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御香宮神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。

2024年7月31日(水)


御香宮神社へ旧暦タイムの夏越祓の茅の輪をくぐりに行きました。もちろん、ひとりで。

明治以降は基本全否定の呪術都市・京都を、現在も陰で拘束し続ける魔の掟、旧暦
真の正月たる節分を筆頭株として、当サイトでもその魔力には何度も触れてきました。
しかし、正月 ≒ 節分と双璧を成すはずの夏越は、旧暦でやる神社、意外と少ないんですよね。
「水無月」 という旧月名と梅雨ど真ん中という新暦タイミングが、極端なくらい不一致なのに。
和菓子の水無月も、メインシーズンは新暦の6月。7月には出さない店も、珍しくありません。
本来の夏越あるいは水無月は、それこそからっと晴れた夏真盛りの7月末こそが相応しいのであり、
京都が本当に 「明治以降は基本全否定の呪術都市」 なら旧暦のタイミングで行うべきなわけで、
夏越を歌う和歌の多くが秋の香りを織り込んでいることを考慮しても、新暦はタイミング違いでしょう。
しかし、気にしない。夏越は新暦で、構わない。梅雨に水無月を食っても、気にしない。何故か。
理由は、7月末はお盆が近いからだと思われます。呪術都市にとっては、死者の出迎えは何より大事。
「ではお盆自体を夏越にしろ」 とも言えますが、死者が帰ってくる時にお祓いするのも何か霊に悪いし。
現役の呪術都市だからこそ、生活レベルのしっくり感が呪術行事のスケジューリングにも影響する。
かくして京都の夏越は6月末の新暦タイムで行う神社が多く、茅の輪も6月30日に出るわけです。
「何となく」 が、掟と化す。これもまた、呪術都市が持つ病理のひとつと言えるのではないでしょうか。
・・・という冗談はともかく、実際には京都にも本来のタイミングで夏越を行う社が存在します。
今回茅の輪を求めて訪れた洛南の名社・御香宮神社も、旧暦で夏越を行う社のひとつです。
御香宮神社。酒処・伏見の産土にして、祭神・神功皇后ゆかりの安産信仰で知られる社であります。
その歴史は平安京をも遡るほど古く、太古の昔から現代に至るまで篤い信仰を集め続けてきました。
八幡人の私にとっても隣町の大社であり、以前は深夜に茅の輪神事を見たこともあったような。
現在の夏越は昼だけの仕様になってるようですが、でも旧暦タイムの実施はしっかり健在。
そんな御香宮の旧暦の夏越、時間の都合でさっと茅の輪をくぐりにだけ出かけました。

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夏越祓の茅の輪を求めて旧・巨椋池南岸をうろつきました。もちろん、ひとりで。

2024年6月30日(日)


夏越祓の茅の輪を求めて旧・巨椋池南岸をうろつきました。もちろん、ひとりで。

干拓された巨椋池を、巨大な境界として考えてみる。というのは、どうでしょうか。
陸と水、あるいは存在と不在。過去と現在、または現実と幻影。それらの境界という線です。
最初にこう考えたのは、大山崎山荘美術館の訪問記事谷崎潤一郎 『蘆刈』 に触れた時でした。
「山城と摂津のくにざかい」 の大山崎を訪れ、桂川宇治川の合流点にある州へ渡った谷崎は、
謎の男に出会って、巨椋池の畔で暮らす夢のような女性 「お遊さん」 の話を聞かされたのでした。
この短編の発表は、巨椋池の干拓開始直前の昭和7年。色々と 「境界」 を感じたわけです。
実際の巨椋池は、かつて京都府南部の久御山町を中心として存在した、湖のように巨大な池であり、
桂川/宇治川/木津川が流入する不定形の遊水池として、洪水調整機能を長く果たしてきました。
淀川と直結しているため平安遷都の遙か前から舟の往来が盛んであり、淡水漁業ももちろん盛ん。
小島を望むその光景は貴族からも愛され、池の北畔は別荘が並ぶ景勝地であったとも言われます。
しかし古代以来のその姿は、秀吉伏見城築城に際して宇治川の流路を変えたことで、激変。
流入する水が減って水質は悪化。近代にはさらに減って蚊害も悪化。結果、干拓に至りました。
干拓の背景には食糧増産という戦時事情も存在したため、現在も池の跡地はその大半が農地です。
一方、京都の中心部では建設が困難な高速道路も池の跡地なら好き放題の作りまくり状態であり、
その高速が生む交通の利便性と豊富過ぎる土地と水を活かすべく、工場も多数誘致されています。
現代建築と農地の雑な共存。ある意味、これこそ現在の巨椋池跡の典型的な光景かも知れません。
この境界的な土地柄、当サイトが続ける 「境界」 なるテーマの探求にぴったりではないか。
当サイトは、阿呆極まる京都単独徘徊の背後に 「境界」 という高踏極まる裏テーマを掲げており、
神社を徒歩で巡り茅の輪をくぐりまくる水無月の外道企画でさえ、このテーマを追求してきました。
地理的にも歴史的にも 「境界」 である巨椋池は、このテーマの探求にぴったりではないか。
そう考えて今回、池跡で神社を巡ってみました。茅の輪には出会えるでしょうか。

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旧海軍記念日に海軍カレーを求めて東舞鶴へ出かけました。もちろん、ひとりで。

2024年5月27日(月)


