宝鏡寺の春の人形展に行ってきました。もちろん、ひとりで。

2023年3月10日(金)


宝鏡寺の春の人形展に行ってきました。もちろん、ひとりで。

外見上は生きているように見えるものが本当に生きているのかどうかという疑惑。その逆に生命のな
い事物がひょっとして生きているのではないかという疑惑・・・人形の不気味さがどこから来るのかと言
えば、それは人形が人間の雛形であり・・・つまり人間自身に他ならないからだ。人間が簡単な仕掛け
と物質に還元されてしまうのではないかという恐怖・・・つまり人間という現象は本来虚無に属している
のではないかという恐怖・・・
映画 『イノセンス』 トグサの死体の科白)

では、御所人形に感じる不気味さとは、彼等が 「人間とは虚無だ」 と示すことに由来するのか。
不気味の谷を埋めず、むしろ反転させた谷底で観る者を刺すかの如き、あの顔。確かに、気色悪い。
しかし、あの不気味さが本当に虚無に由来するのであれば、そう邪険に扱うのも考え物ではないか。
同様に虚しき存在である独男は、虚無を体現した御所人形と、きっともっと仲良くなるべきなのだろう。
そういえばあの人形に感じる嫌悪感は、案外、同族を見た際に感じる嫌悪感と似てはいないか。

女の子が子育てごっこに使う人形は実際の赤ん坊の代理や練習台ではない。女の子は決して育児
の練習をしているのではなく、むしろ人形遊びと実際の育児が似たようなものなのかもしれない・・・
つまり子育ては人造人間をつくるという古来の夢を一番手っ取り早く実現する方法だった。そういうこ
とにならないかと言ってるのよ。
(同 ハラウェイ検死官の科白)

「古来の夢」 の実現から最も疎外された存在である独男にとって、人形とは果たして何なのか。
また、 「人間は何故こうまでして自分の似姿を造りたがるのかしらね」 とも語るハラウェイ氏に反して、
独男が密造する 「似姿」 の多くは、己と似ても似つかない美少女や巨大ロボットになりがちなのか。
こうした懐疑と向き合うべく今回、宝鏡寺が雛祭シーズンに開催してる春の人形展へ行ってみました。
人間の雛形と、虚無。再生産と、不気味の谷。果たして独男は、人形と仲良くなれるでしょうか。


宝鏡寺は、京都の中の京都と言うべき上京区の寺です。堀川寺ノ内でバスを降りると、すぐそこ。
なんですが、おけいはんの民の私には良い便がないので、堀川今出川から北へ歩いて向かいます。
京都の和菓子屋中の和菓子屋と言うべき鶴屋吉信が屹立する前で、蛸焼屋に行列が出来てるという、
色んな意味で京都的と言うべき光景を見ながら、蛸焼屋も鶴屋吉信もスルーして、堀川通を北へ。


金持ちは地味かつ巨大にビルや屋敷を聳え立たせ、その前を貧乏丸出しな老人がとぼとぼ歩く。
そして、その貧乏な老人達が本当に貧乏なのかどうかは実は全く定かでないという、京都らしい光景。
そんな京都のコアらしい風情を見ながら歩いて、堀川寺ノ内に着きました。目印は、表千家会館です。
正に茶の湯の殿堂と言えるそのビルの陰に隠れるように建つのが、宝鏡寺。右折して、向かいます。


やはり上京区的な貧乏で気位の高い庶民が、自転車や安い車で走ってる寺ノ内通を、少し東へ。
表千家会館から暇なおばさんや団体が流れてきたら嫌だなと思ってましたが、そんなことは全くなし。
近くには人形展の看板が立ってて、表千家から誘導してるようにも見えますが、観光客風の姿もなし。
これまた京都の和菓子屋中の和菓子屋と言うべき俵屋吉富が近くにありますが、セレブ感も皆無。


そんな寺ノ内通をいくらも歩かないうちに、宝鏡寺、到着しました。人形展の看板、出てますね。
宝鏡寺。本名、西山宝鏡寺。百々御所なる別名も持つほど、皇族との縁深き尼門跡寺院であります。
尼寺である景愛寺の支院として光厳天皇皇女の華林宮惠厳が創建し、江戸期は皇女が住持を歴任。
「宝鏡」 の名は、御所ゆかりの本尊・聖観世音菩薩が、手に小さな鏡を持つことに由来するそうです。


江戸期に深化した皇室との縁は遷都の頃まで続き、かの和宮も幼少時にはこの寺で遊んだとか。
ゆえに、御所より贈られた花・樹木・人形も多し。人形の多さは、 「人形の寺」 なる呼称も生みました。
一方で建築も見物であり、大門には京都市指定有形文化財に指定されてるぞ云々の記載もあります。
が、今日の用事はあくまでも、人形です。門本体は拝観謝絶棒で塞がってるので、勝手口から中へ。


