宮津の三上勘兵衛本店を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2021年12月24日(金)


宮津の三上勘兵衛本店を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

クリスマスイブの単独宿泊。当サイトではそんな聖夜企画を、開設時からやってきました。
激安宿宿坊町家遊郭跡ラブホへの投宿や、温泉宿でのぼたん鍋爆食などを繰り返し、
2016年からは観光バブルの動向も見据えるべく、都市部で増殖した簡易宿も立て続けに特攻。
冬至祭としてのクリスマスにも注目し、「境界」 なるテーマも掲げて、企画を延々と続けて来ました。
しかしそんな楽しい聖夜企画も、2020年には途絶に至ります。理由は、言うまでもありません。
全く自慢になりませんが、私は小心者なので、聖夜企画に留まらずサイトの更新さえ中断しました。
が、状況が落ち着き始めた途端、私の中で 「どっか行きたい」 という思いも沸き始めたのです。
どっか行きたい。でも、怖い。でも、どっか行きたい。でも、怖い。でも、行きたい。でも、怖い。と。
この煩悩ループを止めるには、どこか遠くへ赴き、そこで籠もりっきりになる以外ないでしょう。
籠もらなければならないのです。2021年に聖夜企画をやるなら、籠もらなければならないのです。
常に己の内へと籠もり、己を見つめ、見つめ飽きてる独男も、籠もらなければならないのです。
そう考えて私は、今回、宮津への投宿を決めました。宮津の三上勘兵衛本店への投宿を決めました。
宮津。京都府宮津市、旧宮津町エリア。最も簡単な説明は、やはり 「天橋立の隣」 なんでしょうか。
天橋立&籠神社を擁する府中が古代より栄えたのに対して、宮津は戦国期の宮津城築城が魁の地。
江戸期には宮津城の城下町として発展する一方、西回り航路の開拓により北前船の寄港地となり、
全国の港湾都市と交易を繰り広げることで三上家などの豪商も生むに至った、文字通りの港町です。
そんな宮津が何故籠もるのに相応しいかと言えば、京都府の北部にあって割と遠いから。
海が近くて魚も美味いから、旅情は充分味わえそうだし。でも、天橋立ほどは人もいないだろうし。
天橋立では難しい埋立を江戸期から進めており、その新地には花街跡もあったりするので、楽しいし。
運良く、近年に貸切宿となった三上家本店の予約も取れました。これはもう、行くしかありません。
胃袋以外の全ての器官をクローズドにする覚悟と共に、私は冬の宮津へ向かったのです。


いや、本当は単に宮津でブリしゃぶを食おうとか思ってたんですけどね。この頃、安かったから。
でも宮津の宿を探してる最中、三上家本店が空いてるのを見つけたので、すぐ予約してしまいました。
三上家本店。正式名称、三上勘兵衛本店。重文・旧三上家住宅の隣の離れを、一棟貸しする宿です。
にも関わらず、Airbnbだと額が約1万円。一棟貸しの宿を、約1万円で借りれてしまいました。わはは。


貸切宿なので、ブリも自分で料理して食いたいところですが、三上家、火はNG。隣が重文ですし。
なので、すぐ近所にある寿司店 『寿司小銭』 で、名物といういわし寿司を予約しておくことにしました。
宮津&天橋立、いわしも名物なんですよ。そして私は、いわしやさんまとかの寿司が好物なんですよ。
ちなみに、予約した当日に残りがあるかどうか訊くと、売り切れ。同好の士は、予約がおすすめです。


そしてクリスマスイブ当日、16時過ぎに丹鉄・宮津駅へ着津。今回は、指定席の特急で来ました。
指定席の理由は無論、行程を捕捉可能にするためです。断じて、鈍行に飽きたからではありません。
列車から降りたのは、地元系7割/観光系3割な感じ。天候がこうも寒そうだと、そんな感じでしょうか。
でも体感温度は京都市内より寒くなく、潮の湿気のためか微かに暖かささえ感じる辺が、実に丹後。


やや暖かいので、駅からかなり西の辺にある三上家本店まで、宮津を散策して行こうと思います。
であれば、まずは宮津城へ挨拶しとくべきなんでしょう。何せ宮津は、宮津城で街になった街なので。
ただ、城の痕跡は何もありません。城の真南である御覧の駅前通りも、鉄道開通時に改造されまくり。
なので、別の所へ向かいます。富田屋に後ろ髪を引かれながら、クリスマス感が皆無の通りを西へ。


西へ進んだ先で、まずは一色義清を祀る一色神社を参拝。一色義清、一色氏の最終当主です。
一色氏は、室町~戦国期にかけ丹後国を治めるも、信長の命を受けた細川氏のため滅んだ一族で、
先代・義定を幽斎くんに謀殺された義清は、細川氏の本陣へ特攻をかけ、この地で自刀に至りました。
滅亡前の一色氏は丹後のあちこちに山城を建てており、宮津にも築城。ただし、場所はもっと山奥。


