車 徒歩約15分
京阪電車宇治線 京阪宇治駅下車 徒歩約15分

料理旅館 鮎宗 – 公式