長楽寺へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

2017年11月27日(月)


長楽寺へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

祇園の東の奥に建つ、長楽寺。紅葉で大々的に有名な寺、というわけではありません。
伝教大師により創建されたとされ、天皇即位時のみ開帳する本尊を頂くと共に深い帰依も受け、
建礼門院の出家伝説、重文・一遍上人像相阿弥作庭の庭、また頼山陽の墓地も持つ、長楽寺。
名刹であります。 「紅葉があるかないか」 といった些末なことなど言うべきでない、名刹であります。
が、紅葉があるかないかで言えば、あまりありません。ないこともないですが、あまりありません。
11月になると出回る紅葉情報に名前が出る程度にはありますが、規模やボリュームは割と大人しめ。
手前に拡がる円山公園の紅葉が、人気的もボリューム的も凄いので、余計大人しく見えたりします。
相阿弥作の庭のビジュアルは、トップ絵の如く、実に映えるもの。ただ、規模はやはり、大人しめ。
収蔵品を含め、見所そのものはあくまでも多い名刹です。が、紅葉に話を限れば、どうにも大人しめ。
行ったけどあまり気乗りがしなかった他のスポット同様、記事化をスルーしようかとさえ思いました。
では何故、今こうして記事にしてるのか。それは、大人しめな紅葉の大人しめさゆえ、です。
先述通り、長楽寺は円山公園の奥にあります。で、円山公園は公共公園なので、無料で入れます。
で、これまた先述通り、円山公園の紅葉は中々なものなので、紅葉シーズンには人だらけとなります。
凡庸な民のエゴを膨脹させるスマホやSNSといったものがなかった頃も、充分人だらけでしたが、
これら悪器の登場、そして某国人の皆様が押し寄せて以降は、前後不覚の輩が溢れる巷へと変化。
地獄です。で、同志の方がそんな地獄を歩む際に、オアシスとして長楽寺を考えてみて欲しいのです。
長楽寺は、紅葉が大人しめな分、客数は少なめです。ので、オアシスとしては、良い所なのです。
無論これは、極めて失礼な言い方です。が、実際問題、客は少なめです。ので、オアシスなのです。
公園から響く猿の如き嬌声を幽かに聴きながら、大人しめの紅葉を、大人としてひっそりと楽しむ。
そんな京都の愉悦を、提案したい。というわけで、長楽寺です。紅葉が少なくても、長楽寺です。
決して、やや高価い拝観料の元を取るべく、無理めに記事化してるのではありません。

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大原野神社へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

2017年11月24日(金)


大原野神社へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

大原野神社。京都の大原野というエリアにある神社です。わかりやすい名前です。
「だから、その大原野というのが何処だ」 という疑問さえ抱かなければ、わかりやすい名前です。
場所は、京都のほぼ西の端の辺。 「京都大原三千院」 で有名な大原の辺では、断じてありません。
大原があるのは東北方面の果ての辺なので、むしろかなり、逆。真逆方向とさえ言えるでしょうか。
もし、どっちかをどっちかに間違えて出掛けたら、その日一日が潰れかねないほど、離れてます。
「そんなもん間違えるか」 という話ですが、ただバスしか公共の足がない点は、大原も大原野も同じ。
恋に疲れた女がひとり、 「バスでしか行けない」 という前情報と 「大原」 という言葉に幻惑されて、
何となくバスに乗ったら筍の直売所の前で降ろされた、なんてこともあったりするのかも知れません。
もっとも、バスでしか行けないくらい奥座敷的な場所ゆえに、自然が豊かなことでも両者は同様。
間違えたのが秋なら、むしろ間違えた自分を誉めたくなるような紅葉に、きっと出会えることでしょう。
で、そんな大原野に建つ、大原野神社。本来は、こんなふざけた紹介など許されない社です。
プレ平安京たる長岡京への遷都の際、桓武天皇が鷹狩を楽しんだ風光明媚の地・大原野に於いて、
国家鎮護を担うべく、藤原氏の氏神・春日大社の神霊を勧請する形で創建された、大原野神社。
こうした創建の由緒が示す通り、京都にあって 「京都以前」 のエッセンスを強く持つ古社であります。
平安遷都後も無論、藤原氏は娘が生まれる度に祈願を行い、朝廷も二十二社として奉幣を継続。
その雅なる様は紫式部にも愛され、 『源氏物語』 第29帖 「行幸」 に於いても描かれている通りです。
現代に入ると、周囲に増えた宅地住民の氏神的存在となりますが、まだまだ自然そのものも多く、
市内中心部 or 郊外 or 府下とは一味違う、このエリア独特のおおらかな美景を見せてくれてます。
そんな大原野神社、千眼桜や睡蓮、また名産・筍と、自然的には春 or 夏のイメージが強いですが、
「千世までも 心してふけ もみじ葉を 神もをしほの 山おろしの風」 で知られる通り、紅葉も名物
なので、その紅葉を拝むべく、出掛けてみました。もちろん、大原とは間違えずに。

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永楽屋本店・喫茶室で、栗ぜんざいと和の芋栗パフェを食べました。もちろん、ひとりで。

2017年11月9日(木)


永楽屋本店・喫茶室で、栗ぜんざいと和の芋栗パフェを食べました。もちろん、ひとりで。

ニュースとかで 「京都で最も地価が高い所」 と出てくるのは、概ね、四条河原町です。
実際、華やかな店が並び阪急の地下ターミナルもあり、文字通り繁華街である、四条河原町
のみならず、祇園祭・山鉾巡行の辻回しコーナーとしてもその存在を誇ってきた、四条河原町。
おけいはんの民たる私にとっても、電車を降りて最初に 「街」 を体感するのは間違いなくここですし、
一般的な都市と比べたら大したことがないとはいえ、当然ながらビルもバカスカと建ってます。
ではこの四条河原町、地価を反映して高層ビルだらけの所かといえば、案外、そうでもありません。
低層な建物の店も、割と残ってます。小じんまりとした和菓子店が、妙に目についたりします。
もちろん、周囲がビルだらけだからこそ、この低層&和菓子は目立つというだけな話なんですが、
しかし、街中でこうした景観を目にして、ある種の癒やし or ほっこり感を感じてる人は、多いでしょう。
そんな和菓子屋の店先に、季節の甘味の看板でも出てたら、誰もが立ち寄りたくなるものです。
で、こうしたほっこり感、この界隈でより強く放ってるのが、永楽屋本店ではないでしょうか。
四条河原町交差点を少し北上した東側にあり、 「京のあまからや」 として親しまれる、永楽屋。
綽名が示す通り、佃煮 「一と口椎茸」 と和菓子 「琥珀」 を名物とする、両刀 or 両党な店であります。
その建物は、ビルの真隣にありながら、和風2階建て。で、2階には、甘味に絞った喫茶室もあり。
で、その喫茶室は11月になると、秋冬季限定メニューとして栗ぜんざいを出し始めるんですよ。
栗の形らしき可愛い陶器の中に、ほくほくの栗餡が入り、その中で小餅が浮いている、栗ぜんざい。
秋口にその看板を見る度、私は強いほっこり感を覚え、そして食いたいと思ってたんですよね。
なので今回、その栗ぜんざいを食べに行ってみました。で、ついでに、芋栗パフェも食べてみました。
さらについでに、秋の四条河原町を散策し、全然ほっこりしてない雰囲気も堪能してみました。
さらにさらについでに、栗に因んで、栗色 = マルーンが売りの阪急地下も、うろついてみました。
風情があるようなないような、ないようなあるような、 「街」 の秋を感じてみて下さい。

