旅籠茶屋・池田屋はなの舞で、鱧の落としと鱧小鍋を食べました。もちろん、ひとりで。

2017年8月23日(水)


旅籠茶屋・池田屋はなの舞で鱧を食べました。もちろん、ひとりで。

池田屋事件が起きた夜の京都は、かなり蒸し暑かったのではないかと思ったりします。
元治元年6月5日・祇園祭の宵々山は、新暦でいえば、7月8日。正に、梅雨明け直前です。暑い。
実際、 『幕末維新京都町人日記』 によれば、事件前は雨続き。で、珠に陽が差す感じ。暑い。
で、こんな蒸し暑い盛りの京都の夜に、冷房などなく、下階では灯さえ燃えてる屋内にて、斬り合い。
しかも、何時間にも亘って、斬り合い。間欠泉の如く熱い血があちこちから吹き出す中、斬り合い。
それは一体、どういう状況なんでしょうか。血がスチーム効果を生むサウナ、みたいなもんでしょうか。
沖田総司は、持病でなく熱中症で戦線離脱したという説がありますが、暑さを思えば、さもありなん。
京都の夏を体で知る人なら、誰もが想像するだけで発狂しそうな地獄の沙汰、と言えるでしょう。
この池田屋事件、幕末日本にとっては無論、京都観光に視点を絞っても、極めて重要な事件です。
ゆえに、京都メジャースポットの単独特攻を趣旨とする当サイトとしては、スルーは許されません。
ので、池田屋の跡地たる居酒屋・池田屋はなの舞の訪問は、早い段階からずっと目論んでいました。
しかし同時に、 「訪問するなら、当日に溢れてたであろうこの暑気こそを絡めた形で」 とも思い、
現在の宵々山 = 7月15日に湿気が満ちるのを待ち続け、そのまま現在まで未訪となってたのでした。
7月15日頃の京都って、案外と涼しい場合が多いんですよね。いい感じで、風が吹いてたりして。
一般基準なら充分過ぎるくらいに地獄なんですが、京都水準的にはマシな場合が多いんですよね。
この程度の暑気では、池田屋事件のグダグダでドロドロの地獄感は、まず体感できないでしょう。
タイミングはズレても、グダグダでドロドロに暑い8月後半の方が、訪問には相応しいのではないか。
その方が、事件が持つ温度感や湿度感みたいなものに、より深い形でシンクロできるのではないか。
そんな高踏な考えに基づき、私は敢えて8月下旬の蒸し暑い日を選んで池田屋はなの舞を訪問し、
荒っぽく骨を斬り合った者達の青春に想いを馳せつつ、荒っぽい骨切りの鱧などを食ったのでした。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。幕末への体感的共鳴を目指す、挑戦なのです。
断じて、 「夏終了前に企画 『ひとり鱧』 をもう一発」 と、雑な動機で出かけたのでは、ありません。
決して、 「どうせ行くならネタになる店に」 と、邪な動機で出かけたのでも、ありません。

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五山送り火の船形万燈籠を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

2017年8月16日(水)


五山送り火の船形万燈籠を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

『京都人は日本一薄情か 落第小僧の京都案内 (倉部きよたか・著) 』 という、
死ぬほどしょうもない書名の割に案外面白い本では、 「賀茂人」 なる概念が提示されてます。
賀茂族」 ではなく、 「賀茂人」 。 「上京人」 「下京人」 と共に 「三京人」 を構成する、 「賀茂人」 。
上賀茂から西賀茂にかけての洛北・賀茂エリアに住むネイティブな人を、そう呼ぶというわけですね。
この賀茂の地はそもそも、上賀茂神社神領として平安遷都の以前から賀茂族が統べていた地。
中世以降は色々ごちゃごちゃしますが、とにかく上京や下京とは異なる歴史的経緯を持つエリアです。
で、倉部氏が同書で言うには、こうした経緯が 「賀茂人」 の気風を独特なものにしてるんだとか。
「適当な思いつき」 と、思われるかも知れません。が、私には、結構当たってる所もあると思えます。
賀茂、特に御薗橋以西の西賀茂の雰囲気は、確かに京都のどのエリアとも違い、何か独特です。
長閑な田畑が残る辺と、ゆえに開発が進んだ宅地の景観が入り混じる辺は、いかにも郊外的ですが、
そこに、他の京郊にはない雰囲気、何かしらどよ~んとした雰囲気が、立ち込めてるというか。
京郊にして元神領の八幡に住む私は、その辺に、強い親近感と違和感を同時に感じたりするのです。
で、船形を拝みに行ったこの日の西賀茂もやはり、何とも独特な雰囲気が立ち込めてたのでした。
自転車珍走などの阿呆な手段で幾度も五山のコンプリートへ挑むも、それらの全てが失敗に終わり
猛省の後に 「5年かけて、1年に一山ずつ見る」 と発動された、当サイトの五山送り火5ヵ年計画
初年度の2015年はまず本丸である大文字を、2016年は超豪雨の中で妙法を拝んできたわけですが、
3年目の今回訪れたのは、西賀茂・西方寺の檀家さんが点火を担うという、船形万燈籠であります。
西方寺を開いた慈覚大師・円仁が、留学先・唐からの帰国時に阿弥陀如来を召喚した船を表すとも、
精霊 aka おしょらいさんが現世からあの世へ帰る際に乗る燈籠流しの舟を表すともされる、船形。
西方寺での六斎念仏と、そして 「賀茂人」 が愛するサカイの冷麺と共に拝んだその送り火は、
やはり西賀茂独特の雰囲気と温度感の中で、独特な輝きを放ってたのでした。

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御食事処明日香で、鱧落としと鱧天麩羅定食を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

2017年8月3日(木)


