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左京区
2025年2月26日(水)

橋本関雪の命日に、白沙村荘 橋本関雪記念館へ行きました。もちろん、ひとりで。
『風の谷のナウシカ』 のルーツを、橋本関雪の名画 『木蘭』 に見出してみる。
青き衣の者を、ランランララランランランを、 『木蘭』 の美少女に求めてみる。
老父に代わり男装で出征し、戦功を挙げた娘・木蘭。そんな中国の民話に題を得た 『木蘭』 。
そこで描かれているのは、帰郷中に馬を休ませる木蘭の美しい顔立と、強く鮮やかな青き衣。
木蘭を伝える 『木蘭詩』 そのものは、 『ムーラン』 をはじめとして、色々と映像化されてはいます。
が、木蘭の表情が持つ美しさ、そして何より青の強さは、 『木蘭』 の他で目にした記憶がありません。
似たものを挙げるなら、ナウシカ。美しく勇敢で、青き衣で、白いスパッツを穿く、ナウシカ。
老父に代わりトルメキア戦役に参戦し、戦功は挙げないものの、世界を変える、ナウシカ。
違うところはあり過ぎるというか、全てが相違点とさえ言えますが、繋がりはある気がしてなりません。
『敗走』 なるイラストなどは、全く似ておらず、肝心の青の色味も違うのに、何故か似て見えます。
戦闘美少女感に加え、ある種の戦前大陸趣味のような点で通底する何かを感じるのです。
となれば、青き衣の者が降り立つ金色の野も 『木蘭』 にはあるはず。きっとある。そうに決まった。
キャンバスの色を金色ということにしようか。キャンバスなのかどうか知らんけど、見た目が黄色いし。
そういえば 『ナウシカ』 原作本の紙も、わら半紙でこんな感じの色だったな。おおおお、繋がった。
・・・という狂気の無理くり話はともかく、話は関雪です。橋本関雪記念館です。
松花堂昭乗が先駆者とされる南画を、大正期に新南画として新たに確立した日本画家、橋本関雪。
その一方で大陸に何度も渡航し、南画のルーツたる中国には別邸まで構えたという、橋本関雪。
そんな豪快で自在な関雪の自邸・白沙村荘を美術館として公開しているのが、橋本関雪記念館です。
場所は、銀閣寺前。文字通りの一大観光ゾーンであり、前を通り過ぎたことがある方も多いはずです。
でも、行ったことはない。そんな感じではないでしょうか。私もこれまで、ずっと未訪でした。
なので、そんな未訪スポットへ命日に行く命日シリーズで行ってみたのです。
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2024年2月19日(月)

ウインタースペシャルで、料庭八千代の湯豆腐御膳を味わいました。もちろん、ひとりで。
2月の京都は、観光の閑散期ということになっています。というか、実際にそうです。
理由は、何より寒いから。底冷えの底で、大して雪も降らずにひたすら寒いだけという。
あとは節分の他にはこれといった行事がないのも、かなり大きいかも知れません。
いやもちろん、某国からの訪日客が増えてからは、こうした2月の事情も変わったんですけど。
いわゆる春節ですね。2月頭の大型連休で海を越えて来た連中は、京都にも沢山来るわけですね。
ただ、閑散期が消滅したというほどの印象も特になかったりするんですよ。特に月の後半は。
そもそも死ぬほど寒いことは変わらないわけだし。2月はやはり、観光には不向きな月なんでしょう。
そんな閑散期の対策として、2月の京都ではウインタースペシャルが行われています。
正式名称、京都レストランウインタースペシャル。その名の通り、京都の飲食系の冬の特別企画です。
誰もが知るような京料理の有名どころはもちろん、多彩なジャンルの多様な価格帯の店が参加し、
スペシャルな割引価格やスペシャルな限定メニューで何とか客を確保しようとする企画なわけです。
この企画、当サイト的に注目したい点は、ひとり客にも割と門戸を開いていることでしょうか。
とにかく席を埋めたいからなのか、普段はひとり客お断りのような店でも普通に入店出来たりするし、
普段は 「2名」 からしか表示されない予約サイトに 「1名」 の選択肢がちゃんと出現したりします。
有難いわけです。非常に有難いわけです。ひとりでうろつく当サイトとしてはこの機会、見逃せません。
恐らくコロナ前であれば、喜び勇んで出かけたでしょう。ウハウハで出かけたでしょう。
しかし私は、そして同志の皆さんは、コロナ禍を経て飲食がどれだけ大変かを知ってしまった。
「ぼったくってる分、独の俺で調整せい」 とか嘯く呑気な状態にはもう戻れません。
「店の事情など客に関係ない」 とは言えますが、そう言い放つ口元が歪むのを止められない。
なので今回、普段からひとりで予約出来る料庭八千代を敢えてウインタースペシャルで訪れ、
名物の庭と湯豆腐を味わいながら、今後のひとりの在り方を考えてみたのでした。
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2022年12月13日(火)

京料理展示大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京料理展示大会は、始まった頃からずっと岡崎を会場にして開かれてると思ってました。
理由は、開催回数と岡崎の開発経年数がほぼ同じだから。2022年時点で、百数十年という。
でも、違うそうです。京料理展示大会は休止期間などがあるため、もう少し古いそうです。
岡崎一帯の開発が始まったのは、琵琶湖疏水が開通し、内国勧業博覧会も開催された1890年代。
博覧会のパビリオンとして平安神宮が作られ、周りには美術館・勧業館・図書館なども生まれました。
対して京料理展示大会が始まったのは、明治19年 = 1886年。場所も、岡崎から程遠い北野天神。
東京遷都で落ち込んだ京都を盛り上げるべく始まったという点では、共通してる感もある両者ですが、
やはり京料理は近代だけのものではなく、それゆえ展示会の発祥も展開も違って来るわけですね。
根本的な説明が遅れました。京料理展示大会。その名の通り、京料理の展示大会です。
主催は、京都料理組合。施餓鬼会/時代祭神饌奉献と並ぶ3大行事のひとつとして開催してます。
大会のルーツは生間流による北野での式庖丁奉納で、その後も祇園などで勅題料理縦覧会を開催。
八坂倶楽部にてしばらく開催を続けるも、戦争で中断に至り、敗戦後に京料理展示大会として復活。
高度成長期に入ると八坂倶楽部から岡崎の京都市勧業館へ会場を移し、参加店や参観者数も増加。
そして平成以降は、新たな勧業施設のみやこめっせにて毎年12月に開催されてるわけであります。
この展示会が良いのは、素人も入れることでしょう。入場料を払えば誰でも入れるという。
なので会場内では、一生入ることがないかも知れない老舗や有名店の料理を拝むことが可能です。
並ぶ料理の数も凄まじく、ジャンルも寿司・ふぐなどを含め多岐に亘るため、全ては見切れないほど。
また会場には特設ステージが設けられ、この展示会のルーツとも言える生間流の式庖丁も披露。
他にも、五花街から呼んだ舞妓はんの舞を始め、京料理教室や出汁巻コンテストなど出し物も充実。
唯一残念なのは料理を食べられないことですが、もう少し金を出せば点心を楽しむこともできます。
そんな京料理展示大会、コロナ明けで復活したというので、初日に岡崎へ出かけました。
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2019年6月1日(土)

