向日神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。

2019年7月31日(水)


向日神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。

旧暦のタイムテーブルが生き続けてるのは、京都市街に限った話ではありません。
明治以降を全否定するかの如き勢いさえ感じさせる京都の旧暦の生き残りぶりは、確かに、
本来の正月 = 節分での異常な盛り上がりを筆頭として、当サイトでも何度かお伝えしてきた通り。
とはいえ、当然ながら京都以外の人もまた千年以上にわたって旧暦タイムを生きてきたわけであり、
その旧暦タイムの中で育まれてきた伝統行事も、タイミングはそうそう変えられなかったりします。
より季節感にフィットした旧暦タイムで各種行事を行い続ける寺社・地域は、京都以外でも実に多く、
季節感がよりビビットに反映される夏越祓については、7月末に実施する社も少なくありません。
京都・乙訓向日町に建つ向日神社も、そんな旧暦タイムの7月末に夏越祓を行う社のひとつです。
向日神社。 「むかえび」 でなく、日向の逆だからといって 「がひゅう」 でもない、むこうじんじゃ。
嵐山の辺から南東へ続く丘陵の先+古墳でもある向日山で、奈良時代に創建された古社であります。
プレ平安京たる長岡京はこの社を取り込むように造営され、平安遷都後も朝廷より崇敬を獲得。
近世以降は国学者の六人部是香を輩出し、本殿が明治神宮の元ネタになったことでも、有名でしょう。
一方で、中世には土一揆の会合の場となり、戦国時代以降には西国街道沿いに門前町を形成。
古社ゆえのロイヤルなる由緒&縁と、京郊ならではのアーシーなテイストを併せ持つ社なわけです。
そんな向日神社の旧暦の夏越は、ロイヤルでアーシーなものかといえば、そうでもありません。
市制施行から何十年経っても門前町の呼称が生き続ける向日町は、同時に宅地化が急激に進展。
高度成長期に至るまで宅地は増え続け、人口密度は京都市さえブチ抜いて府最高となりました。
いわば、ベタベタのベッドタウンです。旧暦どころか明治さえ踏み潰すような、昭和丸出しの町です。
なので向日神社の旧暦夏越も、徹底的に生活感爆裂路線かといえば、これまた違うんですよね。
生活者が多いからこそ生き続けるナチュラルな信仰と、この社独特のロケーションが相まり、
季節感にフィットした伝統を良い雰囲気で体感できる、そんな夏越だったのでした。


17時開始の夏越神事を目指して、向日神社の最寄駅・阪急西向日駅へ着いたのは、17時前。
ギリ間に合わなさげです。ので、名急起点になる筈だった駅構内などをのんびり観てから、退駅。
名急がポシャった新京阪 = 阪急、駅周辺の宅地開発は元気に続け、開発し過ぎて長岡京跡が出土
駅前には、やる気が限りなく感じられない跡系オブジェがあり、地元の人たちが休憩してたりします。


神社までは、1キロ強。がっつり神事を観るのを諦めたので、件の宅地などものんびり歩きます。
新京阪は、開通した昭和初期からこの辺を開発。街路樹の佇まいに、時代感、感じなくもありません。
その宅地を西へ進むと、今度は一気に古い西国街道へ進入。京都と山陽とを結ぶ、立派な街道です。
現状はほぼ単なる生活道路ですが、向日町名物・竹をモチーフにしたらしき案内柱に導かれ、北上。


古代の山陽道から続く歴史を誇る、西国街道。沿道の石塔寺も、看板でその重みを説くことしきり。
尤も、主な整備が成されたのは、朝鮮出兵 = 唐入時。ゆえに、 「からみち」 とも呼ばれたそうですよ。
秀吉は、 「からみち」 の向日神社前に町場の設置を認可。門前町・向日町は、こうして生まれました。
社の近くでは、商店街が今も気を吐いてます。 「アストロ通り」 が秀吉と関係あるのかは、不明です。


