ひとりで食べる鱧 - ひとりでうろつく京都 (β版)

横大路の流れ鮨三代目おとわ伏見店で鱧を食べ、鱧海道も散策しました。もちろん、ひとりで。

2021年7月19日(月)


横大路の流れ鮨三代目おとわ伏見店で鱧を食べ、鱧海道も散策しました。もちろん、ひとりで。

海の魚は、漁師 or 釣人を除く大半の人にとって、何処かから運ばれて来る食物です。
いや無論、そう極言するなら海産魚以外の大抵の食物もまた 「運ばれるもの」 なわけですが、
内陸部でも生産可能な穀物や肉よりかは、海の魚は 「運ばれる」 傾向が強いとは言えるでしょう。
そのため、物流や冷凍技術が貧弱だった近代以前の内陸部では、海産魚が珍重されました。
独自の食文化も生まれ、その多くは今も息づいてます。山梨のマグロ偏愛とかですね。
近代以前の京都もまた、純然たる海なし都市として海産魚の運輸問題に向き合ってきた街です。
海がないのに海の魚が食いたいあまり、鱧料理なる特殊な食文化を生み出したのも、御存知の通り。
骨が多いけど生命力が強い鱧を、生で運んで、食う。骨切りなる特殊な技を極めてまで、食う。
異常とも言えるこの鱧料理、京都の特性を体現するものとして、当サイトも向き合い続けてきました。
が、鱧が持つ 「運ばれるもの」 としての側面には、あまり注目して来なかったように思います。
骨切りが文化なら、運輸もまた文化ではないのか。鱧料理の一要素として注目すべきではないのか。
そんなことを考えるようになったのです。そしてそんな頃、 「鱧海道」 という言葉を知ったのです。
鱧海道。正直、地域興し的ワードではあります。が、そんな道があったのは、事実です。
京都市南部の草津湊にて水揚げされた鱧が、鳥羽街道で陸送されてた経緯を指してるわけですね。
草津湊があったのは、伏見から西へ行った横大路の西端。現代もなお運輸とは縁深いエリアです。
となれば、この横大路近辺で鱧を食せば 「運ばれるもの」 としての鱧をより体感できるのではないか。
また、運輸という要素の体感を通じて、鱧料理が持つ特殊性もより明確に認識できるかも知れない。
おまけに、横大路には三代目おとわなる回転寿司店があり、夏は鱧も出してます。これは、丁度いい。
そう思って今回、出かけたのです。御覧のトップ画像でも看板が目立つおとわに、出かけたのです。
え。エスラインギフのトラックしか見えないですって。滋賀産の飛び出し坊やしか見えないですって。
見えてるでしょ。愛知資本焼肉きんぐの彼方に、おとわの青い看板が見えてるでしょ。

続きはこちら »

寿司のむさし・三条本店の鱧の押し寿司をテイクアウトで食べました。もちろん、ひとりで。

2020年8月28日(金)


寿司のむさし・三条本店の鱧の押し寿司をテイクアウトで食べました。もちろん、ひとりで。

京都で極限まで安くを食べることができるのは、どの店なんでしょうか。
最もメジャーなメニューである落としでも、居酒屋とかなら安くで出してるところはありそうです。
また、スーパー系も視野に入れるのであれば、京都資本のフレスコでも落としは売ってたりします。
あのフレスコの落とし、自分で天ぷらにすると割と美味いんですよね。価格も、500円オーバー程度。
フレスコでは鱧天を見かけることもあり、こちらも300円くらい。底値と言えば、充分に底値でしょう。
しかし私は、その底値の底を割りたい。割ってみたい。割った先にある世界を、この目で見てみたい。
そんな野望を抱きながら夏を過ごしてると、割った先の世界、河原町三条にありました。むさしです。
むさし。本名、寿司のむさし。河原町三条に本店がある、京都の回転寿司のチェーンであります。
チェーンと言っても、はっきりあるのは本店と八条口店で、上堀川店はあったりなかったりする感じ。
ほとんど個人店に近い感じですが、でもかなり安く、持ち帰りにも便利なので、長く愛されてる店です。
で、此処の鱧の押し寿司が安い。2020年時点で、一皿100円台。これは、安い。あまりにも、安い。
今まで5000円とか3000円とかの予算枠で 「苦しい」 などと言ってたのが阿呆らしく思えるほど、安い。
あまりにも安い為なのか何なのか、夏季限定ではなく年柄年中食えるのがやや風流に欠けますが、
しかし、この過剰なコンビニエントさこそ実は、京都の鱧食の本質に近いものとは言えるでしょう。
当サイトの企画 「ひとりで食べる鱧」 でも度々書いてきた通り、鱧食はとても人工的な食文化です。
海のない街で、何とか生きて運べる魚を骨切りしてまで、食う。まるで生魚を創造するかの如く、食う。
「海行けよ」 という声を遮って、加工による仮構であることも厭わずに、食う。もう無理矢理に、食う。
鱧食が本来持つこの仮構性、現代ではむしろ100円台の寿司にこそ立ち現れるものかも知れません。
そんな高等な思念と共に私は、シーチキン感溢れる寿司を食いに、河原町三条へ赴いたのでした。
断じて、コロナ下でもいい加減に何かネタをやろうかと思ったけど、出かける気は全然沸かず、
テイクアウトの飯ネタで適当にお茶を濁そうとしてるわけでは、ありません。

