五山送り火の妙法を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

2016年8月16日(火)


五山送り火の妙法を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

五山送り火は、その名の通りに火を用いる行事ながら、基本、雨天決行となってます。
槍が降っても決行というわけではなく、1963年には豪雨で順延してますが、基本、16日に固定。
少なくとも私の記憶がある範囲では、 「雨で延期になった」 という話は、聞いた憶えがありません。
大変だという話ではあります。が、それも、当然でしょう。送り火はあくまで、送り火なのですから。
ホテル屋上で酒の肴に火を眺める仏罰必定の輩から、五山コンプへ挑む自転車珍走団に至るまで、
様々な愚民を様々な愚行へ駆り立てるライトアップイベントのようになってしまってる、五山送り火。
しかし、その本義はあくまで、現世へ戻った精霊 aka おしょらいさんを、あの世へ送り返すこと。
所詮は雲から下の事情に過ぎない雨で、精霊のステイ日数を延長させるわけには行かないのです。
延長などすれば、現世へ未練を抱いて帰らない居残り幽霊が大量出現するかも知れませんし、
そうなれば、そもそも霊口密度が高過ぎる怨霊都市・京都に於いて霊口爆発が発生するのは、必定。
然るべきスケジュールで、然るべき客出しで、然るべき場所へ帰ってもらう。これが、大事なのです。
なので、2016年の五山送り火は、とんでもない雨の中でも中止されずに敢行されました。
ゆえに、五山送り火5ヵ年計画を遂行中の当サイトは、ズブ濡れで妙法へ出かけました。
阿呆丸出しで何度も何度も様々な方法で五山コンプへ挑むも、それら愚行の全てが失敗に終わり、
反省の後、 「5年かけて、1年に一山ずつ観る」 と決め2015年に発動したのが、当サイトの5ヵ年計画。
初年度の前年は、送り火の代名詞的存在をまず押さえようと、大文字山を拝みに行きましたが、
第2回の今回は、大文字の隣にして大文字に続いて点火される妙法を、拝みに行ったのであります。
松ヶ崎・妙法は、洛北は北山の東にあって、五山の中で唯一 「妙」 と 「法」 の2文字1ペアな山。
この地は、日蓮の孫弟子・日像の教化により村全てが日蓮宗へ改宗したという伝説を持ちますが、
送り火で描かれる 「妙」 の字もやはり、日像上人が西側の山に書いた 「妙」 をルーツとしているもの。
正に霊的事情により決行されてる送り火なのであり、雨程度で中止されることは考えられません。
正直、当日に雨が降り始めた時には、5ヵ年計画を6ヵ年計画にする屁理屈を考えたりもしましたが、
大変な思いをして燃やされる火を拝むなら、こちらも多少は大変な思いをするのが、筋でしょう。
そう考え、雨の松ヶ崎へ出かけたのでした。そして、本当に大変な思いをしたのでした。

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大原・三千院へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年6月23日(木)


大原・三千院へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

あじさいに、 「北」 の花というイメージはあるでしょうか。私には、あまりありません。
どちらかといえば、 「南」 な花、という印象を持ってました。生息域は東北辺りまで、みたいな。
この印象は無論、間違った思い込みに過ぎません。あじさいの生息域は、北海道にまで及びます。
それこそ、エゾアジサイもあるし。世界へ目を向ければ、ヒマラヤにもアジサイがあるらしいし。
少なくとも人が住める程度の北所や高所に於いて、あじさいが咲かないということはないようですよ。
にも関わらず、そんなあじさいに対して私が 「南」 な花という印象を、何なら今も持っているのは、
京都に於けるあじさいの名所が、京都市 or 京都府の南部に比較的多いからなのかも知れません。
藤森の藤森神社宇治の三室戸寺。共に、著名なあじさいの名所です。で、所在地も共に、南部。
あじさいが咲く梅雨のテイストと、かつて巨椋池が存在した湿地帯的なるディープサウスのテイストを、
己の中で勝手に重ね、己の中で勝手に納得し、己の中で勝手に確定してたのかも知れません。
当然、こんな阿呆な類推・曲解・盲信に関係なく、京都の北部に於いてもあじさいはしっかり、開花。
見物客を多く呼び込むあじさいスポットもしっかり、存在します。そのひとつが、三千院です。
三千院。言うまでもなく、洛北にして 「京都の奥座敷」 とも呼ばれる大原を代表する名寺であります。
天台声明の聖地であり、建礼門院などの貴人が世を捨て隠棲したことでも知られる大原の里へ、
明治期に入って梶井門跡が移転し、声明寺院を統括していた政所に落ち着く形で生まれた、三千院。
アクセスは未舗装の鯖街道のみだった大原が、昭和の道路整備&バス開通で観光化した後は、
「京都・大原・三千院」 という三段活用と共に、そのランドマークとして認知されまくっている、三千院。
大原の 「侘」 を体現する極楽往生院を始めとして、見所が多く人気も高い名刹なわけですが、
梅雨時の稼働率も上げたいのか何なのか、境内にはあじさい苑も設けられ、こちらも結構な人気。
あじさいを 「南」 な花と思い込む私の臆見など無関係に、大原の梅雨を鮮やかに彩ってます。
で、そんな 「北」 のあじさいを拝むべく、サウスな私は鯖街道を北上したのでした。

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ホテル洛西で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2014年12月24日(水)


