宇治・六地蔵の民泊を借り切って、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

2022年12月24日(土)


宇治・六地蔵の民泊を借り切って、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!! 当サイト恒例の聖夜宿泊企画、2022年度版でございます。
今回は、宇治市京都市の境界である六地蔵にて、airbnbで見つけた民泊に泊まってみました。
理由は、当企画が本来持つ 「境界」というテーマを、改めてしっかり追及したくなったからです。
前年2021年は丹後・宮津へ赴き、貸切の宿で酒飲んで寿司食って寝て朝もまた美味い魚食って、
あまりに気持ち良く、あまりに最高だったんですが、ゆえに 「境界」 というテーマは雲散霧消しました。
本来この企画は、荒行として行って来たことです。ある意味、己への枷として続けて来たことです。
なのに、なってない。何より、自分の体がなってない方向へ全振りしてる。これでは、だめです。
もっと修行しなくてはいけない。もっと修行しなくてはいけない。もっと修行しなくてはいけない。
老化で体の無理が利かなくなったのなら、せめてテーマの追求は、しっかり行うべきではないか。
そう考え、テーマを深く追及できる場を探して、思い至りました。六地蔵が、良いかも知れない。
六地蔵。言うまでもなく、六地蔵めぐりの起点 = 大善寺の愛称がそのまま地名となったエリアです。
平安遷都前から奈良/宇治/近江/北陸の交通の要衝であり、隣の木幡と共に怪異譚も多く産出。
秀吉伏見城築城のため巨椋池宇治川改造した後は河港となり、宿場の歴史も持つ地です。
高い親水性ゆえ伏見の東口&水陸交通の接点として賑わう一方、高い親水性ゆえ水害もまた多発し、
山科川が暴れた際には地蔵めぐりの起点を担い得る程の彼我の境界ぶりを誇ったという、六地蔵。
しかし高度成長期も過ぎた頃になって治水が完了すると、ガラ空きの土地で都市化が一気に進行し、
宅地が増えて道が増え新しい駅地下鉄も生まれ、そのためさらに開発は進んで、人口は増加。
21世紀以降は新たな形で交通の要衝と化し、近年では特にマンションの建設ラッシュが加熱してます。
そう、現在の京都に於いて最も現在進行形の境界を体現してるのが、六地蔵エリアなのです。
その六地蔵で今回、Kyoto FUERTE 宇治六地蔵なる、昭和な民家を用いた民泊に泊まりました。
宿と民家の境界で見える境界が如何なるものか、じっくり向き合おうと思います。


いや本当は、安い貸切宿をairbnbで探してたら、Kyoto FUERTEを見つけただけなんですけど。
Kyoto FUERTEの外観、それなりながらも割と普通に、民家。にも関わらず、料金が破格。大丈夫か。
観光的には確かにあまりメジャーでない六地蔵ですが、先述通り居住面ではマンションが建ちまくり。
地下鉄/JRで、京都のメジャースポットにも楽に行けるし。にも関わらず、料金が破格。大丈夫か。


などと思いながら当日14時半頃、その便利なJRで六地蔵駅に着き、ホームから木幡方面を望む。
木幡とは、 『源氏物語』 『木幡狐』 で知られる木幡のことです。この六地蔵も、元は木幡の一部とか。
六地蔵は割と新しい地名で、伏見城築城により此地に港が出来た近世以降に定着した、と言います。
地名の由来は、やはり先述通り、六地蔵まいり。となれば、大善寺への参拝は欠かせないでしょう。


逆の西側では、六地蔵を六地蔵にした宇治川&巨椋池が見えるかといえば、家々で見えず。
そもそも巨椋池は昭和初期、干拓で消滅しました。家以外に見えるのは、桃山丘陵 = 木幡山ぐらい。
此辺のJR奈良線巨椋池がまだ存在してた頃に敷設されており、水を避けるべくカーブが非常に急。
敷設の約百年後に出来たこの駅も、カーブ上にホームを無理矢理付けたような構造になってます。