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からふね屋珈琲・三条本店で、かぼちゃパフェを食べまくりました。もちろん、ひとりで。

2017年10月31日(火)


からふね屋珈琲・三条本店で、かぼちゃパフェを食べまくりました。もちろん、ひとりで。

京都にも 「ひとり」 にも全く関係ない話で恐縮なんですが、私はかぼちゃが大好きです。
煮物にしても、天ぷらにしても、ポタージュにしても、実に美味いコクと甘味を生み出す、かぼちゃ。
ホクホクの身が生む多幸感はもちろん、煮込んだ皮が生む食感もこれまた堪らない、かぼちゃ。
かぼちゃがゲル汁化するまで煮込んだほうとうは特に好きで、よく作ってます。とにかく、大好きです。
ので、昨今隆盛を誇るハロウィンが 「かぼちゃを食う日」 とならないのが、私には我慢出来ません。
くり貫いたかぼちゃの面を餓鬼が被り、 「Trick or Treat」 とか抜かしながら走り回る西欧圏の秋祭が、
イベント過疎期の間隙を埋める仮装群集バカ騒ぎ日に化けて定着しつつある、日本のハロウィン。
無論、こんな野合で習合な現象そのものは、どうでもいいことです。日本人は常に、こんなもんです。
私は、かぼちゃを推すこの千載一遇のチャンスに大人しく構えてるかぼちゃ界が、歯痒いのです。
パンプキン何ちゃらを売る洋菓子店などは、もちろん、今も沢山あります。が、正直、全然物足りない。
もっとこう、がっつりかぼちゃの食感を楽しむ機会が、ハロウィンにあってもいいのではないか。
このままだとかぼちゃは、骨抜きどころか、身まで抜かれたオブジェ扱いになってしまうのではないか。
かぼちゃ者としてそんな危惧を感じた私は、当サイトでのハロウィン企画勃興を決意したのでした。
京都には実は、年中かぼちゃを食いまくれる喫茶店が存在します。からふね屋喫茶店が、そうです。
京都&関西に展開してる喫茶店チェーン、からふね屋喫茶店多彩なパフェでも、知られてます。
で、このパフェが、ベジタブルメニューも過剰に充実してて、かぼちゃ系のメニューもまた過剰に多彩。
で、このかぼちゃパフェを食いまくることで、ハロウィンを 「かぼちゃを食う日」 化する計画を遂行し、
また同時に、ハロウィン当日の夜に於ける京都の繁華街の雰囲気もお伝えしよう、と考えたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。かぼちゃ界へ向けて新たな提言を行う為の、挑戦なのです。
決して、何かハロウィンネタでもやってみるかと雑な邪念に基づき出かけたわけでは、ありません。
断じて、ネタ採取をまた忘れ、月末の夜になって適当に出かけたわけでも、ありません。

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新旧・東海道を歩いて大乗寺へ酔芙蓉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2017年9月29日(金)


新旧・東海道を歩いて大乗寺へ酔芙蓉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

9月。それは、夏の終わりと秋の始まりが出会い、そして交錯する、季節の境目。
熱気を忘れるには未だ気怠く、狂騒へ酔うには余りにも切ない、いわば暑と涼の逢魔が時。
実に、境界的であります。寒季と暖季の狭間で桜が咲き狂う4月と同様、実に、境界的であります。
となれば、境界のアカデミックな探求を裏テーマとする当サイト 『ひとりでうろつく京都』 としては、
4月に桜を追いかけ右往左往するのと同様、9月にもまた、花を求めて右往左往すべきなんでしょう。
しかし、当サイトではこれまで、9月に花を追いかけるようなネタ展開は、全く行ってませんでした。
うち的には9月といえば、石清水祭なんですよね。地元・石清水八幡宮の、石清水祭なんですよね。
流民の子である私は別に何も関わってないんですけど、でも、積極的に推したくはあるですよね。
ただ、奇怪なコンセプトの孤独なチンピラサイトとはいえ、一応は京都サイトであると名乗ってる以上、
京都かどうかもよくわからんエリアの祭ばかり推しまくるのも、それはそれでどうかという話です。
境界の探求の面でも、9月に於ける境界的な花ネタ、もう少しやった方が良いのではないか。
そう考えた私は、今回、9月に咲く不思議な花・酔芙蓉を観に、大乗寺へ行くことにしたのでした。
大乗寺。法華宗・大乗寺。蹴上から東山を超えた山科区の日ノ岡の辺、旧東海道沿いにある寺です。
元は西ノ京あたりの本能寺末寺&尼寺だったそうですが、建物が傷んだ為、近年になって移転。
最近は、寄贈されたという酔芙蓉の生育が良く、 「酔芙蓉の寺」 としても知られるようになってます。
この酔芙蓉は、酒酔の如く朝から夕にかけて紅潮していく花。正に、境界を体現してる花でしょう。
そんな花を観に出掛け、どうせならと新旧・東海道の街道歩き+魔境・九条山の徒歩越境も敢行し、
夏と秋、素面と泥酔、新と旧、洛中と洛外、そして生と死の境界を、しかと見据えてみたのでした。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。境界の探求を更に深化させる為の、挑戦なのです。
決して、9月のネタ採取を忘れ、月末になって慌てて適当に出掛けたわけでは、ありません。
断じて、花だけだとネタが足りんと思って街道歩きを足したわけでも、ありません。

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鷺森神社へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

2016年11月25日(金)


