夏越祓 - ひとりでうろつく京都 (β版)

夏越祓に長岡京・小倉山荘竹生の郷本館へ行き、茅の輪をくぐって『夏のしるし』を買いました。もちろん、ひとりで。

2022年6月30日(木)


夏越祓に小倉山荘へ行き、茅の輪をくぐって『夏のしるし』を買いました。もちろん、ひとりで。

2021年の夏越ネタで俊成を扱った以上、2022年の夏越では定家を扱わざるを得ません。
藤原俊成の息子である、歌聖・藤原定家。そして無論、小倉百人一首の撰者でもある、藤原定家。
実作者としても研究者としても突出した評価を誇る、間違いなく和歌史に於ける最重要人物です。
平安/鎌倉という時代の端境に生きた点では、当サイトの裏テーマ 「境界」 の観点からも、最適。
夏越の 「境界」 性に注目した高踏な展開を、継続出来るし。絶対、扱わざるを得ません。
ただな、定家の夏越の歌ってよく知らんのよな。百人一首の中には、定家作の夏越の歌はないしな。
定家、夏越は好きじゃなかったのかも。ひょっとして 「夏越は家隆に譲る」 とか思ってたのかも。
となれば、定家を絡めた夏越ネタをやるというのは、どうだ。流石に、どうだ。ちょっと、無理ないかな。
と思ったんですが、2021年の夏越で俊成を扱った以上、2022年は定家を扱わざるを得ません。
どうしても夏越と定家を絡めなくてはならんのです。ので今回、小倉山荘へ買物に行くことにしました。
小倉山荘長岡京市の米菓のメーカーであります。全国的には、無撰別の通販で有名でしょうか。
店名通りに小倉百人一首をブランドイメージに採用し、定家推し商品でも人気を呼ぶようになりました。
6月前後にはもちろん、夏越アイテムも展開。百人一首の歌へのオマージュも、忘れてません。
風そよぐ 楢の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける (藤原家隆/百人一首98番)
小倉山荘 『夏のしるし』 は、米菓 『をぐら山春秋』 の夏版と、水無月に似た 『寄石恋』 のセットです。
もはや定家とは全く無関係とも言えますが、この歌を小倉百人一首に選んだのは、あくまでも定家。
選んだ際の定家の心に思いを馳せながら買えば、きっと歌の心のようなものを会得出来るはずです。
また、夏越に小倉山荘へ買物に行きたくなるのには、他にも大事な理由があります。茅の輪です。
小倉山荘の本店、夏越には店先に茅の輪を出すんですよ。長岡天満宮のお祓いをしたという。
アカデミックな夏越の探求が出来て、茅の輪もくぐれる。正に一挙両得です。ダブルチャンスです。
そう考え、晩夏と初夏の違いこそあれど 「夏のしるし」 を求め、長岡京市へ出かけました。

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夏越祓の松原通で、水無月を買いまくり食べまくりました。もちろん、ひとりで。

2021年6月30日(水)


夏越祓の松原通で、水無月を買いまくり食べまくりました。もちろん、ひとりで。

夏越ネタで、水無月を食いまくろうと考えました。人間、そんな時もあります。
問題は、場所です。何処で食えば良いか。そう考えて、松原通が良いと思い至りました。
松原通五条通の少し北側を東西に走る、松原通。そして、元々はその五条通である、松原通。
元・五条通ゆえに長い歴史を誇る一方で、現・五条通みたいな荒い開発からは逃れ気味な、松原通。
また荒い開発から逃れ気味なゆえ、渋めの和菓子屋が渋いまま健在し続けてたりもする、松原通。
水無月食いまくりには、うってつけの場所と言い得るでしょう。しかし、理由はそれだけではありません。
松原通で水無月を買い食いしまくろうと決めた1番の理由は、この通が 「境界」 だからです。
松原通は、祇園祭の氏子域としては南端の境界にあたり、かつては山鉾巡行のルートでもありました。
昭和中期以降は山鉾が通らなくなったものの、祇園祭/稲荷祭の氏子域境界である点は今も同じ。
加えて松原通は、平安期と鎌倉期の端境に生きた歌人・藤原俊成が、邸宅を構えた地でもあります。
和歌史に於いてはその存在そのものが境界とも言い得る、俊成。無論、夏越の歌も残しました。
いつとても 惜しくやはあらぬ 年月を 御祓に捨つる 夏の暮かな (藤原俊成)
当サイトでは、阿呆な京都徘徊の影に隠れる形で 「境界」 なるテーマの探求を続けて来ました。
しかし、1年を前期と後期に分ける夏越については 「境界」 としての探求が足りてなかったと思います。
やって来たことと言えば、茅の輪くぐりまくりなどという神罰必定の所業ばかり。これではいけない。
人間、もう少し芯を食った生き方をするべきでしょう。では、夏越の食うべき芯とは、何か。水無月です。
茅の輪に、食える芯はありません。つまり夏越とは、水無月なのです。そして、松原通なのです。
そう考えた私は夏越当日、水無月を買い食いしまくるべく、昼から松原通へ赴きました。
コロナ禍の真っ最中だと、他にこれといって出来そうなネタもないことですし。

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向日神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。

2019年7月31日(水)


