節分の大江山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】 元伊勢神宮内宮・外宮・天岩戸神社

2018年2月3日(土)


節分の日に鬼を求めて出かけた大江山の徘徊、前篇の続きです。

「七つまでは神のうち」 あるいは 「七つ前は神の子」 といった表現が示すように、
子供は、 「境界」 的な存在であるゆえに、その立ち位置が神の領域に近いと考えられてます。
子供と限りませんが、 「童子」 と呼ばれるもまた、しかり。神との共通項は、割と多い存在です。
最大の共通点は、 「おぬ」 ことでしょうか。不可視性によって、その存在が認識されるという。
時を経て人々の意識が変化する中、ビジュアライズ化やノベライズ化やコミカライズ化が進みまくり、
疱瘡患者だの鉱山労働者だの赤ワインが好きな外人だのと、その 「実体」 比定もされてる鬼ですが、
そもそもは 「キ」 違いの 「気」 みたいな存在であり、妖しき気配こそが 「鬼」 と呼称されてたとか。
また神の方は神の方で、顕在化せず常に 「おぬ」 ままかといえば、これも案外、そうでもありません。
というか、鬼が具現化する一方で神は、むしろその 「おぬ」 こと自体を喧宣するようになります。
最初はやんごとなき方々のみ参拝する社だった伊勢神宮が、やがて庶民の信仰に活路を見出し、
近世に至れば旅行代理店の原型・御師によりお蔭参りのムーブメントまで生み出したように。
神への信仰と 「異界」 への恐怖、そして物見遊山の誘惑は、常に近い場所にあるのではないか。
むしろ、 「異界」 への物見遊山欲を駆り立てる場所でこそ、強い信仰は生まれるのではないか。
「鬼の里」 の近くに建つ元伊勢内宮外宮天岩戸神社を巡ってる際に、そんなことを考えてました。
丹後の超古代、いや日本そのものの根源にも到達しかねないロマンを駆り立てる、元伊勢三社。
実際の三社は、そんな妄想を裏切らないシチュエーションを誇ります。が、ある意味、裏切らなさ過ぎ。
何か、見えやすいんですよね。神が見えやすいのではなく、見えないことが見えやすいんですよね。
有体に言うと、雰囲気がバッチリ過ぎるという。余りに、出来過ぎてるように見えてしまうという。
で、そんな神々の裏切らなさ加減が、私には、鬼オブジェと同様の過剰な顕在化に見えたのです。
と同時にその顕在化は、単なる人為でなく、この地の磁力が誘発するものにも見えたのです。
大江山の節分、後篇は、神巡りであります。 「おぬ」 ことを、見つめていきます。

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節分の大江山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】 鬼瓦公園・日本の鬼の交流博物館

2018年2月3日(土)


節分の大江山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「異界」 は、それを希求する度合に応じて、物理的な距離を生じさせるものです。
有体に言うと、近過ぎては、いけない。といって、出かけるのが面倒なほど遠過ぎても、いけない。
「家に霊が出る」 とか 「地元で●●●●●を売ったり打ったりしてる」 とかいうのは、やはり困るし、
といって 「1か月かけて登頂した山で、遂にイエティに会えた」 みたいなのは、余りにしんど過ぎる。
ゲスな興味と、適度なお出かけ感。これらを上手く満たす場所こそが、 「異界」 になり得るのでしょう。
ので逆に、交通の発達などで人々の側の意識が変化すると、 「異界」 の適格地もまた移動します。
節分の日に 「異界」 を持ち込み、豆を以て外界へ再び追いやられるもまた、事情は同じです。
「むかし丹波の大江山」 なる歌で、京都のみならず全国的に知られる酒呑童子の棲処、 「鬼の里」 。
この 「鬼の里」 と比定される場所に関し、 「老ノ坂から大江山へシフトした」 という見方があります。
前者は、京都&丹波の境界・大枝にある坂。後者は、その先、丹波&丹後の境界に聳える山。
京都洛中にて鬼の恐怖が薄らぐのに連れ、 「異界」 性を仮託できる場所には距離が必要となり、
徒歩で日帰りも可能な老ノ坂から、遥かに遠い大江山へ 「鬼の里」 が移った、というわけです。
京都中心の、勝手な見方ではあります。が、勝手さを等閑視すれば、しっくり来る見方でもあります。
京都府南部の八幡に生まれ育ち、家庭の事情で幼少期に老ノ坂を日常的に通過してた私にとっても、
老ノ坂は渋滞を生む単にウザい坂であり、大江山こそが 「鬼の里」 を夢想し得る地、となります。
ので、一度は本物の 「鬼の里」 に、出かけてみたい。出来ることなら節分の日に、出かけてみたい。
そして、 「異界」 への興味をゲスく満たしてみたい。そんなお出かけを、私も実は夢想し続けてました。
で、2018年に至り、遂に時間と予算の確保が実現。で、今回、丸一日かけ出かけてみたわけです。
赴いたのは、鬼瓦公園日本の鬼の交流博物館元伊勢三社という、いわば大江山鉄板コース。
「おぬ」 がゆえに鬼が視界へ現前するような逆相の 「異界」 を期待し、雪中を徘徊したのでした。
で、実際の大江山は、そんな期待を不思議な形で受け止める場所だったのです。

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清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ小豆粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年1月15日(月)


清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ小豆粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

というものは、いわゆる 「本気」 で作ろうとしてみると、案外と調理が難しいものです。
「美味く作る」 という以前に、そもそも粥として成立させられるかどうかさえ、怪しかったりします。
柔らかく煮過ぎたら、単なる糊汁になってしまう。固めに仕上げたら、単なる湯漬けになってしまう。
程良い程度に煮込んでから、 「これぞ粥」 と誰もが思うポイントで火を止める。これが結構、難しい。
実際、私は粥を上手に作れた試しがありません。大抵の場合、湯漬けか糊汁が出来るだけです。
適当料理の極致のように見えながら粥は、実は高度なテクニックを要する料理なのかも知れません。
となれば、粥を食す機会が何かと多い1月に、いわゆる店舗にて粥を食すのも、一興ではないか。
「神社などを回って、接待の粥を寸評する」 などという下品+無礼+無粋な行為におよぶのではなく、
京都の和食のプロフェッショナルがその技により作った粥を、しかるべき対価を払う形で、食す。
こうして 「本当の粥」 を堪能すれば、この時期に粥を食う本義もまた、体で会得出来るに違いない。
そう考えた私は、今回、1月15日の行事食・小豆粥を、店舗にて食べてみることにしました。
出向いた店は、清水順正おかべ家です。言うまでなく、清水坂にあって、湯豆腐で知られる店です。
臨済宗南禅寺派の大本山にして五山の上に屹立する日本最高峰の禅寺・南禅寺の門前にて、
禅の思想を食で具現化した精進料理のひとつ・豆腐を、湯豆腐という形で古えより供してきた、順正
その順正が、清水寺参道たる清水坂、それも産寧坂の前に出してる支店が、清水順正おかべ家。
なので、湯豆腐が当然売りなんですが、季節メニューもやってて、1月15日には限定で小豆粥を提供。
それも、自前の豆腐製造所まで持つおかべ家ならではの、豆乳おぼろ小豆粥として出してます。
ので今回それを食べに行き、 「本当の粥」 を堪能することで、行事食の重みを感じてみたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。行事食の未来・可能性を見据える為に必要な、挑戦なのです。
決して、またも冬の食い物記事を増やして、アクセス数の底上げを狙ってるのでは、ありません。
断じて、先週の七草粥と同じ作りで、安易に記事を増やそうとしてるのでも、ありません。