鷺森神社へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

紅葉の季節が終わる度に、何故か持ち金が減ってることに、気が付いたりします。
よくよく考えると、不思議なことはありません。金が減るのは、当然、その分を使ったからです。
紅葉を観に入った寺の拝観料とか、そこへの移動費とか、多少の飲食費とかで、使ったからです。
一件ごとに見れば、小銭の範疇でしょう。実際、紅葉徘徊の最中も、散財の自覚はありません。
が、使ってる、確実に。で、減っていく、確実に。この 「使」 と 「減」 が10件とかになれば、どうなるか。
ここ数年の当サイトに於ける紅葉記事は、年3~4本というしょぼいペースのアップになってますが、
実は記事化してない訪問も結構あって、結局は毎年毎年10件近くは紅葉を拝みに行ってたりします。
なので、トータルの出費は、そこそこの額になるわけですね。で、毎年、財布を見て驚くわけですね。
ただ、さらによくよく考えるとこうした出費、旅行者の方はもっとエグい形で味わってるわけですよ。
私が1~2週間で使う額を、下手すると1日で使う場合も、充分想定できます。これは確かに、キツい。
拝観受付とかで 「また金か」 とボヤく観光客を見る度に、私は 「小銭だろ」 とか思ってしまうんですが、
そこへ至るまでに同様の小銭を何度も払って来たなら、ボヤきたくなるのも人情としては普通です。
さらにさらによくよく考えれば、ひとり客であるがゆえに、連れ相手にボヤきを漏らすことも出来ず、
キツさを噛み殺して、じっと出費に耐えてる同志の方も、かなりの規模で存在するのかも知れません。
大変です。さらにさらにさらによくよく考えると、何が大変かよくわからなくなりますが、でも大変です。
なので、そんな出費疲れを癒やしてくれる紅葉も紹介すべく、今回、鷺森神社へ出かけてみました。
鷺森神社修学院離宮の近くにあって、修学院&山端エリアの氏神として信仰されてる社であります。
と同時に、現・修学院離宮の地から移転する為、霊元天皇より現社地を下賜された社でもあります。
アーシーなる信仰とロイヤルなる由緒を併せ持つ、実に市井の京都らしい社とも言える神社でしょう。
そんな鷺森神社、ロイヤルな社地ゆえか参道が大きく、道沿いの樹々は秋になれば実に紅化。
参道自体はコンクリ丸出しの殺風景な代物である為か、所謂 「穴場」 化は今も左程してませんが、
写真の写りは妙に良く、無料で拝める紅葉としては破格のクオリティを誇るものだと思います。
そんな鷺森神社の紅葉、拝観料のみならず交通費もケチって観に行ってみました。

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広隆寺へ紅葉と聖徳太子御火焚祭と宝冠弥勒を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年11月22日(火)


広隆寺へ紅葉と聖徳太子御火焚祭と宝冠弥勒を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「作りましょう。1日も早く、この仏像たちの町を (怪奇大作戦 『京都買います』 )」 と、
『京都買います』 のヒロイン・美弥子のように秦河勝が切々と語ったかどうかはわかりませんが、
とにかくその河勝が、聖徳太子より美しき仏像を得たことで、太秦・広隆寺の歴史は始まりました。
土木や養蚕などの技術を日本へ持ち込み、平安遷都以前の京都も開発した、渡来氏族・秦氏
その族長的存在であり、現在の太秦の辺を本拠地としながら、聖徳太子にも仕えて活躍した、河勝
側近としての活躍が評価されたのか、太子からは仏像も授かり、それを祀るべく河勝は寺を建立。
それが、広隆寺であります。創建の経緯については諸説ありますが、とにかく広隆寺であります。
太子より授かったとされる弥勒菩薩半跏思惟像 aka 宝冠弥勒は、国宝第1号として無論有名であり、
また本尊・聖徳太子立像は、天皇より贈られた黄櫨染御袍を着せる習わしが、現在に至るも継続。
実に、ロイヤルな寺なのです。由緒もロイヤル、寺宝もロイヤル、古習もロイヤルな寺なのです。
が、実際に行って受ける印象は、そうでもないんですよね。何か、アーシーな感じもあるんですよね。
広隆寺は、先述の 『京都買います』 のOPに登場します。で、割とアイロニカルに描かれてます。
「交通ラッシュ&観光客に晒され、仏像が安心して暮らせない街」 となった京都の象徴、みたいに。
現在も、広隆寺の前はまあ、あんな感じです。実に、 「誰も京都なんか愛してない証拠」 な感じです。
ではそのアーシーさ加減が、ひたすらに興醒めかといえば、これがまたそうでもないんですよね。
ロイヤルさと入り混じることで、他の寺にはあまりない、独特な魅力を生んでたりもするんですよね。
聖徳太子御火焚祭に合わせて、紅葉&仏像&護摩火を一度に見るべく出かけたこの日の広隆寺も、
狂気すら誘う超越的な美を誇る宝冠弥勒と、聖徳太子への信仰を守るアーシーな信者の人達、
そして太子への祈りの火と燃え上がるような紅葉が入り混じる、実に独特な魅力が溢れてました。
「京都」 への 「愛」 とは、何なのか。それ以前にそもそも 「京都」 とは、何処の、誰の、何なのか。
よろしければ、その辺のことも考えたりしながら、秋の日の広隆寺、お楽しみください。

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中村軒で、栗を食べまくってきました。もちろん、ひとりで。

2016年10月21日(金)


