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豊臣秀吉の命日に、高台寺の百鬼夜行展・夏の夜間特別拝観へ行きました。もちろん、ひとりで。

2024年8月18日(日)


豊臣秀吉の命日に、高台寺の百鬼夜行展・夏の夜間特別拝観へ行きました。もちろん、ひとりで。

豊臣秀吉の体臭。それは果たして、いかなるものだったのでしょうか。
一般的かつ世俗的なイメージから類推するなら、臭そうです。 「はげねずみ」 的、みたいな。
ゾンビのくさやにチーズを乗せて、しばらく腐らせた上に、悪趣味極まる香水をかけたような。
ひどいですか。なら、歯槽膿漏の野犬が魚食った口から飛ばした歯糞をパンに塗った感じとか。
とにかく、過剰に人間臭い何かと過剰に人間離れした何かが混ざった異臭を連想せざるを得ません。
秀吉が京都に建てた城郭の異常なまでの徹底破壊も、この異臭の存在を想定すれば然もありなん。
屍臭まで嗅がされた家康が 「何か臭い」 とか言って再建した伏見城まで潰したりとか。わはは。
あっ、下らない話だと思われたでしょうか。確かにこれは下らない話です。間違いなく下らない話です。
ただ秀吉を考える際、とりわけ京都との関係に於いて秀吉を考える際、不可欠な視座だと考えます。
疑いなく京都を改造した、秀吉。その痕跡が現代も濃密に残存するほど徹底的に改造した、秀吉。
にも関わらず、京都をめぐる言説に於いて秀吉の存在は、過度なまでに意識されることがありません。
「京都という町を形成した者」 を考える際、皇族以外でまず名が挙がるのは近世の町衆でしょうが、
長方形の地割御土居などを新設することで、その基盤を秀吉が構築したことも、間違いありません。
なのに、常に削除されがちな秀吉。 「はげねずみ」 だからなのか何なのか、削除されがちな秀吉。
これは、いけません。京都という都市を考えるなら、 「はげねずみ」 にこそ対峙する必要があります。
そして 「はげねずみ」 的なるものを検証するには、体臭からのアプローチこそ有効だと思えるのです。
秀吉に関するこの思い、高台寺の夏の夜間特別拝観へ今回出かけたことで新たにしました。
高台寺秀吉の妻・ねね縁の寺で、夏の夜間特別拝観は秀吉の命日 = 8月18日にちなむ企画です。
和風テーマパーク第1号なライトアップに加え、お盆で妖怪だらけな百鬼夜行展も楽しめる催しです。
あくまで普通の催しで、秀吉の体臭匂い玉とか屍臭の再現とかがあるのかといえば、もちろん否。
なのですが、にも関わらず、この特別拝観で私は、体臭の確かさこそを再確認したのでした。

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東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2024年3月15日(金)


東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 

「観光」 と 「信仰」 は、果たして対立するものなのでしょうか。恐らく、違うはずです。
元来 「観光」 は仏の光を観ることだと、どっかの坊さんが言うのを聞いた憶えがあります。
単なる物見遊山のつもりでも、単なる景観消費のつもりでも、実は仏の光を観ているのが 「観光」 。
寺院系の観光スポットに群がる者は、内実を問わずその全てが仏に導かれているというのです。
聞いた時、心の半分では 「詭弁だ」 と思いました。ただ残りの半分では、 「その通りだ」 と思いました。
清水寺を筆頭とする超メジャー級の寺院で大混雑を見た時に感じる、不思議で独特な浄化感。
稚拙な観光欲が消化 or 浄化 or 昇華され、何かの仏性に繋がっているように見える、あの感じ。
「群がる観光客を嘲笑しよう」 と思ってこのサイトを始めた頃、私はこの感覚を味わい、戸惑いました。
単なるイベントや単なる雑踏では生まれない何か。それが、大きな寺社にはあるのではないか。
そう思ったのです。冷やかし気分で清水寺へ赴き、私と同じような印象を受けた方も多いはずです。
「観光」 と 「信仰」 は、対立するものではない。むしろ、 「観光」 は 「信仰」 の中にこそある。
何なら、 「観光」 はひょっとすると、仏の光を見ることから始まったのかも知れない。
こんなわかるようなわからないようなことを、東福寺涅槃会へ出かけた際、感じていました。
東福寺は言うまでもなく禅宗の大古刹であり、涅槃会もまた言うまでなく釈迦の命日に行われる縁日。
3月15日 or 旧暦3月15日には各地の寺院で涅槃会が開かれていますが、東福寺もまた行っており、
中でも法堂に掲げられた明兆による巨大な 「大涅槃図」 の無料公開が最大の呼物となっています。
で、この涅槃会の雰囲気が何とも 「仏の光を観る」 という意味での 「観光」 といった感じだったのです。
仏の光を求めて、あるいはわけもわからずやってきて、皆が等しく仏の光を浴びる。
禅寺は厳格なイメージがあって、伽藍からして背筋を正してしまうようなテイストが漂ってますし、
特に東福寺の三門などはその極致で、何となく小乗感というか、厳しい印象がなくもありません。
でもこの日の東福寺は妙に大らかで、実に 「観光」 したような気になったのでした。

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坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。

2023年11月15日(水)


坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。

随分前から自分の中で、龍馬成分ゼロ問題のようなものが存在し続けていました。
龍馬に興味が湧かないのです。どうしてこんなに人気があるのか、全然わからないのです。
早く死んだからかな。でもそれなら他にも早く死んだ志士はいるよな。いくらでもいるよな。
業績があるからかな。でも推してる連中の雰囲気や温度感からは、そういうの、あまり感じないな。
あの人達は、明らかに私には見えない何かを龍馬に見出し、好きになっている。そう感じるのです。
こういう謎を解消する場合、人気の源泉とされるコンテンツへアプローチするのが定石であり、
龍馬の場合は検証にうってつけのネタも 『竜馬がゆく』 『龍馬伝』 を筆頭に枚挙に暇がありません。
が、そういうものを見る気力も湧かないのです。見るべきと思った2秒後には忘れてるのです。
いわゆる逆張りの心が作動してるのではないと思います。ベタを避けたいのではないと思います。
当サイトはそもそも、京都のベタを写経するようなサイトです。ゆえに龍馬は本来、避けられません。
また、最近多いという 「龍馬、実は大したことしてない」 的な反感も、特にないと思います。
そもそも反感を持つほどよく知らないし。たとえ知ろうと思っても、意欲が秒レベルでしか保たないし。
アンチ/シンパ問わず発生する龍馬成分みたいなものが、どうやら私には欠けてるようなのです。
そんな塩梅なので私にとって龍馬という人は、空気のような人、ということになってしまいます。
業績はともかく、現在は後世の人の願望や夢想の風船と化した人、ということになってしまいます。
これは、いかん。流石に、いかん。京都観光に縁深き人物にこの扱いは、いくら何でもいかん。
そう思ったので今回、坂本龍馬の命日に京都霊山護国神社霊山歴史館を訪れることにしました。
霊山護国神社は、言わずと知れた龍馬&中岡慎太郎を始めとする志士が眠る墓を守る社であり、
その向かいに昭和中期に出来た霊山歴史館は、昭和の龍馬ブームを体現する施設です。
龍馬の命日はもちろん神事や各種催しも行われているので、そのど真ん中を訪れることで、
龍馬のことと、龍馬に興味が湧かない自分のことを、わかろうとしてみたのでした。