旧海軍記念日に海軍カレーを求めて東舞鶴へ出かけました。もちろん、ひとりで。

海の京都・舞鶴海軍カレーをどのタイミングで食べるか、随分長く悩んでいました。
当サイトは、京都のメジャー案件を押さえるのがテーマ。海の京都の名物も、欠かせません。
「カレーのどこが名物だ、しかも海鮮が美味い舞鶴で」 などという逃げ口上は、言語道断。
自分で名物と名乗ってる以上は、名物なのです。そして名物であれば、食わねばならないのです。
出来れば、お日柄が良い方が望ましい。何ちゃら記念日とかなら、尚良ろし。あと季節感も割と大事。
カレーにとって良い季節というのも、何かよくわからないけど。海軍カレー記念日とか、あるのかな。
そもそもカレーは、年中食えるのが良いところじゃないのか。だから艦内でも食ってたんじゃないのか。
そして今は、波がある海鮮の隙間を補うアイテムとして、舞鶴の観光資源になってるんじゃないのか。
となれば、逆にむしろ平時に食うべきだろうか。いや、それはそれでやはり、あまりにも味気ない。
何かいいタイミング、ないかな。と思っているうちに、ふと、5月27日の旧海軍記念日に思い至りました。
海軍記念日。即ち、日露戦争で日本が大国ロシアに完勝した日本海海戦を記念する記念日です。
1905年5月27日、大日本帝国海軍連合艦隊は日本海上でロシアのバルチック艦隊を撃破しました。
この成果を称え、日本は毎年5月27日を海軍記念日と制定。以後、終戦に至るまで祝い続けます。
これ、いいんじゃないのか。戦前とはいえ 「海軍記念日」 ってはっきり言ってるし、いいんじゃないのか。
はっきり 「海軍カレー」 って名乗ってる名物を、名乗ってる通りの形で食う。これ、いいんじゃないのか。
確かに、日本海海戦と舞鶴は言うほど縁がありません。舞鶴湾内で戦闘したわけではありません。
戦場は対馬海峡周辺であり、今の新日本海フェリーの航路上でドンパチやったわけでもありません。
ただ、舞鶴が軍港化した契機は日露戦争で、その日露戦争の勝敗が決したのは日本海海戦です。
それに大きな声では言えませんが、舞鶴市は現在も市制記念日を5月27日としています。
これはもう、間違いありません。何が間違いないのかよくわかりませんが、間違いありません。
海軍記念日こそ、海軍カレーを食べるに相応しい日。そう確信して、舞鶴に出かけました。

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中舞鶴の共楽公園へ散りかけの桜を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2024年4月10日(水)


中舞鶴の共楽公園へ散りかけの桜を観に行きました。もちろん、ひとりで。

は散って初めて、桜。そんな言い方も、あるいは可能なのかも知れません。
死体の如き青味を密かに帯びた花びらが、春風を受け、あっという間に散って行く。
この儚さこそ、桜。この風情こそ、桜。こういう考えも、あるのかも知れません。
「いやそれはソメイヨシノの風情で、近代以降の感慨に過ぎない」 と言う方もおられるでしょう。
確かにソメイヨシノは江戸後期に生まれ、何なら人為的に作られた可能性も高いとされる花です。
しかし逆に見れば、魔改造へ走るくらいに日本人はこの儚さを桜に求めている、とも言えます。
かつてはこの儚さを経由して、死のエクスタシーに満ち満ちた大日本帝国と熾烈な悪魔合体を果たし、
特に国家が前景化する軍/教育の局面で威力を発揮したがゆえに国花の如き地位さえ得た、桜。
どうやら日本人はこの儚さが大好きなようです。大好き過ぎて、たまに国ごと儚くしたりもするようです。
近代はおろか近世さえ全否定しがちな歴史終焉都市・京都の目線で、この儚さなるものを見ると、
旅の恥やら歴史妄想やらを捨ててさっぱりして帰る観光客の心性に似たものを感じなくもありません。
病的な鈍感さや無責任性に鼻白むというか。桜種も、京都は枝垂桜や山桜の人気が割と強いし。
しかし、もちろん京都だってれっきとした日本の一部分です。京都人だって一応は日本人のはずです。
京都人はそう思ってないかも知れませんが、法律や国籍的には日本人ということになるはずです。
であれば、この儚さにも共感しておくべきでしょう。せめて、教養としての理解は持っておくべきでしょう。
それにそもそも京都にも、徹底的に 「散る花」 としての桜を堪能出来るスポットが実は存在します。
そう、海の京都・東舞鶴です。かつて舞鶴鎮守府があり、現在は海上自衛隊がある東舞鶴です。
現在も港には多くの護衛艦が停泊し、春になれば桜と旭日旗のコラボが散見される地であります。
その舞鎮の西口であった中舞鶴には、共楽公園なる公園があり、桜が特に見事なんだとか。
公園からは港や艦もよく見えると言います。桜は当然、ソメイヨシノがメイン。中々良い感じです。
なので、敢えて散りかけの頃にこの公園を訪れ、儚さを履修出来るかどうか試してみました。

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東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2024年3月15日(金)


東福寺の涅槃会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。 

「観光」 と 「信仰」 は、果たして対立するものなのでしょうか。恐らく、違うはずです。
元来 「観光」 は仏の光を観ることだと、どっかの坊さんが言うのを聞いた憶えがあります。
単なる物見遊山のつもりでも、単なる景観消費のつもりでも、実は仏の光を観ているのが 「観光」 。
寺院系の観光スポットに群がる者は、内実を問わずその全てが仏に導かれているというのです。
聞いた時、心の半分では 「詭弁だ」 と思いました。ただ残りの半分では、 「その通りだ」 と思いました。
清水寺を筆頭とする超メジャー級の寺院で大混雑を見た時に感じる、不思議で独特な浄化感。
稚拙な観光欲が消化 or 浄化 or 昇華され、何かの仏性に繋がっているように見える、あの感じ。
「群がる観光客を嘲笑しよう」 と思ってこのサイトを始めた頃、私はこの感覚を味わい、戸惑いました。
単なるイベントや単なる雑踏では生まれない何か。それが、大きな寺社にはあるのではないか。
そう思ったのです。冷やかし気分で清水寺へ赴き、私と同じような印象を受けた方も多いはずです。
「観光」 と 「信仰」 は、対立するものではない。むしろ、 「観光」 は 「信仰」 の中にこそある。
何なら、 「観光」 はひょっとすると、仏の光を見ることから始まったのかも知れない。
こんなわかるようなわからないようなことを、東福寺涅槃会へ出かけた際、感じていました。
東福寺は言うまでもなく禅宗の大古刹であり、涅槃会もまた言うまでなく釈迦の命日に行われる縁日。
3月15日 or 旧暦3月15日には各地の寺院で涅槃会が開かれていますが、東福寺もまた行っており、
中でも法堂に掲げられた明兆による巨大な 「大涅槃図」 の無料公開が最大の呼物となっています。
で、この涅槃会の雰囲気が何とも 「仏の光を観る」 という意味での 「観光」 といった感じだったのです。
仏の光を求めて、あるいはわけもわからずやってきて、皆が等しく仏の光を浴びる。
禅寺は厳格なイメージがあって、伽藍からして背筋を正してしまうようなテイストが漂ってますし、
特に東福寺の三門などはその極致で、何となく小乗感というか、厳しい印象がなくもありません。
でもこの日の東福寺は妙に大らかで、実に 「観光」 したような気になったのでした。