中村軒で、栗を食べまくってきました。もちろん、ひとりで。

稲作が伝来する以前の縄文時代、日本人は、を主食として食ってたそうです。
収穫が比較的容易な場所に生え、イガを除けば採集も比較的容易な形で落ちてくれる、栗。
生で食え、火を通せば抜群に美味く、粉にすれば調理の幅も拡がり、更には保存も出来る、栗。
最大の魅力たる甘味が弱味になる可能性こそありますが、主食たる条件は充分にクリアしており、
ゆえに縄文期の遺跡からは人工的な栽培の痕跡さえ見つかってしまう、 「樹穀」 なわけであります。
この栗食の記憶、実は、現代人にも継承されてるんだとか。無意識の底で、息づいてるんだとか。
栗食の潜在記憶が、トロイの木馬の如く発動する為、我々は秋になると、栗を食いたくなるんだとか。
与太な話、と思われるでしょうか。しかし私は、何かしら納得出来るものを、感じなくもありません。
確かに栗は、妙です。特に現在の主食・米との関係性に於いて、他の果物と比べ圧倒的に、妙です。
この世に数多ある果物の中で、栗だけがほぼ唯一、米飯に対するがっつりとした侵入に成功し、
「栗ごはん」 or 「栗赤飯」 として、晩飯のメニューにも登板が可能な認知度を誇ってるという、謎。
同じ秋の果物仲間でありながら、梨ごはんも、柿ごはんも、葡萄ごはんも、そして蜜柑ごはんも、
決して到達することが出来ないマジョリティの地平に、栗ごはんだけが立っているという、謎。
豆を無理にでも果物扱いしない限り、栗が誇るこのぶっちぎりの独走状態は、説明がつきません。
栗には、何かがあるのではないか。今は 「果物」 のふりをしてるが、何かがあるのではないか。
何なら、 「御厨」 の読み仮名が示す様に日本の食の根幹にさえ繋がった、何かがあるのではないか。
日本人と食の問題を真摯に考え続けてきた当サイトとしては、この問題を看過出来ないと判断し、
米を依代とする手法を用いて栗の神秘にアプローチしようと考え、今回、桂の中村軒へ出かけました。
中村軒世界の名勝・桂離宮の畔にあって、かつら饅頭&麦代餅が名代として知られる名店です。
餅そのものの美味さで知られる中村軒ですが、秋になれば栗ぜんざいなど栗アイテムも多数、登場。
で、これら栗と餅の合体メニューを食いまくることで、 「主食の国譲り」 の謎へ迫ったのであります。
そう、これはあくまでも、新たなる挑戦なのです。当サイトが当サイトである為の、挑戦なのです。
断じて、秋になると栗記事2本のアクセス数が不穏なまでに良いので、3本目の泥鰌を狙い、
また同時に、秋口の餅の美味さも堪能しようと思って出かけたのは、ありません。

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宇治田楽まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年10月15日(土)


宇治田楽まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宇治田楽まつり。宇治名物・茶団子に田楽味噌を付けて食いまくる祭、ではありません。
また、いわゆる田植舞などの農耕色が濃い民俗芸能が披露される祭、というわけでもありません。
平安後期から鎌倉期にかけて宇治の地で隆盛を誇ったという 「幻の芸能」 である 「田楽」 を、
現代らしい的な形で復活させようと宇治の人々が考え、1998年より開催されてるイベントであります。
宇治は無論、世界遺産・平等院をコアに擁し、『源氏物語』 宇治十帖の舞台としても名高い地。
これら栄華の源泉たる藤原氏摂関期以前から、貴族達は別荘で宇治の風光を愛でていたものの、
摂関期以後はセレブ化が更に進み、そのセレブ化進行が近隣住民の生活や祭礼にも強く影響。
元来は郷民が競馬などで盛り上がってたという氏神・離宮八幡宮の祭礼・離宮祭も、華美化が進み、
禁令が出るほどの煌びやかな衣装と共に、カオスな 「躍り」 系芸能としての 「田楽」 が、隆盛化。
この 「田楽」 は、編木 (ビンザサラ) や腰鼓などを奏でつつ躍動的に踊るという渡来的なフォームで、
高足など散楽の曲芸に加え、後には猿楽の要素さえ取り込んだという、風流の魁のようなもの。
どこが 「田」 だという感じのカオスの中では、農耕と全然関係ないプロ芸能者・田楽法師 が活躍し、
更にはそのプロを模倣した 「やってみた」 系のアマチュア下級武士まで混入するなど、中々にカオス。
洛中では、末法カオスの真最中に 「永長の大田楽」 なる風流パンデミック状態まで発生しますが、
宇治では、白川金色院周辺にプロ集団・本座が勃興し、先述の離宮祭を中心に派手な活動を展開。
本座は、京都や奈良の寺社でも芸を披露し、遂には春日若宮おん祭へも参勤するに至りますが、
やがて新興のプレ能たる猿楽に圧され始め、幕府の庇護が猿楽へ向かった室町以後は一気に衰退。
「田楽」 そのものも歴史の彼方へ姿を消し、芸態も詳細不明な 「幻の芸能」 となったのでした。
で、この 「幻の芸能」 を、宇治市民自ら躍って復活させるという公演が、宇治田楽まつりであります。
詳細不明ゆえ、その内容は基本的によさこい的な創作系で、カオスな高揚をこそ目指す感じ。
しかし、その開かれた感じと、市民自らが躍る楽しさが相まって、人気は年々上がってるようです。
そんな宇治田楽、茶団子も田楽味噌も食わずに、ひたすらカオスな舞踊を観てきました。

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細見美術館の琳派展へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年9月27日(火)


細見美術館の琳派展へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

琳派。 『琳として派閥』 という名前のバンドの略称です。というのは、もちろん、嘘です。
琳派。近世京都の町衆文化を象徴する様に誕生した、装飾性豊かなアートの流派であります。
光悦村を作った本阿弥光悦を創始者&ディレクターとし、 『風神雷神図』俵屋宗達を経て、
呉服屋の放蕩息子にしてデザイン性が高い図案を量産した尾形光琳で、琳として爆発した、琳派。
その強い魅力は、時空を超えて私淑のフォロワーを生み続け、近世後期には江戸でも隆盛化。
更に近代では海外で大きな評価も集め、評価が逆輸入された国内では 「琳派」 の呼称が定着化。
そして現代に入ると、 「かわいいは正義」 という狂った世風と過剰なまでの親和性&共鳴力を発揮し、
ヘッドロックを決める犬口半開きの鹿などが女子供の人気を集めてるのは、御存知の通りです。
で、そんな琳派の作品を集中的にコレクションしてるのが、今回訪れた細見美術館であります。
昭和初期の大阪・泉大津にて毛織物で財を成した初代・細見古香庵が、その成功後に収集を始め、
二代・古香庵が、琳派を始めとする江戸期の作品を大幅に加える形で拡大させた、細見コレクション。
そのコレクションを公開する場として、1998年に岡崎の地にて開館したのがこの美術館であり、
「琳派美術館」 という別名に相応しく、様々な観点から作品を紹介する 「琳派展」 も、定期的に開催。
京都発祥ながら、近世後期からの経済没落の為か何なのか、あちこち散逸している琳派の作品に、
京都の人間も気軽に、かつ集約された形で、接することが出来るようになった、というわけです。
そんな細見美術館、私、館前こそしょっちゅう通ってるんですが、そもそも芸術にあまり縁がない為、
若冲展や春画展で行列が出来てる際も、 「混んどるなあ」 とか思いながら、通り過ぎてばかりでした。
が、京都の 「ベタ」 を追い求めるのが、このサイトの趣旨。琳派もまた、看過は許されないでしょう。
というわけで、琳派をより琳として探求すべく、琳派誕生401年という記念すべき年を敢えて選び、
「琳派展」 の第18弾、その名もずばり 「京の琳派」 と銘打たれた展覧会へ、出かけたのであります。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為の、挑戦なのです。
断じて、9月のネタ採集が全く出来てないのを月末になって思い出し、でも床特攻も飽きたので、
何か目新しいことをしようと思い、冷やかし半分でフラフラ出かけたのでは、ありません。