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大谷祖廟の暁天講座へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2023年8月1日(火)


大谷祖廟の暁天講座へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

大谷祖廟へ出かける理由を、当サイトを始めた当初からずっと探し続けてました。
「そんなもん、勝手に行けよ。さっさと」 と言われたら、それで終わってしまう話ではあります。
が、それで終わらないもの、終わらせるべきでないものがあると感じてるのも、確かだったりします。
大谷祖廟。言うまでもなく浄土真宗宗祖・親鸞聖人の墓所がある、東本願寺の飛地境内です。
が、隣には門徒専用の墓地・東大谷墓地があり、両者はペアで認識されることが少なくありません。
実際、私もかなりごっちゃに捉えてます。しかも 「親鸞の墓」 というよりは 「門徒さんの墓地」 寄りで。
おまけに私は親類縁者に門徒がいないので、此処は全くの赤の他人が眠る墓地、となるわけです。
東大谷万灯会なども行われる点で間違いなく京都のメジャースポットですが、でも、墓地なわけです。
全く無縁な墓地への、理由なき訪問。一般良識で考えると、控えるべき行為とは言えるでしょう。
「無敵の人」 の万能感を使い切った後の人間が、如何なる倫理を持って如何なる道を歩むべきか、
思索を深めながら京都徘徊を続ける当サイトが、斯様に浅薄な行為におよぶわけには行きません。
その割には化野念仏寺の千灯供養や東山浄苑の真昼の除夜の鐘撞きなどに行ってはいますが、
2020年代後半を見据えた生き方を考えた場合、この手の荒事はもう控えた方が良いのでしょう。
また、より正直に言わせてもらえば、他の墓地訪問とは違う何かを大谷祖廟に感じることも確かです。
それが何か言えば、大谷祖廟と大谷本廟東山浄苑って何かややこしいなという話なんですけど。
特に祖廟と本廟って、何かややこしいな。本家と元祖とたかばしの違いみたいで、何かややこしいな。
そんな大声で言えない系の理由もあって、長らく大谷祖廟へ足が向かわず仕舞いだったのでした。
しかしそれでも大谷祖廟はやはり、大谷祖廟です。超メジャーです。やはり、行っとくべきです。
そう考えて今回、大谷祖廟が毎年8月初頭の早朝に開催してる暁天講座へ出かけることにしました。
暁天講座、誰でも入れる講座です。これなら、信心なしで行っても先祖の祟りとかないだろ。
と、けしからんことを徹夜明けの頭で考えながら、払暁の東山へ赴いたのでした。

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祇園甲部歌舞練場の都をどりを、桟敷席を予約して観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2023年4月28日(金)


祇園甲部歌舞練場の都をどりを、桟敷席を予約して観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

死と再生。春は、そんなことを考えさせられることが多い季節です。
今までの生活や環境に別れを告げ、新たな自分として歩み始める。そんな方も多いと思います。
清水の舞台から飛び降りるように新天地へ赴き、果敢に新生活を始める方も、少なくはないでしょう。
年度始めの世界的な主流は9月であり、日本の4月スタートも実は近代以降の慣習に過ぎませんが、
桜が咲く中で人生の転機を経験すると、誰もが春を特別な季節と感じるようになるとも思えます。
もちろん、桜という花そのものが死の香りを濃厚に孕むこともまた、決して見逃せません。
俺は春死ぬことにしよう。俺が焼ける間、外は花吹雪――いいぞ (映画 『お葬式』 侘助の科白)
涅槃や成仏、あるいは転生や輪廻。こうした願望も、桜や春は高めるのかも知れません。
そんな桜咲く2023年の春、京都・祇園でもひとつの再生が成されました。祇園甲部都をどりです。
都をどり。京都最大の花街である祇園甲部にて、毎年4月に行われてきた舞踊公演であります。
明治初頭に京都振興を目的として開始され、ゆえにその内容は今も極めてスピーディーで現代的。
観光都市・京都を最も体現するコンテンツとも言え、その興味深さは当サイトでもお伝えした通りです。
この都をどりが、2017年よりしばらく、祇園甲部でのホーム公演を行えない状態になってました。
理由は工事です。明治期より会場とし続けてきた祇園甲部歌舞練場が、改修工事に入ったためです。
春秋座や南座に会場を移し、さらには2020年からのコロナ禍を受けて公演そのものまで一旦休止。
こうした苦難を経て、2023年春、都をどりは遂に祇園甲部歌舞練場へ帰って来たのであります。
これは正しく、再生です。春に相応しい再生です。そしてこの再生は、何としても見届けるべきです。
そう考えて当サイトも、前回より良い席でこの再生を見届けようと、然るべき予算を用意しました。
あいにく多忙と券欠が重なって4月末のラスト前々日になったものの、それでも1等席の確保に成功。
しかも、舞台に間近い桟敷席です。これは、期待出来る。そう思いながら、当日は出かけました。
が、出かけてすぐ、全く予想しない形で死と再生に直面したのです。

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夏越祓の松原通で、水無月を買いまくり食べまくりました。もちろん、ひとりで。

2021年6月30日(水)


