2019年9月19日(木)

夕日ヶ浦木津温泉へ夕日を観に行きました。もちろん、ひとりで。
観光資源の濫掘を経た今もなお、京都は何故か、夕焼けスポットがあまりありません。
夕焼け自体がないわけでは、無論ないのです。この街も、夕日に染まることは多々あります。
夕日を背にした東寺・五重塔なんかは、京都のド定番ビジュアル or アイコンとさえ言い得るでしょう。
では、その東寺が見える場所が夕焼けスポットとして有名 or 人気かといえば、そうでもありません。
夕日を見れる場所全般についても、この街で人気を呼んでる話は、あまり聞いたことがありません。
これは一体、何故なのか。その理由は、京都が未来を感じさせない街だからだと、私は考えます。
細かく言うと、日没 or 夕日が死と同時に約束する未来を、この街は感じさせないからだと、考えます。
今日の喪失が、より豊かな明日を運んでくる。そんな、期待。というか、確信。あるいは、担保。
スクラップ・アンド・ビルドの高度成長期が、同時に 「夕日の時代」 としてもイメージされてるように、
あるいは、死の領域へ近接する遊戯に熱を上げるのが、概ね発情した若者ばかりであるように、
死や喪失が醸し出す切なさを楽しめるのは常に、未来に期待・確信・担保を持つ若き存在だけです。
そして、そんな期待・確信・担保は、京都にはありません。今までも、今後も、きっとありません。
ひたすら衰え、失い、無様になり続ける街。踏ん張るも、踏ん張れず、自ら斜陽を体現し続ける街。
そんな街に、夕日は似合わないのです。似合うのに必要な明日が、絶望的に欠けてるのです。
しかし、こうした京都の夕焼け事情も、府域にまで目線を広げた場合には、話が全然変わってきます。
未来どころか不死 or 来世の伝説が溢れまくる日本海側の丹後は、夕日スポットが特に目白押し。
夕日ヶ浦木津温泉、という名前の温泉街さえ、実在してたりします。これはもう、行くしかありません。
というわけで私は今回、そんな夕日ヶ浦へ赴き、未来と来世について思念を巡らせてみたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトであるために必要な挑戦なのです。
決して、超遅めの夏休みが出来たので、日帰りながら海へお出かけしたわけではありません。
断じて、夕日は実はついでで、メインはあくまで遊びと温泉だったわけでもありません。
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2018年2月27日(火)

湯の花温泉・すみや亀峰菴でぼたん鍋を堪能してきました。もちろん、ひとりで。
湯の花温泉。一般的、というか全国的な知名度は、一体どれくらいあるんでしょうか。
「京都といえば、湯の花温泉」 的な物言いを聞いたことがないので、ちょっと見当がつきません。
一応地元にあたる京都の人間にとっても、ここが馴染みの温泉として認識されてるかは、微妙。
「ほんなら、湯の花温泉行こか」 というような局面、なくはないでしょうが、少ないようにも思います。
『大林浩二のきょうの夜』 のスポンサーとして、松園荘・保津川亭のCMを観ることはありますが、
それ以前に 『大林浩二のきょうの夜』 を観てる人間がどれくらいいるかが、微妙以前にまず、不明。
説明しようとしても、どの辺からどれくらい詳細な説明が必要なのか、判断がつきかねるわけです。
というか、そもそも説明しようと試みてる私自身さえ、ここには左程馴染みがなかったりするわけです。
湯の花温泉、そんな感じの温泉であります。そんな感じとはどんな感じだな温泉であります。
場所は、亀岡。佐伯燈籠がある薭田野の西で、 「死なないで」 のR477で大阪へ直結する山間地。
京都から見ると半端に不便ですが、大阪から見ると隠れ家 or 秘境感がある所、なわけですね。
戦国時代の伝承も持ちますが、開発はあくまでも戦後。万博 or バブルの頃が、ピークでしょうか。
その頃の残り香漂う大バコ宿も点在してたりする、不思議といえば不思議な温泉であります。
では、ディープスポット巡りな気分で今回そんな不思議な温泉へ出かけたのかといえば、さにあらず。
亀岡は、丹波の最南端。そこの山間地ということは、丹波でありながらも割と温暖であるということ。
つまり、猪がいるわけです。実際、湯の花温泉の冬は、猪を食らうぼたん鍋が最大の売りなのです。
となれば、温泉入湯を必須とする 『ひとりで温もるぼたん鍋』 で、行かないわけには行きません。
ので今回は、猪と湯をがっつり堪能すべく、湯の花温泉・すみや亀峰菴へ日帰りで行ってみました。
団体がメイン層なのか何なのか、ひとりでぼたん鍋を食える宿が全然ない湯の花温泉ですが、
最もおしゃれな感じに見えるすみや亀峰菴が、何故か日帰りプランをおひとりさま客にも提供中。
値段こそしっかり高価めではありますが、これ幸いと思い、亀岡へと向かったのです。
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2016年1月20日(水)

