民俗芸能 - ひとりでうろつく京都 (β版) - Page 2

壬生寺の六斎念仏を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

2011年8月9日(火)


壬生寺の六斎念仏を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

壬生寺で民俗芸能といえば、真っ先に思い浮かぶのは、壬生狂言。
ですが、壬生狂言保存会とは別に、六斎念仏の保存会も存在し、活発に活動をしています。
もともとは六斎日に念仏を修する信仰行事だったものが、
町人文化の開花した江戸中期の京都に於いて急激に芸能化して現在の形になった、六斎念仏。
芸の基本こそ鉦と太鼓に置きながらも、先端の芸能が集約される京都にあっては、
当時流行していた長唄や地唄、歌舞伎の曲や振りなどに影響受けまくり&貪欲に取り入れまくり。
民衆の人気は果てしなくあがり、幕末の頃には狂言をとりこむ講中まで現われたといいます。
壬生狂言のホーム・壬生寺の壬生六斎も、狂言の『土蜘蛛』をしっかり六斎へ移入。
祇園祭の綾傘鉾に奉仕してきた伝統から、棒振も六斎化して「祇園囃子」の入れ事として導入。
また、「獅子舞を土蜘蛛と絡ませる」という、現在の六斎の王道展開は、
壬生六斎が伊勢太神楽から移入したのではないかとも言われてます。
そんな壬生六斎がホームグラウンドで奉納されるのが、万灯会の最初の夜・精霊迎え火。
ステージは、本堂前の特設舞台。バックには、千に近い数の壁のごとき行灯、そして千体仏塔。
ほとんど異次元状態の舞台を背に、圧巻のパフォーマンスが展開されました。

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清水寺での盂蘭盆会・六斎念仏奉納へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年8月7日(日)


清水寺での盂蘭盆会・六斉念仏奉納へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

盂蘭盆会。平仮名だと、うらぼんえ。いわゆる、お盆のことであります。
なのにトップ画像は、イカついお面の方が刀を構えてて、物騒この上ないのは、何故。
それにそもそも、清水寺って念仏の寺だったっけ。
そう思っていただけると嬉しいんですが、これはいわゆる京都の六斎念仏であります。
元来は殺生禁断や謹慎を定めた「六斎日」に、念仏を修するところから始まった、六斎念仏。
それが時代を経て踊り念仏へ変容し、さらに「見せる」ことを意識し始めて、芸能化。
京都は最先端の芸能が集結する場でしたから、一旦芸能化するとその流れは止まらず、
長唄・地唄・歌舞伎などを貪欲に吸収、あげくセリフ付きの狂言まで取り入れてしまったという、
特殊過ぎる発展をした民俗芸能というか、信仰行事というか、まあそんなんであります。
現在も市内のあちこちに保存会があり、お盆を中心に奉納演舞を行なってますが、
「清水の舞台」を文字通りの桧舞台とした、こちらの清水寺盂蘭盆会奉納も、そのひとつ。
この舞台での奉納は、かつて六斎の最高の栄誉だったそうで、それを平成十年に復活。
中堂寺六斎会が、牛若丸と弁慶の対決を描いた『橋弁慶』を上演することでも知られます。
そう、トップ画像のイカついマスクマンは、弁慶なのです。

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ゑんま堂大念佛狂言を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2011年5月4日(水)

