2024年9月17日(火)

豊臣秀吉が死の直前に観たかも知れない名月を、伏見へ観に行きました。もちろん、ひとりで。
豊臣秀吉が死んだのは、1598年8月18日です。死んだ場所は、伏見城です。
日付はもちろん、旧暦。ですので、中秋の名月 = 旧暦8月15日に近いことになります。
つまり秀吉は、伏見城内で中秋の名月を観てから数日後に死んだ、と言えるかも知れません。
月を愛し、此地の月を観るため指月城を築き、地震で潰れるとすぐ伏見城を建てた、秀吉。
「さらしなや 雄島の月も よそならん ただ伏見江の 秋の夕ぐれ」 なる歌も詠んだ、秀吉。
死の前は体も頭もボロボロだったらしいので、観る元気が残っていたかどうかはわかりません。
ただ単純に日付だけで考えると、満月前後の月を観て逝った可能性は充分あります。
というか、むしろ名月に呼ばれるように世を去った、そんな気さえするのです。
当サイトは先々月以来、御香宮&高台寺と秀吉へフォーカスする記事を続けて展開してきました。
1番の理由は命日が近いからで、2番の理由はこれまで秀吉ネタを全くやって来なかったからですが、
何で今まで秀吉ネタをやってなかったのかと言えば、私が秀吉に興味も知識もなかったからです。
では、記事作成を通じて興味と知識が増したかと言えば、特にそんなこともなかったりするのですが、
ただ、以前から無知&門外漢なりに感じていたことを、改めてしみじみと感じるようにはなりました。
それは、この人はおかしいということ。 「おかしい人」 というより、存在がおかしいということ。
存在が、歪。時空が、変。 「月から来た人」 とでも言われた方が、まだしっくり来るかも。と。
そう思ったので、今回、 「月の人」 としての秀吉の最期を検証してみようと思うのです。
秀吉が末期の眼で眺めた月を同じ条件で観るべく、中秋の名月の夜、伏見へと趣いてみよう。
月を観る場所は、その名もずばりな観月橋、すぐに潰れたけどやはりその名もずばりな指月城跡、
秀吉が没した伏見城の跡地である桃山丘陵、あと伏見城を模した伏見桃山城キャッスルランド跡。
執念や体臭に続き、死という人間の有様に肉薄することで生身の秀吉にフォーカスしてみよう。
そして、そこから逆に、 「月の人」 としての異常性を浮かび上がらせようと思うのです。
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2024年8月18日(日)

豊臣秀吉の命日に、高台寺の百鬼夜行展・夏の夜間特別拝観へ行きました。もちろん、ひとりで。
豊臣秀吉の体臭。それは果たして、いかなるものだったのでしょうか。
一般的かつ世俗的なイメージから類推するなら、臭そうです。 「はげねずみ」 的、みたいな。
ゾンビのくさやにチーズを乗せて、しばらく腐らせた上に、悪趣味極まる香水をかけたような。
ひどいですか。なら、歯槽膿漏の野犬が魚食った口から飛ばした歯糞をパンに塗った感じとか。
とにかく、過剰に人間臭い何かと過剰に人間離れした何かが混ざった異臭を連想せざるを得ません。
秀吉が京都に建てた城郭の異常なまでの徹底破壊も、この異臭の存在を想定すれば然もありなん。
屍臭まで嗅がされた家康が 「何か臭い」 とか言って再建した伏見城まで潰したりとか。わはは。
あっ、下らない話だと思われたでしょうか。確かにこれは下らない話です。間違いなく下らない話です。
ただ秀吉を考える際、とりわけ京都との関係に於いて秀吉を考える際、不可欠な視座だと考えます。
疑いなく京都を改造した、秀吉。その痕跡が現代も濃密に残存するほど徹底的に改造した、秀吉。
にも関わらず、京都をめぐる言説に於いて秀吉の存在は、過度なまでに意識されることがありません。
「京都という町を形成した者」 を考える際、皇族以外でまず名が挙がるのは近世の町衆でしょうが、
長方形の地割や御土居などを新設することで、その基盤を秀吉が構築したことも、間違いありません。
なのに、常に削除されがちな秀吉。 「はげねずみ」 だからなのか何なのか、削除されがちな秀吉。
これは、いけません。京都という都市を考えるなら、 「はげねずみ」 にこそ対峙する必要があります。
そして 「はげねずみ」 的なるものを検証するには、体臭からのアプローチこそ有効だと思えるのです。
秀吉に関するこの思い、高台寺の夏の夜間特別拝観へ今回出かけたことで新たにしました。
高台寺は秀吉の妻・ねね縁の寺で、夏の夜間特別拝観は秀吉の命日 = 8月18日にちなむ企画です。
和風テーマパーク第1号なライトアップに加え、お盆で妖怪だらけな百鬼夜行展も楽しめる催しです。
あくまで普通の催しで、秀吉の体臭匂い玉とか屍臭の再現とかがあるのかといえば、もちろん否。
なのですが、にも関わらず、この特別拝観で私は、体臭の確かさこそを再確認したのでした。
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2024年7月31日(水)

