亀岡祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年10月24日(水)


亀岡祭の宵山へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

祇園祭・宵山には、独特の気配、はっきり言えば 「死」 の気配が漂ってると感じます。
『京都思想逍遥』 では 「滅び」 と表現してましたが、私が感じるのは寧ろギラついた 「死」 です。
無論そんな 「死」 は、露店&大混雑で覆い隠されてます。が、ちょっとした隅とかに、すぐ現れます。
比較的人が少なめとなる後祭・宵山が復活した後は、さらにあちこちで感じられるようになりました。
「単に辺りが暗いから、そう思うだけだ」 と思われるかもしれませんが、ちょっと違うんですよね。
「祭は元来、そういうものだ。カーニバルだ」 とも思われるかもしれませんが、ちょっと違うんですよね。
街が背負う祭の重責が、異様な気配を生んでるというか。しかも、それが千年分重なってるというか。
千年分重なった愛着・憎悪・恐怖・徒労などが、濃厚に混ざり、ギラつく暗黒色を生じてるというか。
で、そんな暗黒色から沸き立つ 「死」 の気配こそが、チャラい混雑も引き寄せてる気がするというか。
妄想や思い込みが甚だしい上、全く誰も得しない話で恐縮ではありますが、あなたどう思いますか。
祇園祭・宵山へのこの印象、実は、逆説的に裏付けてくれた祭があります。亀岡祭です。
丹波の最南端にある亀岡の地を、巨大な鍬を以て切り開いたという伝説を持つ鍬山神社の例祭が、
明智光秀による亀山城築城を経て、江戸期には城下町の祭として規模を拡大するに至った、亀岡祭。
城下町の町衆達は多彩な練り物を出し始め、祇園祭の影響を受けまくった10数基の山鉾も出現。
リアル京都に至近なこともあって、本物顔負けの豪華な山鉾が城下を練り歩くようにまでなりました。
城が消滅した明治以降は衰退しますが、平成に入ると復興の気運が上昇し、山鉾も立て続けに復活。
最近では全鉾による山鉾巡行も行われ、 「口丹波の祇園祭」 の名を確固たるものにしてます。
そんな亀岡祭、巡行前夜には宵山も開催。で、この宵山が、本家と似てるようで、違うんですよね。
残りまくる城下町が、祇園祭以上に祇園祭的に映える一方、全く違う何かも見せてくれるんですよね。
「死」 や暗黒が渦巻くことなく、ひたすら大らかに、そして美しく、山鉾が寿がれてるんですよね。
そんな亀岡祭の宵山、夢コスモス園でコスモスを見た帰り、のんびり歩いてみました。

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五山送り火の左大文字を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

2018年8月16日(木)


五山送り火の左大文字を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

五山送り火の火というのは、通常は、火元から割と離れた場所で眺めるもんです。
一般的には、大文字山のあの感じこそが、送り火で連想される距離感、ではないでしょうか。
北大路の辺から大文字を観る、あの感じ。闇の中に 「大」 の字が浮かぶ、あの感じ。みたいな。
確かに、あの風情 or 美は、火元から距離をとらないと、得られません。離れるわけですね。
風情 or 美の濫獲に走らず、真摯に信仰行事として五山送り火を考える場合も、事情は割と同じ。
お盆に現世へ里帰りした精霊 aka おしょらいさんを、あの世へ送り返すのが、あの火の本来の役目。
精霊は、火に近付いて祈れば祈るほどスムーズに帰れるわけでもないでしょう。離れるわけですね。
そんなこんなで、多くの人は通常、火元から割と離れた場所で、送り火を眺めるわけであります。
しかし、風情も美もおしょらいさんも関係なく送り火を追ってる当サイトとしては、事情はまた、別です。
「一晩で五山コンプ」 という愚行に何度も何度も挑むも、それら全てが失敗に終わり猛省した後、
「5年かけ、1年に一山ずつ観る」 と決め2015年より発動された、当サイトの五山送り火5ヵ年計画
初年度は大文字を、2016年は妙法を、そして2017年は船形万燈籠を、それぞれ拝んできました。
が、そうやって何度も何度も火を観るうちに私は、もっと近くで火を観たい、と思うようになったのです。
送り火当日に於ける送り火実施山への部外者の入山 or 侵入は、無論、固く禁止されています。
何せ基本は、宗教行事。 「大」 を 「犬」 にするような類の輩の闖入は、厳に戒められるべきでしょう。
けど、近くで観たい。で、この欲求を満たせる場所は、実はなくもありません。それが、左大文字です。
その名の通り、送り火のキービジュアル 「大」 を、大文字山の逆側で浮き上がらせる、左大文字。
金閣寺に近いため、駐車場から 「大」 のベースを目にした方も、多いんじゃないでしょうか。
あのベースの距離感が示すように、ここの送り火は、近い。望遠なら、焚く人が見える程、近い。
つまり、火そのものを、熟視出来るのです。想いが託される火の真実を、熟視出来るのです。
で、5ヵ年計画4年目の今回は、そんな左大文字で、火ばかりを見つめてみました。

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笠置夏まつり花火大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年8月4日(土)


笠置夏まつり花火大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

笠置町。京都府で高齢化や人口減の話になると、必ずその名が上がる自治体です。
巨岩が並ぶ霊地であり、元弘の乱で後醍醐帝行幸した、笠置山。その笠置山を擁する、笠置。
擁するというか、町域の8割がこの山地などで占められるため、此地の主産業は無論、林業でした。
町を東西に流れる木津川上流を物流ルートとして、古くより奈良・京都へ木材を供給しており、
奈良・東大寺興福寺杣山や、また我がホーム・石清水八幡宮の神領&杣があった歴史もあり。
しかしそれゆえ、林業が衰退した現代に入ると、他に産業がないこの町の人口は減少し始めます。
やむなく観光に活路を見出した笠置町は、元弘の乱ゆかりの観光地として笠置山をアピールし、
後醍醐持ち上げ+足利逆賊の戦前では結構盛り上がりましたが、人民主権の戦後に入ると下火化。
高度成長期以降は、レジャーの多様化+街から半端に遠いことが災いして、さらに人気が下降。
現在は、 「出生数ゼロ」 「高齢化率50%」 などの話題で、京都新聞を賑わす地となってるわけです。
では、笠置町がひたすら過疎全開でゴーストタウンな町かといえば、そうでもありません。
傍目には血税を盗まれてるようにしか見えないですが、移住・定住推進の情宣なども、色々と展開。
また、キャンプ場カヌーといった木津川を活かしたレジャーは、凄く盛ん。イベントも、色々開催。
私は出かける度、割と賑やかな所に見えました。同様の印象を持つ方も、多いのではないでしょうか。
町が山間で狭いため、すぐ人口密度が上がるだけとも言えますが、賑やかに見えるんですよね。
もちろんその印象は、定住者の数とは全然関係がない話ですが、とにかく頑張ってる町であります。
そんな笠置町の最大のイベントともいえるのが、毎年8月上旬に行われる夏まつりの花火大会です。
木津川で1800発を打ち上げるこの花火、 「8割が山地」 という場所のため、音が反響しまくり。
規模こそやや小ぶりではあるものの、他所では体感不能の爆音サラウンド状態を現出させてます。
また、そもそも狭い+人少ない所へ客が密集するため、混雑が超々激化するのも、ある種の味。
そんな笠置の花火、混雑が超々々々激化した関西線に乗って、出向いてみました。

