ひとりで京都でクリスマス - ひとりでうろつく京都 (β版)

クリスマス早朝の清水寺へ行きました。もちろん、ひとりで。

2010年12月25日(土)

早朝の清水寺・舞台から京都タワーを望む
クリスマス早朝の清水寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

 亡き母からのご縁がふかく、私は三十余年の間、毎朝お参りをさせて頂いております。朝早よう起
きて、祇園さんから二年坂、三年坂、その角の七味屋さんのとこの石段あがって、まだ起きといやし
まへん土産もんのお店のならぶ清水坂をのぼりきると、清水さんの大石段、楼門に、三重の塔を霧
の中に見上げますともう、心のふるさとにきた思いです。音羽の滝のお不動さんに、手をあわして拝
がみ、お水を杓でいただき口に含むときのさわやかさ、いっぺんにゆんべからの気しょくの悪かった
ことも拭うて下さるようにすうっと消え、しゃんとなって八十三段の石段をのぼり、観音さまへ、きんの
(昨日)一日の御礼を申し、今日もまた無事なように願う心のあたたかさは、いいようのない嬉しいも
のでございます。お堂の前の舞台にでますと、晴れた日の春は、紫のうす霧に、西の本願寺さんの
屋根が、浄土にわたる舟のように浮んで見えまして思わず手を合わします。
(古寺巡礼 京都 月報24 清水寺 淡交社 1978 「清水さん」 増田好)

30年以上前の小冊子に描かれた、信仰の対象としての清水寺。
この30年の間にあったバブルや世界遺産認定などが、清水寺とその周辺をどう変えたのか。
生活レベルの信仰はどう変わったのか、あるいは変わってないのか。
そのあたりを確かめるため早朝の参拝を敢行した、というのは、嘘です。
イブに泊まった宿があまりに寒過ぎて寝てられず、運動のために外出しただけです。
が、そこで目にした光景は引用文まんまの世界、清水寺のもうひとつ顔、あるいは真の顔でした。

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