御香宮神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。
明治以降は基本全否定の呪術都市・京都を、現在も陰で拘束し続ける魔の掟、旧暦。
真の正月たる節分を筆頭株として、当サイトでもその魔力には何度も触れてきました。
しかし、正月 ≒ 節分と双璧を成すはずの夏越は、旧暦でやる神社、意外と少ないんですよね。
「水無月」 という旧月名と梅雨ど真ん中という新暦タイミングが、極端なくらい不一致なのに。
和菓子の水無月も、メインシーズンは新暦の6月。7月には出さない店も、珍しくありません。
本来の夏越あるいは水無月は、それこそからっと晴れた夏真盛りの7月末こそが相応しいのであり、
京都が本当に 「明治以降は基本全否定の呪術都市」 なら旧暦のタイミングで行うべきなわけで、
夏越を歌う和歌の多くが秋の香りを織り込んでいることを考慮しても、新暦はタイミング違いでしょう。
しかし、気にしない。夏越は新暦で、構わない。梅雨に水無月を食っても、気にしない。何故か。
理由は、7月末はお盆が近いからだと思われます。呪術都市にとっては、死者の出迎えは何より大事。
「ではお盆自体を夏越にしろ」 とも言えますが、死者が帰ってくる時にお祓いするのも何か霊に悪いし。
現役の呪術都市だからこそ、生活レベルのしっくり感が呪術行事のスケジューリングにも影響する。
かくして京都の夏越は6月末の新暦タイムで行う神社が多く、茅の輪も6月30日に出るわけです。
「何となく」 が、掟と化す。これもまた、呪術都市が持つ病理のひとつと言えるのではないでしょうか。
・・・という冗談はともかく、実際には京都にも本来のタイミングで夏越を行う社が存在します。
今回茅の輪を求めて訪れた洛南の名社・御香宮神社も、旧暦で夏越を行う社のひとつです。
御香宮神社。酒処・伏見の産土にして、祭神・神功皇后ゆかりの安産信仰で知られる社であります。
その歴史は平安京をも遡るほど古く、太古の昔から現代に至るまで篤い信仰を集め続けてきました。
八幡人の私にとっても隣町の大社であり、以前は深夜に茅の輪神事を見たこともあったような。
現在の夏越は昼だけの仕様になってるようですが、でも旧暦タイムの実施はしっかり健在。
そんな御香宮の旧暦の夏越、時間の都合でさっと茅の輪をくぐりにだけ出かけました。
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2024年3月15日(金)

東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
「観光」 と 「信仰」 は、果たして対立するものなのでしょうか。恐らく、違うはずです。
元来 「観光」 は仏の光を観ることだと、どっかの坊さんが言うのを聞いた憶えがあります。
単なる物見遊山のつもりでも、単なる景観消費のつもりでも、実は仏の光を観ているのが 「観光」 。
寺院系の観光スポットに群がる者は、内実を問わずその全てが仏に導かれているというのです。
聞いた時、心の半分では 「詭弁だ」 と思いました。ただ残りの半分では、 「その通りだ」 と思いました。
清水寺を筆頭とする超メジャー級の寺院で大混雑を見た時に感じる、不思議で独特な浄化感。
稚拙な観光欲が消化 or 浄化 or 昇華され、何かの仏性に繋がっているように見える、あの感じ。
「群がる観光客を嘲笑しよう」 と思ってこのサイトを始めた頃、私はこの感覚を味わい、戸惑いました。
単なるイベントや単なる雑踏では生まれない何か。それが、大きな寺社にはあるのではないか。
そう思ったのです。冷やかし気分で清水寺へ赴き、私と同じような印象を受けた方も多いはずです。
「観光」 と 「信仰」 は、対立するものではない。むしろ、 「観光」 は 「信仰」 の中にこそある。
何なら、 「観光」 はひょっとすると、仏の光を見ることから始まったのかも知れない。
こんなわかるようなわからないようなことを、東福寺の涅槃会へ出かけた際、感じていました。
東福寺は言うまでもなく禅宗の大古刹であり、涅槃会もまた言うまでなく釈迦の命日に行われる縁日。
3月15日 or 旧暦3月15日には各地の寺院で涅槃会が開かれていますが、東福寺もまた行っており、
中でも法堂に掲げられた明兆による巨大な 「大涅槃図」 の無料公開が最大の呼物となっています。
で、この涅槃会の雰囲気が何とも 「仏の光を観る」 という意味での 「観光」 といった感じだったのです。
仏の光を求めて、あるいはわけもわからずやってきて、皆が等しく仏の光を浴びる。
禅寺は厳格なイメージがあって、伽藍からして背筋を正してしまうようなテイストが漂ってますし、
特に東福寺の三門などはその極致で、何となく小乗感というか、厳しい印象がなくもありません。
でもこの日の東福寺は妙に大らかで、実に 「観光」 したような気になったのでした。
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2024年2月19日(月)

ウインタースペシャルで、料庭八千代の湯豆腐御膳を味わいました。もちろん、ひとりで。
2月の京都は、観光の閑散期ということになっています。というか、実際にそうです。
理由は、何より寒いから。底冷えの底で、大して雪も降らずにひたすら寒いだけという。
あとは節分の他にはこれといった行事がないのも、かなり大きいかも知れません。
いやもちろん、某国からの訪日客が増えてからは、こうした2月の事情も変わったんですけど。
いわゆる春節ですね。2月頭の大型連休で海を越えて来た連中は、京都にも沢山来るわけですね。
ただ、閑散期が消滅したというほどの印象も特になかったりするんですよ。特に月の後半は。
そもそも死ぬほど寒いことは変わらないわけだし。2月はやはり、観光には不向きな月なんでしょう。
そんな閑散期の対策として、2月の京都ではウインタースペシャルが行われています。
正式名称、京都レストランウインタースペシャル。その名の通り、京都の飲食系の冬の特別企画です。
誰もが知るような京料理の有名どころはもちろん、多彩なジャンルの多様な価格帯の店が参加し、
スペシャルな割引価格やスペシャルな限定メニューで何とか客を確保しようとする企画なわけです。
この企画、当サイト的に注目したい点は、ひとり客にも割と門戸を開いていることでしょうか。
とにかく席を埋めたいからなのか、普段はひとり客お断りのような店でも普通に入店出来たりするし、
普段は 「2名」 からしか表示されない予約サイトに 「1名」 の選択肢がちゃんと出現したりします。
有難いわけです。非常に有難いわけです。ひとりでうろつく当サイトとしてはこの機会、見逃せません。
恐らくコロナ前であれば、喜び勇んで出かけたでしょう。ウハウハで出かけたでしょう。
しかし私は、そして同志の皆さんは、コロナ禍を経て飲食がどれだけ大変かを知ってしまった。
「ぼったくってる分、独の俺で調整せい」 とか嘯く呑気な状態にはもう戻れません。
「店の事情など客に関係ない」 とは言えますが、そう言い放つ口元が歪むのを止められない。
なので今回、普段からひとりで予約出来る料庭八千代を敢えてウインタースペシャルで訪れ、
名物の庭と湯豆腐を味わいながら、今後のひとりの在り方を考えてみたのでした。
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2023年12月24日(日)