平安神宮へ京都薪能を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
平安神宮には、普段は有料の神苑に無料で入れる日が、年に2日設定されてきました。
ひとつは、6月の4日頃。もうひとつは、9月の17日頃。共に、神苑の入苑料がタダになるわけです。
タダになる理由は、言うまでもないでしょう。6月も、9月も、観光客が少なくなるシーズンだから。
6月は、行事があまりなくて、蒸し暑いだけの季節。9月も、行事があまりなくて、蒸し暑いだけの季節。
通振りたい観光客に青もみじを押し売りしても、生理的苦痛を忘れさせるまでには至らないのか、
あるいはやはり単に雨が多いからなのか、とにかく今ひとつ盛り上がりに欠ける時期ではあります。
ので、タダ日があると。修学旅行生が6月に多いのも、その辺の事情が関係してるんでしょうか。
では、毎年6月に行われる薪能が、タダ日と同じ目的で始まったのかといえば、それはわかりません。
元ネタたる奈良・興福寺の薪能と同じく、宗教的理由とかを持つ可能性も、充分あるとは思います。
が、地味な6月の京都にて最大の規模を誇る催事となってるのは、紛れもない事実ではあるでしょう。
薪能。正式名称、京都薪能。昭和25年より開始された、平安神宮にて開催される能公演です。
だだっ広い境内に特設舞台と客席を設け、日暮れ頃から薪を焚きながら展開されるのが、この公演。
1日&2日に開くことで梅雨の雨を避け、また雨天でも隣の京都会館が会場化出来ることがあって、
祇園祭がまだまだ遠い6月に彩を添える催事としてすっかり定着し、現在に至るまで継続されてます。
つまりこの薪能、明らかに大メジャーな行事です。が、当サイトでは今までスルーしてきました。
理由は、私が能に興味がないから。加えて、興味がない者にはチケットが高価過ぎると思えるから。
無論、興味がなくてもメジャー案件であれば、うちでは特攻をやってきました。をどりや、川床とか。
でも、少なくともをどりには、舞妓さんがいる。川床では、料理が食える。でも薪能には、どっちもない。
あるのは、眠い声と鼓の音。あとは、普段よく行く岡崎の雑音。行く気、しません。避けてました。
が、当サイトの趣旨はあくまでメジャーどころの単独特攻。これ以上、逃げることは許されません。
ので、行ってきました。高い金払って興味のないものを、夜どころか昼から観てきました。
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2019年2月3日(日)

節分の八瀬へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京都の鬼は、大江山に住むと考えられてます。いや、全国的にも、そう考えられてます。
老ノ坂・大枝か丹波・大江かで議論は分かれますが、とにかく 「おおえ」 に住むとされるわけです。
が、この鬼 aka 酒呑童子、生まれも育ちも大江山という設定なわけではありません。出身地は、別。
越後に生まれ全国を放浪した後、京の近くの比叡山へ居着き、それから大江へ引っ越したとか。
酒好きの酒呑童子ゆえ、丹波名物のどぶろくに惹かれて引っ越したのかといえば、これもさにあらず。
引っ越さされたのです。最澄 aka 伝教大師が叡山に延暦寺を建てる際、追い出されたのです。
鬼は、叡山に未練たらたらだったとか。伝・世阿弥作の謡曲 『大江山』 でも、かなり愚痴ってます。
我れ比叡山を重代の住家とし 年月を送りしに 大師坊というえせ人 嶺には根本中堂を
建て 麓に七社の霊神を斉ひし無念さに 一夜に三十余丈の楠となって 奇瑞を見せし所
に 大師坊 一首の歌に 「阿耨多羅三藐三菩提の仏たち 我が立つ杣に冥加あらせ給え」
とありしかば 仏たちも大師坊にかたらはされ 出でよ出でよと責め給えば 力なきして 重
代の比叡のお山を出でしなり (謡曲 『大江山』 )
当サイトでは2018年の節分、長年の念願が叶い、鬼の里たる丹波・大江山の訪問を果たしました。
が、この訪問を経て私は、プレ大江山たる叡山を訪問する必要性も感じるようになったのです。
そもそも、京都の東北に聳える比叡山は、京都という都市を考える際には避けることが許されない山。
これはもう、登るしかない。そう考えて今回、鬼の日・節分を選んで登山を決行したのであります。
ので、この記事タイトルは、おかしいのです。八瀬でなく叡山へ行ったでなければ、おかしいのです。
写真も、おかしいのです。叡山山麓の八瀬で叡山とは関係ない鯖寿司を食うわけが、ないのです。
悪天+時間がないので、ちょこっと八瀬行って節分ネタを済ませたわけが、ないのです。
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2018年4月5日(木)

