快活CLUB京都南インター店で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

快活CLUB京都南インター店で聖夜、前篇からの続きです。
もちろん南インターは、わざわざ草津湊の場所を選んで作られたのではありません。
戦後に至るまで一帯はほぼ単なる農地だったため、土地の取得が比較的容易だからであり、
間違っても 「この地こそ、現代京都の陸の港に相応しい」 などと考えられたわけではないでしょう。
そもそも名神高速は名古屋と大阪・神戸とを結ぶ高速道路であり、ゆえに京都は一通過点に過ぎず、
北側へ大きく迂回して京都の中心部をわざわざ通るようなルートは可能な限り避けたいわけです。
おまけにこの街は山に包まれた天然要塞都市で、特に東山の貫通には大トンネルが欠かせません。
無論、洛中中心部の土地取得も困難を極め、実質的には解決不能の課題として屹立しています。
こうした要因から近代以降の高速交通は基本、京都市中心部の貫通を避け続けてきました。
国家の威信を賭けた省線・東海道線は流石に旧市街のほぼ最南端たる八条まで踏み込みましたが、
明治期には東山の貫通が叶わず、さらに南の稲荷山を南へ回り込む線形を余儀なくされています。
この南×南回りの東海道線旧線跡こそ、実は名神の山科~京都区間建設で転用された土地。
その西の稲荷山西麓~竹田一帯は旧軍用地でガラ空き、さらにその西の草津湊跡地周辺は農地、
また草津湊の地では整備済みのR1と接続できるため、此処に南インターが出来たのも当然でしょう。
しかし、それでも、当サイトとしては南インターと草津湊の縁を妄想せずにはいられません。
天然要塞都市として千年を生きる中で育まれたのであろう、京都という都市そのものが孕む生理。
それは即ち、全方位を山で完全包囲されているわけではなく、南側はすっぽり壁が抜けている地形と、
南へ向かって標高が下がるため全ての水が南側へ流れる地形が醸成した、身体レベルの偏見。
そういったものが今なお京都を拘束し、結果として南インターは草津湊の場所に出来たのではないか。
そして、未来に新たな交通システムが出現しても、その港はやはり此処に置かれるのではないか。
車のライトとラブホの照明が輝く南インターを見ていると、ふとそんなことを思ったりします。
・・・という出鱈目な戯言は置いといて、南インターの聖夜、インター詣でから続きです。


