旅籠茶屋・池田屋はなの舞で、鱧の落としと鱧小鍋を食べました。もちろん、ひとりで。

2017年8月23日(水)


旅籠茶屋・池田屋はなの舞で鱧を食べました。もちろん、ひとりで。

池田屋事件が起きた夜の京都は、かなり蒸し暑かったのではないかと思ったりします。
元治元年6月5日・祇園祭の宵々山は、新暦でいえば、7月8日。正に、梅雨明け直前です。暑い。
実際、 『幕末維新京都町人日記』 によれば、事件前は雨続き。で、珠に陽が差す感じ。暑い。
で、こんな蒸し暑い盛りの京都の夜に、冷房などなく、下階では灯さえ燃えてる屋内にて、斬り合い。
しかも、何時間にも亘って、斬り合い。間欠泉の如く熱い血があちこちから吹き出す中、斬り合い。
それは一体、どういう状況なんでしょうか。血がスチーム効果を生むサウナ、みたいなもんでしょうか。
沖田総司は、持病でなく熱中症で戦線離脱したという説がありますが、暑さを思えば、さもありなん。
京都の夏を体で知る人なら、誰もが想像するだけで発狂しそうな地獄の沙汰、と言えるでしょう。
この池田屋事件、幕末日本にとっては無論、京都観光に視点を絞っても、極めて重要な事件です。
ゆえに、京都メジャースポットの単独特攻を趣旨とする当サイトとしては、スルーは許されません。
ので、池田屋の跡地たる居酒屋・池田屋はなの舞の訪問は、早い段階からずっと目論んでいました。
しかし同時に、 「訪問するなら、当日に溢れてたであろうこの暑気こそを絡めた形で」 とも思い、
現在の宵々山 = 7月15日に湿気が満ちるのを待ち続け、そのまま現在まで未訪となってたのでした。
7月15日頃の京都って、案外と涼しい場合が多いんですよね。いい感じで、風が吹いてたりして。
一般基準なら充分過ぎるくらいに地獄なんですが、京都水準的にはマシな場合が多いんですよね。
この程度の暑気では、池田屋事件のグダグダでドロドロの地獄感は、まず体感できないでしょう。
タイミングはズレても、グダグダでドロドロに暑い8月後半の方が、訪問には相応しいのではないか。
その方が、事件が持つ温度感や湿度感みたいなものに、より深い形でシンクロできるのではないか。
そんな高踏な考えに基づき、私は敢えて8月下旬の蒸し暑い日を選んで池田屋はなの舞を訪問し、
荒っぽく骨を斬り合った者達の青春に想いを馳せつつ、荒っぽい骨切りの鱧などを食ったのでした。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。幕末への体感的共鳴を目指す、挑戦なのです。
断じて、 「夏終了前に企画 『ひとり鱧』 をもう一発」 と、雑な動機で出かけたのでは、ありません。
決して、 「どうせ行くならネタになる店に」 と、邪な動機で出かけたのでも、ありません。

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山鉾が通る真下の回転鮨割烹・魚倖で、鱧づくしを食べました。もちろん、ひとりで。

2017年7月17日(月)


山鉾が通る真下の回転鮨割烹・魚倖で、鱧づくしを食べました。もちろん、ひとりで。

「鱧祭」 と呼ばれることもあるという、京都の夏の代名詞・祇園祭
無論、鱧もまた京都の夏の代名詞である為、こんな呼称が生まれるのも自然な流れでしょう。
山鉾巡行を見に来た人が、その前後の食事で旬の鱧の風味に触れることも、少なくないはずです。
「ビルに入った料亭から、山鉾を見下ろしながら、鱧を食す」 なんてことも、あるかも知れません。
正に、ベタとベタのベタなる組み合わせ。当サイトとしても、一度は試してみたい贅沢ではあります。
が、見下ろすのは、ちょっと、頂けません。山鉾を上から見下ろすのは、ちょっと、頂けません。
山鉾には、神が乗ってます。疫神の吸引こそが山鉾の本来の役目ですが、善神も色々乗ってます。
神か何かよくわからんのもありますが、とにかく何かが乗ってます。単なる山車ではないのです。
なので、上から見下ろすのはあんまり、よくないわけですね。出来ればやはり、下から見上げたい。
もし、巡行の最中に鱧を食すのであれば、鉾の車輪が軋む音を体感出来るような地平で、食いたい。
何ならその足元、いや足の下にまで潜り込み、群れ集う人々の足音まで感じながら、食いたい。
それが、礼儀ではないか。祭の本義を尊重しつつ愉悦にちゃっかり浸る他所者の、礼儀ではないか。
そう考えた当サイトは、企画 『ひとりで食べる鱧』 の一環として、地下で鱧を食することにしました。
それも、前祭・山鉾巡行の当日真っ最中、山鉾が進むその真下にて、鱧を食することにしました。
赴いた店は、回転鮨割烹・魚倖御池通の地下街に入る、その名の通りの回転寿司店であります。
御池通は御存知の通り、前祭・山鉾巡行の最終コース。正に足元にて、鱧を食うわけですね。
魚倖、回転寿司店ではありますがコースも出してて、夏場になれば鱧づくしコース3000円也も提供。
これが 『ひとりで食べる鱧』 の緊縮型新予算枠にも合致する為、今回、出かけてみたのでした。
前祭巡行当日+巡行終了直前の昼過ぎ、その真下の飯屋の混雑は、果たしてどんな感じなのか。
そして、京都といえど回転寿司は回転寿司なのか、あるいは回転寿司も京都は京都なのか。
そんなことを考えながら、 「鱧祭」 を求めて、地下へ潜ったのです。

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スプリングスひよしへ行って丹波ぼたん鍋を堪能してきました。もちろん、ひとりで。

2017年1月15日(日)


