パワースポット - ひとりでうろつく京都 (β版) - Page 2

鞍馬寺の五月満月祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年5月17日(火)

鞍馬山から見た満月
鞍馬寺の五月満月祭 (ウエサク祭)へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

天上と地上の間に栄光の通路が開かれるという、五月の満月の夜。
宇宙より降り注ぐ高次元のエネルギーを身に受けながら、聖水を捧げ、灯を供え、
すべての「めざめ」のため、尊天・大魔王尊に皆で祈るのが、鞍馬寺の五月満月祭です。
魔王尊とは、650万年前に金星より鞍馬山へ飛来した神。別名、サナート・クマラ。
意志・力・勇気・創造・破壊・進化の神にして、人類の父であり、宇宙の大霊・大光明・大活動体。
地下空洞の支配者でもあり、北欧・ヒマラヤ・南米・そして鞍馬山の4ヶ所より自由に出入り。
また人類救済のため、キリストや仏陀を現世に投入。あと、永遠に16歳。
鞍馬寺はこの何でもありな魔王尊を本尊 = 尊天として、千手観音や毘沙門天の背後で密かに信仰、
五月満月祭もまた完全クローズドで密教的に500年以上行われてきましたが、
昭和20年代に至りこの儀式がヒマラヤ山中で行われるウエサク祭と酷似していることが判明。
のみならず、タイ・ミャンマーなどの南方仏教圏でも同様の儀式が脈々と続いてることも判明。
金星経由で魂が世界とリンクしてることを確信した鞍馬寺は、魔王尊を一気に前面へ押し出し、
鞍馬弘教総本山として天台宗より独立、この五月満月祭も一般に広く公開することを決定。
「ウエサク祭」の名を併記し国際的祭典となった現在では、三部構成で朝まで続く儀式に、
多くのヤバい人、もとい、カルトな人、もとい、信仰深い人がオールナイトで集まるようになりました。
何というか、「パワースポット」とか「スピリチュアル」の権化の如き世界なのであります。
「五月満月祭」でググると、それはもう、ヤバ気なサイトばっかりヒットするのであります。
怖いのであります。でも、好奇心には勝てないのであります。

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将軍塚のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年3月27日(日)

京都市街上空を飛ぶヘリ
将軍塚大日堂庭園のライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

いきなりベトナム戦争なトップ画像、恐縮です。
別段、このヘリが将軍塚へ降りてくるというわけではありません。たまたま飛んでただけです。
ただ、こんな写真が簡単に撮れるくらい、将軍塚は結構な山の上にあるということであります。
平安京造営に際し、征夷大将軍・坂上田村麻呂の像を埋め王城鎮護としたという、将軍塚。
桓武天皇はここから下界を見下ろして平安遷都を決めたというほど眺望が良好な、将軍塚。
しかし時が下った現代ではその眺望が仇となり、京都有数のドライブ&夜景スポット化。
夏ともなれば、無料展望台を目指して不埒な輩が夜ごと車で東山ドライブウェイを駆け上がり、
思い出を持って帰る代わりに道沿いへゴミを不法投棄したりする地となりました。
しかし現在の将軍塚、果てしなく俗化&劣化してるかといえば、そんなこともありません。
徒歩アクセスは今もなお困難を極め、己の足で訪れる者には未だ強い聖性を保持。
それに将軍塚本体は、青連院飛地境内にあたる大日堂が有料区域に入れ、しっかりガード。
ここには有料の展望台と庭園もあり、春と秋には庭園のライトアップなんかも開催しますが、
認知度は低く、隠れたパワースポット(笑)としての存在感もキープ。
もちろん桜が本咲きになればそれなりに人は来るので、その前に聖なるライトアップを楽しもうと、
芽さえ出てない時期にひとり、山を登ってみました。もちろん、徒歩で。

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狸谷山不動院の初不動へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年1月28日(金)


狸谷山不動院の初不動へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「効き目が強いパワースポットは、都の周辺部に多い」。
「パワーを通り越して霊気そのものを発する妖しいスポットも、都の周辺部に多い」。
興味本位の軽い気持ちで京都のパワスポ巡りや恐怖スポットへ出かけたことのある人なら、
そんなことを思うかも知れません。実感として 「ちょっとアクセス不便なとこ、多いなあ」 と。
もちろん、本当にヤバい所というのは、京都市街の中心部にもいくらでもあります。
郊外のその手の物件は、土地取得が容易だったり、放置 or 廃棄が容易だったりするために、
ヤバさがド派手化 & 大型化して、わかりやすい形になっただけとも言えます。
しかし、「ちょっと不便」という距離感そのものが魅力の根源になってるとも考えられるのであり、
スポットの強度や性質もまた距離に規定される、と思えないこともありません。
「ちょっと不便だけど、頑張って行った」 という行為によって何かが救われるタイプの、思い。
逆に頑張り過ぎてマジな修行の領域に入ると、全部が昇華されてしまいそうなタイプの、思い。
一乗寺から坂を上った先の山奥にあり、パワースポットを自認している狸谷山不動院は、
そんな距離感の思い・願望を、真正面から受け止めている寺ではないでしょうか。
本尊・咤怒鬼(たぬき)不動明王から来る「他抜き」 という語呂合わせな勝負の願いから、
ガン治癒祈願、そして自動車祈祷と、そのご利益は極めて切実、かつ現世的。
桓武天皇の勅命で建てられながら、戦後に至ってようやく本格的に復活したという経緯もあり、
より 「今」 な問題へ向き合う姿勢を打ち出し、それにより多くの信奉者を集めています。
そんな狸谷山不動院の一年で最初の縁日が、初不動
大護摩供養が行われるんですが、その火で暖められた笹酒が無料で振舞われます。
しかも、おかわり自由。「狸谷飲放題」 という異名もあり。行くでしょ、そりゃ。

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クリスマス・イヴの伏見稲荷へ行きました。もちろん、ひとりで。

2010年12月24日(金)


クリスマス・イヴの伏見稲荷へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!!
聞けば、クリスマスというのは、キリストの誕生日ではないんだそうですよ。
2000年も前の大工の子倅が生まれた日なんか、誰もわからんそうです。そりゃそうですよね。
古代ローマの太陽祭に、キリストの生誕祭を乗っけたのが、いわばクリスマスの起源。
習合みたいなもんでしょうか。ローマの祭りですから、乱交も 「込み」 だったのかも知れません。
太陽の復活を祝い、豊穣を祈り、グチャグチャに交じり合う祝祭としての、クリスマス。
それが本当なら、「聖夜は愛する人と二人きり」などと近代的な恋愛観に基づいた戯言や、
「大事な家族と一緒に」などと現代的な家族観に基づいた戯言を言ってる場合ではありません。
入り混じらなければいけないのです。人も神も、見境なく、入り混じろなければいけないのです。
というわけで、大量の神々と全身で交わりまくるべく、聖夜の伏見稲荷を訪れました。
あらゆる御利益神が見境なく溢れる稲荷山ですから、どっかにクリスマスに効く神もいるはずです。
そのクリスマス神へ深き祈りを捧げ、是非ともクリスマス神力を発動していただき、
消費社会の上澄みのみを祝福する現代日本の偽クリスマスを、一掃してもらうのです。
吹けよ、クリスマス神風。唱える祝詞はもちろん、メリークリスマス!!

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