さんみさん
千本ゑんま堂のゑんま堂大念佛狂言を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

千本通を北上してると、妖しい焼きそば屋と共に現われるやたらディープな寺・千本ゑんま堂。
六道珍皇寺で有名な朝廷と霊界のダブルワーカー・小野篁とも縁が深いというこの寺で、
毎年春に行われる民俗芸能の公演が、ゑんま堂大念佛狂言です。
中世の大念仏会で、庶民に宗教世界を具体的に唱導するため始まったという念仏狂言。
京都には、ゑんま堂以外にも壬生寺、嵯峨の清涼寺、そして神泉苑にもそれぞれ存在し、
また壬生・嵯峨・ゑんま堂の3つで「京の三大念仏狂言」という呼び名も広く認知されてます。
中でもこのゑんま堂狂言は、背景も、趣向も、若干ユニーク。
壬生・嵯峨・神泉苑の狂言は円覚上人が始め、芸術的とまで言われる無言劇であるのに対し、
ゑんま堂狂言はこの寺を引接寺として開いた定覚上人が創始、そして演目の大半がセリフ劇。
かつて京の刑場墓地だったというこの地で、潜伏する盗賊を金剛杖1本で懲らしめ、
善心まで取り戻させた守護役人・為朝の奇跡を伝える狂言は、徹底して勧善懲悪+極めて庶民的。
滑稽味やケレン味で人気は近代に至っても続き、昭和初期には20日間も公演が行われたとか。
戦後の後継者不足で一時中断するも、のちに復活。で、現在も継続中。
この寺の名物・普賢象桜を気に入った室町三代将軍・義満の
「桜の盛りを期して狂言をとり行え」といういいつけを守るかのように、毎年春に公演が行なわれます。
2011年も開催期間は5/1~5/4の4日間。そのうちの1、3、4の夜の部に出かけました。

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吉祥院六斎念仏を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年4月25日(月)

太鼓曲の演奏
吉祥院天満宮の吉祥院六斎念仏へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

六斎念仏。全国的に広く伝承されている念仏踊りの一種です。
元々は仏教の六斎日=8・14・15・23・29・晦日に斎戒謹慎して鬼神の災いを避けてたのが、
いつしか空也上人の踊躍念仏と結びつき、さらにお盆にも結びつき、現在に近い形となったとか。
京都にも六斎念仏はあります。それも、2つの派閥みたいなのがあります。
ひとつは、あくまで念仏に重きを置く、干菜寺系。鉦と太鼓でシンプルに念仏を歌うという。
もう一方は、花の都ならではの芸能華やかな、空也堂系。で、主流は圧倒的に後者。
獅子舞・歌舞伎などの流行芸を取り入れ、原型を止めないほど芸能化した六斎 = 芸能六斎は、
江戸時代、娯楽に飢えた京都西南部の農村を中心に劇的に普及。
で、正に京都の西南にあたる吉祥院は、そんな芸能六斎の一大中心地となりました。
最盛期には8組もの講が夏祭で芸を競い合い、演舞は夜通し、あるいは日が明けても続いたとか。
時代の流れで現在残る講は一つだけとなりましたが、今なお活動は活発であり、伝承を守ってます。
盆の活動が多い六斎念仏ですが、こちら吉祥院は夏に加え春の大祭でも演舞を披露。
で、それに出かけたわけです。

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清涼寺のお松明式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月15日(火)

嵯峨大念仏狂言
清涼寺のお松明式へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

東日本大震災から、4日目。
発生当初は自粛ムード希薄、ライトアップ等も敢行していた京都ですが、
被害の未曾有な実態が判明するに連れ、後手後手的な中止や延期が多発。
こちら清涼寺のお松明式も開催の是非で議論があったようですが、とりあえずやるようです。
清涼寺。通称、嵯峨釈迦堂。
釈迦の生前の姿+内蔵まで再現した、本尊にして国宝、三国伝来の釈迦如来立像が、
貴族から庶民まで幅広く信仰を集め、今なお地元の方々から愛されてる寺です。
光源氏@源氏物語のモデル・源融の没後、その山荘に阿弥陀堂を建てたのに始まり、
東大寺の僧・奝然が宗より釈迦像を請来、弟子の盛子が安置して、寺名を清涼寺と改称。
鎌倉時代には融通念仏の中興者・円覚上人より無言劇・念仏狂言が伝えられ、
現在も京都三大念仏狂言のひとつ・嵯峨大念仏狂言のホームグラウンドとして、伝統を守ってます。
そんな清涼寺で行なわれるお松明式は、お釈迦様の入滅した日に行う、涅槃会の行事。
釈迦が荼毘に付された時の様子を模して、大松明3基を燃え上がらせるわけであります。
嵯峨大念仏狂言の無料公演も開催。トップ画像は、その写真です。

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