スプリングスひよしへ行って丹波ぼたん鍋を堪能してきました。もちろん、ひとりで。

私は、京都府南丹市園部町の船岡というところに、本籍地を置きっ放しにしてます。
「船岡」 という地名は、字がそのまんま示す通り、船と縁が深い土地ゆえ付けられたものです。
南丹は山に囲まれた丹波のど真ん中にあるので、この 「船」 が指すのは無論、川の上を走る船。
丹波の木材を京都へ運び続けた大堰川 aka 保津川 aka 桂川の、小さな浜のひとつが、船岡でした。
命名は、明治初頭と割に遅め。船運の活況が、その頃まで続いてたことを想起させられる話です。
私の何代か前の先祖も恐らくは、何らかの形で船や木に係わり、日々の糧を得てたんでしょう。
そんな船岡、現在はもちろん、川船は走ってません。これから走ることも、きっとありません。
鉄道の登場以降、物流が陸上へ移ったからです。そして、すぐ上流の日吉にダムも出来たからです。
明治後期に開通した山陰線は、角倉了以の開削以来続いた高瀬船の船運に、止めを刺しました。
また、1951年完成の世木ダム1997年完成の日吉ダムは、筏の通行も物理的に不可能にしました。
私のルーツの地は、いわばその名の根拠を失ったわけです。恐らく、永遠に失ったわけです。
このことが、本気で悲しいわけでは、もちろんありません。正直言って、どうでもいい話ではあります。
家が潰れてる為、船岡へまともに行ったこともないし。関係ないといえば、関係ありません。
が、心の底では、少し気になってました。いや、むしろ単なる興味という形で、少し気になってました。
特に、船運の死を具象として示す日吉のダムは、機会があれば拝んでみたいと思ってました。
そんなところへ降ってわいたのが、当サイトの冬期限定企画 「ひとりで食べる京都のぼたん鍋」 です。
「ぼたん鍋を食い、温泉にも必ず入り、冬を満喫する」 という無茶なルールで開始されたこの企画、
その無茶さゆえに行ける場所が極端に限られてるんですが、日吉ダムはこの縛りが、ばっちり合致。
ダムの付帯施設・スプリングスひよしでは、掘削された日帰り温泉・ひよし温泉が、営業中。
施設にはレストランもあり、そこでは上手い具合にぼたん鍋まで提供中。これは、いい機会です。
自身のルーツ探求と開発の問題、そして京都に於ける河川交通の歴史と、ベタな冬グルメ&温泉。
これらを上手く融合させ、俗にして学究的であり、それでいて魂の芯にも触れる記事を作ってみよう。
また、雪が降ってる日を選んで出掛けることで、ビジュアルを強化し、冬満喫感も演出してみよう。
そんな下心を抱き、私は日吉へ出掛けたのでした。大雪が降る日を選び、出掛けたのでした。
しかしこの日の日吉は、そんな下心など踏み潰す、怒涛の雪国状態だったのです。

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三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2016年12月24日(土)


三条右近橘にて過ごす聖夜、前篇の続きです。
 
「京都で暮らす」 ということ。それは、つまり、 「自分らしく暮らす」 ということ。
「自分らしく暮らす」 ということは、 「自分である」 ということであり、 「自分がある」 ということ。
歴史や伝統の尻尾を追いかけて、一代や二代ではなれるわけがない 「京都人」 になり切る努力は、
意味がないし、何より 「自分以外の誰かになれる」 と思い込める若さが、この街には似合わない。
必要なのは、 「自分」 を立ち上げること。そして、その上で、 「京都」 へ無駄にこだわらないこと。
「京都」 への無駄なこだわりは、この街のカルチャーを本当の意味で背負うには、邪魔になる。
都市の原動力は、いつだって、様々な文化の吸収。その駆動原理は、千年の都・京都だって、同じ。
人も文化も、外部からこの街へ入ってくるエレメントは、健全な血流の為には常に必要なもの。
「受け入れる」 という姿勢では、足りない。自ら積極的に取り入れるタフさを、持たなくてはならない。
外来のエレメントと蓄積された歴史を組み合わせて、立体的な創造を行う知力も、重要になる。
「京都」 への無駄なこだわりは、このタフさと知力の飛躍を阻む、壁。壊さなければならない、壁。
都市の駆動原理ゆえ、どんな子供でも簡単に皮肉ることができるほど混沌とした京都の真ん中で、
自分自身を保つ力を授け、新たな未来を創り出す力になってくれるのは、壁ではなく、 「自分らしさ」 。
誰もが 「自分らしい」 暮らしをしなやかに持ち、それぞれの 「らしさ」 がゆるやかに響き合う。
その共振だけが、柔軟な知性と未来への眼差しを生み、この街を更新していく――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――
―――と、京都ブランドに乗って勝手&凡庸&無秩序な欲望を 「自分らしく」 発露しまくり、
その発露をポエミーな寝言で美化&正当化したくもなる魔力に満ちた新たな魔界たる洛中にて、
魔界ゆえ増殖している境界的簡易宿所のひとつ・三条右近橘に投宿し過ごしてる、2016年の聖夜。
私もまたその魔力に侵食され、 「自分らしさ」 全開で普段通りに文博行って小津の映画観たりと、
京都にもクリスマスにも全く関係ない挙動に好き勝手に励んでるわけですが、後篇はいよいよ、飯。
「隠れ家の食事処」 での夕食や、チキン&ケーキ爆食など、食の流れを一気に観てもらいます。
これこそが、新たに生まれた魔界で嗜む私にとっての 「自分らしい」 「京都の暮らし」 です。

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三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2016年12月24日(土)