快活CLUB京都南インター店で聖夜、前篇からの続きです。
もちろん南インターは、わざわざ草津湊の場所を選んで作られたのではありません。
戦後に至るまで一帯はほぼ単なる農地だったため、土地の取得が比較的容易だからであり、
間違っても 「この地こそ、現代京都の陸の港に相応しい」 などと考えられたわけではないでしょう。
そもそも名神高速は名古屋と大阪・神戸とを結ぶ高速道路であり、ゆえに京都は一通過点に過ぎず、
北側へ大きく迂回して京都の中心部をわざわざ通るようなルートは可能な限り避けたいわけです。
おまけにこの街は山に包まれた天然要塞都市で、特に東山の貫通には大トンネルが欠かせません。
無論、洛中中心部の土地取得も困難を極め、実質的には解決不能の課題として屹立しています。
こうした要因から近代以降の高速交通は基本、京都市中心部の貫通を避け続けてきました。
国家の威信を賭けた省線・東海道線は流石に旧市街のほぼ最南端たる八条まで踏み込みましたが、
明治期には東山の貫通が叶わず、さらに南の稲荷山を南へ回り込む線形を余儀なくされています。
この南×南回りの東海道線旧線跡こそ、実は名神の山科~京都区間建設で転用された土地。
その西の稲荷山西麓~竹田一帯は旧軍用地でガラ空き、さらにその西の草津湊跡地周辺は農地、
また草津湊の地では整備済みのR1と接続できるため、此処に南インターが出来たのも当然でしょう。
しかし、それでも、当サイトとしては南インターと草津湊の縁を妄想せずにはいられません。
天然要塞都市として千年を生きる中で育まれたのであろう、京都という都市そのものが孕む生理。
それは即ち、全方位を山で完全包囲されているわけではなく、南側はすっぽり壁が抜けている地形と、
南へ向かって標高が下がるため全ての水が南側へ流れる地形が醸成した、身体レベルの偏見。
そういったものが今なお京都を拘束し、結果として南インターは草津湊の場所に出来たのではないか。
そして、未来に新たな交通システムが出現しても、その港はやはり此処に置かれるのではないか。
車のライトとラブホの照明が輝く南インターを見ていると、ふとそんなことを思ったりします。
・・・という出鱈目な戯言は置いといて、南インターの聖夜、インター詣でから続きです。
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2023年12月24日(日)

快活CLUB京都南インター店で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。
メリークリスマス!!地獄のクリスマス単独お泊まりネタ、2023年版でございます。
といっても近年はネタ切れ感が著しく、コロナで色んなことが色んなことにもなったため、
中断したり日和ったり、あるいは単に酒呑んで寝てたりと不調気味ではありました。
そんな中、苦し紛れや悪あがきを続けながらも掴み始めたのが、 「港」 というキーワードです。
2021年に訪れたのは、海の京都の名勝・天橋立に近い門前都市として海運が大いに栄えた、宮津。
2022年に訪れたのは、巨椋池の畔にて交通の要衝を一時担い、木幡関連の伝承も豊かな、六地蔵。
共に、かつて栄えた後に衰退した歴史を持ち、そして現在は別の意味で変化が著しい場所でもあり、
「港」 という物理的境界の側面と、歴史の変化という時間的境界の側面を、併せ持っています。
当サイトが裏テーマとして掲げる 「境界」 の追求としても 「港」 は実に相応しい探訪先となるでしょう。
となれば、続く2023年もやはり 「港」 をテーマと定めて聖夜を過ごす場所を選ばねばなりません。
が、誠に遺憾ながら海の京都方面へ遠征する時間も金も、今の私にはありません。では、どうしよう。
そこで思いついたのが、南インターです。名神高速道路の、京都南インターチェンジです。
南インターが立つ京都市南部エリアの鳥羽一帯は、鴨川と桂川の合流点であるため水の利が良く、
鳥羽 aka 草津湊 aka 横大路として、淀川経由で瀬戸内海へ直結する舟運の港を長く担っていました。
また、この利便性を活かして、平安末期から中世にかけては鳥羽離宮が営まれた地でもあります。
そして何より、現在は高速のICとして現代京都の 「陸の港」 となっているのも、此地の面白いところ。
おかげで近辺にはラブホが偉い勢いで林立しており、境界ならではのアジール感も事欠きません。
正に此処は過去/現在の境界であり、同時に日常/非日常の境界でもあるのです。実に素晴らしい。
高速爆走で生死の境界を跨いだ後にラブホへ単独特攻するような真似は流石にもう出来ませんが、
上手い具合に、南インターの近くにはネットカフェ・快活クラブ南インター店が立ってます。
そこで今回はこのネカフェに投宿して、現代の京都の 「港」 を徘徊してみたのです。
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2023年11月15日(水)

坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。
随分前から自分の中で、龍馬成分ゼロ問題のようなものが存在し続けていました。
龍馬に興味が湧かないのです。どうしてこんなに人気があるのか、全然わからないのです。
早く死んだからかな。でもそれなら他にも早く死んだ志士はいるよな。いくらでもいるよな。
業績があるからかな。でも推してる連中の雰囲気や温度感からは、そういうの、あまり感じないな。
あの人達は、明らかに私には見えない何かを龍馬に見出し、好きになっている。そう感じるのです。
こういう謎を解消する場合、人気の源泉とされるコンテンツへアプローチするのが定石であり、
龍馬の場合は検証にうってつけのネタも 『竜馬がゆく』 『龍馬伝』 を筆頭に枚挙に暇がありません。
が、そういうものを見る気力も湧かないのです。見るべきと思った2秒後には忘れてるのです。
いわゆる逆張りの心が作動してるのではないと思います。ベタを避けたいのではないと思います。
当サイトはそもそも、京都のベタを写経するようなサイトです。ゆえに龍馬は本来、避けられません。
また、最近多いという 「龍馬、実は大したことしてない」 的な反感も、特にないと思います。
そもそも反感を持つほどよく知らないし。たとえ知ろうと思っても、意欲が秒レベルでしか保たないし。
アンチ/シンパ問わず発生する龍馬成分みたいなものが、どうやら私には欠けてるようなのです。
そんな塩梅なので私にとって龍馬という人は、空気のような人、ということになってしまいます。
業績はともかく、現在は後世の人の願望や夢想の風船と化した人、ということになってしまいます。
これは、いかん。流石に、いかん。京都観光に縁深き人物にこの扱いは、いくら何でもいかん。
そう思ったので今回、坂本龍馬の命日に京都霊山護国神社と霊山歴史館を訪れることにしました。
霊山護国神社は、言わずと知れた龍馬&中岡慎太郎を始めとする志士が眠る墓を守る社であり、
その向かいに昭和中期に出来た霊山歴史館は、昭和の龍馬ブームを体現する施設です。
龍馬の命日はもちろん神事や各種催しも行われているので、そのど真ん中を訪れることで、
龍馬のことと、龍馬に興味が湧かない自分のことを、わかろうとしてみたのでした。
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2023年10月22日(日)

時代祭のネット中継を三条河原町のネットカフェで観ました。もちろん、ひとりで。
時代祭。平安神宮の秋の大祭です。そして、言うまでもなく、京都三大祭のひとつです。
平安時代から明治までの時代行列が、御所から平安神宮へ至る都大路を行進するその様が、
東京遷都後の京都そのものを体現してるとも言える、極めて重要な超メジャー級行事であります。
京都の表象とベタの混雑を見つめ続ける当サイトとしてもこの祭、避けるわけには行きません。
ましてコロナ禍を経た2023年には、衣装の新調もなりました。絶対行くしかないでしょう。
でもな、何かもうしんどいのよな。行きたくもないのに人混みの中に行くのって、もうしんどいのよな。
いや、行くだけなら別にいいんだけど、カメラ構えるとすぐに横とか後とかにクズが来て、嫌なのよな。
どいつもこいつもニヤニヤ笑ってて。しかも、何故かどいつもこいつも身長・体型・体脂肪率が似てて。
あれ、バズりのネタを探してるクズなんでしょうか。あるいは、写真を売ってるクズなんでしょうか。
ああ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
もっと嫌なのは、前を塞ぐ奴な。とにかく人の前へ出て、出た後は何したらいいか全然わからん奴な。
わからなくてその場で呆然と突っ立って、横を通り過ぎるとまた慌てて走ってこっちの前に出て、
出た後でやっぱり何したらいいかわからなくてその場に突っ立って、とにかく人を通そうとしない奴な。
ああ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
いや、そりゃ私だってクズはクズですよ。やってることは根本的にクズと何ひとつ変わりませんよ。
そこ、忘れてはいけません。そこを忘れると、単に 「クズの十年後」 ぐらいの人間になるだけですから。
でもね、疲れるんですよ。自分のクズな所を煮詰めて鼻先に突きつけられると、凄く疲れるんですよ。
行きたくないな。行きたくないな。行かなきゃいけないけど、行きたくないな。何か良い方法ないかな。
そうだ、ネット中継で観よう。混雑を知らせる中継は時代祭にもあるから、それで観よう。
順路で一番混む三条河原町にはネットカフェがあって、近くの交差点には中継カメラもあるし。
現場がすぐ近くだから、音は生で聞けるかも。そうだ、そうしよう。ネットの中継で見よう。
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2023年9月21日(木)

酔心京都駅前店で松茸と秋鱧を楽しみました。もちろん、ひとりで。
「駅前でその土地の名物を、雑に食べたい」 という欲求が、激しく湧くことがあります。
いわゆる名店とかではなく、名店の駅前店とかでもなく、単なる駅前の店で食べたいのです。
それこそ、昭和の頃から一見特化型の観光メニューばかり扱い続けてるような店が、むしろ良い。
18きっぷでどっかの街に途中下車した時などは、この妙な欲求、ことさら激しく湧き上がります。
持ち金が少なく店探すのも面倒だからではあるんですが、きっと理由はそれだけではありません。
大きな声では言えないけど、行きずりの郷土感みたいなものを積極的に味わいたいというか、
「あれこれ言うの、野暮だよ。わかってるよね」 みたいなのを、味わいたくなるのです。
裏暗いと言えば裏暗いこの欲求、観光都市・京都では、満たしてくれる所を案外と見かけません。
単に私が地元の人間だから、そもそも京都にあまり郷土感を感じられないこともあるんですが、
実は京都の側にも、この妙な距離感の郷土感を生じさせない何かがあるような気もしたりします。
観光客相手の店は、もちろん沢山あるわけです。そして、そうでない人向けの店も沢山あるわけです。
が、その間はあまりないという。前者は概ねガッツき過ぎで、後者はそれこそ一見さんお断りという。
「生理現象を持つ匿名的存在」 として通り過ぎることが出来る場所が、この街には割と少ないのです。
昔の鴨川の河原などは、あるいはそんな場所たり得てたのかも知れません。しかし、今は違います。
花街はそんな場所の極致とも言えますが、その一方で顔認証技術がない時代から顔認証空間です。
駅前的な距離感で京都を楽しむのは、難しい。田舎ながらも駅前育ちの私は、そう思ったりします。
ひょっとすると、鉄道が開通する遙か以前に都市が完成し、のみならず没落さえ進行してた京都では、
そもそも 「駅前感」 といったものを漂わせる駅前が結局は生まれ得なかったのかも知れません。
そんな京都に於いて、私が駅前感を感じられる場所を挙げるなら、京都駅前の酔心でしょうか。
酔心京都駅前店。京都のチェーン居酒屋であり、京都駅とも地下で直結してる庶民的な店です。
初秋には、初秋の京都名物・秋鱧&松茸も出してます。ので、雑に食べに行きました。
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2023年8月1日(火)