向日市商店街の看板の前は、西国街道と善峯道・柳谷道・物集女街道が集まるジャンクション。
善峯寺光明寺柳谷観音へ赴く人々で、栄えたことでしょう。往時の残り香、石灯篭からも感じます。
が、残り香が強過ぎて道が拡幅できないのか、車はやたら多し。山科と共通する、道の足りなさです。
「からみち」 とアストロボーイの悪魔合体みたいなキャラから、車への注意を促されながら、神社へ。


何度か轢き殺されかけながら、向日神社、到着しました。一の鳥居が、夕日を背に聳えてます。
向日神社。御歳神 aka 向日神が向日山に降臨し、民に稲作を奨めたことから始まるとされる社です。
「ここの何処に山がある」 と思わせる、実に町場的なる門前ですが、ここからの参道は長いのですよ。
参道の先には、茅の束を持った人達の姿あり。神事の終わり頃に、ちょうど到着した感じでしょうか。


『延喜式』 にも 「向神社」 とある、向日神社。元来は、この向神社と火雷神社に分かれてたとか。
後に合体して向日神社になった、という見方もあるそうです。なので多分、日向の逆ではないのです。
「向日神社と日向大神宮を結ぶ線は、日向・美々津まで真直ぐ続いてる」 とかも、言っては駄目です。
レイラインとか叫ぶのも、駄目です。参道の異常な長さは、日向大神宮にかなり似てるけど。ダルい。


見るだけでダルくなる参道は、人力で登る人ももちろんいますが、車でワープする人も割と多し。
その車を避ける際の暇潰しで夏越の看板を読み始め、登るの嫌さにそのまま読み耽ること、しばし。
大祓で修祓に用いる人形、近所の人には配布してるようですね。地域の神社という感じ、実にします。
向日神が稲作を奨めた頃から今に至るのであろう、民に慕われ続ける向日社の姿、見る思いです。


尤も、先述通り古墳でもあるのが、この向日山。3世紀後期辺りの前方後方墳があるとか。
ここはかつて、淀川を見渡せた眺望の良い所。王が眠るに相応しい場所、と考えられたんでしょうか。
その辺の山感、門前では全く感じませんでしたが、参道を登ると感じます。目や頭より、足で感じます。
坂の微妙なキツさと、皇国感溢れる遊びのない道のテイストも相まって、うんざりするほど感じます。


で、うんざりしながら参道を登り切った先は、東向きで有名な本殿を始めとする、境内。
そして、その本殿と舞殿の間に、茅の輪、ありました。スタンドアローン型の輪が、立ってました。


舞殿・本殿・茅の輪を引いて見ると、こんな感じ。本殿、正確に言うと、拝殿ですけどね。
手前には、神事の形跡あり。夏越祓神事の最中は、大勢の人で賑わってたのかも知れません。


私が着いた頃は行列は既になく、何人かの老人・家族連れがのんびりくぐってる感じ。
人形をもらってない闖入者ではありますが、私も有難く茅の輪、くぐらせてもらうことにしましょう。


茅の輪の前の地面には、神事で撒かれたらしき切麻もあり。祓力、まだ残ってるかも。
おこぼれ祓力を頂く気持ちで、余裕のメビウスくぐり、決めます。ちとせのいのちのぶというなり。


くぐったら、そのまま拝殿にてお参り。向日神社、男心をくすぐる立派な拝殿であります。
祀る祭神は、向日神・火雷大神玉依姫命、そして美々津から近畿へやってきた神武天皇です。


レイラインと叫ぶ心を抑えて、流麗なラインの渡り廊下なども拝見。拝殿と同様、渋い。
共に、天保期に再建されたそうですが、曼殊院随心院に似たテイスト、感じなくもありません。


あ、先刻から本殿をいちいち拝殿と呼ぶのは、本殿が覆屋で完全に包囲されてるから。
なので明治神宮のモデル、外からは拝めません。が、覆屋をさらに囲む瑞垣もこれまた、渋い。


覆屋本体も無論、渋い。何かもう、神社を超えてます。後から観ると何とも、シェルター。
そして、このバックショットのシェルター感が向日神社の中で一番好きな私は、きっと変態です。