三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

太陽神の生誕祭をルーツに持つクリスマスが、その内に孕んだ境界性を追求すべく、
当サイトでは、京都郊外にある境界 「四堺」 へと赴き、聖夜お泊まりを敢行し続けて来ました。
しかし、そんな崇高にしてアカデミックな荒行を、温泉浸ったり猪肉食ったりしながら続けてる内に、
辺境の真逆たる京都市中心部では、宿泊施設を巡り、事態が極めて激しく変化していたのです。
2011年には50万人強だった京都市の年間外国人宿泊者数は、2015年には300万人まで増加
宿泊施設が絶望的なまでに不足し始め、その不足によって生じる隙を狙った所謂ヤミ民泊も急増
行政は、ヤミ民泊を取り締まる一方で、グレーな施設に対しては旅館業法の許可取得を奨励
結果として、マンションや町家丸出しながら一応合法の簡易宿所が、激増することとなったのでした。
そう、極めて境界的なる性格を持つタイプの宿所が、都心にこそ溢れるようになってるわけです。
「本当の京都」 と有り難がられている洛中のど真ん中こそが、他所者が蠢く境界と化してるわけです。
「金余りの割にコンテンツ供給が足りてないバブル期に於けるセックス祭」 としての面が後退化し、
属性問わず人を消費へ誘う契機としてだけひたすら活用されてるようになったクリスマスを、
「教会祭」 ならぬ 「境界祭」 として認識し直し、その魔力との対峙を続けてきた当サイトとしては、
街中に新たな境界が出現し、氾濫&増殖しているこのカオスな状況、見過ごすわけにはいきません。
というわけで2016年の聖夜お泊まり企画は、これまでの辺境巡礼から一転して都心へと回帰し、
着物姿の某国人がマンションから団体で出て来る様をしょっちゅう見る洛中にて、敢行してみました。
泊まったのは、三条右近橘。怪しい宿では、ありません。日昇別荘が運営する、簡易宿所です。
では、宿代が安いだけの普通な宿かといえば、エントランスはトップ画像のような超ハードコアぶり。
マンション以外の何物でもありません。正に、民泊。相手にとって不足なし、と言うべきでしょう。
この宿にて聖夜を過ごすことで、新たな境界と向き合い、その素性を見極めんとしたのであります。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な、挑戦なのです。
決して、翌日に用事がある為、移動時間が読み難い郊外特攻を日和ったのでは、ありません。
断じて、そもそも郊外特攻そのものがいい加減面倒になってきたのでも、ありません。

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細見美術館の琳派展へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年9月27日(火)


細見美術館の琳派展へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

琳派。 『琳として派閥』 という名前のバンドの略称です。というのは、もちろん、嘘です。
琳派。近世京都の町衆文化を象徴する様に誕生した、装飾性豊かなアートの流派であります。
光悦村を作った本阿弥光悦を創始者&ディレクターとし、 『風神雷神図』俵屋宗達を経て、
呉服屋の放蕩息子にしてデザイン性が高い図案を量産した尾形光琳で、琳として爆発した、琳派。
その強い魅力は、時空を超えて私淑のフォロワーを生み続け、近世後期には江戸でも隆盛化。
更に近代では海外で大きな評価も集め、評価が逆輸入された国内では 「琳派」 の呼称が定着化。
そして現代に入ると、 「かわいいは正義」 という狂った世風と過剰なまでの親和性&共鳴力を発揮し、
ヘッドロックを決める犬口半開きの鹿などが女子供の人気を集めてるのは、御存知の通りです。
で、そんな琳派の作品を集中的にコレクションしてるのが、今回訪れた細見美術館であります。
昭和初期の大阪・泉大津にて毛織物で財を成した初代・細見古香庵が、その成功後に収集を始め、
二代・古香庵が、琳派を始めとする江戸期の作品を大幅に加える形で拡大させた、細見コレクション。
そのコレクションを公開する場として、1998年に岡崎の地にて開館したのがこの美術館であり、
「琳派美術館」 という別名に相応しく、様々な観点から作品を紹介する 「琳派展」 も、定期的に開催。
京都発祥ながら、近世後期からの経済没落の為か何なのか、あちこち散逸している琳派の作品に、
京都の人間も気軽に、かつ集約された形で、接することが出来るようになった、というわけです。
そんな細見美術館、私、館前こそしょっちゅう通ってるんですが、そもそも芸術にあまり縁がない為、
若冲展や春画展で行列が出来てる際も、 「混んどるなあ」 とか思いながら、通り過ぎてばかりでした。
が、京都の 「ベタ」 を追い求めるのが、このサイトの趣旨。琳派もまた、看過は許されないでしょう。
というわけで、琳派をより琳として探求すべく、琳派誕生401年という記念すべき年を敢えて選び、
「琳派展」 の第18弾、その名もずばり 「京の琳派」 と銘打たれた展覧会へ、出かけたのであります。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為の、挑戦なのです。
断じて、9月のネタ採集が全く出来てないのを月末になって思い出し、でも床特攻も飽きたので、
何か目新しいことをしようと思い、冷やかし半分でフラフラ出かけたのでは、ありません。

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貴船べにやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2016年5月13日(金)


貴船べにやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

何度も書いてることですが、当サイトで最もアクセスが多いのは、貴船の川床記事です。
鴨川の川床記事では、ありません。貴船の川床記事です。それも、カフェをめぐった記事です。
ひろ文の床へ行ったついでに、川床カフェ2軒へ寄っただけの記事が、昔も今も一番人気なのです。
この過酷な現実に直面した私は、 「何だ、結局は安いのがいいのか。ああそうかそうか」 とグれ、
アクセスが遙かに楽な鴨川エリアでコーヒーを飲み倒す川床カフェめぐりなんてのをやらかしたり、
更には和食の枠を超えてタイ料理川床なんてのも推してみたりもしましたが、状況は変わらず。
カフェ、そしてひろ文の貴船2記事は、今なお全鴨川記事を凌駕し、最大の稼ぎ頭であり続けてます。
この状態はつまり、貴船には高い人気があるということを、実にストレートに示してるんでしょう。
そして同時に、恐らくはその人気の割に、貴船に関する情報が少ないということでもあるんでしょう。
これは、やらねばならぬ。出費が痛くとも、やらねばならぬ。夏本番の到来など、待ってられぬ。
そう考えた私は、久しぶりに 「ゆか」 ではない 「どこ」 を求めて、5月の貴船へ向かったのでした。
今回赴いたのは、貴船の料理店が立ち並ぶゾーンのいわば入口に店を構える、貴船べにや
こちらのべにや、 「べにや」 という検索ワードで当サイトに流入して来る方が、妙に多いんですよ。
うちにはこれまで、べにやの記事は存在しませんでした。にも関わらず、飛んでくる人が多い。
ひろ文の記事で店前を通る程度のことは書いてますが、まあ、それだけです。にも関わらず、多い。
この状態はつまり、べにやには高い人気があるということを、実にストレートに示してるんでしょう。
そしてまた、恐らくはその人気の割に、べにやに関する情報が少ないということも示してるんでしょう。
これは、やらねばならぬ。出費が痛くとも、やらねばならぬ。夏本番の到来など、待ってられぬ。
そうも考えた私は、久しぶりに 「ゆか」 ではない 「どこ」 を求めて、5月の貴船へ向かったのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。客数の基礎票を固めるという、新たな挑戦なのです。
固めた基礎票の層に、偶発的にでも当サイトのスピリットへ触れてもらう為の、新たな挑戦なのです。
決して、少し小金が出来て天気も良かったので、何となく貴船へ出かけたわけではありません。
断じて、行ったら店探しが面倒になり、一番駅近のべにやへ入ったわけでもありません。

