10月, 2022 - ひとりでうろつく京都 (β版)

夢窓疎石の命日に相国寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2022年10月20日(木)


夢窓疎石の命日に相国寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

夢窓疎石は、1351年9月30日に、新暦で言うなら10月20日に、死にました
その生涯を通じ、苔寺を始めとして数多の名庭を作庭し、枯山水の完成者とも言われる禅僧、疎石。
後醍醐帝足利兄弟の両方から崇敬され、天龍寺創建のため天龍寺船も献案したという、疎石。
さらに、歌人にして五山文学の有力漢詩人でもあり、語録や 『夢中問答』 などの文物も残した、疎石。
マルチというか横該堅抹というか、とにかく幅広く活躍した中世禅僧界の超カリスマであります。
この手の人物は晩年に下手を打ちがちですが、疎石は存命中に得た人望・名声を保ったまま、入滅。
その死に際しては多くの門弟や僧が集まり、崇光天皇は悲嘆のあまり政務を執れなくなったとか。
「夢想国師」 などの国師号は死後も帝達から送られまくり、 「七朝帝師」 なる別名まで生まれました。
元来ひとりの修行を好んだという疎石、死後も続くこのモテ期は、きっと苦笑ものでしょう。
ただその一方で疎石の最も有名なこの歌は、死後の推しを推してるようにも見えます。
盛りをば 見る人多し 散る花の 後を訪ふこそ 情けなりけれ
この歌に倣うかの如く、帝の他にも疎石の後を訪う者は多し。法要を行う寺もあります。
京都では、天龍寺が開山忌をもちろん実施。あと忘れてはならないのが、相国寺でしょう。
相国寺。万年山相国寺。金閣寺銀閣寺を山外塔頭として擁する、臨済宗相国寺派の大本山です。
足利義満によって花の御所の真隣で創建され、現在も京都御所の真北にて広大な境内を誇示。
五山文学の中心地でもあり、雪舟等伯応挙若冲などの文化財も持つ、禅刹中の禅刹であります。
この相国寺がどうして夢窓疎石の命日に法要を行うのかと言えば、疎石が正式な開山だから。
相国寺の創建は1382年で、礎石の没年は先述通り1351年なので、数字は全然合ってないんですが、
実質の開山・春屋妙葩が疎石の門弟であり、師匠ラブのあまり疎石を追請開山にしたわけです。
正しく、後を訪う者ならぬ後を訪う寺。ゆえに10月20日には、最重要行事として法要が行われてます。
そんな10月20日の相国寺を、特別拝観も併せて拝むべく、訪うてみました。

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