御食事処明日香で、鱧落としと鱧天麩羅定食を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

夜に、安く鱧を味わうには、果たして何処へ行って、どうすればいいのか。
夏企画 『ひとりで食べる鱧』 復活に際し、私はこんなミッションを己に課そうと考えました。
理由は、過去の特攻が全て昼特攻だったので。あと、単に安い店もこれまでは避けていたので。
値が張ってこそ、鱧。貧乏なりに、出費による緊張感込みで夏の味覚を楽しんできたわけです。
が、復活後の 『ひとり鱧』 は、予算枠が更に緊縮。緊張感がどうとかなんて、もう言ってられません。
というわけで今回、夜の激安鱧ミッションであります。果たして何処へ行って、どうすればいいのか。
このミッション達成に当たり、まず候補へ挙げるべきなのは、居酒屋ということになるんでしょう。
京都にも、居酒屋はあります。沢山、あります。で、多くの店は夏になれば、鱧メニューを扱います。
値は当然ながらピンキリですが、無理矢理に平均を出せば、落とし単品が1000円強程度でしょうか。
予算枠的に考えれば、悪くありません。が、そもそも私、酒の場が好きじゃないんですよね。
食事をする店で、夜に安く鱧が食いたい。酒ではなく飯がメインの店で、夜に安く鱧が食いたい。
と思い、そんな条件を満たす店を探しました。 「あるわけない」 とも思いながら、探しました。
すると、すぐ見つかりました。それも、普段通る道で、見つかりました。御食事処明日香が、そうです。
こちらの明日香が建つのは、平安神宮参道・神宮道三条通の交差点という、かなりな観光地。
実際、この交差点から平安神宮までは、それこそ観光地テイストな店が林立してるわけですが、
しかし明日香は、リーズナブルなメニューが多い御食事処であり、夏にはリーズナブルに鱧も提供。
3000円どころか、2000円でもお釣りが来る形で鱧が楽しめてしまう、何とも有難い店なのであります。
私は、図書館への道中で何度も前を通りながらも、ここが鱧を出してることを知りませんでした。
が、夜の激安鱧ミッション達成を前にして、目に鱧センサーみたいなもんが宿ったのか何なのか、
店前の看板に堂々掲げられてた 「鱧」 の字に、今年になって初めて気付いた次第です。
というわけで、8月の夜、見慣れた暖簾を新たな気持ちで潜ったのでした。

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山鉾が通る真下の回転鮨割烹・魚倖で、鱧づくしを食べました。もちろん、ひとりで。

2017年7月17日(月)


山鉾が通る真下の回転鮨割烹・魚倖で、鱧づくしを食べました。もちろん、ひとりで。

「鱧祭」 と呼ばれることもあるという、京都の夏の代名詞・祇園祭
無論、鱧もまた京都の夏の代名詞である為、こんな呼称が生まれるのも自然な流れでしょう。
山鉾巡行を見に来た人が、その前後の食事で旬の鱧の風味に触れることも、少なくないはずです。
「ビルに入った料亭から、山鉾を見下ろしながら、鱧を食す」 なんてことも、あるかも知れません。
正に、ベタとベタのベタなる組み合わせ。当サイトとしても、一度は試してみたい贅沢ではあります。
が、見下ろすのは、ちょっと、頂けません。山鉾を上から見下ろすのは、ちょっと、頂けません。
山鉾には、神が乗ってます。疫神の吸引こそが山鉾の本来の役目ですが、善神も色々乗ってます。
神か何かよくわからんのもありますが、とにかく何かが乗ってます。単なる山車ではないのです。
なので、上から見下ろすのはあんまり、よくないわけですね。出来ればやはり、下から見上げたい。
もし、巡行の最中に鱧を食すのであれば、鉾の車輪が軋む音を体感出来るような地平で、食いたい。
何ならその足元、いや足の下にまで潜り込み、群れ集う人々の足音まで感じながら、食いたい。
それが、礼儀ではないか。祭の本義を尊重しつつ愉悦にちゃっかり浸る他所者の、礼儀ではないか。
そう考えた当サイトは、企画 『ひとりで食べる鱧』 の一環として、地下で鱧を食することにしました。
それも、前祭・山鉾巡行の当日真っ最中、山鉾が進むその真下にて、鱧を食することにしました。
赴いた店は、回転鮨割烹・魚倖御池通の地下街に入る、その名の通りの回転寿司店であります。
御池通は御存知の通り、前祭・山鉾巡行の最終コース。正に足元にて、鱧を食うわけですね。
魚倖、回転寿司店ではありますがコースも出してて、夏場になれば鱧づくしコース3000円也も提供。
これが 『ひとりで食べる鱧』 の緊縮型新予算枠にも合致する為、今回、出かけてみたのでした。
前祭巡行当日+巡行終了直前の昼過ぎ、その真下の飯屋の混雑は、果たしてどんな感じなのか。
そして、京都といえど回転寿司は回転寿司なのか、あるいは回転寿司も京都は京都なのか。
そんなことを考えながら、 「鱧祭」 を求めて、地下へ潜ったのです。

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割烹たん義で、はも丼と鴨万寿を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2017年7月6日(木)


割烹たん義で、はも丼と鴨万寿を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

『ひとりでうろつく京都』 の夏の企画 『ひとりで食べる鱧』 、めでたく復活です。
京都ベタスポットへの特攻をサイトの趣旨とするなら、ベタグルメもまた取り組むべきだと考え、
サイト開設当初は、身銭を切った積極的かつ果敢な特攻を繰り広げていた、 『ひとりで食べる鱧』 。
しかし、いくらその意図が崇高であっても、鱧を食うにはやはりそれなりに元手が掛かるのであり、
それを見越してリーズナブルな店・時期・時間を狙っても、それでもやはりそれなりに掛かるのであり、
開始早々に予算爆発で撤退を決定し、以後は川床特攻などの際に嗜む程度となってたのでした。
いや、何というか、鱧ネタといえども正直に言えば、単発の出費自体は、それほど痛くはありません。
「5000円」 と枠も設定してたし。当サイトには、宿泊や鍋など、より身銭を切るネタもありますし。
ただ、鱧ネタみたいに 「美味いもんを食う」 ことに特化したネタって、食の連鎖反応を生むんですよね。
ネタ採取の時以外でも、高価くて美味いものを思わず連鎖的に食いたくなってしまうんですよね。
我慢も出来なくはないですが、我慢したらしたで、何か凄く、淋しい気持ちになってしまうんですよね。
見てる側からすると 「知るか」 という話ですが、こういう事情もあり、鱧ネタを長く日和ってました。
しかし、やはりこれでは、いけない。サイトの趣旨的に、いけない。何より、アクセス数的に、いけない。
というわけで 『ひとりで食べる鱧』 、復活です。しばらく、連続的にやる予定です。よろしくです。
ただ、もちろん予算の方は依然として緊縮財政が続いてるので、以前の 「5000円」 枠を更に、緊縮。
「3000円プラマイ500円」 程度で、何とか鱧に辿り着き、そして京都の夏を味わおうかと思います。
で、今回赴いたのは、祇園北の割烹たん義です。祇園とは、あの祇園です。割烹とは、あの割烹です。
巽橋を始め祇園なる風情がこれでもかと溢れまくる祇園新橋、そのすぐ北にあるのが、たん義。
そんな店行ったら、3000円どころかその十倍以上掛かりそうな気がしますが、これが違うんですよ。
こちらのお店、夏の昼間は、鱧をたっぷり載せたはも丼を2000円台で出してくれるんですよね。
なので、出掛けてみました。で、名物という鴨万寿も一緒に、食べてみました。

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夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2017年6月30日(金)