一方で丹後を得た幽斎くんは、信長の対毛利戦で兵站線を確保すべく、海寄りに城を新築。
聖地だけど狭い府中を避け、先進的な技術を用いた海城&新たな城下町を宮津に築いたわけです。
が、本能寺後の幽斎くんは舞鶴へ移り、田辺城の戦いが起こると宮津城にオウンゴール放火を敢行。
御覧の太鼓門を含む江戸期のいわゆる宮津城は結局、後に丹後へ入封した京極氏が建てました。


しかしその京極氏も、度を超した親子喧嘩を起こして改易。その後も、宮津城主は替わりまくり。
そのためか、宮津は史料が乏しいそうです。城跡の破却の徹底も、この辺が絡むとか絡まないとか。
残ったのも先刻の門だけで、御覧の城壁は平成後期に至って出来たというレプリカ。無常であります。
あ、右奥の建物は高床式倉庫のレプリカではなく、現代の宮津城 = 宮津市役所。面白い形ですね。


城主の面では色々問題があった宮津城ですが、城下町は北前船によって大いに発展しました。
丹後ちりめん/生蝋/酒などの産物を出荷すると共に、船を持つ商家は各地とコネクションも形成。
籠神社の別宮にして 「宮の津」 なる地名の元という和貴宮神社も、各地から玉垣が奉納されてます。
御覧のように 「播州」 とか。他にも、「越中」 「播磨」 「讃岐」 「尾張」 の名の入った玉垣もあったり。


しかし海運の隆盛は明治中期で終わり、「破産の宮津」 とまで言われた逆境に直面した宮津は、
城跡を徹底的に潰して鉄道を敷設したり、汽船を走らせたり、ロシアへの輸出港を目指したりします。
それと関係あるのかないのかは知りませんが、和貴宮神社の玉垣が並ぶ先にはカトリック教会あり。
現役の木製教会としては日本で最古という、聖ヨハネ天主堂です。宮津って、建築が面白いですね。


さらに西へ歩くと、さらに面白い建築も見ることが出来ます。木造の超大箱旅館、茶六本館です。
何とも天橋立観光向けな外観ですが、大正期の宮津は経済も回復し、商用客も多かったそうですよ。
この茶六本館や清輝楼など、海に近付くほど古く巨大な建物が目立ち始めるのも、宮津の面白い所。
町本来の玄関口が鉄道駅ではなく、あくまで港であることを示す景観、と言い得るかも知れません。


港が正真正銘のメインゲートだった頃の宮津では、廻船運用により財を成す豪商を多出します。
中でも、酒造業/糸問屋/廻船業で隆盛を誇り、宮津藩政にまで深く関与した商家が、三上家です。
茶六本館を過ぎ、海に近い河原町に入ると、往時の隆盛を今に伝える三上家住宅が見えてきました。
白壁が連なりが美しいあの大邸宅、かの熾仁親王西園寺公望も宿泊したとか。寄ってみましょう。


いや、寄ってみるじゃないですよ。泊まるんですよ。私は今夜、三上家住宅に泊まるんですよ。
三上勘兵衛本店、到着しました。この文化財に、私は泊まるのです。離れとはいえ、泊まるのです。


離れとはいえ、隣に並んでるのは、三上家住宅。無論、本物ですよ。国の重要文化財ですよ。
普通であれば見学しか出来ない所です。そこに、私は泊まるのです。離れとはいえ、泊まるのです。


離れとはいえ、柱を埋め込んだ美しい白壁で家の表が揃えられてるのは、母屋と同じですよ。
日暮れ時に見たら、区別が付きません。そこに、私は泊まるのです。離れとはいえ、泊まるのです。


と、1万円分の自己満足を貪ってから離れの中に入ると、スタッフさんがいて、案内してくれました。
ハウスルールが特に独特とか厳しいとかいうことはなく、一通り案内をしたらスタッフさんはすぐ退出。
ひとりになった後、改めて借り切った宿を見回します。中はリノベされており、宿というよりほぼ家です。
そして、広過ぎ。1階は基本ワンフロアのリビングですが、これだけでもひとり使用には充分、広過ぎ。


逆から見ても、やっぱり広過ぎ。今夜は出番がないであろうソファに、先に謝っときます。すまん。
奥に見えるキッチンは、先述通り料理NG。そもそも、調理器具もありません。が、電子レンジは装備。
また食器類や、ワイングラスなんかはあり。今夜は、丹後ワインで乾杯しようかな。もちろん、ひとりで。
あ、広過ぎるので暖房が不安になりましたが、床暖房が効きまくり。足が冷える私は、実に快適です。


ちなみに三上勘兵衛本店、隣の三上家住宅が出入自由、ではありません。重文ですし。
でも宿泊者はおまけとして、観覧券がもらえます。明日の朝にでも、観覧させて頂きましょう。