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円福寺の春季萬人講へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年4月20日(水)


円福寺の春季萬人講へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「ホーさん」 の記憶というのが、辺境の地・八幡に生まれ育った私にもあります。
ディティール以上にその温度感で京都の恐怖を精緻に描いた入江敦彦 『怖いこわい京都』 で、
女学生の心へ謎の追跡恐怖を植え付ける 「怖いこわい人間」 として登場した、 「ホーさん」 。
その正体はといえば、単に禅宗の雲水さんが 「ほー」 と言いながら托鉢に出てるだけなんですが、
ただ、人間の声とも動物の声とも違う、そしてあらゆる自然の音とも違うあの声は、確かに、不気味。
「ほー」 と言いながら追いかけてくる恐怖をトラウマレベルで抱くことも、ない話ではないでしょう。
いや、僧侶や家元といったいわゆる 「白足袋族」 が社会ヒエラルキーの最上位を占める洛中では、
坊さん達のあの声は別の意味でホラーだったりするのかも知れませんが、その辺はまあともかく。
そんな洛中とは全然関係無い八幡の私が、何故この 「ホーさん」 の記憶を持つのかといえば、
八幡に禅宗の専門道場が存在し、そこの 「ホーさん」 が 「ほー」 と言いながら歩いてたからです。
その道場の名は、円福寺。正式名称、圓福寺。別名、達磨堂 or 江湖道場。山号は、なし。
筒井順慶の日和見で有名な洞ヶ峠の近くに立つ、臨済宗妙心寺派の最初の専門道場であります。
1783年、白隠の高弟&妙心寺塔頭・海福院第6世の斯経慧梁は、この地に道場建立を発願し、
聖徳太子自作と伝わる達磨尊像&寺号なども、地元の石清水八幡宮別当家・田中家からゲット。
かくして江湖道場が完成し、以後現在に至るまで雲水さんが托鉢などの修行に励んでるわけです。
大村しげの著作を読む方なら、文中に時折この寺名が登場するのを御記憶かも知れませんし、
山城地域の方には、毎冬 「ダイコンの木」 ニュースで登場する寺、として御馴染みかも知れません。
そんな円福寺、 「ホーさん」 の方は河岸を変えたのか、私はあまりその声を聞かなくなりましたが、
斯経禅師の遺命で始められた春&秋の萬人講 = 祈祷&お斎付き一般公開は、現在も盛況。
特に春季萬人講は、八幡名物・筍を主役にした精進料理を味わえる、いい機会にもなってます。
というわけで、精進ではなく精進料理を求め、近所の道場へ出かけてみました。

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くらま温泉へ行ってミニぼたん鍋と入浴セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。

2016年1月20日(水)


くらま温泉へ行ってミニぼたん鍋と入浴セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。

の生息北限が秋田の辺りだということを、私はつい最近まで知りませんでした。
「北海道の雪深い中をバンバカ走り回ってる」 みたいなイメージを勝手に抱いてたんですが、
考えてみれば猪の脚というのはかなり短いのであり、あんな脚で雪山を駆け回ることは出来ません。
それゆえなのかどうなのか、猪の生息エリアは、比較的温暖なる西日本がメインになるんだとか。
京都的には 「北の方からやって来る、冬の味覚」 としてインプリンティングされてる猪ですが、
実際には特に 「北から来る生物」 というわけではなく、また 「寒冷地の生物」 でもないわけです。
では、その猪が何故冬によく食われるかといえば、それはやはり、単に冬に食うと旨いからでしょう。
臭みを消す為に編み出された味噌鍋という食い方が、冬の食と相性が良いのはもちろんですし、
単純に肉質自体も冬が一番良好であり、おまけに発熱効果まで持ってるのだから、たまりません。
要は、極めて人間本位な理由により 「冬の味覚」 ということになってるわけですね、猪は。
京都に於ける猪食の場合、この味的理由と共に、手軽に野趣が楽しめるという利点も加わります。
街を出てちょっと走ると、そこはもう、それこそ猪が走り回ってても何の不思議がない森林。
雪が降る日なんかは、白く染まった樹々を眺めて 「鄙」 の風情を楽しみながらぼたん鍋をつつき、
更には雪が降る中で露天風呂なんかも堪能したりすると、これはもう、極楽が極まるわけです。
そんなとことん人間本位な京都に於ける猪食の実態を、当サイトはより体感的に検証しようと考えて、
「温泉も必ず入る」 という絶対条件付きで企画 「ひとりで食べる京都のぼたん鍋」 を開始しました。
で、聖夜@大原温泉・大原の里に続く第2弾として今回食ったのが、くらま温泉のミニぼたん鍋。
くらま温泉。その名が示す通り、市街地から数10分で行ける鞍馬に湧き出る天然温泉であります。
温泉資源が貧弱な京都にあって、至近&手軽に湯&風情が楽しめることで人気の温浴施設ですが、
食堂も完備され、冬になればミニぼたん鍋+温泉入り放題+休憩室居放題のセットも提供。
で、そんなとことん極楽なセットを、大雪の日に時間が出来たので貪ってきました。

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京の民宿・大原の里にてぼたん鍋を食べて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2015年12月24日(木)


