京都御所 - ひとりでうろつく京都 (β版)

2013年の時代祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年10月22日(火)


2013年の時代祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

時代祭。言うまでもなく、京都三大祭のひとつであります。
しかしこの祭、他の二祭と比べると始まったのが明治の中頃と、割に最近です。
東京遷都で衰退した京都は、振興策として明治28年に 『平安遷都千百年紀念祭』 を開催。
紀念殿として、5/8サイズの平安京大内裏レプリカを、当時田んぼだらけの岡崎に建設しました。
首都の座を実質失っていた江戸時代でも、かろうじてプライドは担保してくれていた天皇を遂に失い、
思わずアイデンティティを平安時代に求めてしまった京都人は、その小さいレプリカを、神社化。
祭神は、平安遷都を成した桓武天皇と、京都最後の天皇である孝明天皇。氏子は、京都市民全員。
例大祭の日は、平安遷都の日・10月22日と決められました。平安神宮&時代祭の始まりです。
延暦時代から明治維新までの各時代の装束で都大路を練り歩く時代祭名物・時代行列も、
初回こそ完全なる客寄せコスプレイベントでしたが、恒例化して回を重ねる内にラインナップも拡充。
市域の拡大につれて徴員される人が増えたり、花街から芸妓さん呼んで婦人列を新設したり、
「逆賊」 扱いの足利将軍が開催100年目にしてようやく参加を許されたりながら、現在に至ってます。
と、まともにイントロ書くのが面倒臭くなったので、思わず2011年度分をリライトしましたが、
とにかく京都市が誇る一大コスプレ・ヒストリカル・パレードである時代祭の追尾、2013年度版です。
2011年も全行程4.5キロを追っかけたのに、何故もう一度追尾することにしたかといえば、
伝統を死守してるようで実は日々刻々と変化し続ける京都の 「今」 を捉えるため、ではありません。
2011年度が、雨天順延&写真が酷かったので、22日でリトライしたかっただけであります。
当然ながら今回も、行列の全行程4.5キロを、追尾。行列から少しずつ遅れながら徒歩で、追尾。
「動く歴史絵巻」 が凡庸な地方都市を進む絵面ばっかりで、また全時代を網羅してみました。
ビルや車や通行人などを背景ボカシの彼方へ抹殺して偽造した 「雅」 さではなく、
「雅」 さが普通の街中に転がる京都のストレンジさ、改めて御堪能下さい。

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時代祭の神幸列を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年10月23日(日)


時代祭の神幸列を見に行ってきました。もちろん、ひとりで。

コスプレパレードと揶揄されがちな時代祭ではありますが、
行列の最後列には、平安神宮の祭神・桓武天皇&孝明天皇の御輿がしっかりとついてます。
たとえ明治時代に行われた第一回目が純然たる集客イベントの純然たる余興であったとしても、
現在の時代祭は天皇の御霊をいただく、れっきとした神社のれっきとした祭りというわけです。
その時代行列、ご存知のとおりスタート地点は平安神宮ではなく、京都御所。
で、これも言うまでもないことですが、時代祭は京都御所の祭ではありません。
つまり、あの行列は「神霊が御所へおいでになり、神宮へ帰る」という、還幸にあたります。
還幸があるなら、本来は神幸も、あるはず。いわゆる「おいで」が、あるはず。
「ええ加減にせえ」と交通渋滞にブチ切れる市民を考慮して省略したのかと思いたくなりますが、
実際には時代祭においても、神幸はしっかり行われてます。祭の当日、午前中に。
それも、稲荷祭みたいにトラックへ神輿を載せてピャーっと運んでしまうようなものではなく、
ちゃんと人力で御鳳輦を押し、えっちらおっちらと御所まで運ぶスタイルで。
三大祭のひとつでありながら、葵祭&祇園祭に比べると、もうひとつ盛り上がりに欠ける、時代祭。
でも、やることは、やってるのです。で、やることやっても、やっぱり、盛り上がらないのです。
その辺の温度感が、ある意味本編よりも如実に感じられる、神幸列。
行った動機は本編スタートまでの暇つぶしでyはありましたが、とにかく見てきました。