くらま温泉へ行ってミニぼたん鍋と入浴セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。
猪の生息北限が秋田の辺りだということを、私はつい最近まで知りませんでした。
「北海道の雪深い中をバンバカ走り回ってる」 みたいなイメージを勝手に抱いてたんですが、
考えてみれば猪の脚というのはかなり短いのであり、あんな脚で雪山を駆け回ることは出来ません。
それゆえなのかどうなのか、猪の生息エリアは、比較的温暖なる西日本がメインになるんだとか。
京都的には 「北の方からやって来る、冬の味覚」 としてインプリンティングされてる猪ですが、
実際には特に 「北から来る生物」 というわけではなく、また 「寒冷地の生物」 でもないわけです。
では、その猪が何故冬によく食われるかといえば、それはやはり、単に冬に食うと旨いからでしょう。
臭みを消す為に編み出された味噌鍋という食い方が、冬の食と相性が良いのはもちろんですし、
単純に肉質自体も冬が一番良好であり、おまけに発熱効果まで持ってるのだから、たまりません。
要は、極めて人間本位な理由により 「冬の味覚」 ということになってるわけですね、猪は。
京都に於ける猪食の場合、この味的理由と共に、手軽に野趣が楽しめるという利点も加わります。
街を出てちょっと走ると、そこはもう、それこそ猪が走り回ってても何の不思議がない森林。
雪が降る日なんかは、白く染まった樹々を眺めて 「鄙」 の風情を楽しみながらぼたん鍋をつつき、
更には雪が降る中で露天風呂なんかも堪能したりすると、これはもう、極楽が極まるわけです。
そんなとことん人間本位な京都に於ける猪食の実態を、当サイトはより体感的に検証しようと考えて、
「温泉も必ず入る」 という絶対条件付きで企画 「ひとりで食べる京都のぼたん鍋」 を開始しました。
で、聖夜@大原温泉・大原の里に続く第2弾として今回食ったのが、くらま温泉のミニぼたん鍋。
くらま温泉。その名が示す通り、市街地から数10分で行ける鞍馬に湧き出る天然温泉であります。
温泉資源が貧弱な京都にあって、至近&手軽に湯&風情が楽しめることで人気の温浴施設ですが、
食堂も完備され、冬になればミニぼたん鍋+温泉入り放題+休憩室居放題のセットも提供。
で、そんなとことん極楽なセットを、大雪の日に時間が出来たので貪ってきました。
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2015年12月24日(木)

