横大路の流れ鮨三代目おとわ伏見店で鱧を食べ、鱧海道も散策しました。もちろん、ひとりで。

2021年7月19日(月)


横大路の流れ鮨三代目おとわ伏見店で鱧を食べ、鱧海道も散策しました。もちろん、ひとりで。

海の魚は、漁師 or 釣人を除く大半の人にとって、何処かから運ばれて来る食物です。
いや無論、そう極言するなら海産魚以外の大抵の食物もまた 「運ばれるもの」 なわけですが、
内陸部でも生産可能な穀物や肉よりかは、海の魚は 「運ばれる」 傾向が強いとは言えるでしょう。
そのため、物流や冷凍技術が貧弱だった近代以前の内陸部では、海産魚が珍重されました。
独自の食文化も生まれ、その多くは今も息づいてます。山梨のマグロ偏愛とかですね。
近代以前の京都もまた、純然たる海なし都市として海産魚の運輸問題に向き合ってきた街です。
海がないのに海の魚が食いたいあまり、鱧料理なる特殊な食文化を生み出したのも、御存知の通り。
骨が多いけど生命力が強い鱧を、生で運んで、食う。骨切りなる特殊な技を極めてまで、食う。
異常とも言えるこの鱧料理、京都の特性を体現するものとして、当サイトも向き合い続けてきました。
が、鱧が持つ 「運ばれるもの」 としての側面には、あまり注目して来なかったように思います。
骨切りが文化なら、運輸もまた文化ではないのか。鱧料理の一要素として注目すべきではないのか。
そんなことを考えるようになったのです。そしてそんな頃、 「鱧海道」 という言葉を知ったのです。
鱧海道。正直、地域興し的ワードではあります。が、そんな道があったのは、事実です。
京都市南部の草津湊にて水揚げされた鱧が、鳥羽街道で陸送されてた経緯を指してるわけですね。
草津湊があったのは、伏見から西へ行った横大路の西端。現代もなお運輸とは縁深いエリアです。
となれば、この横大路近辺で鱧を食せば 「運ばれるもの」 としての鱧をより体感できるのではないか。
また、運輸という要素の体感を通じて、鱧料理が持つ特殊性もより明確に認識できるかも知れない。
おまけに、横大路には三代目おとわなる回転寿司店があり、夏は鱧も出してます。これは、丁度いい。
そう思って今回、出かけたのです。御覧のトップ画像でも看板が目立つおとわに、出かけたのです。
え。エスラインギフのトラックしか見えないですって。滋賀産の飛び出し坊やしか見えないですって。
見えてるでしょ。愛知資本焼肉きんぐの彼方に、おとわの青い看板が見えてるでしょ。


横大路へ電車で行く場合、最寄駅は京阪・中書島駅。といっても、全然遠いです。バス、必須。
昔は、御覧の駅前奥のホームっぽいスペースが市電の終点バス停で、便利だったんですけどね。
もっとも私は、鱧による懐へのダメージを多少でも抑えるため、寄道しながら歩いて行こうと思います。
外は暑いけど、運輸に想いを馳せながら散策しようかなと。で、酒樽龍馬に見送られながら、出発。


此辺で運輸に想いを馳せるなら、龍馬も通った伏見港にまずは挨拶しとかなくてはいけません。
竹田街道を越す京阪の小さな鉄橋を横目に、駅の西側にある踏切を渡り、南側の港へ向かいます。
この鉄橋の下は元は京橋水路で、寺田屋が建つ京橋に繋がってました。きっと龍馬も通ったでしょう。
市電 = 京電の終点も、元は京橋。伏見界隈の中心は元来、この駅周辺よりも北にあったわけです。


とはいえ、伏見港の視覚的なシンボルと言えばやはり、港の南端に聳える三栖閘門。拝みます。
伏見城築城のため宇治川巨椋池を改造して整備され、近代まで京都の南港であり続けた、伏見港。
龍馬だってこの門を通って伏見入りしました、というのは嘘です。できたのは、昭和初頭。結構、遅い。
鉄道が開通した明治以降も伏見港は石炭輸送などでは活用され、戦時中には拡張までされたそう。


速攻で鉄道に取られそうな客輸も割と踏張り、明治の宇治川には蒸気船も就航してました。
踏張るどころか旅客数は明治期がピークで、京電も元は伏見港の上陸客が目当てで開通したとか。
ただ、そんなことを思いながら見る今の宇治川は単なる川で、無常。その先の巨椋池干拓跡も、無常。
三栖閘門から流れ出る水もあまりに少なく、高瀬舟さえ通れそうにないくらいになってるのも、無常。


その高瀬舟が京都と伏見を繋いだ高瀬川も、昭和初頭に水防優先で改造されてて、無常。
高瀬川、近代も石炭輸送で活躍したと思いきや、石炭は疏水に、敷地は京電に取られたそうですよ。
京都電燈の最初の社屋&石炭が要る火力発電所は、高瀬川の四条沿岸に建てられたんですけどね。
現在も変電所や電線が目立つ伏見港西側の河口近辺は、特にまるっと新築されてて、皮肉&無常。


