無鄰菴 - ひとりでうろつく京都 (β版)

無鄰菴へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月28日(木)


無鄰菴へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「俺流」 。反吐が出る言葉です。
教養が、無い。それを気にしない度量も、無い。にも関わらず勉強は、しない。
でも、何かしたい。 「したい」 という気持ちのままに、したい。素直な気持ちのままで、したい。
それが、何故か許されると思ってる。何なら、積極的に許されなければならないと思ってる。
許されないと、怒り出す。 「後向きだ」 「揚げ足取りだ」 「重箱の隅つつきだ」 などと、怒り出す。
そんな、腐った臆病さ+狂気に近い鈍感さ+可愛げの無い甘えのコラボが生む、 「俺流」 の世界。
反吐が出ます。いや、何故出るかといえば、私も紛れもなく 「俺流」 な奴だからなんですけど。
金も能力も権力も無い私のような 「俺流」 男の場合、こんな性根の腐ったサイトの更新にいそしみ、
安全圏にて箱庭的世界を作り 「全てが自分の思い通り」 と悦に入る傾向があるわけですが、
現実的に金や権力がある 「俺流」 男の場合、作る 「箱庭」 もまた現実的になる傾向があるようです。
要は、本当に庭を造ってしまうわけですね。別荘とかに。それも、作法無視の 「俺流」 で。
京都・岡崎の名勝・無鄰菴もまた、そんな 「俺流」 感に溢れた庭園と言えるのではないでしょうか。
「京都に於る庭園は幽邃といふことを重にして、豪壮だとか雄大だとかいふ趣致が少しもない」
「多くは規模の小さい、茶人風の庭であって面白くないから、己は己流儀の庭園を作ることに決した」
(黒田天外 『続江湖快心録』 。但、鈴木博之 『庭師 小川治兵衛とその時代』 より孫引) と、
正に 「俺流」 な宣言の下にこの別邸を建てたのは、近代日本の政治史に君臨する、山縣有朋
「ほんなら田舎帰るか、東京で作りなはれ」 という顰みを踏み潰し、植治の手を借り作ったその庭は、
東山を借景とした芝生の庭に疏水が流れるという、何というかこう、のびのびした世界を、現出。
まるで吉本芸人の映画の如き 「俺流」 加減ですが、しかし山縣のこの 「俺流」 は結局、
現代人の我々が一見して 「あっ、成り上がりの庭っ」 と脊髄反射で思わずにはいられないほど、
近代大型和風庭園の原型として、後世の成り上がりたちに影響を与えたのでありました。
そんな 「俺流」 の偉人が作った 「俺流」 な無鄰菴、紅葉も綺麗と言われたら、
「俺流」 の末席を汚す者としては、行かぬわけにはいかぬでしょう。

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