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鹿王院へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年12月1日(火)


鹿王院へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

こんなことを言うのはどうかなとも思いますが、はっきり言って、鹿王院は地味です。
権勢誇示が大好きな室町幕府三代将軍・足利義満が創建したにも関わらず、地味です。
やはり義満が創建した金閣寺の本名 「鹿苑寺」 と同じく 「鹿」 を冠するにも関わらず、地味です。
嵐山から徒歩移動も可能な距離にありながら、鹿王院の門前に観光の賑わいは、全然ありません。
門前町的な店や名物といったものも全然なく、せいぜい渋い銭湯・鹿王湯くらいしかありません。
塀でその存在を誇示することもなく、そもそも民家に完全包囲されてるため、誇示しようもありません。
「嵯峨の金閣」 とも称される舎利殿を始めとする見事な伽藍と、極めて格の高き由緒を持ちながら、
門前をスルーせずに済ませるのにも注意力が必要なこと請け合いの、実に地味な寺なのであります。
鹿王院。本名、覚雄山鹿王院。元々は、義満が創建した宝幢寺の開山塔として、造営されました。
宝幢寺は、 「宝幢菩薩を祀れば寿命が延びる」 という夢のお告げに従って、義満が建てた寺。
夢窓疎石の俗甥 or 義満のメンターである春屋妙葩 aka 天下僧録司 aka 普明国師を開山に迎え、
京都十刹第五の名刹としてその名を轟かせましたが、応仁の乱の後は衰退し、遂には完全消滅。
で、結局は妙葩が建てた鹿王院のみが残り、宝幢寺の寺籍を継ぐ形で現在まで存続してるわけです。
義満筆 「覚雄山」 の額を掲げる築600年の山門や、石畳の参道、嵐山を借景とする枯山水庭園、
さらには源実朝が宋国より招来したという仏牙舎利を安置する舎利殿と、鹿王院、見所は実に多し。
実際、訪れる客の数は、割と多かったりします。なのに存在感的には、凄く地味なのであります。
恐らくかつては、 「建てようと思った辺りに、鹿がうろついてたから」 という寺名の由来が示す通り、
嵯峨野的な鄙びた風情の中で 「嵯峨の金閣」 が屹立し、そのロイヤルな威容を誇ってたんでしょう。
しかし現代に入り、極めて右京区的な生活感溢れる宅地化により、周囲を完全包囲されたことで、
地味というか、独特のインパクトと存在感を持つ、妙味に満ちた寺になってる気がします。
そんな鹿王院、紅葉も名物。というわけで、地味さ&妙味さと共に堪能してきました。

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随心院の秋期夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年11月29日(日)


随心院の秋期夜間特別拝観へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

門跡寺院が好きです。より細かく言うと、小ぢんまりとした門跡寺院が好きです。
具体的な寺名を挙げるなら、曼殊院霊鑑寺、そして今回訪れた随心院というところでしょうか。
江戸前期テイストを感じさせる伽藍が、狭めの境内にギュッと詰まって構成されてる、あの感じ。
直線&直角のインパクトがバキバキな配置ながらも、野郎丸出しな無骨さは全く感じない、あの感じ。
そして何より、エレガントな佇まいでありながら女子供が喜ぶユルさは断じて排除してる、あの感じ。
男好みの伽藍だと感じます。より細かく言うと、ある種の傾向を持つ男好みの伽藍だと感じます。
「美」 しか取柄が無くなった者たちが、制度上でも明白に 「美」 しか取柄が無くなった丁度その頃に、
凡俗には想像も出来ないような想いから作り上げたのであろう、小ぢんまりとした 「美」 の箱庭。
と、こんな風に、やんごとなき方々のやんごとなき心模様をとことん勝手に妄想したりしながら、
これら門跡に漂う独特の 「圧」 みたいなもの、ある種の傾向の 「男」 な感じを、堪能してるわけです。
よくよく考えてみると、というか考えるまでもなく、随心院は小野小町ゆかりの寺として有名であり、
春先になれば 「女子供」 以外の何物でもない可愛い女子たちが踊る 『はねず踊り』 も行われ、
受付では 「恋みくじ」 や 「小町香」なんてのも取り扱ってる、極めて女子力高めな寺ではあります。
また、有名な梅苑があるくらい境内もなかなかに広く、メイン建築たる本堂も桃山期のものだったりと、
「狭い」 「江戸前期」 さえ当てはまらなかったりしますが、でも、男好みの印象は変わりません。
本堂と同じかそれ以上に、本堂をとり囲む伽藍が良いんですよね。公家より寄進された、伽藍が。
多くの門跡が入山した九条二条両宮家の寄進により、江戸初期に再興された書院・玄関・能の間。
ギュッと詰まってて、直線&直角バキバキで、エレガント。そして、明らかに 「圧」 もたっぷりある。
たまりません。何か、書けば書くほど変態じみて来るような気がして色々不安ですが、たまりません。
そんなたまらん随心院、実は紅葉も名物で、秋ともなればライトアップの夜間特別拝観も実施。
紅葉の美しさはもちろんですが、男好みな伽藍の夜の姿を観れるのもまた、至福だったりします。
というわけで醍醐へ出かけ、紅葉と共に闇と 「圧」 も、一緒に堪能して来ました。

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東福寺塔頭・毘沙門堂勝林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年11月27日(金)