夏越祓の茅の輪を求めての宇治徘徊、前篇に続いて後篇です。

宇治のイメージといえば、平等院や、それこそ宇治十帖が、一般的なものなんでしょう。
しかし、私にとって宇治のイメージは、 「住宅地」 の方がよりしっくり感じるものだったりします。
地場の生活者ゆえのイメージ、という奴です。が、家が建築をやってたという事情もまた、理由です。
京都へのアクセスの良さが目を付けられた宇治は、昭和中期頃より住宅地の開発が進みました。
ユニチカの前身・日本レイヨンなどの企業が、巨大工場を進出させると共に近場で社宅を建て始め、
それを端緒として一般住宅地の開発も進行し、山削りまくり&名物の筈の茶畑潰しまくりが、多発。
結果として、宇治市の人口は数倍に増え、京都府下では京都市に次ぐ規模を誇るまでに膨張し、
また、宅地増殖と共に増殖した主婦の手を借りる形で、アニメ下請会社が生まれたりもしたわけです。
私が育った頃の宇治は、既に主たる 「商圏」 ではありませんでしたが、その名はよく聞きました。
山削りまくり&茶畑潰しまくりな類の開発、その恩恵を私が享受したのは、恐らく間違いないでしょう。
なので、荒っぽく開発された宇治の姿を目にすると、私は、何とも言えない気分になります。
そして、その開発自体さえ既に老い始めてる様を目にすると、更に、何とも言えない気分になります。
「何だ、そのローカルかつ余りに極私的な感慨は」 と言われると、それまでの話だったりしますが、
しかし、このちっぽけなブルース = 憂鬱は、ある意味で、宇治に相応しいものと思えなくもありません。
格落ちな演者が型落ちな愛欲に悩み、浄土リセットも出来ず、ただ消えていくだけの、宇治十帖。
その 「憂じ」 な世界は、剥き出しで現代的&凡庸な事象と共鳴するとは、考えられないでしょうか。
「生温かい憂鬱がどうにも晴れてくれない煉獄」 という点で共通してるとは、考えられないでしょうか。
私が本気でそう思い、自分語りも交えてその思いを記してるのかといえば、そんなことは全然なく、
観光エリアで全く茅の輪がくぐれず、宅地をめぐることにしたのを、理屈付けてみただけなんですが。
というわけで、2017夏越@宇治、後半です。後半は、飯食ってがっつり回って行こうと思います。
茅の輪が持つ魂リセットのパワーなら、この生温かい憂鬱だって吹き飛ばせる筈です。

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夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2017年6月30日(金)


夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。

宇治を舞台として、尻切れトンボとも思える結末を迎える、 『源氏物語』 宇治十帖
愛したくとも愛せず、死にたくとも死ねず、悟りたくとも悟れずに、煩悩の煉獄を揺蕩うその世界。
まるで地名の由来 「憂じ」 を空間化したかのように、陳腐で緩慢な憂鬱が惰性と共に続くその世界。
ブルージーとも言い得るその文学空間は、1000年の時を越えてポストモダンなる現在にも直結し、
安い愛&性への拘泥が市民権となったネバーランドの如き現代日本の煉獄にも通底するものです。
何も始まらず、何処にも行けず、終わる時は突然終わる、そんな世界。実に、今っぽいですね。
が、貴族の別業地として栄えた此地は、そんな超時空な知性ばかり溢れてたわけではありません。
ごく真っ当に浄土を希求した煩悩丸出しな輩も多数存在し、そうした連中が必死で建てた寺社も多し。
栄華を極めた藤原道長頼通により建立された世界遺産・平等院を筆頭に、多くの寺が立ち並び、
これまた世界遺産たる宇治上神社を始め、大小合わせてかなりな数の神社も林立しています。
で、2017年の茅の輪くぐりまくりは、この宇治の地に立つ社をめぐる形で、やってみました。
暑さ&疫病の脅威が本格化する直前のタイミングに、神社に設置された茅の輪をくぐることで、
正月からの半年で溜まった魂の穢れを祓い浄め、夏を乗り切らんとする古来よりの慣わし・夏越祓
当サイトでは、様々な腐った欲求を持て余す己が魂の大掃除 or スピリチュアル・デトックスに加えて、
普段の記事のネタ採取では訪れる機会がない、小さい or 地味な神社への訪問という目的も兼ね、
毎年あちこちの社に設置された茅の輪を探し求めてはくぐりまくり、穢れを祓い倒してきました
しかし乙訓エリアを徘徊した2016年の前回は、思いつきで雨上がりの天王山を登って酷い目に遭い、
おまけに飯抜きで徘徊した割に輪はひとつしかくぐれなかったので、今回は、気分&方針を一新。
宇治のベタベタな観光ゾーンをそぞろ歩きし、甘味に気を取られながら名社で簡単に茅の輪をくぐり、
また風情溢れる店で飯も食って、彷徨自体をしっかり楽しもうと考え、彼地へ向かったのでした。
が、ブルージーなる 「憂じ」 はやはり、そんなポップな考えを、許さなかったのです。

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イタリア割烹スコルピオーネ吉右で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2017年5月26日(金)


スコルピオーネ吉右で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。 

当サイトでは、ある種の隠れテーマとして、 「境界」 と向き合い続けてきました。
「境界祭」 と再定義したクリスマスに 「境界」 的なるスポットにて宿泊を敢行する企画を筆頭に、
ヤラレ芸の如き表の顔の下で、アカデミックとさえ言い得る崇高な探求を続けてきたのでした。
そんな当サイトが、新たな特攻先と見込んだ 「境界」 があります。それが、際コーポレーションです。
際コーポレーション。知ってる方は、御存知でしょう。でも知らない方は、御存知ではないでしょう。
東京・福生の韮菜饅頭店から事業を始め、わかりやすくお洒落なプロデュースによって人気を獲得し、
21世紀以降は料理ジャンルを問わず大量出店を行って大成長を果たした、飲食店グループです。
京都に於いても、 『柚子屋旅館』 『祇をん豆寅』 など、有名店となった店舗を立て続けに出店。
何なら 「これこそが京都の象徴」 と思い込むトンチキな輩が発生しかねない勢いを誇ると同時に、
ある意味、わかりやすい表象の乱開発が続く現代の京都を象徴し得る存在にもなってるわけです。
この際コーポレーションを、新たな 「境界」 と見込んだ理由は、 「際」 なる名前そのもの。
不思議なインパクトを放つこの 「際」 という一文字、東洋と西洋の 「際」 を示してるんだとか。
「東洋と西洋の両方が出会う文化が、東京にある」 という考えから、命名されたんだとか。
実に 「境界」 的です。 「京都に全然関係ないだろ」 という言いがかりを越え、実に 「境界」 的です。
と、高踏にして深遠なるこうした判断に基づき、当サイトは今回、 「象徴」 への特攻を決めました。
赴いたのは、イタリアと日本の 「際」 な店名を誇る、イタリア割烹スコルピオーネ吉右の、昼床。
鴨川の 「際」 の、わかりやすく 「象徴」 な店のわかりやすく 「象徴」 な床に、忍び込んだわけです。
無論この特攻は、 「こんなの京都じゃない」 といった稚拙極まる揚げ足取りなどでは、あり得ません。
氾濫した表象がミノフスキー粒子と化し、ポスト・トゥルースが残念な天然のテーゼとなり果てた今、
表象と実体の 「際」 にこそ立ち現れる 「真実」 を見極めるべく、有視界戦闘に臨んだのであります。
そう、これは新たな挑戦なのです。当サイトが、当サイトであるために必要な、挑戦なのです。
決して、椅子床の記事に客が本当によく来るので、またダメ押しで行ったわけではありません。
断じて、実は単に一度は行ってみたくて、単に行ってみたわけでもありません。