夏越祓の松原通で、水無月を買いまくり食べまくりました。もちろん、ひとりで。

夏越ネタで、水無月を食いまくろうと考えました。人間、そんな時もあります。
問題は、場所です。何処で食えば良いか。そう考えて、松原通が良いと思い至りました。
松原通五条通の少し北側を東西に走る、松原通。そして、元々はその五条通である、松原通。
元・五条通ゆえに長い歴史を誇る一方で、現・五条通みたいな荒い開発からは逃れ気味な、松原通。
また荒い開発から逃れ気味なゆえ、渋めの和菓子屋が渋いまま健在し続けてたりもする、松原通。
水無月食いまくりには、うってつけの場所と言い得るでしょう。しかし、理由はそれだけではありません。
松原通で水無月を買い食いしまくろうと決めた1番の理由は、この通が 「境界」 だからです。
松原通は、祇園祭の氏子域としては南端の境界にあたり、かつては山鉾巡行のルートでもありました。
昭和中期以降は山鉾が通らなくなったものの、祇園祭/稲荷祭の氏子域境界である点は今も同じ。
加えて松原通は、平安期と鎌倉期の端境に生きた歌人・藤原俊成が、邸宅を構えた地でもあります。
和歌史に於いてはその存在そのものが境界とも言い得る、俊成。無論、夏越の歌も残しました。
いつとても 惜しくやはあらぬ 年月を 御祓に捨つる 夏の暮かな (藤原俊成)
当サイトでは、阿呆な京都徘徊の影に隠れる形で 「境界」 なるテーマの探求を続けて来ました。
しかし、1年を前期と後期に分ける夏越については 「境界」 としての探求が足りてなかったと思います。
やって来たことと言えば、茅の輪くぐりまくりなどという神罰必定の所業ばかり。これではいけない。
人間、もう少し芯を食った生き方をするべきでしょう。では、夏越の食うべき芯とは、何か。水無月です。
茅の輪に、食える芯はありません。つまり夏越とは、水無月なのです。そして、松原通なのです。
そう考えた私は夏越当日、水無月を買い食いしまくるべく、昼から松原通へ赴きました。
コロナ禍の真っ最中だと、他にこれといって出来そうなネタもないことですし。

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川端四条の一平茶屋へ、かぶら蒸しを食べに行きました。もちろん、ひとりで。

2019年12月6日(金)


川端四条の一平茶屋へ、かぶら蒸しを食べに行きました。もちろん、ひとりで。

私は、京都の冬の風物詩であるかぶら蒸しを家庭料理として食したことが、ありません。
摺り下ろしたかぶらを卵白&具材と共に蒸し上げ、蕩みの利いた出汁をかけ食す、かぶら蒸し。
京野菜の恵みと丁寧な仕事が活きる、そして冬の底冷えも救う、実に京都らしい一品ではあります。
が、偽京都人 or おけいはんの民の私としては、かぶら蒸し、親が作ってくれた記憶はありません。
自分で作ろうと試みたことはありますが、面倒臭さに完敗しました。手がかかるんですよ、あれ。
結果として爆誕した謎のかぶら天つゆを啜り、己の身体的・生活的教養の欠如を痛感したものです。
正に、偽京都人。私のような 「外」 の人間は、家庭でかぶら蒸しを食うのが相応しくないのでしょう。
では、私や、あるいは私と同様 「外」 の存在たる人類の大半が、京都の冬の底冷えに遭遇し、
「かぶら蒸し食いたい」 と切に願ったのならば、食うのに相応しい場所とはいったい何処になるのか。
その適格地は川端四条であると、私は考えます。かの南座が建つ川端四条であると、考えます。
元来は、鴨川を隔てた洛の 「外」 であり、祇園神が洛中へ入る際の入口とされた、川端四条。
近世へ近づくに連れ妖しき傾奇者が集うようになり、やがて歌舞伎発祥の地となった、川端四条。
そして現代は、京阪で京郊の砂利が闖入し続ける、川端四条。正に 「外」 たる存在のアジールです。
「外」 の者が京都の冬の味覚を堪能するのに、ある意味、此処ほど相応しい地もないでしょう。
また何より此地には、かぶら蒸しの専門店とも言い得るような店も、存在してます。一平茶屋です。
かぶら蒸し定食が4000円超という値の張る店であり、ゆえに私は店の前を通り過ぎるばかりでしたが、
今回は意を決して、やはり冬の京都の代名詞である南座の顔見世真っ只中である12月に訪問。
家庭とは全く逆の、しかしアジールの人間らしい温もりを感じながら、かぶら蒸しを食したのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトであるために必要な挑戦なのです。
決して、冬場のアクセス数を確保すべく、食い物ネタを増やそうと考えたわけでは、ありません。
断じて、歌舞伎とかぶら蒸しをカブ繋がりでカブらせようと考えたわけでも、ありません。

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ゲストハウスイン清水三年坂で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2018年12月24日(月)


ゲストハウスイン清水三年坂で過ごす聖夜、前篇に続き後篇です。

「坂」 が、ある種の 「境界」 的な性質を孕む領域であることは、広く知られています。
物理的に外界との 「堺」 を築く山、そこへと向かう 「坂」 。自ずと、 「境界」 的になるわけですね。
山に囲まれた街・京都では、この傾向がより顕著です。清水・産寧坂も無論、例外ではありません。
そもそも産寧坂の別称・三年坂は、 「転ぶと三年以内に死ぬ」 という伝説から付いたとされるもの。
また、大日堂などの清水寺・境外塔頭は、かつてこの辺まで広がってた葬地・鳥辺野の名残とか。
「死」 が周囲に転がる、彼岸ゲートたる 「境界」 。その 「境界」 が引き寄せる、ある種のアジール性。
そんな産寧坂の 「境界」 性、水上勉に拠ると、昭和初期の頃までは残ってたようです。

産寧坂は、どうして、あんなに急で、人通りもまばらだったのだろう。両側は二階建てのしもた屋がな
らんでいた。急石段をのぼりながら、家々の戸口を見ると、どこも格子戸を固くしめて、提灯をつるして
いるのだった。いまは、この右側は、竹細工屋、餅屋、喫茶店など、とびとびにあって、観光客の男女
も、手をつないで出入りし、坂を登ってゆくが、昔は、ここの石段にへたりこんで、頭をさげては布施を
乞う乞食が大ぜいいた。
(水上勉 『私版京都図絵』 「東山二条 産寧坂」 )

