10月, 2014 - ひとりでうろつく京都 (β版)

京都刑務所の京都矯正展へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年10月26日(日)


京都刑務所の京都矯正展へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京都刑務所。その名の通り、京都市にある刑務所です。
平安遷都後に設けられた 「左獄」 & 「右獄」 にまで遡る歴史を持つこの獄は、
この雅なる街に於けるいわば 「街中の獄」 として、現在に至るまで存在し続けてきました。
「右獄」 はすぐ衰退したものの、 「左獄」 は秀吉の時代まで生き延びた後、小川通御池へ移転。
江戸中期に至ると、六角通へ面した 「三条新地牢屋敷」 、通称 「六角牢屋敷」 が新設。
維新後は短期間の小浜藩邸時代を経て、千本屋敷跡に於いて府立の 「京都府徒刑場」 が成立。
「府懲役場」 「府監獄本署」 「京都監獄」 「京都刑務所」 と改名を繰り返した千本時代の獄は、
囚人の農作業姿が普通に見れたというくらい、 「親水」 ならぬ 「親獄」 的状態を呈していたと言われ、
この状態を改善すべく、獄は当時は過疎地だった現在地・山科へ移転し、 「街中」 を一旦脱出。
しかし山科は山科で、大正の鉄道・道路開通から昭和の高度成長期にかけて都市化が進み、
人口は4000人から14万人へと爆増、移転した刑務所の周囲にはマンションなどがバカスカと林立。
結局、京都刑務所はまた 「街中の獄」 「親獄」 的なる佇まいとなって、現在に至るのでした。
運命を感じるほどの 「街中」 さ加減です。次に移転したとこも、また都市化するんじゃないでしょうか。
「ならもう、徹底的に親獄を深めてしまえ。塀も、取り払ってしまえ」 と思ってるかは知りませんが、
それに近い勢いで 「親」 感に溢れた催しが、毎年10月末、京都刑務所では行われてます。
それが、京都矯正展。 「中の人」 の作業品を 「中」 にて買える、あの矯正展の、京都刑務所版です。
『函館監獄』 などヒットが生まれる隆盛を誇ると共に、獄中見学も人気が高い矯正展ですが、
周辺地域住民の理解が必須な立地を誇る京都刑務所も、当然のようにム所見学はしっかり実施。
良い品が安く買え、おまけに普段中々入れないところにも入れるとあって、人気を博してます。
そんな京都矯正展、私もこのサイトが 「観光テロ」 扱いされ摘発されるかもしれませんし、
そもそも独男自体が違法化してブチ込まれる可能性も無いとは限らないので、
「親獄」 を深めるべく、無論見学込みで行ってみました。

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野宮神社の斎宮行列を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年10月19日(日)