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京都府立植物園の桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年4月5日(木)


京都府立植物園の桜ライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

植物園へ桜を観に行くというのは、ある意味、反則と言える行為かも知れません。
世界中の様々な植物を集めて栽培し、そして展示し、人々に教養と癒しを齎す場、植物園。
なので、桜も観れて、当たり前。しかも、種類が多くて開花時期も違うので、長く観れて、当たり前。
「短い間に必死こいて観る」 という桜のプレミアム感が、薄れるんですよね。で、ゆえに、反則と。
ただ、人の世は世知辛きものでして、桜をちょっと愛でる時間さえなくなるというのも、よくあること。
また、季節のない部屋へ籠って仕事してるうちに、桜が儚く散り去ってたというのも、よくあること。
帰り道などに路傍の桜が葉桜と化してるのを見て、 「春を取り戻したい」 「俺の春を返せ」 など怒り、
電飾によって着色された葉っぱでも何でもいいから桜を観たいと思うのも、人情というものでしょう。
また、やっとこさ桜ピーク時に京都の宿を予約したにも関わらず、開花が異常に早くなったりして、
京都へ着いた頃には桜が片っ端から葉桜になってた方なども、似たような気持ちになるのでしょう。
そんな桜難民と化した人にとって重宝な存在なのが、京都府立植物園の桜ライトアップです。
京都府立植物園。名の通り、京都府の植物園です。府立なのは、土地を買ったのが府だからです。
大正天皇即位に併せた大博覧会開催を企画した府は、田園だった半木神社周辺の土地を購入。
しかし計画破綻&土地転用で、1924年、日本最初の公立植物園としてこの植物園は開園しました。
第2次大戦敗戦直後には、GHQが米兵の為の住宅地として占領したりしましたが、1955年に再開園。
以後、 「指定管理者制度にせえ」 とか 「サッカー場にせえ」 とか言われながらも何とか乗り越え、
国内最大級の観覧温室も備えた堂々たる公設植物園として、市民の憩いの場であり続けてます。
そんな府立植物園、もちろん桜林もあって、ソメイヨシノ&ヤエベニシダレを中心に極めて充実。
しかも、 「せえ」 という声を跳ね除ける為なのか、植物園としては反則と思えるライトアップも実施。
特に枝垂系は遅くまで咲いてくれるので、葉桜を食らった難民の良い避難先になってます。
で、2018年は開花が凄く早く、私も見事に桜難民と化したので、避難してみました。

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京都・東山花灯路2018へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2018年3月13日(火)


京都・東山花灯路2018へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

これといった理由も動機もなく東山花灯路へ立ち寄ることが、たまにあります。
大抵は、北側ゲート近くの図書館から帰る時です。調べもので、帰りが遅くなった時とかです。
平安神宮の辺から神宮道をフラフラ南下して電飾ゾーンへ入り、そのまま写真も撮らず歩き続け、
プレッシャーがどうこうといったことも考えないまま、極めて適当な気分でうろついたりするわけです。
少し遠回りして帰る、というくらいの気持ちで。少しは運動もしなくては、というくらいの気持ちで。
そんな時に目にする花灯路は、つまり単なる通行人としてごくごくナチュラルな目で眺める花灯路は、
それこそ 「特攻じゃあ」 と意気込んでる時とは違って見えるかといえば、そんなことはありません。
安い集客を図るべく撒かれた電飾と、それに吸い寄せられる蛾の如き民が、蠢いてるだけです。
が、特攻時のようにそれを注視するのではなく、さらっと通り過ぎてると、気分は結構変わってきます。
楽しいかといえば、特にそんなことはない。では楽しくないかといえば、これもそんなこともない。
そんな、無な気分になるんですよね。で、こんな気分になる場所というのは、他にないんですよね。
桜開花前の閑散期に於ける集客イベントとして始まり、狙い通りの活況を生んだ、東山花灯路
その活況により生じる地獄の沙汰については、当サイトでも以前から延々とお伝えしてきた通りです。
が、その一方で、さらっと通り過ぎる際に感じるこの無な気分も、実は以前から気になってました。
この不思議な気分は一体、何なんだろう、と。この無は一体、何処から生じてるものなんだろう、と。
というわけで2018年花灯路特攻は、この無にこそ対峙しようと考え、先述の遠回り帰宅モードで決行。
平日の夜、客層を細かく見ず、写真もなるべく撮らず、散歩の如くうろついてみたのであります。
そして、無の発生源を確かめるべく、電飾で強調された闇などにこそ目を凝らしてみたのであります。
そう、これは新たな挑戦なのです。 「平熱の花灯路」 みたいなものを伝える為の、挑戦なのです。
決して、マンネリでやる気がすっかりゼロなのを、屁理屈で誤魔化してるのでは、ありません。
断じて、そもそも花粉症ゆえ細かく見るのが面倒臭かったのでも、ありません。

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京町家 『鈴 紫野』 を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2017年12月24日(日)