京の民宿・大原の里でぼたん鍋を食べて過ごす聖夜、前篇の続きです。

ごく小さな子供の頃、野生の猪がウロウロしてるのを見かけた記憶があります。
両親の実家がある丹波のどっかの山奥にて、団体で野外すき焼きをやってた時のことでした。
子供の頃から団体行動が嫌いだった私は、すき焼きの場を逃げ出して周囲を徘徊してたんですが、
その際、歩いていこうとした道の先に、恐らくはまだ子供であろう猪がウロウロしてるのを見たのです。
こちらが一歩踏み出した瞬間に逃げてしまった為、本当に猪だったかは正直、よくわかりません。
が、そんな遭遇があっても不思議がない程、京都府域にも猪は多数生息してるという話であります。
御存知かどうか知りませんが、丹波というのは、京都市街から車だと1時間程度で行けるエリア。
そんなとこに野生動物がバンバカ生息するエリアがあるのも、京都の食文化を豊かにしてる一要素。
「京に田舎あり」 、なわけです。最近は、獣害の侵攻ラインもどんどん人界へ近付いてはいますが。
現代へ入ると、京都近郊に於けるそういった田舎の風情は、観光面でも大きな資産となり、
大原もまた、市街地に近い場所にありながら 「侘」 の風情が色濃いエリアとして、人気を獲得。
「京の奥座敷」 の呼称+ 「京都大原三千院」 のフレーズと共に、愛されるようになりました。
そんな大原、近年には観光資産の価値を更に高めるべく、先刻から私が入りまくってる温泉も掘削。
「侘」 の風情と天然温泉、現地で育まれた滋味溢れる野菜、そして体が芯から温まるぼたん鍋と、
これらをまとめて楽しめてしまう大原の里での冬の一夜は、正に至福の世界と言えるでしょう。
って、そんなグルメ&旅エッセイ気取りの戯言はいいんですよ。問題は、 「境界」 ですよ、 「境界」 。
「四堺」「艮」 、つまり鬼門に当たる最強 or 最凶の 「境界」 たる途中峠・和邇の攻略に際し、
猪肉の摂取により英気&霊気を養うべく臨んだ、今回の聖夜ひとりお泊まり@京の民宿・大原の里
後篇では、猪肉を煮込んだ鍋へ京地鶏も投入して食いまくり、食った後で温泉にもまた入りまくり、
更にはすぐ蒲団でダラダラしまくり、朝にはまたまた温泉に入りまくり、朝食もバカスカ食いまくります。
そう、今回のお泊まりはあくまでも、準備なのです。真なるミッションを達成する為の、準備なのです。
決して、心の底から猪肉と温泉を堪能し、全てがどうでもよくなり始めてるわけではありません。
断じて、峠を攻略する気なんか実は最初から更々なかったわけでもありません。

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京の民宿・大原の里にてぼたん鍋を食べて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2015年12月24日(木)


京の民宿・大原の里でぼたん鍋を食べて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

独男上等を謳う当サイトは、精神的外圧が年間で最も高まるクリスマスに於いて、
世間の馬鹿騒ぎへ真っ向から背を向けるべく、ひとりお泊まり企画を敢行し続けてきました。
が、2013年に地元・八幡橋本の遊郭転業旅館、そして2014年には大枝ラブホ街へ宿泊したことで、
実を言えば思いつき一発で始めたこのネタに突如、 「境界」 なるテーマが浮上して来たのです。
太陽の復活を祝うローマの太陽祭にルーツを持つクリスマスが、そもそも最初から孕む 「境界」 性。
そして、遊郭やラブホ街が、ある種のアジール性と共に極めて直接的な形で含有する 「境界」 性。
この辺のシンクロニシティを見極めることを考えて、私は橋本&大枝を宿泊地に選んだんですが、
橋本&大枝記事がクリスマスカテで並ぶ様を目にした時、別の真実に気が付いてしまったのでした。
これは、陰陽師が配備された平安京のスピリチュアル・ゲート 「四堺」 を押える流れになってる、と。
「四堺」 の 「坤」 即ち南西たる山崎と、橋により接続&その橋が地名の由来となった、橋本。
「四堺」 の 「乾」 即ち北西の峠であり、鬼伝説と共に長く軍事&交通の要衝であり続けた、大枝。
更には、2012年に泊まった町家もまた、 「四堺」 の 「巽 」 即ち南東たる逢坂へ続く三条通の傍。
そうです。私はまるで何かに導かれるかのように、 「四堺」 を時計回りで回っていたのです。
これもまた、 「境界」 の魔力による導きでしょうか。であれば、その導き、乗ってやろうじゃないか。
というわけで2015年の聖夜は、 「四堺」 の 「艮」 即ち北東たる途中峠・和邇を攻めることにしました。
北東は、言わずと知れた、鬼門。 「四堺」 めぐりの最後を飾るには相応しい 「堺」 と言えるでしょう。
ただその為か、困ったことにこの辺、宿が激少。激少というか、そもそも単純に、完全な山の中。
一晩歩き通すのも一興ですが、天候によっては死にますし、猿との白兵戦もない話ではありません。
なので今回は、その手前の大原へ泊まり、ついでにぼたん鍋を食い、英気を養うことにしたのです。
泊まったのは、近年温泉が掘削されて 「大原温泉」 の呼称も定着してる、京の民宿・大原の里
この風雅な宿にて、獣肉をたらふく食らった上で温泉も堪能し、 「境界」 との闘いに備えたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、過酷な泊まりがいい加減しんどいので、温泉&グルメへ逃げたわけではありません。
断じて、冬場の食い物検索流入も狙い、温泉で駄目押しするわけでもありません。

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サロンドロワイヤル京都本店で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2014年9月26日(金)


サロンドロワイヤル京都本店で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

「外来スイーツの席巻は、京都の伝統を踏みにじるものである」 。
そんな物言いは、それこそ伝統の何たるかを理解せぬ阿呆が吐く戯言に過ぎません。
外来の素材・手法を一切用いない和菓子など、些少なはずです。いや、皆無に近いでしょう。
新奇なエレメントを貪欲なまでに吸収・再構築し続けることで、京菓子の伝統は育まれてきました。
真の革新無きところに、真の伝統は無し。そして、真の伝統無きところに、真の革新は無し。
得体の知れぬリノベ町家にて素性不明のカタカナ新参スイーツ店が次々とオープンしてるのは、
「低レベルの味覚と懐で京都を楽しもうとする女子供の小銭を狙う」 などという策謀ではなく、
京都の、それは即ち日本の甘味を、世界レベルあるいはその先のネクストレベルへプログレスする、
壮大なビジョンに基づいた、極めて前向きで生産的でフューチャリスティックな企てなのです。
・・・ああ、疲れた。自分で全然信用してないことを書くと、書くだけでも何か凄く、疲れた。
こんな感じの戯言が無限に言い散らかせ、それが尤もらしく聞こえたりするも京都の魔力ですが、
そんな魔力が最も先鋭的に発現する場所こそ、夏の鴨川と貴船に現出する魔境・川床
不景気の昨今ではその魔力も薄れるかと思いきや、客単価低めの川床カフェが増殖を始め、
当サイトでもこの新たな魔境の状況へ向き合うべく、鴨川川床カフェめぐりなんてのやらかしました。
しかしその際、特に伝統的でも革新的でもない珈琲や甘味を食らいまくって胸が悪くなり、
本来押さえておくべきショコラ川床たるサロンドロワイヤル京都本店を、特攻し損なってたのです。
サロンドロワイヤル。京都より大阪で馴染みが深い、老舗ショコラティエと言っときましょうか。
そのサロンドロワイヤルが近年、木屋町御池の辺で、川床付きの京都本店をオープン。
バリバリの外来スイーツ店ながら、大半のカフェ床が閉まる6~8月に夜間営業を行うことも手伝い、
早くも床シーンにおいてマスト的な認知度を誇るくらいの人気を獲得するに至ってます。
そんなサロンドロワイヤルの川床、床自体の終了間際である9月末の昼に特攻してみました。
秋風を感じながらの、不毛な夏の落ち穂拾い。または、鴨川川床カフェめぐりの完結篇。
阿呆な動機でやらかした散財気味の甘味食いまくり、御笑覧下さい。