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京都レストランウインタースペシャルで、南禅寺 料庭八千代の湯豆腐御膳を味わいました。もちろん、ひとりで。

2024年2月19日(月)


ウインタースペシャルで、料庭八千代の湯豆腐御膳を味わいました。もちろん、ひとりで。

2月の京都は、観光の閑散期ということになっています。というか、実際にそうです。
理由は、何より寒いから。底冷えの底で、大して雪も降らずにひたすら寒いだけという。
あとは節分の他にはこれといった行事がないのも、かなり大きいかも知れません。
いやもちろん、某国からの訪日客が増えてからは、こうした2月の事情も変わったんですけど。
いわゆる春節ですね。2月頭の大型連休で海を越えて来た連中は、京都にも沢山来るわけですね。
ただ、閑散期が消滅したというほどの印象も特になかったりするんですよ。特に月の後半は。
そもそも死ぬほど寒いことは変わらないわけだし。2月はやはり、観光には不向きな月なんでしょう。
そんな閑散期の対策として、2月の京都ではウインタースペシャルが行われています。
正式名称、京都レストランウインタースペシャル。その名の通り、京都の飲食系の冬の特別企画です。
誰もが知るような京料理の有名どころはもちろん、多彩なジャンルの多様な価格帯の店が参加し、
スペシャルな割引価格やスペシャルな限定メニューで何とか客を確保しようとする企画なわけです。
この企画、当サイト的に注目したい点は、ひとり客にも割と門戸を開いていることでしょうか。
とにかく席を埋めたいからなのか、普段はひとり客お断りのような店でも普通に入店出来たりするし、
普段は 「2名」 からしか表示されない予約サイトに 「1名」 の選択肢がちゃんと出現したりします。
有難いわけです。非常に有難いわけです。ひとりでうろつく当サイトとしてはこの機会、見逃せません。
恐らくコロナ前であれば、喜び勇んで出かけたでしょう。ウハウハで出かけたでしょう。
しかし私は、そして同志の皆さんは、コロナ禍を経て飲食がどれだけ大変かを知ってしまった。
「ぼったくってる分、独の俺で調整せい」 とか嘯く呑気な状態にはもう戻れません。
「店の事情など客に関係ない」 とは言えますが、そう言い放つ口元が歪むのを止められない。
なので今回、普段からひとりで予約出来る料庭八千代を敢えてウインタースペシャルで訪れ、
名物の庭と湯豆腐を味わいながら、今後のひとりの在り方を考えてみたのでした。

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スプリングスひよしで納豆餅を食べてダムを見物して温泉に入りました。もちろん、ひとりで。

2024年1月30日(火)


スプリングスひよしで納豆餅を食べてダムを見物して温泉に入りました。もちろん、ひとりで。

京都の正月と言えば、白味噌雑煮。それは確かにその通りです。間違いありません。
でも府域へ視野を広げたら、白味噌雑煮以外にも年始に食されている食物が存在します。
その典型が、南丹市および京都市右京区京北の山間部にて食されている納豆餅でしょう。
納豆餅。納豆出汁の雑煮でもなく、納豆トッピングでもなく、納豆を内蔵させた京都の納豆餅。
納豆餅エリアで最も有名なのは、時代祭にて維新勤王隊列を担うことで知られる山国の辺であり、
此処は 「納豆発祥の地」 みたいなことまで打ち出して、納豆餅の積極的なPRにも取り組んでるほど。
何故そこまで納豆を重視するのかと言えば、事情は日本の他の山間部とさほど変わりません。
一大木材消費都市・京都へ木を送るため人は昔から沢山住んでるけど、山間部ゆえ蛋白質が乏しく、
確保のための知恵として古くから納豆が生産され、その勢いで餅に入れたら納豆餅、なわけです。
この納豆餅、当サイトも企画内で一度食べてます。ぼたん鍋企画の中で食べてます。
食べた場所は、納豆餅エリアの最南西と言えそうな南丹市日吉町にある、道の駅 スプリングスひよし
大堰川 aka 保津川 aka 桂川の下流地域に於ける洪水被害回避および上水道水源確保のため、
日吉町天若をまるごとダム湖にする形で建設された日吉ダムの、おまけと言えばおまけの施設です。
此処でぼたん鍋を食した際、納豆餅も食べました。それも、正に正月である1月に食べました。
が、鍋に投入した納豆餅は半分以上溶けてしまったので、納豆餅感を充分に味わえなかったのです。
おまけにその日は警報級の大雪で、ダムも見物出来ず、温泉も早仕舞いで入れなかったのです。
このリベンジをしたい。正月にちゃんと納豆餅を食って、ちゃんとダムを見て、ちゃんと温泉に入りたい。
そう思って今回、改めて納豆餅とダムと温泉を堪能すべくスプリングスひよしへ出かけました。
いや、温泉やダムはともかく納豆餅に強いこだわりがあるかと言えば、そうでもありません。
私のルーツの地は南丹市ですが、雑煮は白味噌であり、納豆自体もかなり苦手な方です。
でも、味より大事なものが食にはあります。その大事なものを、見つけに行きました。

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坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。

2023年11月15日(水)