向日神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。

旧暦のタイムテーブルが生き続けてるのは、京都市街に限った話ではありません。
明治以降を全否定するかの如き勢いさえ感じさせる京都の旧暦の生き残りぶりは、確かに、
本来の正月 = 節分での異常な盛り上がりを筆頭として、当サイトでも何度かお伝えしてきた通り。
とはいえ、当然ながら京都以外の人もまた千年以上にわたって旧暦タイムを生きてきたわけであり、
その旧暦タイムの中で育まれてきた伝統行事も、タイミングはそうそう変えられなかったりします。
より季節感にフィットした旧暦タイムで各種行事を行い続ける寺社・地域は、京都以外でも実に多く、
季節感がよりビビットに反映される夏越祓については、7月末に実施する社も少なくありません。
京都・乙訓向日町に建つ向日神社も、そんな旧暦タイムの7月末に夏越祓を行う社のひとつです。
向日神社。 「むかえび」 でなく、日向の逆だからといって 「がひゅう」 でもない、むこうじんじゃ。
嵐山の辺から南東へ続く丘陵の先+古墳でもある向日山で、奈良時代に創建された古社であります。
プレ平安京たる長岡京はこの社を取り込むように造営され、平安遷都後も朝廷より崇敬を獲得。
近世以降は国学者の六人部是香を輩出し、本殿が明治神宮の元ネタになったことでも、有名でしょう。
一方で、中世には土一揆の会合の場となり、戦国時代以降には西国街道沿いに門前町を形成。
古社ゆえのロイヤルなる由緒&縁と、京郊ならではのアーシーなテイストを併せ持つ社なわけです。
そんな向日神社の旧暦の夏越は、ロイヤルでアーシーなものかといえば、そうでもありません。
市制施行から何十年経っても門前町の呼称が生き続ける向日町は、同時に宅地化が急激に進展。
高度成長期に至るまで宅地は増え続け、人口密度は京都市さえブチ抜いて府最高となりました。
いわば、ベタベタのベッドタウンです。旧暦どころか明治さえ踏み潰すような、昭和丸出しの町です。
なので向日神社の旧暦夏越も、徹底的に生活感爆裂路線かといえば、これまた違うんですよね。
生活者が多いからこそ生き続けるナチュラルな信仰と、この社独特のロケーションが相まり、
季節感にフィットした伝統を良い雰囲気で体感できる、そんな夏越だったのでした。

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夏越祓の茅の輪を求めて山科をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2019年6月30日(日)


夏越祓の茅の輪めぐり@山科盆地・山裾、前篇に続いて後篇です。

子供の頃の私にとって、山科は、何だかとてもカオスな街に見えたものでした。
カオスな人達が住んでる街に見えたわけではありません。街の作りがカオスに見えたのです。
狭くて曲がりくねった道。見通しの利かない交差点、そこへ密集して建て込む家家家家家家家家。
さらには、生活するためだけに住む人が密集して住むことから生じる、濃過ぎるほどの生活感。
地元・八幡や、見慣れた京都市街とは異なるそんな景観を、親戚の家を訪れる際に車の窓から見て、
「こんな町、絶対に車で走りたくない」 と思うと同時に、わけのわからん異様さを感じたものでした。
車の普及をギリギリ想定し切れなかった頃の荒っぽい開発によって急激に都市化された山科が、
昭和の人口爆増&車爆増を経て、今もあちこちで渋滞を生む街となったのは、御存知の通り。
私が住む八幡はもうちょっと開発が後であり、京都市街は密住してても街が遥かに整然としてるため、
昭和丸出しの無秩序な増殖によって仕上がった山科のルックが、とても異様に見えたわけですね。
ただこの印象、今回の茅の輪めぐりを経て、理由は他にもあると思えるようになりました。
近隣の生活者にとって山科は、それこそ単に人口が増え過ぎたベッドタウンでしかないわけですが、
めぐりをすると、この街がとても芳醇な歴史&自然&オーラを持つエリアであることが、体感できます。
「知ることができた」 とかではなくて、体感です。山裾部の緑から得られる、生々しい体感です。
もっと厳密にいうなら、無秩序な排気ガスで汚された緑から得られる、霊気の生々しい体感です。
人間がいるからこそ成立する、神々しい自然。単なる自然ではそもそもありえない、神々しい自然。
そんな、逆説か順説かよくわからん本質みたいなものが、生々しい形で溢れてるように思えるのです。
そしてこの生々しさは、私が子供の頃感じた山科のカオスな印象に、不思議と似てたのでした。
人間と神と自然と車がカオスに密住しまくる山科での、雨に濡れながらの夏越祓の茅の輪めぐり、
後篇では、生々しい神と自然へもうちょっと寄った感じで、盆地山裾の社をめぐって行きます。
私が山科に感じたカオスの正体は、雨の彼方から姿を現してくれるでしょうか。

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夏越祓の茅の輪を求めて山科をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2019年6月30日(日)


夏越祓の茅の輪を求めて山科をうろつきました。もちろん、ひとりで。

改めて考えると、茅の輪くぐりまくりにおいて当サイトは、思い上がってました。
あちこちの社を茅の輪求めて彷徨い、 「これは小社を紹介するいい機会」 とか思ってました。
そして、その思い上がりを反省すると言って禊の天王山攻めなどをやり、それもネタにしてきました。
こうした所業は確かに、あまり良いこととは言えません。態度としては、明確にふざけてるでしょう。
愚かさを超克できず、糊塗することしかできない凡庸さから生まれる、この思い上がり。腐ってます。
が、だからといってこの愚昧&凡庸&腐敗を反省ばかりしてるのも、それはそれで非生産的です。
そもそも、反省の先に何があるというのか。部屋でじっとして、窓から雨粒でも数えてるべきなのか。
違う。それは日和だ。梅雨の雨中で徘徊したくないという日和の声が、内省心を偽装してるだけだ。
めぐりは、続けなければならない。めぐりが罪なら、その罪を一身に背負って続けなければならない。
その徘徊が、雨の中でのその徘徊こそが、めぐりびとにとって巡礼に、そして浄化にもなるはずだ。
私はそう考え、2019年の夏越は雨の中をとことん歩くことにしました。歩いたのは、山科です。
山科。京都の隣にあって、住宅地として猛烈に開発されたエリアであります。が、その歴史は古し。
古代には、大陸にも繋がる越の道の要衝となり、中臣氏が拠点と置くと共に天智天皇御陵も造営。
その縁もあってか山隣の平安京への遷都後は、公家の荘園・遊猟地ができ、寺社も相次ぎ創建。
中世以降は、決戦第2新本願寺ができたり禁裏御料地になったりしながら、山科七郷なる惣も築き、
明治に入れば鉄道の開通で都市化して、さらに昭和以降は京都のベッドタウンとして人口が爆増
そして近年は、地下鉄開通により利便性が増し、新たな形での宅地化が進んでるエリアであります。
そもそも山科という地名は 「山の窪み」 的な意味を持つらしく、その名の通り、エリアは盆地の中
まるで京都盆地を小さくしたような地形であり、外周にあたる山裾部には大小の様々な神社が林立。
で、 「これは山科の小社を紹介するいい機会」 と思って今回、その山裾をめぐったわけです。
山科盆地に降る雨は、めぐりびとが背負った罪を洗い流してくれるでしょうか。

