夏越祓の茅の輪を求めて旧・巨椋池南岸をうろつきました。もちろん、ひとりで。

夏越祓の茅の輪を求めて旧・巨椋池南岸をうろつきました。もちろん、ひとりで。
干拓された巨椋池を、巨大な境界として考えてみる。というのは、どうでしょうか。
陸と水、あるいは存在と不在。過去と現在、または現実と幻影。それらの境界という線です。
最初にこう考えたのは、大山崎山荘美術館の訪問記事で谷崎潤一郎 『蘆刈』 に触れた時でした。
「山城と摂津のくにざかい」 の大山崎を訪れ、桂川と宇治川の合流点にある州へ渡った谷崎は、
謎の男に出会って、巨椋池の畔で暮らす夢のような女性 「お遊さん」 の話を聞かされたのでした。
この短編の発表は、巨椋池の干拓開始直前の昭和7年。色々と 「境界」 を感じたわけです。
実際の巨椋池は、かつて京都府南部の久御山町を中心として存在した、湖のように巨大な池であり、
桂川/宇治川/木津川が流入する不定形の遊水池として、洪水調整機能を長く果たしてきました。
淀川と直結しているため平安遷都の遙か前から舟の往来が盛んであり、淡水漁業ももちろん盛ん。
小島を望むその光景は貴族からも愛され、池の北畔は別荘が並ぶ景勝地であったとも言われます。
しかし古代以来のその姿は、秀吉が伏見城築城に際して宇治川の流路を変えたことで、激変。
流入する水が減って水質は悪化。近代にはさらに減って蚊害も悪化。結果、干拓に至りました。
干拓の背景には食糧増産という戦時事情も存在したため、現在も池の跡地はその大半が農地です。
一方、京都の中心部では建設が困難な高速道路も池の跡地なら好き放題の作りまくり状態であり、
その高速が生む交通の利便性と豊富過ぎる土地と水を活かすべく、工場も多数誘致されています。
現代建築と農地の雑な共存。ある意味、これこそ現在の巨椋池跡の典型的な光景かも知れません。
この境界的な土地柄、当サイトが続ける 「境界」 なるテーマの探求にぴったりではないか。
当サイトは、阿呆極まる京都単独徘徊の背後に 「境界」 という高踏極まる裏テーマを掲げており、
神社を徒歩で巡り茅の輪をくぐりまくる水無月の外道企画でさえ、このテーマを追求してきました。
地理的にも歴史的にも 「境界」 である巨椋池は、このテーマの探求にぴったりではないか。
そう考えて今回、池跡で神社を巡ってみました。茅の輪には出会えるでしょうか。