坂本龍馬の命日に、京都霊山護国神社と霊山霊山歴史館へ行きました。もちろん、ひとりで。

随分前から自分の中で、龍馬成分ゼロ問題のようなものが存在し続けていました。
龍馬に興味が湧かないのです。どうしてこんなに人気があるのか、全然わからないのです。
早く死んだからかな。でもそれなら他にも早く死んだ志士はいるよな。いくらでもいるよな。
業績があるからかな。でも推してる連中の雰囲気や温度感からは、そういうの、あまり感じないな。
あの人達は、明らかに私には見えない何かを龍馬に見出し、好きになっている。そう感じるのです。
こういう謎を解消する場合、人気の源泉とされるコンテンツへアプローチするのが定石であり、
龍馬の場合は検証にうってつけのネタも 『竜馬がゆく』 『龍馬伝』 を筆頭に枚挙に暇がありません。
が、そういうものを見る気力も湧かないのです。見るべきと思った2秒後には忘れてるのです。
いわゆる逆張りの心が作動してるのではないと思います。ベタを避けたいのではないと思います。
当サイトはそもそも、京都のベタを写経するようなサイトです。ゆえに龍馬は本来、避けられません。
また、最近多いという 「龍馬、実は大したことしてない」 的な反感も、特にないと思います。
そもそも反感を持つほどよく知らないし。たとえ知ろうと思っても、意欲が秒レベルでしか保たないし。
アンチ/シンパ問わず発生する龍馬成分みたいなものが、どうやら私には欠けてるようなのです。
そんな塩梅なので私にとって龍馬という人は、空気のような人、ということになってしまいます。
業績はともかく、現在は後世の人の願望や夢想の風船と化した人、ということになってしまいます。
これは、いかん。流石に、いかん。京都観光に縁深き人物にこの扱いは、いくら何でもいかん。
そう思ったので今回、坂本龍馬の命日に京都霊山護国神社霊山歴史館を訪れることにしました。
霊山護国神社は、言わずと知れた龍馬&中岡慎太郎を始めとする志士が眠る墓を守る社であり、
その向かいに昭和中期に出来た霊山歴史館は、昭和の龍馬ブームを体現する施設です。
龍馬の命日はもちろん神事や各種催しも行われているので、そのど真ん中を訪れることで、
龍馬のことと、龍馬に興味が湧かない自分のことを、わかろうとしてみたのでした。

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時代祭のネット中継を三条河原町のネットカフェで観ました。もちろん、ひとりで。

2023年10月22日(日)


時代祭のネット中継を三条河原町のネットカフェで観ました。もちろん、ひとりで。

時代祭平安神宮の秋の大祭です。そして、言うまでもなく、京都三大祭のひとつです。
平安時代から明治までの時代行列が、御所から平安神宮へ至る都大路を行進するその様が、
東京遷都後の京都そのものを体現してるとも言える、極めて重要な超メジャー級行事であります。
京都の表象とベタの混雑を見つめ続ける当サイトとしてもこの祭、避けるわけには行きません。
ましてコロナ禍を経た2023年には、衣装の新調もなりました。絶対行くしかないでしょう。
でもな、何かもうしんどいのよな。行きたくもないのに人混みの中に行くのって、もうしんどいのよな。
いや、行くだけなら別にいいんだけど、カメラ構えるとすぐに横とか後とかにクズが来て、嫌なのよな。
どいつもこいつもニヤニヤ笑ってて。しかも、何故かどいつもこいつも身長・体型・体脂肪率が似てて。
あれ、バズりのネタを探してるクズなんでしょうか。あるいは、写真を売ってるクズなんでしょうか。
ああ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
もっと嫌なのは、前を塞ぐ奴な。とにかく人の前へ出て、出た後は何したらいいか全然わからん奴な。
わからなくてその場で呆然と突っ立って、横を通り過ぎるとまた慌てて走ってこっちの前に出て、
出た後でやっぱり何したらいいかわからなくてその場に突っ立って、とにかく人を通そうとしない奴な。
ああ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
いや、そりゃ私だってクズはクズですよ。やってることは根本的にクズと何ひとつ変わりませんよ。
そこ、忘れてはいけません。そこを忘れると、単に 「クズの十年後」 ぐらいの人間になるだけですから。
でもね、疲れるんですよ。自分のクズな所を煮詰めて鼻先に突きつけられると、凄く疲れるんですよ。
行きたくないな。行きたくないな。行かなきゃいけないけど、行きたくないな。何か良い方法ないかな。
そうだ、ネット中継で観よう。混雑を知らせる中継は時代祭にもあるから、それで観よう。
順路で一番混む三条河原町にはネットカフェがあって、近くの交差点には中継カメラもあるし。
現場がすぐ近くだから、音は生で聞けるかも。そうだ、そうしよう。ネットの中継で見よう。

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夏越祓の茅の輪を求めて木津川市をうろつきました。もちろん、ひとりで。

2023年6月30日(金)


夏越祓の茅の輪を求めて木津川市をうろつきました。もちろん、ひとりで。

夏越祓茅の輪くぐりまくりの舞台として、前から木津川市は気になり続けてました。
木津川市。京都府の最南端に位置し、むしろ隣接する奈良市との縁の方が深いエリアです。
「木津」 という地名が示す通り、元々は木材の津 = 河川港があることで知られた町であり、
その木材を運ぶ水運ハイウェイ = 木津川の近くに広がる旧木津町を中心として、栄えてきました。
木材の搬送先は隣の奈良が当然多く、そもそも平城京の外港として町が出来たとも言われるほどで、
その辺を考えれば、この町は京都以上に長く深い歴史を持つ町と言えるのかも知れません。
では、南都と縁が深いこの木津川市が何ゆえに夏越企画の舞台として気になり続けてたかと言えば、
正に奈良/京都の境界という地理が、夏越が孕む境界性とシンクロすると考えたからです。
当サイトは、境界というテーマにこだわり、こだわる中で1年を半分に分かつ夏越の境界性にも注目し、
祇園祭/稲荷祭の境界たる松原通にて水無月を食いまくるといった荒行などもしてきました。
そして、このテーマをさらに深く追究するには、本当の境界の地へ赴くべきと思うようになったのです。
都合の良いことに木津川市は、平城京レベルの古い歴史を持つがゆえに渋き古寺や古社が多く、
京都~木津の港~奈良を結ぶ奈良街道の周辺も、特に良さげな社が沢山存在してます。
また、奈良街道周辺の旧市街からやや離れた辺では宅地開発や道路建設が異常なほど活発で、
ある意味で町全体が過去/未来の境界と言える景観を生み出してるのも、味わい深かったりします。
この木津川市で茅の輪めぐりをしたら、面白いのではないか。境界の探求にもなるのではないか。
ルートはもちろん、奈良街道を基本で。それも、木津の港から南進して奈良県の境界を目指す形で。
となると、晴天の日は逆光で歩くことになるので、狙うなら悪天の日で。出来たらもう、雨天の日で。
そんなことを、ここ何年か考えてました。そして遂に2023年、企画決行に相応しい天気が訪れました。
この年の夏越の日 = 6月30日は、全く陽が指さない悪天。南進には、これ以上ない気候です。
天佑を感じながら木津川市へ向かい、茅の輪を求めて奈良街道を歩いてみました。