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イカリヤ食堂で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2017年5月19日(金)


イカリヤ食堂で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

洛中洛外図・舟木本には、今まさに五条大橋を潜ろうとする川船が描かれています。
花見帰りらしき乱痴気集団が、踊り狂いながら橋を渡るその下を、薪を満載して進む、高瀬船。
当時の民衆の姿により焦点を合わせたと考えられている舟木本の、ハイライトとも言える描写です。
大仏殿再建の為に角倉了以鴨川疏通を行ったのは、この絵の製作期と推定される慶長期なので、
こういった光景は、時事トピック的な表現の格好のネタとして認識されていたのかも知れません。
もちろん、鴨川は白河帝も手を焼く暴れ川ゆえ、疏通で設置された河川施設をあっという間に粉砕。
了以はすぐ、より安全で確実に運行出来る運河・高瀬川の開削を、鴨川の真横にて開始します。
で、開削後の安全&確実な高瀬川が、京阪間交易の最重要ルートとなったのは、周知の通りです。
では、 「鴨川を川船が行き交う」 という舟木本の光景は、慶長期にのみ見られたものなのでしょうか。
そんなことも、ないでしょう。暴れ川も、暴れてなければ便利な川。船が通ることも、あったでしょう。
夏になれば、 「川床の前を川船が進む」 みたいな風雅な光景も、生じなかったとは限りません。
「春の陽気に誘われた民が、船を眺めながら河原で飲食」 なんてことも、なかったとは限りません。
河川交通によって都市が機能していた時代の京都とは、即ち、真に 「都」 であった時代の京都。
真の 「都」 としての京都について考えるなら、より立体的かつ体感的に 「都」 について考えるなら、
船に纏わるこうした風雅へ想いを巡らせることもまた、アプローチとして有効なのではないでしょうか。
そう考えた私は今回、この風雅を主として舌で体感すべく、イカリヤ食堂の床へ出かけてみました。
イカリヤ食堂。鴨川西岸の下木屋町エリアにあって、錨をシンボルとする川床付きの洋食店です。
出来た頃は確か夜営業しかやってなかったと思いますが、近年は昼床シーズンにランチ床を展開。
で、そのランチ床へ忍び込み、初夏の光に輝く鴨川を眺めながらスペシャルコースを食いまくり、
錨のロゴを見たりもしながら、錨があったかどうかは不明の川船へ想いを巡らせてみたのであります。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。 「都」 の風雅を体感的に捉え直す為の挑戦なのです。
決して、椅子席床の記事に客がよく来るので、ダメ押しで洋食店へ行ったのでは、ありません。
断じて、そもそも美味い店なので、単に美味いもんを食いに行ったわけでも、ありません。

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長岡天満宮の夏まつりへ久世六斎念仏の奉納を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2016年8月25日(木)


長岡天満宮の夏まつりへ久世六斎念仏の奉納を観に行きました。もちろん、ひとりで。

京都の六斎念仏の講中は、かつてお盆の頃、あちこちで興業を行なってたそうです。
市街地近郊の農村に於いて、農閑期の余暇を活用する形で発展した、近世京都の六斎念仏。
特に芸能六斎と呼ばれるタイプの六斎は、花の都に流行るあらゆる演芸を取り込みまくる形で発展、
念仏の原型がなくなるほどに芸能化されたその演舞で、人々から熱烈な人気を得たといいます。
無論、そんな芸能化された六斎の講中も、メイン活動は地元の寺社での奉納&棚経なわけですが、
人気と需要ゆえ、大八車へ道具を積んでの町場廻りなども行ない、貴重な現金収入を得てたとか。
そういった場での演舞は恐らく、よりコンパクトで芸能色が濃く、より 「余興」 的なものだったでしょう。
「移動型総合念仏エンターテイメント」 「踊る農閑渡世」 みたいな感じだったかも。面白そうですね。
しかし現代に至ると、こうした 「興業」 としての六斎奉納を見かける機会は、なくなりました。
現代の六斎シーンにあっても、ホーム以外の場所で積極的に奉納を行なう講中は多いですが、
そのプログラムは、ガチというか、いわゆるフルサイズの 「一山打ち」 である場合が大半。
かつての六斎が、メイン活動以外の場に於けるライトな演舞で放っていたかも知れない雰囲気、
ある種の 「営業」 感や 「余興」 感を想起させてくれるような奉納は、案外と見当たりません。
時の流れはこういう所にこそ克明に顕れる、という話ではあります。が、そこで、久世六斎ですよ。
京都市南区・久世にあって、駒形稚児を出す綾戸国中神社の隣である蔵王堂・光福寺をホームとし、
蔵王堂におけるホーム奉納ではそれこそガッチガチのディープな演舞を展開する、久世六斎念仏
六斎本来の太鼓曲が中心のセトリに始まって、客&場所から放たれるタイムスリップ感に至るまで、
「昔の六斎はこんな感じかも」 と思わせるそのガチさ加減は、当サイトでもお伝えしてる通りです。
が、長岡天満宮・夏まつりでのお呼ばれ奉納では、こちらの久世六斎、実にコンパクトな演舞を披露。
これはこれで、 「昔の六斎の興業はこんな感じかも」 と、強く思わせてくれるものとなってます。
そんな六斎の別の表情を拝むべく、長岡天満宮がある長岡京市へ出かけてきました。

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五山送り火の妙法を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

2016年8月16日(火)