東福寺塔頭・毘沙門堂勝林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

東福寺は、夜になるとやたらに寺&その周辺が暗くなるなと思ったりします。
臨済宗東福寺派大本山に相応しいその巨大なる伽藍は、ライトアップされることなど全くなく、
むしろ逆にブラックライトでライトダウンするかのように、禅宗ならではの厳格な闇を周囲へ放射。
名勝・通天橋が瀕死の混雑に見舞われる紅葉シーズンにあってもなお、その闇の厳しさは変わらず、
陽が落ちる夕方以降は昼間の喧噪が嘘の様に消え、代わって辺りに充満するのは漆黒の闇。
群集の荷重に耐えた当の通天橋も、夜は地元中高生の自転車が通るばかりの暗黒渡り廊下となり、
その圧倒的な暗さは、まるで 「これこそが正しい寺の姿なのだ」 と宣言してるようにも見えます。
無論、寺とその周囲が夜に暗くなるというのは、本来は当然というか、普通な姿ではあるんでしょう。
しかし、紅葉シーズンくらい夜間拝観をやってもいいんじゃないかと思ってしまうのもまた、人情。
境内の広さ&紅葉の大規模さを考えると、電気代がえらいことになるだろうけど、やってほしいな、と。
通天橋から落ちて天国へ通り抜ける奴が何人か出るかも知れないけど、やってほしいな、と。
そんな最低共通文化に基づく需要にも一応対応しようと考えたのか、夜間拝観をやってくれてるのが、
東福寺の境内にあってその鬼門を守る、 「東福寺の毘沙門天」 こと塔頭・毘沙門堂勝林寺です。
勝林寺。少林寺に非ずして、勝林寺。東福寺第205世により1550年に創建された、塔頭であります。
東福寺仏殿の天井裏で発見されたという、本尊にして伝・定朝作の毘沙門天立像を始めとして、
珍しい毘沙門天曼荼羅や、大檀那である近衛家の大玄関が移築された本堂など、その見所は多し。
通常非公開であることが惜しまれるほどですが、名物の吉祥紅葉が色づく秋には特別公開を行い、
良縁と美縁の御利益から舞妓はんも訪れたというこの紅葉を、夜ともなればライトアップで更に演出。
その様は、忍び寄る餓鬼より本丸の闇を守るのもまた鬼門守護の一環と考えてるかのようであり、
東福寺の拝観に間に合わなかった迷える衆生にとっては、ある種の緊急避難先になってます。
そんな勝林寺の紅葉、もちろん東福寺が真っ暗になる夜に観に行きました。

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松原通の力餅食堂・加藤商店で、 栗を食べまくってきました。もちろん、ひとりで。

2015年10月21日(水)


松原通の力餅食堂・加藤商店で、 栗を食べまくってきました。もちろん、ひとりで。

2013年に上げた栗餅の記事、思ってた以上に多くの人が見てくれるんですよ。
「両親の郷里・丹波へ名物の栗を食いに行く」 という、かなり私的な気分で作った記事であり、
川床カフェめぐりのように狙って作ったものではなかったんですが、やはり食いもんネタは強いなと。
しかも、 「京都 丹波栗」 という感じでブランド名を打ち込み飛んでくるタイプの方は案外と少なく、
ずばり 「栗」 あるいは 「栗餅」 と、栗食本位なワードで来られる方が多いのにも、感銘を受けました。
どうやら人は秋になると、丹波など産地やブランドに関係なく、栗を食いたくなる生き物のようです。
私は、栗を過小評価していた自身の不明に、気付かされたのでした。すまん、栗。すまん、栗餅。
そして謝ると共に、栗のビッグウェイブに再び乗ろうとも決めました。というわけで栗記事、第2弾です。
今回も、プチ旅情と共に丹波で栗菓子を買い食いするかと思いましたが、正直、行くのが面倒くさい。
あと、栗記事花火記事でもちょこちょこ書いてることですが、自分的には何か色々と、気まずい。
といって近場で済ますとなると、ただ単に買い食いだけで終わる話となり、ネタになるかどうか微妙。
近場で、ネタになり、いい感じの栗の店、ないかな。そう考えていて、松原通の力餅を思い出しました。
力餅。相生餅&千成餅と共に、京阪神にて謎のフランチャイズを形成してる餅系食堂のひとつです。
「餅」 という名前が示すように、この餅系食堂、元来はおはぎなどを扱う甘味処がルーツだそうで、
現在でも多くの店が、うどんや定食など一般的な食堂メニューに加えて甘味を扱ってはいるんですが、
松原通×東大路通の交差点近くに建つこちらの力餅は、10月に扱うその甘味がかなり、栗推し。
定番の栗餅に加えて、栗赤飯、そしてマロンケーキの如き栗蒸し羊羹が、普通の食堂に登場します。
何故この店がこんなに栗を推す理由はよくわかりませんし、正直言って特に興味もないんですが、
しかしこの栗ラッシュ、京都の市井に於ける季節感の味わい方をよりリアルな形で現わすものであり、
同時に 「人は秋になると、栗を食いたくなる」 ことを、如実な形で示すものとは言えるでしょう。
そんな力餅の栗餅・栗赤飯・栗蒸し羊羹、うどんと一緒にがっついて来ました。

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福王子神社の秋季大祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年10月18日(日)


福王子神社の秋季大祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

明治維新に至るまでの約1000年、日本では神と仏が入り混じってました
大陸より伝来したばかりの頃の仏教は、日本人の魂へ忍び込むにあたって、へと接近。
素朴なスタイルの信仰から脱却することについて苦悩を深めていた神も、仏にその救済を希求。
結果、 「神の本来の姿は仏 = 本地」 ということになり、神社の傍には本地を祀る神宮寺が建てられ、
寺の近くでは神が鎮守となって仏を守護するという、混淆の信仰形態が誕生・定着したのでした。
ある意味で野合に見えるこの混淆は、アーシーな小寺社だけで起こったものでは、無論ありません。
ロイヤルな寺社、それこそやんごとなき方々より崇敬を受けるような寺社であっても、事情は同じ。
私の地元にある石清水八幡宮は、二所宗廟の一つでありながらも最初から 「宮寺」 として創建され、
神が住まう男山には、 「男山四十八坊」 と称される大量の仏教施設がバカスカ建ちまくってたほど。
「どちらが手を叩いて、どちらが叩かないのか」 といった些末な作法にこだわる必要が全く無い、
神前読経など当たり前の大らかで豊かな信仰世界が、この国では長く長く息づき続けていたのです。
神道一直線宣言 aka 明治の廃仏毀釈は、そんな神仏習合の世界を、ほぼ根絶やしにしました。
が、明治以降は基本全否定&古いものを何でも有り難がる京都では、混淆の風習がいくつか残存。
福王寺神社の神輿巡行も、そんなかつての時代の息吹を感じさせてくれるものと言えるでしょう。
宇多天皇御母・班子女王が祭神のこの社は、宇多天皇が創建した世界遺産・仁和寺の守護でもあり、
その秋季大祭では、仁和寺より譲渡されたという神輿が、巨大な二王門の前で差し上げを敢行。
のみならず、石段を登って門をくぐり、さらには御室御所にまで入り、神仏が入り混じる式典も執行。
由緒も格もロイヤル極まりない寺院に於いて、古の神仏習合の様が全開になってしまうのです。
そんな福王寺の神輿、巡幸を全部追うのはしんど過ぎる為、仁和寺周辺だけ見てきました。
神輿と交通環境との微妙な関係も、ある種の風味としてお楽しみください。

