宇治・六地蔵の民泊を借り切って、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。
宇治・六地蔵の民泊を借り切って、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。
メリークリスマス!! 当サイト恒例の聖夜宿泊企画、2022年度版でございます。
今回は、宇治市と京都市の境界である六地蔵にて、airbnbで見つけた民泊に泊まってみました。
理由は、当企画が本来持つ 「境界」というテーマを、改めてしっかり追及したくなったからです。
前年2021年は丹後・宮津へ赴き、貸切の宿で酒飲んで寿司食って寝て朝もまた美味い魚食って、
あまりに気持ち良く、あまりに最高だったんですが、ゆえに 「境界」 というテーマは雲散霧消しました。
本来この企画は、荒行として行って来たことです。ある意味、己への枷として続けて来たことです。
なのに、なってない。何より、自分の体がなってない方向へ全振りしてる。これでは、だめです。
もっと修行しなくてはいけない。もっと修行しなくてはいけない。もっと修行しなくてはいけない。
老化で体の無理が利かなくなったのなら、せめてテーマの追求は、しっかり行うべきではないか。
そう考え、テーマを深く追及できる場を探して、思い至りました。六地蔵が、良いかも知れない。
六地蔵。言うまでもなく、六地蔵めぐりの起点 = 大善寺の愛称がそのまま地名となったエリアです。
平安遷都前から奈良/宇治/近江/北陸の交通の要衝であり、隣の木幡と共に怪異譚も多く産出。
秀吉が伏見城築城のため巨椋池&宇治川を改造した後は河港となり、宿場の歴史も持つ地です。
高い親水性ゆえ伏見の東口&水陸交通の接点として賑わう一方、高い親水性ゆえ水害もまた多発し、
山科川が暴れた際には地蔵めぐりの起点を担い得る程の彼我の境界ぶりを誇ったという、六地蔵。
しかし高度成長期も過ぎた頃になって治水が完了すると、ガラ空きの土地で都市化が一気に進行し、
宅地が増えて道が増え、新しい駅や地下鉄も生まれ、そのためさらに開発は進んで、人口は増加。
21世紀以降は新たな形で交通の要衝と化し、近年では特にマンションの建設ラッシュが加熱してます。
そう、現在の京都に於いて最も現在進行形の境界を体現してるのが、六地蔵エリアなのです。
その六地蔵で今回、Kyoto FUERTE 宇治六地蔵なる、昭和な民家を用いた民泊に泊まりました。
宿と民家の境界で見える境界が如何なるものか、じっくり向き合おうと思います。