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鴨川川床カフェめぐりをやってみました。もちろん、ひとりで。

2014年5月29日(木)


鴨川川床カフェめぐりをやってみました。もちろん、ひとりで。

真面目な話、うちのサイトで最も客が来るのは、川床カフェの記事です。
貴船で川床カフェを2軒めぐった記事です。ひろ文の記事ではなく、カフェの記事です。
祭やイベントなどの時事的な瞬間風速により、他の記事が最多記録を越すことはありますし、
何故か 「祇園花月 ガラガラ」 というワードで来る人が、トップに迫る勢いで多かったりもしますが、
継続かつ安定して高い数字を稼ぎ続けてくれるのは、あくまでも貴船の川床カフェの記事です。
「貴船 川床 安い」 または 「貴船 カフェ」 あるいは 「川床 カフェ 安い」 といったワードで、
検索結果の時点でも根性最低とわかるこんなサイトにさえ、多くの方がやって来るわけであります。
「消費者のニーズに応える」 という正論の暴力が、至る所で文化&精神の破壊を巻き起こし、
「根源的懐疑の忘却」 という欲望の下、利害が真逆であるはずの資本と貧民が結託する、現代日本。
そんな腐った状況に反旗を翻すべく、わかりやすさ&便利さを徹底排除してる当サイトとしては、
いくらニーズが高かろうと 「川床 安い カフェ」 的な激安万歳記事を量産するわけには、いきません。
しかし正直、目先の客も、欲しい。その大半が10秒以内に帰る直帰客であっても、正直、欲しい。
心の中で 「信念」 と 「目先の客」 を天秤にかけてみました。天秤、 「信念」 ではない方に傾きました。
えと、あの、何というか、そんなわけで、ひとりでめぐる川床カフェめぐり、めでたく復活です。
それも、今度はより客数が稼げそうな鴨川に於いて、復活です。いや、めでたい。実に、めでたい。
気温の保健所的問題のため、貴船と違って昼間の営業が5月&9月しかない、鴨川納涼床。
夜は夜で当然普通に稼ぎ時ゆえ、隙間営業的なカフェが開く期間&時間はかなり限られますが、
それでも昼床期間は幾つかの店舗が、比較的安く床を楽しめるカフェ営業を行ってます。
そんな鴨川川床カフェへ、激安ニーズを抱く同志の期待を背に、連続特攻をかけたわけです。
単純激安路線への一応の抵抗として、今回はサイドオーダー必須の掟も勝手に設定。
胃と心と財布を無為に痛めつけながらのめぐりぶり、おつきあい下さい。

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京風宮廷タイ料理・佛沙羅館で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2014年5月23日(金)


佛沙羅館で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

川床で供される料理は、京料理に限られるわけではありません。
川の風で涼みながらの食事が、川床の本義。故に、和食必須の掟など、本来はなし。
そんな本義を無限に拡大解釈するかの如く、現在の鴨川納涼床は多様な料理が揃ってます。
フレンチ、イタリアン、中華、韓国、エスニック etc 。 「和」 もひったくれもない、正に無国籍状態。
また、本義から考えれば座敷である必要もないということで、椅子席化する店も、増殖中です。
ホームセンターで安価に買えそうなテーブル&椅子が並ぶ床を、外からながら見かけると、
「風情が無い」 「単にテラス席」 「いや雪洞があるからビアガーデン」 と、勝手を言いたくなりますが、
しかしそんな外来食×椅子席の店に、多くの客が集まってるのもまた、紛れもない事実。
特に昼床では、客単価設定が低いめか、その手の店の賑わいがより露骨に顕著だったりします。
この現状、ベタの単独正面突破を趣旨とするうちとしては、見過ごすわけにはいきません。
当サイトでは、予算不足ゆえ昼床ばかりではありますが、川床へ何度か特攻を試みてきました
が、よりベタらしいベタさを押さえるため、赴いたのはいずれも、オーセンティックな和食店。
増殖を続ける椅子床&和食以外の床は、まだ全然フォローできてなかったのです。これは、いかん。
というわけで2014年の川床特攻は、京料理+座敷とは別のベクトルの店へ目を向けてみます。
で、今回赴いたのは、佛沙羅館。仏と言っても、精進料理の店ではありません。タイ料理の店です。
京都のタイ料理界では草分け的存在であり、町家をリノベした 「京風宮廷タイ料理」 が売り。
ですが私的には、路地入り口へ置かれた川床にあるまじきガッツきぶりを誇る立て看に、
「宮廷」 らしからぬ濃い口なインパクトを感じ、前の道を通る度に印象的な店だったりします。
タイ料理店ながら、夏期は川床もしっかり展開。5・9月は、お得な昼床もあり。
で、看板が誘う路地裏のタイ川床へ、白昼堂々忍び込んでみました。

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妙心寺塔頭・東林院の 「小豆粥で初春を祝う会」 へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年1月16日(木)