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夏越祓の茅の輪を石清水八幡宮だけでくぐってきました。もちろん、ひとりで。

2018年6月30日(土)


夏越祓の茅の輪を石清水八幡宮だけでくぐってきました。もちろん、ひとりで。

夏越の日に茅の輪を求めて神社を彷徨い歩き、浅ましく祓力を貪り倒すという、愚行
のみならず、その祓い倒れ徘徊を 「マイナー神社紹介」 として己の内で正当化するという、悪行。
そもそも、本当の祓というのは、一回だけするものです。一回だけするからこそ、意味があるのです。
なのに、何度もくぐる。まるで、食べ歩きの如く、くぐる。そしてその所業を、善きことのように思い込む。
神の尊厳を踏みにじり、その神を奉る方々の信仰をも冒涜しかねないこうした行為については、
当サイトでもその犯罪性を重々に認識&反省し、禊として天王山登山などの荒行も決行してきました。
翌年にはその反省を完全に忘れ去り、茅の輪さえくぐらない宇治めぐり in 夏越なんかもしましたが、
それでも、常に信仰と伝統を重要視する形で、毎年の茅の輪くぐりまくりを展開してきたつもりです。
が、そんな偽罪悪感 or 偽反省よりも重要なことを、夏越ネタで忘れていたことに、私は気づきました。
地元である石清水八幡宮での夏越の茅の輪くぐりを、今まで一度たりともちゃんとやってない、と。
石清水八幡宮。言うまでもなく、二所宗廟のひとつであり、国家級の神社であります。
やんごとなき方々の崇敬も篤く、三勅祭のひとつ・石清水祭については当サイトでも触れてる通り
国家的除災行事 or 宮中祭祀である大祓にルーツを持つ夏越祓でも、当然、茅の輪が設置されます。
なので、近所の私はくぐろうと思えば、すぐにくぐれるのです。歩いて行って、すぐにくぐれるのです。
が、この簡単さこそゆえに私は、本来は絶対外せないはずの大社を、スルーし続けていたのでした。
これは、いかん。そう思った私は、有り余る時間・金・やる気を脇に置き、2018年の夏越を八幡で決行。
しかも、めぐり一切なしのワンショット・一発勝負で。大本命だけに、浮気も寄道も許されません。
一回だからこそ意味がある祓を、神事タイムも外した穏やかな時間帯に、しっとり行ってみたのでした。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトであるために必要な挑戦なのです。
決して、時間も金もやる気もいい加減ないので、近所でちゃちゃっと済ませたのでは、ありません。
断じて、この日が激暑+夕方から激雨のため、めぐりを日和ったのでも、ありません。

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夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2017年6月30日(金)


夏越祓の茅の輪を求めての宇治徘徊、前篇に続いて後篇です。

宇治のイメージといえば、平等院や、それこそ宇治十帖が、一般的なものなんでしょう。
しかし、私にとって宇治のイメージは、 「住宅地」 の方がよりしっくり感じるものだったりします。
地場の生活者ゆえのイメージ、という奴です。が、家が建築をやってたという事情もまた、理由です。
京都へのアクセスの良さが目を付けられた宇治は、昭和中期頃より住宅地の開発が進みました。
ユニチカの前身・日本レイヨンなどの企業が、巨大工場を進出させると共に近場で社宅を建て始め、
それを端緒として一般住宅地の開発も進行し、山削りまくり&名物の筈の茶畑潰しまくりが、多発。
結果として、宇治市の人口は数倍に増え、京都府下では京都市に次ぐ規模を誇るまでに膨張し、
また、宅地増殖と共に増殖した主婦の手を借りる形で、アニメ下請会社が生まれたりもしたわけです。
私が育った頃の宇治は、既に主たる 「商圏」 ではありませんでしたが、その名はよく聞きました。
山削りまくり&茶畑潰しまくりな類の開発、その恩恵を私が享受したのは、恐らく間違いないでしょう。
なので、荒っぽく開発された宇治の姿を目にすると、私は、何とも言えない気分になります。
そして、その開発自体さえ既に老い始めてる様を目にすると、更に、何とも言えない気分になります。
「何だ、そのローカルかつ余りに極私的な感慨は」 と言われると、それまでの話だったりしますが、
しかし、このちっぽけなブルース = 憂鬱は、ある意味で、宇治に相応しいものと思えなくもありません。
格落ちな演者が型落ちな愛欲に悩み、浄土リセットも出来ず、ただ消えていくだけの、宇治十帖。
その 「憂じ」 な世界は、剥き出しで現代的&凡庸な事象と共鳴するとは、考えられないでしょうか。
「生温かい憂鬱がどうにも晴れてくれない煉獄」 という点で共通してるとは、考えられないでしょうか。
私が本気でそう思い、自分語りも交えてその思いを記してるのかといえば、そんなことは全然なく、
観光エリアで全く茅の輪がくぐれず、宅地をめぐることにしたのを、理屈付けてみただけなんですが。
というわけで、2017夏越@宇治、後半です。後半は、飯食ってがっつり回って行こうと思います。
茅の輪が持つ魂リセットのパワーなら、この生温かい憂鬱だって吹き飛ばせる筈です。

