平岡八幡宮の花の天井・秋の特別拝観へ、9月に行きました。もちろん、ひとりで。

2022年9月26日(月)


平岡八幡宮の花の天井・秋の特別拝観へ、9月に行きました。もちろん、ひとりで。

仏教に於ける供花はそもそも、造花と生花との区別をさほど厳密にしないそうですよ。
大切なのはあくまでも仏を華々しく荘厳することであって、美しければ造花でもいいんだとか。
本来は外来宗教である、仏教。生花の調達が比較的楽な日本とは、話の前提が違うんでしょうか。
石清水八幡宮・石清水祭の供花神饌は、造花を用いる点で特殊だと私は思ってたんですが、
八幡神仏と混淆しまくる神であることを考えれば、むしろ普通なのかも知れません。

花の色は仏界のかざりなり。もし花なからむ時はまさに造れる花を用いるべし『三宝絵詞』

では、京都北西・周山街道沿いに建つ平岡八幡宮本殿天井に描かれた44種の花卉図が、
仏と混淆しまくった八幡神の荘厳を目的とするものなのかと言えば、それは無論不明ではあります。
ただ、石清水八幡宮の近くに長く住み、毎年のように9月15日に供花神饌を拝んでる身からすると、
平岡八幡の眼前に描かれた花々は、黒赤漆を贅沢に用いた本殿をさらに盛り立てる装飾というより、
神仏を荘厳するための供花、あるいは絵で描かれた供花神饌に見えて、仕様がありません。
平岡八幡宮。弘法大師・空海が神護寺の鎮守にすべく宇佐より勧請した、山城国最古の八幡神です。
平安初期、和気清麻呂創建の神願寺を任された空海は、この寺を神護寺へリニューアルし、
神が護もると言うからには護り神が要るだろうということで、和気氏と縁深き八幡神を京都へ初召喚。
御神体とする僧形八幡神像も自ら描き、神護寺の近くにてこの平岡八幡宮を809年に創建します。
その後、平岡八幡宮は興廃・移転を経て1826年、仁孝天皇の命を受けて切妻造様式の本殿を修復。
翌1826年には、画工・綾戸鐘次郎藤原之信によって本殿・内陣に件の花絵が描かれました。
この花絵 = 花の天井、基本的に非公開なんですが、定期的な特別拝観では御開帳。
秋は、9月15日頃に御開帳。そしてこの日は無論、石清水祭の日です。おおおおおおおおお。
供花神饌感を感じた私は、その感を確かめるべく、9月の周山街道を北上したのです。


では何故15日前後に行かんのだと問われたら、人間、色々やることがあるもんじゃないですか。
9月の月末も月末にバスで行った平岡は、緯度も標高もかなり上げたのに気温は余裕で32度。暑い。
あ、緯度も標高もかなり上げるとは言え、平岡八幡、バスは割と多めです。市バスもJRバスも通るし。
御覧の狭い周山街道も、神護寺 or 高山寺 or 周山行きのバスがひっきりなしに登坂していきます。


その周山街道を横断して、バス停の目の前にある神社へ。徒歩数秒で平岡八幡宮、着きました。
八幡宮。山城最古の八幡宮であることを誇るかのように、門前の社号標にはそれのみ記されてます。
やはり空海が東寺へ鎮守八幡を勧請したのは、810年。石清水は、もっと後。確かに、山城最古です。
社号標の先にある鳥居には、10月に行われる例祭を知らせる看板あり。そして、特別拝観の看板も。


花の天井の特別拝観は、春と秋に行われてます。秋は、9月15日前後から12月まで。割と長い。
八幡人としては放生会 = 仲秋祭 = 石清水祭のタイミングが意識されてると思いたくなるわけですが、
実際は、春は桜、秋は紅葉目当ての参拝者が増えるので、そのタイミングに合わせてるんでしょうね。
花に不自由するから花絵が描かれたわけでもなく、むしろ花は充実してる社です。特に椿は有名。


9月なので流石に椿は咲いてませんが、長い参道を包むように広がる緑は、何とも美しい。
天気が良いので、周囲の山々もよく見えます。市バスの均一区間で来れることが、信じられません。
参道を歩いてると、むしろ山に囲まれたこの場所を選んで、この社が建ってるようにも見えてきました。
山寺・神護寺の鎮守である、平岡八幡宮。移転を経ても、そんなルーツを引き継いでるのでしょうか。


もちろん、神護寺を始めとする高雄三尾の名物・紅葉は、こちらの平岡八幡宮でも名物です。
傍の紅葉が微かに色づく平岡八幡宮の本殿、到着しました。拝殿の前に、赤い床机が出てますね。


平岡八幡宮の特別拝観は、本殿前の授与所で申し込み、床机で宮司さんを待つという流れ。
私も早速申し込みますが、その前に神に挨拶します。まずは、古い木を使ってるという拝殿を拝見。


続いて、本殿の八幡神に挨拶。京都市内では数少ないという、切妻造の本殿でございます。
ここ、他にも為朝の試し石や 『靭猿』 碑など名物がありますが、今日の目当てはあくまで花の天井。