五山送り火の妙法を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

五山送り火は、その名の通りに火を用いる行事ながら、基本、雨天決行となってます。
槍が降っても決行というわけではなく、1963年には豪雨で順延してますが、基本、16日に固定。
少なくとも私の記憶がある範囲では、 「雨で延期になった」 という話は、聞いた憶えがありません。
大変だという話ではあります。が、それも、当然でしょう。送り火はあくまで、送り火なのですから。
ホテル屋上で酒の肴に火を眺める仏罰必定の輩から、五山コンプへ挑む自転車珍走団に至るまで、
様々な愚民を様々な愚行へ駆り立てるライトアップイベントのようになってしまってる、五山送り火。
しかし、その本義はあくまで、現世へ戻った精霊 aka おしょらいさんを、あの世へ送り返すこと。
所詮は雲から下の事情に過ぎない雨で、精霊のステイ日数を延長させるわけには行かないのです。
延長などすれば、現世へ未練を抱いて帰らない居残り幽霊が大量出現するかも知れませんし、
そうなれば、そもそも霊口密度が高過ぎる怨霊都市・京都に於いて霊口爆発が発生するのは、必定。
然るべきスケジュールで、然るべき客出しで、然るべき場所へ帰ってもらう。これが、大事なのです。
なので、2016年の五山送り火は、とんでもない雨の中でも中止されずに敢行されました。
ゆえに、五山送り火5ヵ年計画を遂行中の当サイトは、ズブ濡れで妙法へ出かけました。
阿呆丸出しで何度も何度も様々な方法で五山コンプへ挑むも、それら愚行の全てが失敗に終わり、
反省の後、 「5年かけて、1年に一山ずつ観る」 と決め2015年に発動したのが、当サイトの5ヵ年計画。
初年度の前年は、送り火の代名詞的存在をまず押さえようと、大文字山を拝みに行きましたが、
第2回の今回は、大文字の隣にして大文字に続いて点火される妙法を、拝みに行ったのであります。
松ヶ崎・妙法は、洛北は北山の東にあって、五山の中で唯一 「妙」 と 「法」 の2文字1ペアな山。
この地は、日蓮の孫弟子・日像の教化により村全てが日蓮宗へ改宗したという伝説を持ちますが、
送り火で描かれる 「妙」 の字もやはり、日像上人が西側の山に書いた 「妙」 をルーツとしているもの。
正に霊的事情により決行されてる送り火なのであり、雨程度で中止されることは考えられません。
正直、当日に雨が降り始めた時には、5ヵ年計画を6ヵ年計画にする屁理屈を考えたりもしましたが、
大変な思いをして燃やされる火を拝むなら、こちらも多少は大変な思いをするのが、筋でしょう。
そう考え、雨の松ヶ崎へ出かけたのでした。そして、本当に大変な思いをしたのでした。

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亀岡平和祭・保津川市民花火大会へ花火を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年8月7日(日)


亀岡平和祭・保津川市民花火大会へ花火を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

爆発を、 「美」 として描く or 堪能すること。それは、平和な状況でのみ可能な行為です。
いや無論、戦時下でも爆発の描写そのものは決して珍しくはなく、むしろ盛んに行われるでしょう。
しかしそれらは概ね、 「勝利」 「成果」 or 「悲劇」 「非人道性」 などを表象する為のものであり、
爆発によって四散する命をもエレメントとして取り入れるような 「美」 の表現には、まずなり得ません。
殺される側にとって爆発の惨状は、当然ながら 「美」 とは懸離れた地獄として現前するのであり、
また殺す側にとっても爆殺の美化は、どれだけ正当化のロジックを駆使してもなお困難を極めます。
死者に祈りを捧げると同時に、こっそりと死者の死の瞬間を審美する脳天気な 「美」 の享楽は、
脳天気な平和状況に於いてのみ成立するものであり、ある意味で、平和の証とも言えるわけです。
8月の日本に於いて、爆撃の再現としか思えない花火大会が平和祈願の名目で開かれるのは、
送り火の風習を持つ盂蘭盆会終戦記念日のタイミングが重なったという我が国固有の事情に加え、
爆発が享楽し得るほど我々は平和であると、死者を含む世界へ宣言する為なのかも知れません。
「亀岡平和祭」 と堂々銘打たれたイベントの一環として行われる京都府亀岡市の花火もまた、
平和ゆえに可能な爆発の享楽を、夜空に舞い踊る魂火の審美を、存分に楽しめる催しです。
口丹波の中核都市・亀岡市は、1955年に 「世界連邦平和都市宣言」 を発し、 「平和祭」 を開始。
同時に、市の真ん中を流れる保津川 = 大堰川 = 桂川にて、約5000発を爆発させる花火大会も開始。
南丹・八木の凄まじさに隠れてる印象がなくもないですが、その規模はなかなかに爆発的であり、
花火貧民たる京都市民にとっても、JRに乗って爆発の飢えを満たしに行く貴重な機会となってます。
そんな亀岡の花火、当サイトとしては夏の定番行事を押えるべく今回の特攻に挑んだんですが、
写真の方は、花火の爆発が持つ 「美」 、それこそ死すらも孕む 「美」 に、焦点を合わせてみました。
長時間露光で光を叙情的に描くのではなく、飛び散り弾け飛ぶ瞬間の光こそを動的に描くことで、
「美」 の真只中で四散した命へ脳天気にシンパサイズし、共に夜空を舞おうと考えたわけであります。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。脳天気な平和を手放さない為の、挑戦なのです。
断じて、単に人が少ない遠方まで離れて望遠で撮ってみたら、妙な絵になったのではありません。
決して、手持ちゆえシャッター速度を上げ、妙な絵がもっと妙になったのでもありません。

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祇園祭・前祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年7月16日(土)


祇園祭・前祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

海がない街・京都に、忽然と海が現われる夜。それが、祇園祭の16日の宵山です。
海水の代わりに街中を流れるのは、人間。いや、より呼称のニュアンスにこだわるなら、人肉。
36度前後のじっとりした温度を持つ肉塊が、山鉾巡行&神輿巡幸の前夜に群れ集って肉海を生み、
その海に迷い込んだ者は、肉の潮目を読みながら泳ぐかの如き地獄を、味合わされるわけです。
また、肉温と気温がほぼ同温となる為、空気まで肉と化すように感じる無駄なまったり感が醸成され、
まるで湯の代わりに人間を張った肉風呂へ沈められるかの如き地獄も、味合わされるわけです。
恐ろしいのであります。京都最大級の動員を誇る行事@狭い街中 in 真夏。恐ろしいのであります。
「う回せよ」 というアラートを出されたら、素直にトンズラしたくなるくらい、恐ろしいのであります。
「京都の超メジャースポットへの単独正面突破」 を本義とする当サイトとしては、この恐るべき宵山、
その恐ろしさゆえに絶対避けられぬ行事と考え、ネタ採取を始めて早々に、特攻を決行しました
が、それ以来、出かけていません。17日の山鉾巡行には何度か行ってますが、出かけていません。
何故か。恐ろし過ぎたからです。地獄が、地獄過ぎたからです。肉が、肉過ぎたからです。
サイトの本義より健康が大事と判断し、人道的措置として長きに亘り 「う回」 を続けてきたのでした。
しかし、宵山のメジャーさ加減を改めて考えると、ずっと避け続けるというのも、ちょっと考えもの。
それに、2014年の後祭復活によって、16日 = 前祭の宵山も、多少は混雑が分散・緩和されたはず。
「近畿一円の阿呆な若者やDQNが大集結」 という古典的な馬鹿騒ぎも、多少は失速したはず。
いくら何でも、学ぶだろ。情報端末が普及して、阿呆な万能感まで普及する昨今だから、学ぶだろ。
再生産がこれだけ大変な御時世に、阿呆だけが無限&無尽に再生産され続けるわけ、ないだろ。
だから多分、大丈夫。みんな同じ人間なんだから、きっと分かり合えるよ。肉とか言っちゃ、駄目だよ。
と考え、今回、5年振り& 「前祭の宵山」 に戻ってからは初めて、16日の宵山へ行ってみました。
のみならず、山鉾の分散&客減少を見込み、前回は日和った山鉾町特攻+山鉾コンプにもトライ。
レッドアラートの先へ臆することなく突き進み、 「山鉾町の宵山」 の全てを観に行ったわけです。
時は奇しくも、土曜。果たして私は、肉海を無事に泳ぎ切ることが出来るでしょうか。