入ったら、不気味・・・ではなくて可愛い人形が迎えてくれました。御所人形を彫った人形塚です。
ロイヤルな人形を長らく秘蔵してた宝鏡寺ですが、大人の事情なのか何なのか、戦後に公開を開始。
その頃、やはり大人の事情なのか何なのか、京人形商工業組合が京人形のPRのためこの塚を建立。
以来、愛される役目を終えた人形達と、人形の制作に携わった人達を、現在でも祀ってます。合掌。


入って本殿か庫裏かの入口に、拝観受付はありました。拝観料を払って入ります。
受付では御朱印やグッズ類の授与もやってて、私は御所人形が表紙の図録を購入。


宝鏡寺、入ると中は基本、単なる寺。美術館のような感じは全くありません。


入ってすぐの辺には、一か所だけ撮影とアップが可能な人形の展示がありました。
人形は日替わりだそうで、この日は伊邪那岐神と伊弉那美神の人形が恭しく展示中。


とりあえずはまず、本堂でお参り。横の尾形何ちゃらの絵ばかり観てるけど。


勅作堂で、日野富子の木像などもお参り。図版通りで、特に感動はないけど。


お決まりを済ませたら、いよいよ人形をざっくり観させていただきます。


人形は、御所ゆかりの人形を始め、明治以降のものも色々ある感じ。


まずは三折人形の万勢伊さんをじっくり拝見。


万勢伊さんの足下に転がってるような、這い這いも拝見。


三折人形のおたけさんにも、御挨拶。


三折人形のおとらさんにも、御挨拶。


直衣姿&濃紫袴姿の有職雛も観たり。


ミニチュアみたいな献上品の真綿・綿弓も観たり。


やはりミニチュアみたいな双六盤も観たり。


人形展では、庭も拝めます。庭、向きによっては周囲の建物が視界に入りません。
あれだけビルに包囲されてるのに、野原の窪地にいるような気さえしてきます。見事。


もっとも時期ハズレゆえ花は少なめで、ほとんど単なる草&石だけ状態ですけど。
かろうじて咲いてた光格天皇御命名の曙梅を、皇族との縁に思いを馳せながら拝見。


この庭に面した堂内では、江戸期~昭和期の普通の人形も展示中。


京都以外で発達した後に京都へ還流したという古今雛なども展示中。


この古今雛が、私は好き。アクはないけど、健全でしゅっとした感じが好き。


あと、江戸期の流し雛か何かの人型も好き。かなり渋くて味があるというか。


あ、そういえば、仲良くなりたかった御所人形はまだ見てなかったかも。


展示コーナーの最初の方でおばさんが全く動かない所があったけど、あそこかな。
御所人形、多分あそこにいるんだろうな。でもな、おばさん、人形と話し込んでるしな。


という感じの人形展でございました。御所人形とはやはり、あまり仲良くなれなかったようです。
ただ、他の人形とは少し打ち解けられたような気がしました。江戸期の流し雛の人型は、良かったな。
帰る前には、もう一度人形塚に合掌。塚面に掘られた、武者小路実篤に依る文も読み上げてみます。
曰く 「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ」 と。


重い言葉を受けて、退門。人形とは仲良くはなれませんでしたが、考えるヒントは受け取れました。
御所人形に感じる不気味の谷の原因は、都合の悪い情報を捨てて醜悪な現実/己を読み替える力、
つまり薄目で物事を見る能力の欠如にあるのではないかと思ってたんですが、そうではないようです。
客の女性の目を見て、そう思いました。娘でも母でもない目で人形を強く見つめていた、あの眼差し。


あの眼差しは、F1.4以下な目ではなく、F1400 or X線のような勢いで何かを凝視してる目でした。
もっと言えば、人形の霊をファクトとして直視する目とでもいうか。あれはいったい、何なんでしょうか。
というか、あれは、わかるべきもんなのでしょうか。あるいは、わからない方がいいものなんでしょうか。
そんなことを考えながら、家で図録を眺めました。そして、やはり御所人形は不気味だと思いました。

宝鏡寺の春の人形展、
この日の客層は、単独の妙齢女性と2~3人組の妙齢女性のみ。
単独は、頭おかしい系か地味かしこ系。ハラウェイ検死官みたいな人の姿は、特になし。
グループは、近隣 or 地元の至って普通なおばさん連中。
着物姿やお茶のお稽古帰りみたいなテイストの人は、一切見かけませんでした。

ひとりに向いてる度は、★★★くらいでしょうか。
完全にアウェーではありますが、言うほどアウェーというわけでもありません。
ただ独男に向いてるかといえば、やはりもちろん、特にそういうわけでもありません。
人形や庭に興味があれば、普通に行けて楽しめるとは思いますが、
興味がない状態で行っても面白いかといえば、特にそうでもないとは思います。

そんな宝鏡寺の、春の人形展。
好きな人と行けば、より人形なんでしょう。
でも、ひとりで行っても、人形です。


 
 
 
 
宝鏡寺
京都市上京区百々町547
春秋の人形展時のみ拝観可能

京都市バス 堀川寺ノ内下車 徒歩1分
市営地下鉄 今出川駅 or 鞍馬口駅下車 徒歩15分
 

旧百々御所 宝鏡寺 – 公式