節分の八瀬へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2019年2月3日(日)


節分の八瀬へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都のは、大江山に住むと考えられてます。いや、全国的にも、そう考えられてます。
老ノ坂・大枝丹波・大江かで議論は分かれますが、とにかく 「おおえ」 に住むとされるわけです。
が、この鬼 aka 酒呑童子、生まれも育ちも大江山という設定なわけではありません。出身地は、別。
越後に生まれ全国を放浪した後、京の近くの比叡山へ居着き、それから大江へ引っ越したとか。
酒好きの酒呑童子ゆえ、丹波名物のどぶろくに惹かれて引っ越したのかといえば、これもさにあらず。
引っ越さされたのです。最澄 aka 伝教大師が叡山に延暦寺を建てる際、追い出されたのです。
鬼は、叡山に未練たらたらだったとか。伝・世阿弥作の謡曲 『大江山』 でも、かなり愚痴ってます。

  我れ比叡山を重代の住家とし 年月を送りしに 大師坊というえせ人 嶺には根本中堂を
  建て 麓に七社の霊神を斉ひし無念さに 一夜に三十余丈の楠となって 奇瑞を見せし所
  に 大師坊 一首の歌に 「阿耨多羅三藐三菩提の仏たち 我が立つ杣に冥加あらせ給え」
  とありしかば 仏たちも大師坊にかたらはされ 出でよ出でよと責め給えば 力なきして 重
  代の比叡のお山を出でしなり
(謡曲 『大江山』 )

当サイトでは2018年の節分、長年の念願が叶い、鬼の里たる丹波・大江山の訪問を果たしました。
が、この訪問を経て私は、プレ大江山たる叡山を訪問する必要性も感じるようになったのです。
そもそも、京都の東北に聳える比叡山は、京都という都市を考える際には避けることが許されない山。
これはもう、登るしかない。そう考えて今回、鬼の日・節分を選んで登山を決行したのであります。
ので、この記事タイトルは、おかしいのです。八瀬でなく叡山へ行ったでなければ、おかしいのです。
写真も、おかしいのです。叡山山麓の八瀬で叡山とは関係ない鯖寿司を食うわけが、ないのです。
悪天+時間がないので、ちょこっと八瀬行って節分ネタを済ませたわけが、ないのです。


比叡山には、叡山電車叡山ケーブル叡山ロープウェイで向かいます。乗りますよ、ええ。
「文明の利器など頼らず、あくまで人力登頂」 なんてのは、暇な奴がやってればいいんですよ、ええ。
節分の日の昼頃に出町柳駅から乗った叡電は、普通に混雑。しかし、八瀬駅まで乗ってたのは数人。
外も、寂しげです。それに、文明の利器に頼るから関係ないけど、雨が降りそうな感じで天気も悪い。


八瀬駅は、ケーブルの乗り換え駅。距離ありますけど。なので、天気は悪いけど少し歩きます。
八瀬の地名の由来となった高野川も、橋の上から拝むこと、しばし。 「八つの瀬」 という、あれです。
もっとも、 「大海人皇子が背の矢傷を治したから」 なる説もありますが。かまぶろ伝説の、あれです。
いずれにせよ、今日の私に八瀬は関係ありません。すぐ通過して、叡山へ行かせてもらいましょう。


が、ケーブル、やはり遠いんですよね。無駄に遠いというか。あるいは、意図的に遠いというか。
八瀬駅周辺、現在ホテルのある辺が遊園地だったんですが、この辺も昔は遊興地だったそうですよ。
ケーブル+ロープウェイの開通により、叡山観光が産業化されたわけですね。店も、色々あったとか。
いもぼうも店を出してたといいます。面白いですね。ただ、今日の私の目当てはあくまで 「鬼」 です。


求めてるのは、まつろわぬ者・酒呑童子のロマンです。反逆者たちのワイルドなロマンです。
が、昔の観光地図だと、柊家新三浦の支店、かまぶろや遊覧池なんてのもあって、楽しげですよ。
現在その池では、鳥が腹を空かせた顔で佇むのみ。数多の店も、全然残ってないか、開いてません。
私も、かなり腹が減りました。山上なら、飲食店もあるはず。ケーブルで、さっさと登ってしまいます。


で、到着しました、叡山ケーブルのケーブル八瀬駅。立派な駅舎ですね。乗りますよ。
と思ったんですが、駅前、何か様子が変です。変なロープが張られ、立て看板も出てます。


近付いてみると、立て看板は運休を示すもの、ロープは立ち入りを禁止するものでした。
いやあ、驚いた。冬、休むんですね。知ったの、今回が初めてです。生まれて初めてです。