大谷祖廟の暁天講座へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
大谷祖廟へ出かける理由を、当サイトを始めた当初からずっと探し続けてました。
「そんなもん、勝手に行けよ。さっさと」 と言われたら、それで終わってしまう話ではあります。
が、それで終わらないもの、終わらせるべきでないものがあると感じてるのも、確かだったりします。
大谷祖廟。言うまでもなく浄土真宗宗祖・親鸞聖人の墓所がある、東本願寺の飛地境内です。
が、隣には門徒専用の墓地・東大谷墓地があり、両者はペアで認識されることが少なくありません。
実際、私もかなりごっちゃに捉えてます。しかも 「親鸞の墓」 というよりは 「門徒さんの墓地」 寄りで。
おまけに私は親類縁者に門徒がいないので、此処は全くの赤の他人が眠る墓地、となるわけです。
東大谷万灯会なども行われる点で間違いなく京都のメジャースポットですが、でも、墓地なわけです。
全く無縁な墓地への、理由なき訪問。一般良識で考えると、控えるべき行為とは言えるでしょう。
「無敵の人」 の万能感を使い切った後の人間が、如何なる倫理を持って如何なる道を歩むべきか、
思索を深めながら京都徘徊を続ける当サイトが、斯様に浅薄な行為におよぶわけには行きません。
その割には化野念仏寺の千灯供養や東山浄苑の真昼の除夜の鐘撞きなどに行ってはいますが、
2020年代後半を見据えた生き方を考えた場合、この手の荒事はもう控えた方が良いのでしょう。
また、より正直に言わせてもらえば、他の墓地訪問とは違う何かを大谷祖廟に感じることも確かです。
それが何か言えば、大谷祖廟と大谷本廟と東山浄苑って何かややこしいなという話なんですけど。
特に祖廟と本廟って、何かややこしいな。本家と元祖とたかばしの違いみたいで、何かややこしいな。
そんな大声で言えない系の理由もあって、長らく大谷祖廟へ足が向かわず仕舞いだったのでした。
しかしそれでも大谷祖廟はやはり、大谷祖廟です。超メジャーです。やはり、行っとくべきです。
そう考えて今回、大谷祖廟が毎年8月初頭の早朝に開催してる暁天講座へ出かけることにしました。
暁天講座、誰でも入れる講座です。これなら、信心なしで行っても先祖の祟りとかないだろ。
と、けしからんことを徹夜明けの頭で考えながら、払暁の東山へ赴いたのでした。
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2023年7月16日(日)

祇園祭前祭・宵山のネット中継を四条河原町のネットカフェで観ました。もちろん、ひとりで。
2023年7月16日夜に開催される祇園祭前祭・宵山は、何が何でも観なくてはいけません。
何せ、コロナによる休止/規制が完全に解除されるのです。見逃すわけには行かないでしょう。
現場は、暑いけど。言うと余計に暑くなるけど、だからって黙ってると発狂しそうなくらい、暑いけど。
人も多いし。多いというか、余りに多過ぎて生暖かい肉の海で遭難してる気分になるくらいだし。
コロナ明けで密集したがる輩とかも、多そうだしな。そういう輩に近寄られるの、ちょっとあれだしな。
どうしよう、と懸念も湧きはします。しかし、宵山の復活です。見逃すわけには行かないでしょう。
宵山。特に前祭の宵山。京都で最も多くの人を集める祭・祇園祭で、最も多くの人を集める行事です。
クライマックスたる山鉾巡行の前夜祭として行われてきた 「宵夜飾り」 が現代に入ると大化けに化け、
さらには昭和の道路拡張+歩行者天国化+山鉾巡行一本化で異常なまでに規模が拡大した、宵山。
後祭復活後も、16日の前祭・宵山は弩級の混雑が続いてることは、当サイトでもお伝えした通りです。
もちろん、こうした混雑を冷笑したいのではありません。 「やれやれ」 とか言いたいのではありません。
単なる観光でもなく、単なる信仰でもなく、単なる商売でもなく、単なる生活でもなく、言わばその全て。
そんな無茶苦茶な混淆、人が人であるが故に生じるカオスこそが当サイトが探求する 「京都」 であり、
前祭・宵山である7月16日の夜は、この 「京都」 が最大規模で四条通に現出する夜であると言えます。
そしてその宵山が、コロナ禍による休止や規制などの苦難を経て、遂に規制なしで開催されるのです。
正に、数年を経ての復活です。こんな機会は、もう二度と目撃出来ないかも知れません。
仮にも 「京都」 をめぐるサイトをやってる者であれば、絶対に見逃すわけには行かないでしょう。
現場は、暑いけど。言うと余計に暑くなるけど、だからって黙ってると発狂しそうなくらい、暑いけど。
人も多いし。多いというか、余りに多過ぎて生暖かい肉の海で遭難してる気分になるくらいだし。
コロナ明けで密集したがる輩とかも、多そうだしな。そういう輩に近寄られるの、ちょっとあれだしな。
どうしよう。絶対に見逃すわけには行かないけど、どうしよう。あ、そうだ。ネットの中継で観よう。
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2023年6月12日(月)