京都府立植物園の桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
植物園へ桜を観に行くというのは、ある意味、反則と言える行為かも知れません。
世界中の様々な植物を集めて栽培し、そして展示し、人々に教養と癒しを齎す場、植物園。
なので、桜も観れて、当たり前。しかも、種類が多くて開花時期も違うので、長く観れて、当たり前。
「短い間に必死こいて観る」 という桜のプレミアム感が、薄れるんですよね。で、ゆえに、反則と。
ただ、人の世は世知辛きものでして、桜をちょっと愛でる時間さえなくなるというのも、よくあること。
また、季節のない部屋へ籠って仕事してるうちに、桜が儚く散り去ってたというのも、よくあること。
帰り道などに路傍の桜が葉桜と化してるのを見て、 「春を取り戻したい」 「俺の春を返せ」 など怒り、
電飾によって着色された葉っぱでも何でもいいから桜を観たいと思うのも、人情というものでしょう。
また、やっとこさ桜ピーク時に京都の宿を予約したにも関わらず、開花が異常に早くなったりして、
京都へ着いた頃には桜が片っ端から葉桜になってた方なども、似たような気持ちになるのでしょう。
そんな桜難民と化した人にとって重宝な存在なのが、京都府立植物園の桜ライトアップです。
京都府立植物園。名の通り、京都府の植物園です。府立なのは、土地を買ったのが府だからです。
大正天皇即位に併せた大博覧会開催を企画した府は、田園だった半木神社周辺の土地を購入。
しかし計画破綻&土地転用で、1924年、日本最初の公立植物園としてこの植物園は開園しました。
第2次大戦敗戦直後には、GHQが米兵の為の住宅地として占領したりしましたが、1955年に再開園。
以後、 「指定管理者制度にせえ」 とか 「サッカー場にせえ」 とか言われながらも何とか乗り越え、
国内最大級の観覧温室も備えた堂々たる公設植物園として、市民の憩いの場であり続けてます。
そんな府立植物園、もちろん桜林もあって、ソメイヨシノ&ヤエベニシダレを中心に極めて充実。
しかも、 「せえ」 という声を跳ね除ける為なのか、植物園としては反則と思えるライトアップも実施。
特に枝垂系は遅くまで咲いてくれるので、葉桜を食らった難民の良い避難先になってます。
で、2018年は開花が凄く早く、私も見事に桜難民と化したので、避難してみました。
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2017年2月3日(金)

節分の吉田神社で、大元宮を見て年越し蕎麦を食べてきました。もちろん、ひとりで。
2月3日の節分は、日本の現行法に於いて、いわゆる祝日と定められていません。
「現行法でなければ休みだったのか」 とか訊かれると困りますが、とにかく祝日ではありません。
節分が正月を凌ぐほどの盛り上がりを見せる京都であっても、この事情はもちろん同じです。
旧暦の年越しを喜ぶように盛り上がりつつも、現行の祝日法には従い、休みにはならないわけです。
なので、節分の京都を一日徘徊するというのは、土日でもない限り、割と、いやかなり、難しいと。
当サイトではこれまで、この難しさを無理矢理に超克する形で、節分の京都徘徊を続けてきました。
毎年毎年、一日中寺社を回りまくり、2016年は綾部の大本へ泊まりで出かけたりさえしました。
頑張ってたのであります。通すべき義理も通さず、切るべき仁義も切らず、頑張ってたのであります。
冷静に考えると、何を頑張ってきたのかよくわかりませんが、とにかく頑張ってきたのであります。
しかし今回は、遂に時間の都合が付かなくなったのです。暇丸出しの徘徊が、出来なくなったのです。
昼に2時間ほどの空きは何とか確保しましたが、それ以上はどうにも時間が取れなくなったのです。
どうしよう。2時間で、何処をどう巡ろうかな。というか、2時間で徘徊なんか、出来るかな。
「徘徊より何処か1ヵ所に絞った方がいいかも」 と考えていて、頭に浮かんだのが、吉田神社です。
吉田神社。都の鬼門・吉田山に立ち、ゆえに節分が 「京都の節分」 の代名詞たる盛況を誇る社です。
無論、当サイトでも既訪であり、露店の混雑や火炉祭の凄さは、お伝えしている通りであります。
サウスの八幡人ゆえ感じるであろう独特の異様さにも言及する形で、お伝えしている通りであります。
が、夜の吉田の凄まじさは見てても、昼間の吉田の節分は、私、見たことがありませんでした。
あと、参道の年越し蕎麦の露店も、新暦で動く偽京都人として、気になりながらもスルーしてました。
これは、いかんと。 「京都の節分」 の代名詞、全時間帯で見とくべきだと。蕎麦も、食うべきだと。
そう考えて2017年の節分めぐりは、真昼間の吉田神社を短時間で巡回し、済ますことにしたのです。
また、年越し蕎麦もしっかり食い、京都の 「本当の年越し」 を真に面白がることにしたのです。
更には、夜の訪問時には混雑で日和った吉田のコア・大元宮への参拝も、今回は忘れてません。
所要時間、1時間。しかし、 「京都の節分」 最深層は、垣間見えたかも知れません。
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2017年1月1日(日)

2017年への年越しを、永観堂で写経だけをして迎えました。もちろん、ひとりで。
当サイトではこれまで毎年の年越しに際し、様々な寺で除夜の鐘を撞いてきました。
徘徊の挙句に撞けなかった年もありますが、とにかく他所者としてネイティブな場へ紛れ込み、
本来は近所の人が顔を合わせて撞く鐘を、気後れと気まずさを感じながら、撞いてきたわけです。
この気後れと気まずさ、地元・八幡でさえ 「移民の子」 という自覚ゆえ逃れられなかった私は、
やがて払拭を求めるようになり、2016年には本籍地の隣・南丹市船枝に立つ京都帝釈天へ遠征。
ルーツとも言える地にて、参道に並ぶ108個の鐘を遠慮なく&思う存分撞きまくったんですが、
この撞きまくりにより、私の中にあった鐘への欲求は何か、昇華されてしまいました。
鐘は、もういい。撞く必要性を、感じない。そもそも、年越しだから鐘を撞くなんて、もう古いですよ。
むしろ、鐘に捉われないことにより、今まで見ることが出来なかった年越しの相貌を見てみたい。
欲求の昇華により、魂が次のステージに入ったのか、私はそう考えるようになったのでした。
とはいえ、単に除夜の鐘をやってない寺を訪れ、何らかの祈願をするだけでは、流石に味気ない。
鐘は撞かず、でも多少は年越し感のある行事をやってる寺へ、行きたい。でも、そんな寺、あるかな。
という疑問を速攻で抱きましたが、その答えはやはり速攻で見つかりました。永観堂です。
永観堂。正式名称 「秋はもみじの永観堂」 。というのはもちろん嘘で、聖衆来迎山無量寿院禅林寺。
浄土宗西山禅林寺派総本山なわけですが、一般的には無論、紅葉の名所として有名であります。
ゆえに、紅葉以外には幼稚園の園児募集ポスターぐらいしかイメージがない寺なんですが、
年越しでは 「聖衆来迎」 の名に相応しく、無量ならぬ無料で鐘楼を開放して、除夜の鐘を実施。
のみならず、名物 「みかえり阿弥陀」 を祀る阿弥陀堂では、写経も行われるのです。これですよ。
というわけで今回の年越しは、写経の為だけに、永観堂を訪寺。鐘は、撞きません。
「にらみ鯛」 ならぬ 「にらみ鐘」 とでも呼ぶべき新たな年越しスタイルを提案したいと思います。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、鐘を待って並んだり突っ立ったりするのが、単純にしんどくなったのでは、ありません。
断じて、年越しネタ自体がいい加減ネタ切れ+飽きが来てるわけでも、ありません。
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2016年11月25日(金)