大枝のラブホ街にあるホテル洛西にて過ごす聖夜、前篇に続き後篇です。

「大枝」 と聞いたら、京都府民の多くは脊髄反射で 「柿」 と連想するでしょう。
実際、大枝の富有柿は名物ではあります。が、その歴史は、さほど古いものではありません。
御存知の方も多いでしょうが、富有柿の原産地は岐阜。大枝での栽培が始まったのは、昭和以降。
というか、徹底的に農村化したのも実は明治以降と、中々に面白い歴史をこの地は持ってます。
桓武天皇生母・高野新笠の母方のルーツたる大江氏から 「大江郷」 の名称が付いたという、大枝。
平安遷都以前から秦氏などの豪族が住んだとされ、現在も残る古墳が山のように作られましたが、
遷都以降は、平安京と山陰を結ぶ山陰道に於ける関所 = 「境界」 としての存在感が前景化。
都から見ると北西 = 鬼の進入口・乾に位置する為、中世までは酒呑童子伝説の恰好の舞台となり、
中世以後も、足利尊氏明智光秀といった反逆者が、ここから鬼の如く都へ侵攻したのでした。
近世に入り、鬼の住処も丹後の大江山へ移動すると、大枝は山陰街道の峠町としての存在感を強化。
旅人相手の商いを専業にする家が増え、茶屋や旅籠屋、休憩所が並ぶ宿場町となったのです。
そう、ここは明治以前の時点で既に、農業中心ではなくて商品経済に馴染んだ町だったわけですね。
維新後は、新峠建設で老ノ坂の峠町が衰退、明治32年の鉄道開通では大枝全体の状況も一変。
今は嵯峨野トロッコ鉄道として走るあの汽車へ、丹波の貨物はごっそり移り、山陰街道は急に閑散化。
街道で食ってた大枝は打撃を受け、商業中心から農業中心へと転進せざるを得なくなりました。
そこで、 「柿」 なわけですね。 作物を色々試した後、この地に合ったのが 「柿」 だったわけですね。
「柿」 と全く不似合いなインパクトを誇る大枝のラブホ街ですが、街道筋としての歴史を考えると、
ある意味、かつての時代の生々しい息吹 or 残り香を、現代に伝えるものと言えるのかも知れません。
大枝の変化は 「柿」 以降も止まることが無く、戦後は宅地に困った京都市の開発の歯牙にかかり、
「柿」 を潰す勢いでニュータウン開発が進行、文化的&景観的にラブホ街もなぎ倒す勢いです。
が、とりあえず今回は、ホテル洛西であります。元ラブホにて、ひとりで過ごす聖夜、続きであります。
京都魔界シーンのラスボス・首塚大明神の参拝から、飯、そしてラブホ窓から朝日を見るまで、
「境界」 が孕む妖しき魔力を見据えんとする孤独な精神戦、お付き合い下さい。

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ホテル洛西で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2014年12月24日(水)


大枝・沓掛のホテル洛西で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!!当サイト恒例の聖夜お泊まりネタ、2014年度版です。
異教の宗主生誕を姦淫&浪費で祝福する日本のクリスマスに、背を向け続けるこの阿呆企画、
プレハブ宿 or 寺の宿坊 or 町家宿一棟借りと、2010年より阿呆なお泊まりを延々続けてきましたが、
しかし2013年に至り、こんなアホ企画も何かしらテーマ的なものを孕むことになってしまいました。
2013年の聖夜を過ごしたのは、私の地元・八幡にある遊廓跡・橋本。そこの転業旅館・多津見旅館
京都と大阪の国境にして石清水八幡宮門前という、実に 「境界」 的な地で聖夜を過ごした結果、
私は、仇敵・クリスマスの本質の如きものとして、 「境界」 を意識することになってしまったのです。
本来の起源がローマの 「太陽神誕生祭」 = 冬至の日であるように、根元から様々な 「境界」 を孕み、
その 「境界」 性が、遊興や性的放埓へ人を駆り立てる魔力を発揮してると思われる、クリスマス。
そんな本質の如きものが、見えてしまった。単なる思いつきではあるものの、一応、見えてしまった。
見えてしまったのなら、追求すべきです。発端が思いつきであっても、テーマは追求すべきです。
というわけで、この適当テーマの深化を図り、2014年聖夜も 「境界」 にて過ごすことにしたのでした。
今回泊まったのは、ホテル洛西。西京区・大枝に建つ、ラブホが転業したホテルであります。
山陰道で京都から丹波へ抜ける老ノ坂の入口に位置し、古より国境として認識され続けてきた、大枝。
それ故に、都の北西 = 乾の方角より侵入するエイリアン = 鬼の住む地なる伝説も長く持つ、大枝。
現代にあっても、 「境界」 に多発しがちな心霊スポットを京都最強 or 最凶レベルで複数保持し、
これまた聖と聖が交錯する 「境界」 に多発しがちなエロゾーンも、現役ラブホ街としてしっかり保持。
郊外の開発で見え難くなった 「都の境」 を、ある意味、最も生々しく現在へ伝える場所なのです。
今回泊まったホテル洛西は、そんなラブホ街の一軒であり、一般ひとり客の宿泊も大丈夫なホテル。
「境界」 的な場所に建つゆえ、アクセスは若干不便ながら料金お手頃+部屋確保も楽とあって、
繁忙期に宿泊場所で困った観光客を中心として、色んな意味で色んな注目を集めてる宿であります。
そんな元ラブホでの聖夜お泊まり、件の心霊スポット訪問などと併せて、やらかしてみました。
クリスマスの本質は、 「境界」 が孕む魔力の本質は、見えるのでしょうか。

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大覚寺の秋の夜間特別拝観・真紅の水鏡へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月28日(金)


大覚寺の秋の夜間特別拝観・真紅の水鏡へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

旧嵯峨御所大覚寺門跡に、私は 「赤」 のイメージを勝手に抱いてます。
嵯峨天皇が建立した離宮を前身とし、言うまでもなく真言宗大覚寺派本山である、大覚寺。
般若心経写経根本道場としても知られ、また 「いけばな嵯峨御流」 の総司所でもある、大覚寺。
別段、赤化した宗派 (何だそれ) の寺でも、赤化した流派 (何だそれ) の寺でもありません。
むしろ赤化の真逆を行くようにロイヤル極まる寺なんですが、私にとっては 「赤」 なのであります。
そう思う理由は、端的に言えば、宝塔です。宮廷文化の風情を伝える大沢池の畔に立つ、宝塔です。
大覚寺が寺化したきっかけである、嵯峨天皇の心経写経1150年を記念し建立された、心経宝塔。
この赤い宝塔、嵯峨野の深い闇の中でライトに照らされると、赤さがより印象的なんですよね。
それが、境外の一条通あたりからチラっと見えたりするのも、インパクトがあったりするんですよね。
当サイトは大覚寺、観月の夕べ宵弘法年越しなどなど、何故か夜にばっかり訪れているため、
闇の中に浮かび上がる宝塔の姿を見る機会が自然と増え、 「赤」 の姿が印象づけられたわけです。
「だから何だ」 と言われたら話が終わりの、個人的事情に基づく個人的感慨に過ぎませんが、
ただ 「赤化した門跡寺院」 という冗談が湧く程度には、大覚寺の 「赤」 、強烈という話であります。
それに、ロイヤル極まるこの寺の方から積極的に赤化を打ち出す機会も、ないわけではありません。
大沢池は 「日本初の花見」 ともされ、桜の名所としての知名度も非常に高い大覚寺ですが、
実は紅葉も充実しており、池畔に続く紅葉の並木道は京都でも他に例がないという話もあるほど。
秋になれば、ライトアップされた紅葉が大沢池の水面に映る夜間特別拝観も実施されており、
その夜間拝観が 『真紅の水鏡』 と題されるなど、なかなかな赤化加減を見せてくれてるのです。
そんな 「赤」 を堪能するべく、またぞろ夜の大覚寺へ出かけたのでした。