水害克服で宅地が増え、平成頭にJR六地蔵駅が出来ると、六地蔵はさらに発展し始めました。
京都南部に住む私は幼時からこの街を見てますが、こうして眺めると、変化の激しさを強く感じます。
過去と未来。都と鄙。水と陸。此岸と彼岸。幻影と現実。此処は正しく、あらゆる意味で境界なのです。
では、まず大善寺の六地蔵を参拝し、続いて此処が持つ港の歴史をめぐる散策に繰り出しましょう。


と思ったら、Kyoto FUERTE の部屋にもう着いてた・・・。


案内してくれたんですよ、ホストさんが。駅まで迎えに来て、そのまま家に連れてってくれました。
格安の割には偉く親切ですが、家を探して周囲を徘徊されたりすると困るから案内してるそうですよ。
「民泊ってやっぱり近所から嫌われてるんですか?」 とか訊きながら歩くうち、駅から5分程度で到着。
何で白黒なんだと言われたら、あまりにも民家なので。本当に、民家です。掛け値なしで、民泊です。


周囲は、 「二戸一が多い」 とホストさんが言う通りの古めな宅地で、此処の作りもそんな感じ。
リノベ感は皆無で、前に住んでた人の感じ or 感触、何なら人生そのものさえ濃厚に感じられるくらい。
日本グッズを色々と飾ってる辺が、かろうじて宿っぽいかなという。姐さんに見守られて、よく寝れそう。
あと、借切状態とはいえ不可触/不可入の場所があり、また騒音NGの辺は、何とも民泊という感じ。


家には台所もあり、民家然とはしてるけど道具は充実してます。米や調味料までありました。
台所奥にはトイレ/風呂/洗濯機があるんですが、こちらも完全に民家。便利だけど、完全に民家。
あと古めの民家ゆえか、中は寒め。空調を切ると、六地蔵ってこんなに寒かったかと思うくらい、寒い。
でも備付のガスヒーターが超優秀で、このヒーターの説明をしてからホストさんは帰って行きました。


貸切となった家で、とりあえず一服。此処、食器も有り余るほどあります。
Wi-Fiも、20Mbps程度でしたが一応は使えたので、暇つぶしに困ることはありません。


マンガも沢山あります。何故か、70年代とゼロ年代のが多いけど。2世代棚かも。
境界を突き詰めるということで、 「ハザマさん」 が主役の名作でも読んでみようかな。


でも何らかの力が私に働き、手が 『うしろの百太郎』 に伸びてしまったの図。
昭和な民家には、確かにこの絵柄と内容が合うけど。霊だそうです。霊魂だそうです。


『ガラスの仮面』 も気になるけど、手は 『百太郎』 から離れてくれないの図。
霊能犬・ゼロ、好き過ぎる。人面犬モードも好きだけど、普通の犬な顔が好き過ぎる。


読んでると陽が暮れ、腹が減りました。台所が使えるとなれば、今夜は自炊しかないでしょう。
周囲は店が多く、買物は簡単。なので、昼間にやり損なった六地蔵歴史散策も併せてしておきます。
家の西側を走る大通りは、奈良街道。奈良から醍醐/山科/近江を経て、北陸に続く古代官道です。
道の先にあるのは、京都・伏見への分岐点にして六地蔵の宿場&港である、札ノ辻。行ってみます。


いやその前に、現代の六地蔵の境界性も押さえるべく、府道京都宇治線新道の大混雑も拝見。
昭和中期に開通した道で、マンションが最も密集すると同時に昭和感溢れる店/家も残る通りです。
この先には、外環とその下を走る地下鉄の駅もあり。正に、現代六地蔵のメインストリートであります。
山科よりは道路状況が良い六地蔵ですが、不足感は拭えず。今後はもっと混むに違いありません。


奈良街道へ戻り、古道に敬意を表して外環でなく奈良街道を走る京阪バスとは逆に、南へ。
これから向かう札ノ辻は宿場の中心となるT字路で、周囲には人足の詰所や運送問屋もあったとか。
宿場らしく賑わったわけですが、西廻航路の開通で琵琶湖経由の運輸が衰退すると、六地蔵も衰退。
地味なまま明治に至り、奈良線の駅は百年も出来ませんでした。では現在の札ノ辻は、どうなのか。