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夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2017年6月30日(金)


夏越祓の茅の輪を求めて宇治をうろつきました。もちろん、ひとりで。

宇治を舞台として、尻切れトンボとも思える結末を迎える、 『源氏物語』 宇治十帖
愛したくとも愛せず、死にたくとも死ねず、悟りたくとも悟れずに、煩悩の煉獄を揺蕩うその世界。
まるで地名の由来 「憂じ」 を空間化したかのように、陳腐で緩慢な憂鬱が惰性と共に続くその世界。
ブルージーとも言い得るその文学空間は、1000年の時を越えてポストモダンなる現在にも直結し、
安い愛&性への拘泥が市民権となったネバーランドの如き現代日本の煉獄にも通底するものです。
何も始まらず、何処にも行けず、終わる時は突然終わる、そんな世界。実に、今っぽいですね。
が、貴族の別業地として栄えた此地は、そんな超時空な知性ばかり溢れてたわけではありません。
ごく真っ当に浄土を希求した煩悩丸出しな輩も多数存在し、そうした連中が必死で建てた寺社も多し。
栄華を極めた藤原道長頼通により建立された世界遺産・平等院を筆頭に、多くの寺が立ち並び、
これまた世界遺産たる宇治上神社を始め、大小合わせてかなりな数の神社も林立しています。
で、2017年の茅の輪くぐりまくりは、この宇治の地に立つ社をめぐる形で、やってみました。
暑さ&疫病の脅威が本格化する直前のタイミングに、神社に設置された茅の輪をくぐることで、
正月からの半年で溜まった魂の穢れを祓い浄め、夏を乗り切らんとする古来よりの慣わし・夏越祓
当サイトでは、様々な腐った欲求を持て余す己が魂の大掃除 or スピリチュアル・デトックスに加えて、
普段の記事のネタ採取では訪れる機会がない、小さい or 地味な神社への訪問という目的も兼ね、
毎年あちこちの社に設置された茅の輪を探し求めてはくぐりまくり、穢れを祓い倒してきました
しかし乙訓エリアを徘徊した2016年の前回は、思いつきで雨上がりの天王山を登って酷い目に遭い、
おまけに飯抜きで徘徊した割に輪はひとつしかくぐれなかったので、今回は、気分&方針を一新。
宇治のベタベタな観光ゾーンをそぞろ歩きし、甘味に気を取られながら名社で簡単に茅の輪をくぐり、
また風情溢れる店で飯も食って、彷徨自体をしっかり楽しもうと考え、彼地へ向かったのでした。
が、ブルージーなる 「憂じ」 はやはり、そんなポップな考えを、許さなかったのです。

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夏越祓の茅の輪を求めて乙訓をうろつきました。もちろん、ひとりで。

2016年6月30日(木)


夏越祓の茅の輪を求めて乙訓をうろつきました。もちろん、ひとりで。

茅の輪、よくよく考えてみると、いや考えてみるまでもなく、用意って大変なんですよね。
第一に、お金がかかるし。自分達で作っても、手間はかかるし、それにやっぱりお金もかかるし。
用意されてる神社は、費用と労力の調達に際して、しんどい思いをされてるかも知れないわけです。
そして、用意されない神社もまた、それはそれでしんどい思いをされてるかも知れないわけです。
なので、その辺の事情を考慮も配慮もしない奴が、夏越の恒例企画とか言ってあちこちの社を徘徊し、
茅の輪があったとかなかったとか書き散らすのは、あまり感心できる行いとは言えないでしょう。
のみならず、何なら 「あまり紹介できない小社をめぐる、良い機会」 などと思い上がった考えを抱き、
ある種の使命感さえ持ちながら徘徊を継続するに至っては、欺瞞極まる行為と断じるを得ません。
それでは、人の苦労を掠め取って娯楽化することに励む、消費者ボケの愚民と同じではないか。
娯楽化した挙句、 「楽しませてくれてありがとう」 などと捨て台詞を吐く、享楽乞食と同じではないか。
もっと、身を削らねばならない。この愚行を続けるのなら、せめてもっと、身を削らねばならない。
「参加型」 といった捏造された当事者性ではなく、身を削って 「他者」 としての真の当事者性を獲得し、
真の 「めぐりびと」 たる身体を以て、別の 「他者」 の祭祀に於ける祓いに望まねばならない。
その当事者性は、例えばそう、修行の如きプチ登山も交えたハードな方法で獲得すべきではないか。
それが、不埒なる 「めぐりびと」 が祓いに際して払うべき、最低限の礼儀というものではないか。
私は、そう考えました。そして、2016年の茅の輪くぐりまくりを、乙訓エリアにて行うことに、決めました。
乙訓。京都府の南西部にあって、 「おとくに」 という、中々な難読度を誇る名前の地であります。
その高難読度な地名が示す通り、このエリアは京都・山背のすぐ隣に立地する 「弟国」 として栄え、
プレ平安京たる長岡京を始めとして、やはりプレ平安まで遡るルーツを持つ寺社や旧跡も多数存在。
中世以後も、山崎の合戦に於ける 「天下分け目の天王山」 など、多くの名所を生んでる地です。
で、今回の茅の輪めぐりは、その乙訓にてまずは天王山の山越えを決行し、その先へ進む形で敢行。
めぐりの原罪を殺ぐべく、己の足・背筋・山師根性を削りながら、全行程を徒歩でやり抜きました。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な、挑戦なのです。
決して、行先のネタが尽き、地元・八幡の川向・山崎から適当に歩き始めたのでは、ありません。
断じて、適当に山も登ったら地獄を食らい、その地獄を正当化してるのでも、ありません。

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夏越祓の茅の輪をまたまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

2015年6月30日(火)