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清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年1月7日(日)


清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

というものは、いわゆる 「本気」 で作ろうとしてみると、案外と調理が難しいものです。
「美味く作る」 という以前に、そもそも粥として成立させられるかどうかさえ、怪しかったりします。
柔らかく煮過ぎたら、単なる糊汁になってしまう。固めに仕上げたら、単なる湯漬けになってしまう。
程良い程度に煮込んでから、 「これぞ粥」 と誰もが思うポイントで火を止める。これが結構、難しい。
実際、私は粥を上手に作れた試しがありません。大抵の場合、湯漬けか糊汁が出来るだけです。
適当料理の極致のように見えながら粥は、実は高度なテクニックを要する料理なのかも知れません。
となれば、粥を食す機会が何かと多い1月に、いわゆる店舗にて粥を食すのも、一興ではないか。
「神社などを回って、接待の粥を寸評する」 などという下品+無礼+無粋な行為におよぶのではなく、
京都の和食のプロフェッショナルがその技により作った粥を、しかるべき対価を払う形で、食す。
こうして 「本当の粥」 を堪能すれば、この時期に粥を食う本義もまた、体で会得出来るに違いない。
そう考えた私は、今回、1月7日の行事食・七草粥を、店舗にて食べてみることにしました。
出向いた店は、清水順正おかべ家です。言うまでなく、清水坂にあって、湯豆腐で知られる店です。
臨済宗南禅寺派の大本山にして五山の上に屹立する日本最高峰の禅寺・南禅寺の門前にて、
禅の思想を食で具現化した精進料理のひとつ・豆腐を、湯豆腐という形で古えより供してきた、順正
その順正が、清水寺参道たる清水坂、それも産寧坂の前に出してる支店が、清水順正おかべ家。
なので、湯豆腐が当然売りなんですが、季節メニューもやってて、1月7日には限定で七草粥を提供。
それも、自前の豆腐製造所まで持つおかべ家ならではの、豆乳おぼろ七草粥として出してます。
ので今回それを食べに行き、 「本当の粥」 を堪能することで、行事食の重みを感じてみたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。行事食の未来・可能性を見据える為に必要な、挑戦なのです。
決して、粥ネタやるにしても多少は美味いもん食いたい、と思って出かけたのでは、ありません。
断じて、冬の食い物ネタを増やし、アクセス数の底上げを狙ってるのでも、ありません。

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2018年への年越しを、東山浄苑にて昼間に済ませました。もちろん、ひとりで。

2018年1月1日(月)


2018年への年越しを、東山浄苑にて昼間に済ませました。もちろん、ひとりで。

年越しとはある意味、一年の内で最も巨大な 「境界」 の時期、と言えるでしょう。
いや、 「越し」 の語が明確に示す通りに、 「ある意味」 もひったくれもなく丸出しとさえ言えます。
古き年の死と、新しき年の再生。正に、 「境界」 の魔力が最高潮に達するであろう瞬間なわけです。
「境界」 を裏テーマに据える当サイトとしては、この巨大な 「境界」 、見逃すわけにはいきません。
が、これまで延々展開してきた年越し企画では、年越しの 「境界」 性、迫ることは出来ませんでした。
理由は、余りにも巨大だから。年越しはいわば、都市 or 国 or 世界の全てが動く 「境界」 だから。
クリスマスなどとは、わけが違います。社会のあらゆるエレメントが影響を受けるイベントなわけです。
とはいえ、退却戦ばかりやってるわけにもいきません。正面からの特攻こそ、当サイトの流儀。
死と再生へ正面からシビアに対峙する形の年越し、というのも、やはり一度はやっておくべきでしょう。
というわけで2018年への年越しは、京都に於ける死と再生の極点たる 「境界」 にて敢行しました。
出向いたのは、東山浄苑。霊苑です。巨大な建物に永代納骨御仏壇が大量に安置された霊苑です。
古墳や御陵があり、今も京都市中央斎場京都中央安置センターが絶賛稼働中の六条山にて、
ほにゃらふにゃらな事情により、あの東本願寺とは違う東本願寺が運営してる、超弩級の霊苑です。
ゆえに、身内が入ってない者には無縁なんですが、2017年大晦日は昼に除夜の鐘を一般実施
これぞ親鸞聖人蓮如上人によって導かれた仏縁と会得し、出かけたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。ほにゃらをふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃほにゃふにゃほにゃをふにゃほにゃほにゃふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ふにゃふにゃほにゃふにゃらをほにゃらほにゃふにゃほにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃらふにゃほにゃほにゃらをほにゃほにゃふにゃふにゃするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃほにゃふにゃほにゃらをふにゃふにゃほにゃらふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ふにゃらふにゃほにゃほにゃをほにゃほにゃほにゃふにゃするのに必要な、挑戦なのです。
断じて、当日になって夜に雨が降りそうとわかり、昼に済ませたわけでは、ありません。

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京町家 『鈴 紫野』 を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2017年12月24日(日)