では現在、この坂の 「境界」 性が全て脱臭されたのかといえば、そうでもありません。
国籍人種問わずベタな観光客が集う現在の産寧坂の様は、正にアジール or 魔界そのものでしょう。
それにそもそも 「産」 もまた、ある種の 「境界」 。無から有へと転じる、紛れもない 「境界」 です。
「死」 と 「生」 の 「境界」 としての、清水。生命がスクラップ・アンド・ビルドされる場としての、清水。
ベタに塗れるほど聖性を増す清水のタフな魅力の根源は、案外そんな所にあるのかも知れません。
というわけで、そんな清水に建つ 「境界」 宿・ゲストハウスイン清水三年坂での聖夜、後篇です。
後篇は、嘘と本当、現実と妄想、そして夜と朝の 「境界」 などを、見つめていきます。

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ゲストハウスイン清水三年坂で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2018年12月24日(月)


ゲストハウスイン清水三年坂で聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!! 『ひとりでうろつく京都』 恒例の聖夜企画、2018年度版です。
独男にとって精神的外圧が最も高まるクリスマスに決行されてきた、当サイトのひとり宿泊企画
初期こそネタ全開で激安宿寺の宿坊に投宿するも、やがて 「境界」 性がテーマとして浮上し、
長屋宿遊廓転業旅館元ラブホ街道の温泉と、平安京の 「四堺」 を押さえる形で転戦を展開。
さらに2016年以降は、インバウンド爆増で一気に魔界化した都心部の 「境界」 にも向き合うべく、
増殖しまくってる民泊の宿や、増殖しまくってる町家一棟貸しの宿でも、市街戦を繰り広げてきました。
で、そんな激戦を経る中で私は、やはりゲストハウスを押さえるべき、と思うようになったのです。
ゲストハウス。 「単なる家+雑魚寝」 というスタイルで安価を実現し、一気に爆増した、ゲストハウス。
爆増し過ぎて、最近は減少さえ始まった、ゲストハウス。正に、都心の 「境界」 宿の本丸でしょう。
しかし、当サイトでは正直、避けてました。何故なら、私はドミトリーが嫌だから。雑魚寝が嫌だから。
でも、押さえねば。と思ってたら、そんな私に最適な宿が現われました。ゲストハウスインです。
ゲストハウスの簡易さと、イン = 宿のホスピタリティを併せ持つという、宿ブランド・ゲストハウスイン。
公式サイトの写真でさえ部屋は単なるマンション全開状態なくらい、簡易さ加減は爆裂してますが、
でも、京都の宿泊状況のリアルを、個を尊びつつ体験するには、ぴったりとしか言いようがありません。
で、今回泊まってみたのです。しかも、数ある施設の中で、清水三年坂に泊まってみたのです。
ゲストハウスイン清水三年坂は、京都観光の本丸中の本丸である清水・産寧坂の、すぐ近くにある宿。
にも関わらず、施設はしっかり、マンション丸出し。というか、マンション以外の何物でもない状態。
パソコンまであるため、自部屋感あり過ぎ+旅情なさ過ぎではありますが、便利なのは間違いなし。
色んな意味で、京都の宿泊の 「今」 を、そして 「境界」 の 「今」 を、表す宿とは言えるでしょう。
そんな宿へ、 「境界」 性が高まる聖夜に泊まり、京都観光の新たな 「境界」 を見つめてみました。
日常と非日常の 「境界」 加減も濃い場所で、私はどんな 「今」 を見るのでしょうか。

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総本家にしんそば・松葉で、鱧そうめんと鱧天せいろを楽しみました。もちろん、ひとりで。

2018年7月31日(火)


総本家にしんそば・松葉で、鱧そうめんと鱧天せいろを楽しみました。もちろん、ひとりで。

3000円前後で、鱧を楽しむ。難しいようで、案外と楽で、でもやはり難しいことです。
食べるだけなら、難はありません。夏の京都では、値段を問わず多くの飲食店が鱧を扱います。
鱧天を出す蕎麦やうどん店も、多し。居酒屋なら、天婦羅のみならず落としを出す店も、多し。
値段だけ考え、そして 「夏の京都で鱧を食べた」 という既成事実を作るだけなら、簡単なわけです。
が、そんなブランド季節食としてだけ鱧を楽しむのは、どこか片手落ちではないかと、私は思います。
祇園祭の別名 「鱧祭」 が示すように、この魚が祭とシンクロした食材であることは、御存知の通り。
そして、防疫祭たる祇園祭と同様、鱧料理が京都の地理から生じた文化であることも、御存知の通り。
夏に京都で鱧を食すのであれば、こうしたバックグラウンドも共に味わう形で、食すべきではないか。
「海が遠い」 「暑過ぎ」 「平安時代から人多過ぎ」 といった地理を、舌で体感すべきではないか。
またこの体感を、ある種の祝祭性の中で実現して初めて、人は鱧を食したことになるのではないか。
『ひとりで食べる鱧』 を予算3000円台で再開した後、私はそんなことを考えるようになりました。
もちろん、こうした要素と共に鱧を食す際、3000円台という枠は、足枷になると言わざるを得ません。
それでも 『ひとりで食べる鱧』 再開後の当サイトでは、この困難なミッションに正面から取り組み、
山鉾巡行当日に於ける回転寿司鱧づくしや、晩夏のひとり池田屋事件などを、やらかしてきました。
しかし、足りない。何よりも、 「海が遠い」 という京都の地理をダイレクトに表現する要素が、足りない。
こうした要素も含め3000円台に収まるメジャー店、ないかな。と思ってたら、ありました。松葉です。
松葉。かの南座と共に祇園の入口に屹立する、にしんそば総本家として知られる蕎麦店であります。
北の大地より届く、身欠きニシン。その干物のニシンを戻して煮込み、蕎麦と共に食す、にしんそば
実に 「海の遠さ」 を表す料理です。また松葉は、夏には鱧そうめんなどの鱧メニューを展開。
なので今回、祇園祭ラス日に松葉で鱧を食し、夏と海と京都の関係を舌で考えてみたのでした。
なので当然、にしんそばも、食うのです。食わなければ、趣旨的におかしいのです。

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京都・東山花灯路2018へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年3月13日(火)