【2023年以降、1皿200円以上になりました。それでもまだまだ安いけど】

続きはこちら »

あらし山 遊月で鱧しゃぶコースと冷奴を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

2018年8月29日(水)


あらし山 遊月で鱧しゃぶコースを楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

は、秋口にしゃぶしゃぶとかで食った方が、本当は美味い魚ではないだろうか。
そうしみじみ思ったのは、 『ひとりで食べる鱧』 にて、ひとり池田屋事件に臨んだ際のことです。
晩夏に敢行した、完全なネタモードの特攻。実際に落としは、ネタな期待に応えてくれるものでした。
しかし、鱧の小鍋は、違いました。あれは正直、美味かった。汁は辛過ぎたけど、鱧は美味かった。
鱧そのものの質は落としと同じはずなのに、茹でて温かい状態で食うと、段違いに美味かった。
で、しみじみ思ったのです。鱧は、夏らしく冷やして食うより、温食こそが相応しい魚ではないかと。
氷などを添えた落としよりも、鱧しゃぶといった鍋物の方が合う、晩夏以降に向いた魚ではないかと。
もちろん、秋鱧の美味さそのものは、広く知られています。夏ものよりも脂が乗って美味い、的な。
晩夏以降のもの、でなければ梅雨の水を吸った7月前半のものこそ、本当に美味い鱧というわけです。
実に食いたいところですが、当サイトは生憎、本当の美味さを求めるグルメサイトでは、ありません。
求めてるのは、常に京都の表象であり、その表象と現実の間に立ち現れる何かなのです。
ゆえに、鱧はあくまで 「夏の風物詩」 として重要なのであり、味などは二次的な問題に過ぎません。
いくら美味かろうが、鱧を秋に食うわけには、いかんのです。味ばかりを追及してては、いかんのです。
が、それでもやはり、食いたい。川床でもない限り空調はあるんだから、熱い鱧しゃぶ、食いたい。
秋に食ってはいけないのなら、せめて夏の終わりに、特攻とかでなくて落ち着いた感じで、食いたい。
などと思い、3000円台でひとりで鱧しゃぶ食える落ち着いた店を探してたら、ありました。遊月です。
遊月。あらし山 遊月。その名の通り、嵐山・中之島にあって、90年続くという料理店であります。
そう、あの如何にも高価そうな顔して中之島・大堰川右岸沿いに並ぶ料理店の、ひとつであります。
私も店の前は何度も通ってますが、金銭的にもひとり的にも縁なしと、意識野から消してたのでした。
が、ひとりでも予約出来たんですよ。で、鱧しゃぶコースは、税抜なら3000円台だったんですよ。
で、「夏の風物詩」 の別の味わいを楽しむべく、晩夏の嵐山へ出かけたのでした。

続きはこちら »

花園・妙心寺北門前の京料理・萬長で、鱧づくし御膳を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2018年8月10日(金)