京町家 『鈴 紫野』 を借り切って過ごす聖夜、後篇です。

GHQ指導に因る財産税法制定まで、京都の町家は大半が借家だったといいます。
借家の大家を務めたのは、大きな商家など。住人の多くは、店子として町家に住んでたわけです。
祇園祭の運営に関する話とかで、よく耳にすることですね。 「店子は祭に参加出来ない」 的な。
そんなある種の階層社会の維持に励むと共に大家は、資産である町家の美観維持にも励んだとか。
資産というか、収入源ですし。こうした辺りからも、昔の町家の美しさは保たれてたそうであります。
が、財産税法制定の後、町家は、課税対象化。やがて大家の多くは、町家の借家維持が、困難化。
結果として、大家が店子に対して住んでる町家の購入を持ち掛けるケースが頻出したそうです。
恐らくは戦後に 「持ち家」 化し、家主により出鱈目な改装が施されたのであろう、昭和の町家の姿。
今なお街のあちこちで 「リアルな京都」 を感じさせてくれる、あの無秩序な看板建築町家の姿は、
実は、社会の激変に因るオーナー変更から生じた一過性の姿、と言い得るものなのかも知れません。
そう考えると、町家はそもそもが、流動性あるいは 「境界」 性を持つ建物とも思えてきます。
「継ぐべきもの」 として屹立し、愛着と共に疲労や悲しみを生むこともままある 「マイホーム」 ではなく、
大家は次の過客を呼び込むべく美観を整え、店子もまた各々の季節に伴って通り過ぎるという、
流動的でゆるやかで、ある種 「境界」 的である居住空間としての町家が、イメージ出来るというか。
いかにもな外観と単に暮らし易い中身を持つリノベ町家宿が、それらの直系とは言いませんが、
少なくとも、昭和後期に大量発生した生活感出し過ぎ改装の町家と同程度には高い一過性を持ち、
また、時代を生きる人々の 「何か」 も同程度に反映されたもの、とは言えるのではないでしょうか。
というわけで、そんな過剰なリノベによって何とも過ごし易い町家宿 『鈴 紫野』 での聖夜、後篇です。
後篇は、完備されたキッチンを駆使して京野菜を調理する晩餐、欠かせないクリスマスケーキ、
夜の精神戦を経て翌朝に不思議な音を耳にするまで、雪だるま君と一緒に一気に突っ走ります。
『鈴』 に相応しいジングルベルの音色は、果たして、鳴り響いてくれるのでしょうか。

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京町家 『鈴 紫野』 を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2017年12月24日(日)


京町家 『鈴 紫野』 を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

メリー・クリスマス!! 恒例のクリスマスひとりお泊まり企画、2017年度版でございます。
独への精神的外圧が最高潮となる夜、世間の馬鹿騒ぎへ背を向け独男として投宿することで、
異教宗主生誕を姦淫&浪費で祝う日本のクリスマスを批判し続けてきた、当サイトの聖夜企画。
しかし激戦を重ねる内、クリスマスが内包する太陽祭というルーツから 「境界」 なるテーマが浮上し、
そのテーマを追求すべく、平安京のスピリチュアル・ゲート 「四堺」 を押さえる形へと企画が変容。
で、郊外&僻地の宿ばかり転戦してたら、今度はインバウンド激増で街中の宿泊状況が激変した為、
「四堺」 コンプ後はこの新たな 「境界」 とも対峙すべく、都心へと戦線を回帰させ、市街戦を開始。
前回となる2016年は、正に京都の真ん中である柳馬場三条下ルの簡易宿所・三条右近橘へ泊まり
京都と全然関係ない小津の映画を観たりもしながら、新たな 「境界」 との激戦を繰り広げたのでした。
というわけで、今回2017年度のネタは、その新たな 「境界」 を見据えるシリーズ、第2弾であります。
出向いたのは、京町家 『鈴 紫野』株式会社レアルが運営する、一棟貸しの町家宿です。
そう、町家です。町家宿は2012年聖夜も泊まってるので、いわば町家ネタとしても第2弾であります。
2010年代後半に入っても京都のインバウンド増加は全く止まらず、宿泊施設は圧倒的に不足し始め、
一時的なヤミ民泊の隆盛&衰退に続き、合法の簡易宿所や町家宿が大増殖するようになりました。
特に 「町家に泊まった」 というコト消費&リノベしまくりの利便性を併せ持つ町家宿の勢いは凄く、
町家の保存&簡便な室数確保が両立出来ることもあって、とにかく雨後の筍の如く増えまくってます。
中でも増えてるのが、 『鈴』 『Gest House Rinn』 などのブランドで展開されてる、レアルの町家宿
物件買い取りの為かKBS京都に企業CMも打ってたので、地元の知名度もあるんじゃないでしょうか。
で、その 『鈴』 群の中で、2017年12月24日に一番安く予約出来たのが、今回泊まった 『鈴 紫野』 。
名が示す通り、 西陣の端とも言える紫野の、極めて庶民的な街の中に立地する宿であります。
そんな 『鈴』 、2012年以来の雪だるま君と共に、ジングルベルな気分で借りてみました。

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節分の吉田神社で、大元宮を見て年越し蕎麦を食べてきました。もちろん、ひとりで。

2017年2月3日(金)


節分の吉田神社で、大元宮を見て年越し蕎麦を食べてきました。もちろん、ひとりで。

2月3日の節分は、日本の現行法に於いて、いわゆる祝日と定められていません。
「現行法でなければ休みだったのか」 とか訊かれると困りますが、とにかく祝日ではありません。
節分が正月を凌ぐほどの盛り上がりを見せる京都であっても、この事情はもちろん同じです。
旧暦の年越しを喜ぶように盛り上がりつつも、現行の祝日法には従い、休みにはならないわけです。
なので、節分の京都を一日徘徊するというのは、土日でもない限り、割と、いやかなり、難しいと。
当サイトではこれまで、この難しさを無理矢理に超克する形で、節分の京都徘徊を続けてきました。
毎年毎年、一日中寺社を回りまくり、2016年は綾部の大本へ泊まりで出かけたりさえしました。
頑張ってたのであります。通すべき義理も通さず、切るべき仁義も切らず、頑張ってたのであります。
冷静に考えると、何を頑張ってきたのかよくわかりませんが、とにかく頑張ってきたのであります。
しかし今回は、遂に時間の都合が付かなくなったのです。暇丸出しの徘徊が、出来なくなったのです。
昼に2時間ほどの空きは何とか確保しましたが、それ以上はどうにも時間が取れなくなったのです。
どうしよう。2時間で、何処をどう巡ろうかな。というか、2時間で徘徊なんか、出来るかな。
「徘徊より何処か1ヵ所に絞った方がいいかも」 と考えていて、頭に浮かんだのが、吉田神社です。
吉田神社。都の鬼門・吉田山に立ち、ゆえに節分が 「京都の節分」 の代名詞たる盛況を誇る社です。
無論、当サイトでも既訪であり、露店の混雑や火炉祭の凄さは、お伝えしている通りであります。
サウスの八幡人ゆえ感じるであろう独特の異様さにも言及する形で、お伝えしている通りであります。
が、夜の吉田の凄まじさは見てても、昼間の吉田の節分は、私、見たことがありませんでした。
あと、参道の年越し蕎麦の露店も、新暦で動く偽京都人として、気になりながらもスルーしてました。
これは、いかんと。 「京都の節分」 の代名詞、全時間帯で見とくべきだと。蕎麦も、食うべきだと。
そう考えて2017年の節分めぐりは、真昼間の吉田神社を短時間で巡回し、済ますことにしたのです。
また、年越し蕎麦もしっかり食い、京都の 「本当の年越し」 を真に面白がることにしたのです。
更には、夜の訪問時には混雑で日和った吉田のコア・大元宮への参拝も、今回は忘れてません。
所要時間、1時間。しかし、 「京都の節分」 最深層は、垣間見えたかも知れません。