京都・東山花灯路2018へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

これといった理由も動機もなく東山花灯路へ立ち寄ることが、たまにあります。
大抵は、北側ゲート近くの図書館から帰る時です。調べもので、帰りが遅くなった時とかです。
平安神宮の辺から神宮道をフラフラ南下して電飾ゾーンへ入り、そのまま写真も撮らず歩き続け、
プレッシャーがどうこうといったことも考えないまま、極めて適当な気分でうろついたりするわけです。
少し遠回りして帰る、というくらいの気持ちで。少しは運動もしなくては、というくらいの気持ちで。
そんな時に目にする花灯路は、つまり単なる通行人としてごくごくナチュラルな目で眺める花灯路は、
それこそ 「特攻じゃあ」 と意気込んでる時とは違って見えるかといえば、そんなことはありません。
安い集客を図るべく撒かれた電飾と、それに吸い寄せられる蛾の如き民が、蠢いてるだけです。
が、特攻時のようにそれを注視するのではなく、さらっと通り過ぎてると、気分は結構変わってきます。
楽しいかといえば、特にそんなことはない。では楽しくないかといえば、これもそんなこともない。
そんな、無な気分になるんですよね。で、こんな気分になる場所というのは、他にないんですよね。
桜開花前の閑散期に於ける集客イベントとして始まり、狙い通りの活況を生んだ、東山花灯路
その活況により生じる地獄の沙汰については、当サイトでも以前から延々とお伝えしてきた通りです。
が、その一方で、さらっと通り過ぎる際に感じるこの無な気分も、実は以前から気になってました。
この不思議な気分は一体、何なんだろう、と。この無は一体、何処から生じてるものなんだろう、と。
というわけで2018年花灯路特攻は、この無にこそ対峙しようと考え、先述の遠回り帰宅モードで決行。
平日の夜、客層を細かく見ず、写真もなるべく撮らず、散歩の如くうろついてみたのであります。
そして、無の発生源を確かめるべく、電飾で強調された闇などにこそ目を凝らしてみたのであります。
そう、これは新たな挑戦なのです。 「平熱の花灯路」 みたいなものを伝える為の、挑戦なのです。
決して、マンネリでやる気がすっかりゼロなのを、屁理屈で誤魔化してるのでは、ありません。
断じて、そもそも花粉症ゆえ細かく見るのが面倒臭かったのでも、ありません。

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清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ小豆粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年1月15日(月)


清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ小豆粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

というものは、いわゆる 「本気」 で作ろうとしてみると、案外と調理が難しいものです。
「美味く作る」 という以前に、そもそも粥として成立させられるかどうかさえ、怪しかったりします。
柔らかく煮過ぎたら、単なる糊汁になってしまう。固めに仕上げたら、単なる湯漬けになってしまう。
程良い程度に煮込んでから、 「これぞ粥」 と誰もが思うポイントで火を止める。これが結構、難しい。
実際、私は粥を上手に作れた試しがありません。大抵の場合、湯漬けか糊汁が出来るだけです。
適当料理の極致のように見えながら粥は、実は高度なテクニックを要する料理なのかも知れません。
となれば、粥を食す機会が何かと多い1月に、いわゆる店舗にて粥を食すのも、一興ではないか。
「神社などを回って、接待の粥を寸評する」 などという下品+無礼+無粋な行為におよぶのではなく、
京都の和食のプロフェッショナルがその技により作った粥を、しかるべき対価を払う形で、食す。
こうして 「本当の粥」 を堪能すれば、この時期に粥を食う本義もまた、体で会得出来るに違いない。
そう考えた私は、今回、1月15日の行事食・小豆粥を、店舗にて食べてみることにしました。
出向いた店は、清水順正おかべ家です。言うまでなく、清水坂にあって、湯豆腐で知られる店です。
臨済宗南禅寺派の大本山にして五山の上に屹立する日本最高峰の禅寺・南禅寺の門前にて、
禅の思想を食で具現化した精進料理のひとつ・豆腐を、湯豆腐という形で古えより供してきた、順正
その順正が、清水寺参道たる清水坂、それも産寧坂の前に出してる支店が、清水順正おかべ家。
なので、湯豆腐が当然売りなんですが、季節メニューもやってて、1月15日には限定で小豆粥を提供。
それも、自前の豆腐製造所まで持つおかべ家ならではの、豆乳おぼろ小豆粥として出してます。
ので今回それを食べに行き、 「本当の粥」 を堪能することで、行事食の重みを感じてみたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。行事食の未来・可能性を見据える為に必要な、挑戦なのです。
決して、またも冬の食い物記事を増やして、アクセス数の底上げを狙ってるのでは、ありません。
断じて、先週の七草粥と同じ作りで、安易に記事を増やそうとしてるのでも、ありません。

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清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年1月7日(日)


清水順正おかべ家へ豆乳おぼろ七草粥を食べに行ってきました。もちろん、ひとりで。

というものは、いわゆる 「本気」 で作ろうとしてみると、案外と調理が難しいものです。
「美味く作る」 という以前に、そもそも粥として成立させられるかどうかさえ、怪しかったりします。
柔らかく煮過ぎたら、単なる糊汁になってしまう。固めに仕上げたら、単なる湯漬けになってしまう。
程良い程度に煮込んでから、 「これぞ粥」 と誰もが思うポイントで火を止める。これが結構、難しい。
実際、私は粥を上手に作れた試しがありません。大抵の場合、湯漬けか糊汁が出来るだけです。
適当料理の極致のように見えながら粥は、実は高度なテクニックを要する料理なのかも知れません。
となれば、粥を食す機会が何かと多い1月に、いわゆる店舗にて粥を食すのも、一興ではないか。
「神社などを回って、接待の粥を寸評する」 などという下品+無礼+無粋な行為におよぶのではなく、
京都の和食のプロフェッショナルがその技により作った粥を、しかるべき対価を払う形で、食す。
こうして 「本当の粥」 を堪能すれば、この時期に粥を食う本義もまた、体で会得出来るに違いない。
そう考えた私は、今回、1月7日の行事食・七草粥を、店舗にて食べてみることにしました。
出向いた店は、清水順正おかべ家です。言うまでなく、清水坂にあって、湯豆腐で知られる店です。
臨済宗南禅寺派の大本山にして五山の上に屹立する日本最高峰の禅寺・南禅寺の門前にて、
禅の思想を食で具現化した精進料理のひとつ・豆腐を、湯豆腐という形で古えより供してきた、順正
その順正が、清水寺参道たる清水坂、それも産寧坂の前に出してる支店が、清水順正おかべ家。
なので、湯豆腐が当然売りなんですが、季節メニューもやってて、1月7日には限定で七草粥を提供。
それも、自前の豆腐製造所まで持つおかべ家ならではの、豆乳おぼろ七草粥として出してます。
ので今回それを食べに行き、 「本当の粥」 を堪能することで、行事食の重みを感じてみたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。行事食の未来・可能性を見据える為に必要な、挑戦なのです。
決して、粥ネタやるにしても多少は美味いもん食いたい、と思って出かけたのでは、ありません。
断じて、冬の食い物ネタを増やし、アクセス数の底上げを狙ってるのでも、ありません。