夏越祓の茅の輪をまたまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

「夏越祓」 とは、読んで字の如く、本来は夏を越す際に行う御祓いのこと。
新暦が導入された現在なら、7月末~8月中旬あたりが元々のタイミングということになります。
8月初頭に下鴨神社で行われる矢取神社は、裸男たちによる矢の奪い合いに目が行きがちですが、
楼門にしっかり茅の輪が用意される通り、正しいタイミングで行われる夏越神事なわけですね。
とはいえ、現代の暦で生きる現代人の為の現代の社が、新暦にて神事を行うのもまた、尤もな話。
夏越祓も例外ではなく、大抵の神社に於いて夏越神事の類は、新暦6月末日に行われてます。
なので、 「夏越祓の茅の輪を、くぐってくぐってくぐりまくりたい」 などと阿呆なことをやらかすのなら、
多くの神社で大祓の神事が行われ、茅の輪が用意される6月末日に出かけるしかありません。
で、6月末日に出かけた場合、言うまでもなくこの時期は梅雨シーズンの真っ只中である為、
「水が無い月」 という旧月名が信じられないような勢いで雨に降られるのは、ほぼ間違いありません。
というわけで、当サイトの6月恒例行事である茅の輪くぐりまくり、2015年度は雨に降られました。
冒頭は持つかと思いましたが、途中から、降られました。それはもう見事に、降られました。
あらぬ快楽で悶え狂う独男的肉体&無力感と万能感の間で腐り続ける独男的精神を祓うべく、
スピリチュアル・デトックス or 存在の膿の大棚ざらえとして続けてきた、夏越祓の茅の輪くぐりまくり。
2011年以降、毎年徘徊し続けてるわけですが、しかし、雨の直撃を受けたことはほぼ、なし。
「これこそ善行に励む私に対して神が授けた僥倖」 と、天に感謝することしきりだったんですが、
善行に励み過ぎる欲深さが嫌われたか、またはやはり独男であること自体があくまでも問題なのか、
あるいは今回徘徊したのが 「猛霊」 にして水神たる松尾神の影響下にあるエリアだった為か、
とにかく2015年の茅の輪くぐりまくりは、雨でずぶ濡れになりながら歩き続けることとなったのです。
そう、今回茅の輪を探し求めたのは、松尾大社・松尾祭と縁深き京都市南西エリアが、メイン。
JR桂川駅から出発して東北東へ進み、最終的には京阪清水五条駅へ到達する流れとなってます。
雨の中、どこまで歩けるか。計画を担保する正気と行動を担保する狂気を、どこまで保てるか。
例年に増して過酷かつ無意味な徘徊、私の疲労と徒労を共有して下さい。

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鍵善良房でくづ切りを、八坂神社・夏越祓の帰りに食べてきました。もちろん、ひとりで。

2014年7月31日(木)


鍵善良房でくづ切りを、八坂神社・夏越祓の帰りに食べてきました。もちろん、ひとりで。

京都の夏といえば、くづ切りと決まってます。
「誰が決めた」 と問われたら、私が決めました。今、ここで、決めました。
「くづ切りなんかどこでも食えるだろ。それに近畿圏で葛といえば吉野に決まってるだろ」
などという訳知り顔の正論は、人々の勝手な幻想がふき溜るこの街では、何の効力も持ちません。
そう、ここは、京都。 「京都といえば」 が枕詞なら、どんな出鱈目も通ってしまう魔都、京都。
「京都の夏といえば、かき氷」 程度は無論、 「京都の夏といえば、すき焼き」 でも案外平気で通り、
「やっぱり」 や 「あえて」 も使えば、安易なブランディングが無限に成立する、魔都なのです。
言い切れば、何であろうと真実になります。それが貴方の、真実の京都なのであります。
無論、その真実は、貴方自身のことでもあります。京都を語ることは、常に己を語ることであります。
「京都といえば、パン」 「京都といえば、ケーキ」 「京都といえば、チョコレート」、全部、OKです。
それが、貴方の京都なんだから。それが、貴方自身なんだから。しょうがないですよね。
という感じで、得体の知れぬスイーツが我が物顔で 「京都」 を名乗る昨今の動勢を考慮すれば、
私がくづ切りを 「京都の夏の風物詩」 と勝手に断言した所で、多分、どこからも文句は出ないはず。
それに、紫紅社 『きょうの京都』 においても、さらには淡交社 『京都歳時記』 においても、
くづ切りは 「八月」 の項に 「夏の風物詩」 「夏に食うもの」として、しっかり掲載されてますしね。
なので、京都の夏といえば、くづ切りであります。しょうがないことなく、くづ切りであります。
そんな京都のくづ切りといえば、祇園・四条通の鍵善良房が、最も有名ということになるでしょうか。
ランチジャーみたいな箱に入ったくづ切りは、誰もが一度は見たことがあるかも知れません。
その鍵善良房へ、混迷を極める京都のスイーツシーンの今後を見据えるべく出かけた、
というのはもちろん大嘘で、実は八坂神社夏越祓の帰りに何となく寄っただけなんですけど。
フラっと食したくづ切りの涼しさ、夏越祓の雑なレポと共にお楽しみ下さい。

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夏越祓の茅の輪をまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

2014年6月30日(月)


夏越祓の茅の輪をまたまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

熱いお茶で、みなづきをいただいてると、月日の経つのは、なんと早いもんやろうと、しみじみこたえて
くる。ついこの間、お雑煮を祝うたと思うているのに、知らん間に夏越の祓となって、半年の、なんと短
かったことやろう。なんにもせんうちに、わたしにも白髪がふえだした。
大村しげ 『京暮し』