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南禅寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月23日(日)


南禅寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

混めば混むほどある種の面白さが増す寺社、というのが確実に存在します。
京都に於ける典型例といえば、京都観光のキング・オブ・キングである清水寺でしょう。
混めば混むほど、もっと言えば俗化すれば俗化するほど何故か聖性を増す、清水寺マジック。
中年の中二病の如き混雑忌避の段階を越えて、新たなる智性に拓かれた眼で清水寺を見た者は、
「観光」 の文字そのままに光を求めて群れ集う人間の姿にこそ、確かな浄土の光を見い出し、
路地の奥に 「本物」 を追うような乞食根性を忘れて、京都の真の面白さをもきっと見い出すはずです。
いや、無論そのマジックは、群れ集う人間を余裕で傍観できるスペースの確保が可能な寺社、
即ち、清水寺の如く境内が馬鹿デカい大バコ級寺社だからこそ成立する類のものではありますが、
逆に言えば、境内が馬鹿デカい寺社なら、清水寺のマジックに似た面白味が出ないとも限りません。
紅葉シーズンの南禅寺は私にとって、正にそんな面白味を感じさせてくれるスポットです。
南禅寺。無論、臨済宗南禅寺派の大本山であり、五山の上に立つ日本最高峰の禅寺であります。
創建された鎌倉期から中世に至るまでも、日本初の勅願禅寺としての風格に足る寺領を誇り、
江戸期には家康のブレーンを務める黒衣の宰相・金地院崇伝の入寺で、その権勢はさらに巨大化。
石川五右衛門「絶景かな」 と傾く巨大三門も建立するなど、調子に乗って乗って乗りまくり、
明治以降はその乗りっぷりが祟って水路閣を建てられたりしますが、境内の広大さは何とか維持。
現在は、京都観光における超メジャー級&超大バコ級スポットとしての地位を確立してます。
そんな南禅寺、五右衛門が愛でた桜も無論見事ですが、紅葉もまた見事であり、観光的にも大人気。
というか、山門・方丈・塔頭以外は無料でうろつき可能+大型バスも境内に停車可能なため、
大量の客を乗せたバスが大量&エンドレスで境内へ雪崩れ込むという、最悪の事態が大量発生。
で、その様が何かもう度を超してしまってるため、却って面白く見えなくもないというわけです。
その面白さを堪能すべく、私も乞食の如く無料区域だけうろついてきました。

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野宮神社の斎宮行列を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年10月19日(日)


野宮神社の斎宮行列を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

葵祭のヒロイン or 花形である斎王には、モデルみたいなものがあります。
「いや、斎王代のモデルが斎王だろ」 とか言われそうですが、そういう話ではありません。
葵祭・斎王代のモデルである斎王 aka 賀茂斎院には、モデル or 先行者がいるのであります。
それが、斎宮伊勢神宮にて祭祀を司り、その宮殿名 「斎宮」 が呼称化した斎王のことです。
古くは 『日本書紀』 にまで遡るという斎宮の制度が、本格的に整備されたのは、天武天皇の時代。
壬申の乱で天武帝は、伊勢神宮に戦勝を祈願し、勝利。以来、伊勢を 「天下の宗廟」 と規定。
未婚の内親王 or 女王をかの地へ下向させ、祭祀を担わせる斎宮の制度を確立させたのでした。
以来、多くの御供を引き連れ伊勢へ向かう斎王の行列 = 群行は、平安期から中世にかけて存続し、
その群行の様を平安京の周辺のみで小じんまり踏襲した賀茂斎院の行列は、都の風物詩化。
で、その踏襲した賀茂斎院の行列こそが、現代葵祭に於ける斎王代の元ネタとなったわけですね。
「コスプレの元ネタに、さらに元ネタあり」 という話であります。雑な言い方過ぎて、恐縮ですけど。
葵祭・路上の儀が、往時の完コピを目指したコスプレで現在も継続してるのは御存知の通りですが、
では斎宮行列の方も、完コピを目指したコスプレ行列が行われているかといえば、これが難しい。
単純に、京都から伊勢って、遠いし。近鉄特急なら速いけど、徒歩だと5泊6日かかるそうだし。
なので、伊勢と京都それそれの由緒ある場所で、バラバラにイベントが開催されてるのが現状です。
伊勢では、有名な斎王まつり。で、京都では、今回出かけた野宮神社斎宮行列であります。
斎宮は、伊勢へ下向する前、洛外に設けられた 「野宮」 で厳重なる潔斎を行うのが決まりでした。
その 「野宮」 が数多く設けられたという嵯峨野には、 「野宮」 跡がいくつかが神社化して残存。
嵐山にて源氏物語の何ちゃらと縁結びが売りの野宮神社もまた、そんな 「野宮」 跡神社のひとつ。
その由緒と観光客寄せがクロスする形で、ミニ斎宮行列 「斎宮夢行列」 が平成に入って復活し、
2005年には 「斎宮行列」 と改称、嵐山の秋の風物詩として認知度を深めつつあります。
そんな斎宮行列、 「元ネタの元ネタのコスプレ」 を拝むべく、行ってきました。

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サロンドロワイヤル京都本店で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2014年9月26日(金)