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2018年への年越しを、東山浄苑にて昼間に済ませました。もちろん、ひとりで。

2018年1月1日(月)


2018年への年越しを、東山浄苑にて昼間に済ませました。もちろん、ひとりで。

年越しとはある意味、一年の内で最も巨大な 「境界」 の時期、と言えるでしょう。
いや、 「越し」 の語が明確に示す通りに、 「ある意味」 もひったくれもなく丸出しとさえ言えます。
古き年の死と、新しき年の再生。正に、 「境界」 の魔力が最高潮に達するであろう瞬間なわけです。
「境界」 を裏テーマに据える当サイトとしては、この巨大な 「境界」 、見逃すわけにはいきません。
が、これまで延々展開してきた年越し企画では、年越しの 「境界」 性、迫ることは出来ませんでした。
理由は、余りにも巨大だから。年越しはいわば、都市 or 国 or 世界の全てが動く 「境界」 だから。
クリスマスなどとは、わけが違います。社会のあらゆるエレメントが影響を受けるイベントなわけです。
とはいえ、退却戦ばかりやってるわけにもいきません。正面からの特攻こそ、当サイトの流儀。
死と再生へ正面からシビアに対峙する形の年越し、というのも、やはり一度はやっておくべきでしょう。
というわけで2018年への年越しは、京都に於ける死と再生の極点たる 「境界」 にて敢行しました。
出向いたのは、東山浄苑。霊苑です。巨大な建物に永代納骨御仏壇が大量に安置された霊苑です。
古墳や御陵があり、今も京都市中央斎場京都中央安置センターが絶賛稼働中の六条山にて、
ほにゃらふにゃらな事情により、あの東本願寺とは違う東本願寺が運営してる、超弩級の霊苑です。
ゆえに、身内が入ってない者には無縁なんですが、2017年大晦日は昼に除夜の鐘を一般実施
これぞ親鸞聖人蓮如上人によって導かれた仏縁と会得し、出かけたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。ほにゃらをふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃほにゃふにゃほにゃをふにゃほにゃほにゃふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ふにゃふにゃほにゃふにゃらをほにゃらほにゃふにゃほにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃらふにゃほにゃほにゃらをほにゃほにゃふにゃふにゃするのに必要な、挑戦なのです。
ほにゃほにゃふにゃほにゃらをふにゃふにゃほにゃらふにゃらするのに必要な、挑戦なのです。
ふにゃらふにゃほにゃほにゃをほにゃほにゃほにゃふにゃするのに必要な、挑戦なのです。
断じて、当日になって夜に雨が降りそうとわかり、昼に済ませたわけでは、ありません。

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長楽寺へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

2017年11月27日(月)


長楽寺へ紅葉を観に行って来ました。もちろん、ひとりで。

祇園の東の奥に建つ、長楽寺。紅葉で大々的に有名な寺、というわけではありません。
伝教大師により創建されたとされ、天皇即位時のみ開帳する本尊を頂くと共に深い帰依も受け、
建礼門院の出家伝説、重文・一遍上人像相阿弥作庭の庭、また頼山陽の墓地も持つ、長楽寺。
名刹であります。 「紅葉があるかないか」 といった些末なことなど言うべきでない、名刹であります。
が、紅葉があるかないかで言えば、あまりありません。ないこともないですが、あまりありません。
11月になると出回る紅葉情報に名前が出る程度にはありますが、規模やボリュームは割と大人しめ。
手前に拡がる円山公園の紅葉が、人気的もボリューム的も凄いので、余計大人しく見えたりします。
相阿弥作の庭のビジュアルは、トップ絵の如く、実に映えるもの。ただ、規模はやはり、大人しめ。
収蔵品を含め、見所そのものはあくまでも多い名刹です。が、紅葉に話を限れば、どうにも大人しめ。
行ったけどあまり気乗りがしなかった他のスポット同様、記事化をスルーしようかとさえ思いました。
では何故、今こうして記事にしてるのか。それは、大人しめな紅葉の大人しめさゆえ、です。
先述通り、長楽寺は円山公園の奥にあります。で、円山公園は公共公園なので、無料で入れます。
で、これまた先述通り、円山公園の紅葉は中々なものなので、紅葉シーズンには人だらけとなります。
凡庸な民のエゴを膨脹させるスマホやSNSといったものがなかった頃も、充分人だらけでしたが、
これら悪器の登場、そして某国人の皆様が押し寄せて以降は、前後不覚の輩が溢れる巷へと変化。
地獄です。で、同志の方がそんな地獄を歩む際に、オアシスとして長楽寺を考えてみて欲しいのです。
長楽寺は、紅葉が大人しめな分、客数は少なめです。ので、オアシスとしては、良い所なのです。
無論これは、極めて失礼な言い方です。が、実際問題、客は少なめです。ので、オアシスなのです。
公園から響く猿の如き嬌声を幽かに聴きながら、大人しめの紅葉を、大人としてひっそりと楽しむ。
そんな京都の愉悦を、提案したい。というわけで、長楽寺です。紅葉が少なくても、長楽寺です。
決して、やや高価い拝観料の元を取るべく、無理めに記事化してるのではありません。

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御食事処明日香で、鱧落としと鱧天麩羅定食を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

2017年8月3日(木)