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スプリングスひよしへ行って丹波ぼたん鍋を堪能してきました。もちろん、ひとりで。

2017年1月15日(日)


スプリングスひよしへ行って丹波ぼたん鍋を堪能してきました。もちろん、ひとりで。

私は、京都府南丹市園部町の船岡というところに、本籍地を置きっ放しにしてます。
「船岡」 という地名は、字がそのまんま示す通り、船と縁が深い土地ゆえ付けられたものです。
南丹は山に囲まれた丹波のど真ん中にあるので、この 「船」 が指すのは無論、川の上を走る船。
丹波の木材を京都へ運び続けた大堰川 aka 保津川 aka 桂川の、小さな浜のひとつが、船岡でした。
命名は、明治初頭と割に遅め。船運の活況が、その頃まで続いてたことを想起させられる話です。
私の何代か前の先祖も恐らくは、何らかの形で船や木に係わり、日々の糧を得てたんでしょう。
そんな船岡、現在はもちろん、川船は走ってません。これから走ることも、きっとありません。
鉄道の登場以降、物流が陸上へ移ったからです。そして、すぐ上流の日吉にダムも出来たからです。
明治後期に開通した山陰線は、角倉了以の開削以来続いた高瀬船の船運に、止めを刺しました。
また、1951年完成の世木ダム1997年完成の日吉ダムは、筏の通行も物理的に不可能にしました。
私のルーツの地は、いわばその名の根拠を失ったわけです。恐らく、永遠に失ったわけです。
このことが、本気で悲しいわけでは、もちろんありません。正直言って、どうでもいい話ではあります。
家が潰れてる為、船岡へまともに行ったこともないし。関係ないといえば、関係ありません。
が、心の底では、少し気になってました。いや、むしろ単なる興味という形で、少し気になってました。
特に、船運の死を具象として示す日吉のダムは、機会があれば拝んでみたいと思ってました。
そんなところへ降ってわいたのが、当サイトの冬期限定企画 「ひとりで食べる京都のぼたん鍋」 です。
「ぼたん鍋を食い、温泉にも必ず入り、冬を満喫する」 という無茶なルールで開始されたこの企画、
その無茶さゆえに行ける場所が極端に限られてるんですが、日吉ダムはこの縛りが、ばっちり合致。
ダムの付帯施設・スプリングスひよしでは、掘削された日帰り温泉・ひよし温泉が、営業中。
施設にはレストランもあり、そこでは上手い具合にぼたん鍋まで提供中。これは、いい機会です。
自身のルーツ探求と開発の問題、そして京都に於ける河川交通の歴史と、ベタな冬グルメ&温泉。
これらを上手く融合させ、俗にして学究的であり、それでいて魂の芯にも触れる記事を作ってみよう。
また、雪が降ってる日を選んで出掛けることで、ビジュアルを強化し、冬満喫感も演出してみよう。
そんな下心を抱き、私は日吉へ出掛けたのでした。大雪が降る日を選び、出掛けたのでした。
しかしこの日の日吉は、そんな下心など踏み潰す、怒涛の雪国状態だったのです。

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2017年への年越しを、永観堂で写経だけをして迎えました。もちろん、ひとりで。

2017年1月1日(日)


2017年への年越しを、永観堂で写経だけをして迎えました。もちろん、ひとりで。

当サイトではこれまで毎年の年越しに際し、様々な寺で除夜の鐘を撞いてきました。
徘徊の挙句に撞けなかった年もありますが、とにかく他所者としてネイティブな場へ紛れ込み、
本来は近所の人が顔を合わせて撞く鐘を、気後れと気まずさを感じながら、撞いてきたわけです。
この気後れと気まずさ、地元・八幡でさえ 「移民の子」 という自覚ゆえ逃れられなかった私は、
やがて払拭を求めるようになり、2016年には本籍地の隣・南丹市船枝に立つ京都帝釈天へ遠征
ルーツとも言える地にて、参道に並ぶ108個の鐘を遠慮なく&思う存分撞きまくったんですが、
この撞きまくりにより、私の中にあった鐘への欲求は何か、昇華されてしまいました。
鐘は、もういい。撞く必要性を、感じない。そもそも、年越しだから鐘を撞くなんて、もう古いですよ。
むしろ、鐘に捉われないことにより、今まで見ることが出来なかった年越しの相貌を見てみたい。
欲求の昇華により、魂が次のステージに入ったのか、私はそう考えるようになったのでした。
とはいえ、単に除夜の鐘をやってない寺を訪れ、何らかの祈願をするだけでは、流石に味気ない。
鐘は撞かず、でも多少は年越し感のある行事をやってる寺へ、行きたい。でも、そんな寺、あるかな。
という疑問を速攻で抱きましたが、その答えはやはり速攻で見つかりました。永観堂です。
永観堂。正式名称 「秋はもみじの永観堂」 。というのはもちろん嘘で、聖衆来迎山無量寿院禅林寺。
浄土宗西山禅林寺派総本山なわけですが、一般的には無論、紅葉の名所として有名であります。
ゆえに、紅葉以外には幼稚園の園児募集ポスターぐらいしかイメージがない寺なんですが、
年越しでは 「聖衆来迎」 の名に相応しく、無量ならぬ無料で鐘楼を開放して、除夜の鐘を実施。
のみならず、名物 「みかえり阿弥陀」 を祀る阿弥陀堂では、写経も行われるのです。これですよ。
というわけで今回の年越しは、写経の為だけに、永観堂を訪寺。鐘は、撞きません。
「にらみ鯛」 ならぬ 「にらみ鐘」 とでも呼ぶべき新たな年越しスタイルを提案したいと思います。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、鐘を待って並んだり突っ立ったりするのが、単純にしんどくなったのでは、ありません。
断じて、年越しネタ自体がいい加減ネタ切れ+飽きが来てるわけでも、ありません。

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三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2016年12月24日(土)