京町家 『鈴 紫野』 を借り切って過ごす聖夜、後篇です。

GHQ指導に因る財産税法制定まで、京都の町家は大半が借家だったといいます。
借家の大家を務めたのは、大きな商家など。住人の多くは、店子として町家に住んでたわけです。
祇園祭の運営に関する話とかで、よく耳にすることですね。 「店子は祭に参加出来ない」 的な。
そんなある種の階層社会の維持に励むと共に大家は、資産である町家の美観維持にも励んだとか。
資産というか、収入源ですし。こうした辺りからも、昔の町家の美しさは保たれてたそうであります。
が、財産税法制定の後、町家は、課税対象化。やがて大家の多くは、町家の借家維持が、困難化。
結果として、大家が店子に対して住んでる町家の購入を持ち掛けるケースが頻出したそうです。
恐らくは戦後に 「持ち家」 化し、家主により出鱈目な改装が施されたのであろう、昭和の町家の姿。
今なお街のあちこちで 「リアルな京都」 を感じさせてくれる、あの無秩序な看板建築町家の姿は、
実は、社会の激変に因るオーナー変更から生じた一過性の姿、と言い得るものなのかも知れません。
そう考えると、町家はそもそもが、流動性あるいは 「境界」 性を持つ建物とも思えてきます。
「継ぐべきもの」 として屹立し、愛着と共に疲労や悲しみを生むこともままある 「マイホーム」 ではなく、
大家は次の過客を呼び込むべく美観を整え、店子もまた各々の季節に伴って通り過ぎるという、
流動的でゆるやかで、ある種 「境界」 的である居住空間としての町家が、イメージ出来るというか。
いかにもな外観と単に暮らし易い中身を持つリノベ町家宿が、それらの直系とは言いませんが、
少なくとも、昭和後期に大量発生した生活感出し過ぎ改装の町家と同程度には高い一過性を持ち、
また、時代を生きる人々の 「何か」 も同程度に反映されたもの、とは言えるのではないでしょうか。
というわけで、そんな過剰なリノベによって何とも過ごし易い町家宿 『鈴 紫野』 での聖夜、後篇です。
後篇は、完備されたキッチンを駆使して京野菜を調理する晩餐、欠かせないクリスマスケーキ、
夜の精神戦を経て翌朝に不思議な音を耳にするまで、雪だるま君と一緒に一気に突っ走ります。
『鈴』 に相応しいジングルベルの音色は、果たして、鳴り響いてくれるのでしょうか。

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京町家 『鈴 紫野』 を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2017年12月24日(日)


京町家 『鈴 紫野』 を借り切って聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

メリー・クリスマス!! 恒例のクリスマスひとりお泊まり企画、2017年度版でございます。
独への精神的外圧が最高潮となる夜、世間の馬鹿騒ぎへ背を向け独男として投宿することで、
異教宗主生誕を姦淫&浪費で祝う日本のクリスマスを批判し続けてきた、当サイトの聖夜企画。
しかし激戦を重ねる内、クリスマスが内包する太陽祭というルーツから 「境界」 なるテーマが浮上し、
そのテーマを追求すべく、平安京のスピリチュアル・ゲート 「四堺」 を押さえる形へと企画が変容。
で、郊外&僻地の宿ばかり転戦してたら、今度はインバウンド激増で街中の宿泊状況が激変した為、
「四堺」 コンプ後はこの新たな 「境界」 とも対峙すべく、都心へと戦線を回帰させ、市街戦を開始。
前回となる2016年は、正に京都の真ん中である柳馬場三条下ルの簡易宿所・三条右近橘へ泊まり
京都と全然関係ない小津の映画を観たりもしながら、新たな 「境界」 との激戦を繰り広げたのでした。
というわけで、今回2017年度のネタは、その新たな 「境界」 を見据えるシリーズ、第2弾であります。
出向いたのは、京町家 『鈴 紫野』株式会社レアルが運営する、一棟貸しの町家宿です。
そう、町家です。町家宿は2012年聖夜も泊まってるので、いわば町家ネタとしても第2弾であります。
2010年代後半に入っても京都のインバウンド増加は全く止まらず、宿泊施設は圧倒的に不足し始め、
一時的なヤミ民泊の隆盛&衰退に続き、合法の簡易宿所や町家宿が大増殖するようになりました。
特に 「町家に泊まった」 というコト消費&リノベしまくりの利便性を併せ持つ町家宿の勢いは凄く、
町家の保存&簡便な室数確保が両立出来ることもあって、とにかく雨後の筍の如く増えまくってます。
中でも増えてるのが、 『鈴』 『Gest House Rinn』 などのブランドで展開されてる、レアルの町家宿
物件買い取りの為かKBS京都に企業CMも打ってたので、地元の知名度もあるんじゃないでしょうか。
で、その 『鈴』 群の中で、2017年12月24日に一番安く予約出来たのが、今回泊まった 『鈴 紫野』 。
名が示す通り、 西陣の端とも言える紫野の、極めて庶民的な街の中に立地する宿であります。
そんな 『鈴』 、2012年以来の雪だるま君と共に、ジングルベルな気分で借りてみました。

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からふね屋珈琲・三条本店で、かぼちゃパフェを食べまくりました。もちろん、ひとりで。

2017年10月31日(火)


からふね屋珈琲・三条本店で、かぼちゃパフェを食べまくりました。もちろん、ひとりで。

京都にも 「ひとり」 にも全く関係ない話で恐縮なんですが、私はかぼちゃが大好きです。
煮物にしても、天ぷらにしても、ポタージュにしても、実に美味いコクと甘味を生み出す、かぼちゃ。
ホクホクの身が生む多幸感はもちろん、煮込んだ皮が生む食感もこれまた堪らない、かぼちゃ。
かぼちゃがゲル汁化するまで煮込んだほうとうは特に好きで、よく作ってます。とにかく、大好きです。
ので、昨今隆盛を誇るハロウィンが 「かぼちゃを食う日」 とならないのが、私には我慢出来ません。
くり貫いたかぼちゃの面を餓鬼が被り、 「Trick or Treat」 とか抜かしながら走り回る西欧圏の秋祭が、
イベント過疎期の間隙を埋める仮装群集バカ騒ぎ日に化けて定着しつつある、日本のハロウィン。
無論、こんな野合で習合な現象そのものは、どうでもいいことです。日本人は常に、こんなもんです。
私は、かぼちゃを推すこの千載一遇のチャンスに大人しく構えてるかぼちゃ界が、歯痒いのです。
パンプキン何ちゃらを売る洋菓子店などは、もちろん、今も沢山あります。が、正直、全然物足りない。
もっとこう、がっつりかぼちゃの食感を楽しむ機会が、ハロウィンにあってもいいのではないか。
このままだとかぼちゃは、骨抜きどころか、身まで抜かれたオブジェ扱いになってしまうのではないか。
かぼちゃ者としてそんな危惧を感じた私は、当サイトでのハロウィン企画勃興を決意したのでした。
京都には実は、年中かぼちゃを食いまくれる喫茶店が存在します。からふね屋喫茶店が、そうです。
京都&関西に展開してる喫茶店チェーン、からふね屋喫茶店多彩なパフェでも、知られてます。
で、このパフェが、ベジタブルメニューも過剰に充実してて、かぼちゃ系のメニューもまた過剰に多彩。
で、このかぼちゃパフェを食いまくることで、ハロウィンを 「かぼちゃを食う日」 化する計画を遂行し、
また同時に、ハロウィン当日の夜に於ける京都の繁華街の雰囲気もお伝えしよう、と考えたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。かぼちゃ界へ向けて新たな提言を行う為の、挑戦なのです。
決して、何かハロウィンネタでもやってみるかと雑な邪念に基づき出かけたわけでは、ありません。
断じて、ネタ採取をまた忘れ、月末の夜になって適当に出かけたわけでも、ありません。