こんな魂が腐った変態は、家にも茅の輪を持ち帰り、入念に心の穢れを祓うよりほかありません。
ので、バックショット拝観後は社務所へ向かい、夏越限定アイテムの茅の輪守を購入。輪代、300円。
千円した石清水八幡宮よりも安く、けど石清水よりも大きい、茅の輪らしい茅の輪です。効きそうです。
社務所前では、茅の配布コーナーみたいなのがあり、主に老人達が必死で茅をぶん取ってました。


お土産買ったら、帰ります。程良く静謐かつ賑やかな、良い夏越ができました。有難う、向日山。
下りで見る参道は、やはり長し。通る車も、結構多し。人力で登る気が失せても当然な、山加減です。
後で聞くと向日山、今も見晴らしは良く、天文館もあるそうですよ。 「アストロ通り」 も、それが由来と。
この山加減こそが、生活感全開な町中に建つこの社へ静謐さを齎してるような気、ちょっとしました。


帰りは、西向日駅ではなくて逆の東向日駅へ向かう形で、西国街道をのんびり歩いてみます。
神社前の街道は先の 「アストロ通り」 で、車だらけなわけですが、門前町の香りを残す建物も点在。
近日解体の富永屋や、須田家住宅などが、そうです。昭和全開な宅地に埋もれて、気付き難いけど。
向日町、近世・近代は乙訓一の賑わいを誇る在郷町であり、この辺もずらりと商店が並んでたとか。


しばらく歩くと、車だらけの道から旧道然とした旧道が分岐。進むのはもちろん、旧道の方です。
西国街道を名乗る石標、良い雰囲気ですね。ただ、道自体は石塔寺の辺と同様、完全に生活道路。
街道の賑わいは、鉄道開通に伴う宅地化で薄れたといいます。向日町、省線の開通も早いんですよ。
JR向日町駅と阪急東向日駅に近いこの辺も、早くから宅地化。石標とかができたのも、恐らく近年。


とはいえ、街道のリアルな残り香も、なくはありません。東向日駅のすぐ近くにも、渋い旧家あり。
あと、愛宕灯籠もやたら多し。そして何よりもいいのは、家々が途切れる隙間から垣間見える、西山。
駅前まで来るとこの西山が、こちらはリアルレトロな大原野の石票と共に見れたりして、何とも味です。
実に京都西部らしいこの山と空だけは、500年前も、いや千年前も、きっと同じ感じだったんでしょう。


とか思いながらも、現代の混雑溢れる東向日駅前では、現代の向日町の味も体感しときます。
そう、激辛です。からっキーの、激辛です。 「からみち」 絡みなのかどうかは不明ですが、激辛です。
駅前の中華屋にて食った激辛炒飯は、唐辛子入りのチキンライスな感じ。現在の向日町、感じました。
で、食ったら、夏の真の折返点に辛いもん食うもんじゃないとか思いながら、汗だくで帰りましたとさ。

この日の向日神社の客層は、ほぼ100%が地元の老人と家族連れ。
家族連れも、老人が混ざってないパターンは、ほぼなし。平日の夕方らしい客層です。
単独は、変な男がひとりいるくらいで、他は皆無。完全にアウェーな状況と言えるでしょう。
ただ、地元の人といっても大半が宅地の人々であり、超DEEPという感じは特になし。
神事が終わった後ぐらいのタイミングに赴けば、のんびりと茅の輪はくぐれると思います。

そんな向日神社の、旧暦タイムの夏越祓の茅の輪。
好きな人とくぐれば、よりちとせのいのちのぶというなりなんでしょう。
でも、ひとりでくぐっても、ちとせのいのちのぶというなりです。


 
 
 
 
 
向日神社
京都府向日市向日町北山65
拝観自由

阪急電車 西向日駅下車 徒歩約16分
阪急電車 東向日駅下車 徒歩約20分
 

向日神社 – 鎮守の森の会

向日神社 – Wikipedia