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夏越祓の茅の輪を求めて乙訓をうろつきました。もちろん、ひとりで。

2016年6月30日(木)


夏越祓の茅の輪を求めて乙訓をうろつきました。もちろん、ひとりで。

茅の輪、よくよく考えてみると、いや考えてみるまでもなく、用意って大変なんですよね。
第一に、お金がかかるし。自分達で作っても、手間はかかるし、それにやっぱりお金もかかるし。
用意されてる神社は、費用と労力の調達に際して、しんどい思いをされてるかも知れないわけです。
そして、用意されない神社もまた、それはそれでしんどい思いをされてるかも知れないわけです。
なので、その辺の事情を考慮も配慮もしない奴が、夏越の恒例企画とか言ってあちこちの社を徘徊し、
茅の輪があったとかなかったとか書き散らすのは、あまり感心できる行いとは言えないでしょう。
のみならず、何なら 「あまり紹介できない小社をめぐる、良い機会」 などと思い上がった考えを抱き、
ある種の使命感さえ持ちながら徘徊を継続するに至っては、欺瞞極まる行為と断じるを得ません。
それでは、人の苦労を掠め取って娯楽化することに励む、消費者ボケの愚民と同じではないか。
娯楽化した挙句、 「楽しませてくれてありがとう」 などと捨て台詞を吐く、享楽乞食と同じではないか。
もっと、身を削らねばならない。この愚行を続けるのなら、せめてもっと、身を削らねばならない。
「参加型」 といった捏造された当事者性ではなく、身を削って 「他者」 としての真の当事者性を獲得し、
真の 「めぐりびと」 たる身体を以て、別の 「他者」 の祭祀に於ける祓いに望まねばならない。
その当事者性は、例えばそう、修行の如きプチ登山も交えたハードな方法で獲得すべきではないか。
それが、不埒なる 「めぐりびと」 が祓いに際して払うべき、最低限の礼儀というものではないか。
私は、そう考えました。そして、2016年の茅の輪くぐりまくりを、乙訓エリアにて行うことに、決めました。
乙訓。京都府の南西部にあって、 「おとくに」 という、中々な難読度を誇る名前の地であります。
その高難読度な地名が示す通り、このエリアは京都・山背のすぐ隣に立地する 「弟国」 として栄え、
プレ平安京たる長岡京を始めとして、やはりプレ平安まで遡るルーツを持つ寺社や旧跡も多数存在。
中世以後も、山崎の合戦に於ける 「天下分け目の天王山」 など、多くの名所を生んでる地です。
で、今回の茅の輪めぐりは、その乙訓にてまずは天王山の山越えを決行し、その先へ進む形で敢行。
めぐりの原罪を殺ぐべく、己の足・背筋・山師根性を削りながら、全行程を徒歩でやり抜きました。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な、挑戦なのです。
決して、行先のネタが尽き、地元・八幡の川向・山崎から適当に歩き始めたのでは、ありません。
断じて、適当に山も登ったら地獄を食らい、その地獄を正当化してるのでも、ありません。

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大原・三千院へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年6月23日(木)


大原・三千院へあじさいを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

あじさいに、 「北」 の花というイメージはあるでしょうか。私には、あまりありません。
どちらかといえば、 「南」 な花、という印象を持ってました。生息域は東北辺りまで、みたいな。
この印象は無論、間違った思い込みに過ぎません。あじさいの生息域は、北海道にまで及びます。
それこそ、エゾアジサイもあるし。世界へ目を向ければ、ヒマラヤにもアジサイがあるらしいし。
少なくとも人が住める程度の北所や高所に於いて、あじさいが咲かないということはないようですよ。
にも関わらず、そんなあじさいに対して私が 「南」 な花という印象を、何なら今も持っているのは、
京都に於けるあじさいの名所が、京都市 or 京都府の南部に比較的多いからなのかも知れません。
藤森の藤森神社宇治の三室戸寺。共に、著名なあじさいの名所です。で、所在地も共に、南部。
あじさいが咲く梅雨のテイストと、かつて巨椋池が存在した湿地帯的なるディープサウスのテイストを、
己の中で勝手に重ね、己の中で勝手に納得し、己の中で勝手に確定してたのかも知れません。
当然、こんな阿呆な類推・曲解・盲信に関係なく、京都の北部に於いてもあじさいはしっかり、開花。
見物客を多く呼び込むあじさいスポットもしっかり、存在します。そのひとつが、三千院です。
三千院。言うまでもなく、洛北にして 「京都の奥座敷」 とも呼ばれる大原を代表する名寺であります。
天台声明の聖地であり、建礼門院などの貴人が世を捨て隠棲したことでも知られる大原の里へ、
明治期に入って梶井門跡が移転し、声明寺院を統括していた政所に落ち着く形で生まれた、三千院。
アクセスは未舗装の鯖街道のみだった大原が、昭和の道路整備&バス開通で観光化した後は、
「京都・大原・三千院」 という三段活用と共に、そのランドマークとして認知されまくっている、三千院。
大原の 「侘」 を体現する極楽往生院を始めとして、見所が多く人気も高い名刹なわけですが、
梅雨時の稼働率も上げたいのか何なのか、境内にはあじさい苑も設けられ、こちらも結構な人気。
あじさいを 「南」 な花と思い込む私の臆見など無関係に、大原の梅雨を鮮やかに彩ってます。
で、そんな 「北」 のあじさいを拝むべく、サウスな私は鯖街道を北上したのでした。