サロンドロワイヤル京都本店で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

「外来スイーツの席巻は、京都の伝統を踏みにじるものである」 。
そんな物言いは、それこそ伝統の何たるかを理解せぬ阿呆が吐く戯言に過ぎません。
外来の素材・手法を一切用いない和菓子など、些少なはずです。いや、皆無に近いでしょう。
新奇なエレメントを貪欲なまでに吸収・再構築し続けることで、京菓子の伝統は育まれてきました。
真の革新無きところに、真の伝統は無し。そして、真の伝統無きところに、真の革新は無し。
得体の知れぬリノベ町家にて素性不明のカタカナ新参スイーツ店が次々とオープンしてるのは、
「低レベルの味覚と懐で京都を楽しもうとする女子供の小銭を狙う」 などという策謀ではなく、
京都の、それは即ち日本の甘味を、世界レベルあるいはその先のネクストレベルへプログレスする、
壮大なビジョンに基づいた、極めて前向きで生産的でフューチャリスティックな企てなのです。
・・・ああ、疲れた。自分で全然信用してないことを書くと、書くだけでも何か凄く、疲れた。
こんな感じの戯言が無限に言い散らかせ、それが尤もらしく聞こえたりするも京都の魔力ですが、
そんな魔力が最も先鋭的に発現する場所こそ、夏の鴨川と貴船に現出する魔境・川床
不景気の昨今ではその魔力も薄れるかと思いきや、客単価低めの川床カフェが増殖を始め、
当サイトでもこの新たな魔境の状況へ向き合うべく、鴨川川床カフェめぐりなんてのやらかしました。
しかしその際、特に伝統的でも革新的でもない珈琲や甘味を食らいまくって胸が悪くなり、
本来押さえておくべきショコラ川床たるサロンドロワイヤル京都本店を、特攻し損なってたのです。
サロンドロワイヤル。京都より大阪で馴染みが深い、老舗ショコラティエと言っときましょうか。
そのサロンドロワイヤルが近年、木屋町御池の辺で、川床付きの京都本店をオープン。
バリバリの外来スイーツ店ながら、大半のカフェ床が閉まる6~8月に夜間営業を行うことも手伝い、
早くも床シーンにおいてマスト的な認知度を誇るくらいの人気を獲得するに至ってます。
そんなサロンドロワイヤルの川床、床自体の終了間際である9月末の昼に特攻してみました。
秋風を感じながらの、不毛な夏の落ち穂拾い。または、鴨川川床カフェめぐりの完結篇。
阿呆な動機でやらかした散財気味の甘味食いまくり、御笑覧下さい。

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京都岡崎レッドカーペット2014へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年9月21日(日)


京都岡崎レッドカーペット2014へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「アーキテクチユール」 すなわち 「Architecture」 の本義は、
「実躰を Building に籍り形式を線條躰裁に訴へて眞美を發揮するに在る」 がゆえに、
その訳語を 「造家」 より 「建築」 へ改めるべきと主張したのは、日本近代建築の祖・伊東忠太
京都の平安神宮は、そんな伊東が帝大院生時、共作ながらデビュー作として手がけた 「建築」 です。
明治28年、平安遷都千百年祭紀年祭のために平安京・太極殿の縮小ハリボテを岡崎に作ったら、
勢いでマジ神社化したという、 「仏作って魂入れず」 の真逆を行く創建経緯を持つこの神社に、
伊東らは 「古都」 としてのもっともらしさ、もとい、復古的な 「眞美を發揮」 するビジュアルをデザイン。
一歩間違えれば、万博パビリオンかネズミーランドに祈りを捧げるような奇景が生まれてた所を、
「眞美」 により見事超克し、今なお魅力と魔力が稼働し続ける 「建築」 として仕立て上げたのでした。
京都三大祭のひとつにして例大祭であるヒストリカル・コスプレ・パレード aka 時代祭に於いても、
平安神宮が持つもっともらしさ、もとい、復古的な 「眞美」 は、強い魅力と魔力を 「發揮」 してますが、
一方、復古的ではないのに何か 「平安神宮的」 な魔力を持つイベントも、この神社にはあります。
それが、毎年9月中旬に応天門前の神宮道にて開催される、京都岡崎レッドカーペットです。
要は、門前に赤絨毯敷いて各種パフォーマンスを行うという、行政絡みの振興策みたいなもんですが、
ヲタ動員を狙ってコスプレなどの風味も大量導入されてるため、その外観は極めて、魑魅魍魎。
特に2014年は、映画の宣伝で 『機動警察パトレイバー』実物大ハリボテまで御覧のように屹立し、
その真前ではフラダンスが行われるなど、 「状況、カオス!」 と叫ぶしかない事態が現出してます。
しかしそのカオス状況は、宗教ネズミーランド化しかねなかった平安神宮にある意味で相応しく、
また近代化の真中を進む一方で幻獣を愛し、作品にも混入させた伊東が喜ぶものかも知れません。
と、本気で思うかといえば、これも無論もっともらしさを 「發揮」 すべく吐き散らした大嘘ですが、
とにかくハリボテとコスプレが百鬼昼行する赤絨毯、行ってきました。

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2014年祇園祭・山鉾巡行の後祭巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年7月24日(木)


2014年祇園祭・山鉾巡行の後祭巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

このサイトでも何度か書いてますが、祇園祭の主役はあくまでも、神輿です。
山鉾巡行の果てしなき観光化+宵山の人間大密集のため、印象は薄いかも知れませんが、
17日の神幸24日の還幸こそが、祇園祭の最重要行事、スピリチュアル・コアなのであります。
そもそも山鉾巡行は、この神輿の巡幸路にいる疫神を集め浄めることこそが、本来の役目。
なので、本当は24日の還幸に於いても山鉾は、露払いとして巡行で道を浄めなくてはなりません。
が、その巡行すなわち後祭巡行は、2013年までの実に半世紀近くの間、無くなってました。
後祭。あとまつり。10基の山鉾による巡行が行われ、 「あとのまつり」 の語源ともされる、後祭。
そんな後祭は1966年、交通や観光への配慮で山鉾巡行が前祭の17日へ統一されたため、消滅。
以来、この合同巡行は48年に亘って続き、24日に山鉾が建つことは長らくなかったわけです。
半世紀近い時間が経過する間には、後祭を知らない世代も、大量増殖。というかむしろ、主流化。
「山鉾巡行 = 17日」 以外の認識を持ってる人は、現在では少なくなっているのも現実でしょう。
しかし、祭の当事者の方々は当然というか何というか、後祭の復活がずっと悲願であり続けたようで、
特に2010年以降になると、まるで不況に反比例するかの如くその動きが活性化+具体化。
再建が絶対に無理と思われていた後祭の最後尾・大船鉾が、まず150年ぶりに復活してしまい、
後祭そのもの復活も、2014年、ジャスト半世紀から少しフラゲする形で成されてしまったのでした。
というわけで、復活したその後祭巡行、特攻であります。先週の前祭に続き、特攻であります。
が、そもそも 「特攻」 となる混雑が生じるほど、人は来るのか。10基による巡行に、人は来るのか。
そもそも巡行自体、どうなるのか。 「新設に近い」 とも言われる巡行自体、どうなるのか。
単に、前祭と同じ混雑が出来するのか。それとも、今まで見たことのない景色が現出するのか。
その辺を目撃し、またも歴史の一証人となるべく、週跨ぎで追尾してみました。