京の民宿・大原の里でぼたん鍋を食べて過ごす聖夜、前篇の続きです。
ごく小さな子供の頃、野生の猪がウロウロしてるのを見かけた記憶があります。
両親の実家がある丹波のどっかの山奥にて、団体で野外すき焼きをやってた時のことでした。
子供の頃から団体行動が嫌いだった私は、すき焼きの場を逃げ出して周囲を徘徊してたんですが、
その際、歩いていこうとした道の先に、恐らくはまだ子供であろう猪がウロウロしてるのを見たのです。
こちらが一歩踏み出した瞬間に逃げてしまった為、本当に猪だったかは正直、よくわかりません。
が、そんな遭遇があっても不思議がない程、京都府域にも猪は多数生息してるという話であります。
御存知かどうか知りませんが、丹波というのは、京都市街から車だと1時間程度で行けるエリア。
そんなとこに野生動物がバンバカ生息するエリアがあるのも、京都の食文化を豊かにしてる一要素。
「京に田舎あり」 、なわけです。最近は、獣害の侵攻ラインもどんどん人界へ近付いてはいますが。
現代へ入ると、京都近郊に於けるそういった田舎の風情は、観光面でも大きな資産となり、
大原もまた、市街地に近い場所にありながら 「侘」 の風情が色濃いエリアとして、人気を獲得。
「京の奥座敷」 の呼称+ 「京都大原三千院」 のフレーズと共に、愛されるようになりました。
そんな大原、近年には観光資産の価値を更に高めるべく、先刻から私が入りまくってる温泉も掘削。
「侘」 の風情と天然温泉、現地で育まれた滋味溢れる野菜、そして体が芯から温まるぼたん鍋と、
これらをまとめて楽しめてしまう大原の里での冬の一夜は、正に至福の世界と言えるでしょう。
って、そんなグルメ&旅エッセイ気取りの戯言はいいんですよ。問題は、 「境界」 ですよ、 「境界」 。
「四堺」 の 「艮」 、つまり鬼門に当たる最強 or 最凶の 「境界」 たる途中峠・和邇の攻略に際し、
猪肉の摂取により英気&霊気を養うべく臨んだ、今回の聖夜ひとりお泊まり@京の民宿・大原の里。
後篇では、猪肉を煮込んだ鍋へ京地鶏も投入して食いまくり、食った後で温泉にもまた入りまくり、
更にはすぐ蒲団でダラダラしまくり、朝にはまたまた温泉に入りまくり、朝食もバカスカ食いまくります。
そう、今回のお泊まりはあくまでも、準備なのです。真なるミッションを達成する為の、準備なのです。
決して、心の底から猪肉と温泉を堪能し、全てがどうでもよくなり始めてるわけではありません。
断じて、峠を攻略する気なんか実は最初から更々なかったわけでもありません。
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2015年12月24日(木)

京の民宿・大原の里でぼたん鍋を食べて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。
独男上等を謳う当サイトは、精神的外圧が年間で最も高まるクリスマスに於いて、
世間の馬鹿騒ぎへ真っ向から背を向けるべく、ひとりお泊まり企画を敢行し続けてきました。
が、2013年に地元・八幡橋本の遊郭転業旅館、そして2014年には大枝ラブホ街へ宿泊したことで、
実を言えば思いつき一発で始めたこのネタに突如、 「境界」 なるテーマが浮上して来たのです。
太陽の復活を祝うローマの太陽祭にルーツを持つクリスマスが、そもそも最初から孕む 「境界」 性。
そして、遊郭やラブホ街が、ある種のアジール性と共に極めて直接的な形で含有する 「境界」 性。
この辺のシンクロニシティを見極めることを考えて、私は橋本&大枝を宿泊地に選んだんですが、
橋本&大枝記事がクリスマスカテで並ぶ様を目にした時、別の真実に気が付いてしまったのでした。
これは、陰陽師が配備された平安京のスピリチュアル・ゲート 「四堺」 を押える流れになってる、と。
「四堺」 の 「坤」 即ち南西たる山崎と、橋により接続&その橋が地名の由来となった、橋本。
「四堺」 の 「乾」 即ち北西の峠であり、鬼伝説と共に長く軍事&交通の要衝であり続けた、大枝。
更には、2012年に泊まった町家もまた、 「四堺」 の 「巽 」 即ち南東たる逢坂へ続く三条通の傍。
そうです。私はまるで何かに導かれるかのように、 「四堺」 を時計回りで回っていたのです。
これもまた、 「境界」 の魔力による導きでしょうか。であれば、その導き、乗ってやろうじゃないか。
というわけで2015年の聖夜は、 「四堺」 の 「艮」 即ち北東たる途中峠・和邇を攻めることにしました。
北東は、言わずと知れた、鬼門。 「四堺」 めぐりの最後を飾るには相応しい 「堺」 と言えるでしょう。
ただその為か、困ったことにこの辺、宿が激少。激少というか、そもそも単純に、完全な山の中。
一晩歩き通すのも一興ですが、天候によっては死にますし、猿との白兵戦もない話ではありません。
なので今回は、その手前の大原へ泊まり、ついでにぼたん鍋を食い、英気を養うことにしたのです。
泊まったのは、近年温泉が掘削されて 「大原温泉」 の呼称も定着してる、京の民宿・大原の里。
この風雅な宿にて、獣肉をたらふく食らった上で温泉も堪能し、 「境界」 との闘いに備えたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、過酷な泊まりがいい加減しんどいので、温泉&グルメへ逃げたわけではありません。
断じて、冬場の食い物検索流入も狙い、温泉で駄目押しするわけでもありません。
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