三条右近橘にて過ごす聖夜、前篇の続きです。
 
「京都で暮らす」 ということ。それは、つまり、 「自分らしく暮らす」 ということ。
「自分らしく暮らす」 ということは、 「自分である」 ということであり、 「自分がある」 ということ。
歴史や伝統の尻尾を追いかけて、一代や二代ではなれるわけがない 「京都人」 になり切る努力は、
意味がないし、何より 「自分以外の誰かになれる」 と思い込める若さが、この街には似合わない。
必要なのは、 「自分」 を立ち上げること。そして、その上で、 「京都」 へ無駄にこだわらないこと。
「京都」 への無駄なこだわりは、この街のカルチャーを本当の意味で背負うには、邪魔になる。
都市の原動力は、いつだって、様々な文化の吸収。その駆動原理は、千年の都・京都だって、同じ。
人も文化も、外部からこの街へ入ってくるエレメントは、健全な血流の為には常に必要なもの。
「受け入れる」 という姿勢では、足りない。自ら積極的に取り入れるタフさを、持たなくてはならない。
外来のエレメントと蓄積された歴史を組み合わせて、立体的な創造を行う知力も、重要になる。
「京都」 への無駄なこだわりは、このタフさと知力の飛躍を阻む、壁。壊さなければならない、壁。
都市の駆動原理ゆえ、どんな子供でも簡単に皮肉ることができるほど混沌とした京都の真ん中で、
自分自身を保つ力を授け、新たな未来を創り出す力になってくれるのは、壁ではなく、 「自分らしさ」 。
誰もが 「自分らしい」 暮らしをしなやかに持ち、それぞれの 「らしさ」 がゆるやかに響き合う。
その共振だけが、柔軟な知性と未来への眼差しを生み、この街を更新していく――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――
―――と、京都ブランドに乗って勝手&凡庸&無秩序な欲望を 「自分らしく」 発露しまくり、
その発露をポエミーな寝言で美化&正当化したくもなる魔力に満ちた新たな魔界たる洛中にて、
魔界ゆえ増殖している境界的簡易宿所のひとつ・三条右近橘に投宿し過ごしてる、2016年の聖夜。
私もまたその魔力に侵食され、 「自分らしさ」 全開で普段通りに文博行って小津の映画観たりと、
京都にもクリスマスにも全く関係ない挙動に好き勝手に励んでるわけですが、後篇はいよいよ、飯。
「隠れ家の食事処」 での夕食や、チキン&ケーキ爆食など、食の流れを一気に観てもらいます。
これこそが、新たに生まれた魔界で嗜む私にとっての 「自分らしい」 「京都の暮らし」 です。

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三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2016年12月24日(土)


三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

太陽神の生誕祭をルーツに持つクリスマスが、その内に孕んだ境界性を追求すべく、
当サイトでは、京都郊外にある境界 「四堺」 へと赴き、聖夜お泊まりを敢行し続けて来ました。
しかし、そんな崇高にしてアカデミックな荒行を、温泉浸ったり猪肉食ったりしながら続けてる内に、
辺境の真逆たる京都市中心部では、宿泊施設を巡り、事態が極めて激しく変化していたのです。
2011年には50万人強だった京都市の年間外国人宿泊者数は、2015年には300万人まで増加
宿泊施設が絶望的なまでに不足し始め、その不足によって生じる隙を狙った所謂ヤミ民泊も急増
行政は、ヤミ民泊を取り締まる一方で、グレーな施設に対しては旅館業法の許可取得を奨励
結果として、マンションや町家丸出しながら一応合法の簡易宿所が、激増することとなったのでした。
そう、極めて境界的なる性格を持つタイプの宿所が、都心にこそ溢れるようになってるわけです。
「本当の京都」 と有り難がられている洛中のど真ん中こそが、他所者が蠢く境界と化してるわけです。
「金余りの割にコンテンツ供給が足りてないバブル期に於けるセックス祭」 としての面が後退化し、
属性問わず人を消費へ誘う契機としてだけひたすら活用されてるようになったクリスマスを、
「教会祭」 ならぬ 「境界祭」 として認識し直し、その魔力との対峙を続けてきた当サイトとしては、
街中に新たな境界が出現し、氾濫&増殖しているこのカオスな状況、見過ごすわけにはいきません。
というわけで2016年の聖夜お泊まり企画は、これまでの辺境巡礼から一転して都心へと回帰し、
着物姿の某国人がマンションから団体で出て来る様をしょっちゅう見る洛中にて、敢行してみました。
泊まったのは、三条右近橘。怪しい宿では、ありません。日昇別荘が運営する、簡易宿所です。
では、宿代が安いだけの普通な宿かといえば、エントランスはトップ画像のような超ハードコアぶり。
マンション以外の何物でもありません。正に、民泊。相手にとって不足なし、と言うべきでしょう。
この宿にて聖夜を過ごすことで、新たな境界と向き合い、その素性を見極めんとしたのであります。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な、挑戦なのです。
決して、翌日に用事がある為、移動時間が読み難い郊外特攻を日和ったのでは、ありません。
断じて、そもそも郊外特攻そのものがいい加減面倒になってきたのでも、ありません。

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福知山市三和町の三和荘でぼたん小鍋セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。

2016年2月4日(木)


福知山市三和町の三和荘へ行ってぼたん小鍋セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。

京都で一番安い値段でぼたん鍋を食えるところは、一体、何処になるんだろう。
大原の里、そしてくらま温泉と、猪肉を食い求め出費が嵩んだ私は、そんなことを考えました。
単に安く猪肉を食うというだけなら、改進亭で猪肉買ってきて自分で鍋をやってもいいわけですが、
これでも肉自体は結構な値段がするし、出汁や野菜も用意するとなれば、そこそこかかります。
それに自分の家で食うのでは、当然ながら温泉が付いてきません。露店風呂さえ、付いてきません。
温泉入湯を必須とする企画 「ひとりで食べる京都のぼたん鍋」 のルールに、そぐわないのです。
「だから、何で温泉が必須なんだ」 という話ではありますが、しかし、冬に暖を取るべく食うのが、猪。
猪が走り回ってた山の冷気を感じつつ、食前食後に湯の風情を楽しむのも、自然の流れでしょう。
というわけで、猪肉食って風呂入って2000円前後の店って京都にあるかな、と探してみたんですよ。
脳内の正気が 「絶対あるわけない」 と叫ぶのを必死で黙らせながら調べると、これが、ありました。
その店の名は、三和荘京都府は福知山市三和町にある、NPO運営の宿泊&日帰り入浴施設です。
福知山市三和町と聞いて、あなたは何か連想出来るでしょうか。私は、出来ません。すんません。
何も連想することが出来ないどころか、それ以前にどの辺にあるのかも、わかりません。すんません。
元々単独の自治体だった三和町は、山陰道の宿場町・菟原を中心とする町、だと思います、多分。
そんな三和町の三和荘は、調べる限り 「ハコもの」 以外の言葉が思いつかない風味の施設ですが、
しかしここ、単品だと1080円でぼたん小鍋を出すレストラン 「とどろき」 が併設されてるんですよ。
更に、温泉でこそないものの、大自然を眺めながら湯を楽しめる浴場 「香明の湯」 もあるんですよ。
これは、行くべきでしょう。たとえ、食費+湯費の合計額より交通費が高くなっても、行くべきでしょう。
というわけで、当サイト的には未踏の地である福知山市まで、遠路はるばる出かけてみました。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。府北部も視野へ入れる為の、新たな挑戦なのです。
決して、綾部・大本の節分へ泊まりで行ったから、翌日におまけで寄ったのでは、ありません。
断じて、綾部駅から200円で行ける市バスがあったから行ったのでも、ありません。