鷺森神社へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。
紅葉の季節が終わる度に、何故か持ち金が減ってることに、気が付いたりします。
よくよく考えると、不思議なことはありません。金が減るのは、当然、その分を使ったからです。
紅葉を観に入った寺の拝観料とか、そこへの移動費とか、多少の飲食費とかで、使ったからです。
一件ごとに見れば、小銭の範疇でしょう。実際、紅葉徘徊の最中も、散財の自覚はありません。
が、使ってる、確実に。で、減っていく、確実に。この 「使」 と 「減」 が10件とかになれば、どうなるか。
ここ数年の当サイトに於ける紅葉記事は、年3~4本というしょぼいペースのアップになってますが、
実は記事化してない訪問も結構あって、結局は毎年毎年10件近くは紅葉を拝みに行ってたりします。
なので、トータルの出費は、そこそこの額になるわけですね。で、毎年、財布を見て驚くわけですね。
ただ、さらによくよく考えるとこうした出費、旅行者の方はもっとエグい形で味わってるわけですよ。
私が1~2週間で使う額を、下手すると1日で使う場合も、充分想定できます。これは確かに、キツい。
拝観受付とかで 「また金か」 とボヤく観光客を見る度に、私は 「小銭だろ」 とか思ってしまうんですが、
そこへ至るまでに同様の小銭を何度も払って来たなら、ボヤきたくなるのも人情としては普通です。
さらにさらによくよく考えれば、ひとり客であるがゆえに、連れ相手にボヤきを漏らすことも出来ず、
キツさを噛み殺して、じっと出費に耐えてる同志の方も、かなりの規模で存在するのかも知れません。
大変です。さらにさらにさらによくよく考えると、何が大変かよくわからなくなりますが、でも大変です。
なので、そんな出費疲れを癒やしてくれる紅葉も紹介すべく、今回、鷺森神社へ出かけてみました。
鷺森神社。修学院離宮の近くにあって、修学院&山端エリアの氏神として信仰されてる社であります。
と同時に、現・修学院離宮の地から移転する為、霊元天皇より現社地を下賜された社でもあります。
アーシーなる信仰とロイヤルなる由緒を併せ持つ、実に市井の京都らしい社とも言える神社でしょう。
そんな鷺森神社、ロイヤルな社地ゆえか参道が大きく、道沿いの樹々は秋になれば実に紅化。
参道自体はコンクリ丸出しの殺風景な代物である為か、所謂 「穴場」 化は今も左程してませんが、
写真の写りは妙に良く、無料で拝める紅葉としては破格のクオリティを誇るものだと思います。
そんな鷺森神社の紅葉、拝観料のみならず交通費もケチって観に行ってみました。
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2016年9月27日(火)

細見美術館の琳派展へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
琳派。 『琳として派閥』 という名前のバンドの略称です。というのは、もちろん、嘘です。
琳派。近世京都の町衆文化を象徴する様に誕生した、装飾性豊かなアートの流派であります。
光悦村を作った本阿弥光悦を創始者&ディレクターとし、 『風神雷神図』 の俵屋宗達を経て、
呉服屋の放蕩息子にしてデザイン性が高い図案を量産した尾形光琳で、琳として爆発した、琳派。
その強い魅力は、時空を超えて私淑のフォロワーを生み続け、近世後期には江戸でも隆盛化。
更に近代では海外で大きな評価も集め、評価が逆輸入された国内では 「琳派」 の呼称が定着化。
そして現代に入ると、 「かわいいは正義」 という狂った世風と過剰なまでの親和性&共鳴力を発揮し、
ヘッドロックを決める犬や口半開きの鹿などが女子供の人気を集めてるのは、御存知の通りです。
で、そんな琳派の作品を集中的にコレクションしてるのが、今回訪れた細見美術館であります。
昭和初期の大阪・泉大津にて毛織物で財を成した初代・細見古香庵が、その成功後に収集を始め、
二代・古香庵が、琳派を始めとする江戸期の作品を大幅に加える形で拡大させた、細見コレクション。
そのコレクションを公開する場として、1998年に岡崎の地にて開館したのがこの美術館であり、
「琳派美術館」 という別名に相応しく、様々な観点から作品を紹介する 「琳派展」 も、定期的に開催。
京都発祥ながら、近世後期からの経済没落の為か何なのか、あちこち散逸している琳派の作品に、
京都の人間も気軽に、かつ集約された形で、接することが出来るようになった、というわけです。
そんな細見美術館、私、館前こそしょっちゅう通ってるんですが、そもそも芸術にあまり縁がない為、
若冲展や春画展で行列が出来てる際も、 「混んどるなあ」 とか思いながら、通り過ぎてばかりでした。
が、京都の 「ベタ」 を追い求めるのが、このサイトの趣旨。琳派もまた、看過は許されないでしょう。
というわけで、琳派をより琳として探求すべく、琳派誕生401年という記念すべき年を敢えて選び、
「琳派展」 の第18弾、その名もずばり 「京の琳派」 と銘打たれた展覧会へ、出かけたのであります。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為の、挑戦なのです。
断じて、9月のネタ採集が全く出来てないのを月末になって思い出し、でも床特攻も飽きたので、
何か目新しいことをしようと思い、冷やかし半分でフラフラ出かけたのでは、ありません。
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2016年8月16日(火)