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貴船べにやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2016年5月13日(金)


貴船べにやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

何度も書いてることですが、当サイトで最もアクセスが多いのは、貴船の川床記事です。
鴨川の川床記事では、ありません。貴船の川床記事です。それも、カフェをめぐった記事です。
ひろ文の床へ行ったついでに、川床カフェ2軒へ寄っただけの記事が、昔も今も一番人気なのです。
この過酷な現実に直面した私は、 「何だ、結局は安いのがいいのか。ああそうかそうか」 とグれ、
アクセスが遙かに楽な鴨川エリアでコーヒーを飲み倒す川床カフェめぐりなんてのをやらかしたり、
更には和食の枠を超えてタイ料理川床なんてのも推してみたりもしましたが、状況は変わらず。
カフェ、そしてひろ文の貴船2記事は、今なお全鴨川記事を凌駕し、最大の稼ぎ頭であり続けてます。
この状態はつまり、貴船には高い人気があるということを、実にストレートに示してるんでしょう。
そして同時に、恐らくはその人気の割に、貴船に関する情報が少ないということでもあるんでしょう。
これは、やらねばならぬ。出費が痛くとも、やらねばならぬ。夏本番の到来など、待ってられぬ。
そう考えた私は、久しぶりに 「ゆか」 ではない 「どこ」 を求めて、5月の貴船へ向かったのでした。
今回赴いたのは、貴船の料理店が立ち並ぶゾーンのいわば入口に店を構える、貴船べにや
こちらのべにや、 「べにや」 という検索ワードで当サイトに流入して来る方が、妙に多いんですよ。
うちにはこれまで、べにやの記事は存在しませんでした。にも関わらず、飛んでくる人が多い。
ひろ文の記事で店前を通る程度のことは書いてますが、まあ、それだけです。にも関わらず、多い。
この状態はつまり、べにやには高い人気があるということを、実にストレートに示してるんでしょう。
そしてまた、恐らくはその人気の割に、べにやに関する情報が少ないということも示してるんでしょう。
これは、やらねばならぬ。出費が痛くとも、やらねばならぬ。夏本番の到来など、待ってられぬ。
そうも考えた私は、久しぶりに 「ゆか」 ではない 「どこ」 を求めて、5月の貴船へ向かったのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。客数の基礎票を固めるという、新たな挑戦なのです。
固めた基礎票の層に、偶発的にでも当サイトのスピリットへ触れてもらう為の、新たな挑戦なのです。
決して、少し小金が出来て天気も良かったので、何となく貴船へ出かけたわけではありません。
断じて、行ったら店探しが面倒になり、一番駅近のべにやへ入ったわけでもありません。

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本格タイ料理店バーン・リムナームで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2015年9月29日(火)


本格タイ料理店バーン・リムナームで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

京料理・梅むらの記事の中で、 「にらみ川床」 なる冗談を書きました。
鴨川沿いにて夏場は川床を出す同店に、川床シーズン終了間際の9月末に入店したら、
案の定というか何というか川床がしっかり終わってて、止むなく室内にて弁当を食った顛末を、
「これは、にらみ川床という文化的遊びだ、意図的な遊びだ、断じてそうだ」 的に書いたわけです。
あれから丁度、4年。私も、かつては睨んでただけの川床へ、幾度か忍び込むようになりました
金が無いので昼床ばかりの侵入ではありますが、それでも幾度か忍び込むようになりました。
良く言えば、ちょっと、大人になりました。が、悪く言えば、ちょっと、慣れも出て来てしまいました。
これは、いかんのではないか。これでは、アウェー感をヒリヒリ感じることができんのではないか。
もう一度、初心に返るべきではないか。 「にらみ川床」 の際の気持ちを、思い出すべきではないか。
そう考えた私は、 「にらみ川床」 の元ネタたる 「にらみ鯛」 の川床での敢行を、決意したのです。
「にらみ川床」 の元ネタを川床にて睨むことで、己の魂へのリベンジを果たさんと、決意したのです。
生憎、リアル鯛をリアル川床で睨もうとしたら、床どころか看板だけを睨むことになってしまう為、
鯛は鯛でもカタカナの 「タイ」 、即ちタイ料理を睨むことにはなりましたが、しかしそれでもタイはタイ。
また、睨んだタイ料理が実に美味そうだったので、睨みそっちのけで食い切ったりもしてますが、
とにかく真なるリベンジを果たし、改めてこのサイトのコンセプト&スピリットを再確認したのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為の、挑戦なのです。
2015年は川床ネタがひとつもやれてないことを、川床シーズン終了間際の9月末になって気付き、
団栗橋の近くにて川床も実装してるナイスなタイ料理店バーン・リムナームにて慌ててランチを食い、
その動機を捏造しようとして 「にらみ」 がどうこうと無理にゴネてるわけでは、断じてありません。
同店は普段使いもできる価格設定であり、飯が食える川床としては下手すると最安ゆえ、
財布的にも助かってうひゃひゃひゃというわけでも、断じてありません。

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京都みなみ会館の真夏のムカデ祭り in 京都へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年8月24日(月)


京都みなみ会館の真夏のムカデ祭り in 京都へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

ムカデ祭り。夏の終わりの京都・東寺近辺に於いて繰り広げられる、謎の奇祭です。
世界遺産たる東寺の五重塔が、ムカデの構造に似てなくもないという事実が由来というこの祭、
元々は虫封を御利益とする 「ムカデ供養」 や 「ムカデ封じ」 がこじんまり行われるものでした。
しかし近年、 「人間の上の口と下の口を繋ぎ、ムカデ化する」 という映画 『ムカデ人間』 の影響で、
所謂 「ムカデプレイ」 が余興として闖入し、 「繋がり」 至上主義の世相にもマッチして、振興&浸透。
更には御近所・梅小路公園のその筋の方の中のくそみそな方も巻き込んで、もっと振興&浸透し、
現在は京都アングラシーンに於ける最大&最狂の奇祭として、その地位をすっかり確立しています。
で、その奇祭へ私も参加し、全てを受け入れる悦びで心臓をバクバクさせつつ他人の大便を食い、
前立腺が吊り切って肉離れを起こすような快楽と共に他人の口内へ大便をねじ込んできました。
というのは無論、嘘です。梅小路公園には確かにその筋の方がいますが、それ以外は全て、嘘です。
実際は、東寺近くの映画館・みなみ会館でそんなイベントがあったので、出かけただけの話です。
すんません、東寺の五重塔。すんません、梅小路公園。そして誰よりすんません、みなみ会館。
で、そのみなみ会館ですが、 「京都で映画といえば、みなみ会館」 と思う方は、きっと多いでしょう。
素敵な贈り物が届けられたりするDX東寺があるような、サウスエリアのディープゾーンにあって、
ディープな単館系作品ばかり上映し、ダークホース的な存在感と共にサヴァイヴしてる館であります。
編成を長きに亘り担ったRCSが離脱して以降、しばらくラインナップがガチのシネフィル寄りとなり、
「映画好きを気取りたいけど、本当はよくわからん」 というニワカな私は正直遠ざかってたんですが、
ムカデ祭りなるゲテモノイベントも最近は打ってくれるようになったので、今回出かけたわけです。
あ、 「真夏のムカデ祭り」 の実態は、映画 『ムカデ人間』 の新作公開に併せた、シリーズ集中上映。
伝説の 『1』『2』 、そして新作 『3』 を、3回に分けて、館周辺もうろつきながら観に行きましたよ。
えと、この記事、 「大便」 という単語が頻出し、後半は何故か大便の如き関西弁も爆裂する為、
「ちょっとディープな京都を知りたい」 という感じの方は、読まないことを強くお勧めしておきます。
あと一応言っときますが、こんな楽しい祭が毎夏あるわけでもないので。悪しからず。