京料理・萬長で、鱧づくし御膳を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

禅宗と、。関係がないと言われたら、あまりにも関係がない組み合わせです。
かたや、食さえも厳格に修行化すべく、殺生の一切を排す精進料理を生み出した、仏教思想。
かたや、遠海からでも運搬可能な生命力の塊をザクザクと骨を切って食らう、京都の夏の風物詩
禅の思想をそのままレシピ化した精進料理が、名に反して精を削ぐストイックさを誇るのに対し、
生命力溢れる鱧は、食えば食うほど精つきまくりの夏バテ防止策と、違うにも程があるという話です。
しかし私は、禅宗と鱧の間には何か近いものがある、と感じてます。関係がある、と思ってます。
厳密に言うなら、鱧の調理法には精進料理からの影響が感じられる、と言った方が正確でしょうか。
本当に美味しい鱧の落としを食した時などに感じる、 「技術によって、生魚が作られてる」 という印象。
あの、食材そのものよりも技術こそが 「生」 を生む感じは、精進料理の何かに近いのではないか。
鯰を瓢で得ようと無理を通す禅の心と、夏の京都に 「生魚」 を現出させることは、近いのではないか。
禅と鱧を巡るそんな思念を深めるべく、私は今回、妙心寺北門前の萬長へ赴いたのです。
妙心寺。言うまでもなく、臨済宗妙心寺派の大本山であり、禅寺の中の禅寺と言える大寺であります。
京都・花園の広い境内は、全域が禅テイストでまとめられ、質実&ストイックな精神世界を具現化。
数多の塔頭も擁し、その中の東林院が精進料理を供してるのは、うちの小豆粥記事でも触れた通り。
萬長は、そんな妙心寺の北門のすぐ前にあって、妙心寺と同様に質実な雰囲気を持つ料理店です。
夏は鱧も扱ってて、昼には 「鱧づくし御膳」 も提供。で、今回、これを食べに行ったのであります。
魚肉を食せぬ環境に於いて、それでも何とか肉食の満足を得んとして大きな発達を見た、精進料理。
そんな精進料理の影響を受けて発達した京料理の中で、夏の 「生魚」 を現出させた、鱧料理。
この両者の関係を、大禅刹の目前で 「鱧づくし御膳」 を食いながら哲学的に考えてみたのでした。
断じて、 『ひとりで食べる鱧』 の予算枠・3000円台に合致する店を検索してたら萬長を見つけ、
「鱧づくし御膳」 が税別ジャスト3000円なので行っただけ、なのではありません。

続きはこちら »

総本家にしんそば・松葉で、鱧そうめんと鱧天せいろを楽しみました。もちろん、ひとりで。

2018年7月31日(火)


総本家にしんそば・松葉で、鱧そうめんと鱧天せいろを楽しみました。もちろん、ひとりで。

3000円前後で、鱧を楽しむ。難しいようで、案外と楽で、でもやはり難しいことです。
食べるだけなら、難はありません。夏の京都では、値段を問わず多くの飲食店が鱧を扱います。
鱧天を出す蕎麦やうどん店も、多し。居酒屋なら、天婦羅のみならず落としを出す店も、多し。
値段だけ考え、そして 「夏の京都で鱧を食べた」 という既成事実を作るだけなら、簡単なわけです。
が、そんなブランド季節食としてだけ鱧を楽しむのは、どこか片手落ちではないかと、私は思います。
祇園祭の別名 「鱧祭」 が示すように、この魚が祭とシンクロした食材であることは、御存知の通り。
そして、防疫祭たる祇園祭と同様、鱧料理が京都の地理から生じた文化であることも、御存知の通り。
夏に京都で鱧を食すのであれば、こうしたバックグラウンドも共に味わう形で、食すべきではないか。
「海が遠い」 「暑過ぎ」 「平安時代から人多過ぎ」 といった地理を、舌で体感すべきではないか。
またこの体感を、ある種の祝祭性の中で実現して初めて、人は鱧を食したことになるのではないか。
『ひとりで食べる鱧』 を予算3000円台で再開した後、私はそんなことを考えるようになりました。
もちろん、こうした要素と共に鱧を食す際、3000円台という枠は、足枷になると言わざるを得ません。
それでも 『ひとりで食べる鱧』 再開後の当サイトでは、この困難なミッションに正面から取り組み、
山鉾巡行当日に於ける回転寿司鱧づくしや、晩夏のひとり池田屋事件などを、やらかしてきました。
しかし、足りない。何よりも、 「海が遠い」 という京都の地理をダイレクトに表現する要素が、足りない。
こうした要素も含め3000円台に収まるメジャー店、ないかな。と思ってたら、ありました。松葉です。
松葉。かの南座と共に祇園の入口に屹立する、にしんそば総本家として知られる蕎麦店であります。
北の大地より届く、身欠きニシン。その干物のニシンを戻して煮込み、蕎麦と共に食す、にしんそば
実に 「海の遠さ」 を表す料理です。また松葉は、夏には鱧そうめんなどの鱧メニューを展開。
なので今回、祇園祭ラス日に松葉で鱧を食し、夏と海と京都の関係を舌で考えてみたのでした。
なので当然、にしんそばも、食うのです。食わなければ、趣旨的におかしいのです。

続きはこちら »

後祭・山鉾巡行当日の京料理田ごと本店で、鱧を楽しみました。もちろん、ひとりで。

2018年7月24日(火)