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旅籠茶屋・池田屋はなの舞で、鱧の落としと鱧小鍋を食べました。もちろん、ひとりで。

2017年8月23日(水)


旅籠茶屋・池田屋はなの舞で鱧を食べました。もちろん、ひとりで。

池田屋事件が起きた夜の京都は、かなり蒸し暑かったのではないかと思ったりします。
元治元年6月5日・祇園祭の宵々山は、新暦でいえば、7月8日。正に、梅雨明け直前です。暑い。
実際、 『幕末維新京都町人日記』 によれば、事件前は雨続き。で、珠に陽が差す感じ。暑い。
で、こんな蒸し暑い盛りの京都の夜に、冷房などなく、下階では灯さえ燃えてる屋内にて、斬り合い。
しかも、何時間にも亘って、斬り合い。間欠泉の如く熱い血があちこちから吹き出す中、斬り合い。
それは一体、どういう状況なんでしょうか。血がスチーム効果を生むサウナ、みたいなもんでしょうか。
沖田総司は、持病でなく熱中症で戦線離脱したという説がありますが、暑さを思えば、さもありなん。
京都の夏を体で知る人なら、誰もが想像するだけで発狂しそうな地獄の沙汰、と言えるでしょう。
この池田屋事件、幕末日本にとっては無論、京都観光に視点を絞っても、極めて重要な事件です。
ゆえに、京都メジャースポットの単独特攻を趣旨とする当サイトとしては、スルーは許されません。
ので、池田屋の跡地たる居酒屋・池田屋はなの舞の訪問は、早い段階からずっと目論んでいました。
しかし同時に、 「訪問するなら、当日に溢れてたであろうこの暑気こそを絡めた形で」 とも思い、
現在の宵々山 = 7月15日に湿気が満ちるのを待ち続け、そのまま現在まで未訪となってたのでした。
7月15日頃の京都って、案外と涼しい場合が多いんですよね。いい感じで、風が吹いてたりして。
一般基準なら充分過ぎるくらいに地獄なんですが、京都水準的にはマシな場合が多いんですよね。
この程度の暑気では、池田屋事件のグダグダでドロドロの地獄感は、まず体感できないでしょう。
タイミングはズレても、グダグダでドロドロに暑い8月後半の方が、訪問には相応しいのではないか。
その方が、事件が持つ温度感や湿度感みたいなものに、より深い形でシンクロできるのではないか。
そんな高踏な考えに基づき、私は敢えて8月下旬の蒸し暑い日を選んで池田屋はなの舞を訪問し、
荒っぽく骨を斬り合った者達の青春に想いを馳せつつ、荒っぽい骨切りの鱧などを食ったのでした。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。幕末への体感的共鳴を目指す、挑戦なのです。
断じて、 「夏終了前に企画 『ひとり鱧』 をもう一発」 と、雑な動機で出かけたのでは、ありません。
決して、 「どうせ行くならネタになる店に」 と、邪な動機で出かけたのでも、ありません。

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五山送り火の船形万燈籠を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

2017年8月16日(水)


五山送り火の船形万燈籠を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

『京都人は日本一薄情か 落第小僧の京都案内 (倉部きよたか・著) 』 という、
死ぬほどしょうもない書名の割に案外面白い本では、 「賀茂人」 なる概念が提示されてます。
賀茂族」 ではなく、 「賀茂人」 。 「上京人」 「下京人」 と共に 「三京人」 を構成する、 「賀茂人」 。
上賀茂から西賀茂にかけての洛北・賀茂エリアに住むネイティブな人を、そう呼ぶというわけですね。
この賀茂の地はそもそも、上賀茂神社神領として平安遷都の以前から賀茂族が統べていた地。
中世以降は色々ごちゃごちゃしますが、とにかく上京や下京とは異なる歴史的経緯を持つエリアです。
で、倉部氏が同書で言うには、こうした経緯が 「賀茂人」 の気風を独特なものにしてるんだとか。
「適当な思いつき」 と、思われるかも知れません。が、私には、結構当たってる所もあると思えます。
賀茂、特に御薗橋以西の西賀茂の雰囲気は、確かに京都のどのエリアとも違い、何か独特です。
長閑な田畑が残る辺と、ゆえに開発が進んだ宅地の景観が入り混じる辺は、いかにも郊外的ですが、
そこに、他の京郊にはない雰囲気、何かしらどよ~んとした雰囲気が、立ち込めてるというか。
京郊にして元神領の八幡に住む私は、その辺に、強い親近感と違和感を同時に感じたりするのです。
で、船形を拝みに行ったこの日の西賀茂もやはり、何とも独特な雰囲気が立ち込めてたのでした。
自転車珍走などの阿呆な手段で幾度も五山のコンプリートへ挑むも、それらの全てが失敗に終わり
猛省の後に 「5年かけて、1年に一山ずつ見る」 と発動された、当サイトの五山送り火5ヵ年計画
初年度の2015年はまず本丸である大文字を、2016年は超豪雨の中で妙法を拝んできたわけですが、
3年目の今回訪れたのは、西賀茂・西方寺の檀家さんが点火を担うという、船形万燈籠であります。
西方寺を開いた慈覚大師・円仁が、留学先・唐からの帰国時に阿弥陀如来を召喚した船を表すとも、
精霊 aka おしょらいさんが現世からあの世へ帰る際に乗る燈籠流しの舟を表すともされる、船形。
西方寺での六斎念仏と、そして 「賀茂人」 が愛するサカイの冷麺と共に拝んだその送り火は、
やはり西賀茂独特の雰囲気と温度感の中で、独特な輝きを放ってたのでした。

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御食事処明日香で、鱧落としと鱧天麩羅定食を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

2017年8月3日(木)