ほんわかしてるようで、実は高速かつ硬質な大村しげの文章が描破してるように、
時の流れの速さに恐怖さえ感じる今日この頃、暇丸出しな当サイトでも季節は超高速でめぐり、
勝手に恒例化してる夏越の茅の輪めぐりも、2014年度版が早くもやって来てしまいました。
正月からの半年間でこびりついた魂の穢れを、神社に設置された茅の輪をくぐることで祓い浄め、
暑さ+疫病の脅威が本格化する厳しい夏を乗り切ろうという古来からの慣わし、夏越祓
うちでは、腐った欲求各種を持て余す己が存在の膿の大掃除 or スピリチュアル・デトックスに加え、
普段は記事で訪れる機会のない、小さいというか地味というか、そんな神社への訪問を兼ね、
毎年あちこちの社に設置された茅の輪を探し求めてはくぐりまくり、溜った穢れを祓い倒してきました。
2011年は市バス一日券を使って、京都市内の各神社をランダムかつノーコンセプトに徘徊。
2012年は一転して全行程を徒歩にして、東福寺から西陣周辺までを、やはりノーコンセプトに徘徊。
そして2013年はまた徒歩で、右京区をローラー的に回り、最後はまた西陣へ着く感じで徘徊。
で、2014年の今回は、やや手薄になってる感のある東北方面を攻めてみることにしました。
京阪三条駅から出発し、東大路通&白川通を縦軸として、あちこちをダラダラとうろつき回ってます。
果たして私は、穢れを見事祓った清い体&魂で、熱いお茶&水無月を頂けたりするのか。
それとも、穢れと共に無意味な徒労がバンバカ蓄積し、頭に白髪が増えるだけで終わるのか。
蒸した空気を日光が時折暖めるような不快な天気ですが、さあ、出発しましょう。

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下鴨神社の夏越・矢取神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2013年8月6日(火)


下鴨神社の矢取神事へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

旧暦。それは、今もなお京都を影で支配し続ける、ルール。
東京遷都以降の全てを否定したい」 という集合無意識が働いてるのか何なのか、
とにかく新暦導入から100年以上経過した現在も、京都では多くの局面で旧暦が稼働してます。
例えば、正月以上に盛り上がる本来の正月 = 節分。例えば、月送りの8月に営まれる、お盆
例えば、やはり月送りの8月に堂々と 「七夕」 を名乗り、電飾で集客を目論むイベント 「京の七夕」
などなど、この街のタイムテーブルを規定する旧暦の力は、21世紀も衰える様子はありません。
半期に一度のスピリチュアル・デトックスである夏越祓もまた、いくつかの神社は旧暦で実施。
一番有名なのは、祇園祭の〆として7月末日に茅の輪くぐりを行う八坂神社摂社・疫神社でしょうが、
伏見の氏神・御香宮神社、そしてかの世界遺産・下鴨神社も、旧暦タイムで夏越祓を行ってます。
下鴨神社の夏越祓に至っては、より本来の定義に準じた仕様とするためか、立秋前夜に、実施。
さらには、茅の輪のみならず、「裸男」 による水中斎串取り合い大会である 「矢取神事」 も、実施。
下鴨神社の祭神である玉依媛命が、糺の森の中を流れる瀬見の小川で川遊びをしてると、
丹塗矢が流れつき、それを持ち帰った玉依媛命は、上賀茂神社祭神・賀茂別雷命を懐妊したという、
何となくセクシャルなメタファーが散りばめられてる感じがしないでもない同社の神話に因み、
やはり何となくセクシャルな裸男が、何となくセクシャルな矢をめぐり大暴れを演じる、 矢取神事。
この荒行のインパクト&時期が他と隔絶してるため、夏越としての印象はやや希薄ですが、
旧暦の街・京都を代表する神社に相応しいタイミングの夏越祓であることは、間違いないでしょう。
そんな下鴨神社の夏越・矢取神事、暑さは全く立秋してませんが、行ってきました。
一瞬の大騒ぎで 「夏を越す」 その一瞬さ加減、御堪能下さい。

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夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

2013年6月30日(日)


夏越祓の茅の輪をまたまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

いい歳をした、独男。その、穢れ切った精神と肉体。
肉体はあらぬ快楽で怒声を上げ続け、魂は無力感と万能感の狭間で腐り続け、
さらには、腐臭漂う己の生き様を、ネットを通じてなるべく広範に伝染させようと目論み、
自意識の臭気を汁にして目から飲ませるような暑苦しいサイトを作り続ける、筆の生えた糞袋。
そんなカス野郎の、穢れに穢れた穢れを祓おうとするなら、普通の祓いでは全く足りません。
質的にも量的にも肥大した糞袋っぷりを糺すには、質的にも量的にも肥大した祓いが必要なのです。
そう、例えば、大祓に用いられる茅の輪を、大量に、かつ連続して、くぐりまくるとか。
半年分の穢れをくぐり一発で祓うスピリチュアルリング = 茅の輪を、立て続けにくぐりまくれば、
あるいは独男の穢れ切った精神と肉体も、穢れなき少年のような輝きを取り戻すかも知れない・・・。
そんな藁をも掴む気持ちで、神社を求めウロウロ徘徊する夏越祓の茅の輪くぐりまくり、
2013年度上半期も、湿気爆発な梅雨真っ盛りの京都を舞台に、しっかりやってしまいました。
魂の救済というテーマを掲げ、でもやることは単なる街ブラ&嘘スピリチュアルという外道なこのネタ、
2011年度は東山周辺を中心に2012年度は堀川通を中心に、それぞれ徘徊しましたが、
2013年度のメインターゲットエリアは、一大観光地・嵐山をスタート地点とする、洛西・右京区。
理由は、特にありません。東と真ん中を攻めたのか、今度は西方面かな、と。そんな感じ。
また、厳密に西へこだわったわけでもなく、最後には北野一帯へ流れ付いたりと、極めて適当です。
が、適当に歩いても尚、かなりなボリュームの神社にかなりの頻度で遭遇する京都の濃さ、
そしてそんな濃さの中で息づくネイティブな匂いみたいなものは、多少は感じてもらえるかなと。
それでは半期に一度のスピリチュアル・デトックス or 存在の膿の大棚ざらえ、
梅雨真っ盛りの不快極まる梅雨空ですが、さあ、出発しましょう。