五山送り火の妙法を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。
五山送り火は、その名の通りに火を用いる行事ながら、基本、雨天決行となってます。
槍が降っても決行というわけではなく、1963年には豪雨で順延してますが、基本、16日に固定。
少なくとも私の記憶がある範囲では、 「雨で延期になった」 という話は、聞いた憶えがありません。
大変だという話ではあります。が、それも、当然でしょう。送り火はあくまで、送り火なのですから。
ホテル屋上で酒の肴に火を眺める仏罰必定の輩から、五山コンプへ挑む自転車珍走団に至るまで、
様々な愚民を様々な愚行へ駆り立てるライトアップイベントのようになってしまってる、五山送り火。
しかし、その本義はあくまで、現世へ戻った精霊 aka おしょらいさんを、あの世へ送り返すこと。
所詮は雲から下の事情に過ぎない雨で、精霊のステイ日数を延長させるわけには行かないのです。
延長などすれば、現世へ未練を抱いて帰らない居残り幽霊が大量出現するかも知れませんし、
そうなれば、そもそも霊口密度が高過ぎる怨霊都市・京都に於いて霊口爆発が発生するのは、必定。
然るべきスケジュールで、然るべき客出しで、然るべき場所へ帰ってもらう。これが、大事なのです。
なので、2016年の五山送り火は、とんでもない雨の中でも中止されずに敢行されました。
ゆえに、五山送り火5ヵ年計画を遂行中の当サイトは、ズブ濡れで妙法へ出かけました。
阿呆丸出しで何度も何度も様々な方法で五山コンプへ挑むも、それら愚行の全てが失敗に終わり、
反省の後、 「5年かけて、1年に一山ずつ観る」 と決め2015年に発動したのが、当サイトの5ヵ年計画。
初年度の前年は、送り火の代名詞的存在をまず押さえようと、大文字山を拝みに行きましたが、
第2回の今回は、大文字の隣にして大文字に続いて点火される妙法を、拝みに行ったのであります。
松ヶ崎・妙法は、洛北は北山の東にあって、五山の中で唯一 「妙」 と 「法」 の2文字1ペアな山。
この地は、日蓮の孫弟子・日像の教化により村全てが日蓮宗へ改宗したという伝説を持ちますが、
送り火で描かれる 「妙」 の字もやはり、日像上人が西側の山に書いた 「妙」 をルーツとしているもの。
正に霊的事情により決行されてる送り火なのであり、雨程度で中止されることは考えられません。
正直、当日に雨が降り始めた時には、5ヵ年計画を6ヵ年計画にする屁理屈を考えたりもしましたが、
大変な思いをして燃やされる火を拝むなら、こちらも多少は大変な思いをするのが、筋でしょう。
そう考え、雨の松ヶ崎へ出かけたのでした。そして、本当に大変な思いをしたのでした。
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2016年6月23日(木)

大原・三千院へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
あじさいに、 「北」 の花というイメージはあるでしょうか。私には、あまりありません。
どちらかといえば、 「南」 な花、という印象を持ってました。生息域は東北辺りまで、みたいな。
この印象は無論、間違った思い込みに過ぎません。あじさいの生息域は、北海道にまで及びます。
それこそ、エゾアジサイもあるし。世界へ目を向ければ、ヒマラヤにもアジサイがあるらしいし。
少なくとも人が住める程度の北所や高所に於いて、あじさいが咲かないということはないようですよ。
にも関わらず、そんなあじさいに対して私が 「南」 な花という印象を、何なら今も持っているのは、
京都に於けるあじさいの名所が、京都市 or 京都府の南部に比較的多いからなのかも知れません。
藤森の藤森神社。宇治の三室戸寺。共に、著名なあじさいの名所です。で、所在地も共に、南部。
あじさいが咲く梅雨のテイストと、かつて巨椋池が存在した湿地帯的なるディープサウスのテイストを、
己の中で勝手に重ね、己の中で勝手に納得し、己の中で勝手に確定してたのかも知れません。
当然、こんな阿呆な類推・曲解・盲信に関係なく、京都の北部に於いてもあじさいはしっかり、開花。
見物客を多く呼び込むあじさいスポットもしっかり、存在します。そのひとつが、三千院です。
三千院。言うまでもなく、洛北にして 「京都の奥座敷」 とも呼ばれる大原を代表する名寺であります。
天台声明の聖地であり、建礼門院などの貴人が世を捨て隠棲したことでも知られる大原の里へ、
明治期に入って梶井門跡が移転し、声明寺院を統括していた政所に落ち着く形で生まれた、三千院。
アクセスは未舗装の鯖街道のみだった大原が、昭和の道路整備&バス開通で観光化した後は、
「京都・大原・三千院」 という三段活用と共に、そのランドマークとして認知されまくっている、三千院。
大原の 「侘」 を体現する極楽往生院を始めとして、見所が多く人気も高い名刹なわけですが、
梅雨時の稼働率も上げたいのか何なのか、境内にはあじさい苑も設けられ、こちらも結構な人気。
あじさいを 「南」 な花と思い込む私の臆見など無関係に、大原の梅雨を鮮やかに彩ってます。
で、そんな 「北」 のあじさいを拝むべく、サウスな私は鯖街道を北上したのでした。
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2016年5月13日(金)

貴船べにやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。
何度も書いてることですが、当サイトで最もアクセスが多いのは、貴船の川床記事です。
鴨川の川床記事では、ありません。貴船の川床記事です。それも、カフェをめぐった記事です。
ひろ文の床へ行ったついでに、川床カフェ2軒へ寄っただけの記事が、昔も今も一番人気なのです。
この過酷な現実に直面した私は、 「何だ、結局は安いのがいいのか。ああそうかそうか」 とグれ、
アクセスが遙かに楽な鴨川エリアでコーヒーを飲み倒す川床カフェめぐりなんてのをやらかしたり、
更には和食の枠を超えてタイ料理川床なんてのも推してみたりもしましたが、状況は変わらず。
カフェ、そしてひろ文の貴船2記事は、今なお全鴨川記事を凌駕し、最大の稼ぎ頭であり続けてます。
この状態はつまり、貴船には高い人気があるということを、実にストレートに示してるんでしょう。
そして同時に、恐らくはその人気の割に、貴船に関する情報が少ないということでもあるんでしょう。
これは、やらねばならぬ。出費が痛くとも、やらねばならぬ。夏本番の到来など、待ってられぬ。
そう考えた私は、久しぶりに 「ゆか」 ではない 「どこ」 を求めて、5月の貴船へ向かったのでした。
今回赴いたのは、貴船の料理店が立ち並ぶゾーンのいわば入口に店を構える、貴船べにや。
こちらのべにや、 「べにや」 という検索ワードで当サイトに流入して来る方が、妙に多いんですよ。
うちにはこれまで、べにやの記事は存在しませんでした。にも関わらず、飛んでくる人が多い。
ひろ文の記事で店前を通る程度のことは書いてますが、まあ、それだけです。にも関わらず、多い。
この状態はつまり、べにやには高い人気があるということを、実にストレートに示してるんでしょう。
そしてまた、恐らくはその人気の割に、べにやに関する情報が少ないということも示してるんでしょう。
これは、やらねばならぬ。出費が痛くとも、やらねばならぬ。夏本番の到来など、待ってられぬ。
そうも考えた私は、久しぶりに 「ゆか」 ではない 「どこ」 を求めて、5月の貴船へ向かったのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。客数の基礎票を固めるという、新たな挑戦なのです。
固めた基礎票の層に、偶発的にでも当サイトのスピリットへ触れてもらう為の、新たな挑戦なのです。
決して、少し小金が出来て天気も良かったので、何となく貴船へ出かけたわけではありません。
断じて、行ったら店探しが面倒になり、一番駅近のべにやへ入ったわけでもありません。
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2016年1月20日(水)