御食事処明日香で、鱧落としと鱧天麩羅定食を楽しんで来ました。もちろん、ひとりで。

夜に、安く鱧を味わうには、果たして何処へ行って、どうすればいいのか。
夏企画 『ひとりで食べる鱧』 復活に際し、私はこんなミッションを己に課そうと考えました。
理由は、過去の特攻が全て昼特攻だったので。あと、単に安い店もこれまでは避けていたので。
値が張ってこそ、鱧。貧乏なりに、出費による緊張感込みで夏の味覚を楽しんできたわけです。
が、復活後の 『ひとり鱧』 は、予算枠が更に緊縮。緊張感がどうとかなんて、もう言ってられません。
というわけで今回、夜の激安鱧ミッションであります。果たして何処へ行って、どうすればいいのか。
このミッション達成に当たり、まず候補へ挙げるべきなのは、居酒屋ということになるんでしょう。
京都にも、居酒屋はあります。沢山、あります。で、多くの店は夏になれば、鱧メニューを扱います。
値は当然ながらピンキリですが、無理矢理に平均を出せば、落とし単品が1000円強程度でしょうか。
予算枠的に考えれば、悪くありません。が、そもそも私、酒の場が好きじゃないんですよね。
食事をする店で、夜に安く鱧が食いたい。酒ではなく飯がメインの店で、夜に安く鱧が食いたい。
と思い、そんな条件を満たす店を探しました。 「あるわけない」 とも思いながら、探しました。
すると、すぐ見つかりました。それも、普段通る道で、見つかりました。御食事処明日香が、そうです。
こちらの明日香が建つのは、平安神宮参道・神宮道三条通の交差点という、かなりな観光地。
実際、この交差点から平安神宮までは、それこそ観光地テイストな店が林立してるわけですが、
しかし明日香は、リーズナブルなメニューが多い御食事処であり、夏にはリーズナブルに鱧も提供。
3000円どころか、2000円でもお釣りが来る形で鱧が楽しめてしまう、何とも有難い店なのであります。
私は、図書館への道中で何度も前を通りながらも、ここが鱧を出してることを知りませんでした。
が、夜の激安鱧ミッション達成を前にして、目に鱧センサーみたいなもんが宿ったのか何なのか、
店前の看板に堂々掲げられてた 「鱧」 の字に、今年になって初めて気付いた次第です。
というわけで、8月の夜、見慣れた暖簾を新たな気持ちで潜ったのでした。

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京都・東山花灯路2017へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2017年3月9日(木)


京都・東山花灯路2017へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

人はどうして、美しい景色をひとり占めしたい、と考えてしまうのでしょう。
自分で作ったわけでもない景色。人に見せない理由は、ないはずです。なのに、見せたくない。
恥ずべき願望や性癖を具現化した景色であれば話は別ですが、そうでもないのに、見せたくない。
無論、そんなケチくさいことを考えず、美を多くの人と分かち合いたいと考える人もいるでしょう。
しかし、私も含め大抵の人々は、美しい景色に遭遇した時、その場に他人がいないことを望みます。
そして多くの場合、その願望の余りの理不尽さを自覚し、己の理不尽さに腹を立てたりもします。
この気持ちは一体、何なんでしょうか。何に因って生まれ、そして、何に因ってこじれるのでしょうか。
答えは、色々と想定し得るかも知れません。何なら、人の数だけ答えがあるのかも知れません。
もし私が答えを求められたとしたら、私はきっと 「恥ずかしさ」 こそがその理由だと答えるでしょう。
こんな時に、こんな所で、こんなことをしてて、いいのか。こんなことしてるのを、人に見られたくない。
私は、景色を 「ひとり占めしたい」 と思う時、常にこんな 「恥ずかしさ」 を同時に感じています。
この 「恥ずかしさ」 ゆえ、他人に対し何らかの攻撃的な感情を抱くことも、珍しくありません。
「邪魔、消えやがれ」 みたいなことも、思ってしまうのであります。実に、悲しいことであります。
こんな時に、こんな所で、こんなことをしてて、いいのか、的な気分が溢れる京都のイベントといえば、
何といっても3月初旬の閑散期対策として行われる、電飾使いまくりの集客イベント・東山花灯路
当サイトではこの東山花灯路、これまで一貫して 「恥ずかしさ」 を全身で感じる荒行日と定義し、
「こんなことしてる」 のを見られるべく、常に人が多いタイミングで単独特攻を敢行し続けてきました
が、もういい加減、疲れました。 「恥ずかしさ」 を感じ過ぎて、心の芯の方が何だか、疲れました。
あと、一度くらい 「邪魔、消えやがれ」 とか思わずに花灯路を観てみたい気持ちも、涌いてきました。
電飾が本当の意味で美しいかどうかはともかく、人の心を蛾に変えるこの灯りの魔力の正体を、
落ち着いた形で見据えるのも、それはそれで意義があるのではないか、と思うようになったのです。
というわけで、2017年の東山花灯路特攻は、人が少ないであろう平日の雨の日を選んで敢行。
「恥ずかしさ」 を大幅削減した目で、改めて花灯路を観てみたのでした。

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2017年への年越しを、永観堂で写経だけをして迎えました。もちろん、ひとりで。

2017年1月1日(日)


2017年への年越しを、永観堂で写経だけをして迎えました。もちろん、ひとりで。

当サイトではこれまで毎年の年越しに際し、様々な寺で除夜の鐘を撞いてきました。
徘徊の挙句に撞けなかった年もありますが、とにかく他所者としてネイティブな場へ紛れ込み、
本来は近所の人が顔を合わせて撞く鐘を、気後れと気まずさを感じながら、撞いてきたわけです。
この気後れと気まずさ、地元・八幡でさえ 「移民の子」 という自覚ゆえ逃れられなかった私は、
やがて払拭を求めるようになり、2016年には本籍地の隣・南丹市船枝に立つ京都帝釈天へ遠征
ルーツとも言える地にて、参道に並ぶ108個の鐘を遠慮なく&思う存分撞きまくったんですが、
この撞きまくりにより、私の中にあった鐘への欲求は何か、昇華されてしまいました。
鐘は、もういい。撞く必要性を、感じない。そもそも、年越しだから鐘を撞くなんて、もう古いですよ。
むしろ、鐘に捉われないことにより、今まで見ることが出来なかった年越しの相貌を見てみたい。
欲求の昇華により、魂が次のステージに入ったのか、私はそう考えるようになったのでした。
とはいえ、単に除夜の鐘をやってない寺を訪れ、何らかの祈願をするだけでは、流石に味気ない。
鐘は撞かず、でも多少は年越し感のある行事をやってる寺へ、行きたい。でも、そんな寺、あるかな。
という疑問を速攻で抱きましたが、その答えはやはり速攻で見つかりました。永観堂です。
永観堂。正式名称 「秋はもみじの永観堂」 。というのはもちろん嘘で、聖衆来迎山無量寿院禅林寺。
浄土宗西山禅林寺派総本山なわけですが、一般的には無論、紅葉の名所として有名であります。
ゆえに、紅葉以外には幼稚園の園児募集ポスターぐらいしかイメージがない寺なんですが、
年越しでは 「聖衆来迎」 の名に相応しく、無量ならぬ無料で鐘楼を開放して、除夜の鐘を実施。
のみならず、名物 「みかえり阿弥陀」 を祀る阿弥陀堂では、写経も行われるのです。これですよ。
というわけで今回の年越しは、写経の為だけに、永観堂を訪寺。鐘は、撞きません。
「にらみ鯛」 ならぬ 「にらみ鐘」 とでも呼ぶべき新たな年越しスタイルを提案したいと思います。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な挑戦なのです。
決して、鐘を待って並んだり突っ立ったりするのが、単純にしんどくなったのでは、ありません。
断じて、年越しネタ自体がいい加減ネタ切れ+飽きが来てるわけでも、ありません。

