京田辺市・大住へ大住隼人舞を観に行きました。もちろん、ひとりで。
京田辺市・大住へ大住隼人舞を観に行きました。もちろん、ひとりで。
高校へ進学して驚いたのは、 「郊外の人」 なる人達が実在した、ということです。
大住中学校なる学校から進学して来たその連中は、近年に開発された京田辺市・大住に住み、
「世界にいるのは中流だけで、それ以外の奴は嘘ついてゴネてる」 とでも思ってるような人達でした。
私が住む隣の八幡もまた宅地開発は活発であり、人口の大半は郊外の移住者だったりしますが、
同時に巨大な同和地区が存在し、駅周辺には私が育った流入貧民が多く住むエリアも存在する為、
何というか、 「世界には中流しかいない」 といった考え方を持つのは、難しかったりするのです。
で、流入貧民の子である私には、そんな郊外的な大住中生が何とも不思議な連中に見えたのでした。
で、そんな大住中生が、毎年10月に隼人舞を踊るというのもまた、私には不思議に思えたりします。
隼人舞。大住隼人舞。古代の南九州に居住した隼人の舞を、京田辺市・大住で復興した舞です。
神代より帝との縁を持ち、勇猛さと呪力を買われ霊的警護や歌舞奉納などで王朝に近習した、隼人。
大和王権が中央集権化を進めた奈良時代には 「隼人の反乱」 を起こすも、やがて順化&同化。
反乱以前より都周辺への移配も行われ、定住した隼人は 「畿内隼人」 として朝廷との関係を深め、
海幸彦&山幸彦神話に基づくという 「隼人舞」 などを、服属儀礼として奉納し続けたのでした。
で、大住は、大隅から来た畿内隼人が住んだ地らしいのであります。で、隼人舞なわけであります。
で、その隼人舞を踊らされる、ではなく、踊ることになってるのが、地元の大住中生なわけであります。
ひょっとしたら、千年以上の歴史を持つ畿内隼人の子孫も多少は混じってるかも知れませんが、
大半は郊外の、新たに開発された宅地で育った、私を驚かせた連中の後輩が踊るわけであります。
故に、舞の感じは、そんな感じです。 「そんな感じ」 とはどんな感じかといえば、そんな感じです。
衣装や舞台のビジュアルは極めて映えますが、でも全体的には、そんな感じです。まあ、当然です。
しかし、全然何の縁もゆかりも無い人間が 「隼人」 に扮して、 「踊らされる」 舞を踊るというのは、
同じ民族を異族と看做してオリエンタリズムを楽しんでいたかも知れない 「隼人舞」 の復活としては、
ある意味近いものがあるかも、と本気で思ったのは無論嘘ですが、でも、あるかも知れません。
そんな大住隼人舞、観に行きました。彼等はまた、私を驚かせてくれるでしょうか。