後祭・山鉾巡行当日の京料理田ごと本店で、鱧を楽しみました。もちろん、ひとりで。

御旅所祇園祭の宗教性を考える時、絶対に外すことができないファクターです。
そもそも祇園祭は、他の神社が行う大抵の祭と同様、神を街の中へと招き入れるための祭。
いや、他の神社と同様というより、祇園祭 = 祇園会こそこうした神幸祭の始祖とも言えそうですが、
とにかく、鴨川の向こう = 洛外の八坂神社より神輿に乗った神を招くのが、主たる目的なわけです。
ので、その他の祇園祭の行事は、基本的には、おまけ。神輿渡御に付随する行事に過ぎません。
一般的にはメイン中のメイン行事と思われてる山鉾巡行もまた、神輿のフロントアクトみたいなもの。
デコりまくったド派手な車体で路上を蠢く疫神を誘引&吸引し、神輿の巡幸路を清めてるのです。
2014年以降の山鉾巡行が17日&24日のW開催となったのも、イベントを増やすためでは断じてなく、
「両日の夕方に行われる神輿渡御のフロントアクト」 という元々の本義に、いわば単に従ってるだけ。
このように御旅所は、祇園祭の宗教性を考える時、絶対に外すことができないファクターなのです。
が、よくよく考えてみると、当サイトではこの御旅所、がっつり扱ったことがありませんでした。
扱ったのは、日和神楽くらい。後は、前を通るだけ。混雑が嫌で、四条通自体を避けることも、多し。
これでは、いかんのではないか。アカデミックな当サイトが、この体たらくでは、いかんのではないか。
御旅所、いや何なら、全国の祭の礎となった神幸形式のコアたる御旅というトポス・ロゴス・パトスを、
五感を駆使した形で体感的かつ総合的に会得し、そして広く伝播する必要があるのではないか。
真摯にそう考えた私は、後祭・山鉾巡行の当日、御旅町・田ごとにて鱧を食そうと決意したのでした。
田ごと。目前を山鉾と神輿が通る四条通・御旅町にありながら、路地の風情を誇る店であります。
そんな店で、鱧メインの特別御膳を食し、鱧祭たる祇園祭のコアを、主に舌で体感してみたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトであるために必要な挑戦なのです。
決して、また山鉾巡行ネタと鱧ネタを組み合わせ、アクセス増を狙ったわけでは、ありません。
断じて、そもそも追尾も徘徊も最早やる気が全然なくなったわけでも、ありません。

続きはこちら »

旅籠茶屋・池田屋はなの舞で、鱧の落としと鱧小鍋を食べました。もちろん、ひとりで。

2017年8月23日(水)


旅籠茶屋・池田屋はなの舞で鱧を食べました。もちろん、ひとりで。

池田屋事件が起きた夜の京都は、かなり蒸し暑かったのではないかと思ったりします。
元治元年6月5日・祇園祭の宵々山は、新暦でいえば、7月8日。正に、梅雨明け直前です。暑い。
実際、 『幕末維新京都町人日記』 によれば、事件前は雨続き。で、珠に陽が差す感じ。暑い。
で、こんな蒸し暑い盛りの京都の夜に、冷房などなく、下階では灯さえ燃えてる屋内にて、斬り合い。
しかも、何時間にも亘って、斬り合い。間欠泉の如く熱い血があちこちから吹き出す中、斬り合い。
それは一体、どういう状況なんでしょうか。血がスチーム効果を生むサウナ、みたいなもんでしょうか。
沖田総司は、持病でなく熱中症で戦線離脱したという説がありますが、暑さを思えば、さもありなん。
京都の夏を体で知る人なら、誰もが想像するだけで発狂しそうな地獄の沙汰、と言えるでしょう。
この池田屋事件、幕末日本にとっては無論、京都観光に視点を絞っても、極めて重要な事件です。
ゆえに、京都メジャースポットの単独特攻を趣旨とする当サイトとしては、スルーは許されません。
ので、池田屋の跡地たる居酒屋・池田屋はなの舞の訪問は、早い段階からずっと目論んでいました。
しかし同時に、 「訪問するなら、当日に溢れてたであろうこの暑気こそを絡めた形で」 とも思い、
現在の宵々山 = 7月15日に湿気が満ちるのを待ち続け、そのまま現在まで未訪となってたのでした。
7月15日頃の京都って、案外と涼しい場合が多いんですよね。いい感じで、風が吹いてたりして。
一般基準なら充分過ぎるくらいに地獄なんですが、京都水準的にはマシな場合が多いんですよね。
この程度の暑気では、池田屋事件のグダグダでドロドロの地獄感は、まず体感できないでしょう。
タイミングはズレても、グダグダでドロドロに暑い8月後半の方が、訪問には相応しいのではないか。
その方が、事件が持つ温度感や湿度感みたいなものに、より深い形でシンクロできるのではないか。
そんな高踏な考えに基づき、私は敢えて8月下旬の蒸し暑い日を選んで池田屋はなの舞を訪問し、
荒っぽく骨を斬り合った者達の青春に想いを馳せつつ、荒っぽい骨切りの鱧などを食ったのでした。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。幕末への体感的共鳴を目指す、挑戦なのです。
断じて、 「夏終了前に企画 『ひとり鱧』 をもう一発」 と、雑な動機で出かけたのでは、ありません。
決して、 「どうせ行くならネタになる店に」 と、邪な動機で出かけたのでも、ありません。