野宮神社の斎宮行列を観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

葵祭のヒロイン or 花形である斎王には、モデルみたいなものがあります。
「いや、斎王代のモデルが斎王だろ」 とか言われそうですが、そういう話ではありません。
葵祭・斎王代のモデルである斎王 aka 賀茂斎院には、モデル or 先行者がいるのであります。
それが、斎宮伊勢神宮にて祭祀を司り、その宮殿名 「斎宮」 が呼称化した斎王のことです。
古くは 『日本書紀』 にまで遡るという斎宮の制度が、本格的に整備されたのは、天武天皇の時代。
壬申の乱で天武帝は、伊勢神宮に戦勝を祈願し、勝利。以来、伊勢を 「天下の宗廟」 と規定。
未婚の内親王 or 女王をかの地へ下向させ、祭祀を担わせる斎宮の制度を確立させたのでした。
以来、多くの御供を引き連れ伊勢へ向かう斎王の行列 = 群行は、平安期から中世にかけて存続し、
その群行の様を平安京の周辺のみで小じんまり踏襲した賀茂斎院の行列は、都の風物詩化。
で、その踏襲した賀茂斎院の行列こそが、現代葵祭に於ける斎王代の元ネタとなったわけですね。
「コスプレの元ネタに、さらに元ネタあり」 という話であります。雑な言い方過ぎて、恐縮ですけど。
葵祭・路上の儀が、往時の完コピを目指したコスプレで現在も継続してるのは御存知の通りですが、
では斎宮行列の方も、完コピを目指したコスプレ行列が行われているかといえば、これが難しい。
単純に、京都から伊勢って、遠いし。近鉄特急なら速いけど、徒歩だと5泊6日かかるそうだし。
なので、伊勢と京都それそれの由緒ある場所で、バラバラにイベントが開催されてるのが現状です。
伊勢では、有名な斎王まつり。で、京都では、今回出かけた野宮神社斎宮行列であります。
斎宮は、伊勢へ下向する前、洛外に設けられた 「野宮」 で厳重なる潔斎を行うのが決まりでした。
その 「野宮」 が数多く設けられたという嵯峨野には、 「野宮」 跡がいくつかが神社化して残存。
嵐山にて源氏物語の何ちゃらと縁結びが売りの野宮神社もまた、そんな 「野宮」 跡神社のひとつ。
その由緒と観光客寄せがクロスする形で、ミニ斎宮行列 「斎宮夢行列」 が平成に入って復活し、
2005年には 「斎宮行列」 と改称、嵐山の秋の風物詩として認知度を深めつつあります。
そんな斎宮行列、 「元ネタの元ネタのコスプレ」 を拝むべく、行ってきました。

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御香宮神社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2014年10月12日(日)


御香宮神社の神幸祭へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

御香宮神社。洛南・伏見にあって、 「伏見の総鎮守」 と称される神社です。
清和天皇から名を贈られたと伝わるも、基本的には創建の詳細が不明なほどの歴史を誇り、
山村・石井村・船戸庄村・森村・久米村・北尾村・北内村・法安寺村・即成就院村という伏見の村々、
すなわち 「伏見九郷」 より、伏見城築城の遙か昔から総鎮守として信仰を集める社であります。
その伏見城築城の際には秀吉により移転させられますが、家康の代には現在地へ帰還し、
その家康により社殿も再建され、孫娘・千姫の誕生祝いとして2.3トンに及ぶ 「千姫神輿」 もゲット。
この神輿を得た御香宮神社の秋祭、通称 「伏見祭」 は、伏見城が廃城された後も更に活性化、
維新の波乱や現代の変化も乗り越え、神輿を分割した現在もその勢いは止まるところを知りません。
一週間以上に及ぶ期間、各種行事&子供が多いエリアゆえに活況を極める夜店が展開され、
中でも宵宮に行われる花傘パレードの凄まじさは、当サイトでも2011年にお伝えしてる通りです。
で、今回はその 「伏見祭」 最終日、正にクライマックスたる神幸祭に出かけたわけですが、
えと、あの、今回はいつもと比べてちょっと、いやかなり、いやはっきり言って非常に、日和ってます。
当サイトの祭記事は、ストーカーの如く神輿や行列を追尾しまくってるのが常態なんですが、
今回は門前付近で神輿などを淡々と待ち、宮入りだけ見るという、淡々モードの見物となってます。
待ってる時間もまた、淡々と露店を冷やかしてみたり、あるいは淡々と担々麺を食ってみたりと、
まるでサイト名が 『独虚坊の京都幸せおでかけ日記』 に化けたようなユルさ爆裂状態になってます。
何故こうも日和ったかといえば、 「伏見九郷」 を回る神輿の巡幸範囲が、広過ぎるからです。
酒蔵界隈は無論、北は深草、南は向島、東は六地蔵に及び、更に3基の神輿は別行動。追えません。
加えて、獅子舞や武者行列なども別ルートで参加し、おまけにこれらの全てが早朝から巡幸。
完全追尾はおろかチョイ見を重ねることさえ無理と判断し、淡々見物を渋々決断したのであります。
というわけで、担々麺に加えて豆腐ハンバーグまで混入するユル過ぎ記事となってますが、
しかし、あるいはそれ故に、街に充満する祭の気配は、よりリアルに感じられるかも知れません。
「洛南の大祭」 とも呼ばれる、その大祭ぶり、街の息吹と共に御覧下さい。

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