こうして水運は、鉄道にその座を奪われました。が、鉄道は自動車にその座を奪われました。
伏見港から外環を西へ歩いた先では、時代の推移を体現するかの如く、第2京阪道路が威容を誇示。
現代の京阪間移動に於ける、大動脈の1本です。同時に、此地が今なお要衝であることも示してます。
下道の新堀川通もまた、トラック多し。酒処の伏見、水が良いので工場も多かったりするんですよ。


その少し西にある横大路交差点もまた、R1外環が交わる交差点であり、現代の要衝です。
様々な地から様々な地へと向かう車が大量に行き交うことで生じる、様々な文化の交流、そして融合。
その様子を、京都の不動産屋・ドリームホームと融合した滋賀名物の飛び出し坊やが、見守ってます。
三代目おとわがあるのも、この交差点の近く。到着しました。看板が見えるしょう。え、見えませんか。


しょうがないので、この交差点の地勢を明快に示すべく、荒っぽいながらも拡大してみたの図。
断じて、交差点がデカくて信号待ちの時間が長いからデジタル望遠で遊んでるわけではありません。
こうして眺めると、看板が横大路の標識と並ぶ、おとわ。草津湊ゆかりの鱧を出すのも、当然でしょう。
前の焼肉きんぐにも、負けてません。きんぐがお席で注文焼肉食べ放題であっても、負けてません。


そのお席で注文焼肉食べ放題ランチ2000円弱の誘惑を乗り越え、おとわに到着しました。
おとわ、大阪に本店がある回転寿司店です。正式名称、関西初流れ鮨・三代目おとわ伏見店。長い。
青い看板が青い空に映えてますが、一番の目印は何と言っても〇に 「さ」 が赤字で書かれたタワー。
「さ」 は、 「三代目」 の 「さ」 です。断じて、後の焼肉さかいの 「さ」 ではありません。負けてません。


私も負けずに入店しました。負けずにひとりと言うと、レーンがないカウンターに通されました。
「流れ鮨」 の 「流れ」 、レーンのことではないようです。私は決して、何にも負けてません。


でもまあ、それならそれでむしろ寿司屋っぽく粋に注文しようと思ったら、注文はタッチパネル。
画面を操作すると、季節物欄の中に鱧メニューがあったので、粋にタップ。負けてません。


で、無人のカウンターにVR大将を幻視しながら待ってると、人力で運ばれてきた、鱧ちり。


そこそこの鱧ちりを丸飲みした後は、やはりそこそこの湯引き鱧握りを、丸飲み。


湯引き鱧握りと同じ皿で運ばれてきた、やはりそこそこの炙り鱧握りも、丸飲み。


以上、横大路で鱧を食べるミッション、丸飲みで達成しました。他にも何か食っとこうかな。


と思ってほぼ気まぐれで鮎の握りを頼んだら、これが揚げた骨付きで、割と美味。


やはりほぼ気まぐれで特大何ちゃら鰻の握りを頼んだら、こっちはまたそこそこ。


もう充分と思えたので、〆に大阪・泉州名物の水茄子の握りを頼んだら、これもそこそこ。


〆たら、勘定です。支払いもパネルで無人決済、とは何故か行かずに、人力レジで現金決済。
金額は、3000円弱でした。レーンでなく人力で寿司が運ばれたことを考えると、お得かも。


レーンでなく人力で運ばれた鱧を食った以上、人力で鱧を運んだ鱧海道に行くしかありません。
ので、食後も散策を続けます。先刻の横大路交差点から外環に入り、先述通り工場が多い町を西へ。
此辺、鼓月大安とかの工場もあり、寺田屋前で雅におかき売ってる小倉山荘物流センターもあり。
雅な和菓子千枚漬無撰別を積んでるかは不明ですが、外環、トラックが荒々しく爆走してます。


外環をさらに西進すると、旧京阪国道との交差点でやはり多くのトラックが荒々しく爆走してます。
交差点の先には、近年開通した新しい羽束師橋の高架が伸びてますが、トラックで時折見えません。
あの高架が渡ってるのは、桂川。渡った先は羽束師エリアであり、つまりあそこが横大路の西端です。
そう、あの高架橋の下が、草津湊なのです。かつて鱧が水揚げされてた草津湊が、あそこなのです。


その高架の下を西進し、横大路の氏神・田中神社の御旅所が旧道を見守る街道町に、着きました。
草津湊、到着です。現地名、京都市伏見区横大路草津町。旧地名、横大路村草津。遂に着きました。
画面左を走る旧道は、千本通。そしてもちろん、羅城門へ続くこの千本通 = 鳥羽作道こそが、鱧海道。
此道をかつて、褌一丁で魚を担ぐ 「走り」 = 仲仕が、 「ホウホウ」 と言いながら走ってたわけですね。