続きはこちら »

御食事処明日香で、鱧落としと鱧天麩羅定食を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

2017年8月3日(木)


御食事処明日香で、鱧落としと鱧天麩羅定食を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

夜に、安く鱧を味わうには、果たして何処へ行って、どうすればいいのか。
夏企画 『ひとりで食べる鱧』 復活に際し、私はこんなミッションを己に課そうと考えました。
理由は、過去の特攻が全て昼特攻だったので。あと、単に安い店もこれまでは避けていたので。
値が張ってこそ、鱧。貧乏なりに、出費による緊張感込みで夏の味覚を楽しんできたわけです。
が、復活後の 『ひとり鱧』 は、予算枠が更に緊縮。緊張感がどうとかなんて、もう言ってられません。
というわけで今回、夜の激安鱧ミッションであります。果たして何処へ行って、どうすればいいのか。
このミッション達成に当たり、まず候補へ挙げるべきなのは、居酒屋ということになるんでしょう。
京都にも、居酒屋はあります。沢山、あります。で、多くの店は夏になれば、鱧メニューを扱います。
値は当然ながらピンキリですが、無理矢理に平均を出せば、落とし単品が1000円強程度でしょうか。
予算枠的に考えれば、悪くありません。が、そもそも私、酒の場が好きじゃないんですよね。
食事をする店で、夜に安く鱧が食いたい。酒ではなく飯がメインの店で、夜に安く鱧が食いたい。
と思い、そんな条件を満たす店を探しました。 「あるわけない」 とも思いながら、探しました。
すると、すぐ見つかりました。それも、普段通る道で、見つかりました。御食事処明日香が、そうです。
こちらの明日香が建つのは、平安神宮参道・神宮道三条通の交差点という、かなりな観光地。
実際、この交差点から平安神宮までは、それこそ観光地テイストな店が林立してるわけですが、
しかし明日香は、リーズナブルなメニューが多い御食事処であり、夏にはリーズナブルに鱧も提供。
3000円どころか、2000円でもお釣りが来る形で鱧が楽しめてしまう、何とも有難い店なのであります。
私は、図書館への道中で何度も前を通りながらも、ここが鱧を出してることを知りませんでした。
が、夜の激安鱧ミッション達成を前にして、目に鱧センサーみたいなもんが宿ったのか何なのか、
店前の看板に堂々掲げられてた 「鱧」 の字に、今年になって初めて気付いた次第です。
というわけで、8月の夜、見慣れた暖簾を新たな気持ちで潜ったのでした。

続きはこちら »

山鉾が通る真下の回転鮨割烹・魚倖で、鱧づくしを食べました。もちろん、ひとりで。

2017年7月17日(月)


