三室戸寺へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年6月18日(水)


三室戸寺へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

あじさいって、案外、人気があるんだな。
そう思ったのは、藤森神社・紫陽花苑の記事へのアクセス数を見た時です。
うち的には明らかに、多い。それも 「藤森神社 あじさい」 と明記して飛んでくる方が、多い。
「藤森神社」 だけで来る方の十数倍の数に及ぶため、人気の中心があじさいであるのは、明白。
うちのサイト以外に藤森神社・紫陽花苑の情報を扱うとこが少ないとも思えないので、
これはやはり、あじさいという花そのものに、多くの人が関心を持ってるということなんでしょう。
となれば、目先の客数を稼ぐべく、再び藤森神社へ出かけて記事を作ろうかなとも思ったんですが、
しかし、京都に於けるもうひとつのあじさいスポットの存在を忘れてることに、気が付きました。
そう、三室戸寺であります。かの西国三十三観音霊場十番札所、三室戸寺であります。
源氏ロマンの地・宇治にあって、でも中心部から離れてるため徒歩かタクシー以外に足がなく、
それ故に行くのが何となく面倒臭くなって、何かとすっ飛ばされがちな名刹、三室戸寺。
しかし、「みむろ」 という名が 「おむろ」 の変化したものという説が体現してるように、
光仁天皇による創建、そして白河花山両帝の深き崇敬と、やんごとなき由緒を持つ寺であります。
もちろん、観音巡礼の札所として庶民からも篤い信仰を集め続けてはいますが、
その観音巡礼を中興したのも花山帝だったりと、そのやんごとなさ加減、実にやんごとありません。
「歩くの、何かダルい」 などとほざいて参拝を怠れば仏罰必定というものでありますが、
そんな怠惰な愚民も観音の慈悲へ触れさせるべく、三室戸寺は昭和62年から庭園を整備。
花山天皇観音巡礼中興1000年を記念し、観音浄土の再現を目指して行われたこの整備により、
三室戸寺は四季を通じて花が咲き、梅雨時はあじさいが人気を呼ぶようになりました。
「あじさい寺」 とも呼ばれる有数のあじさいスポットとなったそんな三室戸寺へ、
またアクセスが稼げるかなと、ノコノコ出かけたわけです。

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宇治川花火大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年8月10日(金)


宇治川花火大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都の中心部では、あまり花火大会は行われません。
木津川花火大会の記事でも書いてることですが、行われるのは大抵、近郊 or 遠郊。
大規模な花火に適した河川敷がないためか、あるいは引火したらマズい木造建築が多いためか、
理由は知りませんが、とにかく花火を見ようと思えば街中から離れる必要があるわけです。
一番人気は、いきなり他県ですが、JRで10分&地下鉄も直通する大津での、琵琶湖花火大会
他には、狭い場所でデカい花火をぶっ放す八木町花火大会なんてのも、穴場的な人気を誇ります。
そして、洛南のディープサウスな民から半世紀以上に渡り圧倒的な支持を集めているのが、
源氏ロマン溢れる宇治橋のすぐそばで開催される、宇治川花火大会です。
平等院宇治上神社の世界遺産と源氏物語、そして宇治茶と、雅なアイテムをいくつも持ちながら、
独特で濃厚なるDQNテイストと、縣祭なる奇祭の伝統も、何故か併せ持つ地、宇治。
そんな宇治の地に於いて、7000発もの 「源氏花火」 が打ち上げられる宇治川花火大会は、
雅な名前に反して、地元および近隣のやんちゃな方々が大集合する、一大イベントとなります。
比較的近隣に居住し、その名を幼少の頃から聞いてきた私としては、正直、行きたくない。
興味本位であっても、冷やかしであっても、ネタのためであっても、正直、行きたくない。
心からそう思うのであり、実際、今まで見物に出かけたことは一度もありません。
しかし、このサイトの趣旨は、メジャースポットの単独正面突破。行かねばならぬのです。
いやだなあ。どれくらい 「いや」 かを確認するために行くんだけど、それにしても、いやだなあ。
およそ花火見物に似つかわしくないそんな陰鬱な気持ちを抱えながら、
花火と混雑が爆発する宇治橋へ向ったのでした。

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縣神社の縣祭りへ行って来ました。もちろん、ひとりで。

2012年6月5日(火)


宇治の縣祭りへ行って来ました。もちろん、ひとりで。

「暗闇の中で、見知らぬ男女が乱交を繰り広げる、奇祭」 。
「日本の奇祭」 的な企画が雑誌やネットである度、こんなアオリで名が挙がるのが、
茶処・宇治にて新茶の季節に開かれる、縣 (あがた) 祭り、通称 「くらやみ祭り」 であります。
平等院の鎮守だった縣神社の例祭が、江戸中期の信徒圏拡大と共に膨大な客を集めるようになり、
宇治神社御旅所から行われる男根ライクな梵天渡御、祭神・木花開耶姫の安産&良縁の霊験、
そしてその両神が 「逢引」 してるかのように見えることなどもあって、祭は、何というか、無法地帯化。
無料開放された真夜中の周辺民家で、男女が文字通りの何でもありとなるこの至福の祝祭は、
「暗闇の奇祭」 「くらやみ祭り」 の名で愛され、明治維新以降も、さらには昭和以降も、継続しました。
しかし、戦後社会でそんな祭が許されるわけもなく、高度成長期あたりから乱交は、後景化。
現在では、近隣DQNこそ多く集結するものの、路上で見境無く交尾るということも特になく、
威勢の良い梵天渡御&大量の屋台がメインの、健康優良&地元密着路線の祭りとなってます。
が、縣祭りが 「奇祭」 の名に全く相応しくなくなったかといえば、案外そうでもありません。
21世紀に入り、それまで梵天渡御を担ってきた奉賛会側と、縣神社側が、決裂。
昔から両者の関係は 「神」 をめぐって裁判さえ発生するほどややこしいものだったようですが、
2003年に奉賛会が梵天を縣神社へ還す神事をすっ飛ばしたことで、対立が一気に悪化。
「神の拉致だ」 とブチ切れた縣神社側が、独自に梵天を製作&渡御を始めたため、
現在の縣祭りは、まるで 「本家」 と 「元祖」 のように、二つの梵天が存在することとなりました。
信仰が根強く息づくゆえの事態とも言えますが、根強過ぎるとも言える、ややこしき事態。
かつてとは別の意味で 「奇祭」 化しつつある、そんな縣祭りの今の姿を、
近隣ゆえ終電お構いなし、DQNまみれの中で見てきました。

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