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八坂神社・疫神社の夏越祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年7月31日(火)


八坂神社・疫神社の夏越祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇園祭、いや元々の呼称だと祇園御霊会は、
街に蔓延する疫病の退散を目的として、平安前期に開始されました。
科学の無い時代の人口密集都市・京都にとって、疫病が流行り易い梅雨明けは、恐怖の季節。
死体が次々と生まれ、その死体がさらに死体を生むという魔のスパイラルを断ち切るため、
ほとんど疫神と紙一重の荒っぽい祇園神・素戔鳴尊 = 牛頭天王のパワーを借りて、
のちには山鉾なる超巨大悪神吸引機も造り、疫神を吸引したり追い出したりしてたわけです。
で、パワフルであると同時にリスキーでもある牛頭天王の扱いの際に援用されたのが、
牛頭天王に一夜の宿を供したことで惨禍から免れたという、蘇民将来の説話。
「俺、明日、南の海へ女を引っ掛けにいくねん。でも今日、もう遅いやろ。せやから、泊めて」 と、
アポなし宿泊を強引に頼んできた神を、貧しくも粟粥などで丁重にもてなした、蘇民将来。
金持ちのくせに神の宿泊を断った弟・巨旦将来に半ギレだった牛頭天王は、このもてなしに感動、
「お前とお前の身内だけ、助けたる」 と、目印になる茅の輪を蘇民将来に授け、
巨旦将来を始めとする他の村人、つまり茅の輪を持たない者を、ことごとくブチ殺しました。
茅の輪を持っていれば、助かる。蘇民将来の身内と名乗れば、助かる。
そんな信仰から、現在でも祇園祭では奉仕者が 「蘇民将来之子孫也」 の護符を身につけ、
茅の輪の変形にあたる食えないちまきが、お守りのように重宝されています。
7月31日、一ヶ月にも渡って様々な行事が行われてきた祇園祭のフィナーレを飾るのは、
この蘇民将来を祭神とする八坂神社摂社・疫神社の、夏越祭。
フィナーレと言っても、派手なイベントはありません。設置された茅の輪を、ただ、くぐるだけ。
しかし、レアな端緒が剥き出しになってると言える神事をもって祭を終了するその様に、
祇園祭が単なる観光イベントではないことを、改めて実感できるはずです。
そんな夏越祭、ふらっと寄ってきました。

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狸谷山不動院の火渡り祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2012年7月28日(土)


狸谷山不動院の火渡り祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

火渡り祭。読んで字の如く、火の中を渡る行事です。
タヌキの置物&自動車祈祷&ガン封じで知られる、一乗寺奥の狸谷山不動院にて、
護摩火をバンバカ焚きまくった後、その残り火の中を一般参拝者が裸足で歩く、火渡り。
何ゆえ夏の一番暑い時に、そんなデンジャラスな灼熱地獄を味わねばならんのかといえば、
無論、我々が穢れ切っているからであり、その穢れを聖なる炎で焼き尽くす必要があるからです。
この一ヶ月ほど前にあった夏越祓の茅の輪くぐりまくり記事でも、似たことを書いてますが、
タヌキゆえ手抜きでコピペしてるのではなく、こちらの火渡り祭もまた、夏越祓の一種。
八坂神社・疫神社伏見・御幸宮神社の茅の輪、または下鴨神社の矢取り神事などと同じく、
旧暦のタイミングで穢れを祓い、夏を乗り切るための健全な心身を手に入れようというわけです。
一ヶ月しか経ってないのに、また祓うのか。茅の輪くぐりまくりでは、清め切れなかったのか。
そう問われると、「何も考えず興味本位で行ったんだよ~ん」 と、魂の真実を告げたくなりますが、
しかし、盛夏へ突入するにあたり、スピリチュアルな調整が必要なのもまた、確かなこと。
夏は、誰にとっても、我々独男にとってもなお、煩悩を刺激されやすいシーズンであります。
健全な人間が煩悩を刺激されたのなら、勝手に盛り上がって人口でも増やしとけという話ですが、
我々独男が下手に夏の煩悩を刺激されると、色々と厄介な事態が出来しがちであります。
個人の恥的にも、社会的にも、時に人道的にも、厄介な事態が出来しがちであります。
危険なのです。夏は、危険な季節なのです。なので、前もって穢れの始末をつけておきたい。
しっかりと、蓋をしてしまいたい。できることなら、完全に燃やし尽くしてしまいたい。
そんな思いに駆られ、一乗寺の坂を登ったというのはやはり大嘘ですが、
暑い季節の熱い行事、とにかく行ってきました。

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夏越祓の茅の輪をまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

2012年6月30日(土)


夏越祓の茅の輪をまたくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。

私は、穢れている。どうしようもなく、穢れている。
いい歳こいた、独男。そのことだけで既に、臭気が漏れるほど、穢れている。
おまけに、肉体はあらぬことで日々悦びの声を上げ、魂は無力感に溺れて無為に腐り続け、
さらにはその腐り切った魂を、ネットを通じて無関係である他者へ伝染させてやろうなどと目論み、
自意識の臭気を汁にして飲ませるような、無駄に暑苦しいサイトを、日々作り続けている。
私は、穢れている。どうしようもなく、穢れている。果てしなく、穢れている。
祓わなくては、いけない。それも、なるべくたくさんのお社で、祓わなくては、いけない。
というわけで、2012年度上半期もやってしまいました。夏越祓の茅の輪、くぐりまくりであります。
正月から六月末までの半年間に溜まった穢れを、茅の輪をくぐることで祓う、夏越祓。
前回2011年度は、それなりに茅の輪が知られる神社をバスで回り、数をこなしたわけですが、
今回は穢れの影響か懐具合が非常によろしくなく、500円の市バス一日券を買う金さえ惜しいので、
スタートの東福寺から、ラストの檪谷七野神社まで、全行程、徒歩を貫いてみました。
徒歩貫徹といっても、特にハードな意思に基づくわけではなく、基本、ウロウロと街中をうろつくのみ。
適当に目がついた神社へ立ち寄り、茅の輪があればくぐるという、街ブラモード全開路線。
そんなユルユルな姿勢で、穢れ切った肉体と魂が祓われるかどうかは知りませんが、
祓われ過ぎると自分そのものが消滅するので、適度に加減した次第です。
立ち寄った神社全てと、茅の輪の有無を記したので、参考にする方は、参考にしてください。
それでは半期に一度のスピリチュアル・デトックス or 存在の膿の大棚ざらえ、
生憎の雨&曇天ですが、行ってみましょう。

