2016年1月20日(水)

くらま温泉へ行ってミニぼたん鍋と入浴セットを堪能してきました。もちろん、ひとりで。
猪の生息北限が秋田の辺りだということを、私はつい最近まで知りませんでした。
「北海道の雪深い中をバンバカ走り回ってる」 みたいなイメージを勝手に抱いてたんですが、
考えてみれば猪の脚というのはかなり短いのであり、あんな脚で雪山を駆け回ることは出来ません。
それゆえなのかどうなのか、猪の生息エリアは、比較的温暖なる西日本がメインになるんだとか。
京都的には 「北の方からやって来る、冬の味覚」 としてインプリンティングされてる猪ですが、
実際には特に 「北から来る生物」 というわけではなく、また 「寒冷地の生物」 でもないわけです。
では、その猪が何故冬によく食われるかといえば、それはやはり、単に冬に食うと旨いからでしょう。
臭みを消す為に編み出された味噌鍋という食い方が、冬の食と相性が良いのはもちろんですし、
単純に肉質自体も冬が一番良好であり、おまけに発熱効果まで持ってるのだから、たまりません。
要は、極めて人間本位な理由により 「冬の味覚」 ということになってるわけですね、猪は。
京都に於ける猪食の場合、この味的理由と共に、手軽に野趣が楽しめるという利点も加わります。
街を出てちょっと走ると、そこはもう、それこそ猪が走り回ってても何の不思議がない森林。
雪が降る日なんかは、白く染まった樹々を眺めて 「鄙」 の風情を楽しみながらぼたん鍋をつつき、
更には雪が降る中で露天風呂なんかも堪能したりすると、これはもう、極楽が極まるわけです。
そんなとことん人間本位な京都に於ける猪食の実態を、当サイトはより体感的に検証しようと考えて、
「温泉も必ず入る」 という絶対条件付きで企画 「ひとりで食べる京都のぼたん鍋」 を開始しました。
で、聖夜@大原温泉・大原の里に続く第2弾として今回食ったのが、くらま温泉のミニぼたん鍋。
くらま温泉。その名が示す通り、市街地から数10分で行ける鞍馬に湧き出る天然温泉であります。
温泉資源が貧弱な京都にあって、至近&手軽に湯&風情が楽しめることで人気の温浴施設ですが、
食堂も完備され、冬になればミニぼたん鍋+温泉入り放題+休憩室居放題のセットも提供。
で、そんなとことん極楽なセットを、大雪の日に時間が出来たので貪ってきました。
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2016年1月1日(金)

2016年への年越しを、京都帝釈天で迎えました。もちろん、ひとりで。
除夜の鐘を、108つ全部、撞きたい。そんな欲求に駆られるようになりました。
駆られるようになったのは、このサイトで阿呆な年越しネタをやらかすようになってからです。
あちこちの寺社へ忍び込み、鐘難民化したり撞けず終いに終わったりしてきた、当サイトの年越し。
そして、当然ながら地元の人に対して遠慮し、鐘の行列は最後の方へ並んできた、他所者の私。
毎年毎年、一歩も二歩も引いた状態で、こっそりと、ひっそりと、除夜の鐘を撞き続けてきたのでした。
2015年は遠慮不要であるはずの地元・八幡で年を越しましたが、しかし私はやはり、移民の子。
心の何処かで遠慮は、消えません。というか多分、行列がある限り遠慮する気持ちは、消えません。
こういう場に於いて独男というのは、本質的に気まずいものなのです。その気まずさは、忘れたくない。
しかし、それでも除夜の鐘は、撞きたい。いや、むしろ、何ならだからこそ、除夜の鐘は、撞きたい。
気兼ねなく鐘を撞いて、厄を祓いたい。108つの鐘を全て自分で撞いて、煩悩を全て吹き飛ばしたい。
阿呆な遠慮を延々と重ね続けた末に、私は、こんな阿呆な欲求に駆られるようになったのでした。
遠慮を大事にするあまりに正気を見失ったこの欲求、京都で実現する方法はいくつか考えられます。
ひとつは、寺の住職となり、鐘を独占すること。もうひとつは、自分の家に鐘を設置して、撞くこと。
そして、最も実現性が高くて尚且つ正気も保てる方法は、南丹市の京都帝釈天へ行くことです。
京都帝釈天。名が示す通り、京都の帝釈天でございます。立地的には 「府」 の帝釈天となりますが。
帝釈天というのは、言うまでもなく 「生まれも育ちも葛飾柴又」 というあれで有名な、あの帝釈天。
京都にもあるんですよ、帝釈天。もちろん、庚申信仰もあるんですよ。更には、猿崇拝もあるんですよ。
780年に和気清麻呂によって丹波・紫雲山の中腹へ創建され、天長年間には空海が伽藍を整備、
中世は神護寺末の小倉寺として存続、近世以降は庚申信仰で庶民から慕われてるお堂であります。
そんな京都帝釈天、90年代に入ると、700mの坂道参道へ108つのミニ鐘 「願いの鐘」 を設置。
で、年越しの際は、夜通しでオープン。鐘を撞きながら参道を進み、お参りすることが出来るのです。
そう、除夜の鐘を全部、撞くことが出来るのです。108つを全部、自分で撞くことが出来るのです。
おまけに、迎える2016年は、サル年。猿崇拝もある庚申スポットとしては、正に当たり年となります。
ついでに、このお堂がある南丹市船枝は、私の本籍地の隣。いわば、真の地元であります。
これはもう、遠慮なく鐘を撞きまくれる。そう思い、南丹市まで行ってきました。
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