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祇園祭・後祭の山鉾曳初めへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年7月20日(日)


祇園祭・後祭の山鉾曳初めへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

曳初め。読みは、ひきぞめ。いわゆる、山鉾の試し曳きのことです。
巡行の一週間あたり前から始まる鉾建て&山建てにより路上へ姿を現わした山鉾は、
問題なく運行が出来るかどうかをチェックする試運転が行われますが、これこそが、曳初め。
本番の巡行では、屈強なるボランティアや学生で構成される曳き手がエンジンを担うわけですが、
曳初めに於いて縄を引っ張るのは、その場に居合わせた、年齢も性別も不問の一般人大勢。
つまり、誰もが鉾を曳く体験が出来るわけであり、故に本番とは違う熱気に溢れる行事となることは、
うちでも2012年の長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾・鶏鉾・月鉾の曳初め記事にてお伝えしてる通りです。
で、その曳初めへ再び特攻してみたわけですが、今回は2012年と事情が大きく異なります。
山鉾巡行の本義は、17日神幸24日還幸で巡幸する八坂神社の神輿の露払いにこそあるので、
17日は前祭として、24日は後祭として、週またぎで2回開催するのが、正しいフォーマット。
しかし高度成長期の1966年、渋滞の緩和や観光客の集客、また日常業務のストップを回避すべく、
後祭の山を前祭の後尾につける17日の合同巡行が始まり、それが半世紀近く続いてました。
そんな後祭が、2014年、復活。で、今回出かけたのは、その復活した後祭の曳初めであります。
実に49年ぶりの、後祭の曳初めであります。後祭 「列」 の曳初めでなく、後祭の曳初めであります。
また今回は、150年ぶりに復活する大船鉾の路上走行デビューも、大きなトピックでしょう。
蛤御門の変の際に焼失して以来、100年以上に渡り居祭りを続けてきた四条町の大船鉾ですが、
90年代以降の囃子方の復活+無形文化遺産登録+ヨドバシでの何ちゃらかんちゃらに加え、
京都青年会議所+京都ライオンズクラブ+一般寄付もあり、超ド級の鉾の再建をこの時代に実現。
バブル期でさえ絶対無理と思えた難事業を成し遂げ、めでたく 「出港」 の日を迎えたわけです。
その威容を一目見たいと集まった群集が形成する人間の海へ、堂々と 「出港」 する様を、
私もまた人間の海の一部となって拝み、歴史の一証人となったのでした。

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2014年祇園祭・山鉾巡行の前祭巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年7月17日(木)


2014年祇園祭・山鉾巡行の前祭巡行へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇園祭山鉾巡行、恒例となった追尾の2014年度版であります。
いや、山鉾巡行に関しては正直、特に毎年追っかけようと思ってたわけではありません。
無論、京都観光のキング・オブ・キング、最早アイコンそのものと言える祇園祭のメインイベントを、
ベタスポット&ベタイベントの単独特攻を旨とするうちが、看過するわけには行かないでしょう。
しかし、毎年やるのはどうかと思ってます。より明確に言うなら、やりたくないと思ってます。
だって、しんど過ぎるし。比喩とか誇張でなく、リテラルに死の恐怖を感じるくらい、しんど過ぎるし。
憤死しそうな暑さが満ちる7月の京都で、人間が密集する中を走り回るなど、狂気の沙汰だし。
それに、他の三大祭も、別に毎年行ってないし。というか、祇園祭の他の行事も、全然行ってないし。
山鉾巡行だけ毎年毎年追いかけ続けなくてはならん理由は特に無い、という話なのであります。
にも関わらず毎年毎年追いかけ続けたのは、ここ数年の山鉾巡行に大きな変化が立て続けに起こり、
その変化が如何なる影響を及ぼしてるかが気になり、実態を見届けたかったからに他なりません。
2012年には、蛤御門の変の大火で焼失した大船鉾が、唐櫃ながら150年ぶりに巡行へ復帰。
2013年には、その大船鉾が本来最後尾を務めていた後祭巡行の2014年復活が決定したため、
半世紀に渡り続けられてきた、32基の山鉾が一斉に揃う17日の合同巡行が、最終年を迎えました。
そして今回2014年は、後祭が復活するのであります。24日の巡行が、復活するのであります。
それに伴い、17日の巡行は前祭の巡行となり、全23基の山鉾にて行われるのであります。
これはもう、歴史的な事態です。混雑や疲労やアウェー感を、どうこう言ってる場合ではないのです。
行かないわけには、いかないのです。というわけで、今回もまたまた追尾ということにしたのです。
本義へ立ち返り、神輿巡幸に対応した本来のフォーマットの巡行が、どういうものになるのか。
恐らく現行世代の大半が初めて目にすることになる 「本物」 の巡行は、如何なるものになるのか。
そして、それでもやっぱり気になる混雑・客層・ひとりの気まずさなどは、どうなるのか。
そのあたりを見届けるべく、またしても灼熱の四条通へのたくりこんだのでした。

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上賀茂神社へ斎王代御禊の儀を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年5月4日(日)