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上賀茂神社の夏越大祓へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2011年6月30日(木)


上賀茂神社の夏越大祓へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

夏越祓の茅の輪をくぐりまくり、オーラスです。
小さめの神社を一日中駆けずり回り、茅の輪をくぐりまくった夏越デイでしたが、
締めはやはり世界遺産、超メジャー級で行こうじゃないかということで、上賀茂神社であります。
といっても「みなづきのなごしのはらえするひとはちとせのいのちのぶというなり」と言いながら
輪をくぐるだけではありません。結構な神事も行われるので、そっちも見物しました。
上賀茂神社は、祓、禊祓を非常に重要視してるそうです。
理由は、祭神である賀茂別雷神が母・玉依比売命の禊の最中に降臨したからだとか。
大和国・葛城から、山城国、そして上賀茂地域に定住した賀茂県主族は、神を求めた、と。
一族の祭祀の権を与えられた玉依比売命は、神の降臨を願って毎日川辺で禊をした、と。
すると、川上から仁塗の矢が流れてきたので、持ち帰った、と。
その夜、何か神を感じ、子供が生まれた、と。で、その御子が祭神・賀茂別雷神だった、と。
このような由緒ゆえ祓を大切にし、この夜の夏越大祓&人型流しも荘厳に執り行われます。
元々夏越祓は12月の晦日に共に「大祓」という国家的な除災行事だったそうで、
奈良時代には朱雀門前に百官が集まり、大祓詞を読み上げるという大層なものだったとか。
上賀茂神社の夏越大祓はもしかすると、そんな平安以前の祓の姿を伝えてるかも知れませ
地元の神社で地元の人たちがささやかに無病息災を願うのとは一味違う、
世界遺産ならではの祓いの儀、ご堪能ください。

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夏越祓の茅の輪をくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。(後編)

2011年6月30日(木)


市バスの一日券を使った、でも結局歩きまくってる夏越祓の茅の輪くぐりまくり、前編の続きです。

全くどうでもいい話ですが、私、バスが苦手なんですよね。
どこの街のバスも苦手なんですが、京都のバスは特に苦手です。
府民ではあるものの相当長く利用し続けてるはずですが、未だに系統さえ覚えられません。
何より車内の空気が、ダメなんですよね。あの、モワ~っとした空気というか、ノリというか。
一言で言うなら、しんきくさい。 「遅延にイラつく」 といった話ではなく、空気そのものが、しんきくさい。
このしんきくさい空気、バスのみならず、地下鉄にも漂ってることがあります。
特に、市営地下鉄の今出川以北。何故か列車の中の雰囲気がバス的になり、すごくしんきくさい。
「鉄道の生理」が欠落してるというか、鉄道の基準で人間が動いてない感じが、苦手なんですよ。
私は京阪の駅前に生まれ、列車が大鉄橋を渡る音を聞いて育ったような人間なので、
京都市中心部に漂うこの「非鉄」なノリに、いつまで経ってもなじめません。
明治以前に街が出来上がってた多くの都市と同様、
京都も大きな鉄道 = JR・京阪・近鉄・阪急などは市街地中心部を避けて建設されてますが、
阪急が市街地ど真ん中の四条通り地下へ乗り入れる昭和中頃までその状態が続いたために、
京都の「非鉄」はある意味、純粋培養されてしまったのでしょうか。
と、全く無関係な話を全く無意味に終えたところで、夏越祓の茅の輪めぐり、後編であります。
後編は灼熱のラッシュ、ひたすら数ばっかりこなしていく様を、ご覧下さい。

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夏越祓の茅の輪をくぐりまくりました。もちろん、ひとりで。(前編)

2011年6月30日(木)


夏越祓の茅の輪をくぐりまくってきました。もちろん、ひとりで。

夏越祓。なごしのはらい。6月の晦日に行われる、お祓いです。
正月からの半年間でこびりついた身の穢れを、多くの神社で設置された茅の輪をくぐることで祓い、
疫病の脅威と暑さそのものが本格化する厳しい夏を乗り切ろうという慣わしであります。
元々は701年の大宝律令によって定められた「大祓」という国家的な除災行事だったそうで、
かつては朱雀門前に百官以下天下万民が集まり、国民全ての犯した罪や穢れを祓ったんだとか。
しかし現在ではもちろんそんな大層なことは行われず、
むしろ茅の輪目当てにあちこちの小さい神社を訪問する楽しみが味わえる日となってます。
で、私、この日が暇だったので、穢れに穢れた身を清めようと、市内各社の輪をめぐってみました。
行ってみたかった神社が数社と、あとは適当にその場の気分で足が向いたお社と。
市バスの一日乗車券を買って、でも五十日ゆえか混雑しまくりなので結局大半は歩いたりして、
「みなづきのなごしのはらいするひとはちとせのいのちのぶというなり」と言いまくりました。
あ、これ、茅の輪をくぐる時の呪文です。意味ですか。さあ、何なんでしょうね。
おおむねどこの神社も、人はまばらか無人なので、客層リサーチや気まづさ度チェックは省略。
ひたすら輪をくぐり続ける様、ごらん下さい。

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