滋賀からは、生憎、行けるみたいですよ。生憎、じゃないですね。行けるみたいですよ。
しかし、当サイトは 『ひとりでうろつく京都』 。京都から叡山にアプローチするのが、筋です。


ので、文明の利器が使えないとなれば、暇丸出しでも人力で登るしか手はありません。
あの叡山、ケーブルの先に聳えるあの叡山、登ろうと思います。本当に、登ろうと思います。


登山をすると決めれば、必要になるのが、腹拵え。ただこの辺、本当に店がないんですよね。
老舗支店系の生き残りらしき平八茶屋・八瀬店も、少し前に来た台風で、どうやら駄目みたいです。
『山端とろろ』 で有名な平八の支店であり、山崎豊子 『不毛地帯』 にも登場した、平八茶屋・八瀬店。
かまぶろもあったというので、開いてれば食事と共に入山前の潔斎もしたかったところなんですが。


しょうがないので、店を探すべく駅前を出て、高野川沿いのR367 aka 若狭街道へ何となく進入。
若狭街道。八瀬&大原を抜けて若狭へと続く道です。ので、鯖が運ばれたので、通称・鯖街道です。
そのためか何なのか、歩き始めてしばらくすると、鯖寿司の看板が出てました。曰く、八瀬はなだ、と。
ここもどうせケーブルが休みの間は休みだろ、とか思いながらも一応様子だけは見るべく、北へ。


で、前まで来ると、八瀬はなだ、開いてました。開いてるような気がする感じで、開いてました。
営業感は全く感じられませんが、暖簾はちゃんと出てます。通り庭には、水もちゃんと撒かれてます。
だから多分大丈夫だろと思って、寿司屋というより小さめの旅館みたいな広い玄関へ入ったら、無人。
やっぱり休みかと思ったら、左側にベルがあり、それ押すとお母さんが出て来て奥へ通されました。


はなだ、中は大きい家を宿にしたような感じの作りで、テーブル席と卓袱台席あり。
メニューは基本、鯖寿司セットである 『姫折敷』 だけ。で、これと追加2片をオーダー。


で、しばらく待った後に来た、 『姫折敷』 。そして、美しい鯖寿司。


鯖寿司は、全体が昆布で巻かれたタイプ。サイズは、 「姫」 の名の通り、かなり小振りです。
アッパーの鯖も、がっつり乗ってるように見えますが、その存在感はどちらかといえば、アクセント的。
で、この鯖アクセントが昆布のまろやかさと甘みに馴染み、ナチュラルな米の味わいも立ててるという。
結果として、水のようにすっと入ってくる品良い寿司になってます。ので、パクパク食べてしまいます。


『姫折敷』 、鯖寿司の他には、出汁巻きと小皿系、そしてお吸い物が付くという内容のセット。
で、この出汁巻きがまた、美味い。凄く、美味い。冷めたものかと思ってたら焼き立てで、凄く美味い。
単に焼き立てゆえ美味いのではなく、柔らか&緩い巻き方で、でも崩れずホロホロ感があり、美味い。
味付けも薄めで、卵そのものの味がよくわかるものになってます。ので、パクパク食べてしまいます。


で、鯖寿司&出汁巻きを丸食いした後には、小皿系&お吸い物。


で、 『姫』 の全部を丸食いした後には、勢いで抹茶と干菓子も頼んでしまいました。
他に客がいない&雰囲気が良かったので、ちょっとのんびりしたくなったんですよね。


のんびりついでに、卓袱台席の窓から見える高野川の様子も拝むこと、しばし。
それにしても鯖寿司、美味かった。鯖はもちろん、昆布も美味かった。まるで、昆布の巻寿司でした。
そういえば、2019年の恵方は、東北東。京都 or 八幡から見て、この八瀬の地は正しく、東北東です。
となれば、この 「巻寿司」 で今年の恵方巻を食ったことにしときましょうか。とか思いながら、退店。


腹拵えは済みました。そう、腹拵えです。叡山登山のための、腹拵えです。登りますよ。
ただその前に、かまぶろにも入りたくなりました。平八茶屋・八瀬店で入り損ねた、潔斎のかまぶろ。
霊峰へ入るなら、そういうのは大事です。ので、八瀬の北側にある別のかまぶろへ寄ろうと思います。
で、その近くの登山口から登山を始めようと考えて、高野川沿いの鯖街道・旧道を歩くこと、しばし。