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さすてな京都へあじさいを観に行きました。もちろん、ひとりで。

2023年6月12日(月)


さすてな京都へあじさいを観に行きました。もちろん、ひとりで。

京阪電車本線に於ける駅間距離の最長区間は、淀駅中書島駅間の4.4kmであり、
淀駅の隣である八幡市に住む私は、所要時間約5分であるこの4.4kmを日常的に通ってます。
南向きの時は、巨椋池干拓地の空を見ながら。北向きの時は、横大路沼跡地の煙突を見ながら。
駅間距離が長いのは、敷設時点では横大路沼が存在し、大きな集落などがなかったためです。
横大路沼は、秀吉の伏見城築城&その水運確保のため行った宇治川改造の際に生まれた沼地で、
伏見と淀城を結ぶ京街道の足場 = 淀堤によって、巨椋池の北辺を分離する形で出現しました。
それ以前の一帯は、恐らくは水と陸との境界さえあやふやな沼地というか遊水地だったわけであり、
かの下鳥羽/草津港まで含めて、京都南部の水路/海路のゲートとして機能してたのでしょう。
現代に入るとこうした池や沼は干拓で姿を消しますが、横大路沼の干拓完了は比較的遅くて、戦後。
ある意味、水と縁深き洛南の景色を最後の最後まで留めてたのが、この沼なのかも知れません。
干拓後の横大路沼は、豊かな土地と水を活かすべく工場/施設が多く建つようになりました。
誰もがスーパーで目にするような和菓子のメーカーの工場を始め、多くの建物が林立してますが、
その中でずば抜けた存在感を放ってるのが、京都市の環境施設・京都市南部クリーンセンターです。
横大路沼の干拓が完了する以前の昭和11年から、横大路塵芥焼却場として処理業務を開始し、
干拓完了までは沼の畔で、完了後は敷地と施設を拡大しながら、増大する一方の市のごみを処理。
現在は1日最大1100tのごみを焼却出来る、京都市の環境政策に於ける重要拠点となってます。
居並ぶ他の煙突を圧倒するかのようにそびえるその紅白の煙突は、正に此地のランドマークであり、
京阪電車 or 京阪国道を通る人なら、京都市民でなくともその威容を日々目にしてることでしょう。
クリーンセンター、2019年には環境学習施設・さすてな京都が設立され、見学が簡単になりました。
で、このさすてな京都、あじさいが名物だったりします。その株数、実に1万株以上。中々です。
そんなあじさいを、水と縁深き洛南の幻影を求めるように小雨の中、観に行きました。

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先斗町いづもやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

2023年5月31日(水)


先斗町いづもやで、昼床を楽しんできました。もちろん、ひとりで。

コロナ禍は、京都の夏の風物詩である川床に対しても、少なからず影響を与えました。
減客&減席の影響緩和のため鴨川納涼床が行った営業期間の延長は、その代表例でしょう。
おかげで、10月の昼床なんてのも現れたり。奇禍の中の奇貨、とも言えるかも知れません。
ただこの延長、5月の昼床では行われませんでした。6月に昼床は、とうとう現れませんでした。
理由は明白でしょう。暑いからです。梅雨も問題ですが、それより何より暑いからです。
実際に行ったことがある方は御承知とは思いますが、昼床というのは中々に暑かったりします。
陽が当たる場所にはちゃんと日除が用意されますが、5月末の夏日ともなればそれでも完全に暑い。
とても風情どころではありません。炎天下で食事をするという、荒々しい行為になってしまいます。
せめて、太陽が隠れてくれたら。昼床でそんな風に思った方も、実はかなり多いのかも知れません。
太陽が隠れる曇天では、確かに、昼床の最大のメリットと言える景観がかなり損なわれはします。
ただ景観以外の面では曇天はメリットが少なくありません。陽の光に焼かれないし。やや空いてるし。
何なら、景観以外の全てがメリットと言えるでしょう。視覚以外は概ね全て快適になるわけです。
であれば、曇天をもっと積極的に楽しめば、昼床の可能性はより広がるのではないか。
御節介にも当サイトは、そう考えました。そして今回、敢えて曇天の日を選んで昼床へ向かいました。
コロナ禍はほぼ収束したと言えますが、今後もまた似たような事態が起こらないとは限りません。
その際も床を存続するためには、稼働期間の延長も有効でしょうが、客の認識の更新も必要でしょう。
幅のある物事の楽しみ方を我々が身に着ければ、床の稼働率や生存率は上がるのではないか。
そんなことを考え、曇天の5月末日、四条大橋の横にビルと床を構えるいづもやへ出かけたのでした。
そう、これは新たな挑戦なのです。新しい日常の後の日常を提案する、挑戦なのです。
断じて、月末も末日に至って5月分のネタ採取を全く行ってないことを急に思い出し、慌てて、
悪天なのに昼床へ出かけ、空いてたいづもやへ適当に飛び込んだのではありません。

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祇園甲部歌舞練場の都をどりを、桟敷席を予約して観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2023年4月28日(金)