くらま温泉へ行ってミニぼたん鍋と入浴セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。
猪の生息北限が秋田の辺りだということを、私はつい最近まで知りませんでした。
「北海道の雪深い中をバンバカ走り回ってる」 みたいなイメージを勝手に抱いてたんですが、
考えてみれば猪の脚というのはかなり短いのであり、あんな脚で雪山を駆け回ることは出来ません。
それゆえなのかどうなのか、猪の生息エリアは、比較的温暖なる西日本がメインになるんだとか。
京都的には 「北の方からやって来る、冬の味覚」 としてインプリンティングされてる猪ですが、
実際には特に 「北から来る生物」 というわけではなく、また 「寒冷地の生物」 でもないわけです。
では、その猪が何故冬によく食われるかといえば、それはやはり、単に冬に食うと旨いからでしょう。
臭みを消す為に編み出された味噌鍋という食い方が、冬の食と相性が良いのはもちろんですし、
単純に肉質自体も冬が一番良好であり、おまけに発熱効果まで持ってるのだから、たまりません。
要は、極めて人間本位な理由により 「冬の味覚」 ということになってるわけですね、猪は。
京都に於ける猪食の場合、この味的理由と共に、手軽に野趣が楽しめるという利点も加わります。
街を出てちょっと走ると、そこはもう、それこそ猪が走り回ってても何の不思議がない森林。
雪が降る日なんかは、白く染まった樹々を眺めて 「鄙」 の風情を楽しみながらぼたん鍋をつつき、
更には雪が降る中で露天風呂なんかも堪能したりすると、これはもう、極楽が極まるわけです。
そんなとことん人間本位な京都に於ける猪食の実態を、当サイトはより体感的に検証しようと考えて、
「温泉も必ず入る」 という絶対条件付きで企画 「ひとりで食べる京都のぼたん鍋」 を開始しました。
で、聖夜@大原温泉・大原の里に続く第2弾として今回食ったのが、くらま温泉のミニぼたん鍋。
くらま温泉。その名が示す通り、市街地から数10分で行ける鞍馬に湧き出る天然温泉であります。
温泉資源が貧弱な京都にあって、至近&手軽に湯&風情が楽しめることで人気の温浴施設ですが、
食堂も完備され、冬になればミニぼたん鍋+温泉入り放題+休憩室居放題のセットも提供。
で、そんなとことん極楽なセットを、大雪の日に時間が出来たので貪ってきました。
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2015年12月24日(木)

京の民宿・大原の里でぼたん鍋を食べて過ごす聖夜、前篇の続きです。
ごく小さな子供の頃、野生の猪がウロウロしてるのを見かけた記憶があります。
両親の実家がある丹波のどっかの山奥にて、団体で野外すき焼きをやってた時のことでした。
子供の頃から団体行動が嫌いだった私は、すき焼きの場を逃げ出して周囲を徘徊してたんですが、
その際、歩いていこうとした道の先に、恐らくはまだ子供であろう猪がウロウロしてるのを見たのです。
こちらが一歩踏み出した瞬間に逃げてしまった為、本当に猪だったかは正直、よくわかりません。
が、そんな遭遇があっても不思議がない程、京都府域にも猪は多数生息してるという話であります。
御存知かどうか知りませんが、丹波というのは、京都市街から車だと1時間程度で行けるエリア。
そんなとこに野生動物がバンバカ生息するエリアがあるのも、京都の食文化を豊かにしてる一要素。
「京に田舎あり」 、なわけです。最近は、獣害の侵攻ラインもどんどん人界へ近付いてはいますが。
現代へ入ると、京都近郊に於けるそういった田舎の風情は、観光面でも大きな資産となり、
大原もまた、市街地に近い場所にありながら 「侘」 の風情が色濃いエリアとして、人気を獲得。
「京の奥座敷」 の呼称+ 「京都大原三千院」 のフレーズと共に、愛されるようになりました。
そんな大原、近年には観光資産の価値を更に高めるべく、先刻から私が入りまくってる温泉も掘削。
「侘」 の風情と天然温泉、現地で育まれた滋味溢れる野菜、そして体が芯から温まるぼたん鍋と、
これらをまとめて楽しめてしまう大原の里での冬の一夜は、正に至福の世界と言えるでしょう。
って、そんなグルメ&旅エッセイ気取りの戯言はいいんですよ。問題は、 「境界」 ですよ、 「境界」 。
「四堺」 の 「艮」 、つまり鬼門に当たる最強 or 最凶の 「境界」 たる途中峠・和邇の攻略に際し、
猪肉の摂取により英気&霊気を養うべく臨んだ、今回の聖夜ひとりお泊まり@京の民宿・大原の里。
後篇では、猪肉を煮込んだ鍋へ京地鶏も投入して食いまくり、食った後で温泉にもまた入りまくり、
更にはすぐ蒲団でダラダラしまくり、朝にはまたまた温泉に入りまくり、朝食もバカスカ食いまくります。
そう、今回のお泊まりはあくまでも、準備なのです。真なるミッションを達成する為の、準備なのです。
決して、心の底から猪肉と温泉を堪能し、全てがどうでもよくなり始めてるわけではありません。
断じて、峠を攻略する気なんか実は最初から更々なかったわけでもありません。
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2015年12月24日(木)