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綾部の大本本部・梅松苑へ節分大祭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2016年2月3日(水)


綾部の大本本部の節分大祭、前篇の続きです。

大本開祖・出口なおの写真を見ると、随分前に死んだ祖母のことを思い出します。
恐らく、誰にとっても 「厳格なる祖母」 のアーキタイプたり得るであろう風貌を持つなおですが、
人生の大半を 「丹波の貧しい寡婦」 として生きた祖母を持つ私には、その印象がより強いのです。
『大地の母』 などで描かれる、帰神前後のなおの生き様。そんななおに対する、周囲の反応。
そして、他の地方の人よりは生々しいアクセントで読解が出来ているであろう、丹波の言葉の数々。
読んでいると、まるで親戚の昔話を聞いてるようなリアリティと、不思議な温もりを感じるのです。
それゆえに私は、大本二大聖地の内、綾部・梅松苑を 「なお = 土着的な信仰の場」 と勝手に捉え、
「王仁三郎 = 開明的 = 普遍的」 である亀岡・天恩郷と対を成す場だ、と思い込んでたのでした。
で、教義はわからなくとも、丹波的な何かで感覚的にわかる部分があるのでは、と思ってたのでした。
しかし、綾部へ実際に行ってみたら、違うんですよね。やっぱり何か、わからないんですよね。
綾部は、確かに近代以前は農業メインの集散地でしたが、明治以後は産業化&商業化が進行。
後にグンゼへと結実する蚕糸業の成功こそが逆に、糸引きを生活の糧とするなお達を直撃します。
発狂者が続出する極貧の中、なおは帰神へ至りました。 「いり豆に花が咲く」 という言葉と共に。
なおの貧苦は、農民の貧苦ではなかったわけですね。もっと近代的な貧苦だったわけですね。
「煎られた豆に花が咲く」 という、農民の願いというよりは都市細民の小さな祈りを感じさせる、何か。
と同時に、単なる時代状況に於ける怒りを越えて、より根源的な価値の転倒を希求する、何か。
その何かは、王仁三郎による教団拡大の際にもOS or セントラルドグマとして脈動し続けると共に、
苦しい現代 or もっと苦しい未来にさえ直結する普遍性をも、獲得してるのではないでしょうか。
そして、この夜の綾部で私が感じた不思議な雰囲気、何なら疲れるほどに不思議な雰囲気もまた、
超越的な普遍性とローカリティーが融合 or 衝突することで、生まれているのではないでしょうか。
いや無論、こんな思いつきの片言もやはり、わからなさを無理矢理言語化しただけに過ぎませんが。
というわけで、何もわからんまま紛れ込み続けてる大本・梅松苑の節分大祭、後篇であります。
祭の最後、奇蹟の種子がまかれる様を見て、私は何かを理解できるのでしょうか。

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綾部の大本本部・梅松苑へ節分大祭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2016年2月3日(水)


綾部の大本本部・梅松苑へ節分大祭を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

節分といえば、 「鬼は外、福は内」 と言って豆をまき、鬼を退らうのが普通でしょう。
しかし京都府には、このを 「悪神によって艮の方角へ閉じ込められた金神」 として信仰し、
開祖が 「世の立替え立直し」 を語り始めた節分の日に、最も重要な祭儀を行う教団が存在します。
その教団とは、言うまでもなく、大本。平仮名だと、おほもと。新宗教の老舗とも言える教団です。
日本近代史に於いては、正しく近代史の暗黒面と言い得る激烈な弾圧を二度も受けた教団であり、
その筋な方々の間では 「霊界物語」 「日月神示」 「王仁三郎の予言」 などで人気の教団であります。
かつては九鬼氏の城下町であり、維新後は商業化・産業化が進んだ京都府中丹・綾部に於いて、
貧苦にあえいでいた老婆・出口なおへ 「艮の金神」 が降りたのは、明治25年の旧正月、即ち節分。
「元の国常立尊」 と名乗る金神は、なおの口で神示を語り始め、文盲の手で神示の自動筆記も開始。
書かれたその 「筆先」 が言うには、「三千世界一どに開く梅の花 艮の金神の世になりたぞよ」 と。
この神示に従い、なおは綾部ローカルながら活動を開始。そこへ、後の聖師・出口王仁三郎が合流。
王仁三郎の合流以後、教団は爆発的な拡大を始め、戦中の当局から警戒視されるほどに膨張。
最終的には、 「地上から抹殺する」 という宣言と共に、徹底的な弾圧を二度受けることになりました。
戦後の大本は、より芸術に重きを置く形で再建が行われ、ネイチャー系な教団として現在も存続。
七草粥で振る舞われるネイチャーな粥などは、近隣住民から普通に親しまれてたりするわけですが、
しかし、今も変わらず開教の日、即ち節分に最重要祭儀として行われているのが、節分大祭です。
この大祭は、開教の日に開教の地・綾部に於いて、天地万有全てのものを夜を徹して祓うというもの。
綾部大橋の上から大量の人型を流し浄めるビジュアルは、見たことがあるという人も多いでしょう。
で、今回、この節分大祭へ行ってきました。綾部に宿を取って、泊まり込み+徹夜で行ってきました。
七草粥記事にも書きましたが、丹波にルーツがある私は、何か大本に隣人のような印象があり、
それゆえ微妙な距離感があったり、あまり首を突っ込みたくないという思いもあったりするんですが、
京都に於ける節分を巡るのなら、やはりこの祭儀は外せないと考えて、行ってきたわけです。
で、実際に行ってみた節分大祭は、そして綾部は、実に不思議な世界だったのでした。

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くらま温泉へ行ってミニぼたん鍋と入浴セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。

2016年1月20日(水)