御食事処明日香で、鱧落としと鱧天麩羅定食を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

夜に、安く鱧を味わうには、果たして何処へ行って、どうすればいいのか。
夏企画 『ひとりで食べる鱧』 復活に際し、私はこんなミッションを己に課そうと考えました。
理由は、過去の特攻が全て昼特攻だったので。あと、単に安い店もこれまでは避けていたので。
値が張ってこそ、鱧。貧乏なりに、出費による緊張感込みで夏の味覚を楽しんできたわけです。
が、復活後の 『ひとり鱧』 は、予算枠が更に緊縮。緊張感がどうとかなんて、もう言ってられません。
というわけで今回、夜の激安鱧ミッションであります。果たして何処へ行って、どうすればいいのか。
このミッション達成に当たり、まず候補へ挙げるべきなのは、居酒屋ということになるんでしょう。
京都にも、居酒屋はあります。沢山、あります。で、多くの店は夏になれば、鱧メニューを扱います。
値は当然ながらピンキリですが、無理矢理に平均を出せば、落とし単品が1000円強程度でしょうか。
予算枠的に考えれば、悪くありません。が、そもそも私、酒の場が好きじゃないんですよね。
食事をする店で、夜に安く鱧が食いたい。酒ではなく飯がメインの店で、夜に安く鱧が食いたい。
と思い、そんな条件を満たす店を探しました。 「あるわけない」 とも思いながら、探しました。
すると、すぐ見つかりました。それも、普段通る道で、見つかりました。御食事処明日香が、そうです。
こちらの明日香が建つのは、平安神宮参道・神宮道三条通の交差点という、かなりな観光地。
実際、この交差点から平安神宮までは、それこそ観光地テイストな店が林立してるわけですが、
しかし明日香は、リーズナブルなメニューが多い御食事処であり、夏にはリーズナブルに鱧も提供。
3000円どころか、2000円でもお釣りが来る形で鱧が楽しめてしまう、何とも有難い店なのであります。
私は、図書館への道中で何度も前を通りながらも、ここが鱧を出してることを知りませんでした。
が、夜の激安鱧ミッション達成を前にして、目に鱧センサーみたいなもんが宿ったのか何なのか、
店前の看板に堂々掲げられてた 「鱧」 の字に、今年になって初めて気付いた次第です。
というわけで、8月の夜、見慣れた暖簾を新たな気持ちで潜ったのでした。

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割烹たん義で、はも丼と鴨万寿を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2017年7月6日(木)


割烹たん義で、はも丼と鴨万寿を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

『ひとりでうろつく京都』 の夏の企画 『ひとりで食べる鱧』 、めでたく復活です。
京都ベタスポットへの特攻をサイトの趣旨とするなら、ベタグルメもまた取り組むべきだと考え、
サイト開設当初は、身銭を切った積極的かつ果敢な特攻を繰り広げていた、 『ひとりで食べる鱧』 。
しかし、いくらその意図が崇高であっても、鱧を食うにはやはりそれなりに元手が掛かるのであり、
それを見越してリーズナブルな店・時期・時間を狙っても、それでもやはりそれなりに掛かるのであり、
開始早々に予算爆発で撤退を決定し、以後は川床特攻などの際に嗜む程度となってたのでした。
いや、何というか、鱧ネタといえども正直に言えば、単発の出費自体は、それほど痛くはありません。
「5000円」 と枠も設定してたし。当サイトには、宿泊や鍋など、より身銭を切るネタもありますし。
ただ、鱧ネタみたいに 「美味いもんを食う」 ことに特化したネタって、食の連鎖反応を生むんですよね。
ネタ採取の時以外でも、高価くて美味いものを思わず連鎖的に食いたくなってしまうんですよね。
我慢も出来なくはないですが、我慢したらしたで、何か凄く、淋しい気持ちになってしまうんですよね。
見てる側からすると 「知るか」 という話ですが、こういう事情もあり、鱧ネタを長く日和ってました。
しかし、やはりこれでは、いけない。サイトの趣旨的に、いけない。何より、アクセス数的に、いけない。
というわけで 『ひとりで食べる鱧』 、復活です。しばらく、連続的にやる予定です。よろしくです。
ただ、もちろん予算の方は依然として緊縮財政が続いてるので、以前の 「5000円」 枠を更に、緊縮。
「3000円プラマイ500円」 程度で、何とか鱧に辿り着き、そして京都の夏を味わおうかと思います。
で、今回赴いたのは、祇園北の割烹たん義です。祇園とは、あの祇園です。割烹とは、あの割烹です。
巽橋を始め祇園なる風情がこれでもかと溢れまくる祇園新橋、そのすぐ北にあるのが、たん義。
そんな店行ったら、3000円どころかその十倍以上掛かりそうな気がしますが、これが違うんですよ。
こちらのお店、夏の昼間は、鱧をたっぷり載せたはも丼を2000円台で出してくれるんですよね。
なので、出掛けてみました。で、名物という鴨万寿も一緒に、食べてみました。

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京都・東山花灯路2017へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2017年3月9日(木)


京都・東山花灯路2017へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

人はどうして、美しい景色をひとり占めしたい、と考えてしまうのでしょう。
自分で作ったわけでもない景色。人に見せない理由は、ないはずです。なのに、見せたくない。
恥ずべき願望や性癖を具現化した景色であれば話は別ですが、そうでもないのに、見せたくない。
無論、そんなケチくさいことを考えず、美を多くの人と分かち合いたいと考える人もいるでしょう。
しかし、私も含め大抵の人々は、美しい景色に遭遇した時、その場に他人がいないことを望みます。
そして多くの場合、その願望の余りの理不尽さを自覚し、己の理不尽さに腹を立てたりもします。
この気持ちは一体、何なんでしょうか。何に因って生まれ、そして、何に因ってこじれるのでしょうか。
答えは、色々と想定し得るかも知れません。何なら、人の数だけ答えがあるのかも知れません。
もし私が答えを求められたとしたら、私はきっと 「恥ずかしさ」 こそがその理由だと答えるでしょう。
こんな時に、こんな所で、こんなことをしてて、いいのか。こんなことしてるのを、人に見られたくない。
私は、景色を 「ひとり占めしたい」 と思う時、常にこんな 「恥ずかしさ」 を同時に感じています。
この 「恥ずかしさ」 ゆえ、他人に対し何らかの攻撃的な感情を抱くことも、珍しくありません。
「邪魔、消えやがれ」 みたいなことも、思ってしまうのであります。実に、悲しいことであります。
こんな時に、こんな所で、こんなことをしてて、いいのか、的な気分が溢れる京都のイベントといえば、
何といっても3月初旬の閑散期対策として行われる、電飾使いまくりの集客イベント・東山花灯路
当サイトではこの東山花灯路、これまで一貫して 「恥ずかしさ」 を全身で感じる荒行日と定義し、
「こんなことしてる」 のを見られるべく、常に人が多いタイミングで単独特攻を敢行し続けてきました
が、もういい加減、疲れました。 「恥ずかしさ」 を感じ過ぎて、心の芯の方が何だか、疲れました。
あと、一度くらい 「邪魔、消えやがれ」 とか思わずに花灯路を観てみたい気持ちも、涌いてきました。
電飾が本当の意味で美しいかどうかはともかく、人の心を蛾に変えるこの灯りの魔力の正体を、
落ち着いた形で見据えるのも、それはそれで意義があるのではないか、と思うようになったのです。
というわけで、2017年の東山花灯路特攻は、人が少ないであろう平日の雨の日を選んで敢行。
「恥ずかしさ」 を大幅削減した目で、改めて花灯路を観てみたのでした。