東林院の 「小豆粥で初春を祝う会」 へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「関西の薄味は、味が薄いのではなく、色が薄いだけ」 。
某夜更かし発のそんな理解が広まりつつある、昨今の関西薄味事情であります。
否定は、しません。薄口醤油の塩分濃度など持ち出されずとも、我々は濃い味が大好きです。
京都にも、濃厚嗜好は歴然と存在します。特にラーメン領域では、それが露骨に顕在化。
脂を大量に投入する背脂系、炒飯まで真っ黒な新福・第一旭系、スープに箸が立つ天一などなど。
いずれも、病的です。異常です。薄味和食への欲求不満で発狂したかの如く、変態です。
が、その薄味和食にしても、出汁レベルでは塩分以上に濃厚だったりするのであり、
「ダシは張り込め」 を合言葉に、一般家庭でも案外と旨味に金と手間がかけられてたりします。
我々は濃い味が大好きです。単に醤油を煮詰めたような味は、やはり病的に嫌いですが。
とはいえ、本当に薄味を極め、素材の力を極限まで引き出す料理もまた京都には存在するのであり、
その典型が、寺院、特に禅宗寺院で食される精進料理であることは、言うまでもありません。
道元禅師の教えに従って、禅の思想を食でも実現し、後には和食の原点にもなった、精進料理。
もちろん現在でも寺で食され、京都でもいくつかの禅院では一般人も食することができます。
「沙羅双樹の寺」 こと妙心寺塔頭・東林院も、そんな精進料理が食せる寺のひとつ。
食せるのみならず、料理教室や宿坊でも知られる東林院ですが、様々な催しも行っていて、
「沙羅の花を愛でる会」 、そして1月中旬から月末まで開かれる 「小豆粥で初春を祝う会」 は、有名。
特に 「小豆粥で~」 は、精進料理のひとつとして禅宗で大切に継承されてきたという小豆粥を、
小正月に合わせていただき一年中の邪気を祓うという、精進度が高い感じの催しです。
ちなみに会費も精進度が高く、3700円。370円ではありません。3700円。
「何だそれは」 と、額に興味はあったものの、額ゆえに行く気は起きなかったんですが、
今年は奮発して、高価い小豆粥で一発、精進してみることにしました。
割高な精進に励む様から精進落としまで、お楽しみください。

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祇園会館へ祇園をどりを観にいってきました。もちろん、ひとりで。

2013年11月1日(金)


祇園会館へ祇園をどりを観にいってきました。もちろん、ひとりで。

祇園会館。ああ、祇園会館。
名画座の割に造りが異常に良く、500席とキャパもデカかった、祇園会館。
そんな良いハコなのに、名画二本立て+入れ替えなしというスタイルを貫いた、祇園会館。
しかし私は正規料金を払う余裕が全然なくて、せいぜい千円の日にしか行けなかった、祇園会館。
その千円の日に観た 『トレインスポッティング』 では、ラリ中の寝糞が顔にへばりつくシーンを、
日本ではおそらく最も巨大なスクリーンで目にすることとなってしまった、祇園会館。
そんな思い出の詰まった祇園会館が、『よしもと祇園花月』 に化けてから、しばらく経ちました。
花道や桟敷席まである劇場のクオリティを考えると、映画より演芸の方がふさわしいのは、当然です。
使えるハコは、有効な形で活用すべき。私もそう思います。でも本当は、ちょっと寂しい。
観光客だらけの八坂神社石段前に建つ立派な劇場で、超ルーズに映画を観るという、不思議な贅沢。
そんな贅沢を味わえなくなったのが、ちょっと寂しいのです。どうでもいい私情ではありますが。
祇園会館の造りがオーバークオリティである理由は、元来ここは映画館ではないから。
京都五花街のひとつ・祇園東の舞踊公演 「祇園をどり」 を行うことこそが、ここの最大の目的です。
元々は甲部と一体の祇園町を形成していたものの、明治14年に京都府の指示で分離し、
戦前は祇園乙部、戦後は祇園東新地から現呼称で愛されている花街・祇園東。
その祇園東の 「祇園をどり」 は、1952年から始まり、唯一秋に公演が行われるをどりです。
祇園花月に化けた現在も伝統は守られ、11月上旬だけは全吉本を会場から一掃。
祇園会館が、本来の目的で本来のスペックを発揮する様を拝めるひと時となるわけであります。
で、そんな祇園をどりに忍び込んでみた、と。しかも、初日に忍び込んでみた、と。
初日にも関わらず、もちろん今回も飛び込み、当日券に賭けてみた、と。
その結果や、いかに。一発勝負の一部始終、お楽しみください。

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割烹露瑚で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2013年5月31日(金)


割烹露瑚で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

鴨川の昼床は、5月と9月しか、開いてません。
川床自体は5月初めから9月末まで、納涼の枠を越え半年近くもやってるんですが、
昼床は最初と最後の一ヶ月のみ、優雅といえばかなり優雅な営業スタイルとなってます。
何故6・7・8月に昼床の営業がないかといえば、暑いから。暑過ぎて、営業許可が出ないから
そもそもは、地獄のような盆地性暑気に満ち満ちた京都の夏をやり過ごすため、
夜の鴨川に床を張り、川風に吹かれ涼気を得る中で料理を楽しもうというのが、川床。
直射日光をガンガンと浴びまくり、食中毒のリスクに耐えながら食うようなもんではないわけです。
というわけで、夜の本格的な床は経済的にも孤独的にも敷居が高い我々独男にとって、
床の醍醐味を楽しめる機会は概ね、この一ヶ月×2に限られるわけであります。
ゆえに、この日のちょっと前には曇天を押して、あと村の昼床へ赴き籠盛弁当を食し
懸念だった鴨川床の本懐をめでたく遂げたわけですが、その5日後の5月末日が奇しくも、快晴。
いったろか。いってしもたろか。昼とはいえ、週2で、川床。いったろか。
一瞬迷ったような気もしますが、気がついたら既に、鴨川の河川敷を歩いてました。
もちろん、今回も予約など一切無し、ウロウロしと木屋町通を彷徨い歩き、
目ぼしい店へ飛び込む、ワイルドスタイルです。

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京料理あと村で昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2013年5月27日(月)