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三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【後篇】

2016年12月24日(土)


三条右近橘にて過ごす聖夜、前篇の続きです。
 
「京都で暮らす」 ということ。それは、つまり、 「自分らしく暮らす」 ということ。
「自分らしく暮らす」 ということは、 「自分である」 ということであり、 「自分がある」 ということ。
歴史や伝統の尻尾を追いかけて、一代や二代ではなれるわけがない 「京都人」 になり切る努力は、
意味がないし、何より 「自分以外の誰かになれる」 と思い込める若さが、この街には似合わない。
必要なのは、 「自分」 を立ち上げること。そして、その上で、 「京都」 へ無駄にこだわらないこと。
「京都」 への無駄なこだわりは、この街のカルチャーを本当の意味で背負うには、邪魔になる。
都市の原動力は、いつだって、様々な文化の吸収。その駆動原理は、千年の都・京都だって、同じ。
人も文化も、外部からこの街へ入ってくるエレメントは、健全な血流の為には常に必要なもの。
「受け入れる」 という姿勢では、足りない。自ら積極的に取り入れるタフさを、持たなくてはならない。
外来のエレメントと蓄積された歴史を組み合わせて、立体的な創造を行う知力も、重要になる。
「京都」 への無駄なこだわりは、このタフさと知力の飛躍を阻む、壁。壊さなければならない、壁。
都市の駆動原理ゆえ、どんな子供でも簡単に皮肉ることができるほど混沌とした京都の真ん中で、
自分自身を保つ力を授け、新たな未来を創り出す力になってくれるのは、壁ではなく、 「自分らしさ」 。
誰もが 「自分らしい」 暮らしをしなやかに持ち、それぞれの 「らしさ」 がゆるやかに響き合う。
その共振だけが、柔軟な知性と未来への眼差しを生み、この街を更新していく――――――――
――――――――――――――――――――――――――――――
―――と、京都ブランドに乗って勝手&凡庸&無秩序な欲望を 「自分らしく」 発露しまくり、
その発露をポエミーな寝言で美化&正当化したくもなる魔力に満ちた新たな魔界たる洛中にて、
魔界ゆえ増殖している境界的簡易宿所のひとつ・三条右近橘に投宿し過ごしてる、2016年の聖夜。
私もまたその魔力に侵食され、 「自分らしさ」 全開で普段通りに文博行って小津の映画観たりと、
京都にもクリスマスにも全く関係ない挙動に好き勝手に励んでるわけですが、後篇はいよいよ、飯。
「隠れ家の食事処」 での夕食や、チキン&ケーキ爆食など、食の流れを一気に観てもらいます。
これこそが、新たに生まれた魔界で嗜む私にとっての 「自分らしい」 「京都の暮らし」 です。

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三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。 【前篇】

2016年12月24日(土)


三条右近橘にて聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

太陽神の生誕祭をルーツに持つクリスマスが、その内に孕んだ境界性を追求すべく、
当サイトでは、京都郊外にある境界 「四堺」 へと赴き、聖夜お泊まりを敢行し続けて来ました。
しかし、そんな崇高にしてアカデミックな荒行を、温泉浸ったり猪肉食ったりしながら続けてる内に、
辺境の真逆たる京都市中心部では、宿泊施設を巡り、事態が極めて激しく変化していたのです。
2011年には50万人強だった京都市の年間外国人宿泊者数は、2015年には300万人まで増加
宿泊施設が絶望的なまでに不足し始め、その不足によって生じる隙を狙った所謂ヤミ民泊も急増
行政は、ヤミ民泊を取り締まる一方で、グレーな施設に対しては旅館業法の許可取得を奨励
結果として、マンションや町家丸出しながら一応合法の簡易宿所が、激増することとなったのでした。
そう、極めて境界的なる性格を持つタイプの宿所が、都心にこそ溢れるようになってるわけです。
「本当の京都」 と有り難がられている洛中のど真ん中こそが、他所者が蠢く境界と化してるわけです。
「金余りの割にコンテンツ供給が足りてないバブル期に於けるセックス祭」 としての面が後退化し、
属性問わず人を消費へ誘う契機としてだけひたすら活用されてるようになったクリスマスを、
「教会祭」 ならぬ 「境界祭」 として認識し直し、その魔力との対峙を続けてきた当サイトとしては、
街中に新たな境界が出現し、氾濫&増殖しているこのカオスな状況、見過ごすわけにはいきません。
というわけで2016年の聖夜お泊まり企画は、これまでの辺境巡礼から一転して都心へと回帰し、
着物姿の某国人がマンションから団体で出て来る様をしょっちゅう見る洛中にて、敢行してみました。
泊まったのは、三条右近橘。怪しい宿では、ありません。日昇別荘が運営する、簡易宿所です。
では、宿代が安いだけの普通な宿かといえば、エントランスはトップ画像のような超ハードコアぶり。
マンション以外の何物でもありません。正に、民泊。相手にとって不足なし、と言うべきでしょう。
この宿にて聖夜を過ごすことで、新たな境界と向き合い、その素性を見極めんとしたのであります。
そう、これはあくまでも新たな挑戦なのです。当サイトが当サイトである為に必要な、挑戦なのです。
決して、翌日に用事がある為、移動時間が読み難い郊外特攻を日和ったのでは、ありません。
断じて、そもそも郊外特攻そのものがいい加減面倒になってきたのでも、ありません。

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梅小路公園の紅葉まつりライトアップを観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年11月25日(金)