上賀茂神社へ斎王代御禊の儀を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

斎王代になる方法」 という検索ワードで飛んで来る方が、
うちのようなチンピラ or アングラ or ゲテモノサイトにも、たまにいらっしゃいます。
かつて伊勢神宮 or 賀茂社に奉仕した未婚の女性皇族・斎王を、戦後に民間の手で再現し、
京都三大祭のひとつ・葵祭路頭の儀に於いては文字通り花形として降臨する、斎王代
そんな斎王代になりたい、と。なる方法が知りたい、と。検索したらどっかにあるだろその方法、と。
しかし、斎王代の選考過程は公にされておらず、そもそも一般公募も特に行われてはいません。
やはり三大祭のひとつ・祇園祭に於ける最大のミステリーである長刀鉾の生稚児と同じく、
誰も知らないところで決定され、でも決定したら誰もが知ってる家の子弟だったりするのであります。
要するに、そういう類のもんなのであります。なろうと思ってなれるもんでは、ないのであります。
ゆえに、 「斎王代になる方法」 などという情報は、うちの如きチンピラサイトにあるわけがなく、
またそんなもんは最初から存在もせず、一番の近道は結局 「来世に賭けろ」 となるのであります。
あ、私は別に 「斎王代は公募で民主的に決めるべき」 とか思ってるわけではありませんよ。
むしろ、逆です。そういうのがあってもいい、と思ってます。何か、人類の教養みたいなもんとして。
それに、誰より斎王代になった当人が、なった理由ゆえに不条理を感じてるとも限りませんしね。
糞暑い十二単着せられて不条理、とかね。ムサいカメに写真撮られまくって不条理、とかね。
図々しく撮る奴も不快だけど、私みたいに申し訳無さげに撮る奴もこれまた不快で不条理、とかね。
そんな大変かも知れない斎王代が、本番たる葵祭・路頭の儀の前に行うのが、御禊の儀。
上賀茂神社 or 下鴨神社にて身を清め、 「天皇の御杖代」 の資格を正式に得るという儀式です。
リアル斎王は、この御禊&路頭の儀だけが斎王の御所 = 斎院から外出できる機会であり、
ゆえに都大路にはその雅な行列を一目見んと、貴賎問わず多くの群衆が集まったそうですが、
現代の御禊の儀もまた、往時の如き賑わいがしっかりと現出する神事になってます。
雅と雅ならざるものが交錯するそんな御禊、行ってきました。

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北野天満宮の梅花祭へ行って、野点を拝服してきました。もちろん、ひとりで。

2014年2月25日(火)


北野天満宮の梅花祭へ行って、野点大茶湯を拝服してきました。もちろん、ひとりで。

一年の生活を、神社や寺院の暦と共におくる京人は、毎年二月二十五日は、梅の花の訪れだとはな
しあう。二十五日は、菅公の命日である。毎月、天満宮に市がたつが、二月だけは、特別、 「梅花祭」
がひらかれた。もともと、この 「梅花祭」 は、梅を愛した菅公の命日に因んだもので、古くからこの日
だけ、 「菜の花御供」 とよばれる祭典があり、その年の五穀豊穣を祈願して、菜の花をさした白米が
供えられ、宮中からも、代参者がきた。奉納神楽や式典もある。だが、どちらかというと、この日は、
上七軒の芸妓連中が献茶をうけもつ 「梅花祭」 の方が有名だ。
水上勉 『北野梅花祭』 )

という、北野天満宮梅花祭。祭神・菅原道真公の命日に、梅を愛でる催しです。
有能ゆえ家格を超え昇進するも、それを嫉んだ藤原時平により大宰府へ流され死んだ、菅公。
呪いのあまり雷神と化して、陰謀関係者各位へ片っ端からローリングサンダーを叩き込み、
頼むからもう勘弁してくれということで創建されたのが、菅公を主祭神とする北野天満宮であります。
つまり梅花祭は、北野天満宮 = 天神さん創建の本義に関わる極めて重要な祭儀なのであり、
ゆえに伝統の本質と信仰の大義を重要視する当サイトでは、2011年度の梅花祭訪問時において、
カメと見物客が群がる野点には目もくれず、参拝および梅苑の鑑賞に明け暮れたのでした。
「本当は、単に茶券が売り切れてたんだよ~ん」 「1500円の茶券代も、ケチりたかったんよ~ん」 と、
魂の底から妖しき声が響かないでもないですが、とにかくお茶は意図的にスルーしたのです。
しかし、うちのそもそもの趣旨は繰り返し書いてる通り、あくまでもメジャーどころの単独正面突破。
水上勉でさえ、やたら読点の多い文章で 「野点の方が有名」 みたいなことを書いてる以上、
上七軒の芸舞妓さんによるお点前が披露される茶席を、スルーし続けるなど、断じてありえません。
というわけで今回は、野点大茶湯への単独特攻を含めた形で、梅花祭を改めて訪問。
無論、をどり特攻の際と同じく前売券には手を出さず、玉砕覚悟の飛び込みで行ってみました。
梅と茶と人間の渦巻く中で、春をフラゲしようとする試みの一部始終、御覧下さい。

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石清水八幡宮の夏の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月20日(土)


石清水八幡宮の夏の夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「そうだ 京都、行こう」
「人の住んでる所を、そうだ呼ばわれすんな」 と言いたくなるこのフレーズが、
JR東海による新幹線の広告キャンペーンに使われるようになり、もう20年もの時間が経ちました。
東京から2時間というタイム感を、 「そうだ」 という無礼千万な一言を用いて表現したことで、
より京都旅行をカジュアルに、そして気軽にリピートさせることにも成功した、「そうだ 京都、行こう」 。
古典的なパックツアーを、行き先だけちょこっと目先を変えて 「上質」 なるものに化けさせ、
おかげで狭い寺に大量動員をかけ、無茶苦茶な混雑を生んだりもしてる、「そうだ 京都、行こう」 。
自分で勉強したり調べたりするのは面倒だけど、 「私だけのお気に入り」 の京都は欲しい。
知性を圧迫してエゴだけが膨張した消費者の、そんな勝手極まるニーズにもしっかりと応え続け、
京都もまた奥が深いがゆえに、無茶な注文に対応が出来てたキャンペーンなわけです。
しかし、さすがに20年もやってるとネタ切れとなったのか、「そうだ 京都、行こう」 、
遂に私の地元である石清水八幡宮にまで、その魔の手を伸ばしてきました。
「まあ神社自体はそれなりに大きいけど、それ以外は特に目ぼしいスポットは、ないぞ」
「女子供に受けがいいメシ屋やスイーツなんか、全然ないぞ」 「夜なんかもう、ゴーストタウンだぞ」
と、地元民としては思うことしきりだったりするんですが、そんなのは全て、杞憂でした。
石清水八幡宮、従来は石清水灯燎華で3日間しか行われなかったライトアップを、
キャンペーンと提携した 「夏の夜間特別拝観」 として、7月中旬から8月末まで、1ヶ月半も開催。
地元商工会も、これを機に観光客を呼び込もうと、特設ステージやイベントを用意
「私のお気に入り」 になることを、目指すというわけです。鳩が、鷹になろうというわけです。
そんな地元の奮闘、 「絶対無理じゃ」 と思いながらも、観に行ってきました。