京の民宿・大原の里でぼたん鍋を食べて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。
独男上等を謳う当サイトは、精神的外圧が年間で最も高まるクリスマスに於いて、
世間の馬鹿騒ぎへ真っ向から背を向けるべく、ひとりお泊まり企画を敢行し続けてきました。
が、2013年に地元・八幡橋本の遊郭転業旅館、そして2014年には大枝ラブホ街へ宿泊したことで、
実を言えば思いつき一発で始めたこのネタに突如、 「境界」 なるテーマが浮上して来たのです。
太陽の復活を祝うローマの太陽祭にルーツを持つクリスマスが、そもそも最初から孕む 「境界」 性。
そして、遊郭やラブホ街が、ある種のアジール性と共に極めて直接的な形で含有する 「境界」 性。
この辺のシンクロニシティを見極めることを考えて、私は橋本&大枝を宿泊地に選んだんですが、
橋本&大枝記事がクリスマスカテで並ぶ様を目にした時、別の真実に気が付いてしまったのでした。
これは、陰陽師が配備された平安京のスピリチュアル・ゲート 「四堺」 を押える流れになってる、と。
「四堺」 の 「坤」 即ち南西たる山崎と、橋により接続&その橋が地名の由来となった、橋本。
「四堺」 の 「乾」 即ち北西の峠であり、鬼伝説と共に長く軍事&交通の要衝であり続けた、大枝。
更には、2012年に泊まった町家もまた、 「四堺」 の 「巽 」 即ち南東たる逢坂へ続く三条通の傍。
そうです。私はまるで何かに導かれるかのように、 「四堺」 を時計回りで回っていたのです。
これもまた、 「境界」 の魔力による導きでしょうか。であれば、その導き、乗ってやろうじゃないか。
というわけで2015年の聖夜は、 「四堺」 の 「艮」 即ち北東たる途中峠・和邇を攻めることにしました。
北東は、言わずと知れた、鬼門。 「四堺」 めぐりの最後を飾るには相応しい 「堺」 と言えるでしょう。
ただその為か、困ったことにこの辺、宿が激少。激少というか、そもそも単純に、完全な山の中。
一晩歩き通すのも一興ですが、天候によっては死にますし、猿との白兵戦もない話ではありません。
なので今回は、その手前の大原へ泊まり、ついでにぼたん鍋を食い、英気を養うことにしたのです。
泊まったのは、近年温泉が掘削されて 「大原温泉」 の呼称も定着してる、京の民宿・大原の里。
この風雅な宿にて、獣肉をたらふく食らった上で温泉も堪能し、 「境界」 との闘いに備えたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、過酷な泊まりがいい加減しんどいので、温泉&グルメへ逃げたわけではありません。
断じて、冬場の食い物検索流入も狙い、温泉で駄目押しするわけでもありません。
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2015年8月16日(日)

五山送り火の大文字を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。
五山送り火。ござんのおくりび。間違いなく、京都の夏に於ける最大級の風物詩です。
お盆に際し現世へ帰って来た精霊 aka おしょらいさんを、再び冥界へ送る万灯籠の習俗が、
花の都で様々な影響を受け大規模化した末、闇夜にページェントを現出させるに至った、送り火。
炎で描かれた 「大文字」 「妙法」 「舟形」 「左大文字」 「鳥居形」 が街を囲むそのビジュアルは、
本来の目的たる信仰を集めると共に、 「夏の風物詩」 の枠を越え京都観光そのもののアイコン化。
ホテル屋上で酒の肴に眺める仏罰必定の輩から、五山コンプへ挑む自転車の珍走団に至るまで、
様々な阿呆に阿呆な意欲をも湧かせる巨大イベントとなっていることは、誰もが知る所でしょう。
そんな五山送り火、京都の超メジャースポットへの単独正面突破をモットーとする当サイトとしては、
本来なら絶対に見逃すわけにはいかない、何を差し置いても押さえておくべき行事ではあります。
しかし、これまで当サイトに送り火記事は、存在しませんでした。あらゆる形で、存在しませんでした。
決して、避けてたわけではありません。被災木材拒否でウンザリし、避けてたわけではありません。
逆です。ネタの採取は毎年、敢行し続けてきたのです。そして、全てに失敗し続けてきたのです。
採取を始めた2011年は、自転車による五山コンプに挑むも、嵐山へ珍走する途中で、タイムアウト。
2012年は、懲りずに自転車でコンプに挑むも、北山通の混雑で躓き、舟形の手前で貧血ダウン。
2013年は、混雑回避を考え、敢えて徒歩&公共交通機関で挑むも、妙法を過ぎた辺で早速、アウト。
2014年は、発狂して全徒歩コンプに挑むも、大文字以外全アウト。と、失敗し続けてきたのです。
そして、各山の点火時間が繰り上がった2015年、私は流石に考えました。コンプはもう、止めようと。
むしろ、1年に1山ずつ回る方がまだ、いいかも。その方が、うちには、合うかも。そうだ、そうしよう。
というわけで当サイトは、五山送り火を5年かけてコンプする5ヵ年計画の発動を、ここに宣言します。
計画発動期間中、彼女が出来てサイト更新を辞めたり、または私が死んだりするかも知れませんし、
外出の面倒さから年数が6ヵ年とか8ヵ年とかに化ける可能性もありますが、とにかく宣言します。
で、記念すべき5ヵ年計画初年度のターゲットは無論、大文字。東山・如意ヶ嶽に浮かぶ、大文字。
「大文字焼き」 なる呼称さえ生んだ、五山送り火にとってキービジュアル的な存在の山です。
この大文字を、出町から北大路までの大混雑する加茂川西岸から、拝んでみました。
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ひとりで燃える京都の火祭,
左京区,
★★★,
夜も、ひとり,
夏も、ひとり,
上京区,
北区,
五山送り火5ヵ年計画,
ひとりで彷徨う京都のお盆,
拝観無料,
超メジャー級 | tags:
大混雑 |
2014年12月7日(日)

