6月, 2018 - ひとりでうろつく京都 (β版)

夏越祓の茅の輪を石清水八幡宮だけでくぐってきました。もちろん、ひとりで。

2018年6月30日(土)


夏越祓の茅の輪を石清水八幡宮だけでくぐってきました。もちろん、ひとりで。

夏越の日に茅の輪を求めて神社を彷徨い歩き、浅ましく祓力を貪り倒すという、愚行
のみならず、その祓い倒れ徘徊を 「マイナー神社紹介」 として己の内で正当化するという、悪行。
そもそも、本当の祓というのは、一回だけするものです。一回だけするからこそ、意味があるのです。
なのに、何度もくぐる。まるで、食べ歩きの如く、くぐる。そしてその所業を、善きことのように思い込む。
神の尊厳を踏みにじり、その神を奉る方々の信仰をも冒涜しかねないこうした行為については、
当サイトでもその犯罪性を重々に認識&反省し、禊として天王山登山などの荒行も決行してきました。
翌年にはその反省を完全に忘れ去り、茅の輪さえくぐらない宇治めぐり in 夏越なんかもしましたが、
それでも、常に信仰と伝統を重要視する形で、毎年の茅の輪くぐりまくりを展開してきたつもりです。
が、そんな偽罪悪感 or 偽反省よりも重要なことを、夏越ネタで忘れていたことに、私は気づきました。
地元である石清水八幡宮での夏越の茅の輪くぐりを、今まで一度たりともちゃんとやってない、と。
石清水八幡宮。言うまでもなく、二所宗廟のひとつであり、国家級の神社であります。
やんごとなき方々の崇敬も篤く、三勅祭のひとつ・石清水祭については当サイトでも触れてる通り
国家的除災行事 or 宮中祭祀である大祓にルーツを持つ夏越祓でも、当然、茅の輪が設置されます。
なので、近所の私はくぐろうと思えば、すぐにくぐれるのです。歩いて行って、すぐにくぐれるのです。
が、この簡単さこそゆえに私は、本来は絶対外せないはずの大社を、スルーし続けていたのでした。
これは、いかん。そう思った私は、有り余る時間・金・やる気を脇に置き、2018年の夏越を八幡で決行。
しかも、めぐり一切なしのワンショット・一発勝負で。大本命だけに、浮気も寄道も許されません。
一回だからこそ意味がある祓を、神事タイムも外した穏やかな時間帯に、しっとり行ってみたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトであるために必要な挑戦なのです。
決して、時間も金もやる気もいい加減ないので、近所でちゃちゃっと済ませたのでは、ありません。
断じて、この日が激暑+夕方から激雨のため、めぐりを日和ったのでも、ありません。

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当尾・岩船寺へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年6月21日(木)


当尾・岩船寺へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「京都の端」 というのは、本当に単なる 「京都の端」 であるとは限りません。
実際にかなりな山が聳え、人界がその彼方にしかないような鯖街道 or 口丹波エリアであれば、
確かに 「端」 感 or 「どんつき」 感みたいなものを、多くの人が体感的に感じることでしょう。
しかし、 「端」 といっても隣府県とほぼ地続きな山城エリア南部では、この事情も変わってきます。
ざっくり言えば、お隣の文化的影響を色濃く受けた風土みたいなのが、形成されるわけですね。
正月や七五三などの行事がある度に、石清水八幡宮の駐車場へ大阪ナンバーの車が停まりまくり、
住民の大半の最寄駅が大阪府枚方市・樟葉駅だったりする我がホーム・八幡などは、その典型。
また、淀川を挟んでその八幡と向き合う山崎などは、大阪との境界線さえ何となく曖昧であり、
ランドマークのはずの山崎蒸留所まで大阪府島本町にあるくらい、 「端」 ならぬ 「端」 だったりします。
単なる 「京都の端」 ではない、もう少し変わった何かが、こうしたエリアには生まれるわけですね。
京都府最南端にあり、隣接する奈良とほぼ同然な当尾も、そんな 「京都の端」 です。
平城京の外郭浄土とされ、平安遷都前より南都仏教の影響を受け続けてきた、遠野ならぬ当尾。
世俗化を厭い、官寺では果たせぬ悟りの境地を求める奈良の僧侶は、こぞってこの地に草庵を結び、
やがて舎利塔が尾根を成すほど並んだことから、 「塔尾」 「当尾」 の名が付いたといいます。
鎌倉期に入ると、東大寺を再興すべく来日した南宋の石工・伊行末らによって多くの石仏も作られ、
現代まで残ったそれらの仏像は、当尾磨崖仏文化財環境保全地区 aka 「当尾の石仏の里」 も形成。
「端」 と呼ぶには、余りにゴージャスな文化遺産を持ち、そして徹底的に奈良な地なわけですね。
そんな当尾、通常ならもちろん仏像ハイキングと行きたいわけですが、近年はあじさいも割と有名。
浄瑠璃寺と並ぶ石仏の宝庫として、阿弥陀如来坐像や普賢菩薩騎象像を持つ岩船寺が、
昭和初期から栽培されてるというあじさいで評判を呼び、名所として京都・奈良で知られてます。
で、そんな 「端」 ならぬ 「端」 の地のあじさいを、今回観に行ってみました。

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