と、宿の中をざっくりと見回った後は、予約したいわし寿司を取りに 『小銭』 へすぐ向かいます。
『小銭』 、夕方には閉まるというので。でも出かける際には、また表の白壁を眺めて、悦に入ったり。


三上勘兵衛本店から 『小銭』 は、徒歩2分ほど。 「地魚」 「いわし鮨」 の幟が、良い目印です。
『小銭』 、店内でも寿司を食べられますが、せっかく家も借りたことなので、今回は持って帰ります。


買ったのは、幟にも出てたいわし寿司と、あと地魚メインで構成されてる上にぎり寿司も。
にぎり寿司のネタは、ヒレナガカンパチ/ヒラマサ/マトウダイ/ホウボウ/炙り鰆などなど。


早速食べたいところですが、グラスに注ぐワインをまだ買ってません。ので、また買い物で外出。
夕方の宮津は、帰宅する車が目立つ一方、夜営業にかかる飲食店の灯もぼちぼち点き始めました。
灯を見ると、店で何か食いたくなります。「籠もる」 というコンセプトを放棄して、何か食いたくなります。
が、持ってる確率は私の方が圧倒的に高いはず。なので、自重しときます。宿で寿司も待ってるし。


とはいえ、妖しき灯に足が思わず引っ張られるのも、事実。香りだけ、ちょこっと味わっときます。
三上家と茶六本館の間の辺から 「わくわく通り」 なる道が続くんですが、ここがかつての花街・新浜
北前船の船乗りを集め、往時は祇園と並ぶ隆盛を誇ったとか。現在は、完全に健全な飲み屋街です。
「ピンと祭り」 なる行灯を掲げた風情ある小路も、時間が早いためか、賑わいは実に健全かつ薄め。


「ピンと」 、語源は諸説あり不明であるものの、宮津を語る上ではとにかく欠かせない言葉です。
宮津の花街を全国的に有名にした唄・宮津節でも 「ピンと」 と歌われ、宮津の別名にさえなりました。
「二度と行こまい 丹後の宮津/縞の財布が 空となる/丹後の宮津で ピンと出した」 といった感じで。
宮津港の傍には、その歌詞を彫った碑もあり。あ、背後の壁みたいに巨大な物体は、マリオットです。


「人と海の繋がりを断っている!観光公害だ!」 とマリオットを激しく断罪したいところですが、
その向かいでは、もっと巨大なショッピングモール・ミップルが宮津港と宮津の町の間を完全に遮断。
海に近付くほど建築が巨大化するという習性は、現在でも健在のようです。宮津って、面白いですね。
観光船&道の駅の案内柱も、ほぼエントランス状態。買い物、もちろんこのミップルでして行きます。


いや買い物の前に、ミップルが完全に遮蔽してる海に挨拶しときましょう。宮津港、こんばんわ。
北前船の入港で賑わう往時の光景、現地で幻視させてもらいます。こう真暗だと、妄想も捗りますし。
実際の海は、波の音さえあまりしない穏やかさ加減で、港感も海感も希薄。感じるのは、強い風のみ。
正に、天然の良港です。あまりに穏やか過ぎるので、足下をしっかり確認してないと海に落ちるかも。


海に挨拶した後はミップルで、地物の刺身やワイン、あとピント餅なる地元菓子も買いました。
宮津名物であるいわし入りちくわも買おうとしたら、 「おらんだ」 なる練物があったので、それも購入。
刺身の魚は、スズキ。旬の魚では全くないですが、宮津魚市場直送の地物で残ってたのはこれだけ。
それぐらい店の中は物凄い混雜で、巨大な駐車場がある店に人が集中するのは何処も同じみたい。


ワインは、宮津の蔵元・ハクレイ酒造『香田』 。グラスに注げば、日本酒もワインです。
宿へ戻り、寿司も宿にある皿に並べてみました。それではクリスマスディナー、いただきます。


いわし寿司は、当然のように、美味し。いわし本体も、水のように澄んだテイスト。


にぎり寿司も、いわし寿司と同様にナチュラルな仕上がりの寿司で、普通に美味。


スズキの刺身も、猫またぎ感みたいなものは全然なく、むしろはっきり良い刺身。


おらんだは、ごぼう天からごぼうを抜いた練物で、レンジで温めると異常に美味。


でもメインディッシュはあくまで、いわし寿司です。宮津、食い物も酒も実に美味いですね。
宮津に乾杯。三上家住宅に乾杯。ハクレイ酒造に乾杯。そして、いわしに乾杯。以下、後篇

宮津の三上勘兵衛本店で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】 へ


 
 
三上勘兵衛本店
京都府宮津市河原1851‐1

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三上勘兵衛本店 – Instagram
 

小銭寿司
京都府宮津市字河原1904-2
11:00~売れ切れ次第終了 不定休

宮津シーサイドマート ミップル
京都府宮津市浜町3012
9:00~21:30 年中無休