気になるところですが、今日、寒い。おまけに、近所と思って薄着で外に出たので、凄く寒い。
後で知ったんですがこの日、全国的に激寒とか。散策どころじゃありません。買物してすぐ戻ります。
寒過ぎるからか、夕方の六地蔵は帰宅する人&車だけがいるような街。買物風の人さえ、割とまばら。
一応、土曜の夜&クリスマスイブなんですが、関係ないようです。生活感指数は、98%くらいな感じ。


買物したのは、フレスコプチ新鮮激安市場、フーズストアのむら。全て徒歩往復5分圏内です。
フレスコでは定番のローストレッグや藤野の揚げ、新鮮激安市場では出汁やパンなどを買いました。
のむらでは、淀大根や金時人参などを購入。淀大根は、今日獲れたという無印状態。実に、美味そう。
これで何を作るかと言えば、御馴染み、聖夜定食です。大根の煮物とローストレッグ、そして飯です。


聖夜定食、出来ました。レンチンしたら鯛焼と同じ匂いを放ったローストレッグと共に、出来ました。
台所は、クセはあるものの十二分に使えます。炊飯器は飯が炊けるし、IHは炊物も焼物も出来ます。
何故かチリソースがあったので、焼いた金時人参に絡ませると、中々に美味い感じに仕上がりました。
全ての同志に、乾杯。そして、IH/レンジ/ポットを同時稼働させると瞬落したブレーカーにも、乾杯。


食うだけ食ったら後片付けして、後片付けが済んだら風呂入り、風呂を上がれば、暇。
此処、KBS京都の凧はあるけど、KBS京都が映るテレビはありません。また本でも読もうかな。


海外客が多いのか、棚には洋書も多し。民泊の今を感じる意味でも、読んどくべきでしょう。
でも、手は何故かまた 『うしろの百太郎』 に伸びてしまうの図。グゥァ、グフフフグフ、ケェ━━━。


狐が憑依した先生の真似をしてると、また腹が減りました。 『百太郎』 、消化に良いのでしょうか。
聖夜の夜食と言えば、ケーキ。しかし、夕方に買うのを忘れたため、寒いですがもう一度出かけます。
23時過ぎの六地蔵駅周辺は、人/車は少ないものの開いてる店はあり、居酒屋からの熱唱声もあり。
ただ浮かれ騒ぐ輩は見当たらず、やはり用事があるか帰宅するだけの人が足早に移動するばかり。


そういえばデイリーヤマザキは夕方、ケーキの店頭販売でかろうじて聖夜感を出してました。
まだ売ってるかなと思って立ち寄ると、ケーキ販売の姿は既になし。赤い催事台も無人です。悲しい。
店内にも、ケーキはあまり残ってません。結局、普通のコンビニケーキを買って退店しました。悲しい。
買ったら、即帰宿。とにかく今日、寒過ぎ。深夜散策なんか、絶対無理。日本各地は大雪だそうです。


帰ったら、食います。惰性で買ったサワーと共に。3号ケーキに、メリークリスマス・・・。


食ったら、寝ます。外は寒いけど、暖房+布団で防寒は完璧で、ゆっくり寝れるはず。
何より、姉さんが見守ってくれてます。大丈夫です。いや、でも姐さんが襲ってきたら、どうしよう。


かつての木幡では、恋する都の貴人と結ばれんとして美しき女に化ける 『木幡狐』 が現れました。
狐の出元は、木幡山 = 桃山丘陵と連なる、伏見稲荷。霊力はお墨付き、と言えるのかも知れません。
姐さん、化けるんじゃんないだろうか。いや、既に化けてるんじゃないのか。何か、視線を感じるような。
「いや、此処はあくまで六地蔵じゃないのか」 とか言われても、この宿、住所は木幡御園なのですよ。


また、六地蔵は比較的新しい地名。 『木幡狐』 の時代は、きっと木幡と呼ばれてたのでしょう。
それに木幡は、 「山科の 木幡の山を 馬はあれど 徒歩より我が来し 汝を思ひかねて」 と歌われた地。
桃山丘陵が望め、外環&地下鉄で山科と直結する六地蔵こそ、この 「木幡」 には相応しいはずです。
そう思うと、視線を感じるような。姐さん、化けるんじゃんないだろうか。既に化けてるんじゃないのか。