祇園甲部歌舞練場の都をどりを、桟敷席を予約して観に行ってきました。もちろん、ひとりで。

死と再生。春は、そんなことを考えさせられることが多い季節です。
今までの生活や環境に別れを告げ、新たな自分として歩み始める。そんな方も多いと思います。
清水の舞台から飛び降りるように新天地へ赴き、果敢に新生活を始める方も、少なくはないでしょう。
年度始めの世界的な主流は9月であり、日本の4月スタートも実は近代以降の慣習に過ぎませんが、
桜が咲く中で人生の転機を経験すると、誰もが春を特別な季節と感じるようになるとも思えます。
もちろん、桜という花そのものが死の香りを濃厚に孕むこともまた、決して見逃せません。
俺は春死ぬことにしよう。俺が焼ける間、外は花吹雪――いいぞ (映画 『お葬式』 侘助の科白)
涅槃や成仏、あるいは転生や輪廻。こうした願望も、桜や春は高めるのかも知れません。
そんな桜咲く2023年の春、京都・祇園でもひとつの再生が成されました。祇園甲部都をどりです。
都をどり。京都最大の花街である祇園甲部にて、毎年4月に行われてきた舞踊公演であります。
明治初頭に京都振興を目的として開始され、ゆえにその内容は今も極めてスピーディーで現代的。
観光都市・京都を最も体現するコンテンツとも言え、その興味深さは当サイトでもお伝えした通りです。
この都をどりが、2017年よりしばらく、祇園甲部でのホーム公演を行えない状態になってました。
理由は工事です。明治期より会場とし続けてきた祇園甲部歌舞練場が、改修工事に入ったためです。
春秋座や南座に会場を移し、さらには2020年からのコロナ禍を受けて公演そのものまで一旦休止。
こうした苦難を経て、2023年春、都をどりは遂に祇園甲部歌舞練場へ帰って来たのであります。
これは正しく、再生です。春に相応しい再生です。そしてこの再生は、何としても見届けるべきです。
そう考えて当サイトも、前回より良い席でこの再生を見届けようと、然るべき予算を用意しました。
あいにく多忙と券欠が重なって4月末のラスト前々日になったものの、それでも1等席の確保に成功。
しかも、舞台に間近い桟敷席です。これは、期待出来る。そう思いながら、当日は出かけました。
が、出かけてすぐ、全く予想しない形で死と再生に直面したのです。

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宝鏡寺の春の人形展に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2023年3月10日(金)


宝鏡寺の春の人形展に行ってきました。もちろん、ひとりで。

外見上は生きているように見えるものが本当に生きているのかどうかという疑惑。その逆に生命のな
い事物がひょっとして生きているのではないかという疑惑・・・人形の不気味さがどこから来るのかと言
えば、それは人形が人間の雛形であり・・・つまり人間自身に他ならないからだ。人間が簡単な仕掛け
と物質に還元されてしまうのではないかという恐怖・・・つまり人間という現象は本来虚無に属している
のではないかという恐怖・・・
映画 『イノセンス』 トグサの死体の科白)

では、御所人形に感じる不気味さとは、彼等が 「人間とは虚無だ」 と示すことに由来するのか。
不気味の谷を埋めず、むしろ反転させた谷底で観る者を刺すかの如き、あの顔。確かに、気色悪い。
しかし、あの不気味さが本当に虚無に由来するのであれば、そう邪険に扱うのも考え物ではないか。
同様に虚しき存在である独男は、虚無を体現した御所人形と、きっともっと仲良くなるべきなのだろう。
そういえばあの人形に感じる嫌悪感は、案外、同族を見た際に感じる嫌悪感と似てはいないか。

女の子が子育てごっこに使う人形は実際の赤ん坊の代理や練習台ではない。女の子は決して育児
の練習をしているのではなく、むしろ人形遊びと実際の育児が似たようなものなのかもしれない・・・
つまり子育ては人造人間をつくるという古来の夢を一番手っ取り早く実現する方法だった。そういうこ
とにならないかと言ってるのよ。
(同 ハラウェイ検死官の科白)

「古来の夢」 の実現から最も疎外された存在である独男にとって、人形とは果たして何なのか。
また、 「人間は何故こうまでして自分の似姿を造りたがるのかしらね」 とも語るハラウェイ氏に反して、
独男が密造する 「似姿」 の多くは、己と似ても似つかない美少女や巨大ロボットになりがちなのか。
こうした懐疑と向き合うべく今回、宝鏡寺が雛祭シーズンに開催してる春の人形展へ行ってみました。
人間の雛形と、虚無。再生産と、不気味の谷。果たして独男は、人形と仲良くなれるでしょうか。

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梅小路公園へ梅を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2023年2月23日(木)


梅小路公園へ梅を観に行きました。もちろん、ひとりで。

梅ライン。京都の怨霊シーンを語る上では、決して見落とすことが許されないラインです。
それは即ち、北野天満宮から御前通を南下し、土御門家の屋敷があった梅小路へと至るライン。
梅を愛した怨霊神のカリスマと、スター陰陽師の子孫とが、このラインで直結してるわけです。
怨霊神のカリスマとは無論、菅原道真のこと。北野天満宮の主祭神である道真に、他なりません。
優秀ゆえ重用されるも、藤原時平を始めとする平安貴族一同に嫌われ、陰謀により太宰府へと下り、
梅を想いながら野垂れ死んだ後は怨霊化し、恐怖の里帰りを遂げて都へ雷火を落としまくった、道真。
陰謀関係者に片っ端からヴードゥー攻撃をお見舞いし、震え上がった朝廷が名誉回復を決めるも、
遂には御所にも弩級の雷火を叩き込み醍醐天皇が心労死するくらい恐怖の底へ追い詰めた、道真。
この怨霊ジェノサイドが効きまくって、道真が天神として北野天満宮に祀られたのは、御存知の通り。
もちろん、愛する梅と共に。北野天満宮の梅苑は今なお梅の名所であり、訪れる人も絶えません。
かくして道真が怨霊神のカリスマとなった数世紀後、土御門家は梅小路に居を定めます。
土御門家。その先祖は当然、道真とほぼ同時期に活躍した陰陽師・安倍晴明。正しく、霊の名門です。
しかし、晴明の死後も晴明並みの超スター陰陽師を立て続けに輩出したかと言えば、そうも行かず。
権勢的には公卿になれたりと頑張りを見せたものの、肝心の霊的インパクトは欠けたまま時は流れ、
応仁の乱に至ると遂には都落ちの羽目となり、遁世先の若狭で暦を作ったりしてたわけです。
そんな土御門家が後に帰京出来た際、何を思ったのか。単に 「帰れて良かった」 とだけ思ったのか。
多分、違うでしょう。力が要る、と考えたでしょう。特に最近欠けてる霊の力が要る、と考えたでしょう。
そこで、道真に肖ろうとしたのではないか。怨霊神のカリスマと、梅経由の結縁を謀ったのではないか。
北野天満宮の真南である梅小路は昔、梅林が広がってたそうです。そう、正に梅ラインです。
京都の怨霊シーンと真摯に向き合い続ける当サイトとしては、この梅ライン、無視は出来ません。
そこで、梅小路公園にて折よく満開の梅を愛でた後、梅小路へ検証に行ってみたのです。