梅小路公園の紅葉まつりライトアップへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

幼い頃、山陰本線の車窓から梅小路貨物駅を眺めた記憶が、かすかにあります。
私の親は丹波出身なので、帰省で山陰線へ乗ることが珠にあり、その際に見たわけですね。
完全な幼児の疎覚えなので、本当に自分の目で見た記憶なのかどうかも現在では怪しいですが、
ただ、私鉄しか走ってない地元では見たことがなかった超大規模なる 「鉄」 の世界を垣間見て、
「これから遠くへ行くんだ」 という旅情 or 寂寞感のようなものを感じたことは、確かに記憶してます。
平安期は平清盛の西八条第が建ち、江戸期は土御門家の本拠地であった京都南部・梅小路が、
広大なる貨物駅を擁する一大 「鉄」 ゾーンと化したのは、もちろん、日本に鉄道ができた明治以降。
洛中の繁華街は線路が通し難い為に、京都の玄関口たる京都駅は南部にて作られることとなり、
それに伴って貨物扱いもその近所・梅小路で行われることとなり、梅小路貨物駅は誕生したのでした。
以後、近代&現代を通じて長く活躍した梅小路駅でしたが、1990年に設備が移転し、空き地化。
やがて空き地はJRから京都市へ売られ、買った京都市は何ちゃら記念として空き地を公園に整備。
かくして梅小路貨物駅は、庭園やビオトープなどで構成された都市公園・梅小路公園へ再生し、
長じた私が便所へ寄った際には、個室の壁を登ったその筋の方と目が合ったりもしたわけであります。
梅小路公園、近年は敷地内に京都水族館ができ、旅客新駅も開設予定と活性化が著しいですが、
庭園 「朱雀の庭」 もまた、より集客を図るべく晩秋には「紅葉まつり」 を開催し、ライトアップも実施。
京都駅からギリ歩いて行ける夜の紅葉スポットとして、ジワジワ認知と人気を高めつつあります。
と、幼少の頃に抱いた 「鉄」 な印象からすると、私的には隔世の感を感じまくる今の梅小路ですが、
しかし千年単位で物を考える京都では、100年ほどブイブイ言わせた 「鉄」 こそ過客に過ぎず、
紅葉の映える庭園へと姿を変える方が、ある意味、この街らしい流れと言えるのかも知れません。
そんなことを思いながら、私もまた便利さに釣られて、夜の梅小路公園へ出かけてみました。
庭の名物という 「逆さ紅葉」 は、私の心を 「遠く」 へ連れて行ってくれるでしょうか。

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宇治田楽まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年10月15日(土)


宇治田楽まつりへ行ってきました。もちろん、ひとりで。

宇治田楽まつり。宇治名物・茶団子に田楽味噌を付けて食いまくる祭、ではありません。
また、いわゆる田植舞などの農耕色が濃い民俗芸能が披露される祭、というわけでもありません。
平安後期から鎌倉期にかけて宇治の地で隆盛を誇ったという 「幻の芸能」 である 「田楽」 を、
現代らしい的な形で復活させようと宇治の人々が考え、1998年より開催されてるイベントであります。
宇治は無論、世界遺産・平等院をコアに擁し、『源氏物語』 宇治十帖の舞台としても名高い地。
これら栄華の源泉たる藤原氏摂関期以前から、貴族達は別荘で宇治の風光を愛でていたものの、
摂関期以後はセレブ化が更に進み、そのセレブ化進行が近隣住民の生活や祭礼にも強く影響。
元来は郷民が競馬などで盛り上がってたという氏神・離宮八幡宮の祭礼・離宮祭も、華美化が進み、
禁令が出るほどの煌びやかな衣装と共に、カオスな 「躍り」 系芸能としての 「田楽」 が、隆盛化。
この 「田楽」 は、編木 (ビンザサラ) や腰鼓などを奏でつつ躍動的に踊るという渡来的なフォームで、
高足など散楽の曲芸に加え、後には猿楽の要素さえ取り込んだという、風流の魁のようなもの。
どこが 「田」 だという感じのカオスの中では、農耕と全然関係ないプロ芸能者・田楽法師 が活躍し、
更にはそのプロを模倣した 「やってみた」 系のアマチュア下級武士まで混入するなど、中々にカオス。
洛中では、末法カオスの真最中に 「永長の大田楽」 なる風流パンデミック状態まで発生しますが、
宇治では、白川金色院周辺にプロ集団・本座が勃興し、先述の離宮祭を中心に派手な活動を展開。
本座は、京都や奈良の寺社でも芸を披露し、遂には春日若宮おん祭へも参勤するに至りますが、
やがて新興のプレ能たる猿楽に圧され始め、幕府の庇護が猿楽へ向かった室町以後は一気に衰退。
「田楽」 そのものも歴史の彼方へ姿を消し、芸態も詳細不明な 「幻の芸能」 となったのでした。
で、この 「幻の芸能」 を、宇治市民自ら躍って復活させるという公演が、宇治田楽まつりであります。
詳細不明ゆえ、その内容は基本的によさこい的な創作系で、カオスな高揚をこそ目指す感じ。
しかし、その開かれた感じと、市民自らが躍る楽しさが相まって、人気は年々上がってるようです。
そんな宇治田楽、茶団子も田楽味噌も食わずに、ひたすらカオスな舞踊を観てきました。

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長岡天満宮の夏まつりへ久世六斎念仏の奉納を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2016年8月25日(木)


長岡天満宮の夏まつりへ久世六斎念仏の奉納を観に行きました。もちろん、ひとりで。

京都の六斎念仏の講中は、かつてお盆の頃、あちこちで興業を行なってたそうです。
市街地近郊の農村に於いて、農閑期の余暇を活用する形で発展した、近世京都の六斎念仏。
特に芸能六斎と呼ばれるタイプの六斎は、花の都に流行るあらゆる演芸を取り込みまくる形で発展、
念仏の原型がなくなるほどに芸能化されたその演舞で、人々から熱烈な人気を得たといいます。
無論、そんな芸能化された六斎の講中も、メイン活動は地元の寺社での奉納&棚経なわけですが、
人気と需要ゆえ、大八車へ道具を積んでの町場廻りなども行ない、貴重な現金収入を得てたとか。
そういった場での演舞は恐らく、よりコンパクトで芸能色が濃く、より 「余興」 的なものだったでしょう。
「移動型総合念仏エンターテイメント」 「踊る農閑渡世」 みたいな感じだったかも。面白そうですね。
しかし現代に至ると、こうした 「興業」 としての六斎奉納を見かける機会は、なくなりました。
現代の六斎シーンにあっても、ホーム以外の場所で積極的に奉納を行なう講中は多いですが、
そのプログラムは、ガチというか、いわゆるフルサイズの 「一山打ち」 である場合が大半。
かつての六斎が、メイン活動以外の場に於けるライトな演舞で放っていたかも知れない雰囲気、
ある種の 「営業」 感や 「余興」 感を想起させてくれるような奉納は、案外と見当たりません。
時の流れはこういう所にこそ克明に顕れる、という話ではあります。が、そこで、久世六斎ですよ。
京都市南区・久世にあって、駒形稚児を出す綾戸国中神社の隣である蔵王堂・光福寺をホームとし、
蔵王堂におけるホーム奉納ではそれこそガッチガチのディープな演舞を展開する、久世六斎念仏
六斎本来の太鼓曲が中心のセトリに始まって、客&場所から放たれるタイムスリップ感に至るまで、
「昔の六斎はこんな感じかも」 と思わせるそのガチさ加減は、当サイトでもお伝えしてる通りです。
が、長岡天満宮・夏まつりでのお呼ばれ奉納では、こちらの久世六斎、実にコンパクトな演舞を披露。
これはこれで、 「昔の六斎の興業はこんな感じかも」 と、強く思わせてくれるものとなってます。
そんな六斎の別の表情を拝むべく、長岡天満宮がある長岡京市へ出かけてきました。