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京都・東山花灯路2016へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年3月20日(日)


京都・東山花灯路2016へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

当サイトへの感想として、 「楽しそう」 という声を頂くことが、稀ながらあります。
京都に於ける超メジャースポットへの単独正面突破を趣旨とする、我が 『ひとりでうろつく京都』 。
ベッタベタのスポットへひとりで特攻し、ベッタベタの客に塗れることで、己が魂をズタズタに傷つけ、
その魂の傷から流れ出る血を以て現場のリアルを記すというのが、サイトの基本コンセプトです。
特攻により生じる苦痛を、ある種の 「ヤラレ芸」 として面白がってもらおうと思ってるわけでは全くなく、
また、自虐の裏返したるナルシズム or エリーティズムで共感を呼ぼうと思ってるわけでも全くなく、
苦痛を正面から受け止め、その苦痛を体感的かつ直接的に伝えることを考えて、更新を続けてます。
が、他人から見ると、崇高なる信念に基づくこの特攻&表現が、何か、楽しそうに見えるそうです。
花灯路の記事で 「震災を忘れていいのか」 的なことを書いてても、何か、楽しそうに見えるそうです。
そういう風に見えるということは、つまり、私はこの荒行を心のどこかで楽しんでるんでしょう。
文句を垂れながらもその一方で、こっそりと、ひっそりと、混雑や賑わいを楽しんでるんでしょう。
卑猥です。卑猥であることは必ずしも悪ではありませんが、独男が卑猥であることは多分、悪です。
そして、こういった卑猥さは、少なくともこのサイトに於いて私が求めているものではありません。
足りてない。苦痛が、足りてない。ディープな苦痛ではなく、凡庸にして浅薄な苦痛が、足りてない。
卑猥な享楽を許す隙などない、酸素自体が毒と化したような逃げ場なき苦痛が、足りてない。
そう考えた私は、2016年度の東山花灯路特攻を、徹底的に混雑する日を選んで決行してみました。
桜シーズン直前&紅葉シーズン直後という閑散期に、ベッタベタスポットである東山&嵐山にて、
電飾をビカビカ光らせて夜間の集客を図り、ひいては宿泊客増加も狙って開催される、京都花灯路
その客層は、光るもんがあれば脊髄反射で近付き群がるような、これまたベッタベタなものであり、
当サイトは崇高なる趣旨を示せる絶好の機会として、東山花灯路については特攻を毎年かけてます
特攻開始直後に震災があった為、個人的には電気について色々感慨が湧くイベントなんですが、
今回は、 「悪天が続いた会期の最終日目前+連休の中日+日曜」 を決行日としてわざわざ選び、
手前勝手な感慨や嘆息を許す隙などない、凡庸にして浅薄な苦痛の中へ飛び込んだわけです。
逃げ場なき混雑で感じた私の苦痛は、体感的かつ直接的に伝わるでしょうか。

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東福寺塔頭・毘沙門堂勝林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2015年11月27日(金)


東福寺塔頭・毘沙門堂勝林寺へ紅葉を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

東福寺は、夜になるとやたらに寺&その周辺が暗くなるなと思ったりします。
臨済宗東福寺派大本山に相応しいその巨大なる伽藍は、ライトアップされることなど全くなく、
むしろ逆にブラックライトでライトダウンするかのように、禅宗ならではの厳格な闇を周囲へ放射。
名勝・通天橋が瀕死の混雑に見舞われる紅葉シーズンにあってもなお、その闇の厳しさは変わらず、
陽が落ちる夕方以降は昼間の喧噪が嘘の様に消え、代わって辺りに充満するのは漆黒の闇。
群集の荷重に耐えた当の通天橋も、夜は地元中高生の自転車が通るばかりの暗黒渡り廊下となり、
その圧倒的な暗さは、まるで 「これこそが正しい寺の姿なのだ」 と宣言してるようにも見えます。
無論、寺とその周囲が夜に暗くなるというのは、本来は当然というか、普通な姿ではあるんでしょう。
しかし、紅葉シーズンくらい夜間拝観をやってもいいんじゃないかと思ってしまうのもまた、人情。
境内の広さ&紅葉の大規模さを考えると、電気代がえらいことになるだろうけど、やってほしいな、と。
通天橋から落ちて天国へ通り抜ける奴が何人か出るかも知れないけど、やってほしいな、と。
そんな最低共通文化に基づく需要にも一応対応しようと考えたのか、夜間拝観をやってくれてるのが、
東福寺の境内にあってその鬼門を守る、 「東福寺の毘沙門天」 こと塔頭・毘沙門堂勝林寺です。
勝林寺。少林寺に非ずして、勝林寺。東福寺第205世により1550年に創建された、塔頭であります。
東福寺仏殿の天井裏で発見されたという、本尊にして伝・定朝作の毘沙門天立像を始めとして、
珍しい毘沙門天曼荼羅や、大檀那である近衛家の大玄関が移築された本堂など、その見所は多し。
通常非公開であることが惜しまれるほどですが、名物の吉祥紅葉が色づく秋には特別公開を行い、
良縁と美縁の御利益から舞妓はんも訪れたというこの紅葉を、夜ともなればライトアップで更に演出。
その様は、忍び寄る餓鬼より本丸の闇を守るのもまた鬼門守護の一環と考えてるかのようであり、
東福寺の拝観に間に合わなかった迷える衆生にとっては、ある種の緊急避難先になってます。
そんな勝林寺の紅葉、もちろん東福寺が真っ暗になる夜に観に行きました。

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