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時代祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年10月23日(日)


時代祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

時代祭。
言うまでもなく、葵祭および祇園祭と並ぶ、京都三大祭のひとつであります。
が、御存知の方も多いでしょうがこの祭、始まったのは明治の中頃と、割に最近です。
東京遷都で衰退した京都は、地域振興として明治28年に 『平安遷都千百年紀念祭』 を開催。
紀念殿として、5/8サイズの平安京大内裏レプリカが、当時田んぼだらけの岡崎に建設されました。
江戸時代でもかろうじて都の誇りだけは担保してくれていた天皇を遂に失い、
思わずアイデンティティを平安時代に求めてしまった京都人は、その小さいレプリカを、神社化。
祭神は京都への遷都を成した桓武天皇、氏子は京都市民全員、
例大祭は平安遷都の日である10月22日と決められました。平安神宮と時代祭の始まりです。
延暦時代から明治維新までの各時代の装束で都大路を練り歩く時代祭名物・時代行列も、
初回こそ単たる客寄せコスプレイベントでしたが、恒例化&ラインナップも拡充。
市域の拡大につれて徴員される人が増えたり、花街から芸妓さん呼んで婦人列を新設したり、
「逆賊」足利将軍が開催100年目にして参加を許されたりながら、現在に至ってます。
そんな時代祭、御所や平安神宮応天門前で見るのが堅気の楽しみ方ですが、
私は行列と一緒に歩いてみました。全行程4.5キロを、行列から少しずつ遅れて歩いてみました。
「動く歴史絵巻」を、普通の街中を進む絵面ばかりで、全時代、網羅してみようかなと。
ビルや車や通行人などを背景ボカシの彼方へ抹殺して捏造された「雅」さではなく、
「雅」さが普通の街中に転がる京都のストレンジさこそを、感じてもらおうかなと。
曜日問わず22日固定で開催される時代祭ですが、今年は天候不良により、23日に順延。
2011年は、奇しくも三大祭の全てが日曜に開催される年となりました。

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葵祭・路頭の儀を追尾してみました。もちろん、ひとりで。 (1)

2011年5月15日(日)

御所の斎王代
葵祭・路頭の儀をフルで追尾してみました。もちろん、ひとりで。

葵祭。言うまでもなく、京都三大祭のひとつです。
夏の祇園祭、秋の時代祭と並んで、春の京都の重要な観光資源でございます。
本名、賀茂祭。上賀茂神社と下鴨神社、両賀茂社の例祭であり、
私の地元の石清水祭・奈良の春日祭と共に、勅使が派遣される三大勅祭のひとつでもあります。
そもそも京に於いて「祭」といえばこの賀茂祭のみを指したくらい、その重要性は高く、歴史も長し。
平安遷都以前から「猪殺して乱闘しまくり」の喧嘩祭として、何度も禁制食らうほどの大盛り上がり。
遷都以降は賀茂社の王城鎮護指定を受け、勅祭化。また都の祭として、洗練化。
特に、御所から社までを天皇の使い・勅使とその行列が華麗な姿で行進する路頭の儀は、
雅な姿がさながらファッションショーの如き人気を呼び、見物人の場所取りで諍いが起こるほどに。
以後、応仁の乱でしばらく途絶したり、明治維新や第二次大戦などによる中断を挟みつつも、
そのたびに何とか復興、戦後は斎王代も導入し、一貫して京の「祭」であり続けてます。
流鏑馬神事・歩射神事・競馬会神事・御阿礼神事・そして御影祭などなど、
単体でも集客力のある神事が並ぶ葵祭ですが、一番の客寄せパンダはもちろん、この路頭の儀。
新緑眩しい都大路に華麗なる王朝絵巻を再現する、全長1キロもの日雇いバイトのコスプレ行列。
しかし着ている衣装は全部本物、下手すると着てる人間より高価だったりするので、あなどれません。
そんな路頭の儀、スタートの御所からゴールの上賀茂神社までは実に8kmに及びますが、
最初から最後まで、徒歩のみで追いかけてみました。何故って、暇だし・・・。

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