「走り」 の走りっぷりは、拾遺都名所図会で確認できます。正に、褌一丁。そして、魚の量が凄い。
魚は摂津・播州・泉州・紀州・阿波などから届き、此処から洛中の市場、また御所にも運ばれたとか。
「走り」 の元締たる問屋 = 魚荷附も、金を升で掬う勢いで儲けまくり、伏見の京橋と栄華を競いまくり。
外環&旧国道の交差点近くにある田中神社本社には、魚荷附の奉納灯籠が今も残ってたりします。


灯籠も気前良く奉納できた富の源泉たる湊、その本丸を、桂川から拝ませてもらいましょうか。
魚などの荷を積み川を徹夜で遡上して来た三十石船が、百隻単位で日々入湊してたという、草津湊。
此処より上流は川底が浅くなるため、百石船といった大型船のターミナルにもなってたという、草津湊。
堤防に立つと、そんな昔の栄華が幻視できるかといえば、無理です。羽束師橋の二重橋、邪魔です。


橋下を流れる水の豊かさは、昔と変わらないんでしょうけど。草津湊、象の上陸にも使われたとか。
あともちろん、此処や鳥羽は都から海に最も近い湊であるため、平安時代には貴族の発出地でした。
高倉上皇が厳島神社参拝で通ったのが、此辺。また、崇徳上皇菅原道真が都落ちしたのも、此辺。
伏見城築城に伴って伏見に交通が集約される前は、此辺こそが京都のメインゲートだったわけです。


メインゲートの変更は、最速で朝廷へリーチできる湊と西国大名を離すためとも言われてます。
ともかく、おかげで近世の草津湊は足の速い鮮魚などの取扱に特化。魚市場で大儲けとなりました。
堤防には、市場跡の碑もあり。鉄道開通後に京都駅前へ移転した魚荷附の子孫が、建てたものです。
その名も、魚魂碑。此辺が 「浪速より平安に通ずるの要衝」 とか色々書かれてますが、読みにくい。


と思ったら、読みやすい解説板がありました。魚荷附、中央市場のルーツに当たるそうですよ。
確かに碑の傍には、中央市場の奉納玉垣あり。中央市場から生まれた京都中信の奉納玉垣もあり。
板にはまた、鉄道開通後の湊は徐々に寂れ、農村地区へ姿を変えて行ったとも書かれてます。無常。
あと、現在の碑は2代目であり、崩壊した初代は半世紀以上放置されてたとも書かれてます。無情。


それだけ草津湊は実用的な湊であり、用がなくなれば忘れられた、という話なのかも知れません。
石碑には、 「往時を夢想するものなきに至れり」 「遺跡の湮滅せんことを憂ひ」 と書かれてましたが、
碑ができた大正の時点で湮滅してた遺跡、現在はもっと湮滅し、改めて見る桂川はしみじみ単なる川。
二重橋が背景にないと、余計に単なる川です。下に降りると、何か別の世界が見えたりするのかな。


で、降りたら、二条城に使われ損なった残念石が転がってるだけで、特に何も見えんの図。
残念石、まるで墓標みたいです。また、その傍に立つ残念石の案内板は、まるで卒塔婆みたいです。
魚魂碑が魚市場の墓なら、こちらは中世までのメインゲートとしての草津湊の墓という感じでしょうか。
時代の要請や交通の主役が変わる中、見失った存在意義。時代が逆行することは、ないんでしょう。


とはいえ、自動車が今後も交通の主役のままとは限らないのも、最近の技術革新が示す通り。
殺伐なまでに実用的な要衝であり続ける横大路も、車が消えて姿を変える可能性は、充分あります。
そんな未来、草津湊は意外に新たな顔を見せ、新たな食文化さえ生み出したりするかも知れません。
とか適当なことを考えながら二重橋で陽宿りしてると、UberEatsの兄ちゃんが川を渡って行きました。

三代目おとわ伏見店、この日の客は家族連れがメイン。
といっても、小さい子が走り回る感じではなく、中高年の家族連れが多い感じというか。
客層はごく普通であり、特にサウス感があるとかロードサイド感があるわけでもありません。
ひとりでも、そこそこ居心地が良い回転寿司店とは言えるんじゃないでしょうか。

「本気で鱧を食べに行く店か」 と訊かれると、正直かなり微妙です。
とはいえ、全体として味はそこそこのレベルを保っており、中でも鮎の握り良い感じでした。
運輸めぐりや鱧海道めぐりのついでに立ち寄り、鱧を実食する場としては、良い感じと思います。
トータルで考えると、ひとりに向いてる度は★★★★くらいではないかと。
あ、でも一応行っときますが、真夏の横大路を徘徊すると危険なくらい暑いですよ。

そんな流れ鮨三代目おとわ伏見店の、鱧。
好きな人と食べると、より横大路なんでしょう。
でも、ひとりで食べても、横大路です。


 
 
 
 
 
 
流れ鮨三代目おとわ伏見店
京都市伏見区横大路芝生34
平日 11:00~15:00 17:00~22:00
土日祝 11:00~22:00

京都市バス 横大路下車 徒歩約2分
京阪電車 中書島駅下車 徒歩約20分

流れ鮨三代目おとわ – 公式