妙満寺の釈尊成道会・大根だきへ行ってきました。もちろん、ひとりで。
当サイトは、10月を過ぎた頃から、一気にアクセス数が下がります。
理由は、明白です。稼ぎ頭である川床記事&鱧記事への訪問客が、激減するからです。
その下がりっぷりは、 「見てて凹む」 などという段階を遙かに越え、もはや面白い程のレベルであり、
「人は所詮、食い物にしか興味を持たない」 という真実を思い知らされること、しきりであります。
が、そんな人の業を嘆き悲しんでいても、あるいはボヤき揶揄していても、仕方ありません。
それに、この業を逆に捉えるならば、アクセスを稼ぐ方法が眼前に示されてるとも言えるわけです。
そう、要は何か、食い物を扱えばいい。秋以降の京都に於ける食い物ネタを、何か扱えばいい。
湯気がぼわ~っと出てる美味げなもので、なおかつなるべく値が張らないものなら、尚のこと、いい。
そこで、大根だきですよ。冬の食い物ネタとして、大根だきですよ。何か仏罰必定な気もしますが。
鳴滝・了徳寺の大根焚きを筆頭に、あちこちで冬の風物詩として行われる、京都の大根だき。
当サイトでも、表の動機としては仏の御心に触れるべく、裏の動機としては冬の食い物ネタ採取として、
了徳寺や千本釈迦堂などいくつか大根だきを食ってきましたが、今回出向いたのは、妙満寺です。
妙満寺。妙なことが満ち溢れてるというわけではない、顕本法華宗総本山、妙塔山妙満寺であります。
現在は岩倉にあるこちらの寺が、日什大正師により創建されたのは、1389年の六条坊門室町。
秀吉の時代には寺町二条へ移転し、以後400年に渡り 「寺町二条の妙満寺」 として知られますが、
現代に入ると都心部の喧噪が如何ともし難くなり、昭和43年に比叡山麓たる現在地へ移転。
移転はしたものの、 「成就院 雪月花の三名園」 と称された松永貞徳造営 「雪の庭」 は健在であり、
むしろ比叡の峰を借景に得たことで、冠雪の眺望がかつてよりも高い評判を呼んだりしてます。
そんな冬に絡んだ名声も高い妙満寺、駄目押しなのか、初冬には釈尊成道会として大根だきも開催。
で、その大根だきへ、妙なる動機に満ち溢れた精神をもって寄せて頂いたというわけです。
冬&アクセスを呼ぶであろう大根、 「雪の庭」 と共に堪能してきました。
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2014年11月27日(木)

霊鑑寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
「霊感って、あった方がいいのかも知れない」 と思ったのは、
ずっとずっと昔、叡山電車で客層をリサーチする日雇いバイトをやった時のことでした。
ペアを組んでやる仕事だったんですが、私の相方は四国から来たというDQN上がりの兄ちゃん。
私は、出身地のガラの悪さゆえDNQ耐性があり、割と気さくに接してたつもりだったんですが、
兄ちゃんは何か私に接し難そうで、気まずい沈黙が続いた後、おもむろに霊感話を始めたのです。
同類と見込まれたのでもなく、またオルグでもなく、単に話題が無いから話してるのは、明白。
申し訳なく思った私は、一応 「ですよね・・・」 的な相槌を打ってたんですが、同時に思ったのでした。
霊感は使える、と。適当な距離感を保ちながら、妙な親密さをも生むこの霊感は、使える、と。
素性の知れない独男同志が、短時間の内にある程度の親密さをなるべく当たり障り無く醸成できる、
寝技 or 腹芸的とも言えるコミュニケーション・ツールとして、霊感を少し考えたみたのでした。
独男の 「寝技」 といえば、床屋軍談から宮崎駿の悪口まで、何かと不毛なものになりがちです。
しかし、最初から不毛というか実体が無い霊感は、案外いいツールになり得るんじゃないでしょうか。
というわけで、話は霊鑑寺であります。 「霊感寺」 などではなく、あくまで霊鑑寺であります。
「忍」 の帝・後水尾天皇より山号&寺号を勅許されると同時に、皇女皇孫が次々と得度入寺し始め、
維新へ至るまでに5人の皇族が入寺した、臨済宗南禅寺派の尼門跡寺院・円成山霊鑑寺。
そんなロイヤルな尼寺に対して、霊感がどうこうなどと駄洒落るなど、不敬極まる話ではありますが、
でも、ここの本尊は霊感、もとい霊鑑 = 鏡を持ってるんだから、まあいいじゃないですか。
それに、この寺の名物である御所人形は霊より恐い顔をしてるので、まあいいじゃないですか。
などと書けばさらに不敬極まりますが、とにかくそんな霊鑑寺、普段はロイヤルゆえ拝観は謝絶。
ただ、後水尾天皇遺愛の日光椿が咲く春と、紅葉が見事な秋には、特別拝観を実施。
というわけで今回は、霊ではなく紅葉を観賞に行ってきました。
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2014年11月23日(日)

南禅寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
混めば混むほどある種の面白さが増す寺社、というのが確実に存在します。
京都に於ける典型例といえば、京都観光のキング・オブ・キングである清水寺でしょう。
混めば混むほど、もっと言えば俗化すれば俗化するほど何故か聖性を増す、清水寺マジック。
中年の中二病の如き混雑忌避の段階を越えて、新たなる智性に拓かれた眼で清水寺を見た者は、
「観光」 の文字そのままに光を求めて群れ集う人間の姿にこそ、確かな浄土の光を見い出し、
路地の奥に 「本物」 を追うような乞食根性を忘れて、京都の真の面白さをもきっと見い出すはずです。
いや、無論そのマジックは、群れ集う人間を余裕で傍観できるスペースの確保が可能な寺社、
即ち、清水寺の如く境内が馬鹿デカい大バコ級寺社だからこそ成立する類のものではありますが、
逆に言えば、境内が馬鹿デカい寺社なら、清水寺のマジックに似た面白味が出ないとも限りません。
紅葉シーズンの南禅寺は私にとって、正にそんな面白味を感じさせてくれるスポットです。
南禅寺。無論、臨済宗南禅寺派の大本山であり、五山の上に立つ日本最高峰の禅寺であります。
創建された鎌倉期から中世に至るまでも、日本初の勅願禅寺としての風格に足る寺領を誇り、
江戸期には家康のブレーンを務める黒衣の宰相・金地院崇伝の入寺で、その権勢はさらに巨大化。
石川五右衛門が 「絶景かな」 と傾く巨大三門も建立するなど、調子に乗って乗って乗りまくり、
明治以降はその乗りっぷりが祟って水路閣を建てられたりしますが、境内の広大さは何とか維持。
現在は、京都観光における超メジャー級&超大バコ級スポットとしての地位を確立してます。
そんな南禅寺、五右衛門が愛でた桜も無論見事ですが、紅葉もまた見事であり、観光的にも大人気。
というか、山門・方丈・塔頭以外は無料でうろつき可能+大型バスも境内に停車可能なため、
大量の客を乗せたバスが大量&エンドレスで境内へ雪崩れ込むという、最悪の事態が大量発生。
で、その様が何かもう度を超してしまってるため、却って面白く見えなくもないというわけです。
その面白さを堪能すべく、私も乞食の如く無料区域だけうろついてきました。
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