さすてな京都へあじさいを観に行きました。もちろん、ひとりで。
京阪電車本線に於ける駅間距離の最長区間は、淀駅~中書島駅間の4.4kmであり、
淀駅の隣である八幡市に住む私は、所要時間約5分であるこの4.4kmを日常的に通ってます。
南向きの時は、巨椋池干拓地の空を見ながら。北向きの時は、横大路沼跡地の煙突を見ながら。
駅間距離が長いのは、敷設時点では横大路沼が存在し、大きな集落などがなかったためです。
横大路沼は、秀吉の伏見城築城&その水運確保のため行った宇治川改造の際に生まれた沼地で、
伏見と淀城を結ぶ京街道の足場 = 淀堤によって、巨椋池の北辺を分離する形で出現しました。
それ以前の一帯は、恐らくは水と陸との境界さえあやふやな沼地というか遊水地だったわけであり、
かの下鳥羽/草津港まで含めて、京都南部の水路/海路のゲートとして機能してたのでしょう。
現代に入るとこうした池や沼は干拓で姿を消しますが、横大路沼の干拓完了は比較的遅くて、戦後。
ある意味、水と縁深き洛南の景色を最後の最後まで留めてたのが、この沼なのかも知れません。
干拓後の横大路沼は、豊かな土地と水を活かすべく工場/施設が多く建つようになりました。
誰もがスーパーで目にするような和菓子のメーカーの工場を始め、多くの建物が林立してますが、
その中でずば抜けた存在感を放ってるのが、京都市の環境施設・京都市南部クリーンセンターです。
横大路沼の干拓が完了する以前の昭和11年から、横大路塵芥焼却場として処理業務を開始し、
干拓完了までは沼の畔で、完了後は敷地と施設を拡大しながら、増大する一方の市のごみを処理。
現在は1日最大1100tのごみを焼却出来る、京都市の環境政策に於ける重要拠点となってます。
居並ぶ他の煙突を圧倒するかのようにそびえるその紅白の煙突は、正に此地のランドマークであり、
京阪電車 or 京阪国道を通る人なら、京都市民でなくともその威容を日々目にしてることでしょう。
クリーンセンター、2019年には環境学習施設・さすてな京都が設立され、見学が簡単になりました。
で、このさすてな京都、あじさいが名物だったりします。その株数、実に1万株以上。中々です。
そんなあじさいを、水と縁深き洛南の幻影を求めるように小雨の中、観に行きました。
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2023年5月31日(水)

先斗町いづもやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。
コロナ禍は、京都の夏の風物詩である川床に対しても、少なからず影響を与えました。
減客&減席の影響緩和のため鴨川納涼床が行った営業期間の延長は、その代表例でしょう。
おかげで、10月の昼床なんてのも現れたり。奇禍の中の奇貨、とも言えるかも知れません。
ただこの延長、5月の昼床では行われませんでした。6月に昼床は、とうとう現れませんでした。
理由は明白でしょう。暑いからです。梅雨も問題ですが、それより何より暑いからです。
実際に行ったことがある方は御承知とは思いますが、昼床というのは中々に暑かったりします。
陽が当たる場所にはちゃんと日除が用意されますが、5月末の夏日ともなればそれでも完全に暑い。
とても風情どころではありません。炎天下で食事をするという、荒々しい行為になってしまいます。
せめて、太陽が隠れてくれたら。昼床でそんな風に思った方も、実はかなり多いのかも知れません。
太陽が隠れる曇天では、確かに、昼床の最大のメリットと言える景観がかなり損なわれはします。
ただ景観以外の面では曇天はメリットが少なくありません。陽の光に焼かれないし。やや空いてるし。
何なら、景観以外の全てがメリットと言えるでしょう。視覚以外は概ね全て快適になるわけです。
であれば、曇天をもっと積極的に楽しめば、昼床の可能性はより広がるのではないか。
御節介にも当サイトは、そう考えました。そして今回、敢えて曇天の日を選んで昼床へ向かいました。
コロナ禍はほぼ収束したと言えますが、今後もまた似たような事態が起こらないとは限りません。
その際も床を存続するためには、稼働期間の延長も有効でしょうが、客の認識の更新も必要でしょう。
幅のある物事の楽しみ方を我々が身に着ければ、床の稼働率や生存率は上がるのではないか。
そんなことを考え、曇天の5月末日、四条大橋の横にビルと床を構えるいづもやへ出かけたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。新しい日常の後の日常を提案する、挑戦なのです。
断じて、月末も末日に至って5月分のネタ採取を全く行ってないことを急に思い出し、慌てて、
悪天なのに昼床へ出かけ、空いてたいづもやへ適当に飛び込んだのではありません。
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2023年4月28日(金)

祇園甲部歌舞練場の都をどりを、桟敷席を予約して観に行ってきました。もちろん、ひとりで。
死と再生。春は、そんなことを考えさせられることが多い季節です。
今までの生活や環境に別れを告げ、新たな自分として歩み始める。そんな方も多いと思います。
清水の舞台から飛び降りるように新天地へ赴き、果敢に新生活を始める方も、少なくはないでしょう。
年度始めの世界的な主流は9月であり、日本の4月スタートも実は近代以降の慣習に過ぎませんが、
桜が咲く中で人生の転機を経験すると、誰もが春を特別な季節と感じるようになるとも思えます。
もちろん、桜という花そのものが死の香りを濃厚に孕むこともまた、決して見逃せません。
俺は春死ぬことにしよう。俺が焼ける間、外は花吹雪――いいぞ (映画 『お葬式』 侘助の科白)
涅槃や成仏、あるいは転生や輪廻。こうした願望も、桜や春は高めるのかも知れません。
そんな桜咲く2023年の春、京都・祇園でもひとつの再生が成されました。祇園甲部の都をどりです。
都をどり。京都最大の花街である祇園甲部にて、毎年4月に行われてきた舞踊公演であります。
明治初頭に京都振興を目的として開始され、ゆえにその内容は今も極めてスピーディーで現代的。
観光都市・京都を最も体現するコンテンツとも言え、その興味深さは当サイトでもお伝えした通りです。
この都をどりが、2017年よりしばらく、祇園甲部でのホーム公演を行えない状態になってました。
理由は工事です。明治期より会場とし続けてきた祇園甲部歌舞練場が、改修工事に入ったためです。
春秋座や南座に会場を移し、さらには2020年からのコロナ禍を受けて公演そのものまで一旦休止。
こうした苦難を経て、2023年春、都をどりは遂に祇園甲部歌舞練場へ帰って来たのであります。
これは正しく、再生です。春に相応しい再生です。そしてこの再生は、何としても見届けるべきです。
そう考えて当サイトも、前回より良い席でこの再生を見届けようと、然るべき予算を用意しました。
あいにく多忙と券欠が重なって4月末のラスト前々日になったものの、それでも1等席の確保に成功。
しかも、舞台に間近い桟敷席です。これは、期待出来る。そう思いながら、当日は出かけました。
が、出かけてすぐ、全く予想しない形で死と再生に直面したのです。
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2023年3月10日(金)