花の天井。先述通り、江戸末期に描かれたものです。が、義満が描かせたという説もあります。
石清水の供花神饌は四季の花を三神に捧げる意味で12台が用意されてますが、こちらの花は44台。
44台の理由は、何なんでしょうか。十一神×四季でしょうか。四十八願から四季を抜いたんでしょうか。
あるいは義満が 「俺は忌み数なんて迷信は気にしないぜ。ダブルで来い」 と指定したんでしょうか。


案内看板で妄想してても仕様がないので、本物を拝みます。授与所で800円を払って、申込。
床机に座り、もらったパンフを見ながら、案内してくれるという宮司さんが来るのを待つこと、しばし。


待ってると、遠くから近所のおっちゃんが 「暑いね~どっから来はったん」 と話しかけて来ました。
私に言ってるのかどうか迷いましたが、他に人が居ないので答えたら、おっちゃんは宮司さんでした。
このノリか。このノリで、マンツーマンか。と、軽く戦慄してたら、ちょうど本殿へ来る家族連れの姿あり。
いえいえ待ちます待ちますと家族連れの申込を待ちまくって、何とか2組状態にして、本殿の内陣へ。


本殿に上がると、頭上に太陽を頂く僧形八幡像に、まずお参り。


そして、花絵を拝見。花絵、素人目には基本、線しか残ってないように見えるというか。


花絵の中には、当時は珍しい葡萄などもあり。色が残ってたら、相当に派手だったかも。


一方、本殿内の装飾は今も派手。壁や柱にも絵が描きこまれ、正直こっちの方が楽しい。


神棚の周囲の絵には、熨斗に梅が入ったようなのもあり。熨斗の元なんだとか。


宮司さんは色々話してくれます。この辺は梅の名産地で、地名にも梅の名が残ることとか。


この社が空海によって建てられ、義満や秀吉の加護を受けたこととか。


椿が推しであることや、金魚の尾鰭の形をした椿の葉も推しであることとか。


でも最近は鹿害が酷いことや、カメムシが大量に出てその後に大雪が降ったこととか。


自然がおかしくなっており、紅葉のタイミングもかなりずれこんでることとか。


大事な節目もおかしくなってることとか、厄年は特に大事な節目であることとか。


●●●事件の●●と●●●●の●●は、いずれも犯行時に厄年だったこととか。


厄と言えば、社の近くには●●●●の豪邸があり、彼女は勉強熱心だったこととか。


ただ、占いとかはほどほどにしといた方がいいこととか。


瀬戸内寂聴もこの近くに来ており、この辺は聖地であることとか。


聖地ゆえ、大昔には●●●●や●●●が折伏に来たこともあることとか。


●●●●が折伏に来た際は、手に聖書を持ってたこととか。


そんな話を聴くだけ聴いたら、本殿を退殿。八幡神らしい習合感溢れるお話が、伺えました。
で、これでもう帰れるのかと言えば、そうではありません。拝殿の前の床机で御接待があるのです。


御接待で頂けるのは、大福茶。授与所の人が、盆に載せてお茶どうぞと持ってきてくれます。
大福茶は梅干と結び昆布が入ったお茶であり、梅干は宮司さんが漬けたものだとか。味は、普通。


大福茶を頂けば、特別拝観は終わりです。帰りますが、何か土産欲しいな、花に因んだもの。
とか思って、花に因んだ 「花みくじ」 を引いてみました。何の花が出たのかは、私だけの秘密です。


出目は小吉の椿だったので、どっかの枝にくくろうと思って木を探したら、超巨大な大木あり。
樹齢約600年の神木・ツブラジイです。くくると罰当たりだし、そもそも大き過ぎるので、止めました。


観るものを観て、聴くことを聴いて、飲むものを飲んで、引くものも引いたので、そろそろ帰ります。
帰り際に気付いたんですが、本殿前、例祭で行う三役相撲の土俵をブルーシートで保護してますね。
地元の神社としても、現役なわけです。生きてる神社は、美しい。そして、暖かい。維持も大変でしょう。
本殿に目をやると、宮司さんは新しく来た参拝客に対して、先刻と全く同じノリで案内を始めてました。

平岡八幡宮の花の天井・秋の特別拝観、
この日の客は、小さい子連れの若夫婦と、おっさん三人組、拝観客か不明な中年集団など。
宮司さんの案内付き拝観については、最初は 「何か重い」 とか思ってましたが、
実際は全くそんな感じではなく、逆の印象を持つ可能性の方がよほど高いと思います。
花の天井そのものについては、本文で触れた通り。ただ、周囲の雰囲気は非常に良いです。
総合的に考えると、ひとりに向いてる度は★★★★くらいでしょうか。

そんな平岡八幡宮の、花の天井。
好きな人と観たら、より八幡神なんでしょう。
でも、ひとりで観ても、八幡神です。


 
 
 
 
平岡八幡宮
京都市右京区梅ケ畑宮ノ口町23

京都市バス&西日本JRバス高雄・京北線
平岡八幡前下車すぐ
 

平岡八幡宮 – Wikipedia

平岡八幡宮 – 京都風光