五山送り火の鳥居形を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

2019年8月16日(金)


五山送り火の鳥居形を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

五山送り火5ヵ年計画、本当に5年で完結することになってしまいました。
お盆に際し現世へ召喚された精霊 aka おしょらいさんを、冥界へ送還する万灯籠の習俗が、
大規模化した末に闇夜のページェントを現出させるに至った、京都の夏の風物詩たる五山送り火
そんな送り火の五山コンプを何度も何度も阿呆丸出しで挑むも、全てに失敗して深く深く反省した後、
「5年かけて、1年に一山ずつ観る」 べく2015年に発動したのが、当サイトの五山送り火5ヵ年計画。
初年度は代名詞たる大文字を、2016年は超豪雨の中で妙法を、2017年は六斎と共に船形万燈籠を、
そして2018年は左大文字を真近で拝み、そして今回、ラストの鳥居形に臨むこととなったのです。
そう、なったのです。なってしまったのです。なると思ってなかったのに、なってしまったのです。
発動した頃は正直、完結するなんて思ってませんでした。絶対に、途中で放棄すると思ってました。
何故なら、所詮は火を観るだけだから。 「人多い」 や 「暑過ぎ」 くらいのことしか言いようがないから。
「火を担う人の想い」 とか 「火に託す人の想い」 とか言って、他人の人生に乗っかるのではなく、
徹底して単にうろつく見物人の分を弁え、その立場を遵守する場合、面白味が発生しようがないから。
歴史をあれこれ言って逃げを打とうにも、そもそも送り火の歴史はよくわかってないから出来ないし。
だから、トンズラすると思ってました。が、完結するのです。完結へ私を導いたのは、惰性です。
「例年通り」 という京都の慣用句が示す、惰性の魔力。あるいは、拘束力。もっと言うなら、呪力。
都市に於ける日常が本質的に永遠でも普遍でもないことを知悉するがゆえに希求される、そんな力。
その希求は無論、ある種の祈りでもあります。後ろめたい真実を背後に含んだ、祈りでもあります。
送り火を観続ける中で私も、京都そのものとも言い得るそんな惰性に、いつしか囚われてたようです。
いや、真に祈りの場たる送り火ゆえ、見物人にも何らかの魔力が作用したと考えるべきでしょうか。
魔力により 「面倒臭い9割+残り無意識」 と魂がゾンビ化した私は、完結の感慨も特になく、
鳥居形が灯される嵯峨嵐山へと今回も 「例年通り」 出かけたのでした。


鳥居形の最寄駅は、JR阪急嵐電の嵐山駅です。愛宕山鉄道があれば、鳥居本駅だったかも。
私は、阪急で18時半に入嵐。点火まで暇なので、祭日の昼程度な混雑の嵐山をしばしうろつきます。
渡月橋の辺へ早速行くと、橋上は激混み。しかし、客の大半が送り火とは逆の方向&川面を熟視中。
ここ、そっちで灯籠流しもやるんですよ。尤もこの群衆は、灯籠客に釣られた送り火客でしょうけど。


だからイワシ化した馬鹿共は困る、とか思いながら橋の傍を見ると、灯籠の申込テントは大混雑。
混雑の本筋は露店ながらも、年齢や国籍を問わず客が集まってます。鉄板煙とお経、充満しまくり。
成仏を願う人、本当に多いんですね。カオスな謎空間ぶりが面白くて、思わず送り火を忘れそうです。
が、言い忘れてましたが、この辺でも送り火はしっかり拝観可能。川岸には、点火を待つ人も多し。


そして、待つ人達の視線の彼方には、スタンバる送り火あり。既に、何かが燃えてます。
合図火か何かでしょうか。位置は、低め。望遠だと、食物屋のすぐ先に見え、風情ないです。


なのでもっと望遠をかけると、今度は霊気が爆裂。流石は祈りの場、という感じですね。
断じて、過剰望遠で荒れた画質をHDRで誤魔化し、絵面が謎化してるわけではありません。


と、渡月橋付近でも送り火は充分観れるわけですが、暇なのでもう少し火へ近付いてみます。
渡月橋は、人が群れ集う南側以外も普段通りの混雑であり、普段通りに牛歩ならぬ蝸歩にて脱出。
脱出して北へ歩き始めると、嵐電駅も普段通りに混雑中。ただ、ここを過ぎたら、人がどんどん消滅。
開いてる店もどんどんなくなり、賑わいが消えました。当然ながら皆さん、川へ向かってるようです。


長辻通 aka 出釈迦大路をさらに北上し、JRの踏切を越えた辺からは、人の姿はさらに消滅。
釈迦堂で外人グループを見た後は、地元の人・車、またはタクシーしか見かけないようになりました。
そのまま化野方面へ進むと、今度は灯りさえどんどん激少。花灯路的な賑わい、欠片もありません。
むしろ 「この辺、こんなに民家あったのか」 と、今まで意識しなかったことが印象的だったりします。


松明の香りが濃くなる中、民家の屋根の彼方に合図火を時折見たりしながら、さらに前進。
多少は観光客が居残ってるかと思った愛宕街道も、人は絶無。開いてる店類も絶無で、ほぼ漆黒。
化野念仏寺の千灯供養の時みたいに、平野屋でしんこ食いたいと思ったんですが、無理なようです。
とか思ってたら、焼鮎の香りあり。釣られて先へ進むと、つたやが、そして平野屋が、開いてました。