くらま温泉へ行ってミニぼたん鍋と入浴セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。

の生息北限が秋田の辺りだということを、私はつい最近まで知りませんでした。
「北海道の雪深い中をバンバカ走り回ってる」 みたいなイメージを勝手に抱いてたんですが、
考えてみれば猪の脚というのはかなり短いのであり、あんな脚で雪山を駆け回ることは出来ません。
それゆえなのかどうなのか、猪の生息エリアは、比較的温暖なる西日本がメインになるんだとか。
京都的には 「北の方からやって来る、冬の味覚」 としてインプリンティングされてる猪ですが、
実際には特に 「北から来る生物」 というわけではなく、また 「寒冷地の生物」 でもないわけです。
では、その猪が何故冬によく食われるかといえば、それはやはり、単に冬に食うと旨いからでしょう。
臭みを消す為に編み出された味噌鍋という食い方が、冬の食と相性が良いのはもちろんですし、
単純に肉質自体も冬が一番良好であり、おまけに発熱効果まで持ってるのだから、たまりません。
要は、極めて人間本位な理由により 「冬の味覚」 ということになってるわけですね、猪は。
京都に於ける猪食の場合、この味的理由と共に、手軽に野趣が楽しめるという利点も加わります。
街を出てちょっと走ると、そこはもう、それこそ猪が走り回ってても何の不思議がない森林。
雪が降る日なんかは、白く染まった樹々を眺めて 「鄙」 の風情を楽しみながらぼたん鍋をつつき、
更には雪が降る中で露天風呂なんかも堪能したりすると、これはもう、極楽が極まるわけです。
そんなとことん人間本位な京都に於ける猪食の実態を、当サイトはより体感的に検証しようと考えて、
「温泉も必ず入る」 という絶対条件付きで企画 「ひとりで食べる京都のぼたん鍋」 を開始しました。
で、聖夜@大原温泉・大原の里に続く第2弾として今回食ったのが、くらま温泉のミニぼたん鍋。
くらま温泉。その名が示す通り、市街地から数10分で行ける鞍馬に湧き出る天然温泉であります。
温泉資源が貧弱な京都にあって、至近&手軽に湯&風情が楽しめることで人気の温浴施設ですが、
食堂も完備され、冬になればミニぼたん鍋+温泉入り放題+休憩室居放題のセットも提供。
で、そんなとことん極楽なセットを、大雪の日に時間が出来たので貪ってきました。

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2016年への年越しを、京都帝釈天で迎えました。もちろん、ひとりで。

2016年1月1日(金)


2016年への年越しを、京都帝釈天で迎えました。もちろん、ひとりで。

除夜の鐘を、108つ全部、撞きたい。そんな欲求に駆られるようになりました。
駆られるようになったのは、このサイトで阿呆な年越しネタをやらかすようになってからです。
あちこちの寺社へ忍び込み、鐘難民化したり撞けず終いに終わったりしてきた、当サイトの年越し。
そして、当然ながら地元の人に対して遠慮し、鐘の行列は最後の方へ並んできた、他所者の私。
毎年毎年、一歩も二歩も引いた状態で、こっそりと、ひっそりと、除夜の鐘を撞き続けてきたのでした。
2015年は遠慮不要であるはずの地元・八幡で年を越しましたが、しかし私はやはり、移民の子。
心の何処かで遠慮は、消えません。というか多分、行列がある限り遠慮する気持ちは、消えません。
こういう場に於いて独男というのは、本質的に気まずいものなのです。その気まずさは、忘れたくない。
しかし、それでも除夜の鐘は、撞きたい。いや、むしろ、何ならだからこそ、除夜の鐘は、撞きたい。
気兼ねなく鐘を撞いて、厄を祓いたい。108つの鐘を全て自分で撞いて、煩悩を全て吹き飛ばしたい。
阿呆な遠慮を延々と重ね続けた末に、私は、こんな阿呆な欲求に駆られるようになったのでした。
遠慮を大事にするあまりに正気を見失ったこの欲求、京都で実現する方法はいくつか考えられます。
ひとつは、寺の住職となり、鐘を独占すること。もうひとつは、自分の家に鐘を設置して、撞くこと。
そして、最も実現性が高くて尚且つ正気も保てる方法は、南丹市の京都帝釈天へ行くことです。
京都帝釈天。名が示す通り、京都の帝釈天でございます。立地的には 「府」 の帝釈天となりますが。
帝釈天というのは、言うまでもなく 「生まれも育ちも葛飾柴又」 というあれで有名な、あの帝釈天
京都にもあるんですよ、帝釈天。もちろん、庚申信仰もあるんですよ。更には、猿崇拝もあるんですよ。
780年に和気清麻呂によって丹波・紫雲山の中腹へ創建され、天長年間には空海が伽藍を整備、
中世は神護寺末の小倉寺として存続、近世以降は庚申信仰で庶民から慕われてるお堂であります。
そんな京都帝釈天、90年代に入ると、700mの坂道参道へ108つのミニ鐘 「願いの鐘」 を設置。
で、年越しの際は、夜通しでオープン。鐘を撞きながら参道を進み、お参りすることが出来るのです。
そう、除夜の鐘を全部、撞くことが出来るのです。108つを全部、自分で撞くことが出来るのです。
おまけに、迎える2016年は、サル年。猿崇拝もある庚申スポットとしては、正に当たり年となります。
ついでに、このお堂がある南丹市船枝は、私の本籍地の隣。いわば、真の地元であります。
これはもう、遠慮なく鐘を撞きまくれる。そう思い、南丹市まで行ってきました。

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京の民宿・大原の里にてぼたん鍋を食べて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2015年12月24日(木)


京の民宿・大原の里でぼたん鍋を食べて過ごす聖夜、前篇の続きです。

ごく小さな子供の頃、野生の猪がウロウロしてるのを見かけた記憶があります。
両親の実家がある丹波のどっかの山奥にて、団体で野外すき焼きをやってた時のことでした。
子供の頃から団体行動が嫌いだった私は、すき焼きの場を逃げ出して周囲を徘徊してたんですが、
その際、歩いていこうとした道の先に、恐らくはまだ子供であろう猪がウロウロしてるのを見たのです。
こちらが一歩踏み出した瞬間に逃げてしまった為、本当に猪だったかは正直、よくわかりません。
が、そんな遭遇があっても不思議がない程、京都府域にも猪は多数生息してるという話であります。
御存知かどうか知りませんが、丹波というのは、京都市街から車だと1時間程度で行けるエリア。
そんなとこに野生動物がバンバカ生息するエリアがあるのも、京都の食文化を豊かにしてる一要素。
「京に田舎あり」 、なわけです。最近は、獣害の侵攻ラインもどんどん人界へ近付いてはいますが。
現代へ入ると、京都近郊に於けるそういった田舎の風情は、観光面でも大きな資産となり、
大原もまた、市街地に近い場所にありながら 「侘」 の風情が色濃いエリアとして、人気を獲得。
「京の奥座敷」 の呼称+ 「京都大原三千院」 のフレーズと共に、愛されるようになりました。
そんな大原、近年には観光資産の価値を更に高めるべく、先刻から私が入りまくってる温泉も掘削。
「侘」 の風情と天然温泉、現地で育まれた滋味溢れる野菜、そして体が芯から温まるぼたん鍋と、
これらをまとめて楽しめてしまう大原の里での冬の一夜は、正に至福の世界と言えるでしょう。
って、そんなグルメ&旅エッセイ気取りの戯言はいいんですよ。問題は、 「境界」 ですよ、 「境界」 。
「四堺」「艮」 、つまり鬼門に当たる最強 or 最凶の 「境界」 たる途中峠・和邇の攻略に際し、
猪肉の摂取により英気&霊気を養うべく臨んだ、今回の聖夜ひとりお泊まり@京の民宿・大原の里
後篇では、猪肉を煮込んだ鍋へ京地鶏も投入して食いまくり、食った後で温泉にもまた入りまくり、
更にはすぐ蒲団でダラダラしまくり、朝にはまたまた温泉に入りまくり、朝食もバカスカ食いまくります。
そう、今回のお泊まりはあくまでも、準備なのです。真なるミッションを達成する為の、準備なのです。
決して、心の底から猪肉と温泉を堪能し、全てがどうでもよくなり始めてるわけではありません。
断じて、峠を攻略する気なんか実は最初から更々なかったわけでもありません。