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五山送り火の大文字を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

2015年8月16日(日)


五山送り火の大文字を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

五山送り火。ござんのおくりび。間違いなく、京都の夏に於ける最大級の風物詩です。
お盆に際し現世へ帰って来た精霊 aka おしょらいさんを、再び冥界へ送る万灯籠の習俗が、
花の都で様々な影響を受け大規模化した末、闇夜にページェントを現出させるに至った、送り火。
炎で描かれた 「大文字」 「妙法」 「舟形」 「左大文字」 「鳥居形」 が街を囲むそのビジュアルは、
本来の目的たる信仰を集めると共に、 「夏の風物詩」 の枠を越え京都観光そのもののアイコン化。
ホテル屋上で酒の肴に眺める仏罰必定の輩から、五山コンプへ挑む自転車の珍走団に至るまで、
様々な阿呆に阿呆な意欲をも湧かせる巨大イベントとなっていることは、誰もが知る所でしょう。
そんな五山送り火、京都の超メジャースポットへの単独正面突破をモットーとする当サイトとしては、
本来なら絶対に見逃すわけにはいかない、何を差し置いても押さえておくべき行事ではあります。
しかし、これまで当サイトに送り火記事は、存在しませんでした。あらゆる形で、存在しませんでした。
決して、避けてたわけではありません。被災木材拒否でウンザリし、避けてたわけではありません。
逆です。ネタの採取は毎年、敢行し続けてきたのです。そして、全てに失敗し続けてきたのです
採取を始めた2011年は、自転車による五山コンプに挑むも、嵐山へ珍走する途中で、タイムアウト。
2012年は、懲りずに自転車でコンプに挑むも、北山通の混雑で躓き、舟形の手前で貧血ダウン。
2013年は、混雑回避を考え、敢えて徒歩&公共交通機関で挑むも、妙法を過ぎた辺で早速、アウト。
2014年は、発狂して全徒歩コンプに挑むも、大文字以外全アウト。と、失敗し続けてきたのです。
そして、各山の点火時間が繰り上がった2015年、私は流石に考えました。コンプはもう、止めようと。
むしろ、1年に1山ずつ回る方がまだ、いいかも。その方が、うちには、合うかも。そうだ、そうしよう。
というわけで当サイトは、五山送り火を5年かけてコンプする5ヵ年計画の発動を、ここに宣言します。
計画発動期間中、彼女が出来てサイト更新を辞めたり、または私が死んだりするかも知れませんし、
外出の面倒さから年数が6ヵ年とか8ヵ年とかに化ける可能性もありますが、とにかく宣言します。
で、記念すべき5ヵ年計画初年度のターゲットは無論、大文字。東山・如意ヶ嶽に浮かぶ、大文字。
「大文字焼き」 なる呼称さえ生んだ、五山送り火にとってキービジュアル的な存在の山です。
この大文字を、出町から北大路までの大混雑する加茂川西岸から、拝んでみました。

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中書島・長建寺の辨天祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年7月26日(日)


長建寺の辨天祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

この廓が世に知られたのは前にもふれたように淀川筋の船客を誘うたからであり、都名所図会拾遺
にも紹介されているとおり、 『旅客の船をとゞめ楊柳の蔭に盃をめぐらし』 という水郷的な趣きのせい
だった。 (中略) で、いつの頃からか廓の顔役達は弁天寺と結託して、毎年七月二十二日の夜に行
われるこの寺の夏祭を、船を主とした華麗な水上の祭として伏見名物の一つに仕上げていたのだ。
けだし中書島という廓の客引と宣伝をかねた最上の催しには違いなかった。
西口克己 『廓』

辨天祭 or 弁天祭、中書島長建寺にて7月下旬に行われている祭です。
中書島は、巨椋池宇治川に面した京都の港・伏見にあって、かつて遊廓が存在した街。
淀川水運と高瀬川の発着点に集まる旅人目当ての遊里として、江戸時代の創設以来大いに栄え、
近代に入り交通が陸路へシフトすると、今度は客を運ぶ市電京阪が開通してこれまた大いに栄え、
1958年に売春防止法が施行されるまで、 「楊柳の蔭に盃をめぐらし」 続けた街なのであります。
長建寺 aka 弁天寺は、そんな中書島に於ける 「島の弁天さん」 として、妓からも信仰を集めた寺。
夏祭にあたる弁天祭は、遊廓が健在だった頃には信仰&算盤勘定の両面から街全体が盛り上がり、
多くの船が河川交通技術をダイナミックに活かして、大阪・天神祭の如き饗宴を夜の水上で展開。
その様は 「洛南の三大奇祭」 のひとつとして広く知られ、大量の見物客≒遊客を街へと誘ったとか。
しかし売防法施行後の中書島は、風俗街へ転換するでもなく、他の産業へ転換するわけでもなく、
普通の飲み屋街&住宅街として現在に至り、廓と共生関係にあった弁天祭は規模を圧倒的に縮小。
「弁天さん柴おくれ、柴がいやなら銭おくれ」 と地元の子供が唱う弁天囃子の奉納も近年は絶え、
現在の祭は、山伏たちによる伏見の巡行、そして大柴灯護摩法要が夜空を焦がすのみとなってます。
では、弁天祭が単に衰退した祭かといえば、そうでもないんですよね。妙に、面白いんですよね。
衰退してるが故に、活性化の試みは色々と行われてるようで、この年も妙な女性団体の来客があり。
それが何か、面白かったんですよね。あと、山伏が伏見を歩くビジュアルも、それだけで面白いし。
というわけで今回は、その妙味を味わうと共に、街も散策。祭の現在の姿を見て来ました。
「洛南の奇祭」 は、果たして現在、どんな具合に 「奇祭」 なんでしょうか。

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