喜んで平野屋へ入り、表の床机に着席。暑くても、ここでは岸田森スタイルが独男の掟です。
頼んだしんこは、以前通り、きな粉が美味。黒文字を駆使して、アイス抹茶と共に吸引し続けました。
皿舐めも決行しようか迷ってるうち、時間は20時。点火が近いので、そろそろ火方面へと移動します。
平野屋の辺は鳥居本駅跡の近くで、火よりやや西。なので、愛宕山鉄道跡の清滝道へ出て、東へ。


「こんな坂、電車が登ったのか」 と思える勾配の道を東へ下ると、パトランプが見えてきました。
また、 「歩道に上がって下さい」 アナウンスも聞こえてきました。この辺がビューポイントみたいです。
周囲は、見物客の実数こそ大したことないですが、歩道しか観るスペースがないため、割と混雑気味。
電線もかなり邪魔だったりしますが、もう嵐山にも戻れません。送り火、ここで観させて頂きましょう。


その送り火、合図火みたいなのが燃える中、20:15にスティック音の高速乱打が開始。


ミッドナイト念仏で聞いたスティック音の如きその音を合図に、形の生成も一気に開始。


で、仕上がりました。鳥居形です。鳥居の形をしてるから、鳥居形と言います。知ってましたか。
嵐山から観ても位置が低いと感じた鳥居形ですが、点火音が聞こえるここまで寄っても、全然低い。
電線を絡ませず拝むのは、かなり困難。街灯も、消す気は全然ないみたいで、こちらもかなり苦しい。
車を止める気も、全然ないみたい。なので、後に下がりながら他に良い場所、探そうかと思います。


で、後に下がり、時折足を止め、見物停車をガードする警察も見ながら、送り火を拝む。


そんなにガードするなら、最初から通行止めにすればいいのにとか思いながら、拝む。


電線が火に絡まない場所へ出たら、過剰望遠で鳥居形の横梯子な感じの辺も、拝む。


さらに下がり、 「信号、消せ」 「バイク、ヘッドライト消して走れ」 とか思いながら、拝む。


やや望遠で圧縮をかけると、火が異常に近くなるように見え、恐怖も感じながら、拝む。


そして、下がり過ぎて大覚寺門前まで来てしまい、信号より全然低くなった火を、拝む。
低くても、綺麗に観れるもんですね。やはり、嵐山で観た方が正解だったのかも知れません。


とはいえ充分観たので、ぼちぼち帰ります。帰り、嵐山へ寄って灯籠回収の様でも拝もうかな。
とか思いましたが、それなら広沢池の方が近い。広沢池でもこの日、灯籠流しをやってるんですよ。
なので、広沢池がある東へ。火が消えたのか、道は車で埋まり、渋滞で全然動いてない箇所も多し。
大型バスも多し。その横を西へと歩く中国人も多し。火、広沢池の辺でも綺麗に観れたんでしょう。


で、21時頃に広沢池へ到着。風で東へ寄せられまくった灯籠を、西側の桜越しに拝観。


車だらけになってる車道とカメだらけになってる池岸を東進し、東側からも灯籠を拝観。


さらに寄って、灯籠流しというよりは灯籠浮かべ、あるいは灯籠コンテナな灯籠も拝観。
それでも、見物人は多し。渡月橋の混雑と共に、灯籠にも魔力があると思わせる光景です。


灯籠燃やしな灯籠も拝観。諸行無常な光景です。が、煩悩を焼いてるようにも見える光景です。
仮構たる現世への執着を喚起する、 「例年通り」 の呪縛。しかし、その芯にあるのはあくまでも、死。
芯の中の芯たる送り火の炎は、傍まで近付くと、外皮の惰性さえ焼き尽くすものなのかも知れません。
私が囚われた惰性も、焼かれた気がしました。五山送り火5ヵ年計画、これにて完結でございます。

鳥居形、嵐山の客層については、タダで観れるものに集まる人のそれ。
普段通りな修学旅行やりなおし集団に、地元系見物客と西欧系のややマシな観光客、
そして大量の中国人を足して全人数を倍にした感じであり、民度もまたそんな程度でした。
愛宕山鉄道跡・清滝道の辺は、地元民が9割以上で、観光客とカメが少々混ざる感じ。
地元民は当然家族連れが多いですが、烏合系でもあり、ネイティブ全開でもありません。
あと、公道で勝手にツアー商売してる貧乏な業者が割り込んできたりして、不快だったりします。
広沢池は、全体の5割が中国人であり、残りはカメ系の日本人やら何やら。
年齢層は、大半が若者。民度は、タダで観れるものに集まる人のそれ。
3スポット中、どこで観るのが一番おすすめかと訊かれたら、どっこいどっこいです。
その時に居る場所から一番近い場所がいい、という感じでしょうか。

そんな五山送り火の、鳥居形。
好きな人と拝めば、よりおしょらいさんなんでしょう。
でも、ひとりで拝んでも、おしょらいさんです。

【客層】 (客層表記について)
カップル:1
女性グループ:若干
男性グループ:微
混成グループ:1
子供:若干
中高年夫婦:若干
中高年女性グループ:若干
中高年団体 or グループ:7
単身女性:微
単身男性:若干

【ひとりに向いてる度】
★★
どこで観ても、火の位置はかなり低い。
そのため、火に近付いても観やすいということは特にない。
よっぽど漆黒の愛宕街道を歩きたいのでなければ、
案外、嵐山で混雑にまみれて観る方が良いかも知れない。

【条件】
平日金曜 18:00~21:30


 
 
 
 
五山送り火
毎年8月16日 開催

鳥居形
8月16日 20時20分より点火
嵐山周辺をうろついてれば、
きっと見える
 

五山送り火 – 京都五山送り火連合会

五山送り火 – Wikipedia