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宇治・六地蔵の民泊を借り切って、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

2022年12月24日(土)


宇治・六地蔵の民泊を借り切って、聖夜を過ごしました。もちろん、ひとりで。

メリークリスマス!! 当サイト恒例の聖夜宿泊企画、2022年度版でございます。
今回は、宇治市京都市の境界である六地蔵にて、airbnbで見つけた民泊に泊まってみました。
理由は、当企画が本来持つ 「境界」というテーマを、改めてしっかり追及したくなったからです。
前年2021年は丹後・宮津へ赴き、貸切の宿で酒飲んで寿司食って寝て朝もまた美味い魚食って、
あまりに気持ち良く、あまりに最高だったんですが、ゆえに 「境界」 というテーマは雲散霧消しました。
本来この企画は、荒行として行って来たことです。ある意味、己への枷として続けて来たことです。
なのに、なってない。何より、自分の体がなってない方向へ全振りしてる。これでは、だめです。
もっと修行しなくてはいけない。もっと修行しなくてはいけない。もっと修行しなくてはいけない。
老化で体の無理が利かなくなったのなら、せめてテーマの追求は、しっかり行うべきではないか。
そう考え、テーマを深く追及できる場を探して、思い至りました。六地蔵が、良いかも知れない。
六地蔵。言うまでもなく、六地蔵めぐりの起点 = 大善寺の愛称がそのまま地名となったエリアです。
平安遷都前から奈良/宇治/近江/北陸の交通の要衝であり、隣の木幡と共に怪異譚も多く産出。
秀吉伏見城築城のため巨椋池宇治川改造した後は河港となり、宿場の歴史も持つ地です。
高い親水性ゆえ伏見の東口&水陸交通の接点として賑わう一方、高い親水性ゆえ水害もまた多発し、
山科川が暴れた際には地蔵めぐりの起点を担い得る程の彼我の境界ぶりを誇ったという、六地蔵。
しかし高度成長期も過ぎた頃になって治水が完了すると、ガラ空きの土地で都市化が一気に進行し、
宅地が増えて道が増え新しい駅地下鉄も生まれ、そのためさらに開発は進んで、人口は増加。
21世紀以降は新たな形で交通の要衝と化し、近年では特にマンションの建設ラッシュが加熱してます。
そう、現在の京都に於いて最も現在進行形の境界を体現してるのが、六地蔵エリアなのです。
その六地蔵で今回、Kyoto FUERTE 宇治六地蔵なる、昭和な民家を用いた民泊に泊まりました。
宿と民家の境界で見える境界が如何なるものか、じっくり向き合おうと思います。

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京料理展示大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2022年12月13日(火)


京料理展示大会へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

京料理展示大会は、始まった頃からずっと岡崎を会場にして開かれてると思ってました。
理由は、開催回数と岡崎の開発経年数がほぼ同じだから。2022年時点で、百数十年という。
でも、違うそうです。京料理展示大会は休止期間などがあるため、もう少し古いそうです。
岡崎一帯の開発が始まったのは、琵琶湖疏水が開通し、内国勧業博覧会も開催された1890年代。
博覧会のパビリオンとして平安神宮が作られ、周りには美術館勧業館図書館なども生まれました。
対して京料理展示大会が始まったのは、明治19年 = 1886年。場所も、岡崎から程遠い北野天神
東京遷都で落ち込んだ京都を盛り上げるべく始まったという点では、共通してる感もある両者ですが、
やはり京料理は近代だけのものではなく、それゆえ展示会の発祥も展開も違って来るわけですね。
根本的な説明が遅れました。京料理展示大会。その名の通り、京料理の展示大会です。
主催は、京都料理組合。施餓鬼会/時代祭神饌奉献と並ぶ3大行事のひとつとして開催してます。
大会のルーツは生間流による北野での式庖丁奉納で、その後も祇園などで勅題料理縦覧会を開催。
八坂倶楽部にてしばらく開催を続けるも、戦争で中断に至り、敗戦後に京料理展示大会として復活。
高度成長期に入ると八坂倶楽部から岡崎の京都市勧業館へ会場を移し、参加店や参観者数も増加。
そして平成以降は、新たな勧業施設のみやこめっせにて毎年12月に開催されてるわけであります。
この展示会が良いのは、素人も入れることでしょう。入場料を払えば誰でも入れるという。
なので会場内では、一生入ることがないかも知れない老舗や有名店の料理を拝むことが可能です。
並ぶ料理の数も凄まじく、ジャンルも寿司・ふぐなどを含め多岐に亘るため、全ては見切れないほど。
また会場には特設ステージが設けられ、この展示会のルーツとも言える生間流の式庖丁も披露。
他にも、五花街から呼んだ舞妓はんの舞を始め、京料理教室や出汁巻コンテストなど出し物も充実。
唯一残念なのは料理を食べられないことですが、もう少し金を出せば点心を楽しむこともできます。
そんな京料理展示大会、コロナ明けで復活したというので、初日に岡崎へ出かけました。

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保津峡へ紅葉を観に行きました。もちろん、ひとりで。

2022年11月25日(金)