宝鏡寺の春の人形展に行ってきました。もちろん、ひとりで。
外見上は生きているように見えるものが本当に生きているのかどうかという疑惑。その逆に生命のな
い事物がひょっとして生きているのではないかという疑惑・・・人形の不気味さがどこから来るのかと言
えば、それは人形が人間の雛形であり・・・つまり人間自身に他ならないからだ。人間が簡単な仕掛け
と物質に還元されてしまうのではないかという恐怖・・・つまり人間という現象は本来虚無に属している
のではないかという恐怖・・・ (映画 『イノセンス』 トグサの死体の科白)
では、御所人形に感じる不気味さとは、彼等が 「人間とは虚無だ」 と示すことに由来するのか。
不気味の谷を埋めず、むしろ反転させた谷底で観る者を刺すかの如き、あの顔。確かに、気色悪い。
しかし、あの不気味さが本当に虚無に由来するのであれば、そう邪険に扱うのも考え物ではないか。
同様に虚しき存在である独男は、虚無を体現した御所人形と、きっともっと仲良くなるべきなのだろう。
そういえばあの人形に感じる嫌悪感は、案外、同族を見た際に感じる嫌悪感と似てはいないか。
女の子が子育てごっこに使う人形は実際の赤ん坊の代理や練習台ではない。女の子は決して育児
の練習をしているのではなく、むしろ人形遊びと実際の育児が似たようなものなのかもしれない・・・
つまり子育ては人造人間をつくるという古来の夢を一番手っ取り早く実現する方法だった。そういうこ
とにならないかと言ってるのよ。 (同 ハラウェイ検死官の科白)
「古来の夢」 の実現から最も疎外された存在である独男にとって、人形とは果たして何なのか。
また、 「人間は何故こうまでして自分の似姿を造りたがるのかしらね」 とも語るハラウェイ氏に反して、
独男が密造する 「似姿」 の多くは、己と似ても似つかない美少女や巨大ロボットになりがちなのか。
こうした懐疑と向き合うべく今回、宝鏡寺が雛祭シーズンに開催してる春の人形展へ行ってみました。
人間の雛形と、虚無。再生産と、不気味の谷。果たして独男は、人形と仲良くなれるでしょうか。
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2023年2月23日(木)

梅小路公園へ梅を観に行きました。もちろん、ひとりで。
梅ライン。京都の怨霊シーンを語る上では、決して見落とすことが許されないラインです。
それは即ち、北野天満宮から御前通を南下し、土御門家の屋敷があった梅小路へと至るライン。
梅を愛した怨霊神のカリスマと、スター陰陽師の子孫とが、このラインで直結してるわけです。
怨霊神のカリスマとは無論、菅原道真のこと。北野天満宮の主祭神である道真に、他なりません。
優秀ゆえ重用されるも、藤原時平を始めとする平安貴族一同に嫌われ、陰謀により太宰府へと下り、
梅を想いながら野垂れ死んだ後は怨霊化し、恐怖の里帰りを遂げて都へ雷火を落としまくった、道真。
陰謀関係者に片っ端からヴードゥー攻撃をお見舞いし、震え上がった朝廷が名誉回復を決めるも、
遂には御所にも弩級の雷火を叩き込み、醍醐天皇が心労死するくらい恐怖の底へ追い詰めた、道真。
この怨霊ジェノサイドが効きまくって、道真が天神として北野天満宮に祀られたのは、御存知の通り。
もちろん、愛する梅と共に。北野天満宮の梅苑は今なお梅の名所であり、訪れる人も絶えません。
かくして道真が怨霊神のカリスマとなった数世紀後、土御門家は梅小路に居を定めます。
土御門家。その先祖は当然、道真とほぼ同時期に活躍した陰陽師・安倍晴明。正しく、霊の名門です。
しかし、晴明の死後も晴明並みの超スター陰陽師を立て続けに輩出したかと言えば、そうも行かず。
権勢的には公卿になれたりと頑張りを見せたものの、肝心の霊的インパクトは欠けたまま時は流れ、
応仁の乱に至ると遂には都落ちの羽目となり、遁世先の若狭で暦を作ったりしてたわけです。
そんな土御門家が後に帰京出来た際、何を思ったのか。単に 「帰れて良かった」 とだけ思ったのか。
多分、違うでしょう。力が要る、と考えたでしょう。特に最近欠けてる霊の力が要る、と考えたでしょう。
そこで、道真に肖ろうとしたのではないか。怨霊神のカリスマと、梅経由の結縁を謀ったのではないか。
北野天満宮の真南である梅小路は昔、梅林が広がってたそうです。そう、正に梅ラインです。
京都の怨霊シーンと真摯に向き合い続ける当サイトとしては、この梅ライン、無視は出来ません。
そこで、梅小路公園にて折よく満開の梅を愛でた後、梅小路へ検証に行ってみたのです。
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2022年12月13日(火)