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五山送り火の妙法を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

2016年8月16日(火)


五山送り火の妙法を拝みに行って来ました。もちろん、ひとりで。

五山送り火は、その名の通りに火を用いる行事ながら、基本、雨天決行となってます。
槍が降っても決行というわけではなく、1963年には豪雨で順延してますが、基本、16日に固定。
少なくとも私の記憶がある範囲では、 「雨で延期になった」 という話は、聞いた憶えがありません。
大変だという話ではあります。が、それも、当然でしょう。送り火はあくまで、送り火なのですから。
ホテル屋上で酒の肴に火を眺める仏罰必定の輩から、五山コンプへ挑む自転車珍走団に至るまで、
様々な愚民を様々な愚行へ駆り立てるライトアップイベントのようになってしまってる、五山送り火。
しかし、その本義はあくまで、現世へ戻った精霊 aka おしょらいさんを、あの世へ送り返すこと。
所詮は雲から下の事情に過ぎない雨で、精霊のステイ日数を延長させるわけには行かないのです。
延長などすれば、現世へ未練を抱いて帰らない居残り幽霊が大量出現するかも知れませんし、
そうなれば、そもそも霊口密度が高過ぎる怨霊都市・京都に於いて霊口爆発が発生するのは、必定。
然るべきスケジュールで、然るべき客出しで、然るべき場所へ帰ってもらう。これが、大事なのです。
なので、2016年の五山送り火は、とんでもない雨の中でも中止されずに敢行されました。
ゆえに、五山送り火5ヵ年計画を遂行中の当サイトは、ズブ濡れで妙法へ出かけました。
阿呆丸出しで何度も何度も様々な方法で五山コンプへ挑むも、それら愚行の全てが失敗に終わり、
反省の後、 「5年かけて、1年に一山ずつ観る」 と決め2015年に発動したのが、当サイトの5ヵ年計画。
初年度の前年は、送り火の代名詞的存在をまず押さえようと、大文字山を拝みに行きましたが、
第2回の今回は、大文字の隣にして大文字に続いて点火される妙法を、拝みに行ったのであります。
松ヶ崎・妙法は、洛北は北山の東にあって、五山の中で唯一 「妙」 と 「法」 の2文字1ペアな山。
この地は、日蓮の孫弟子・日像の教化により村全てが日蓮宗へ改宗したという伝説を持ちますが、
送り火で描かれる 「妙」 の字もやはり、日像上人が西側の山に書いた 「妙」 をルーツとしているもの。
正に霊的事情により決行されてる送り火なのであり、雨程度で中止されることは考えられません。
正直、当日に雨が降り始めた時には、5ヵ年計画を6ヵ年計画にする屁理屈を考えたりもしましたが、
大変な思いをして燃やされる火を拝むなら、こちらも多少は大変な思いをするのが、筋でしょう。
そう考え、雨の松ヶ崎へ出かけたのでした。そして、本当に大変な思いをしたのでした。

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亀岡平和祭・保津川市民花火大会へ花火を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2016年8月7日(日)


亀岡平和祭・保津川市民花火大会へ花火を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

爆発を、 「美」 として描く or 堪能すること。それは、平和な状況でのみ可能な行為です。
いや無論、戦時下でも爆発の描写そのものは決して珍しくはなく、むしろ盛んに行われるでしょう。
しかしそれらは概ね、 「勝利」 「成果」 or 「悲劇」 「非人道性」 などを表象する為のものであり、
爆発によって四散する命をもエレメントとして取り入れるような 「美」 の表現には、まずなり得ません。
殺される側にとって爆発の惨状は、当然ながら 「美」 とは懸離れた地獄として現前するのであり、
また殺す側にとっても爆殺の美化は、どれだけ正当化のロジックを駆使してもなお困難を極めます。
死者に祈りを捧げると同時に、こっそりと死者の死の瞬間を審美する脳天気な 「美」 の享楽は、
脳天気な平和状況に於いてのみ成立するものであり、ある意味で、平和の証とも言えるわけです。
8月の日本に於いて、爆撃の再現としか思えない花火大会が平和祈願の名目で開かれるのは、
送り火の風習を持つ盂蘭盆会終戦記念日のタイミングが重なったという我が国固有の事情に加え、
爆発が享楽し得るほど我々は平和であると、死者を含む世界へ宣言する為なのかも知れません。
「亀岡平和祭」 と堂々銘打たれたイベントの一環として行われる京都府亀岡市の花火もまた、
平和ゆえに可能な爆発の享楽を、夜空に舞い踊る魂火の審美を、存分に楽しめる催しです。
口丹波の中核都市・亀岡市は、1955年に 「世界連邦平和都市宣言」 を発し、 「平和祭」 を開始。
同時に、市の真ん中を流れる保津川 = 大堰川 = 桂川にて、約5000発を爆発させる花火大会も開始。
南丹・八木の凄まじさに隠れてる印象がなくもないですが、その規模はなかなかに爆発的であり、
花火貧民たる京都市民にとっても、JRに乗って爆発の飢えを満たしに行く貴重な機会となってます。
そんな亀岡の花火、当サイトとしては夏の定番行事を押えるべく今回の特攻に挑んだんですが、
写真の方は、花火の爆発が持つ 「美」 、それこそ死すらも孕む 「美」 に、焦点を合わせてみました。
長時間露光で光を叙情的に描くのではなく、飛び散り弾け飛ぶ瞬間の光こそを動的に描くことで、
「美」 の真只中で四散した命へ脳天気にシンパサイズし、共に夜空を舞おうと考えたわけであります。
そう、これはあくまでも、新たな挑戦なのです。脳天気な平和を手放さない為の、挑戦なのです。
断じて、単に人が少ない遠方まで離れて望遠で撮ってみたら、妙な絵になったのではありません。
決して、手持ちゆえシャッター速度を上げ、妙な絵がもっと妙になったのでもありません。

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