山鉾が通る真下の回転鮨割烹・魚倖で、鱧づくしを食べました。もちろん、ひとりで。

「鱧祭」 と呼ばれることもあるという、京都の夏の代名詞・祇園祭
無論、鱧もまた京都の夏の代名詞である為、こんな呼称が生まれるのも自然な流れでしょう。
山鉾巡行を見に来た人が、その前後の食事で旬の鱧の風味に触れることも、少なくないはずです。
「ビルに入った料亭から、山鉾を見下ろしながら、鱧を食す」 なんてことも、あるかも知れません。
正に、ベタとベタのベタなる組み合わせ。当サイトとしても、一度は試してみたい贅沢ではあります。
が、見下ろすのは、ちょっと、頂けません。山鉾を上から見下ろすのは、ちょっと、頂けません。
山鉾には、神が乗ってます。疫神の吸引こそが山鉾の本来の役目ですが、善神も色々乗ってます。
神か何かよくわからんのもありますが、とにかく何かが乗ってます。単なる山車ではないのです。
なので、上から見下ろすのはあんまり、よくないわけですね。出来ればやはり、下から見上げたい。
もし、巡行の最中に鱧を食すのであれば、鉾の車輪が軋む音を体感出来るような地平で、食いたい。
何ならその足元、いや足の下にまで潜り込み、群れ集う人々の足音まで感じながら、食いたい。
それが、礼儀ではないか。祭の本義を尊重しつつ愉悦にちゃっかり浸る他所者の、礼儀ではないか。
そう考えた当サイトは、企画 『ひとりで食べる鱧』 の一環として、地下で鱧を食することにしました。
それも、前祭・山鉾巡行の当日真っ最中、山鉾が進むその真下にて、鱧を食することにしました。
赴いた店は、回転鮨割烹・魚倖御池通の地下街に入る、その名の通りの回転寿司店であります。
御池通は御存知の通り、前祭・山鉾巡行の最終コース。正に足元にて、鱧を食うわけですね。
魚倖、回転寿司店ではありますがコースも出してて、夏場になれば鱧づくしコース3000円也も提供。
これが 『ひとりで食べる鱧』 の緊縮型新予算枠にも合致する為、今回、出かけてみたのでした。
前祭巡行当日+巡行終了直前の昼過ぎ、その真下の飯屋の混雑は、果たしてどんな感じなのか。
そして、京都といえど回転寿司は回転寿司なのか、あるいは回転寿司も京都は京都なのか。
そんなことを考えながら、 「鱧祭」 を求めて、地下へ潜ったのです。

続きはこちら »

割烹たん義で、はも丼と鴨万寿を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2017年7月6日(木)


割烹たん義で、はも丼と鴨万寿を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

『ひとりでうろつく京都』 の夏の企画 『ひとりで食べる鱧』 、めでたく復活です。
京都ベタスポットへの特攻をサイトの趣旨とするなら、ベタグルメもまた取り組むべきだと考え、
サイト開設当初は、身銭を切った積極的かつ果敢な特攻を繰り広げていた、 『ひとりで食べる鱧』 。
しかし、いくらその意図が崇高であっても、鱧を食うにはやはりそれなりに元手が掛かるのであり、
それを見越してリーズナブルな店・時期・時間を狙っても、それでもやはりそれなりに掛かるのであり、
開始早々に予算爆発で撤退を決定し、以後は川床特攻などの際に嗜む程度となってたのでした。
いや、何というか、鱧ネタといえども正直に言えば、単発の出費自体は、それほど痛くはありません。
「5000円」 と枠も設定してたし。当サイトには、宿泊や鍋など、より身銭を切るネタもありますし。
ただ、鱧ネタみたいに 「美味いもんを食う」 ことに特化したネタって、食の連鎖反応を生むんですよね。
ネタ採取の時以外でも、高価くて美味いものを思わず連鎖的に食いたくなってしまうんですよね。
我慢も出来なくはないですが、我慢したらしたで、何か凄く、淋しい気持ちになってしまうんですよね。
見てる側からすると 「知るか」 という話ですが、こういう事情もあり、鱧ネタを長く日和ってました。
しかし、やはりこれでは、いけない。サイトの趣旨的に、いけない。何より、アクセス数的に、いけない。
というわけで 『ひとりで食べる鱧』 、復活です。しばらく、連続的にやる予定です。よろしくです。
ただ、もちろん予算の方は依然として緊縮財政が続いてるので、以前の 「5000円」 枠を更に、緊縮。
「3000円プラマイ500円」 程度で、何とか鱧に辿り着き、そして京都の夏を味わおうかと思います。
で、今回赴いたのは、祇園北の割烹たん義です。祇園とは、あの祇園です。割烹とは、あの割烹です。
巽橋を始め祇園なる風情がこれでもかと溢れまくる祇園新橋、そのすぐ北にあるのが、たん義。
そんな店行ったら、3000円どころかその十倍以上掛かりそうな気がしますが、これが違うんですよ。
こちらのお店、夏の昼間は、鱧をたっぷり載せたはも丼を2000円台で出してくれるんですよね。
なので、出掛けてみました。で、名物という鴨万寿も一緒に、食べてみました。

続きはこちら »

割烹露瑚で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2013年5月31日(金)