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京田辺市・大住へ大住隼人舞を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2015年10月14日(水)


京田辺市・大住へ大住隼人舞を観に行きました。もちろん、ひとりで。

高校へ進学して驚いたのは、 「郊外の人」 なる人達が実在した、ということです。
大住中学校なる学校から進学して来たその連中は、近年に開発された京田辺市・大住に住み、
「世界にいるのは中流だけで、それ以外の奴は嘘ついてゴネてる」 とでも思ってるような人達でした。
私が住む隣の八幡もまた宅地開発は活発であり、人口の大半は郊外の移住者だったりしますが、
同時に巨大な同和地区が存在し、駅周辺には私が育った流入貧民が多く住むエリアも存在する為、
何というか、 「世界には中流しかいない」 といった考え方を持つのは、難しかったりするのです。
で、流入貧民の子である私には、そんな郊外的な大住中生が何とも不思議な連中に見えたのでした。
で、そんな大住中生が、毎年10月に隼人舞を踊るというのもまた、私には不思議に思えたりします。
隼人舞。大住隼人舞。古代の南九州に居住した隼人の舞を、京田辺市・大住で復興した舞です。
神代より帝との縁を持ち、勇猛さと呪力を買われ霊的警護や歌舞奉納などで王朝に近習した、隼人。
大和王権が中央集権化を進めた奈良時代には 「隼人の反乱」 を起こすも、やがて順化&同化。
反乱以前より都周辺への移配も行われ、定住した隼人は 「畿内隼人」 として朝廷との関係を深め、
海幸彦&山幸彦神話に基づくという 「隼人舞」 などを、服属儀礼として奉納し続けたのでした。
で、大住は、大隅から来た畿内隼人が住んだ地らしいのであります。で、隼人舞なわけであります。
で、その隼人舞を踊らされる、ではなく、踊ることになってるのが、地元の大住中生なわけであります。
ひょっとしたら、千年以上の歴史を持つ畿内隼人の子孫も多少は混じってるかも知れませんが、
大半は郊外の、新たに開発された宅地で育った、私を驚かせた連中の後輩が踊るわけであります。
故に、舞の感じは、そんな感じです。 「そんな感じ」 とはどんな感じかといえば、そんな感じです。
衣装や舞台のビジュアルは極めて映えますが、でも全体的には、そんな感じです。まあ、当然です。
しかし、全然何の縁もゆかりも無い人間が 「隼人」 に扮して、 「踊らされる」 舞を踊るというのは、
同じ民族を異族と看做してオリエンタリズムを楽しんでいたかも知れない 「隼人舞」 の復活としては、
ある意味近いものがあるかも、と本気で思ったのは無論嘘ですが、でも、あるかも知れません。
そんな大住隼人舞、観に行きました。彼等はまた、私を驚かせてくれるでしょうか。

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大覚寺の秋の夜間特別拝観・真紅の水鏡へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月28日(金)


大覚寺の秋の夜間特別拝観・真紅の水鏡へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

旧嵯峨御所大覚寺門跡に、私は 「赤」 のイメージを勝手に抱いてます。
嵯峨天皇が建立した離宮を前身とし、言うまでもなく真言宗大覚寺派本山である、大覚寺。
般若心経写経根本道場としても知られ、また 「いけばな嵯峨御流」 の総司所でもある、大覚寺。
別段、赤化した宗派 (何だそれ) の寺でも、赤化した流派 (何だそれ) の寺でもありません。
むしろ赤化の真逆を行くようにロイヤル極まる寺なんですが、私にとっては 「赤」 なのであります。
そう思う理由は、端的に言えば、宝塔です。宮廷文化の風情を伝える大沢池の畔に立つ、宝塔です。
大覚寺が寺化したきっかけである、嵯峨天皇の心経写経1150年を記念し建立された、心経宝塔。
この赤い宝塔、嵯峨野の深い闇の中でライトに照らされると、赤さがより印象的なんですよね。
それが、境外の一条通あたりからチラっと見えたりするのも、インパクトがあったりするんですよね。
当サイトは大覚寺、観月の夕べ宵弘法年越しなどなど、何故か夜にばっかり訪れているため、
闇の中に浮かび上がる宝塔の姿を見る機会が自然と増え、 「赤」 の姿が印象づけられたわけです。
「だから何だ」 と言われたら話が終わりの、個人的事情に基づく個人的感慨に過ぎませんが、
ただ 「赤化した門跡寺院」 という冗談が湧く程度には、大覚寺の 「赤」 、強烈という話であります。
それに、ロイヤル極まるこの寺の方から積極的に赤化を打ち出す機会も、ないわけではありません。
大沢池は 「日本初の花見」 ともされ、桜の名所としての知名度も非常に高い大覚寺ですが、
実は紅葉も充実しており、池畔に続く紅葉の並木道は京都でも他に例がないという話もあるほど。
秋になれば、ライトアップされた紅葉が大沢池の水面に映る夜間特別拝観も実施されており、
その夜間拝観が 『真紅の水鏡』 と題されるなど、なかなかな赤化加減を見せてくれてるのです。
そんな 「赤」 を堪能するべく、またぞろ夜の大覚寺へ出かけたのでした。

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壇林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月28日(金)