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京の民宿・大原の里にてぼたん鍋を食べて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2015年12月24日(木)


京の民宿・大原の里でぼたん鍋を食べて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

独男上等を謳う当サイトは、精神的外圧が年間で最も高まるクリスマスに於いて、
世間の馬鹿騒ぎへ真っ向から背を向けるべく、ひとりお泊まり企画を敢行し続けてきました。
が、2013年に地元・八幡橋本の遊郭転業旅館、そして2014年には大枝ラブホ街へ宿泊したことで、
実を言えば思いつき一発で始めたこのネタに突如、 「境界」 なるテーマが浮上して来たのです。
太陽の復活を祝うローマの太陽祭にルーツを持つクリスマスが、そもそも最初から孕む 「境界」 性。
そして、遊郭やラブホ街が、ある種のアジール性と共に極めて直接的な形で含有する 「境界」 性。
この辺のシンクロニシティを見極めることを考えて、私は橋本&大枝を宿泊地に選んだんですが、
橋本&大枝記事がクリスマスカテで並ぶ様を目にした時、別の真実に気が付いてしまったのでした。
これは、陰陽師が配備された平安京のスピリチュアル・ゲート 「四堺」 を押える流れになってる、と。
「四堺」 の 「坤」 即ち南西たる山崎と、橋により接続&その橋が地名の由来となった、橋本。
「四堺」 の 「乾」 即ち北西の峠であり、鬼伝説と共に長く軍事&交通の要衝であり続けた、大枝。
更には、2012年に泊まった町家もまた、 「四堺」 の 「巽 」 即ち南東たる逢坂へ続く三条通の傍。
そうです。私はまるで何かに導かれるかのように、 「四堺」 を時計回りで回っていたのです。
これもまた、 「境界」 の魔力による導きでしょうか。であれば、その導き、乗ってやろうじゃないか。
というわけで2015年の聖夜は、 「四堺」 の 「艮」 即ち北東たる途中峠・和邇を攻めることにしました。
北東は、言わずと知れた、鬼門。 「四堺」 めぐりの最後を飾るには相応しい 「堺」 と言えるでしょう。
ただその為か、困ったことにこの辺、宿が激少。激少というか、そもそも単純に、完全な山の中。
一晩歩き通すのも一興ですが、天候によっては死にますし、猿との白兵戦もない話ではありません。
なので今回は、その手前の大原へ泊まり、ついでにぼたん鍋を食い、英気を養うことにしたのです。
泊まったのは、近年温泉が掘削されて 「大原温泉」 の呼称も定着してる、京の民宿・大原の里
この風雅な宿にて、獣肉をたらふく食らった上で温泉も堪能し、 「境界」 との闘いに備えたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、過酷な泊まりがいい加減しんどいので、温泉&グルメへ逃げたわけではありません。
断じて、冬場の食い物検索流入も狙い、温泉で駄目押しするわけでもありません。

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ロームイルミネーションへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年12月20日(日)


ロームイルミネーションへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

北山ウェディングストリートのクリスマスイルミネーションに、特攻したことがあります。
京都・北山には、そんなストリートがあるんですよ。式場などが集中的に建てられてるという。
で、そこが12月になると、イルミネーションなどを展開するわけです。で、それに特攻したわけです。
無論このサイトの為であり、 「行かねばならぬ」 という義務感の下、無論ひとりで出かけたわけです。
ゴダイゴのスティーブ・フォックスがやたらオーバーに 「わたしは確信しますっ、この二人がっ」 と、
身内の式で絶叫してるのを聞いた教会へも、不審者丸出しの風体で再訪したりしたわけです。
この特攻、やらかしたのはネタ採取を始めた2010年でした。が、現在に至るも記事化はしてません。
何故か。一言で言えば、しょぼかったからです。電飾的にも色ボケ的にも、しょぼかったからです。
スポットが点在してて規模が小さい印象が拭えず、肝心の 「ストリート」 も電飾がなく単なる道状態、
ぱこぱこと交尾へ至る為に使おうと群がる色ボケ衆による淫猥&殺伐とした混雑も、全然なし。
これでは特攻したことにならん。相手にとって不足あり。と、孤高の士たる私は断定したのでした。
そもそも、ライトを一発当てるだけでもそこそこ絵になる寺社がそこら中に林立してる京都に於いて、
強引に名所を捏造するイルミネーションは必要なく、ゆえにさもしい電飾スポットも成立し得ない。
などと考え、しばらくはクリスマスイルミネーション特攻のネタ展開そのものを、忘れていたのでした。
しかし、そして無論、京都にはそんな臆見を許さない一大イルミネーションが、しっかり存在します。
そう、ローム株式会社がクリスマスの時期に行う 「ロームイルミネーション」 が、それであります。
学生起業の町工場から始まり、社名の由来たる抵抗器での成長を経て、半導体でその地位を確立、
現在は京セラ村田製作所などと共に 「京都ベンチャー」 という言葉を体現してる企業、ローム
ロームシアターのネーミングライツ購入など、文化事業に力を入れてるのもここの特徴ですが、
その一環なのか、クリスマス当日までの1ヶ月間、西大路五条の本社一帯へ大々的に電飾を展開。
何にもないからこそ建設が出来たのであろう大社屋の周辺を、一気に電飾名所へ変えてくれてます。
東日本大震災発生以降はしばし中止され、すっかりその存在を忘れてましたが、知らん間に復活。
その電飾数は80万球というから、ぱこぱこな輩が蛾の如く群集してること、間違いありません。
で、特攻してきました。相手にとって不足ない輝きと混雑に、私は出会えるでしょうか。

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