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山鉾を一切見ずに2013年の祇園祭・山鉾巡行を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2013年7月17日(水)


山鉾を一切見ずに祇園祭・山鉾巡行を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

菊地成孔+大谷能生 『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』 では、
マイルスの最高傑作である 『Kind Of Blue』 について、一切言及がなされてません。
アーティスト研究を行う上で、外すことが絶対出来ない作品を、敢えて空白にするという、暴挙。
そして、対象の中心を隠蔽するその暴挙が、対象の本質をより浮かび上がらせるという、マジック。
よくわからんけど、そういうの、何か格好いい。よくわからんけど、そういうの、やってみたい。
という高踏極まる動機から、2013年の山鉾巡行追尾は、山鉾をほぼ一切見ずにやってみました。
祇園祭の顔、いや、京都観光のアイコンとも言える山鉾巡行の中心を、敢えて隠蔽する。
その暴挙により、京都観光、いや、京都そのものの本質を、浮かび上がせてみようと思うのです。
いやあ、格好いい。こんなことを思いついた俺、実に格好いい。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。
えと、いや、あの、山鉾隠蔽には他にも一応、動機があります。後祭の復興が、そうであります。
観光集客力アップ+交通規制日削減+仕事止まるの堪忍しとくれやすなどの理由から、
元来は17日前祭+24日後祭の2回開催だった山鉾巡行が17日に一本化されたのは、昭和41年。
以来、巡行が持つ信仰の空洞化&周囲の馬鹿騒ぎ化は果てしなく進行したわけですが、
そんな高度経済成長期的アホアホメタボリズムを捨て、2014年、後祭が復活するのであります。
それは、当事者である山鉾町の人たちにとっては当然、悲願の旧儀復興となるのでしょう。
が、私のような外野の人間からすると、「昭和の無形遺産が消える」 という印象がしなくもありません。
馬鹿のような暑さの中で、馬鹿のような混雑の中を歩き回り、巡行後半は客の大半が半死半生。
そんな 「昭和」 な馬鹿騒ぎが、消えるかも知れない。そう思うと、少し寂しくなったのです。
という意味不明な感傷+先述の中二病+おまけに当日の天気も今イチで写真が撮りにくいため、
思い切って山鉾には目を向けず、肥大化の末に消えていく外縁ばかりを見つめてみました。
やはりマイルスのアルバム 『In A Silent Way』 の 「Shhh/Peaceful」 において、
テーマを全カットした編集が音響の新しい地平を開いたようなマジックが、ここでも起こるのか。
それとも、ただ単に 「肉抜きの牛丼」 みたいなもんに成り果てるだけで、終わるのか。
中心を隠すことで浮かび上がった本質、その目でお確かめ下さい。

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祇園祭の宵宮祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年7月15日(月)


祇園祭の宵宮祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇園祭を 「二つの祭が同時進行している」 と言ったのは、山路興造
いわく、平安期から八坂神社主体で行われている神輿渡御が中心の 「祇園御霊会」 と、
中世以降の下京町衆主体で行われる山鉾巡行中心の 「祇園祭り」 が、同時進行している、と。
( 平凡社刊 『別冊太陽 京の歳時記 今むかし』 中 「月次の京・七月」 の項より )
もちろん実際は、両者は密接に関わり合い、山鉾巡行もそもそもは神輿渡御の先触れです。
が、現場を歩くと、山鉾町と八坂神社近辺で空気が違うと感じられるのもまた、確かだったりします。
山鉾町に漂う、むしろこちらを 「御霊会」 と呼びたくなる、闇や恐怖さえ孕んだ独特の雰囲気。
そして八坂神社と門前の祇園町に漂う、一転してオーソドックスかつ大らかな、神祭りの雰囲気。
いろんな意味&点でややこしそうなので、私には何もわからんとしか言えない話ですが、
とにかく空気の違いは明白に存在し、その辺がクリアになるのがこの宵宮祭以降ではないかな、と。
もう充分に知られてるようで、案外やっぱり知られてないようですが、祇園祭にも神輿は出ます。
神輿は無論、神様の乗り物。ゆえに、神輿が出る場合、本殿から神様を遷す儀式が、必須。
というわけで、祇園祭でもこの儀式は当然執行され、行われる日は神幸の2日前である、7月15日。
一般的には 「宵々山」 の夜に、八坂神社では 「宵宮祭」 として遷霊神事が行われるわけです。
遷霊の儀式そのものは、境内の照明完全オフ+撮影も完全禁止という、極めて厳粛なもの。
厳粛過ぎて、何やってるのかわからんくらい地味だったりしますが、とにかく、極めて厳粛なもの。
しかし、門前の祇園商店街は、 「宵宮神賑奉納・前夜祭」 として様々なイベントを開催。
その賑わいの空気が、先述のように山鉾町とはちょっと違うテイストなのが、面白かったりします。
そんな宵宮祭、混雑の酷さは山鉾町よりほんの少しだけマシ or ほぼ変わりませんが、
より本義に近い儀式と賑わいの香りを嗅ぐべく、突っ込んでみました。

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宮川町歌舞練場へ京おどりを観に行きました。もちろん、ひとりで。

2013年4月8日(月)