保津峡へ紅葉を観に行きました。もちろん、ひとりで。

金が、なくなりました。あったのに、なくなりました。前はあった金が、なくなりました。
おかしいと思って人に言ったら 「それ、お前が使ったからだ」 と言われましたが、それ、おかしい。
私の金は、私の金です。私の所に、私の名前で、振り込まれたり、支払われたりした金です。
その金が、なくなる。使ったというだけで、なくなる。それはちょっと、無茶苦茶な話だと思います。
貨幣経済とか、そういう話でしょうか。そういうの、無関係です。本質から、逃げてるだけです。
金がなくて幸せな人なんて、どこにもいないでしょう。なので、金がなくなることがまず、おかしい。
そもそも、金は使うとなくなるという仕組みの所から、何か間違ってるんじゃないでしょうか。
金で買った物はなくならないし、使ってもなくなりません。自動車も、掃除機も、なくなりません。
なのに、金は使うとなくなるなんて、ちょっと変だと思います。違和感、感じます。モヤモヤします。
はっきり言うと申し訳ないですが、こういう仕組み、昭和っぽいです。今の時代に合ってません。
デジタル化に置いて行かれた人が、必死で私達の足を引っ張ってるんじゃないでしょうか。
古い考え方を鵜呑みにするの、かっこ悪い。そういうのを振りかざして偉そうにするの、かっこ悪い。
ずっと前の当たり前をいつまでも正論のように言い続けるのって、もうハラスメントにしか思えません。
「対価を支払う」 とかいう大昔の価値観から、解放されたい。そういうのに捕まらず、自由でいたい。
おかしいおかしいと思いながら今日の今日まで自分を抑えて生きてきましたが、もう我慢できません。
違和感を我慢せず、モヤモヤを飲み込まず、全て自分らしく表現して、邪魔な壁を越えて行きたい。
金がないと、秋の紅葉が観れないのも、変です。内心、ずっと変だなと思ってました。
紅葉で金を取る人は、紅葉を発明でもしたんでしょうか。してないはずです。元は自然のはずです。
それに拝観料って何ですか。私達は紅葉に用があるんであって、神にも仏にも用はありません。
勝手に信者扱いにされると困ります。そういうのって、出るとこ出たら割とまずい話になるはずです。
紅葉は、金がなくても観れた方がいい。そう思います。なので、保津峡へ行きました。

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夢窓疎石の命日に相国寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

2022年10月20日(木)


夢窓疎石の命日に相国寺へ行ってきました。もちろん、ひとりで。

夢窓疎石は、1351年9月30日に、新暦で言うなら10月20日に、死にました
その生涯を通じ、苔寺を始めとして数多の名庭を作庭し、枯山水の完成者とも言われる禅僧、疎石。
後醍醐帝足利兄弟の両方から崇敬され、天龍寺創建のため天龍寺船も献案したという、疎石。
さらに、歌人にして五山文学の有力漢詩人でもあり、語録や 『夢中問答』 などの文物も残した、疎石。
マルチというか横該堅抹というか、とにかく幅広く活躍した中世禅僧界の超カリスマであります。
この手の人物は晩年に下手を打ちがちですが、疎石は存命中に得た人望・名声を保ったまま、入滅。
その死に際しては多くの門弟や僧が集まり、崇光天皇は悲嘆のあまり政務を執れなくなったとか。
「夢想国師」 などの国師号は死後も帝達から送られまくり、 「七朝帝師」 なる別名まで生まれました。
元来ひとりの修行を好んだという疎石、死後も続くこのモテ期は、きっと苦笑ものでしょう。
ただその一方で疎石の最も有名なこの歌は、死後の推しを推してるようにも見えます。
盛りをば 見る人多し 散る花の 後を訪ふこそ 情けなりけれ
この歌に倣うかの如く、帝の他にも疎石の後を訪う者は多し。法要を行う寺もあります。
京都では、天龍寺が開山忌をもちろん実施。あと忘れてはならないのが、相国寺でしょう。
相国寺。万年山相国寺。金閣寺銀閣寺を山外塔頭として擁する、臨済宗相国寺派の大本山です。
足利義満によって花の御所の真隣で創建され、現在も京都御所の真北にて広大な境内を誇示。
五山文学の中心地でもあり、雪舟等伯応挙若冲などの文化財も持つ、禅刹中の禅刹であります。
この相国寺がどうして夢窓疎石の命日に法要を行うのかと言えば、疎石が正式な開山だから。
相国寺の創建は1382年で、礎石の没年は先述通り1351年なので、数字は全然合ってないんですが、
実質の開山・春屋妙葩が疎石の門弟であり、師匠ラブのあまり疎石を追請開山にしたわけです。
正しく、後を訪う者ならぬ後を訪う寺。ゆえに10月20日には、最重要行事として法要が行われてます。
そんな10月20日の相国寺を、特別拝観も併せて拝むべく、訪うてみました。

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平岡八幡宮の花の天井・秋の特別拝観へ、9月に行きました。もちろん、ひとりで。

2022年9月26日(月)


平岡八幡宮の花の天井・秋の特別拝観へ、9月に行きました。もちろん、ひとりで。

仏教に於ける供花はそもそも、造花と生花との区別をさほど厳密にしないそうですよ。
大切なのはあくまでも仏を華々しく荘厳することであって、美しければ造花でもいいんだとか。
本来は外来宗教である、仏教。生花の調達が比較的楽な日本とは、話の前提が違うんでしょうか。
石清水八幡宮・石清水祭の供花神饌は、造花を用いる点で特殊だと私は思ってたんですが、
八幡神仏と混淆しまくる神であることを考えれば、むしろ普通なのかも知れません。

花の色は仏界のかざりなり。もし花なからむ時はまさに造れる花を用いるべし『三宝絵詞』

では、京都北西・周山街道沿いに建つ平岡八幡宮本殿天井に描かれた44種の花卉図が、
仏と混淆しまくった八幡神の荘厳を目的とするものなのかと言えば、それは無論不明ではあります。
ただ、石清水八幡宮の近くに長く住み、毎年のように9月15日に供花神饌を拝んでる身からすると、
平岡八幡の眼前に描かれた花々は、黒赤漆を贅沢に用いた本殿をさらに盛り立てる装飾というより、
神仏を荘厳するための供花、あるいは絵で描かれた供花神饌に見えて、仕様がありません。
平岡八幡宮。弘法大師・空海が神護寺の鎮守にすべく宇佐より勧請した、山城国最古の八幡神です。
平安初期、和気清麻呂創建の神願寺を任された空海は、この寺を神護寺へリニューアルし、
神が護もると言うからには護り神が要るだろうということで、和気氏と縁深き八幡神を京都へ初召喚。
御神体とする僧形八幡神像も自ら描き、神護寺の近くにてこの平岡八幡宮を809年に創建します。
その後、平岡八幡宮は興廃・移転を経て1826年、仁孝天皇の命を受けて切妻造様式の本殿を修復。
翌1826年には、画工・綾戸鐘次郎藤原之信によって本殿・内陣に件の花絵が描かれました。
この花絵 = 花の天井、基本的に非公開なんですが、定期的な特別拝観では御開帳。
秋は、9月15日頃に御開帳。そしてこの日は無論、石清水祭の日です。おおおおおおおおお。
供花神饌感を感じた私は、その感を確かめるべく、9月の周山街道を北上したのです。

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