割烹露瑚で、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

鴨川の昼床は、5月と9月しか、開いてません。
川床自体は5月初めから9月末まで、納涼の枠を越え半年近くもやってるんですが、
昼床は最初と最後の一ヶ月のみ、優雅といえばかなり優雅な営業スタイルとなってます。
何故6・7・8月に昼床の営業がないかといえば、暑いから。暑過ぎて、営業許可が出ないから
そもそもは、地獄のような盆地性暑気に満ち満ちた京都の夏をやり過ごすため、
夜の鴨川に床を張り、川風に吹かれ涼気を得る中で料理を楽しもうというのが、川床。
直射日光をガンガンと浴びまくり、食中毒のリスクに耐えながら食うようなもんではないわけです。
というわけで、夜の本格的な床は経済的にも孤独的にも敷居が高い我々独男にとって、
床の醍醐味を楽しめる機会は概ね、この一ヶ月×2に限られるわけであります。
ゆえに、この日のちょっと前には曇天を押して、あと村の昼床へ赴き籠盛弁当を食し
懸念だった鴨川床の本懐をめでたく遂げたわけですが、その5日後の5月末日が奇しくも、快晴。
いったろか。いってしもたろか。昼とはいえ、週2で、川床。いったろか。
一瞬迷ったような気もしますが、気がついたら既に、鴨川の河川敷を歩いてました。
もちろん、今回も予約など一切無し、ウロウロしと木屋町通を彷徨い歩き、
目ぼしい店へ飛び込む、ワイルドスタイルです。

続きはこちら »

京料理・梅むらへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年9月29日(木)


京料理・梅むらへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

「にらみ川床」。
それは、晩夏の京で行なわれる、密かな愉悦。
政治的無力さと、気位の高さと、吝嗇と、そしてマゾヒズムが、
「にらみ鯛」などという、食への愛と冒涜を同時に満たす放置プレイを生んだこの地に於いて、
「にらみ川床」はその放置をさらにエスカレートさせた、禁断の戯れ。
もちろんそれは、鴨川の川原から貧民よろしく床を見上げて、
「あんなもん、ぼったくりや。涼しゅうもないし、味も大したことない。見栄ばっかり張ってアホちゃうか」
などと「酸っぱい葡萄」をマニュアル通りにこなすようなものでは、ありえない。
しかるべき金銭を支払い、川床を眺めながら食事を楽しみつつ、でも一歩も足を踏み入れない。
川床を、目の前で、放置する。ただ、じっと、見るだけ。お前になんか、指1本、触れてやるか。
床は床で、そんな腐れ変態の世を拗ねた遊びを、快しとはしない。
好きでもないが、誘ってやる。引き入れてやる。吸い込んでやる。こっちへ、おいで。
9月末の床には、もはや、テーブルも何もない。全ては片付けられ、何もない。
からっぽの床には、今年ここで行なわれたであろう様々な饗宴の残り香だけが、漂っている。
その残り香から幻の酔客を生成し、床は、腐れ変態を誘う。「こっち来て、一杯どないですか」と。
誘いに乗ると、終わりだ。自分自身が、幻、残り香になって、床と一緒に片付けられてしまう。
からっぽの床と、孤独な男が、歪んだ愛と存在の駆け引きを楽しむ、「にらみ川床」。
それは、夏と秋の間に一瞬生じる魔界なのかも知れない・・・。

続きはこちら »

北野商店街の糸源へ、鱧を食べに行きました。もちろん、ひとりで。

2011年8月12日(金)


北野商店街の糸源へ、鱧を食べに行って来ました。もちろん、ひとりで。

京都の夏といえば、鱧。
というわけで、ひとりで鱧が味わえる店を探し求めるこの企画、遂に上京区へ進出です。
こちらの糸源は、かつてN電が走っていた北野商店街にある、料理屋。
N電というのは、知ってる人は知ってるでしょうが、知らない人は知らないでしょうから説明すると、
明治に京都電気鉄道・通称京電が開通させた、北野天満宮と京都駅を結ぶ路面電車です。
同時期に敷設された路線の多くが市電化されて広軌となったのに対し、
唯一狭軌(Narrow Gauge)のまま残った路線。N電の「N」は、もちろん「Narrow」の「N」。
明治のままな車輌が京の街並を走る往時の姿は、廃止からちょうど半世紀経った現在も人気が高く、
「せめてN電だけでも残ってたら、いい観光資源になったのに」と、悔やむ声も多し。
時の変遷を経て、一応「廃線跡」である堀川通は景観そのものさえ大きく変貌しまくってますが、
この北野商店街のあたりにはまだ微妙に「鉄」の匂いが残っている気がします。
特に、七本末中立売から天神さんまでのカーブとか。何か実に「廃線跡」っぽいなあ、と。
元々このあたりは北野の下の森と呼ばれる北野社の境内だったそうで、
まず鉄道が敷かれ、それにつれて道が出来、商店街が形成されたんだとか。
鉄に先導され街が出来ると、廃線後も動線とかから鉄の匂いが漂うもんなんでしょうか。
と、とりとめのない話は置いといて、糸源です。鱧です。鱧しゃぶです。