宮川町歌舞練場へ京おどりを観に行きました。もちろん、ひとりで。

宮川町。言うまでもなく、京都五花街のうちのひとつです。
川端四条の南、祇園祭の神輿洗式が行われる鴨川 = 宮川のほとりにあって、
伏見城方広寺建設で大和大路が賑わった時代あたりから、茶屋が並ぶようになり、花街化。
近くの河原では出雲阿国歌舞伎を創始し、現在も残る南座を始めとして芝居小屋も林立、
さらには美少年の歌舞伎役者が女犯禁止の僧侶相手に男娼となる 「陰間茶屋」 でも名を売るなど、
実に 「聖」 と 「芸能」 と 「俗」 が濃厚に入り混じる、花街らしい由緒を誇る街であります。
「俗」 「裏」 は時を経るごとに後景化、昭和33年の売春防止法施行以降は芸舞妓一本となり、
現在は観光テイストが濃い甲部のお隣にあって、比較的ネイティブな花街の存在感を見せてます。
京おどりは、そんな宮川町の芸舞妓はんらが芸を披露する、春の舞踊公演。
「京をどり」 ではございません。あくまで、「京おどり」 。何故かは全然知りませんが。
初演は昭和25年と、明治スタートの都をどり鴨川をどりなどと比べると割と最近ですが、
楽しんでもらうことをモットーとした若柳流の振付で、観光客のみならず地元にも愛好者、多し。
で、そのおどりへ行ってきたわけです。もちろん、予約とか一切なしの、飛び込みで。
私は知ってます。 「京都 をどり チケット」 で検索をかける人間の多さを、私は知ってます。
うちみたいな零細サイトにさえ、どれだけの人がそのワードで飛んでくるかを、私は知ってます。
本当に観たいなら、事前にチケットを確保した方がいい。わかってます。でも、しない。
何故か。面倒くさいから。あと、飛び込みでどれくらい行けるか、確認したいから。
というわけで、また手ぶらで特攻です。よい子は真似しちゃ、駄目。

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金閣寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年11月25日(日)


金閣寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「また焼いたるぞ」 。
昭和25年7月3日、21歳の学僧による放火で金閣が全焼した翌日、
住職・村上慈海との会見を許された産経新聞記者・福田定一、のちの司馬遼太郎が、
庫裏の黒板に書かれてるのを見て 「異常な気分になった」 という言葉です。(水上勉 『金閣炎上』
再建前の金閣が、狂気に近い嫉妬を駆らせるほど美しかったのか、私にはよくわかりません。
水上三島の作品で、紙面から精液の匂いがしそうなほど独男的に描かれた学僧の、
恐らく実際その通りであっただろう心の内も、わかるような気はするけど、正直よくわかりません。
でも、その場の勢いで思わず黒板に 「また焼いたるぞ」 と書いてしまうような、
ボンクラ極まる調子乗りたちの持ってた 「異常な気分」 は、少しわかるような気がします。
超メジャーな観光寺院として金が入りまくり、宗教面と齟齬を起こしてたという、当時の金閣寺。
そんな矛盾の中で、札束の海へ泳ぐのでもなく、放火テロで腐敗を弾劾するのでもなく、
時折憂い、時折おちょくり、時折怒ったりしながら、その場にへばりつき続ける、大半の凡夫たち。
その姿は、歴史や文化に深い愛情や尊敬の念を抱くと共に、冷笑&嘲笑もやらかし、
「金にならんかな」 てなことも思いつつ、こんなサイトやってる自分と変わらぬものに思えるのです。
と同時に、凡夫に支えられ、焼かれることもなく、美を提供し続ける再建金閣そのものが、
金欲と信仰の矛盾の真っ只中を生き、伝統を誇りながらも実は大して古いものはない京都の、
美の側面と俗の側面を極限までデフォルメした自画像のようにも思えたりするのです。
ある意味で、金閣は最も京都的な寺なのかも知れません。故に、地元からは忌避されるという。
あなた、そう思いませんか。全然、思いませんか。実は私も、あんまり思いません。
そんな金閣、秋の紅葉大混雑シーズンに、銀閣に続き特攻してみました。
炎のような紅葉に囲まれた美と俗の様、ご覧ください。

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鞍馬の火祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2012年10月22日(月)


鞍馬の火祭・後篇、いよいよ祭本番です。

鞍馬の火祭は、ただいたずらに松明を大量に燃やして、
アホの外人が 「ファ━━イアァ━━━━ッ」 などと絶叫するだけのものではありません。
ちゃんと神輿も出ます。神幸祭なのですから、本殿から御旅所へ向けて、ちゃんと神輿も出ます。
天皇の病や天変地異に際し、五条天神と共に社前へ閉門・流罪の印である靫を掲げられ、
スピリチュアルなスケープゴート的役割を担ってきたという、靫明神 = 由岐神社
そして、現在はその由岐神社の相殿に 「客神」 として合祀されているものの、
かつては鞍馬寺の鎮守社であり、鞍馬山上に独立した社殿も構えていたという、八所大明神。
この二神を乗せた神輿が、鞍馬の町を巡幸することこそ、鞍馬の火祭の本義なのです。
本当かどうかは知りませんが、元来の鞍馬の火祭は、ここまで松明燃えまくりだったわけではなく、
神輿と剣鉾こそが祭のメインという、極めてオーソドックスな神幸祭の形を持ってたとか。
もちろんそれは、祭の本義というものを考えれば、当然といえる話であります。
やはり重点的に見るべきは、燃えさかる松明ではなく、神輿ということになるのであります。
百数十本の松明が鞍馬寺門前に集まる松明集合も、本義を考えれば、見なくていいのであります。
凄まじい炎の中で行われるという注連縄切りも、本義を考えれば、見なくてもいいのであります。
「これを見なければ、鞍馬の火祭を見たことにならない。絶対、見たい。見せろ」 と、
怒り出す奴がいたとしても、本義を考えれば、見なくてもいいのであります。
と、先の流れがほとんど読めること書いてますが、鞍馬の火祭レポート、いよいよ本番です。
セコいコネ使って民家へ上がり込んだり、隅っこで屏風見てクールな観察者を気取ったりせず、
超絶的な混雑へ真正面から特攻したらどうなるか、それを全身で確認してきました。
火の粉の中で燃え上がる、怒り、苛立ち、徒労、疲労、絶望、尿意、空腹、
そして興奮や歓喜などを、とことん体感的に御堪能下さい。

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