壇林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

琴平町の 『川蝉』 へ結局行かず終いになったことを、悔やんでます。
琴平町は、京都ではなく香川 aka うどん県の町。 『川蝉』 は、そこにあったうどん屋です。
讃岐うどんに魅せられた 「巡礼者」 から、その無茶な値段設定や店主のキャラが秘かに愛され、
いつかは必ずその門をくぐらなければならぬラスボス的な感じで、伝説化さえしていた店であります。
『川蝉』 、私も一度は行きかけました。 「巡礼」 してた頃、行きかけました。が、店前で逃げました。
「日本一うまい」 と書かれた巨大幟&店前に散乱する●●にひるみつつ特攻しようとした瞬間、
店主らしきおっさんが出てきて、手に持つ丼から●●を目の前の川へ●●●したのを見て、逃げました。
見たくない何かを見せられる恐怖を感じて。または、香川に抱く幻想を破壊される恐怖を感じて。
あるいは、自分が吐き散らかした幻想の廃棄物を、濃縮ウランにして返されるような恐怖を感じて。
以来、勝負せねばと思いつつ逃げ続けてたんですが、 『川蝉』 、ストビューで現在地を見ると、更地
結局、私は逃げたままになったのでした。悔やんでます。もうこんなことは、繰り返したくない。
というわけで今回、檀林寺へ特攻したのです。香川から京都へ話を戻し、檀林寺へ特攻したのです。
九相図で知られる檀林皇后が、中国から禅僧を呼んで嵯峨野に建立するも廃絶した元・檀林寺を、
京都観光の大衆化が進んだ昭和の高度成長期になってどっかの誰かが再興した、現・檀林寺。
しかし、その実態は●●●とも言われ、ネット上では●●いだの●●だの●●●●●●だのと泣き喚く者が続出。
京都幻想や京都妄想を機嫌良く吐き散らかした末、 「本物」 ノイローゼに罹った輩に対して、
吐き散らかしたその廃棄物をウラン弾にしてお見舞いしまくってるようなスポットなのであります。
正直、私も避けてました。冷やかし目線さえ、バルタン星人の如くブーメランで返されるかもと感じて。
でも、 『川蝉』 クローズを受け、考えを改めたのです。全ては、諸行無常だと。一期一会だと。
それにここの紅葉は、 『川蝉』 のうどんが案外美味かったと言われるのにも似て、案外、好評。
この機会に、もう二度と悔やまないよう、嵯峨野へ出かけたのでした。

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霊鑑寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月27日(木)


霊鑑寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

「霊感って、あった方がいいのかも知れない」 と思ったのは、
ずっとずっと昔、叡山電車で客層をリサーチする日雇いバイトをやった時のことでした。
ペアを組んでやる仕事だったんですが、私の相方は四国から来たというDQN上がりの兄ちゃん。
私は、出身地のガラの悪さゆえDNQ耐性があり、割と気さくに接してたつもりだったんですが、
兄ちゃんは何か私に接し難そうで、気まずい沈黙が続いた後、おもむろに霊感話を始めたのです。
同類と見込まれたのでもなく、またオルグでもなく、単に話題が無いから話してるのは、明白。
申し訳なく思った私は、一応 「ですよね・・・」 的な相槌を打ってたんですが、同時に思ったのでした。
霊感は使える、と。適当な距離感を保ちながら、妙な親密さをも生むこの霊感は、使える、と。
素性の知れない独男同志が、短時間の内にある程度の親密さをなるべく当たり障り無く醸成できる、
寝技 or 腹芸的とも言えるコミュニケーション・ツールとして、霊感を少し考えたみたのでした。
独男の 「寝技」 といえば、床屋軍談から宮崎駿の悪口まで、何かと不毛なものになりがちです。
しかし、最初から不毛というか実体が無い霊感は、案外いいツールになり得るんじゃないでしょうか。
というわけで、話は霊鑑寺であります。 「霊感寺」 などではなく、あくまで霊鑑寺であります。
「忍」 の帝・後水尾天皇より山号&寺号を勅許されると同時に、皇女皇孫が次々と得度入寺し始め、
維新へ至るまでに5人の皇族が入寺した、臨済宗南禅寺派の尼門跡寺院・円成山霊鑑寺。
そんなロイヤルな尼寺に対して、霊感がどうこうなどと駄洒落るなど、不敬極まる話ではありますが、
でも、ここの本尊は霊感、もとい霊鑑 = 鏡を持ってるんだから、まあいいじゃないですか。
それに、この寺の名物である御所人形は霊より恐い顔をしてるので、まあいいじゃないですか。
などと書けばさらに不敬極まりますが、とにかくそんな霊鑑寺、普段はロイヤルゆえ拝観は謝絶。
ただ、後水尾天皇遺愛の日光椿が咲く春と、紅葉が見事な秋には、特別拝観を実施。
というわけで今回は、霊ではなく紅葉を観賞に行ってきました。

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南禅寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年11月23日(日)


南禅寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

混めば混むほどある種の面白さが増す寺社、というのが確実に存在します。
京都に於ける典型例といえば、京都観光のキング・オブ・キングである清水寺でしょう。
混めば混むほど、もっと言えば俗化すれば俗化するほど何故か聖性を増す、清水寺マジック。
中年の中二病の如き混雑忌避の段階を越えて、新たなる智性に拓かれた眼で清水寺を見た者は、
「観光」 の文字そのままに光を求めて群れ集う人間の姿にこそ、確かな浄土の光を見い出し、
路地の奥に 「本物」 を追うような乞食根性を忘れて、京都の真の面白さをもきっと見い出すはずです。
いや、無論そのマジックは、群れ集う人間を余裕で傍観できるスペースの確保が可能な寺社、
即ち、清水寺の如く境内が馬鹿デカい大バコ級寺社だからこそ成立する類のものではありますが、
逆に言えば、境内が馬鹿デカい寺社なら、清水寺のマジックに似た面白味が出ないとも限りません。
紅葉シーズンの南禅寺は私にとって、正にそんな面白味を感じさせてくれるスポットです。
南禅寺。無論、臨済宗南禅寺派の大本山であり、五山の上に立つ日本最高峰の禅寺であります。
創建された鎌倉期から中世に至るまでも、日本初の勅願禅寺としての風格に足る寺領を誇り、
江戸期には家康のブレーンを務める黒衣の宰相・金地院崇伝の入寺で、その権勢はさらに巨大化。
石川五右衛門「絶景かな」 と傾く巨大三門も建立するなど、調子に乗って乗って乗りまくり、
明治以降はその乗りっぷりが祟って水路閣を建てられたりしますが、境内の広大さは何とか維持。
現在は、京都観光における超メジャー級&超大バコ級スポットとしての地位を確立してます。
そんな南禅寺、五右衛門が愛でた桜も無論見事ですが、紅葉もまた見事であり、観光的にも大人気。
というか、山門・方丈・塔頭以外は無料でうろつき可能+大型バスも境内に停車可能なため、
大量の客を乗せたバスが大量&エンドレスで境内へ雪崩れ込むという、最悪の事態が大量発生。
で、その様が何かもう度を超してしまってるため、却って面白く見えなくもないというわけです。
その面白さを堪能すべく、私も乞食の如く無料区域だけうろついてきました。

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