京料理あと村で昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

ひとりで忍び込む川床、復活です。
2011年の夏以来、しばらくの間、本当に、本当に、本当に、金がなかったため、
川床侵入はおろか、餅系食堂でうどん&おはぎのコラボを楽しむことさえなかなかできず、
ネタ採取も拝観料のかかるところもなるべく避け、見物に金のかからない祭にばかり足を運び、
運び過ぎて何かサイトが真面目っぽくなったり、腕だけ異常に日焼けしたりしてしましたが、
ようやく初心、ベタなスポットへ単身乗り込むというサイト元来の趣旨へ立ち戻ることができました。
それもこれも、全てアベノミクスのおかげです。というのは、全くのウソです。
金がないのは昨年と、変わりません。耐え難きを耐え続けた昨年と、変わりません。
当時の上司から 「もう日本は終わりです」 と言われながら減給された昨年と、全く変わりません。
しかし、私自身が変わりました。金のことを真面目に考えるのは、止めようと決めました。
パーっと、行こうや!で、パーっと、逝こうや!未来のない人間が今を楽しまないで、どうする!!
今、そんな気持ちで、いっぱいです。という按配で、川床単独侵入、復活でございます。
いや、そんな極私的でどうでもいい懐事情 or 破滅へのカウントダウン話とは別に、
川床記事のアクセス数が突出して多いというのも、復活の大きな理由ではあるんですよね。
アクセスのみならず直帰率も高いので、私としては正直、身銭切ってまでやりたくないんですが、
でもこんなサイトにわざわざ来てくれるのですから、ニーズには応えるべきでしょう。
あと、以前に鴨川の床へ出かけた際は、にらみ川床に終わってますし。
そのリベンジの意味も込め、昼床終了が近い5月末の木屋町へ出かけました。
もちろん、例によって予約なし、完全なる飛び込みです。

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京町家一軒貸し宿泊処・懐古庵を一軒借りして、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【3】

2012年12月24日(月)


町家・懐古庵を一軒借りしての聖夜、いよいよ最終回です。

子供の頃に見た町家は、ただただ暗い気分にさせられるものでした。
下松屋町通沿いに住む親戚の家は、古い壁に虫籠窓が開いた、ただ単に古い町家。
中もまたただ単に古く、狭くて暗くて圧迫感のある部屋、得体の知れない化物が並ぶ台所、
至る所から響いてくる木の悲鳴、そして何より家そのものから濃厚に漂う不気味なオーラを感じて、
子供心に 「こんな狭くて暗くて気味悪いところには、絶対住みたくない」 と思ったものでした。
あ、為念で言っておきますが、この頃の我家は4畳半&6畳のアパート暮らし。狭いもいいとこです。
にも関わらず、町家は狭く見えたのでした。それも、自分の家と比べて、狭く見えたのでした。
何かが、いるんですよ。何かが、あるんですよ。で、それが、空間を圧迫してるんですよ。
こんな原体験を持つためか、私は現在に至るも、町家が人気を呼ぶ理由が、よくわかりません。
元から住んでた人が、家を大事に想ったり、大事に使い続けようとするのはわかりますが、
「憧れの町家」 みたいな狂気のフレーズと共に、他所の人が有り難がる理由が、よくわかりません。
90年代後半あたりから、『超力ロボ ガラット』 の主題歌で有名な某女性作詞家を始めとして、
アート or オサレな連中が多く町家へ移住しましたが、あの感じが未だに受け続けてるんでしょうか。
あるいは、リノベのオサレさが受けてるとか。でもそんなの、すぐ陳腐化するしな。
ひょっとすると、町家ブームがここまで長続き&拡大してる理由は、オサレやリノベなどではなく、
私が子供の頃に感じた町家独特の不気味さみたいなものにこそあるのかも知れません。
オサレの影で生き続ける、何か。丸出しにされると引くけど、オサレに包まれると魅かれる、何か。
人間が凄まじく狭いところへ密集し、何世紀にも渡って生活しないと醸成されない、何か。
そんな何かが町家ブームの背後で暗躍してくれてると楽しいんですが、そんな戯言はともかく、
そんな何かがかなり丸出しになってる懐古庵でのクリスマス、いよいよ最終回です。
ラストは、夜散歩、炭酸晩酌、そして狂気の朝食まで、一気に突っ走ります。
孤独、寒さ、太鼓、そして白味噌と戦う様、とくと御覧下さい。

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京町家一軒貸し宿泊処・懐古庵を一軒借りして、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【2】

2012年12月24日(月)


町家宿・懐古庵を一軒借りしての聖夜、続きです。

京都の町家の源流は、実に平安時代まで遡れるそうですが、
現代に続く町家の形は、応仁の乱の後、町人が街の主役になってから整い始めます。
正方形の条坊制町割に秀吉が図子を通し細分化して以降、土地の高度利用はさらに活性化し、
町家本来のレゾンデートルである商売スペースの共有や、間口割の賦課金低減などのため、
家々の間口は 「間口三間」 とよく言われるようにどんどん狭化+奥行きは果てしなく深化。
いわゆる 「うなぎの寝床」 の誕生です。 「これ、どこまで続くねん」 なアレの誕生です。
この果てしなき奥行きは、坪庭を挟むような表屋造の立派な町家などにも当然活用されましたが、
土地を前後で二分し、奥には家賃収入を見込んで借家を建てるケースも、増加します。
表通りから路地 = ロージが引かれ、 その路地を 「一軒路地」 として独占的に使う一軒家や、
井戸や流しや便所が共同+路地自体も半ば公共空間と化したような長屋が、多く建てられました。
「オモテ」 に面した町家が、江戸期以降、各々の家が調和した美しい町並を形成したのに対し、
路地裏の長屋 = 路地長屋は、それらとはまた違う、生活感に満ちた独自の景観を形成。
明治に建てられたというこちらの懐古庵も、そんな路地長屋の形を伝える建物だったりします。
ゆえにここには、坪庭や通り庭、虫籠窓といった、町家の代名詞的なアイテムは、さほどありません。
しかし、ハードコアな共同生活の残り香を激烈に感じさせるオープンおくどさんを始めとして、
リノベをミニマル、あるいはミニマル以下に抑えた敷地内には、よりリアルな何かが、猛烈に残存。
昔日の生活感がきれいサッパリ脱臭されたような、オサレで現代的なリノベ町家にはない、
迫力や渋み、そしてストレンジな味わいを、そこかしらから感じられたりします。
そんな懐古庵の一軒を、ひとりで借りて過ごす、聖夜。ここからはいよいよ、夕食です。
台所が付いてるのをいいことに、リアルな生活感が残る町家に相応しい、
リアルおばんざいをリアルな手抜きで作ってみましょう。

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