「本当は化けて出て来て欲しいんだろ」 と言われそうですが、正直言えば、出て来て欲しい。
交通の要衝たる六地蔵は都鄙の境界であり、小野篁は魔性の侵入を封じるべく地蔵を配備しました。
稲荷の狐も此地でこそ妖しき魔力を発揮し、結界の外側では京都の溢れ者が徘徊してたといいます。
京都の辺境に住む溢れ者の私にとって、妖しき者達は正に先輩です。霊でも、腹を割って話したい。


妖しき者達は、時に山賊と化し、奈良街道を往来する人々の衣服などを奪い取ったともいいます。
「職業、喧嘩。」 「職業、夜討。」 といった輩な徒党を組み、やはり往来人を襲撃してたともいいます。
また何より木幡は、栄華を極めし藤原一族墓が所在不明のまま放置されてる、ミステリアスゾーン。
そういう方々とも、少し怖いけど、腹を割って話したい。道長に、俺の墓作ってと泣きつかれてみたい。


などと妄想してるうちに寝入り、そのまま寝まくったようです。起きると、朝8時を過ぎてました。
寝てる間、外や隣の音が聞こえるようなことは全然なし。防寒もしっかりしており、ぐっすり寝れました。
霊能犬・ゼロのおかげか、狐も出ず。いや、都人でも貴人でもない私にそもそも用はないんでしょうか。
道長から、俺の墓をちゃんと作れ今から住所言う宇治市木幡●●●-●だ作れとも言われませんでした。


寝過ぎたので、朝飯を食ってさっさと出ます。珈琲に映る照明が、昭和・・・。


宿を出て朝の六地蔵駅前まで来ると、強烈に感じるのはマンションの建ちまくり加減。
周囲も用事のある人が駅か何処かに向かうばかりで、賑やかさやクリスマス感はやはりありません。
車は普通に多いですが、どれも用事で動いてる感じであり、大半は道を見切ってる地元車 or 仕事車。
クリスマスイブ翌日であると共に、今日は一応日曜日なんですが、此処はやはり関係ないようです。


とはいえ、天気は上々です。昨夜は日和りまくった六地蔵歴史散策、帰る前に繰り出しましょう。
昨夜は潜りかけて逃げた奈良線の高架を潜り、その先の札ノ辻へ行き、さらに大善寺へ向かいます。
が、何か、気乗りしない。正直、面倒い。札ノ辻は、盛り土した民家があるだけだし。大善寺は、遠いし。
それより、こうした光景の方が六地蔵的な気もするし。交通の要衝としての六地蔵らしい気がするし。


青空の下を駆ける電車を見てると、六地蔵が何処かへ向かう人の街という気がしてきました。
そうした街に、観光客でも地元民でもなく、また何処にも行かないハザマの存在として立つということ。
境界を突き詰めるのであれば、その方が重要ではないのか。そんなことを、この光景から感じました。
頭の9割は確かに 「面倒い」 で埋まってましたが、残りの1割ではそう感じました。そして、帰りました。

ロクに散策をしないどころか、徒歩往復5分圏の外にさえ一切出ず、
ひたすら民泊に籠もって 『百太郎』 読んだだけで終わった、2022年の聖夜でございました。
借りた民泊は、本当に掛け値なしの民泊。民泊に慣れてる人には、向いてると思います。
貸切で宿泊料が破格である限りは、コスパもかなり高いと言えるでしょう。
周囲は割と便利で、逆に言うと利便性しかメリットがないような街とも言えますが、
物事の面白がり方を知ってる方なら、木幡を含めて相当楽しい街にもなるはずです。
ひとりに向いてる度は、トータルで見て★★★くらいでしょうか。

そんな、宇治・六地蔵の民泊を借り切っての、聖夜。
好きな人と過ごせば、より六地蔵なんでしょう。
でも、ひとりで過ごしても、六地蔵です。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
Kyoto FUERTE 宇治六地蔵 – airbnb