続きはこちら »

今熊野の魚市へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年8月5日(金)


今熊野の魚市へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

『ひとりで食べる鱧』、復活です。
己の財政状態を省みず鱧を食い始め、わずか2回で予算爆発&中断したこの企画ですが、
絶食してみたり、命の次に大事な動画を消してHD購入を先送りしたりすることで、奇跡の予算確保。
想定枠も5000円から3000~4000円に修正して、何とか再開にこぎつけました。
実は中断してる間、鱧ネタを続けるために「ひとりで作って食べる鱧」なんてことを試してたんですよ。
スーパーで生鱧を購入し、おとし・天ぷら・出汁・鱧寿司を見よう見まねで作り、食す、みたいな。
結果はそれはもう恐ろしいこととなり、ちょっと詳述出来ないような臭気が家に満ちたんですが、
しかしその際、鱧の生頭に直接触れる経験を持てたのは、ちょっとした収穫でした。
出汁をとるため、炙ってから肉を落として洗ってる時に感じた、あの不思議な感触。
子犬の頭骸骨を撫でてるような禽獣感と、今にも噛み付いてきそうな鋭い口先との、ギャップ。
「確かにこいつはパワー、あるな」と無条件で納得させられる何かがありました。
鱧のラディカルな魅力、食材以前の生物としての魅力とでもいいましょうか。
で、鱧のそんな魅力にとりつかれてるような気がするのが、こちらのはも料理・魚市。
鱧のレントゲン写真を展示してることで有名な店です。そう、レントゲン。骨でも拓でもなく、レントゲン。
鱧には、思わずそんなことをしてみたくなる何かがあるということなのです。

続きはこちら »

四条河原町下ルの三栄で鱧を食べました。もちろん、ひとりで。

2011年7月14日(木)


四条河原町下ルの三栄へ、鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都の夏といえば、鱧。
というわけで、貧乏独男でも京の夏を楽しもうと始めた夏季集中企画 『ひとりで食べる鱧』 。
己の財政事情を省みずに食べ歩きをスタートしたんですが、結果、あの、今回で最終回です。
最終回じゃないにしても、多分、当分、お休みです。何故って、いや、お金がなくなるから。
お金ってね、使うとなくなるもんなんですよ。御存知でしょうか。本当に不思議ですよね。
貧乏なら貧乏で、もうちょっとお手ごろな惣菜ものとかで攻めてもよかったんですが、
しかし、そういう守りの姿勢では絶対に楽しめない味覚があるのも、これまた世の真実。
特に今回の三栄、良かった。本当に、良かった。
この企画では「昼&5000円以内」の予算を想定してたんですが、こちらの御代は7000円弱。
結構なオーバーではありましたが、でも本当に、良かった。美味かった。
四条通を避けて寺町通の電器街へ行く時、団栗橋からこの店の前あたりをよく通ってましたが、
「何か渋い店」という印象しかなかっただけに、嬉しい驚きでした。
当日の朝10時頃に「ひとりで。13時半頃」と予約の電話を入れたら、OKの返事。
だったのでのこのこ出かけました。

続きはこちら »

柳家本店へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年7月10日(日)


柳家本店へ鱧を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都の夏といえば、鱧。
ですが、偽京都人の私には夏に鱧を食う習性などありません。
あ、いや、ちょっとだけ思い出はあります。幼少時、母が作ってくれた鱧の吸い物。
安物の骨だらけな鱧を、インスタントの出汁に放り込んだだけの代物。これがまあ、不味かった。
鱧大好きという関東の知人にこの話をすると
「それ!そういうのがいいんですよ」とか喜びましたが、実物を食えば閉口すること間違いなし。
本当に泣くほど不味く、それから私は鱧が嫌いになりました。
嫌いになればなるほど懐には優しい食材なので、特に困ることなく今まで生きて来ましたが、
しかし、京都の夏といえばやはり、鱧。
京都ベタスポットの単独正面突破を身上とするうちとしては、逃げるわけにはいきません。
本当にベタな老舗にはとても入れませんが、比較的庶民派な店でも美味しい鱧はあるはず。
そんな店を渡り歩く、夏季限定シリーズ 『ひとりで食べる鱧』。
予算は、5000円以内。金が続く限り続けます。次回か、下手すると今回で終了かも知れませんが。

続きはこちら »