京料理展示大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
京料理展示大会は、始まった頃からずっと岡崎を会場にして開かれてると思ってました。
理由は、開催回数と岡崎の開発経年数がほぼ同じだから。2022年時点で、百数十年という。
でも、違うそうです。京料理展示大会は休止期間などがあるため、もう少し古いそうです。
岡崎一帯の開発が始まったのは、琵琶湖疏水が開通し、内国勧業博覧会も開催された1890年代。
博覧会のパビリオンとして平安神宮が作られ、周りには美術館・勧業館・図書館なども生まれました。
対して京料理展示大会が始まったのは、明治19年 = 1886年。場所も、岡崎から程遠い北野天神。
東京遷都で落ち込んだ京都を盛り上げるべく始まったという点では、共通してる感もある両者ですが、
やはり京料理は近代だけのものではなく、それゆえ展示会の発祥も展開も違って来るわけですね。
根本的な説明が遅れました。京料理展示大会。その名の通り、京料理の展示大会です。
主催は、京都料理組合。施餓鬼会/時代祭神饌奉献と並ぶ3大行事のひとつとして開催してます。
大会のルーツは生間流による北野での式庖丁奉納で、その後も祇園などで勅題料理縦覧会を開催。
八坂倶楽部にてしばらく開催を続けるも、戦争で中断に至り、敗戦後に京料理展示大会として復活。
高度成長期に入ると八坂倶楽部から岡崎の京都市勧業館へ会場を移し、参加店や参観者数も増加。
そして平成以降は、新たな勧業施設のみやこめっせにて毎年12月に開催されてるわけであります。
この展示会が良いのは、素人も入れることでしょう。入場料を払えば誰でも入れるという。
なので会場内では、一生入ることがないかも知れない老舗や有名店の料理を拝むことが可能です。
並ぶ料理の数も凄まじく、ジャンルも寿司・ふぐなどを含め多岐に亘るため、全ては見切れないほど。
また会場には特設ステージが設けられ、この展示会のルーツとも言える生間流の式庖丁も披露。
他にも、五花街から呼んだ舞妓はんの舞を始め、京料理教室や出汁巻コンテストなど出し物も充実。
唯一残念なのは料理を食べられないことですが、もう少し金を出せば点心を楽しむこともできます。
そんな京料理展示大会、コロナ明けで復活したというので、初日に岡崎へ出かけました。
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2022年11月25日(金)

保津峡へ紅葉を観に行きました。もちろん、ひとりで。
金が、なくなりました。あったのに、なくなりました。前はあった金が、なくなりました。
おかしいと思って人に言ったら 「それ、お前が使ったからだ」 と言われましたが、それ、おかしい。
私の金は、私の金です。私の所に、私の名前で、振り込まれたり、支払われたりした金です。
その金が、なくなる。使ったというだけで、なくなる。それはちょっと、無茶苦茶な話だと思います。
貨幣経済とか、そういう話でしょうか。そういうの、無関係です。本質から、逃げてるだけです。
金がなくて幸せな人なんて、どこにもいないでしょう。なので、金がなくなることがまず、おかしい。
そもそも、金は使うとなくなるという仕組みの所から、何か間違ってるんじゃないでしょうか。
金で買った物はなくならないし、使ってもなくなりません。自動車も、掃除機も、なくなりません。
なのに、金は使うとなくなるなんて、ちょっと変だと思います。違和感、感じます。モヤモヤします。
はっきり言うと申し訳ないですが、こういう仕組み、昭和っぽいです。今の時代に合ってません。
デジタル化に置いて行かれた人が、必死で私達の足を引っ張ってるんじゃないでしょうか。
古い考え方を鵜呑みにするの、かっこ悪い。そういうのを振りかざして偉そうにするの、かっこ悪い。
ずっと前の当たり前をいつまでも正論のように言い続けるのって、もうハラスメントにしか思えません。
「対価を支払う」 とかいう大昔の価値観から、解放されたい。そういうのに捕まらず、自由でいたい。
おかしいおかしいと思いながら今日の今日まで自分を抑えて生きてきましたが、もう我慢できません。
違和感を我慢せず、モヤモヤを飲み込まず、全て自分らしく表現して、邪魔な壁を越えて行きたい。
金がないと、秋の紅葉が観れないのも、変です。内心、ずっと変だなと思ってました。
紅葉で金を取る人は、紅葉を発明でもしたんでしょうか。してないはずです。元は自然のはずです。
それに拝観料って何ですか。私達は紅葉に用があるんであって、神にも仏にも用はありません。
勝手に信者扱いにされると困ります。そういうのって、出るとこ出たら割とまずい話になるはずです。
紅葉は、金がなくても観れた方がいい。そう思います。なので、保津峡へ行きました。
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2022年10月20日(木)

夢窓疎石の命日に相国寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。
夢窓疎石は、1351年9月30日に、新暦で言うなら10月20日に、死にました。
その生涯を通じ、苔寺を始めとして数多の名庭を作庭し、枯山水の完成者とも言われる禅僧、疎石。
後醍醐帝と足利兄弟の両方から崇敬され、天龍寺創建のため天龍寺船も献案したという、疎石。
さらに、歌人にして五山文学の有力漢詩人でもあり、語録や 『夢中問答』 などの文物も残した、疎石。
マルチというか横該堅抹というか、とにかく幅広く活躍した中世禅僧界の超カリスマであります。
この手の人物は晩年に下手を打ちがちですが、疎石は存命中に得た人望・名声を保ったまま、入滅。
その死に際しては多くの門弟や僧が集まり、崇光天皇は悲嘆のあまり政務を執れなくなったとか。
「夢想国師」 などの国師号は死後も帝達から送られまくり、 「七朝帝師」 なる別名まで生まれました。
元来ひとりの修行を好んだという疎石、死後も続くこのモテ期は、きっと苦笑ものでしょう。
ただその一方で疎石の最も有名なこの歌は、死後の推しを推してるようにも見えます。
盛りをば 見る人多し 散る花の 後を訪ふこそ 情けなりけれ
この歌に倣うかの如く、帝の他にも疎石の後を訪う者は多し。法要を行う寺もあります。
京都では、天龍寺が開山忌をもちろん実施。あと忘れてはならないのが、相国寺でしょう。
相国寺。万年山相国寺。金閣寺&銀閣寺を山外塔頭として擁する、臨済宗相国寺派の大本山です。
足利義満によって花の御所の真隣で創建され、現在も京都御所の真北にて広大な境内を誇示。
五山文学の中心地でもあり、雪舟・等伯・応挙・若冲などの文化財も持つ、禅刹中の禅刹であります。
この相国寺がどうして夢窓疎石の命日に法要を行うのかと言えば、疎石が正式な開山だから。
相国寺の創建は1382年で、礎石の没年は先述通り1351年なので、数字は全然合ってないんですが、
実質の開山・春屋妙葩が疎石の門弟であり、師匠ラブのあまり疎石を追請開山にしたわけです。
正しく、後を訪う者ならぬ後を訪う寺。ゆえに10月20日には、最重要行事として法要が行われてます。
そんな10月20日の相国寺を、特別拝観も併せて拝むべく、訪うてみました。
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