猿注意看板や猫猫寺などを横目で見ながら歩き続け、本格的に八瀬の集落へ入りました。
八瀬は、柳田国男 『鬼の子孫』 で知られる地。しかし、節分でも鬼がうろついてる気配は、全然なし。
当然でしょう。八瀬の祖先たる 「鬼」 は、叡山を追われた酒呑童子とは全然違う 「鬼」 なのですから。
柳田が 『蹇驢嘶余』 の又聞として書いてた、あれです。 「鬼」 の字から初画の角を取る、あれです。


ので、八瀬の産土社であり、赦免地踊りで知られる八瀬天満宮も、節分の気配はなし。
赦免地踊りの際は混み過ぎてて参拝を日和ったので、そのお詫びも兼ねて、寄っときます。


参拝した社殿も、もちろん天満宮が一番大きく、その次に大きいのは秋元氏を祀る社。
叡山古来の山神・十禅師社が最上座+高い場所な気もするけど、大事なのは大きさです。


かつて延暦寺傘下だった北野天満宮名物の牛がいるのだから、あくまで天満宮です。
十禅師が鬼の先祖ともいわれ、天神や秋元より上座に祀られてても、あくまで天満宮です。


そう、今日の私はあくまで酒呑童子に、その旧居としての叡山に、用があるのですよ。
雨の気配が相当に濃厚になってきましたが、登ろうと思います。本当に、登ろうと思います。


求めてるのは、まつろわぬ者・酒呑童子のロマンです。反逆者たちのワイルドなロマンです。
ので、雨が本降りになったからって、梅見ながら 「どう日和ろうか」 と考えることなど、ありえません。
八瀬は、宗教的首長たる叡山 or 皇室に従い続ける地。まつろわぬ 「鬼」 などとは、関係ないのです。
悪いですが、ここでは終わりようがありません。登ります。かまぶろで身を清め、あの山を登ります。


というわけで、現在も営業してるかまぶろ 『八瀬かまぶろ温泉 ふるさと』 、到着しました。
八瀬のかまぶろ、実際には林業の炭作りから派生する形で生まれ、公家の間で人気を呼んだとか。
ただ私は、叡山の潔斎ゲートとして八瀬&かまぶろが誕生&重用された可能性も、考えたくなります。
何せ、この 『ふるさと』 最寄バス停の次は、 『登山口』 。正にゲートであり、清めの場所なのです。


『ふるさと』 、玄関は営業してる感ゼロですが、中の電気は点いてて、人もいます。入ります。
客か店員か区別不能な老人らが歓談してる横で、フロントのおっちゃんに入浴出来るか訊きました。
すると、普段はやってるけど今日は無理なんだとか。普段は、タオルなし1000円で入れるそうですよ。
八瀬・鯖街道のんびり散策の〆、ではなくて叡山登山の事前準備、不可能となりました。どうしよう。


どうしようもこうしようも、かの霊峰へ潔斎をせぬまま入山するなど、絶対に許されないこと。
今回の登山、勇気ある撤退とさせて頂きます。残念です。バス停の文字が、涙で曇って読めません。
あ、かまぶろとの関連を柳田が推測してた鬼ヶ洞、この近くにあるようですが、面倒なのでそれもパス。
興味がある方は、自分で行っといてください。というか、出来たら叡山も、貴方が行っといてください。

というわけで、八瀬・鯖街道のんびり散策、客層云々は省略。
はなだは本文中でも触れた通り、他の客はなし。八瀬も、観光客はほぼゼロ。
運休中のケーブル駅前で、本当に運休を知らずに来たらしい中国人グループがいたくらい。
「鬼の子孫の地で、鬼を探してみました!!」 とか言って騒いでそうなカス、
いたらウンザリと思ったんですが、そんなカスはどうやら私しかいないみたいでした。

節分の八瀬、 「鬼の子孫の節分」 を期待すると拍子抜けするかも知れませんが、
でも、はなだの鯖寿司はやはり本文中でも触れた通り、実に美味しいです。
あと、拍子抜けするくらいに何もない感じが、本当にあまりにも何もなさ過ぎで、
それが却って面白く、 「鬼」 的にも興味深いと思えなくもありません。

そんな八瀬の、節分。
好きな人と行けば、よりなやらいなんでしょう。
でも、ひとりで行っても、なやらいです。

ひとりでなやらう京都の節分


 
 
 
 
 
八瀬はなだ
京都市左京区八瀬野瀬町46
金・土・日曜日営業 11:00~16:00

叡山電車 八瀬比叡山口駅下車 徒歩約5分
京都バス 八瀬駅前下車 徒歩約3分

八瀬はなだ – 公式